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2022-11-14 49:53

048「偽りの自分」のサバイバル術は矛盾がいっぱい

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今日はグッドバイブスの根幹でもある「本来の自分」と「偽りの自分」の違いについて話しています。番組でお伝えした1on1のトレーニング「ワントレ2」のお申し込みはこちら→ https://goodvibes.work/onetore2/

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GOOD VIBES ミッドナイトラクザ by KURAZAMUKEIZU
こんばんは。ただいま11月14日月曜日の3時13分ですね。
今日、かき上げ塾の第7期の紹介講義というのをやってきまして、
リアルとZOOMに今回新たに加わる方が参加していただきまして、
継続の方も何人かいらっしゃるんだけど、ロッキーの前からね。
今回は紹介講義ということで、もう何度もその講義を受けてらっしゃる方々なんでね。
いらっしゃる時もあるんだけども、今回は継続の方は一人も参加されずに、全員新規だったんですよね。
終わった後にそのリアルで来られた方がいらっしゃいまして、
その方と私と佐々木さんと、それから事務局の矢部さんのね、
4人で台南ターミーというね、神保町でよく行くかき上げ塾の後にはよくよるお店があるんですけど、
台湾料理のね、結構おいしいお店なんだけども、
そこでいろいろお話をしていたら、この受講者の方がね、このポッドキャストを聞いていただいてるってことで、
黒園さん、いつも始まる前に時間をおっしゃるじゃないですかと、
あれは午後なんですか、午前なんですかって質問を受けたんですね。
今だったら3時14分ですっていうことなんだけども、
当然午前ですね、これミッドナイトラクザというタイトルが示す通り、
真夜中に、しかも明け方近くに寝る前に私が収録をするということで、
ミッドナイトラクザと呼んでましてね、お昼の3時ではないんですね、午前3時ということです。
それでこの講義、初回の講義というのがね、いろんなことをお伝えするんだけども、
本当盛りだくさんな回なんだけど、まずは皆さんがその本を書くね、その企画をしっかりフィックスさせるというね、
ここで企画とは何かみたいなお話をするんですけどね、
それに沿って企画書みたいなものを作っていただいて、書き始められるような段階まで持っていくというね、
その後にいわゆる目次とか構成案を持たずに書くというね、
前はノープランライティングって呼んでたんですけど、
今はね、以前に私が始めたジャジンワークにね、ちなんでジャジンライティングっていうね、
そういう私の心の中ではそういうふうに読んでて、
今日もその言葉は1回も使わなかったかな、
まさにその場でひだめいて1行ずつ書いていくというね、
この話をして、これは書き方の話なんですけどね、
それからもう少し大きなね、クリエーション、私たちがそのものづくりをする時のモードというかね、
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これがグッドバイブスご機嫌な仕事、みどりの本で書いた広がる想像という話があるんだけど、
自分を広げながらね、これは思いになるんですけどね、
自分の思いをその作品の中に広げながら書いていくっていうやり方をしましょうっていうね、
これもかなり大きな話で、この広がる想像についてはね、
いつかこの番組でもその全貌というか、お話ししたいと思ってるんだけどね、
そういう話をしまして、この広がる想像の反対側に分離する想像っていうのがあってね、
大体私たちはこちらの方法で何かを作ることが多いんですけどね、
要は作り手と作ったもの、その結果ですかね、アウトプットとよく言われてるやつね、
これがその作者とアウトプットが切り離されるって感じね、
一番わかりやすい例は、もうすっごくやりたくないことをやらされた時に、
とっとと終わらせちまいたいなって、投げ出すようにその結果をポンと放り出しますわね、
おそらくだけども、そうやって作ったものは後から振り返って見たり聞いたりね、
読んだりしたくないものの方が多いですよね、
終わった終わったってパッと提出して終わりと、
それを後からもう一回じっくり読み返して、
俺はこんなことを作ったんだ、みたいなことを振り返りたくないっていうね、
まさに自分から分離していく作品がね、結果が分離していくアウトプットが離れていく、
これを分離する想像っていう風に読んでるんだけども、
こちらに入らないようにしましょうっていうね、
これをやるとやっぱりそのプロセス自体が辛くなるし、
作品を見て、特にね、やりたくない仕事みたいなのはポンと投げて終わるんだけども、
本を書くと、そのものづくりをするっていうのは、
その作品が自分のアウトプットとしてね、残りますからね、自分の意識の中でね、
これは俺が作ったものなんだよなっていうね、
ポンと放り投げて二度と見ないみたいなことはなかなか難しいわけですよ、
で、そうすると見るとやっぱりその作り方をする、その作り方で書いた本っていうのは、
多分だけどやっぱりあんまりいいと思えない、
そうするとどんどんどんどん自分に自信を失っていってね、
だんだん書きたくなくなると、
プロセス自体も楽しくないんでね、ダブルで執筆が止まってしまうんですよね、
で、多くの場合、この作り方をするっていうかね、
この仕事の仕方でもいいんだけど、
やるときっていうのは、
大抵だけども受け手を、そのね、仕事を、自分の仕事を受け取ってくれる人に対して、
あまりいい感触を持ってないことが多いんですね、
一番いい例はね、私がその若い頃、
深夜のね、ドーナツ屋さんでバイトしてたことがあって、
しかもあそこなんですね、青山通りの、青山学院大学の隣、
私が行ってたね、2年で中退したんですけども、
隣かな、近辺あたりにあったんですよ、
ドーナツ屋さんがね、
確かその会社はもう今、日本にはないのかな、
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深夜のバイトでしてね、
