1. グッドバイブス ミッドナイト楽座
  2. 120 価値マックスなら自分が喜..

今日は、グッドバイブスの取り組みには頭での理解だけでなく、体験することが欠かせないという話をしています。しあわせを体験する方法と価値マックスを実感する方法も紹介しています。番組でお知らせした「いまここのボイストレーニング」のお申し込みはこちら→ https://goodvibes0520.peatix.com

目次

グッドバイブスの成功と父親の死
グッドバイブス ミッドナイト楽座 倉園佳三
こんばんは、ただいま5月17日水曜日の午前1時42分です。
今日はですね、この5月17日というのは、私ごとでね、恐縮なんですが、
このポッドキャストは私ごとしか喋ってないんで、いいかと思うんですけども、母親の目にちでしてね。
2019年の2月14日に、ミドリのね、グッドバイブスのご機嫌な仕事が出て、その年のね、5月17日、3ヶ月後ですね、約ね。
本はね、出た瞬間にその、もう当時入院してましたね、母親が。持って行って見せたんですけどね。
その直後に、ちょうどこの日がですね、5月17日というのが、大阪でね、大きなセミナーがありまして。
大阪に在住の方が、まさにこのグッドバイブスの本をね、気に入ってくださって、ぜひね、この大阪でセミナーをやってほしいという依頼を受けましてね。
えっと、なんとすごく大きな会場で、70人ぐらいね、集めていただいたんですよね。
多分、後にも先にも、このグッドバイブス関連のイベントで最大規模だったんじゃないかと。
確か、それもね、70人の方が、ほとんど初めて本も読んでないという方が、どうやって集めたんだっていうね、すごい集客の力なんですけども。
その本の即売会をやったらね、67冊売れたんですよね。
だから、ものすごく大規模でね、いいイベントだったんですけども。
そこに向かう途中の高速道路でね、父親から電話がありまして、今息を引き取ったと。
で、私はね、今からセミナーだから、明日行くよと。
まあ、中止にするという選択肢もね、なくはないんですが。
一応、うちの母親はですね、僕がバンドをやってるね、東京でライブをやってた頃に、時々見に来てくれてたんですよね。
どのぐらいかな、半年に1回とかそのぐらいな感じでね、見に来てくれてたんですよ。
で、それで来たら、ご飯かなんか、夜食べるんだけど。
その時にね、よくね、あんたは親の死に目には会えんねって言ってましたね。
まあ、親の死に目には会えないでしょう、みたいなことをね、よく言ってました。
まあ、要はお客さん相手のね、仕事を選んだんだなという、そういうことなんですね。
だからまあ、どんなにね、小さいライブハウスであっても、この本番をね、親が亡くなったからといって、中止にはしないよね、みたいなそんな感じの話をよくしてたんですよね。
だからまあ、それもあって、今日はしっかりと私のね、務めを果たして、そしてもう明日、ゆっくりとね、その顔を見に行こうかなっていう、そんな感じでしたね。
で、私の父親というのが明治生まれの人でしてね、僕が生まれた時、もう68歳だったんですよ。
倉園と倉富
3人目の奥さんかなんかなんですよね、うちの母親が。
母親が28だったんで、まさに加藤ちゃんの夫婦みたいな、そんな感じなんだけど。
その時のね、父親の名字が倉富だったんですよね。
だから今、ギフトという、私が書いてる新連載で出てくる倉富というのは、旧姓を使ってるんですね。
まあ、私じゃないんですけどもね。
あの辺の名前は、本当に出す時にはね、ちょっともう少し変えるかもしれないんだけど。
で、その後、母親が再婚しましてね、まさにこのステップファーザー、ママ父っていうんですかね。
このお父さんの名前が倉園、倉園だったんですよ。倉が一緒なんですよね、ややこしくてね。
だから、安部聖子さんとかとは、僕は大学の頃からの知り合いなんで、その辺りの人はみんな倉富と今でも呼びますね。
さすがに安部聖子さんは倉園さんと呼ぶんだけども、今でも僕の知り合いの多くは、私に会うとね、あ、倉富っていう、そんな感じの呼び方を今でもするんだけどもね。
まあ、要は、母親がですね、私の血縁の最後の人だったんですよ。
もう母親の兄弟、おじさんたちもね、みんな亡くなっていて、母親が一番最後だったんだけど。
全く血のつながった人が、私とその母親だけだったんでね。
父はもう高校の時に亡くなってましたから、実母ですね。
だからなんかね、このグッドバイブスを出した後にね、私のその血縁関係が一人もいなくなるっていうのは、すごく象徴的な出来事だったんですよね。
まあ、もちろん少しは寂しいなというのはあったんだけども、まさに私の緑の本で書いた一つ意識というね、これはあなたと私は一つであるというね、これは血縁を超えている概念なんでね。
ああ、なるほどと、僕はこの本をね、出してすぐに最後の血縁がいなくなりね、これからはその全く血のつながっていない人たちと残りの人生をね、過ごすことになるんだと。
