1. グッドバイブス ミッドナイト楽座
  2. 141 まわりの音や話し声が気に..
2023-07-05 46:35

141 まわりの音や話し声が気になって集中できないときに効く2つのメソッド

今日は周囲の雑音や話し声、匂いなどにイラつくときに、穏やかな心を取り戻す2つのメソッドを紹介しています。本来の自分がもつある特性を少しだけ活用します。番組でお知らせした「ワントレ2 無料体験会」のお申し込みはこちら→ https://goodvibes20230713.peatix.com

サマリー

倉園佳三さんは、万年筆にハマっており、手書きの原稿を書くことにも夢中です。彼は、インクや万年筆の選び方にもこだわり、字を練習すること自体が目的だと感じています。私たちは形のない意識の方に意識を向けることで、生きる可能性があります。また、傷つく自分でいることが必要な場面も存在します。このエピソードでは、気になる音や匂いによって集中できなくなった時に効果的な2つのメソッドについて紹介します。耳栓をすることや痛みを受け入れることで、不快な感覚を軽減することができます。また、自分に何の役にも立たないと言うことも効果的です。耳障りな音や嫌な匂いに集中できない時に効果的な2つのメソッドについてご紹介します。

万年筆と手書きの原稿
グッドバイブス ミッドナイト楽座
by 倉園佳三
こんばんは、ただいま7月5日水曜日の午前2時39分ですね。 以前この番組でね、どのぐらいだったっけな、2ヶ月ぐらい前か1月ぐらい前か忘れたんですけども
ジャジュンワークでね、パソコンのACアダプターを忘れて、原稿を書こうと思ったんだけども電池がなくなってしまってね、仕方なく手書きでこの原稿を書いてみたら、これにはまりましたというねお話をしたと思うんですが
そこから派生して、ずいぶんと昔に友人にいただいたデルタというメーカーの万年筆を使い始めて、それで微文字手帳という教本を買ってですね、ちょっとペン終始になるものも始めて、あと原稿用紙ですね、水谷の原稿用紙を買って
これからはちょっと手書きでね、原稿書いてみようかとかっていうお話をしたんですけども
その後ですね、この1ヶ月ぐらいの間、本当にこの万年筆にはハマりましてね、まずはそのカートリッジ、これが私は昔ね、あまりよく知らないんで、このインクの取り替えというのをこのカートリッジでやってたんですけども
ここにコンバーターというね、瓶に入ったインクからインクを吸い上げて使えるという、そういうね、グッズがあるということを知り、最初にこのコンバーター探しというのを始めたんですよ
で、私の持っているそのデルタの万年筆がたまたまね、ちょっと短いタイプでして、なかなかね、この合う企画としてはヨーロッパ企画という企画なんだけども、広くね、普及している企画なんですが、長さがこの、なかなかこの収まりきれないっていうんで、何本買ったかな、3種類ぐらい、そのAmazonで買ったり、その文房具屋でね、見つけたのを買ったりしてみたんですけども
どれもこれも入らなくてですね、仕方がないので、あのシリンジというね、あのなんつうのかな、注射器みたいなやつ、これ化粧品用に使うやつなんですけども、これをその買って、これはまあ最初僕はもうダイソーでね、100円で買ったんですけども、これでその空のカートリッジを買って、そこにこのインクをね、移し替えるという、この手法を試して、まあこれはいけるなというのが分かってね
それでも諦めきれなくて、まあ様々いろんな情報をこう辿りながら探したところですね、Kabekoというメーカーのコンバーターが多分世界最小じゃないかということが分かって、これを買ってみたらですね、なんと穴が小さくてはまりきれないというね、もうサイズ的にはバッチシなんですけども、今度はこの穴がね、なかなかそのマンネリストにはまってくれないんですね
コンバーターの穴が小さくてね、でこれをあのコツコツコツコツね、とハサミの先でね、少しずつ少しずつ削りながら穴を広げていったら、なんとこれがスポッと入りましてね、でこれでまあ一応そのコンバーター問題は解決して、でここからですね、なんか今万年筆ブームらしくてね、たまたま私は偶然ここにたどり着いたんですけども、結構世の中ではこの手書き万年筆ブームというのがあの密かに来てるらしくて
インク沼という言葉が生まれているほど、このインクというのがね、たくさんの種類が出ていて、で私もここにね、ついついはまりそうになったんですけども、僕は過去にね、この手のはまりで相当やっぱり、なんていうのかな、痛い思いって言ったら変だけど、あまり良い思いはしてないんでね
これはダメだろうなと、これはそこそこにしてこないと、僕の中に火がついたら大変なことになるぞっていう予感はあったんですよね。
万年筆のインクの選び方
例えば一番、まあ二つあってね、一つはやっぱりね、2000年ぐらいかな、この頃やってたブラジリアン音楽、これをね、ブラジリアンギターというか、サンバとかボサノバとかね、この辺のカベラとかその辺の音楽をやるのにガットギターをね、買ったんですよね。
これもかなりいい、スペイン製の手作りのガットギターを買いまして、そうするとまさにね、万年筆のインクと同じように弦を買えるという、ここにはまったんですね。
それでもう世界各国の弦をね、40種類ぐらいかな、取り寄せまして、結構マイナーなやつからね、とにかく全部張ってみないと気が済まないっつうんで、一回張ってはね、うわーダメだっつって張り直しとかっていうのを数ヶ月、半年ぐらいやってたのかな、もう膨大なお金も使いね。