まあとにかく青山通りなのでね、
もう夜中だろうが何だろうがお客さんがやってくるわけです、
確かシフトが夜の9時ぐらいから入って、
そして朝の5時ぐらいに終わるというね、
まさに昼間の9時5時の反対だ、
真夜中働くんだけど、
1人なんですよ、シフトがね、
もう1人社員がいるんだけど、
社員はその夜中に翌日の分のドーナツをガンガンあげなきゃいけないんで、
基本的にはお店には出てこないんですね、
よほど混んだ時にヘルプで来ると、
でも彼が本当にやらなきゃいけないのは、
ドーナツを作るっていうことなんで、
そのバイトの手伝いで表に出ていかなきゃならない瞬間っていうのは、
ものすごく嫌な時間になるわけですね、
まさに割り込みっていう感じなんだけど、
だからものすごく不機嫌に手伝いに来られるんで、
とにかく僕にとっては、
ホムということが何よりも大敵だったんですよ、
できればもう本当に夜中誰も来なくてね、
暇でちょっとつまんないんだけども、
これまだまだ私がその本気モードを覚える前だったんでね、
できれば1人もお客が来なければ楽に終われるのにな、
みたいな感じで働いていると、
1人でもカンッとドアを開けて入ってくるとね、
今何時だと思ってんだよとかって思うわけですよ、
バイトのくせにね、
それで時給をもらっているなんてことはね、
まだその頃は若気のいたりで、
全くその発想がそこに及ばなくてね、
もうこんな時間に来やがって、
何やってんだお前らみたいなね、
本当によっぽど暇なんじゃねえかみたいな、
なんか憎しみさえ湧いてくるようなね、
こういう感じ、
これがまさに分離する想像をやっているときの
僕らがその受け手に対するその感覚っていうかね、
本当にもういい客はもう、
みたいなそんな感じなんですよね、
だからやっぱりなんていうのかな、
本を書いて届ける相手というのは読者なんだけども、
そこに対してこの本を役に立てたい、
届けたいというこの思いがどうしてもやっぱ薄くなっていきますわね、
だからなんとなくその分離する想像をしているときの僕らっていうのは、
なんか繋がりから切り離されているっていうかね、
これいつも私が言うその小さなカプセルというか、
小さな自分だけが入る小部屋に閉じこもってね、
なんかその自分のため、
よく言われるその自己実現とか自己表現みたいな、
自己のためにその作品を作ろうとするっていうね、
なんというかこの孤独な世界に入っていくわけですね、
孤独な世界でやることっていうのはやっぱり全て孤独なので、
大変なわけですよ、苦行になっていくんですね、
この繋がりがある世界でやっているこの広がる想像っていうのは、
自分から作品を広げ、
その先にもう一つその受け手に広げていくっていうね、
私から作品が生まれ、
その作品が読者に広がっていくっていう、
もうずーっと繋がっていくんですよね、
もっと言うと、
例えばじゃあその、
例えば私のグッドバイブスの本がね、
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少し役に立って読んだ方が少し心が穏やかになると、
そうするとその人は悩んでいる状態よりも少し動けるようになって、
今度は自分で何かを作るということが行われるわけですね、
そういうのが巡り巡って、
もしかしたら私がその繋がりの中で、
今度受け手側に回るみたいな循環の輪ができるって、
そんなイメージなんですけどね、
この繋がりがしっかりとある中で、
僕らがものづくりをするっていうのは、
プロセスもそのアウトプットも、
おそらくまあその分離するよりもいいものになるはずなんですよね、
いいものっていうのはいろんな意味でね、
心の問題でもあるし、
作品の質もあるし、
あらゆるところにいい影響が及んでくるんだけども、
ここの循環からポンと切り離してね、
私のために、私のためにっていうこの感覚になると、
やっぱりどうしても孤独でつらくなる、
苦行に感じてくるっていうね、
そういうお話をしたんですけども、
それを喋りながら、
なぜ私たちはその繋がりの中で、
いい循環を作るっていうこともできる反面、
すぐに油断するとそこからポンと自分を切り離して、
小さなカプセルに入っちゃうんだろうなっていうことを思い巡らせながらね、
そっかそっかこれは二人の自分っていう話なんだよなっていうのを思い出して、
確かこの番組で一度ね、
二人の自分っていう話は一度したことがあるんですよね、
それは確か何かやりたいことがあるのに動けない時っていう話だったと思うんですよね、
その時に心の奥底でこれがやりたいと思っている、
一つピュアな自分、子供のような自分と、
それに対して危ないからやめなさいっていうね、
やりすぎな保護者みたいな、
この二人がいますっていうこのお話をしたんだけども、
これは今日これからお話ししたいと思うその二人の自分を、
このやりたいことがあるのになぜか動けないというケースにね、
当てはめた時の名称みたいなものなんですよね、
もうちょっと大きな括りで今日はちょっと話してみようかなと思うんだけど、
これが私たちにね、
いろんなその恐れや不安をもたらす原因でもあるというかね、
くつながりから自分を切り離したくなる原因でもあるというかね、
そんな感じなんですが、
要はこれ前回かな何回か前に、
私の本体は体なのか、
それとも形のない意識なのかみたいなお話をしたんだけど、
まさにここから始まるんですね、
片方の自分というのは、
あなたとはどれですかっていうふうにね、
質問された時に、
この皮膚を境界線としてその内側、
つまりこの体が私ですというふうに答える自分ね、
まさにその体が私ですという、
これはこの認識はですね、
前もよく本に書いてたんだけど、
サッカーボールとあんま変わらないんですよね、
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サッカーボールって何よって言ったら、
あの皮の内側ですよね、
あれがサッカーボール、
つまりものという認識ですね、
私というのはこの体を持ったものなんであるっていう、
まあこれは生きてる生きてないっていう違いはあるんだけど、
基本的にその物質なんですよ、
これを自分だと思った瞬間に、
まあいろんなことがそれに連なってね、