でもこの人たちと一つなんだよねっていう、この感覚はね、とても大きかったっていう覚えがありますね。
なんか偶然ではないのかな、このタイミングはみたいなね。
まあ、あとその本を見せることができたっていうのが良かったですね。
これがまあ、その後の私の人生のね、今のところ大事なコンテンツになってますからね。
それまではその音楽の夢破れみたいな、この人何しようみたいな、よくわからん仕事ばっかりしよるね、みたいなそんな感じだったんだけどもね。
まあそんな日なんですね、今日はね。
だから改めてそうですね、またこの活動を頑張っていこうかなみたいな、そんな感じを今抱いてます。
知恵さんとの撮影と近況
そして昨日ですね、もう一つ私がポッドキャストの番組をやっている、知恵と園って番組なんですけどもね。
濱田知恵さんという女性と一緒にやっていて。
昨日も6話撮ったんですが、知恵さんが関西ですんでね、いつも会えないんでまとめ撮りをするんですよ。
それで3話目撮ったあたりで休憩したらね、休憩して戻ってきたんですよ。
それでズームの画面をパッと見た瞬間に、この知恵さんの映像を見た瞬間にちょっと聞いてみたいことが浮かんだんですよね。
それは知恵さんこれから何したいのっていう質問だったんだけど、少し前、去年ぐらいまで一緒によく仕事してたんですよね。
恋愛コミュニティ、恋愛系の何かその相談をするような学びのコミュニティみたいなね、そういうのをやったりとかコミュニケーショントレーニングを一緒にやったりしてたんだけど、
最近はもうあんまりその仕事をね、そのポッドキャスト以外はしなくなっていて、知恵さんの近況もね、仕事の近況みたいなのも聞いてみたくて、
こういうのはあんまりそのポッドキャストでは話さないんでね、ちょっと思い切ってこの4話目か、4個目の番組を撮るときに、
ちょっと僕から質問してもいい?つって、いつもは知恵さんから話し始めるんだけど、知恵さんこれから何がしたいんですか?っていうね、その話を始めたんですよね。
そしたら面白いことにね、私あの倉園さんとやりたいことがありますって言い始めて、何何?って言ったら、ゲームがしたいって言うんですよね。
でまぁよくよく聞いたら、要はその僕がよく昔ね鎌倉でやってたようなこのワークスタイルのね、このgood vibesのなんていうのかな、
まさにこの今こことかね、平安な心とか、まあそういういろんなものを体験するようなワークに近いもの、
これをなんかちょっとゲーム感覚でやってみたいっていうね。
要はこの話というかのかな、この言葉で何かを伝えるよりも、やっぱり体験する方が、
えっとなんだろう、こうしっくりくるというかね、腑に落ちるっていう、そういうまあ知恵さんは考えを持っていてね、
それというのも知恵さんももう散々この100話以上ね、知恵と園を撮って、でその間僕は基本的にgood vibesの話しかしませんから、
どんな話題でもそこに持っていくつか持っていかざるを得なくなるんでね、でその中で知恵さんもね、
いろんな実践をしてくれていて、でやっぱりこの本当にうわっとなるとき、まさにこの恐れや不安がふっと吹き飛ぶときとかね、
うわこれは心傷だみたいなことに気がついて、パッと現実に目を向けるとね、
なんだと、なんにもひどいことは起こってないじゃん、みたいなことを体験するときに、やっぱりなんかこのしっくりとくるというかね、
頭で理解しようとしてもわからないんだけども、実際にこの体感というかな、まさにこの現実の現場でそれを感じたときに、
ああなるほどという風にね、ものすごくやっぱり腹落ちするという、だからそれをなんかこのゲーム感覚で何かできないでしょうか、みたいなね、
何をしていいか全くわからないんですけどっていうお話だったんですよね。
で昔、鎌倉でね、僕がよく毎月ワークショップをやってたんだけど、
その中で一個ね、これはうまくいったなというかね、印象に残っているのがあって、
折り紙で鶴を折るというワークがあるんですよ。
で、要はこれは最初に何も言わずにね、早折り折り紙大会とかいって、誰が一番早く鶴を折れるか競争しましょうつってね、
でストップウォッチを図りながら、折れたら手を挙げてくださいつって、
はい52秒とかね、はい1分10秒とかいって、こう競い合うんですね。
そしてその出来上がった鶴を机の上に置いといて、
でじゃあ次はですね、大切な人を一人思い浮かべて、その人にまさにギフトモードなんですけどもね、
その人にこの鶴を贈ると、
まあ入院している家族でもね、何でも友達でも何でもいいし、別に入院しなくてもね、
なんかそのこの鶴をプレゼントとしてあげるというそういう前提で、
もうできるだけ丁寧にきれいに折りましょうって言って、
どんだけ時間をかけてもいいですってもう1回折るんですね。
そうすると2匹の鶴が机の上にこう出来上がる。
で両方を比べてみてね、まずどちらが好きでしょうって質問をするんですね。
でこれもう何回かこのワークはいろんな場面でやってるんだけど、
その最初に折った早折りの方が好きだっていう人はまだ1人もいないですね。