そして面白いことに、こういうことをやってる間、ほとんどね、あと音楽には身が入ってないっていうね、全然上手くなってないし、演奏もあまりしないで、もうずーっと弦を張り替えてるっていう、これがね、本末転倒というか、私が避けたい事態なんですけども、ここでもハマりまして、結局何に行き着いたかっていうと、もうどこの楽器屋でも売ってるダダリ用のノーマルゲージという、この弦が一番いいというとこにね、
もう耳はごまかせませんからね、この珍しいスペイン製のこの弦がいいんだとかつって、それを使いたくてもね、やっぱこう不満があって、もう一回ダダリ用に戻ってみると、なんだこのバランスの良さ、このチューニングの安定度みたいなね、要はやっぱりこの技術が進んでいるメーカーというのは、
音の良し悪しは少しね、差はあるにしても、実践、この本番で使うのにはね、やっぱりよく考えられていて、あとレコーディングとかかな、これもどれも、そのやっぱダダリ用を使うようになってましてね、この40種類の旅屋、何だったのだろうと、どこにでも売ってる、誰もが使うダダリ用がいいということをね、この学ぶために、40のこの寄り道をするみたいなことをやった覚えがありますね。
その次が、その直後かな、このちょっとブラジリアンギター、ブラジリアン音楽から少し遠ざかったあたりに、2009年かな、この頃にiPhone3GSが出まして、ここからはもう本当にiPhoneアプリですね。
その1年後か2年後くらいかな、iPadが出て、初代のiPad、iPhoneアプリというのにはまりまして、ガットギターの弦を世界各国から40本、40種類買い漁ってくるように、もう毎日のようにアプリをインストールしてまして、もちろんその有料無料に関わらず、膨大なここでもお金を使いましたね。
結構高いアプリとかもガンガン買って、一時期どのぐらいかな、少なくとも3000本、4000本ぐらいはあったと思いますね。
今でもこれは購入履歴に残っているんで、クラゾノさんが購入したアプリというところをポッとクリックすると、このiTunesストアでそのリストが出てくるんですけどもね、膨大な量のアプリをインストールしたり消したりしながらね。
これは一応そのゾノスタイルというブログにレビューを書いたり、iPhone、iPadクリエイティブ仕事術という本も出したので、一応元は取れてるかなという感じはね、あとセミナーとかもガンガンやってましたからね。
これは資質としてはなんとか元は取れたと思うんだけども、やっぱりこれをやってる時間というのはね、まさにギターの時と同じように音楽をやってなくてね、音楽を演奏せずに弦を張り替えるだけというこの時間が流れていったようにアプリのレビューはするんだけども、
それで何か仕事をしたかとかね、原稿を書いたかとか、なんかそういう実用的なことはほとんどやっていずにやっておらずね。
でも、かといってこの本に書いたりするためには、やっぱりその実際に仕事で使ってみないとね、その感触とかわからないんで、一月二月結構本気でそれだけでメモを取るとか、それだけで原稿を書いてみるとかね。
あと、赤入れするアプリとかもあったんですよ。PDFに赤を入れる。これは結構僕は重宝してね、本ちゃんの仕事でもずっとこれを使ってたりしたんだけども、でもおおよそね、やっぱりこのアプリをいじってる時間の方が長くなるという、ある種の本末転倒を起こすわけですね。
だからこれを今回もね、なるべくやらないように、このインク沼にはまってね、万年筆で何を書くか、文章を書く、これが目的だったんだけども、いつの間にかそのインク選びっていうのがね、主になってしまうという、ここにはまらないようにね。
インクはですね、パイロットのブルーブラックとウォーターマンのミステリーブルーというね、この2つを買って、これもウェブサイトでね、色見本とかをしっかり調べた上で、もう以前は僕が自分で使って、自分で人柱になって記事を書いていたんだけども、今回はもう完全にユーザーにならせていただいて。
もうパッと見て、私は青みが強い方が好きなんだっていうのが分かったんで、ブルーブラックの黒よりの色よりも青よりの色、そしてどちらかっていうとちょっと落ち着いてる感じっていうんで、この2つね、パイロットとウォーターマン、ここに落ち着き、今はウォーターマンの方を使ってますね。
もうこれで十分納得かなと。まだね、文房具屋とか行くとね、日本の北斎シリーズとか、画家のね、モネの青色とかね、そういうのがいっぱい売ってて、もう欲しくて欲しくてたまらなくなるんですけどもね、ちょっと今そこをグッと抑えて、もう大体私はどうなるか分かってるんでね、ここに入り込まないようにしてるというそんな感じです。
字の練習の目的
で、B文字手帳はですね、どんぐらいかな、1日に30分から1時間ぐらい、これ毎日一応欠かさずやってましてね、もう結構字は上手くなったかなという感じがします。
この本当に字の練習っていうのはね、やってみて初めて分かったんですけども、まさに加藤さつきとやってるデッサン教室と同じでね、本当にゆっくり書くということをしないと、全く身につかないというか、上手くならないんですね。
本当、今のところまだ僕にとっては字というよりも絵ですね。絵というか形かな。どこから始め、どの角度に右に引きとかね、下に引きとか、それから左と右のバランスがどのように大小と整っているかとかね、重心が右側の下にあるかとかね、そういうひたすら形を追うこの連続ですね。