感覚として僕らの中に湧き上がってくるんだけども、
まずは他の人と自分は、
どこまで行っても一つにはなれないんですよね、
この2つのサッカーボールが融合することがないように、
この皮膚を境にしてここまでしかくっつけない、
皮膚と皮膚を手をつなぐようにね、
触れ合うことはできるんだけども、
それがぐわっと一つに溶け合うことは絶対にないので、
私と他の人は一つにはなれないっていう、
この感覚がまず湧き起こります、
そしてそうすると、
自分というのはこの世界から基本的には切り離されている存在なんですよね、
じゃあ世界はどうかっていうとものすごい大きいわけ、
宇宙も広大ですよね、
この地球っていうこの規模で見てもものすごく広い、
日本だって広いですよ、相当広いんですよね、
なんか日本って地図で見るとちっちゃい感じがするんだけど、
ヨーロッパの上にポンと置いてみるとどんだけでかいかよく分かるんですよね、
結構日本というのは広い国なんですよ、実はね、
この中で私は1メートル76.5センチの身長しかなくて、
スケールとしてはものすごいちっちゃいわけね、
そしてそこにこの日本だけでも1億2000万ぐらいなのかな、
今そのぐらいの人がいる、
自分対その他の人っていう、
比較で見ると私というこのちっちゃな体一つに対して、
1億2000万人も他の人がいるわけね、
ここが自分とは一つになっていない、
自分とは別の存在なので圧倒的にスケールがでかいわけですよ、
当然だけどこの相対比で見るとね、
私はちっぽけに見えますよね、
そして弱い、
どう考えても1億2000万を相手に僕がボンと前に立つなんてことはね、
とてもじゃないけどできない感じがする、
そのぐらい小さくて弱いっていう感じがするね、
そしてそれから相手が何を考えているかわからないので、
油断がならないですよね、
だからいつも警戒をしていなくちゃいけない、
このちっぽけで弱い自分が警戒をしていなくちゃいけないっていうね、
それが自分対外の関係なんだけど、
自分自身を見るとどうかっていうと、
これもサッカーボールと同じでね、
ものは朽ちていくんですよね、時間が経つと、
経年劣化みたいなね、劣化していくんですね、どんどんどんどん、
前にも言いましたけど、
僕らが作ったものっていうのかな、
それで永遠に存在するものっていうのはおそらくないでしょうね、
必ず錆びたり古くなったり壊れたりして最後はなくなっていく、
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この宿命、運命みたいなものを僕らの体はそのまま背負ってるわけね、
だからいつかその寿命というのがあって、
ここの世界から消えてなくなる時があるっていうね、
これも相当恐怖ですよね、
これが最大の恐怖としてあり、
それから皮膚というかね、
ここをパッとカッターかなんかで間違ってやってしまうと切れてしまうっていう、
傷ついてしまうんですね、この体はね、
外側からの刺激にも傷つくし、
内側から何かウイルスとか細菌が入っても、
そこから傷ついて病気になったりするっていうね、
これが自分は体であるというね、
皮膚の内側、これが私であるという、
この認識に伴う感覚ですよね、
こうやって話してると、
どれもこれも結構きついものばかりなんだけども、
要は絶対的な孤独感というのが一つあって、
それから基本的には、
信じるものは自分しかいないっていう感覚になりますよね、
やっぱりね、
この切り離された他人が何を考えてるかわからない、
いつ騙されるか、いつ欺かれるかわからないっていう、
この感じ、信じられないっていうね、
そして自分はちょっとした外的な刺激で傷ついたり損なわれたりし、
最後には消えてなくなっていくんだ、
時間もないという感じですね、
まさにこれが人生は短いっていう、
一刻も無駄にしちゃいけないみたいなこの焦燥感みたいなものも、
おそらく同時に感じてるわけね、
こうやって並べてみると、
やっぱり結構厳しいですよね、
生きるというのは何と厳しいことかっていう感じがしますよね、
でも僕らは生きていかなきゃいけない、
そこで常に自分の身を守りながら、
自分がいかに安全に生きていけるかということを、
終始僕らは目指さざるを得ないわけですね、
そこが一つの生きていく上でのゴールになっていくわけですね、
この孤独の中で、
弱い体を持ち、
そして周りには敵か味方かよくわからない存在に囲まれ、
世界はものすごくスケールがでかい、
油断するとそこに圧倒されそうになるっていうね、
こういう感覚を抱きながら過ごしてね、
できるだけそんな過酷な世界、
そしてこのちっぽけな存在をどんどん生きていく、
どうすれば安全に生かすことができるかっていうところに
邁進するわけですね、
この自分、これを何て呼べばいいかな、
偽りの自分と呼んでおきましょうか、
なかなか前は自我と呼んでたんだけど、
これちょっといろんな専門用語と被りましてね、
意味が違うって言うんでやめたんですけどもね、
偽りの自分とあえて呼んでおきましょう、
こちらのサバイバー、
こちらのサバイバル術っていくつかあってね、
とにかく一つはね、
世界を征服したいと思いますよね、
これは自然な発想だと思うんですよ、
何らかの力を持ってこの危険な世界を
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自分が征服してしまえば、
君臨してトップに立てば、
それだけ安全は保障されるというね、
もちろん現代社会でさすがにそこにトライしようとする人は
もういなくなったんだけども、かつてはいましたよね、
ここを目指そうと、だから僕はやっぱり
そういう人たちの伝記とか読んだことはないんだけど、
ドキュメンタリーとかを読むとね、
古今東西、やっぱりこの世界とかその国を
征服しようとした人たちっていうのは、
実はものすごい、今お話ししたようなね、
自分に対する恐れや不安、世界に対する恐れや不安が
強かったんじゃないかなと思うんですよね、
恐れや不安がなければ、ものすごい大変な
世界征服に挑もうなんてことは多分考えないはずなんですよね、
だから多分僕はですね、
いろんな才能があるんだと思うんだけど、
いろんな世界を征服した人たちはね、
でもその根源には必ずそうでないと