まあ当然ですよ、これはもう急いで折るんで、
鶴というのはあの尻尾とね、なんていうんですか、あのー、
くちばしか、つま先じゃなくてくちばし。
くちばしのとこがどんだけこう鋭角にね、きちっと折れるかとかね、
それから羽の折り目がかぶっていないかとかっていう、
割とね、なかなかこの繊細なクリエーションなんですよ、実は。
だからこれをじっくり折るとやっぱりきれいにできるんですね。
もちろんその個人差はある。
その丁寧に折ったその作品よりも、
すごくうまい人が急いで折った鶴の方がきれいみたいな個人差はあるんだけど、
自分の中での比較で見ると、
これはもう明らかに前者の方が荒いし後者の方がきれいなんですね。
そうすると、やっぱり私は丁寧に折った方が好きだっていうことがわかる。
楽しさと良いアウトプットを得るためには時間に余裕をもとう
次にどちらの時間が楽しかったですかっていう質問をするんですね。
これは場合によってはもしかしたら急いでいる方が楽しいっていう人がいるかもしれないんだけども、
これもまだいまだに私はその人には会ったことがないんですね。
やっぱりゆっくり丁寧に折っているその時間の方が楽しかったっていう風におっしゃっていただける。
そうすると、その2点をテーブルに置いた時に、
まずアウトプットがすごく良くなるというのが、時間を気にせずゆっくり作るんですよね。
そしてその上にそのプロセスは非常に楽しいというこの2つのメリットがあるとしたら、
なんで前車を選ぶ必要があるんだ?
もちろん時間がないという場面もゼロではないので、
その時は仕方なくとにかく早く折るという、とにかく1個ツルを作るという。
でもそのツルを作ることに何の意味があるのかなっていうのはまた別の問いとしてありますけどもね。
そういう場面を除いて、とりあえず時間をかけられる時であれば後車の方がいいですよねというワークなんですね。
これは今ここにも関わってくるし、ゆっくり丁寧にやるということにも関わってくるし、
そしてギフトモードというのもそこに含まれていて、
そして最大のポイントはね、やっぱりこの自分のアウトプットを良くしていくと、
この自分自身にね、なんかものすごくある種の信頼というかね、
これを作っていいんだなとかね、これをやるのは悪くないなみたいな、
とても良い報酬が返ってくるという、そういうワークだったりするんだけど、
体験を大切にするGoodVibesの哲学
知恵さんはこういうことをやってみたいと言ってくれて、
実は私もですね、同じタイミングでね、なんかこの体験というキーワードをすごく心の中に持っていて、
やっぱり体験ってすごい大事だなっていう感じがしてたんですね。
というのも、もともとGoodVibesというのは基本的には選択のメソッドなんですよ。
いつも言っているように、本来の自分と、この本来の自分はカチマックスであり、
その幸せであることがもう確定していて、
そしてこの宇宙の死んだ場所からね、すべてをギフトされているという、
基本的には不足がない、だからカチマックスなんですよね。
この自分が私の中にいて、もう一人そこから育つにつれてね、
そんなの頼りにならないつって、いろんなことをかぶせてくるというかね、
コーティングをしたりね、いろんなルールとか規則とか、いろんなものを課しながら、
頭で考えて僕を守ろうとするその偽りの自分というのがいる。
この二人の自分のどちらを選ぶかというこの選択のメソッドなんですよ。
だからアプローチも当然二つあり得るんですね。
というか、この二つのアプローチを同時に用いないとうまくいかないんですよ。
一つのアプローチは、この思考を使って何とかしようとしている、
この偽りの自分へのアプローチなんですね。
こちらは思考を使っていろんなことをやるので、言語が思考なんですよ。
つまり言葉なんですね。
言葉で考えるということがこちらの偽りの自分のインターフェースなので、
ここに届く言葉で説明をしなくてはいけないんですね。
だから当然ここにアプローチしようとするとすごく理屈っぽくなっていくんですよ。
だから僕のこのポッドキャストも自分で聞いてみると、
くどくど同じようなことを何度も繰り返して、
言葉を変えしなおかえ言っているなという感じが自分でもするんだけども、
これはもう仕方ないんですね。
やっぱりそのぐらいじっくりと話さないと、
この偽りの自分というのは何のことだかわからないよみたいな感じになるんですよ。
だからこのぼんやりしたね、いや僕らは愛だからみたいなことを、
この偽りの自分にストレートにぶつけたとしても、
は?みたいなそんなのんきなこと言ってて本当に気楽でいいねみたいな感じなんですよね。
だからこいつがやってくる、やっていることがどれだけおかしいかとかね、
矛盾しているかとか、どんな弊害があるのかとかっていうことを、
この偽りの自分側に理路整然と説明することによって、
このちょっと揺らぐわけですね。
この鉄壁の防御というか、ものすごい巧妙にこの防御を固めてね、