まあでもこれはいい時間になってますね。とても何か心が落ち着くいい時間になってます。そして万年筆の書き心地でインクもですね、このウォーターマンのインクのこのサラサラ具合っていうのがね、スルッと滑ってくれる。インクによってこの手触りが全然違うんだなとかっていうのもよく分かったんですけどもね。
それも相まってとてもいい時間を過ごすことができてます。そしてそうだな、この字を練習するということに関しても、このそこにおいて何か別の目的を持たないっていうのがね、継続できるとか続く秘訣なんだなっていうのをね、改めて実感してますね。
この字がうまくなることによって、これを何かに役立てようとかね、あるいは何かこれでペン字検定何級を取ろうとかね、何かこれでちょっと手紙を書いて誰かに出そうとかね、そういう別の目的をね、今持たないというのがすごく重要ですね。
ただただこの字の練習すること、これ自体が目的なんだっていうふうに捉えておくと、とても楽しく続けることができますね。なんかこう机に座ると、いつも僕はジャジュンワークの作法で次何やるっていうのを自分に問いかけるんですけども、だいたい何番目かにこの万年筆で美文字手帳を進めるっていうね、これが出てきますね。
薄い本だったんですけど、これ一冊やっぱ終わらせるのってすごい大変なんだなっていうことがわかりました。だからやっぱこの熱いものを買っちゃダメだなと。この薄さでもね、こんだけまだまだ残っているというかね、終わっていない。どのぐらいかな、3分の1もまだ終わってないですね。5分の1ぐらいかな。そのぐらいは書いてるんですけどもね。
そんな感じで、この手書きブームというのは未だに続いているというお話から入るんですが、今日はですね、本編は、最近でなんかあんまり山話をしなかったんで、このあたりの話をしたくてしたくてたまらなくなってね、ついしたんですが、今日はですね、以前からちょこちょここの番組でね、決して傷つかない自分っていうお話をね。
話というか、こういうキーワードをね、ところどころに僕は差し挟んできてたんですね。ただ、これをテーマに取り上げたことはなかったと思います。たぶんね、確かね、もう記憶にないんだけど、この大冗談にじゃあ今日は決して傷つかない自分について話しますというお話はきっとしてないんですよ。
今日もこの話をするつもりはないんですが、というか、これをメインにするわけではないんですが、ここをベースにするとね、面白いメソッドが2つ活用できるというね、こういう話をちょっとしてみたい。
要はちょっとね、最初にこの決して傷つかない自分ってなんだって、ここだけ触りだけお話すると、要は結論として、もしね、僕らの本体がこの体ではなく形のない意識の方だとしたら、形がありませんから、僕らは何かを失ったり奪われたりすることはありえないんですね。そして形のないものは壊すこともできませんからね。
つまり、こうして考えていくとね、私がいつも言うところのこの本来の自分は、この何があっても決して傷つかないというこの特質を持っていると言えるわけですね。
こういうふうに流れていくんだけども、ただ、私がこの話をこの番組でメインとしてしないのは、この話だけをすることにほとんど意味を感じないんですね。
僕はね、なぜかというと、もしこれが本当に真理だとしても現実だとしてもね、僕らがその普段の生活の中でほぼ100%近く納得できなければ何の役にも立たないんですよね。
実際にどうかというと、やっぱりこの目に見えて痛みとか不快さとかね、この疲労を感じる体を自分の本体ではないとみなすことはね、やっぱり簡単ではない感じがしますよね。
このあえて今感じがすると言ったのは、本当にこれが簡単ではない、つまり難しいかどうかはわからないという意味なんですね。
要は僕らはこの番組でもよくお話しするように、自分の信じていることを現実とみますから、この私は難しいというこの感覚、これは本当にそうかどうかわからないということね。
私は難しいと信じていることは事実なんだけども、本当にそれが難しいかどうか、これはちょっとやっぱり本当のことはわからないんですね。
要は信念だということです。この難しさというのはね。
要はだからこの話だけじゃなくて、もうあらゆることについて、その僕らはね、これは難しいぞと信じると、その人にとってその結論がまさに現実になるわけですね。
これはおそらく誰もが経験していると思います。
例えばね、初めて学ぶ外国語、それからプログラミングとかね、言語ですね、それからスポーツの様々なスポーツ、それから楽器の演奏とか、こういうものって入門したての頃ね。
例えば、例えばだけども分厚い教本みたいなのがあったとして、さあやろうかなと思ってこれをパラパラとめくるわけですよね。
で、ほとんど全ページ何のことかわからない。
この時点で多分こんなことが自分にマスターできるのかなっていう、こんな感じがしますよね。
とてもそんなの信じられないっていうね。
でもまあ、例えば私のギターのようにそれなりに長い時間ね、興味が薄れなかった場合は、この一歩ずつステップを踏みながらね、最初に感じた難しさっていうのはだんだんだんだんそれほどでもないなっていうものに変わっていきますよね。
要はこれは信念が変わったということなんですね。
最初はまるでこの入門したての頃はもう右も左もわからないので、できっこないじゃんっていうこの感じがやってくる。
これが僕らの信念なんですね。
でもこれを少しずつたどっていくとその信念が変わっていくわけですね。