生き残れないという強烈な恐れや不安があったんじゃないかな
っていうのは感じざるを得ないんですよね、
今に生きる私たちは、
当然だけども世界という規模は考えないんだけど、
その代わりに自分が所属してるコミュニティとかね、
組織みたいなところで
この同じ願望を多分持ってますよね、
だからこれが少しでも権力を得たいというかね、
上に行って出世したいとかっていうのに
その意欲の根底にある感じがするんですよ、
なぜ平のまんまじゃダメなのかっていうと、
それだとやっぱり危険なんですよね、
だから少しでも役職とか権力を持って
上に行けば行くほど
自分が少しずつ安全になっていくっていう感じね、
今あんまりそうでもないんだけど、
要は社長が一番安全ですよっていう感じね、
でもそんなことは絶対ないと思うんだけども、
でもここもそう簡単ではない、
そう簡単ではないからどんどん規模が小さくなっていくわけですね、
最初は会社、いやとてもじゃないけど社長にはなれない、
じゃあ部署の部長になろうかってこれもちょっと難しかった、
課長係長もなかなか難しいってことになると、
もう本当にこの数人で3人ぐらいでやるプロジェクトで
でもここを仕切ってやろうみたいなね、
なんかこの感覚っていうのはこう、
性格とかにもよるんだけど、
実はその鍋とかをする時に鍋舞踊をするっていうね、
鍋舞踊になりたいみたいな、
私はやっぱBBDなんでそっち側なんですよ、
最近はもうやんないですけどね、
昔はやっぱ鍋とかすると武行になってないと落ち着かないみたいな感覚があって、
これも本当鍋という世界の征服者っていうのかな、
支配者になりたいんですよ、
そうすると煮る順番とかもね、
そこで自分が嫌な思いをしなくて済みますよね、
なんか白菜がものすごく煮すぎて柔らかくなってて残念みたいなね、
ちょっと待てと白菜は俺が入れるから待てとかね、
肉を入れるタイミングはこうだとかね、
シャブシャブをやるんだったらここで悪をとる、
ちょっと待てと今肉を入れるなみたいなことをこう、
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自分が仕切れる方が安心して、
安全なシャブシャブを食べることができるっていうね、
小さなとこで僕らはこの世界を支配したい欲っていうのを出してくるわけね、
こっちの身体が自分、偽りの自分まで、
これがもうそれでもまだ難しいってなったら、
一番小さなコミュニティであるこの鍋舞踊というのがね、
この鍋舞踊っていうのはね、
難しいってなったら一番小さなコミュニティである、
この家庭になっていくわけですね、
これがなんかやっぱりその昔の男がね、
男尊女卑で威張り散らすみたいな、
ここの正体なんじゃないかなって僕は思うんですよ、
外では世界を征服できなかったと、
でもせめてこの家の中だけでは、
家の中だけでも私は支配者でいたいと言って、
威張り散らすみたいなね、
こういう構造ってのはありますよね、
あと僕らがその小学校とか中学校でね、
生徒児童だった時も、
このクラスを支配したいみたいな欲っていうのは確実にあったと思いますよね、
これがその偽りの自分が狙っている、
そのなりたい自分なんですよね、
自分の周りにいる人たちを、
なんとかその力で支配しているというね、
そしてそれによって安全を確保したいっていう、
こういう感じなんですよね、
だから前にこの番組でお話した、
特別になりたい欲ってあるじゃないですか、
人より引い出ていたい、何らかの面でね、
これもおそらくこの世界を征服したい欲の派生なんだと思うんですよね、
特別な人っていうのはやっぱりその位置にありますからね、
その人がポンと現れただけで周りの人が、
ああすごいあの人が来たってなるじゃないですか、
この瞬間に安全が確保されるっていうね、
こういう繋がりなんじゃないかって僕は見ているわけです、
それからもう一つこの絶対的な孤独感みたいなのがありますよね、
さっき言ったサッカーボールは一つになれないっていうね、
これは僕らにとって実はとても厳しい状態なんですね、
なぜならばこれは偽りの状態だからなんですよ、
偽りの自分の偽りの状態だから、
本当は一つでありたいんですよ、
繋がっていたいんですよ、
その方がいろんな時に助けてもらえるしね、
自分の話も聞いてもらえるし、
もう単純に助ける助けられるみたいなメリットデメリットじゃなくて、
僕らはやっぱり人の温かみとかね、
人の思いが自分を包んでくれるみたいなことを必要としている生き物だと僕は思うんですね、
ものすごく強い人はそんなものいらないよって言って一生生きてられるんだけど、
私もそういうタイプじゃないかなと思いながらトライしたけどもね、
やっぱり無理でしたね、
まあこれを弱さというのかどうかわからないけど、
私はこれは弱さではないと思うんですよね、
もともとそういう生き物なので、
ここを切り離して孤独になってしまうとものすごく辛いっていうそんな感じで受け止めてるんだけど、
これを何とかするために同じ言葉が出てくるんですよね、
面白いことに特別な人っていうのが必要になるんですよ、
これは心を許して一つになれるって思える人ってことですよね、
これが多分恋人なんですよ、
そしてパートナーなんですよね、
だからお互いが一緒に生きていけたら、
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一緒に生きていけたら、
そしてパートナーなんですよね、
だから面白いことに、
孤立して世界から切り離されて、
自分で一人で生きていくんだっていうふうに思っていながらね、
世界を征服しなきゃダメなんだって思っていながらも、
その孤独に耐えられない自分というのがいてね、
特別な人を探すわけですね、
こうやって僕らは恋人とか家族を作っていくんだけども、
でもこれもね、
この身体が自分だという認識でその関係を結んだとしても、
なんかものすごい根っこのところはね、
やっぱりその切り離された他人なんだっていうね、
別々の存在なんだっていうこの感覚が消えるわけではないんですよね、
なぜならば身体は一つになれないからなんですよ、
だから付き合い始めてしばらくの間はね、
燃えるような恋みたいなこの魔力にかかって、
なんとなくそこが一つだっていう感じがするんだけども、
