番組の1周年
グッドバイブス、ミッドナイト楽座、 by 倉園佳三
こんばんは、ただいま6月30日金曜日の午前2時13分ですね。
以前もお話ししたんですが、この番組がもうすぐ1周年を迎えようとしていまして、
確か前回は七夕とか7月7日に始めたとか、ちょっといい加減なことを言ってしまったんですが、どうも聞いていただいている方から日にちが違うんじゃないか、13日あたりじゃないかっていう噂もありましてね。
ちょっと過去の番組をたどれば、いつ更新したかっていうのがわかるんですけども、とにかく7月あたりなんですよ。
それで、今日ね、あることを思い出しまして、確かその1年前にこの番組を始めてすぐにね、この収録しているこの真夜中、そしてこの部屋、これが非常に暑いということに気がつきまして、というのもこの部屋だけで唯一エアコンがつかない構造になっているんですね。
でも私の住んでいるこの南大沢というかね、私の家がもう山の中にありましてほぼほぼ、だから都心よりも大体3度ぐらい低くてね、夜はもう本当この部屋でもエアコンなしで涼しかったんですよね。
おそらくまあ扇風機かなんかをいつもつけていて、ただこの収録になると、やっぱり扇風機のモーター音とかノイズとして入ってくるんで止めざるを得ないんですね。
まあつけててもそんな気にならないと思うんですが、ちょっとやっぱりこのいろいろ音楽活動をしながらこの宅録というのを続けてきた身としては、やっぱりこのブーンって音が普通に耳でも聞こえているっていうのはやっぱり聞きたくなってしまうんですよ。
普通に仕事しているときはこういうことはないんですけども、この収録の時だけこの扇風機等を全部オフにしてしまうとめちゃくちゃ暑いんですよね。
昨年かな、この時期に撮ってた番組でよく矢沢英吉さんのね、これ伝説なんですけども、スタジオが夏でも冷房を入れずに、場合によってはストーブを焚く時があるみたいなね。
これも都市伝説があるんですけども、要はステージ上は暑いだろうと。だからエアコンの効いたスタジオで練習してちゃダメなんだよみたいなそういう発想だと思うんですけども。
まさに今私の部屋がリアルタイムに都市伝説としての矢沢英吉さんのスタジオになっているというね。
でも私は以前もお伝えしたように夏生まれなんでね、このぐらいの暑さだったらなんとか大丈夫なんですよね。
冷たいルイボスティを飲みながら今撮っています。
偽りの自分の見方
今日はですね、136話のゴールを幸せの一点に絞れば選択はとてもシンプルになるというね。
この番組の中であらゆる状況は私に幸せをもたらすために用意していると、そのように認識してゴールを一点に絞りましょうというお話をしたんですね。
この中のね、まさにこのあらゆる状況は私に幸せをもたらすために用意していると。
これがどういうことかっていうのをお話ししようかなと思います。
要はですね、それを通して今日お伝えしたいのはね、僕らにはその2つの見方があると。
世界のね、この世界もしくは自分他の人、あらゆるものの見方が2種類あるんだということ。
そして片一方はね、もちろんこの偽りの自分、そしてもう一方が本来の自分、この2つの見方。
これがあって、この後者の本来の自分の見方で世界を眺めるとですね、まさにこのあらゆる状況は私に幸せをもたらすために用意されていると、そのように見えるということなんですね。
だから本当にそう見えるのかっていう話もありますよね。
今日はですね、この2つの見方、これを僕らは普段この偽りの自分の見方で主に世の中を見てるんだけども、これを本来の自分の見方に変えるにはどうすればいいかっていうね。
ここを通じてその例のね、このあらゆる状況は私に幸せをもたらすために用意していると。
これを確かめてみようというね、そんな話をしようかなと思っています。
で、この1つ目のね、偽りの自分の見方というのは、こちらはまずそのバラバラ意識にいると、これが大前提ですよね。
私というのは他の人やこの世界から切り離されて、そして孤立して、とても孤独な存在であるという、こういう認識を持っているわけですね、こちらの自分は。
で、もちろんこの自分というのは小さくて弱い存在でしょう。
だから危機意識みたいなものを持って世界を見なければならないと思っているわけですね。
で、具体的にはこの番組でずっとお話ししてきているように、過去の苦い経験とかね、それから怒りの種あるいは罪悪感こういうものを持ちながら、現実に先んじて自分で意味をつけようとするわけですね。