あらゆることを論破しようみたいな、
しかもこれは頭がいい人であればあるほど、
この使うものが志向ですからね。
ここのもう鉄壁さというのはすごくやっぱ固くなるわけですよね。
だからここに響くように話すというのが一つのアプローチなんですよ。
これは多くの場合、悩みを抱えているということは偽りの自分側にいますからね。
その偽りの自分側にこのような説得というか説明をしながら、
この画像を揺るがすんですよね。
そうするともう一個別の選択肢に行ってもいいかもしれないという揺らぎが出てくる。
ここをついていろんなメソッドをそこにカンとぶつけていくっていうね、
これが一つのアプローチ。
もう一個はといっても僕らの本来の自分というのは消えるわけではないのでね、
ここに直接訴えかけるっていうのがあるんですよ。
こちらは偽りの自分とは違って思考ではないんですね。
やっぱり思い閃き、まさにインスピレーションの世界の方の自分なので、
ここにはやっぱりこうある種詩的な響きであったりね、
詩のような響きであったり、もしくはもう本当に理屈抜きに感動する場面であったりね、
映像とか一枚の絵画とか音楽みたいなものも響いたりするわけね。
そしてこちらの自分に一番響くのはやっぱり体験なんですよ。
つまりこのもともと僕らが持っていた価値マックスな自分、
そして幸せである自分というのがブワンと表出してくるっていうかね、
表に出てくる、そんな体験をすればするほどこの偽りの自分だけではなくてね、
この本来の自分がいるじゃんっていうふうなことを自分で気づくことができるわけですね。
こちらは本当にまさにその理屈を何十分何時間喋ってもここには届かなくてね、あまりね。
もっとストレートな体験の方がここにはバンと響いていくわけですね。
これもどちらが響くか、どちらを最初に取り入れる方がいいかも全く人によって違うわけ。
これは悩みの深さとかね、どんな苦しい状況にいるかとかとはあんまり関係がないんですね。
それよりも例えばその本来の自分をどのぐらいまでロックしてるかっていうね、
ガッチガチにその偽りの自分がもうコンクリートで固めてね、
全く顔が出せなくなっているようなそんな感じになっているのか。
それともそのようにしようとしててね、結構その偽りの自分のやり口がぬるかったりして、
本来の自分がスルッと抜け出てくるような、そんななんていうかな、ぬるいコーティングをしている場合もある。
本来の自分と価値マックス
だからこれは本当にセンスは万別なんですね。
家庭の環境がどうだったかとか、その人の性格がどうだとかね、
その人が今どんな状況に置かれているかっていうのはそれほど影響しないというか、
これは本当になんか僕も読み切れない。
こっちかなと思って本来の自分側で行くと全く響かなかったり、
逆にこっちかなと思って偽りの自分側でたくさん言葉を並べてみると逆にそれによって混乱してしまったりとかね。
本当にまさにこの私がいつも言っている本当のことは分からないんでね。
もうそこを地で行くような話で、もう読みとか経験値とかもほとんど役に立たない世界なんですけどもね。
そんな中でも一つあるとすれば、やっぱりその今直面している問題とそのこの私が話す話の距離感みたいな感じかな。
もう本当に例えば身近な家族とすごくそこに大きな問題が起こっているとかね。
それから毎日通う職場で上司とか部下とかそういう身近なところにとても大きな問題が一つ発生しているというときに、
価値マックスとか幸せそのものなんですよみたいな話は距離が遠すぎるんですよね。
だからこの距離感もすごく大事で。
でもねこれもねやっぱり一概にはそうは言えなくて、そういうその身近な問題で人間関係で悩んでいる方がね。
そうか価値マックスなんだつってパーンと解決してしまうようなこともなくはないんですよね。
でもなんかこの距離感みたいなのはすごく僕はあるかなと思っていて。
だからちょっとこう自分が抱えている問題とこの話のこの距離感が全くつかめないっていうときは、
なるべくこの近い方を採用するっていう方がいいでしょうね。
この良くない考えを止めるみたいなことであったりね。
偽りの自分へのアプローチ
少しその目をつぶって頭の中のおしゃべりを止めてね。
まさにその図書館のような静けさをこの自分に作ってあげるとか。
あとはまあとにかくよく寝るとかね。
睡眠時間を取るとか。
あとは罪悪感を手放す。
自分を責めないみたいなね。
このあたりの今の起こっているその問題に一番近そうなところにアプローチするのがいいんですけどもね。
まあでもこれもねさっき言ったようにここを吹っ飛ばしてね。
いきなりこのカチマックス一つ意識みたいな方がバーンと響いて。
その方が問題解決につながりましたっていうケースも少なくないのでね。
一概にはこの法則というかそういうふうにはできないんだけども。
まあ要は両方必要なんですよね。
そして僕はやっぱりこの知恵さんの話を聞いた時に
なんというかやっぱりこの前者の偽りの自分へのアプローチに
最近ずいぶんと偏っていたかもしれないなっていうそんな感覚がしたんですね。