この魔力はね、
だんだん時間が経つと溶けていくわけですね、
これはちょっとその肉体の欲望みたいなのとリンクしてる感じがするんだけどね、
最初のうちはもうそこがグワッと燃え上がってね、
会いたい会いたいっていうこの感覚があるんだけども、
1年2年3年、
そしてまあ例えば結婚してね、
10年20年と暮らしていくとやっぱり最終的には、
あのこの話のね、
一番最初のところに戻っちゃうんですよね、
やっぱりこいつも俺とは切り離された、
別の存在なんだっていうこの感覚ね、
これがまあ要は、
冷めた夫婦関係みたいなことなんだろうと思うわけですね、
この親子に関してはね、
僕は子供がいないのでね、
親になった立場っていうのがわからないんで、
ちょっとなんともコメントはしがたいんだけども、
もしかしたらこの関係こそが世界で一番特別なのかもしれないですよね、
ここはちょっと私はわからないんで、
あまり言及しない方がいいのかなっていう感じがする、
まあでも私から見た親というのは、
少なからず特別な存在でしたよね、
だからなんか僕らはこの、
なんていうかな、孤独感とかね、
その危機感みたいなそういうものを埋めるために、
特別な人を必要とするっていう、
こちら側がこの偽りの自分の感覚ですよね、
まあそんな感じでね、
この手を使って、
そのちっぽけな自分が危険な存在に囲まれているというね、
この状況をなんとかしようとするわけね、
なんとかしてこの自分を安全に守ろうとするわけですね、
これもうちょっと具体的に言うとですね、
基本的にはどんな時でも防御を怠るなっていう、
このメッセージを自分に送りながらね、
考えろ、想像しろと、
何が起こるかを考えろこの先ね、
イマジネーションをたくましくして、
想像してくれと、
危険やリスクを全部洗い出してね、
そこに備えろっていうのをいつも自分自身に言い聞かせているわけですね、
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当然ですけどもそうすると、
僕らは頭の中でいろんな怖いこと、
危ないこと、良くないことを想像し始めるっていう、
これが私たちの恐れや不安の正体でありね、
悩みとか苦悩とかね、
苦しみとか悲しみ、
そういうものの根源でもあるわけですね、
でもだからといって、
苦しいんでね、
もう考えるのも想像するのもやめようという風にはならないわけですよ、
できないわけですね、
だってこれが偽りの自分の体を自分とみなしている、
私の唯一のサバイバル術というかね、
それしかないという風にやっぱり感じてますからね、
ここをそう簡単に応援すると手放すわけにはいかない、
ここが難しいところなんですね、
もうその手放すどころかね、考えていたいんですよ、
想像していたいんですね、
逆なんですね、悩みとか不安とかそんなのはどうでもいいと、
そんなのは仕方ないと、
これは当然もうついて回るもんなんだから、
とにかく最悪の事態かな、
自分と想定するその考えをやめてはいけないというね、
こういう指令がいつもいつも下されるわけね、
だから面白いことに、
こちらの自分は基本的にはね、
何かに集中するとか何かに没頭するというのはNGなんですよね、
なぜかというと、
それをやると思考が止まるからなんですよ、
だから今ここにいるのがとても嫌なんですね、
ここが一番危ないと思ってるんです、
それは簡単、ここに入ると僕らは思考を止めてしまうからなんですよね、
でも本当はここに入ることによって、
僕らは最大の集中力というか能力を発揮できるんだけども、
それと引き換えに、
この想像を考えみたいなものができなくなる、
そちらの方が危ないだろうという風に、
こちらの偽りの自分は考えるわけですね、
だから私も何度も経験してますけど、
一つのことをじっくりやっていると、
怖くなる時ってありますよね、
これやってていいんだろうか、
なんか妙に焦ってしまうというかね、
次から次にこれも手を出し、あれも手を出し、
なんかこうだんだん散らかっていくみたいな感じになる時があるんだけども、
これはおそらくだけど、
何かの一つのことにパンと入ってしまうことが怖いというこの感じね、
まさに思考が止まってしまうからなんですよね、
だからこちらの偽りの自分が多分大切にしているのは、
瞬発力とかね、
なんかいち早く何かを処理して終わらせる能力みたいな方なんですよね、
だから集中力と自給力みたいなものを、
ある意味その忌み嫌っている部分があるような気がするんですよ、
だから何かこう一つのことが長く続かないとかね、
継続できないみたいな時に、
やっぱ疑わなきゃいけないのは、
この偽りの自分がね、
そこに持っていかないようにしてるんじゃないかっていう、
ここなんですよね、
さらに深掘りしていくとね、
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考えている時の自分ってどうだっていうと、
基本的にはおそらく動けていないはずなんですよ、
考えながら何かをするっていうのは難しいですからね、
前にも言いましたけど脳はシングルタスクなんで、
基本的にはその目の前のことに集中しなければ、
うまくこなすことはできないんですよ、
だから多くの時間を考えることに費やしている時というのは、
僕らは動けていないはずなんですね、
これがその偽りの自分の最大の狙いなんですよ、
これは前の動けなくなる自分、
保護者みたいな話の時と全く同じ話になるんだけど、
動かしたくないんですね、
ゴールは、
目指すところは身の安全、
起源から身を守ることなので、
できるだけ熟行してね、熟慮して、
動く時間を減らしたいわけです、
だから矛盾しているんですよ、
この偽りの自分の戦略というのはね、
いつもいつも矛盾していてね、
元々さっきの世界征服にしたって、
孤独でその危険な状況を解消するために、
この世界を征服しようとしているっていうね、
これはより孤独になる道ですよね、
そして実はこれは最も危険な選択であるはずなんですよ、
なぜか他の人もその世界征服を狙っているからですよね、
だから古代のいろんな世界征服者っていうのは、
やっぱりこっそり暗殺されたりとかね、
命を狙われたりするわけね、
目的と手段っていうのかな、