できるかも、できるかもっていうね。
そういう意味では、この私は体ではなく形のない意識であると、そういうふうに自分を捉えることも実は難しくないという可能性もあるんですね。
例えば僕らはね、この感覚を無意識に発揮しているケースというのも多々ある感じがする。
まあこれがね、僕らの本性だとしたら、自然にそれが出てきておかしくありませんからね。
なんか無意識のうちにね、こちら側のその形のない自分というのが本体だっていう、この感覚を発揮しているケースがあるんですよ。
この番組でも何度か多分引き合いに出したと思うんですが、
あなたは私の体が目当てだったの?っていうこの行き通りですね。
あなたは私の体が目当てだったの?っていうね、この感じね。
で、これって要は言い換えるならば、体ではないものを愛してほしいという意味になりますよね。
この質問がね、その裏側にあるのは何を体目当てって。
形のない意識を活用する
体ではない私を愛してよっていうこの意味ですよね。
これはもうまさに形のない、例えばね、心なんじゃないですかね。
それからなんか最近このニュースを私は見たんですけども、この大学のね、ミスコンみたいなものが激減していると。
要はこの世の中、世界的にね、この美貌を競うコンテストみたいなのがなくなりつつあるというね、こういう話題がありまして。
おそらく僕らがね、1980年代なんですね、僕が大学生だった頃って。
それに比べたらね、おそらくこの真正面から大学のミスコンやるみたいなケースは相当減っていますよね。
もちろんこれもね、賛否両論あると思うんですが、そのね、非の方ですね、反対派の方々に、なぜ良くないんでしょうかっていう風な理由を聞いたらね。
おそらくまあいろんな意見はあるんでしょうけど、おおよそやっぱり人を見た目で判断するなよっていうこういう意見が出されるはずなんですよ。
これによってまさにね、この美貌を競うコンテストみたいなものがなくなっていってるとしたらね、これに賛同する人たちが増えてるってことですよね。
人を見た目で判断するのは良くないじゃんみたいなね。
じゃあ何で判断すれば良いのかっていうと、もう多分残ってる答えはよくある言い方で言うと中身なんですよ。
中身ってなんだよ。おそらくこれは体と反対の概念ですよね。体と反対の概念であるはず。
これが共有されてるってことなんですよ。それはまさに形のないものですよね。
ああなるほどっていうね、こういう感じがするわけ。ここでやっぱ俺ら使ってるよなこの感覚っていう。
これからまさにね、このバーチャルリアリティの世界もこの流れの一つと考えても良さそうな気がするのね、私は。
だってそこには生身の体は存在しませんからね。
でもそこで感情を表現したり会話を交わしたりする、それはまさに形のない自分を使ってますよね。
だからおそらくこれはですね、確かそうだな何で書いたんだっけな、不安ゼロで生きる技術という文庫本だったかな。
ちょっと思い出せないんだけど、確かやっぱりその僕らが若い頃のね、子供の頃の映画スターっていうのはやっぱり肉体派が多かったんですよね。
マリリン・モンローとかね、それからマッチョな男優とか、そういう価値観っていうのがだんだんね、今でもなくはない、ゼロではないんだけども、
次第に次第にそうではないものがこう出てきて、多分僕らはね、この時代とともにどちらかというとね、
体からこの形のない意識の方に向かっていると私は見ているんですけどもね。
傷つく自分の必要性
だからまあその、こちら側に向かうという話として、今日のね、この傷つかない自分というのを捉えるのは一つ悪くないかなと思ってはいるんですが、
まあでもこの話は今のところね、このぐらいにしておくほうがいいかなと思ってます。
僕個人の取り組みとしてはね、結構ここは極めたいなみたいなことは思ってるんですけどもね、
でもこれはいくら話したとしてもやっぱり実感するのが難しいというのは否めませんよね。
だから今のところこれをね、一つの可能性としてこの心の片隅に置いておくというのがね、いいんじゃないかなと思うわけですね。
まあどっちもありなのかもしれないんだけど、でもやっぱりこの僕らがね、日々生きててさっき言ったようなね、見た目で判断するなとかね、
身体が見当てなのはどうなのよみたいなことを言うときに、この形のないものを意識してるはずなんですよね。
それを感じてるはずなんですよね。だからまあそちらであるという可能性があるなっていうね、
こういう認識を心の片隅に置いておくだけでいいだろうという感じがします。
それからもう一つね、この話とは別にもう一つね、ちょっと別の問題がこの話題にはありましてね、
要はでは私は決して傷つかない存在の方がいいのかっていうこの問いなんですよ。
これはつまりこれに答えるということはその方がいいという意思もしくは選択ですよね。
この問題が残ってるんですよ。残ってるっていうか大きいんですね。
なぜならば、要は僕らはその時と場合によってはあえて傷つく自分でいる方がいいとね、
こちらを望んでいるってことなんですよ。そんなのはありえないと思うかもしれないんだけど、
いやこれはもう結構僕らはね、その人生の中で傷つく自分でいる方がいいと望むケースはね、
本当に少なくない。これは前の前の番組ぐらいかなでお話しした、
この相手に罪悪感を抱かせるというね、罪悪感の鎖という話をしたんだけども、
この具体的な方法としてね、傷つく自分というのはかなり効力を発揮しますよね。
まさにこの前話かな、僕の母親がこのすぐ泣くんだと、