だから私の中にもこの体験というキーワードが出てき始めていた。
まあでもこの偽りの自分は強力なのでね。
そして私の中にいる偽りの自分も相当強力なので
僕は日々これに対してね。
この理路整然とそうじゃないだろうみたいなことをやってるんで
それがやっぱりこう滲み出てしまうんですよね。
私の取り組みの中で今はそちらに寄ってるんでしょうねきっとね。
多分なんとなくだけどもそこが少しね
こう自分の中で一つトンネルを抜けて
今ちょっと爽やかな感じになってるのかもしれない。
そうするとやっぱりこの体験の方
この本来の自分にアプローチする方をやりたくなったりもするんですよね。
で早速ね私が書いてる毎日書いてるワークアウト今日のグッドバイブス
これももう最近随分と長文化してきてね
下手すると1500字ぐらい書いてしまうことがあるんだけども
これからコンセプトは朝起きて一番最初にこれを読んでいただいてね
一日じゃあこれをやってみようっていうそういうライトなものなので
やっぱ千字とか扇んですよ。
でもやっぱりこの偽りの自分にアプローチしようとすると
いろんなことを書かなきゃいけないなっていう気がするんですよね。
これもまあ心象なんですけども
これを早速ですねこの本来の自分側に改めましてね
3分の1か半分ぐらいまあ本当に5、600字ぐらいの文字数に収めて
頭でこう理解するというよりはね
どちらかというとこの直感インスピレーション
そして感じるまさに
Don't think, stare, listen and feelのね
フィールっていうか感じましょうという
このフィールに訴えるというか
そこにこう響くような文章に変えてみたんですね。
なるべく説明せずに
なんだろうねこの言葉のイメージだとかね
まさにその文脈の中からそういうことかっていうのを感じてもらえるような
そういう書き方に昨日から変えましてね
今日もそのような感じで書いて2作続けてねそれをやって
なんかちょっとそっちの方が今んとこ僕が気持ちいいかなという
まあ私も私の中でもこう揺れ動きますからね
今どっちよりのアプローチを今自分にしてるのかとかっていうのでね
そんでそこからこうババババッとこういろんなことがこう思いが流れていきましてね
今日一つまた面白いプログラムというかそういうのを考えついたんですよ
平安塾のコンセプト
これがまだまだ個室は決まってないんですけど
まさに平安体験塾みたいなね書き上げ塾ならぬ平安塾みたいな
そんな6ヶ月コースみたいなやつでね
毎月その2回ぐらい月に2回ね
しかもなんか休日とか使わないで
平日の夜1時間ぐらいそこでまさにそのしゆうさんが言ってるようなね
ゲーム的なワークをサクッとやってね
でサクッと終わらせるみたいな
平日の夜なんでね
ちょっとおまけで30分ぐらいね
ちょっとしたおしゃべりタイムはあっていいのかもしれないんだけどもね
皆さんの感想を聞く時間みたいなのも含めて最長で90分ぐらいかな
これを月に2回ジムに通うとかマッサージに行くとかね
サウナとかエッセとかそういう感覚でやれたらいいかなと
ここに私が今やってるジャジュンワークも加えて
そうだな6回分ぐらいのそのクーポンがついてて
6ヶ月の間毎月1回参加できますよと
それからボイトレとレッサン教室もありますからね
これを何回か全部含めてね
その6ヶ月その平安塾という名前にはしないと思うんだけど
そこに入るともうなんか体験し放題みたいな
そういうのをねちょっと今イメージしてまして
ちょっと整えてね近日中にお知らせしようと思ってますんで
まぁちょっと楽しみにしておいてください
ポッドキャストの変更
そんなわけでねこのポッドキャストも
なんとなくそちら側に寄せてみたいなという感じもしています
これはねでもね決めたところでね
またやっぱりこの偽りの自分へ送るメッセージを送りたいなと思ったら
また長々と50分ぐらい喋ってしまうんだけどもね
なんとなく今のところはちょっとしばらくそういうところから離れて
もうなんかねその話は119話でもう今までのね一通り
一生あった感じもします
どっかに必ずバックナンバーを探せばね
今あのリッスンにも登録してますから
あの私の知り合いがこのリッスンをね
ザーッと眺めて面白そうなキーワードが出てきたらそれを聞くみたいな
まさにこのテキストザッピングをしてるっていうね
そういう報告をしてくださったんで
そんな使い方もできるのでね
まぁ検索もできますからね
カチマックスみたいなgood vibes用語で検索すると
まぁでも恐れや不安だと毎回出てきて全部引っかかるだろうけど
まぁそんな使い方をしていただきながら
ちょっと経路を変えてみようかなというそんな予感ですね
これも決定ではない今のところそんな感じがしています
あと私が書いているそのギフトという連載ね
これもなんとなくやっぱり読む体験という感じで
あんまり説明しないでね
幸せになるために必要なこと
書いていきたいなという感じてもらうような流れにしたいなと思っているんでね