要は、なんだかわからないものとはとてもじゃないけど、この付き合っていられないという、そんな感じね、まあそれは不安なんですね。
だから少なくとも安心するために、何とかこの過去のデータを引っ張り出して、自分なりのこの理解をしようと、そして先んじて意味をつけるわけですね。
この意味というのは、判断や解釈ですね。
これは心が下す判断や解釈なんだけども、これが僕らの耳や目、こういう五感にね、まさに知覚ですね、これに影響を与えて、プラス以前にもお話したこの罪悪感の投影ですね、プロジェクションラッピング、全然使いたくないこの言葉の一つ、プロジェクションラッピング、これをしながらかなり歪んだ現実を見ているということです。
これが僕らの平安でいられない唯一の原因というふうに私は考えているわけですね。
もちろんこんなふうに話すとですね、自分が悩んでいるのは全部その自分でやってることなのかみたいなね、またこの自己責任論みたいなことに発展しそうなんですが、そこはいつも言ってるようにそういうためにこの話をしているわけじゃない。
そしてもちろんね、私の外側に問題がゼロなんてことはありえないわけですね。問題だらけなんですよ。だってほとんどがその偽りの自分でいる僕らですからね。
これがその問題のない家庭とかね、チームとか組織みたいなものを作れるはずがないんですよ。
でもだからこそこのね、起こっているこの問題、この中から本当の問題を浮かび上がらせるためにも、この2人の自分、この見方に注目するというのが私がお勧めしているやり方なんですね。
偽りの自分の見方で見ると、基本的にはほとんど多くの事柄がまず問題に見えてしまうんですよ。
だからある意味その自分で問題を作り出していると言ってもいい。
なのでこの偽りの自分の普段やっていること、この過去のデータを持ち出してね、自分なりの意味をつけたり、怒りの種を持ったり、罪悪感を投影したりするこのやり方で見る現実というのとね、この本来の自分で見る現実というのは問題の数がもう明らかに少なくなるわけですね。
全く異なっているんですよ。
だからよくある発泡塞がりの状態っていうのは、発泡塞がってたらどうにもなりませんからね。
どこかにやっぱり糸口を見つけなければいけない。
でも偽りの自分はすでに発泡を塞いでしまうんですよね。
このようにしてその問題を余計に多くするという、そのなんていうのかな、傾向というかな、特徴があるので問題はあるんですよ。
あるしそれは解決したいんですね。
だからこそ本当の問題はなんだっていうそこをね、しっかりと浮かび上がらせるためにも、この偽りの自分のね、この歪んだ見方というのを何とかしたいわけ。
からもう一つその問題を解決するためにはね、やっぱりこの罪悪感とか怒りを持たない方がうまくいくと、僕は確信しているんですね。
これを持ちながら問題を解決するのはほとんど困難だろうなと思います。
なぜならば僕らはこの時にゴールを一つに絞らないからですね。
問題を解決してハッピーにするというこの一つのゴールに絞れていればいいんですけども、この途中で起こる様々な出来事。
これが前回お話したこの気に入らないという感覚ね。
これを持って、罪悪感や怒りを持ってね、そこを攻撃するということを別のゴールとして持ってしまうので。
本当に問題解決しているのかと、それとも揉めたいのかと、リベンジしたいのかということが分からなくなってくるんですね。
その意味でこの偽りの自分の見方というのを修正したいわけです。
そして反対側のこの本来の自分の見方。
これは先ほどと全く真逆になって、こちらは一つ意識ですね。
本来の自分の見方
この宇宙のね、死んだ晩商と私が一つであるという風に見ている。
だからこそ価値マックスで、十全十美で不足がなくて平安で愛そのものである自分というのが、こちらの本来の自分なわけですね。
要はこちらの自分がこの世界をどう見ているのかというのが今日のテーマなわけです。
結論から言うと、その答えがこのあらゆる状況は私に幸せをもたらすために用意されているでもあるわけですね。
ここでいつも誤解のないようにお話ししたいのは、この本来の自分というのは高次元とか高みにいるわけじゃないんですね。
なんか超意識みたいなものでもないわけですよ。
よくあるね。
そうではないんですよ。
だからこの修行や鍛錬とかそういうものによって到達するものでもないと私は感じています。
そうではなくて、この全ての人の中に今この瞬間にいるんですよね。