それが完全におかしな形になっているんですよね、
しょうがないんですよ、恐怖、恐れや不安の中で、
一生懸命対策を考えるんでね、
どうしてもそのおかしな戦略にならざるを得ないわけですね、
とにかく自分の身を守るために、
よく考えよく想像しろというこの方針も、
実は真逆に働くんですよ、
それをやればやるほど動けなくなっていくので、
現実に起こることになかなか対処できなくなっている、
これはより危険な方向ですよね、
動いてしまえば目の前の出来事は解決したり、
改善したりするんだけども、
そこに手を出す前にとにかく考えろって言ってね、
考えている間に怖くなって動けなくなるという、
ものすごく矛盾した戦略を取るわけですね、
そして僕らにとって最も実力を発揮できる、
今ここで目の前のものに集中するっていう、
そこも意味嫌うわけですからね、
そしてもう一つあるんですよ、
こちらの自分がね、
ほんとしょうもないなと僕が思う点があって、
こちらの自分はですね、
そんなに自分を大切にしていながら、
私のことが大嫌いなんですよ、
これがね、よくある自分が好きになれないとかね、
自己肯定感が持てないみたいな話の根底に
僕はあるんだと思っているんだけども、
何しろそんな風にすぐに傷つきね、
そしてどんだけ頑張っていろんなことをしてあげたとしても、
33:02
いつか儚く消えていく、
心の奥底で本当に憎しみを持っているんですよね、
何なんだよこの存在っていうのはっていうね、
そして弱くて孤独でちっぽけでね、
この危険な世界で生きていかなきゃいけない、
この私というのをね、
実はあまり好きではないんですよね、
だからここがもう始まりとして、
僕はとても矛盾しているなって感じがするんだよね、
自分を守ろう守ろうとしているのに、
その自分をまるで愛していないというね、
こいつがその偽りの自分の正体というふうに
私は認識しています、
だから僕らはね、この中で何とかしようと頑張っているわけですよ、
本当に大変な思いをして生きているわけですね、
でも今お話ししてきたように、
なかなかここに救いを見出すことは難しいんですね、
各優この私がですね、
まさにこの偽りの自分の教えというかね、
導きというかね、指導に従って
随分と長いこと生きてきたんですけどもね、
この中で何とかしよう、まさに世界を征服しようとしていたしね、
特別な関係も作りました、
でもその特別なパートナーとも
次第にうまくいかなくなりね、
もう世界は当然征服できずに挫折して、
さらにこう自分を危険な場所に追い込みながらね、
そこでも考え、想像し、
怖いことを想像し、
だんだん本当に自分が本来やらなきゃいけない、
例えば音楽やってる時だったら曲を作るとかね、
バンドの演奏をさらに磨いていくとか、
そういうところにエネルギーが注げなくなり、
まさに動けなくなるっていうかね、
考えれば考えるほどリスクばかりが浮かんできて、
何も手がつかなくなるっていう、
そんな状況に追い込まれながら、
何かやらないわけにはいかないから、
何だかそれでお金が稼げるんじゃないかと思って、
ギャンブルに手を出しね、
どんどん良くない方向に行ってしまうっていう、
そしてさっきも言いましたけど、
そんな自分が大嫌いというね、
人生の残り時間がどんどん減っていくという焦燥感の中で、
何をしていいのかも分からずに、
次第に弱っていくみたいなところまで行った時に、
もうこの偽りの自分路線は無理だなっていうことに気付いたわけですね。
気付いたというよりも、
もうそう思わざるを得なかったっていう、
ここからまさにいつも言っている真逆のやり方が始まったんですよ。
こちらは真逆なので、
私は形のないこの意識なんだっていうここに立つわけですね。
体ではなかったんじゃないかっていうね。
これはどんな感覚かっていうのは以前の放送で、
確か体を心配するよりも信頼する方が健やかになれるみたいな回でお話した通りなんですけども、
ここもまたいろんな角度から、
この番組で別の角度から掘り下げてみたいとは思っているんだけど、
要はこの偽りの自分に対して本来の自分ってやつですね。
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私はそもそもどんな存在だったのかっていうと、
多分だけどもこの意識の方が私なんですよ。
この瞬間に世界が真逆に転がっていくという、
この瞬間に世界が真逆にコンとひっくり返るんですよね。
形のない私は傷つくことがない。
そして終わりがあるかどうかは分からない。
ここは私も今は結論を出さないようにしています。
なぜか終わってみないと分からないのでね。
そして僕は今まで人生が終わった後に、
こちらの世界に帰ってきてこうだったよって言った人に会ったことがないので、
ここに関しては想像の域で何かを決めたり、
判断したり、
信じ込んだりすることは避けようと思っています。
ここは分からないということで放っておこうと思います。
ただこの体が自分と思っているこの感覚、
これが朽ちていくという感覚はないですね。
形のない自分が傷つかないまま、損なわれないまま、
ずっと生きていて、
もしかしたらある瞬間にスパッと終わるかもしれないんだけど、
その間右肩下がりに下がっていったりね、
衰えたりはしないというそんな感じがしています。
この意識というのが本体だとすると、
以前も言いましたけど、
私のこの体は意識が閃いたこと、
思いついたこと、思いとして抱いたこと、
これを表現するための道具なんですね。
他の人に伝えるため、
コミュニケーションするための貴重な道具という。
こちらの自分は面白いことに、
この体をコミュニケーションの目的、
コミュニケーションという用途だけに使うんですよ。
偽りの自分はどうかというと、
この体を自分の身を守るため、
防御として使うんですね。
だから多くの場合、攻撃に使っているんです。
ここの差が大きいんですよ。
だから偽りの自分は自分が他の人から切り離されて、
孤立している孤独な存在だ、
そして危険だという風に見なしながら、
そこから身を守るために攻撃に体を使うんですね。
これをやればやるほど、
僕らは他の人から切り離されていく、
他の人を切り離していく、
まさに人間関係をデストロイしていくという方向に行くわけ。