なんか全体的にそちらにちょっと向かっているような
今はそれがトレンドかなという感じですね
でまぁここまでそういう話を長々して
今日は本筋の話がないっていうのも変なので
私がその今日のgood vibesで書いたね
なんとなくその短いバージョンというか
感じるバージョンみたいな話をね
2つも書いているのでそれをちょっとお伝えしようかなと
短めにね
一つはね幸せになるために特別な努力は必要ないっていう話なんですね
これはとてもシンプルな話で
あと何を得られたら幸せになるかっていうのを考えてみるんですね
あと私は何を得られたら幸せになれるんだろうか
それからどんな条件が揃えば幸せになれるんだろうかっていうのを考えるんですね
それからどんな心を幸せと呼びどうすればそうなるのか
みたいなことを考えてもいいかもしれない
何を得られたらどんな条件どうすればって考えて
多分完璧な答えは見つからないんですよね
これが見つかるようであればそんな苦労はしない
でもこれかなと思ってもじゃあそれを得られたら本当に幸せかな
わかんないですよね
そこでもう一つ別の問い
じゃあ今までに幸せを感じたことがあるかっていう問いを立てるんですね
そうするといやないっていう方もいらっしゃるかもしれないけど
少なくとも私は全然覚えてないんですよ
どこでその幸せを感じたかっていうのはほとんど覚えてないんだけど
確実に経験してることは確かなんですね
もしそうでないとしたら
そもそも私がその幸せを知らない人間だとすれば
幸せを望むということはできないんですよね
何が幸せなのかわかんないものは望めない
そしてもし私が幸せを経験したことがないんだとしたら
今後もそれが幸せだっていうふうな自覚ももしかしたらできないかもしれない
だとしたら私はすでに幸せを感じたことがあるんですよね
じゃあさっき挙げた何を得られたらどんな条件が揃えばどうすればっていう
この資格とか条件って何なんだろうってことになりますよね
おそらくこれは必要ないんですよ
だから幸せになるために特別な努力は必要ないってことなんだよね
つまり幸せっていうのは得るとかなるものではなくて
これはやっぱり私はすでに私たちは幸せというものを持って生まれてきていて
いうならばそうである存在なんですね
幸せである存在であるというのと
なる、得るっていうのは全然違うんですね
で、ある存在は得る必要もなる必要もないということですね
じゃあ幸せとは何かっていうと
おそらく私が思うにすでにこの自分の中にあったものね
これが何にも邪魔されずに表に現れることなんですよ
だから要は幸せになるために何かを得たり何かを揃えたり
そういうことをそういう努力をする必要は本当はなくて
私の中にあるそのもともと持っていた幸せがそのまま出てくるようにすればいいということですね
こう考えるとやっぱり随分とプレッシャーがなくなりますよね
なんかこの外にある何かを得ることによってね
私がこの自分の中に幸せを積み上げていくっていうかな
だからまさにこの栄養を補給するように
幸せを補給していかなくちゃいけないっていうこういう発想だと
やっぱりこのここに条件とかね
揃えておかなきゃいけないものとかっていうのが山ほど出てくる
しかもそれが揃ったから得られたからといって本当に幸せになるかよくわからないね
でもそうじゃなくて
すでに僕の中に幸せであるものがね
しっかりと備わっていて
そのようなものを備わったものとして生まれてきて
それを邪魔せずにいさいすれば
そこが表にふわっと出てきていつでも幸せなんだっていう
随分とこの原理原則が変わってきますよね
要はそこそこ邪魔しなきゃいいんだと
邪魔するもんってなんだよ
それは不安になること
怒りそして罪悪感
いろんなことが出てくるでしょうね
そういうものが私がそもそも持っているこの幸せをね
随分と曇らせたり邪魔したりね
それから感じないようにしてきたんだなと
これをやめればいいんだよね
この幸せである自分をどのようにして表に出していくかっていう試みになるので
これは随分と楽というかね
これまでとは違った
以前にも手段とゴールの文脈がかけ離れてるのはおかしいってお話はしたんだけど
幸せになるために苦労をしなくちゃいけないっていう
この手段と目的がね
全然違う文脈をしてるっていうのは大体うまくいかないんですよね
だから手段も目的も実はなくてね
ファンに邪魔しなきゃいいんだなと
この私が幸せである状態を邪魔しなきゃいいんだなっていう
こちらの方が楽なんじゃないかなっていう
これが一つ目のお話
そしてこれに似ているのがね
価値MAXと自分の価値について
やっぱり価値MAXというやつなんですよ
こちらも僕らはどちらかというとね
いやいやとんでもないよ
私には不足が多くて
価値なんか全然まだMAXに達してないよっていう
そんな感じで生きてると思う
時代もね
特に若い人に対してはね
やっぱりいかに自分の価値を高めるかによって将来が決まるんだみたいなね
そういう教えも今結構トレンドになってますからね