そしてもうどちらかというと、僕らが早くこっちの自分を選んでくれるのをずっと待ち続けているような感じ。
だからもう手を伸ばせばというか、僕らがパチンとこの意思を切り替えるだけで、いつでもこの本来の自分というのは現れてくれる。
しかもですね、僕らは無意識のうちにこの自分を使っているんですね。
こちらの本来の自分を全く使わずに生きていくというのはおそらく不可能だと思うからね。
ただ気がつかないだけで、僕らはこれをいつもいつも登場させてるんですね。
このあたりはあのみどりの本、グッドバイブスご機嫌な仕事でいくつか例を挙げてこういうお話はしていますね。
とにかく僕があえてこれを偽りの自分、本来の自分って呼ぶのは、こちらの偽りの自分というのは僕らの本性ではないということをお伝えしたいからなんですね。
本来の自分よりも偽りの自分の方が強くて、ここがずっと居座って、ものすごい修行とか積まないとこの自分をどかせられないというのはやっぱりおかしい話で、
しかももしそうだとしたら僕はそんなものにあまりトライしようという気にはならない。
この本来の自分でいることは難しくないと思うから、この番組を通していつもいつもいろんな角度からこの話をしているわけですね。
物事をどう見るかの見方
どうすればその本来の自分が現れてくれるのかと。
この一つの方法がこの今日のテーマであるものの見方なんですね。
物事をどう見るかの見方から入るということ。
だからここは少しある種の力をくっと加えてあげなきゃ、やっぱりこの偽りの自分というのはなかなかドンと居座ってますから。
そしてその居座る理由というのが僕らにとって結構切実なものでありますからね。
僕ら自身が孤立、孤独そういうように見えている。
弱い存在、小さな存在に見えている。
だからこれを守るために一生懸命こちらの自分は苦労をしてくれているわけですよ。
だからこいつをもう大丈夫だよって安心させてあげないとなかなかどいてくれないと。
だからその大丈夫だよと安心させる一つの方法として見方から入るというこのやり方。
これを今日ちょっとお伝えしたいわけですね。
だからといって無理やりにこの見方をコントロールしたり制御したりあるいはこの強制するようなそういうやり方では多分うまくいかないんですね。
いわゆるこのポジティブシンキングというかなポジティブに物事を捉えるというそういう見方でもないということ。
なぜならばこのポジティブかネガティブかというこの判断というかなこの分類分け方がもうそもそも偽りの自分のマナーなんですね。
こちらの自分がやることなんですよ。
いいものと悪いものこれを分けるために僕らは意味付けとか判断をするんですね。
そして近くに命じていいものを見つけてこい悪いものを見つけてこいというふうに言って。
そして自分の中ではっきりとここを分類してなるべく悪いものに近づかないようにしそしていいものだけの中に自分をいさせようとすると。
これが偽りの自分の作戦なのでね。
ポジティブに考えてとかっていうやり方は結構こっちは好きなんですよね。
まあ要はこの偽りの自分というのは少しでも自分にメリットをもたらしそうなものには何でも飛びつくというそういう性質がありますからね。
だからなんていうのかなここでポジティブに捉えようみたいなやり方では多分うまくいかない。
そうではなくてまさにこのありのままを見るということに徹するわけですね。
だからこの偽りの自分の見方を本来の自分の見方に変えるために少しだけ工夫はするんですが。
その工夫の仕方というのができるだけ何もしないという方向。
こちらの修正にしないとなかなかうまくいかないわけですね。
今日はもう早速具体的に2つの見方というのをちょっと紹介したいというか提案したいんですけども。
まずは128話かなここで全てのものには意味がある。
でも私はまだそれが何かを知らないというねこういう話をしました。
これは要は真っ白なタグがついているというそういう話ね。
そこに自分で勝手に意味を書き込まないようにしましょうという話なんだけども。
要は本当にこの世界に意味のないものはないだろうと私は思っています。
ただね残念ながらこの先入観とかね過去の経験これを使って僕らはこのあらゆる事柄に自分の考えを押しすぎてしまうんですね。
そしてこの白いタグからね文字が本当の文字が本来の文字が浮かび上がってくる前に自分でそこに説明を書いてしまうと。