もう一人の本来の自分の方は傷つきませんから、
損なわれませんから、
ここを守る必要がない。
守る必要がないということは、
心配、信頼で身体の健やかさが変わるという話をしたんだけど、
もう一つあるんです。
この身体という道具を攻撃に使っている限り、
多分僕らは身体にダメージを与える方向に行くと思いますね。
これをやめて、
身体をコミュニケーションの用途だけに使っている限り、
僕は結構健康というか、
健やかにいられる感じがしています。
これも大きな違いなんですよね。
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そして何よりも形のない自分、
これは今回は思いみたいな形で表現すると、
この思いはどこまでも広げることができるんですよね。
これをこのクリエーションに使うということですね。
私が本を書くときにこの思いを広げていく。
身体は広げることができないんですよ。
だから身体が自分だと思って生きている、
偽りの自分の作り方というのは、
必ず身体から自分のアウトプットが切り離されていくんですね。
そして切り離されたところで終わる。
ところがこの思いを広げていく作り方は、
まずはアウトプットが自分と一つになりながら、
ふわっと広がっていく。
まさに私の分身のようなものが出来上がっていくわけですね。
この作ったもの、この結果ですね。
出来上がったものは、
この私の思いが載っていますから、
その先、それを受け取った人にも
この思いがふわっと伝わっていくわけですね。
こうして私と読者、もしくは視聴者、皆さん、
それが一つになることができるわけですね。
形として一つにはなっていません。
でもこの形のない私の思いは、
どこまでも広がっていって、
届いた人と一つになることができる。
これはまさに広がっていますよね。
例えば、マイケル・ジャクソンという人がいるとしますね。
彼が歌を歌います。
その歌を今はテクノロジーも進化したので、
自分のiPhoneに保存して聞くことができる。
世界の裏側でマイケルの歌を聴いて感動する。
世界の裏までマイケルの思いが届いているわけですよ。
体ではそうはいかないんですよね。
世界の裏側に行くためには飛行機に乗って、
何十時間もかけて旅をして、
その一人と会って、そこでコンタクトを取るしかない。
この思いによって作られたものは、
一人歩きして広がっていってくれる。
そして、もしかしたらマイケルが隣にいるような感じで、
私は歌を聴ける可能性もあるわけですよね。
このここに繋がりというのを意識した瞬間に、
あれあれあれ、
俺たちは一人じゃなかったなという感覚が
よみがえってくるわけですよ。
本来と言っている以上、
本来私たちはそういう感覚を持って生まれてきたんだけども、
物心ついた瞬間から
この体を傷ついちゃう、
痛いじゃんみたいなことから守らなきゃいけないと
小さなカプセルにぼっと閉じこもってしまったってことですね。
そして身を守るために
考え、想像し、恐れや不安を抱きながら、
余計その状況を悪くしていったっていう。
これを反対側に持っていく。
まさに真逆のやり方をするとすれば、
体は目に見えている、感じる、ここを無視することはできないんだけど、
いやちょっと待てよと、
俺とはこういうちっぽけな存在かと、そうじゃないんじゃないだろうかっていう。
この想いは無限に広がっていくしね。
この想いによって私は何かを作ることができる、
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この想像力を持っているよね。
この想像力って体が発しているものなの?違うよね。
だって何かを作りたいと思わなければ、
作ることはできないじゃないですか。
これが私たちの本体だっていう認識に立った時に、
今日これまでお話しした偽りの自分の特徴というかね、
感覚が真逆にひっくり返るんですよね。
そうすると今ここにいても
安心できるんですよ。
考えてもしょうがないと、想像してもしょうがない。
だってそんなリスクがいくらあろうと、
傷つきもしないし損なわれもしないんですよっていうね。
その中で安心して今ここで私の想いを
想像にグワッと注ぐことができるわけですね。
そしてそこにいくら没頭していようと、
集中していようと、
全く気にする必要はない。
これは多くの人が幼い頃から振り返ってみると、
経験したことがあると思うんだけど、
そういう時って時間が止まりますよね。
時間が過ぎていくっていう、
これは終わった後に感じるんだけども、
そこに没頭しているというか入っている時は、
全く時間の感覚を失う時っていうのがあるんですよね。
だから時間がないんですよ。
この形のない自分っていうものはね。
ここはなんていうのかな、
帰ってきてやっていることをやめた瞬間に、
4時間もやっちゃったなみたいなことで考えてしまうんだけどもね。
ここに入っている瞬間、それを実行している瞬間の感覚なんですよ。
ここは時間が止まるんですよね。
だから実はこの形のない自分というのは、
時間の支配も超えているんじゃないかなっていう、
そんな感覚は私はやっている時には感じますね。
これによって僕らはね、
その一つのことを長く続けたり、
持続したりできるようになるわけですね。
継続ができるようになるっていうこと。
一つのことに没頭すると他のことができなくなるんですよね。
みたいな恐れや不安は、
これは偽りの自分が感じていると。
僕らはどちらかの自分だけにいるってことはできないのでね。
偽りの自分にいながらも、
僕らは意図せず本当に大切な人のために、
身の危険みたいなことを忘れて動くこともある。
緑の本で書いたね、
東日本大震災の時に日本中の人が、
なぜか知らないけど被災者の方々をね、
気になって気になって仕方なくて、
もう実際には現地に行った人もいるみたいなね。
こういうことを自然にやれる、これは本来の自分なんですよね。
これを行ったり来たりしているわけですよ。
前回も言いましたけど、圧倒的に偽りの自分の方に
いる時間が長いんだけども、
片方だけにいるってことはなかなか難しいんですよね。
だから反対に、自分はこの形のない意識なんだっていう風に
捉えて、
本来の自分に行くこともできるんだけど、
そこに居続けることもやっぱり難しい。なぜか?