その涙を見るとね、僕は罪悪感を感じて反論できなくなると、
で、この母親の涙っていうのは母親が傷ついて泣いてますからね、
この涙はやっぱりこの類なんですよね。傷つく自分でいる方がいいと、
多分母親はこの時思っている可能性があるということ。
まあ要はね、この世の中の悪を断罪するためにはね、傷つかない自分ではやっぱりかなり都合が悪いんですよね。
こうしてみると、まさにこの罪悪感とこの形のない傷つかない自分というのは、
ものすごく相性が悪いということがわかりますね。
つまりこれはね、どちらか一方しか僕らの中には存在しえないということなんですね。
罪悪感があるとしたら、やっぱり僕らはこの傷つく自分でいる方がいいというね、
こちらを持ってしまいますから、もしくはこの相手を罰する時にも相手が傷つかないと困りますからね。
僕が相手を罰することによって相手が傷ついてくれないと、これは罰としての効力を持ちませんから、
傷つかない自分の可能性
いずれにしても、この罪悪感が僕らの中にある限り、
この決して傷つかない自分というのはやっぱり存在してはいけないということになるわけね。
どちらか一方しか存在しえないわけ。
そしてこの形のない傷つかない自分というのが、もし僕の中にドンと存在してそれだけになったとしたら、
ここにはもう罪悪感はありえないんですね。
私は傷つかないから、そして私が何をしても相手は傷つかないからなんですね。
多分これはないよねっていうこの感覚。
それはまずいでしょっていう。
これが多分この一つの認識というのを相当妨害しているという感じがしますね。
これはどちらが良い悪いというそういう話ではなくて、まさに今僕らが2023年に今この時代を暮らしている。
でもこれはおそらくさっきお話ししたように、
僕が昭和の頃に生きていた4、50年前とは明らかにこの意識寄りになっているのは間違いないんだけど、
それでもやっぱりここにたどり着かないというかここだけにグッと持っていけないこの要因はやっぱり罪悪感なんですよね。
だから私はこの罪悪感を手放すというステップを一生懸命自分でもやっているし提案もするわけですね。
要はそもそもあらゆる罪というのは体が犯しますからね。
この話も深掘りするとキリがないんでこの辺りにしておきますけども、
要はいつもお話しているこの罪悪感を手放すというステップこれを超えた先にようやく傷つかない自分というのが見えてくるということなんですよね。
あるいはこれが同時に起こるのかもしれない。
いずれにしても、もしこれが僕らの本性なら、その形のない傷つかない自分というのが本性であるとしたら、
それが心から受け入れられなくても、そのようにとても実感できなかったとしても、
そういう可能性もあるんだなという認識は持っておいてもいいかなと。
逆に言うとそういう可能性を持っておくだけでも十分かなという感じですね。
なのでここまでの話は一つのちなみに話、よもやば話としてぜひぜひ忘れてください。
要は何を忘れてくださいと言っているかというと、
僕らの本性は形のない自分であるはずなんだから本当はそうなんだよみたいな話ね。
これはもう今のところ置いておきましょう。
でもその可能性はあるよねっていうこのぐらいの感覚でちょうどいいんじゃないかなと思います。
そして今日はこの可能性としての本性っていうのかな、傷つかない自分。
これを少しだけ使った2つのメソッドっていうのを紹介したいんですね。
とてもシンプルなメソッドなんですよ。
これは今こんなことで傷つきたくないぞっていうね、そういうふうに感じたときに使うんですね。
だからその反対にさっきお話ししたような心のどこかで傷つきたいって思っているときは、
これを使うのはやめておく方がいいということ。
じゃあ今こんなことで傷つきたくないぞって思うのはどんなときかっていうと、
もう本当によくある日常でよくあるやつですよ。
メソッド1:「これは私を攻撃できない」という言葉
例えば騒音がうるさくて眠れないとかね、周囲の音が気になって集中できないとか、
あるいはとてもこれは五感に絡んでるんですね。
目、耳、鼻、口、そして皮膚ですね。
このあたりのあらゆる感覚、これがちょっと気になって困るぞっていうときに匂いもありますよね。
だからそれぞれのこの五感がどれだけ鋭いかとかっていう、ここが敏感感みたいなのと比例する可能性もあるんですけどもね。
匂いは平気なんだけど音はダメとかね、その逆もありますよね。
あと以前僕がお話した私はですね、この味覚の一部ね、ちょっと傷んでるんじゃないかみたいなね、
この感覚にやっぱりちょっと敏感になっているので不快になりやすいわけですね。
で、これもまあ2種類あるんですよ。
それによって本当にもう相手をギャフンと言わせたいと思うときは、もうこの傷つきたいという気持ちが強くなるんだけど、
それが例えばね、電車の中でね、絶対文句言えないちょっとこわもての親父にムカついてるとかっていうときは、
どちらかと言ったらもうこれ気にならない方がいいですよね。
それから僕はよくそのカフェで仕事をするんだけど、
お昼の3時、4時ぐらいになると結構おばちゃんたちがやってくるんですね。
この方々は本当にお話が大好きでね、そこでいろんなお話をされるんだけど、
僕はちょっとこれは本当に個人的な好き嫌いになってしまうんだけどもね、まさに意味付けの世界なんだけど、
この誰かの陰口を言ってる、悪口を言ってるって話がちょっとすごくやっぱこう苦手意識があるんですね、ここにはね。