だから全てのものには意味があるはずなんですけどもそのね本来の意味をなかなか理解することができない。
なのでこの答えがね見えるようにいつもとは異なる見方というのを試してみようというねこれがまず一つ目なんですね。
全てのものには意味がある
人や物や出来事が何のために私の前に現れるのかこの答えをね見てみましょうというどうすればいいか。
まあ要はさっき言ったねなぜ理解できないのかの反対を行けばいいんですね。
要はこの偽りの自分の見方の真逆を行くということですね。
最初はですね僕らがその多分子供の頃から身につけてきたこの全体からね一部を切り離して切り離したそれを個別に分析したり判断したりするというこの習慣ですね。
これを手放す方がいいかなと思います。
なぜならばこの本来の自分のね見ている世界というのはまさに一つ意識の世界。
宇宙の神羅万象が一つである世界ねここから何かを切り離してしまうとその時点でえっとあらゆるものは意味を失ってしまうんですね。
まあ簡単な例を挙げればね例えば月だけを取り出してね調べてもその月がねこの地球とか太陽系にどんな役割を果たしているかは分かりませんよね。
月のことはよくわかるんだけどもこれがえっとまさにね人や物や出来事が何のために私の前に現れるのかこの答えを探ろうとしているときに何かを全体から切り離して個別に分析して判断してもわからないということですね。
月だけ調べてもわからないんですよ。
それから例えばこれも僕らはよくやりがちなんですけどもある人のねある人物の一面だけを切り出してまさに切り出す感じね。
でそこを個別にね好きとか嫌いとか言って判断してもその人とね自分の本当の関係っていうのは見えてこないと思いますね。
もっともっとくだらない例で言えばえっと一つのねランチのプレートでもいいんですけどもねここに何かそのみかんが乗ってますと。
このみかんだけ取り出してえっとこのみかんとはなんだっていう風に見たとしても全く意味がわからない。
これはちゃんとプレートの中にポンと置いて全体を見渡す。
そうするとなるほどこれはこのプレートにおけるねデザートのような役割を果たしているんだなっていうことがわかりますよね。
だからできるだけこの全体からその見ようとしているものね。
さっき言った人や物や出来事が何のために僕の前に現れるのかこれを見るときにその人とか物とか出来事を切り離さないってことですね。
全体から切り離さずにそのままそこに置いておいてできるだけ全体を眺める。
当然そのね人というその一人の人物これもやっぱりある性格とかねある行動とかある表現みたいなものをやっぱり切り離してはいけないということですね。
その瞬間に多分僕らは今日のテーマであるね本当の意味というのかなこれを見失うはずでしょう。
だから一つにしておくということですね。
全体の中でそれを見るというこの瞬間こちらに切り替えるということですね。
今まで僕らは個別に切り離して分析判断してましたからそうではないやり方に真逆にするということ。
それからこれはさっきのね白いタグの話と全く同じなんだけども全てのその目にするものからね自分がつけてしまった意味というのをやっぱりきれいに取り去る必要がありますね。
これはパーフェクトは難しいかもしれないんですがこの心構えとしては完全に偏見のない目で全てを見直すということですね。
これも何というのかな無理そうに見えるんだけどもやってみるとそんなに大変じゃないということがわかります。
これはですね偏見のない目で見たくないという意思がね僕らの中にあるからなんですね。
偏見のない目で見直す
これはつまり偽りの自分側のこのなんつーかな抵抗というかね力ですね。
その見方をしたくないよっていうこの意思があるからできないだけであってこれは例えばねそのある人あるものであれば多分できるんですよ。
だからこの完全に偏見のない目で全てを見直すということができる対象とできない対象があるということに気づけばですね。
なるほどできない対象というのは僕の意思でこれをしたくないと思っているんだということに気づけますね。
でなければどれを見てもこの偏見のない目で見るということは不可能なはずなんだけど簡単にできるやつがあるんですね実はね。
でしかも僕らはですね既に自分で定義したものについて何かをね尋ねようとは思わないんですよ。
今今日のテーマはね人や物や出来事が何のために私の前に現れるのかという質問をしてますよね。
この質問をするということは知らないということが前提だからできるんですよ。