体があるからですよね。そこに何か痛いとかね、
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苦しいとかっていう感覚が出た瞬間に、僕らはそちら側に戻ってしまう。
でもこの行ったり来たりしながらね、
今ここでここに集中してみようとかって言った時に、
時間止まったよ、なんかここにいると
考えも止まるよね、不安じゃなくなるよね、
そして動けるよね、みたいなことを味わっていくと、
こちらにいる方がいいんじゃないかっていうこの感覚が
どんどん強くなっていくんですよね。
そしてだんだん修正できるようになる。
今僕はここで考え、想像し、恐れや不安の
心象、イリュージョンを作り出して、
そして余計怯えているんだなと、
ちょっとこちらからこっちに戻ってみようと、
形のない自分をイメージして、
私はもしかしたら時間さえも超えている存在なのかもしれない。
だから一刻も早くとか、
一秒も無駄にせず、人生は短いぞとかって
そこにあまりとらわれなくてもいいのかもしれない。
じゃあここに今は入ってみようっていうね、
ここに集中してみよう、みたいなことができるようになるのは
僕は決して悪くないなって感じがするんですよ。
これが私がマキア君のやり方っていうのを
試しながらね、辿り着いた
ネットバイブスという世界というか、やり方なんですよね。
で、この特に、
日常の生活もその通りなんですけども、
この執筆というね、クリエーションをする時に
この感覚を持つというのが非常に
僕は大事なんじゃないかなと、まさに広がる想像なんですよね。
広がる想像をするためには、
この体が本体である自分という
この認識では多分難しい、できないと思いますね。
だから描けなくなった時、何か動けなくなった時に
いつもここをチェックするわけですね。
今どちらにいると、おっとおっと、さすがにやっぱりこの偽りの自分の
なんかいろんな対策、試作戦略に
随分と俺はハマっていたなと、
騙されていたなと、よしよしゃこっちに戻ろう
みたいな感じでね、切り替えていくっていう。
これを私はですね、その書き上げ塾の
受講生の皆さんにやっていただきたいなと思って
初回の講義でこの話をするんですね。
この執筆というかね、クリエーションを通して
これを実践していくというかね、
この形のない自分でちょっと書いてみよう
みたいなね、これはね、今
話をして、なんとなく
王を襲うかっていう感じにはならないと思うんだけど、
実際にやってみると、割と体得しやすいというかね
体験しやすい分野ではあるんですよね。
だから日常の生活でこの形のない自分
みたいなのを出していくのはなかなか難しいんですけども、
この執筆を通してこれを
得得していくというかね、これかーみたいなことを
感じていくのは割とおすすめですね。
もう一つここにあれですよ、
その偽りの自分は自分たちの身の危険を
自分たちを身の危険から守るためにね、
罪と罰という仕組みをここに盛り込みますから
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さらにややこしくなるんですよね。
この辺りがこのいわゆるグッドバイブスと私が
読んでいるもの、みどりの本に書いた、ご機嫌な仕事に
書いたことの根底にある、なんていうのかな、
土台の考え方というかね、スタート地点なんですよね。
要は私たちの中には
二人の自分がいてね、片方は体が本体と思っている
偽りの自分、そしてもう一つは
形のない本来の自分ですね、意識、マインド、
思い、そういうものこそが私自身であるという
この感覚、この2つのどちらかにいるかによって
随分と見える世界が違ってくると、
そういう感じです。
だから私のやっているこのワントレ2というのも
基本的にはここがゴールになって
いくわけですね。
ここの中に許す、与える、傷つかない自分という
この3つのゴールが入っていくんですね。
その土台がこの2人の自分というのを意識する
ここから始まるという、そんな感じですね。
このワントレ2も今、キャンペーン第2弾を
やってまして、おかげさまでその残跡もあと2つになったので
もしよかったらですね、この
偽りの自分と本来の自分、ここをスイッチしていくという
こういうトレーニングを私とね、
マンツーマン、ワンオンワンで一緒にやりましょう。
よかったらですね、お申し込みください。
何か、そうですね、今日は1日を通して
今どちらの自分が、私は今どちらにいるんだろう
っていうね、どちらの自分なんだろう
みたいなことをちょっとイメージしながら
良い1日をお過ごしください。ありがとうございます。
49:53

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