これをですね、仕事中にちょっと小耳に挟んでしまうと、
もうほんとまた川上さんさとか言って始まっちゃうけど、別に川上さんじゃなくてもいいんだけどね、
山田さんがねとか言って、この3人で寄ってたかって4人とかね、
で、この人の悪口を言ってるみたいなことが耳に入ってくると、もうどうにもこうにもこの何にもできなくなるっていうね、こういう時ですね。
こういう時、まさにこの今こんなことで傷つきたくないぞって思いますよね。
ここで使うメソッドなんですよね。
だから本当に気にしなくて、気にしたくないって本当に気にするのは嫌なんだと思うときに使う。
これがありますね。
で、これはですね、たった一言。
例えば音なので、音とか匂いとかね、そういうものを感じたときに、うわ、きつ、やば、これ本当気になる、どうしよう、やばいみたいなね。
うわ、でもなんかこんなの気にせずに仕事したいぞとか本読みたいぞとかね、思うときは一言。
これは私を攻撃できないっていうふうに言ってください。
この声は私を攻撃できない。
この会話は私を攻撃できない。
この匂いは私を攻撃できない。
これだけ聞くとね、そんなおまじないでこのうるさい音とかね、なんか気になる会話とか匂いとかが平均になるはずないじゃんって思うかもしれないんですが、
試しにぜひぜひやってみてください。
軽いやつだと1分から2分ね。
それから本当にきついなと思っているやつで5分ぐらい。
だからそれなりに時間はかけて、目をつぶってですね、この音なら音を聞きながらね。
で、要はこの文言の中にこれは私を攻撃できないと攻撃という言葉が入ってますね。
要は僕らはですね、このうわ気になって困るよっていう時ってその対象から攻撃されてるっていうふうに認識しているということです。
そして攻撃されて傷ついているというこの感覚を持っているわけですね。
でもよく考えてみるとね、これが実はね、まさに私たちの信念だっていうことがわかるわけ。
で、これはあのね、そういうふうに気になることがいけないというふうに捉えてしまうとまたこの話が非常にきつく感じるのでそうではないんです。
もう気になるのはしょうがないんですよ。
しょうがないんだけどもどうして気になるのかっていうところをね、しっかりと深掘りしていくとやっぱり僕らの心の中にね、
この音、この会話、この声、この匂いが自分を攻撃し傷つけているんだという信念があることこれだけは確かなんですよね。
だから例えば私の場合で言うとね、さっきのおばちゃんの会話がいつも気になるわけじゃないんですよ。
たまたま僕がね、グーッとその原稿を書くことに集中していたり、なんか別の作業にね、クッとこう入って入り込んでいるときには、
もう隣の席に4人のおばちゃんが座ったことさえ気づいてないのね。
当然だけどもそのどんな会話をしているかなんて一切耳に入ってきてないんですよ。
でもよく考えるともうすでに会話は交わされていたわけだから、その間ももしこれが本当に僕を攻撃する力を持っているのであれば、
原稿を書きながらも、その会話が始まった瞬間に僕はグッとこなきゃいけないんですよね。
でもしかも耳は生きているんですよ。
これはまずその話に集中していなくて、それを聞いていないというのが一つあるんだけども、でも音は鳴ってますからね。
だからこの僕の心のありようというのかな、心の持ち方によって、
そのおばちゃんの会話が僕を傷つけるものになったりならなかったりするというこの事実は多分あるはずなんですよ。
だけどももう気になり始めると、もうそういうことはぶっ飛んでしまうんでね。
そんなことは意識することもできないし、気づくこともできない。
そのぐらい秒速でね、うわっていう感じがやってくるんで、
メソッド2:矛盾しない対応
でもこれが嫌だ、これ何とかしたいと思った時に、これは私を攻撃できないというね、この言葉を繰り返すことによって、
まさにさっき言ったね、そういう可能性もある、つまり私たちは形のない傷つかない存在であるというね、
これを僕はうっすら思い出せるんじゃないかなっていう感じがしてるんですよ。
もうこれもまさにね、この意識に上がってきて、私は傷つかない存在だったとかって言うんではないんですね、全くそうではない。
ただただこれを繰り返すことによって、まさにね、この僕らの本性みたいなものがね、
僕らの意識しない中でクッと立ち上がってくれて、少し私たちを救ってくれるみたいな、そんなイメージなんですね。
だから何かこう、何が変わったのかよくわからないんだけど、このこれは私を攻撃できないということをね、
それなりに1,2分もしくは5分ぐらい繰り返すことによって、多分ずいぶんと楽になるし、
場合によっては本当に全く気にならなくなるぐらいの効果はあるんですね。
私はこれがよく使います。まさにこの隣におばちゃんが来た時とかね、
いろんな人によって気になるポイントっていうのはありますからね。
こういうもの、電車の中とかね、カフェとかね、もしくは銭湯とかサウナとかでもあるかもしれない。
それから飲みの席とかでね、隣の席がうるせえなみたいなね、
なんでこんな爆発するみたいな笑い声を立てるんだろうみたいな時に、
バーンってきた瞬間にグッと相手を見てね、にらみつける。
この代わりにね、これは私を攻撃できない、これは私を攻撃できないみたいな感じで、
心の中でつぶやいてみるっていうね、これが一つ目なんですね。
だからそういう意味でね、このトライをすると決めたのであれば、
普段はいいんですけども、このトライをやるんであれば、