だからすでに自分で意味をつけてね定義してしまったものに関しては何のために現れるのいやいやそれは知ってるよってなりますからね。
だから本当のことが知りたいと思うんであればやっぱ少しでもわかった気にならないということが大切ですよね。
これはもう例えば勉強とかね何か学ぶときでも同じですよね。
分かってますって言った瞬間に多分その人は学ぶ機会を失っているんじゃないかなと思います。
だから真っ白な状態で尋ねなければ僕らは質問しようとは思わないんですね。
でこの2つこの2つをまとめるとこの人や物や出来事をね自分やこの世界と一つであるものとして見るこれが1つ目ですね。
そして2つ目プラス一点の曇りもない無垢なものとして見るということですね。
無垢というのはまさにね時々この番組でもお話しますが罪がないという意味もあるし真っ白である純白であるという意味ですね。
この2つを組み合わせるわけです。
もう1回繰り返しますね。
人や物や出来事を自分やこの世界と一つであるものとしてプラス一点の曇りもない無垢なものとして見るということです。
でこれはさっき言いましたがそんなの難しいよって思った場合はそれをしたくないという意思が自分の中にある。
そしてそれはその要因はすべて過去にあるはずですね。
なるほどとここをねしっかりと認識すればそれほど難しくない。
まあこれはですねこのように見なくてはダメだっていう話ではないんですよ。
今日のテーマはですね本来の自分でこの世界を見てみると何が見えるかなというね一つのなんていうのかな。
ある種のゲーム遊びと思っていいと思います。
だからそのためになるほどとこの2つをやればいいのか。
人や物や出来事を自分やこの人この世界と一つであるものとしてそして一点の曇りもない無垢なものとして見るということですね。
一点の曇りもない無垢なものそのように見るためには過去の判断先入観ね。
そして自分がしてしまった意味付けみたいなことをさらっと洗い流せばそれができます。
だからまあそうですねそのように見たくないというものから始めなければいいのかな。
何でもいいんですよ。
今日のテーマであるね人や物や出来事これが何のために僕の前に現れるのか。
だったらまずはこの鉛筆から行こうかなでもいいと思いますよ。
本来の自分の見方
もしくは眼鏡から行こうかなでもいいと思います。
それに対してやってみてください。
でこれができたらですねもう一歩踏み込んでみましょう。
僕らはですねえっともう今ね自分の周りをパーッと見渡すだけでもねすぐに分かると思うんですが。
まさに無数の人それから同種植物ねあるいはものこれに囲まれて生きていますよね。
そして先ほどからねお話ししているようにもしこの世界に意味のないものなど一つもないとしたらですよ。
この私を取り囲むね無数の人や動物やものこれらと僕との間にはねある種の関係があってその関係には必ず意味があるはずですよね。
意味のないものがないわけだからねなんだかその僕とそのこれらの関係には意味があるはずなんですよ。
この意味は多分僕は2つしかないだろうなと思うのね。
大きく分けてこれをですね意味A意味Bと名付けましょうかね。
この2つの意味をね一つ目のAこれはですねえっとさっき言った無数の人や同植物そしてものですね。
これらは私に幸せをもたらすためにあるとこの意味があるということですね。
これがAでもう一つはその逆Bはこれらは私の幸せを妨げるためにあるこれがBですね。
この2つの可能性しか多分ないと思うんですね。
どちらでもないという奴は意味がないということなんでね意味があるとすれば多分AかBなんですよ。
僕に幸せをもたらすかもしくは僕の幸せを妨げるためにあるのかこのどちらか。
そしてじゃあどちらだろうとね一つの可能性としてこの僕の周りにいるものは全てBつまり僕の幸せを妨げるためにあるというこの可能性ですね。
もし全てがBだとしたら多分僕は1秒も笑ったり気を休めたりする暇がないはずですよね。
だってあらゆるものが僕の幸せを妨げるわけだからねもうその落ち着く暇なんかない。
そしておそらくこの状況では僕は生きていけないでしょうね。
全てが僕の幸せを妨げる世界というのに僕は生きていける気がしない。
60年生きてきてこんなことではなかったなって感じがする。
幸せをもたらしてくれたものはたくさんありましたからね。
だからBだけっていうのは絶対ありえない。
じゃあAとBが混在している可能性はどうかっていうね。