本当に何を身につける
何を身につけるみたいなことにね
僕らはその躍起になるんだけども
これもすでに価値MAXが決まってると認識する方が
僕は随分となんだろうな
まさにその幸せな自分が出やすいと思うのね
例えばここに一冊の有益な本があったとしますよね
もし僕が自分に不足を見てるとしたら
その本を手に取ってね
これで知識を補わなくてはね
みんなに置いていかれるみたいなことを考えて
多分この自分に読書を課すと思うんですよね
これは絶対教授に読めよみたいな感じでね
それはなぜか不足を埋めるためにこの本を読もうとするからですよね
違い
でもその同じ本をこの価値MAXと確信してる私がいたとしたら
私は不足がありませんからね
いや面白そうな本だなって
多分読書を楽しむんですよね
この違い
この知識を補わなくては置いていかれると考えて
自分に読書を課すのかね
面白そうな本だなと感じて読書を楽しむのか
この二つ大きく分かれるんですよ
でも読む本は同じなんですね
そしてどちらの自分も多分本を読みたいと思うんですよ
この一見ね
価値MAXとなった自分はもう本なんか読まなくて
大丈夫だと思うだろうと思うかもしれないけども
そんなことはないんですよね
この完全に満たされている自分というのが
この世界に生きていてね
面白いものがたくさんあるじゃないですか
本もそうだけどもゲームだアニメだ映画だね
さまざまなエンターテイメントがあるし
美味しいものがたくさんある
それに金銭を振る舞わせないはずがないんですね
価値MAX満たされているからこそガガガガッと動くわけですよ
面白そうだなと
そのようにして読書を楽しむってね
同じ本を読むにもこのような差が出てくる
あるいはまだね
習得してない技術があったとしますよね
いろんなテクニック技術能力ですよね
もし私が自分に不足を見てるとしたら
これを身に付けなければ他の人に負けるみたいなことを考えて
同じようにこのトレーニングを課すと思うんですよね
1日30分絶対これやれよ
この勉強しろよみたいなね
一方でこの価値MAXを確信している僕は
この技術を身に付けたら私の可能性がもっと広がるね
っていう風に感じて
トレーニングに多分喜びを見出すんですよね
こちらもどちらの自分も
新しい技術を習得したくなるんですよ
そこにしっかりと興味を持つんですね
でもそこにねやっぱり最大の違いがあって
それが焦りや不安を感じるか
それとも喜びや楽しみを感じるかなんですよね
不足を埋める
だから不思議なことに
自分の価値を高めようとすればするほど
必ず僕らはその本来の価値というのを見失ってしまう
高めようとするということは
最初に言ったように不足しているということですからね
だからこのように自分を捉えて
不足している自分に何があと足りないんだって考えていくと
例えば買い物をするにしてもね
何かを例えば食べるとかね
まさにその本を読むとか映画を見るとか音楽を聞くとか
何かを学ぶというのが
全部その不足を埋めるためのことになってしまう
そこには当然だけでも焦りや不安を感じざるを得ないですよね
そうではなくて
この価値マックスな僕には不足なんかないんだと
だからこの世界にある自分の金銭が
ふわふわっと震えるようなこと
まさに心が震えるようなことを見つけて
それを楽しむために喜ぶためにやればいいんだ
っていうふうに捉えることができるわけですね
この価値マックスという認識を持つだけでね
まさにそのさっき言った
私が幸せであることは決まっていると
だからこれを邪魔しないように出させればいいんだよね
っていうこの感じ
そして価値マックスであることが決まっている
だから不足を埋めようなんて思わずに
目の前にある面白そうなこと楽しそうなことに
バンバン手を出していってね
この自分を喜ばせればいいんだなっていう
この2つの見方で
僕は自分自身そして世界の見え方がね
大きく変わるような気がしますね
そして人生そのものの何というのかな
意味とかね
そういうものも大きく変わってくるんじゃないかと思います
だから例えばね
今日1日その何か買い物をするとかね
何かを食べる
それから何かを選んだりするときに
まさにこの不安と焦りね
それを感じて今それを選ぼう
それを買おう
それを手に取ろうとしているのか
自分を喜ばせる
それとも楽しみと喜びを感じながら
それを選ぼうとしているのか
手に取ろうとしているのかっていうね
この何か実験をしてみると面白いと思います
まさに体験ですよね
そしてそっかそっか
この不安や焦りは自分が足りないという前提で
今やろうとしていると
これをやると自分の価値を見失ってしまうんだなとね
だから楽しい喜びこちらの方に振って大丈夫なんだ
そうすればおそらくね
最初に言ったこの幸せである自分も
本当に出やすくなるでしょうね
このようにしてもさっき言いましたけど
本を読まなくなったりね
新しい技術を身につけなくなったりはしないんですね
逆だと思いますね
こちらの方が多分好奇心であるとかね