いわゆる例えば音が気になるという時に耳栓とかをしない方がいいということになりますよね。
この耳栓をするということは、攻撃があるということを認めて防御しているわけだから、
これをやると、これは私を攻撃できないというこの文言とね、完全に矛盾しますからね。
耳栓をすることと痛みを受け入れること
そう言っておいて、この耳栓をするっていうのはやっぱり反対方向の取り組みをしていることになるんで、
これをやるんだったらできるだけ余計な防御はしないということをお勧めします。
これをやらないんであれば、もう耳栓しかないよっていうことなんで、
もう全然それで構わないんですけどもね、よっしゃこれ気にならないようにしてみようと、
これは私を攻撃できない、これ5分言ってみるぞっていう時は、
耳栓をスッと外してね、やる方がいいと思いますね。
これが一つ目、そしてもう一つがですね、ここから一歩進んで、
攻撃できないというこの取り組みが失敗してね、なんかもう腹が立ったとかね、
まさに怒りとかね、それから不安もあるかな、
なんかとにかくこれはですね、いつも言っているようにその体の反応として出てきているはずです。
まずはね、僕の場合は胸のあたりがもうなんていうのかな、
スーッとこう本当に嫌な感じ、重たい感じっていうのかな、
なんて言ったらいいんですかね、これ言葉で表現できないですね、
なんかスクーッとくる感じで、クーッとくる感じ、胸の溝落ちの下のあたりかな、
それとこの頭のね、上の方っていうのかな、まさにその髪の毛があるあたり、まさに頭か、
ここに何かこうね、なんかボールのようなもの、料理で使うね、
あれがスポッとかぶせられているような、そういう感じっていうかな、圧迫感っていうのか、
ジーンジーンと痺れている感じもあるのかもしれないんだけども、
要はこの腹が立つ不安だなとかね、息通るなみたいなこの感覚を抱いてしまったとき、
ここでもまだ手遅れではないと僕は思っていてね、ここでもう一言、
これは私に何の役にも立たないっていうふうに言うんですね、
これは例えばこの胸のモヤモヤ、それからこの苛立ち、怒りでもいいでしょ、
だから感覚をこれはのところに当てはめてもいいし、感覚っていうかな、
そのなんつうかな、この心の雰囲気というのかな、
これを当てはめてもいいし、体に感じている異変、頭が痛いとかね、
この頭の痛さは私に何の役にも立たない、この胸の重さは私に何の役にも立たない、
このモヤモヤは私に何の役にも立たないっていうこれをちょっと言ってみてください、
これは要は何をしているかって言ったらね、
これ途中でお話ししたこの傷つく自分を選んでいるっていうこちらの自分を今ね、
自分にこう知らしめているわけですね、
要はこれ役に立つと思ってしまう僕らがいるということなんですよ、
このモヤモヤをね、この胸のグッというこのクッというこの感じをね、
例えばこのような不安を感じるから僕は頑張れるんだみたいなふうに使うこともできますよね、
それから怒りも攻撃に変えることができるのでね、
この嫌な感じが何かの役に立つというふうに僕らは捉えることもある、
例えばあんまりいい話じゃないけどね、
最近もうちょっといろいろ悩みが多くて胃が痛いんだよねとかっていうふうにお話しすると、
この人忙しそうだなっていう感じを持ってもらえそうじゃないですか、
だからこういうふうに僕らはね、この胃の痛さみたいなことを使ってしまうということね、
だから役に立ててしまってるんですよ、
これもさっきと同じように、そっちのがいいと思うんだったらそのままにしておけばいい、
これもさっき、いやいやこんなことで傷つきたくないんだよっていうふうに思った、
思う時もありますよね、
同じようにこんな胸のモヤモヤ抱えていたくないんだよ、早くもっとすっきりしたいんだよってね、
ピュアにそのように思った時に使うメソッドなんですね、
もうこれは私に何の役にも立たないっていうふうに言い切ってみてください、
これも1分もしくは1,2分もしくは重い場合は5分ぐらいやると、
大抵のですね、なんていうのかな、この嫌な雰囲気っていうのは一瞬治めることができます、
これも応急処置なのでね、
根本的にね、例えばその不安とか怒りとかね、そういうモヤモヤがその後消えるかというとそうではないんですけどもね、
でも一瞬落ち着くためにはこれはとても良いメソッドだと私は思っていて、
かなり頻繁に使ってますね、
要はとにかく自分がこの不快な感じ、
心であろうと体であろうとね、
それを感じた場合は、
これは私に何の役にも立たないというふうに言ってみるということですね、
この2つ目のね、この私に何の役にも立たないの、
こちらのメソッドっていうのは、
最近私はね、ちょっとこれを思いついたんですね、
いろんなケースで試してみて、
今はこれを楽しく活用していて、
どのぐらい効果があるのかっていうのを実験している最中なんだけども、
それでね、結構いいなと思ったんでここで紹介してるんですが、
足がつったりする時とかね、
それから足が痺れたり、
それから手とか足の小指をベッドの縁にガッとぶつけたりするような時ね、
こういう時にうわーってなるじゃないですか、
痛てててててみたいな、
こういう時にこの痛みは私に何の役にも立たないっていうのをね、
ずっと頭の中で繰り返しておくと、
自分に何の役にも立たないと言うこと
気がつくとね、スッと痛みが引いてるっていう、
そういうことがね、割と数多く経験できていますね、
これもだから、小指をベッドの角にぶつけると悔しいじゃないですか、