これはすっごいありそうな気がするんだけど僕はこれはないだろうなと思うんですね。
なぜならばもしこれがどんな割合であってもBが混ざっていたら
Bはその私の幸せを妨げるという意味ね。
これが混ざっているとこれはハズレってことになりますよね。
この時点でもうある種のギャンブルなんですよ。
もう僕は生きていながらこのBのハズレを引かないようにAだけで生きていかないといけない。
長い人生の中で当たりのAだけを引き続けるっていうこんなことは多分できるはずがないんですね。
これは私はギャンブルにハマったことがあるのでこのハズレがあるという世界で当たりを引き続けるというのはほぼ無理ですね。
そうすると先ほどこのBだけの世界ではとても生きていけないというふうにお話ししたんだけども
実はAにBが混ざっているというこの混在している状態も実はあまりBだけの世界と変わらないということがわかりますよね。
当たる可能性がある、当たるつかこのハズレを引いてしまう可能性があるということは
そこを引いた時点でこのBだけの世界とほとんど変わらなくなる。
これも私はないだろうなって感じがするんですね。
多分そんな世界では生きていけないだろうという感じがする。
だからこれが先ほど冒頭にお話したあらゆる状況は私に幸せをもたらすために用意されていると私が言う根拠でもあるわけですね。
おそらく過去にとらわれずそして罪悪感とか不足もなくあらゆる攻撃が無効だと知っている形がない自分ですからね。
この本来の自分はおそらく世界をこのように見ることができているはずなんですね。
とてもじゃないけどAだけなはずないじゃんっていうこの感覚これが多分だけども偽りの自分の見方から生まれているはずなんですよ。
これをまさにねこの本来の自分の見方つまりあらゆる状況あらゆるものは私に幸せをもたらすために用意されている。
先ほどの関係で言うとAですね。
これらは全てのものは私に幸せをもたらすためにあるとこのように見るためにはどうすればいいかというのがね
この今日のねまあ一つのメインテーマなんですけども先ほどのね一つ目人や物や出来事を自分やこの世界と一つであるものとして
一点の曇りもない無垢なものとして見るというのがこの準備編のような感じですね。
そしていよいよですねこのまさに本来の自分がこの世界をどう見るかというこの見方に捉えするわけなんだけども
光としての世界
これはとてもシンプルなんですね。
ぜひぜひ試してみてください。
まずですね今見えているものがあるはずです。
部屋にいればたくさんあるでしょうね。
外にいるならばまあこの目に入るもの何でもいいので一つ選んでみてください。
カバンとかメガネとかね自分が持っているものでもいいでしょう。
パソコンスマホ何でもいいです。
できれば最初はですねえっと僕らが先入観を持っていないこのもののほうがいいと思いますね。
人とか動植物よりもものにしましょう。
無機質なものこちらのほうが多分あまり抵抗なくねこのトライができると思います。
一つ何かを選んだらですねえっと先ほどの一つ目のねようやくするとこの完全に偏見のない目ですね。
まずはこれを作っておいてものなのでねそんなに難しくないと思います。
プラス今度はですね心の中に愛と感謝の思いというのを携えてみてください。
なんとなくていいです。
愛と感謝の思いこれをねえっとこれがまあ先ほど言ったちょっとした仕掛けなんですけどもね。
愛と感謝の思いでもこのものにものに対して愛と感謝とかいう意味をつけるわけじゃなくて私の心の中に愛と感謝というこの思いをねちょっとだけこう携えるわけですね。
そして静かにゆっくりと今選んだものを眺めてみてください。
目がね眺めるわけですよ。
愛と感謝の思いをこう携えながらね。
そして偏見のない目でこうじっと見てみるんですよね。
そうすると多分この見ているものからいつもと違う何かを感じられるはずです。
それはえっとどんな感覚かっていうのは人によって異なるでしょうからね。
これはここで僕はこうだみたいなことは言わないでおきます。
でも何か違うぞいつもという感覚は多分得られるはずです。
えっとこれをですね。
まあそれぞれ皆さん違うでしょうから光と名付けましょうね。
この何かいつもと違うぞってこの醸し出されているね。
これを光と名付けます。
そしたらその後ね。
その最初に選んだものからパッと目を外して次のものを見てください。
その段々にですね。
えっと今度は選んだものの名前とさっきの光これを使ってですね。