自分の可能性を広げる
そういうなんていうのかな
喜び希望みたいなものを持ちながらね
いろんなことを吸収していくんじゃないかなと思います
こんな感じのなんていうのかな
話でもいいんじゃないかなという気がしています
さっきも言ったようにね
明日からどうなるかまだ分からないんですけどもね
こんな感じにいろんなことを
ちょっとだけシフトしていこうかなという話を
今日してみました
だから本当はね
さっきちょっとチラッとお話した
その新しいプログラムはね
みんなで一緒に買い物しようとかやったら
面白いんですよね
なかなか遠方の方がいらっしゃるんで
リアルは難しいんでね
もうアマゾン開きましょうかつって
予算は1万円ですと
さあ今日はね不安や焦り
それを感じるものではなくて
自分を楽しませたりね
喜ばせたりするものをポチりましょう
カートに入れましょうと
もちろん楽天でもいいですよ
メルカリでもいいですよ
なんでもいいですよ
みたいな感じのことをやるんだろうと思いますね
そういうちょっと面白い体験型
平安塾プログラムをね
いっぱい考えておきますので
体験型ボイストレーニングイベント
お知らせしたらよかったらご参加ください
半年コースで
そうですね
なんかできれば2回ぐらい
オフ会とかもやりたいですね
その時はもしかしたら
東京だけじゃなくてね
関西にただただオフ会をやるだけのために
行くみたいな
そういう体験のための
面白いイベント
プログラムって言っちゃダメですね
イベントですね
6ヶ月一緒にそれやりましょうよっていう
ちょっと僕は今ワクワクしてるんでね
これを考えたいなと思ってます
で早速なんですが
今週の土曜日かな
15時から
20日ですね
まさにこの体験型プログラムの一つ
体験型イベントの一つ
今ここのボイストレーニングというのをやります
これも本当にね
体験できます
何が体験できるか
まずは歌が良くなるってことが体験できますね
それからこのイベントの大きな目玉は
やっぱり自分の声を受け入れるっていうところに
僕はあるなと思っていて
たった一つしかない自分の声
それは決して全ての人がね
歌に向いているとかね
美声ではないんですね
本当にダミ声だったりガラガラ声だったり
かすれた声だったりしている
決してその美声ではない
でもその声をしっかりと受け入れて
これしかないんだって覚悟を決める
覚悟までいらないんですけどね
諦めるってことですね
これしかないんだからしょうがなくない?
つって
この声が俺の楽器の唯一の音色なんだな
ってこれを受け入れるとね
もうそれだけで随分とこの歌が変わってくる
これはまさにですね
価値マックスである
そして幸せであるというのを受け入れるのと
ちょっと似てますよね
不足があるという状態では歌えないんですね
どうしても声が出ない
高い音が出ない
そういうことになる
だからそこを何とかそのテクニックで補おうとして
まさにこの足りないものを得ようとしてね
技術を身につけるとしても
多分変わらないんですよね
この声で何が悪いの?
俺の声、私の声はこれしかないんだからしょうがないじゃん
つって開き直って歌うんですね
そういうことが体験できます
そうすると少なくともその前の自分よりも
ちょっと好きになれてるはずですよね
そしてそれが結構いいんですよ
結構どころかものすごくいいんですね
それを体験してくださった方の歌は
誰が聴いてもうわーっていうふうになります
上手い下手とかね
才能があるとかないとかそういう世界じゃない
まさにここに喜び楽しみがあるというね
そういうことをまさに体験できる
この3,4回はもう告知なしで
満員になってたんですけどもね
なんかその常連の方たちの日取りのあれなのかな
2席まだ空いてるんですよ
そしてこれ固い曲を選んで
安部聖子さんがピアノで伴奏をつけますんでね
そうですね土曜日だから
木曜日ぐらいに申し込んでいただけると
聖子さんの練習する時間が取れるというね
金曜日金曜日でも何とかしてくれると思いますけどもね
よかったらちょっと早めに申し込みください
じゃあそんな感じで今日はですね
どれがいいかな
そうですねそうだな
幸せを感じることと努力の必要性
幸せになるために努力する必要はない
これでいきましょうか
なぜならば私たちはもう幸せを感じたことがある
感じたことがあるということは
多分だけども僕らの中にもうすでに幸せというものがね
最初からこのそうであるものとして持って生まれてきている
だからこれを邪魔しないように
見ておくことは
今俺は自分のこの幸せが表に出るのを
何かの方何かのことで邪魔してないか
何かをすることで邪魔してないか
こちらを選ぶことで邪魔してないか
みたいなことを見ながらね
幸せをその表出させるっていうのかな
表に出しながら
いい一日をお過ごしください
Closing remarks
ありがとうございます
by H.
44:18

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