誰にも当たれなくて腹が立ちますよね、
なんでこんな痛みが今襲ってくるんだよっていう、
この腹立ちのためにこの痛みを役立てている可能性があるから、
だから役に立たないって言ってね、
放り出すとやっぱりすぐね、スーッと消えていってくれるんですよね、
こういう不思議なことを僕らは多分心の中でやってるんだなっていうね、
こんな実感もこのメソッドからだんだん得られるようになってきていて、
ちょっと今本当お気に入りの一つなんですね、
だから今日ちょっと紹介したくて、
このもう一つ前のこれは私を攻撃できないっていうのは、
割と前からやってたんだけどもね、
この2つを組み合わせると、
割となんかそのまさにね、
これ気にしたくないなっていう時、
早くなんか平安に戻りたいなっていう時に、
とても役に立つ感じがします、
繰り返しますけどもね、
これをなんていうのかな、
このデフォルトの自分がこのようにならなければいけないとかね、
そもそも人とは傷つかないものなんだよとかね、
誰も自分を攻撃できないんだよみたいなね、
こんな風に捉えなければならないっていう風に考えてしまうと、
このメソッドは非常に抵抗を感じるものになってしまいます、
そのようにさっき言ったように、
今日お話ししたようにね、
とてもじゃないけどそんな風に思いたくないよっていう部分が、
僕らの中にたくさんあるからですね、
その1つはこの罪悪感というものが、
やっぱり根深く残っているのであればね、
とてもじゃないけどこの2つは受け入れがたい、
とても受け入れてはいけないものであるはずなのでね、
だからそうではなく、
そのような可能性を心の中に、
心の片隅に置きながらね、
便利に使うっていう感じかな、
今は傷つきたくないぞとかね、
今は攻撃されたくないぞとか、
あるいはこの今これは役に立たんぞ、
これはいらねえぞっていうね、
モヤモヤとか痛みとかがな、
そういう時に気軽に使ってみてください、
こういうやり方もあるんだなみたいな感じ、
そして1回2回じゃなくて、
先ほどからお話ししているように1分2分、
そして5分ぐらいのコースでね、
目をつぶってこれを繰り返すという、
これをやってみてください、
2つとも私は効き目はかなりあるんじゃないかな、
と思っています、
今日はこんな感じですかね、
もうこれはほぼリマインダーみたいなものなんですけども、
今週末の8日ですかね、
これが毎月2回やっているジャジュンワーク、
13時からやりますんで、
今回はですね、
新宿山頂目の会場を撮ってみました、
小さな本当に会議室なんですけどもね、
よかったらリアル会場もお越しください、
8日の13時ですね、
それから昨日急に閃いて、
そしてもう今日のうちにPTXのページを作って、
告知を始めたんですけども、
私がやっているこのワンオンワンのトレーニング、
ワントレーツ、
これのリアル会場を使った無料体験会というのを
やってみたくなりましてね、
30分で6枠を設けました、
だから先着6名様にね、
これは東部東上線の大山駅というね、
私がグッドバイブスTVとかの収録に使っていた、
ロクサン、ギャラリーロクサンというね、
とても良いレンタルスペースで、
バラのアーチが玄関にあって、
そこにテラスがあり、
ワンオンワントレーニングの無料体験会
そしてその奥に木造りの小さな部屋があるんですね、
とてもリラックスできる落ち着いた部屋、
ここを使ってですね、
30分という短い時間なんですけども、
この私のやっているワントレーツのね、
雰囲気を感じていただければいいかなと思いまして、
というのもやってみたいと思うんですけど、
ちょっとなんかこう自分に合うのか、
それから内容がどういう感じなのか、
ちょっとよくわからないんで、
もう少し気軽に試せるような機会があればいいんですけどね、
みたいなそういうご要望をね、
ちょくちょく最近耳にしましてね、
そういうお話を伺いまして、
なんとなく、
お、だとしたらもうこれ無料でね、
30分どんどんどんどん皆さんに来ていただいてね、
多分そんなに深い話はできないと思うんですが、
合う、合わないとかね、
それから、
お、なるほどそういう切り口あるか、
みたいなそんなものを感じていただければね、
それだけで十分いいのかなと、
そんな感じがしています。
そして私はこのワントレーみたいなものはですね、
その本人ご本人の意思というのがね、
とても重要だと思いますんで、
決して私はですね、
強くお勧めしたりはしませんので、
その辺は本当に安心してお越しください。
本当に気楽にね、
ちょっとクラゾのと話してみようか、
耳障りな音や嫌な匂いに悩んでいる時に試してみるべき2つの方法
みたいな感じでも十分だと思いますんで、
これも良かったら、
7月13日かな、
16時からね、
20時まで、
4時間で6枠を設けましたのでね、
本当に気軽にね、
遊びに来るような感じでご参加ください。
トライしてみてください。
じゃあ今日はですね、
何かこの耳障りだ、
声、音、雑音、
それから嫌な匂いとかね、
こういうものにこの心をかき乱されて、
なんとかもう元に戻りたいという時は、
これは私を攻撃できない。
そして何か心のモヤモヤとかね、
体の異変、不快な感じ、
これを感じた時は、
これは私に何の役にも立たないと言って、
良い一日をお過ごしください。
ありがとうございます。
46:35

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