このコップの中には光がある。
この靴の中には光がある。
このパンの中には光がある。
あるいは空を見上げてね。
今日あたりがもしかしたら雨空かもしれません。
そうすると雨雲が見えるでしょうね。
この暗い雨雲を見ながらね。
この雨雲の中には光があるのような感じで。
もしくはこの雨の中には光がある。
この傘の中には光があるみたいな感じで心でつぶやいてみてください。
もしほんのかすかにでもあるかもみたいな感じで思えたら。
愛と感謝を持って見る
まさにその感じられたねかすかな光。
それと同じものを持つ本来の私ということですね。
その本来の私が見ているということです。
これは目に見えるわけじゃないんですけどもね。
たった一つこの愛と感謝の思いこれだけを携えるだけでね。
そして完全に偏見のない目。
これを持って愛と感謝の思いを携えるだけで。
おそらくいつもと何か違うものを感じられるはずです。
これをいろんなものを通して見てみてください。
これはですね。
ものを選ばないと思いますね。
何を見てもおおおおという何かが感じられるはずです。
これを僕は光と呼んでいる。
そしてそれは私の中にあるからこそそれを感じることができる。
そしてその光こそが本来の自分。
本来の私の本性なんじゃないかなと。
この私で見るときに世界がどのように見えるかというのをね。
まあ試してみてほしいわけですね。
ものすごく劇的な変化とかね。
大きな感動みたいなものはないと思います。
でもこの小さなかすかなね。
何か違うぞと思うこの感覚がすごく大切なんですよね。
ちょうどですね。
今日金曜日そして土日週末もありますんでね。
なんかいろんなところに行ったりいろんなものを見たりするたびにちょっとこれを試してみてください。
見方はね2段階ありましたね。
ここだけちょっと繰り返しておきますね。
一つ目はとにかく全体から切り離さないっていうのが大事ね。
そしてもう一つ完全に偏見のない目で全てを見直す。
これをくっつけると人やものや出来事をね。
自分やこの世界と一つであるものとして一点の曇りもない無垢なものとして見るということですね。
まあこれは最初は人やものや出来事と言いましたけどもね。
ものだけで試すのがいいと思います。
これをまずやっておいて。
そして本番ですね。
本番はこれにこの見方に加えて愛と感謝の思いというのをね。
こう携えてみるわけですね。
そしてあらゆるものを見ながらちゃんと名前を呼びながらこの本の中には光がある。
この時計の中には光がある。
このようにつぶやいてみてください。
そしてあるなと思えたらその光が自分の中にあるんだなとこの辺まで感じられたら十分じゃないかなと思います。
ちょっとうまくいかないかもしれませんが。
よかったらやってみてください。
そんな感じですかね。
今日は。
7月のイベント
この番組の一周年を迎える7月はですね。
本当にイベントが目白押しになってまして。
そんな風にする予定はなかったんですけどもね。
気がついたらもういっぱい入っていまして。
15日がボイトレ。
そして16日が3時間のシーピッツレッスン。
そして17日が佐々木さんとのね。
リアルで復活ぶっちゃけ相談という過密スケジュールになっているんですが。
このあたりはですね。
グッドバイブスの公式ウェブサイトグッドバイブス.ワークに全部スケジュールをね。
掲載してありますんで。
よかったらご覧ください。
そして今日がですね。
9月から始まる。
書き上げ塾の早割キャンペーン
これも佐々木さんとやってるやつですけども。
書き上げ塾ね。
シッピツ講座の書き上げ塾の超早割キャンペーンの最終日なんですね。
ここが一番お安くなりますんでね。
やってみようと思う方は。
この今日という日をぜひお見逃しなく。
ぜひぜひ明日からですね。
早割は続くんですけども。
割引が半分ぐらいになりますんで。
せっかく申し込んでね。
いただけるのであれば。
ぜひこの超早割をご利用ください。
そんな感じですかね。
本来の自分の見方
じゃあ今日はですね。
この偽りの自分の歪んだ見方っていうのかな。
それではなくこの本来の自分として。
このありのままの世界を見る。
この見方を紹介しました。
一番簡単にですね。
ものから始める。
そしてできるだけ偏見のない目でね。
愛と感謝の思い。
これを携えながら。
この○○の中には光があるという風に。
いろんなものを見ながらですね。
一日をお過ごしください。
ありがとうございます。