1. Good News for Cities〜都市に関する炉辺談話
  2. 【#103】都市のなかに”居場所”..
2023-01-24 1:01:29

【#103】都市のなかに”居場所”をつくる / 長田区 part 3

兵庫県神戸市長田区について深ぼるシリーズのPart 3。

今回は、都市の中の「居場所」をテーマに2名の方にお話をお伺いしました。1人目は、リア充なシニアをつくるべく、介護付き多世代型シェアハウス「はっぴーの家ろっけん」を運営している首藤義敬さん。彼の作り出す空間や考え方は、高齢化していくこの日本の都市の中での場づくりの大事なヒントが隠されているように感じました。2人目は、長田区のコミュニティラジオ「FMわぃわぃ」代表理事の金千秋さんにお話をお伺いします。神戸市内でも1位2位を争う多国籍なまち長田区。国籍別では韓国・朝鮮籍の人が最も多く、次いでベトナム籍の人が多く住んでおり、まちの中で多様な文化が入り混じっています。どんな人でも、フラットに受け入れていく、そんな態度がこのまちに流れている所以を紐解いていきます。

◉トピック

前編

・リア充な「じじばば」をつくる「はっぴーの家 ろっけん」とは?
・まちの編集をし続けるということ
・「まちで子どもを育てる」居場所
・大事なのは、まちの中で何を選択し何を捨てるか
・「はっぴーの家」は行政より行政の仕事をしている場所!?
・「孤独」にしない、それが人生の幸福感を作るから
・高齢者と子どもが住みやすいまち、長田

後編

・在日コリアンとの出会い
・何故長田区に外国人労働者が集まったのか?
・阪神淡路大震災下で、助け合う知恵のやりとりツールとして生まれたラジオ
・私は「チャリンダー!?」まちの人たちの出会いを作り続けている
・まちの中に誰でもふらっとこれる居場所の必要性
・「大丈夫?」の声がけの重要性
・まちづくりの自治に、外国人が入れる門戸を

◉ゲストプロフィール
首藤義敬/しゅとう よしひろ
株式会社Happy代表取締役/カオスクリエイター
多世代型介護付きシェアハウスの管理人。「世代の異なる人々がシェアして暮らす昔の長屋のようなライフスタイルは、子育てと介護のダブルケアを担う自分たちの正解ではないが選択肢の一つになるかもしれない」との仮説を検証するため、5年前より「はっぴーの家」プロジェクトを始動。介護する人とされる人だけでなく、仕事の打合せ、子供の授業、飲み会、葬式など多種多様な出来事が行われ、トラブルが当たり前の日常はまさにカオス。 思考錯誤の中で解決できない問題をはっぴーな日々に変換している。
https://www.facebook.com/rokken.happy.home
https://greenz.jp/2021/08/19/happyhouse-rokken/

金千秋/きむ ちあき
FMわぃわぃ 代表理事
祖母の代からの神戸っ子。神戸には地震は来ないと言われ育ったが95年の震災で須磨区自宅・店舗も全壊。震災後2週間で放送を開始した在日コリアンの安否確認ツールとして生まれたミニラジオFMヨボセヨに参加。その後「たかとり救援基地」でのベトナム人への情報発信ミニラジオFMユーメンが生まれ、その後2局は1996年1月17日日本初、世界初の被災市民が発信するコミュニティラジオ「FMわぃわぃ」へと移行する。以後ネットメディアになった現在まで、メディア活動2割、8割は「まちづくり」の基地として、誰もが住みたい、住み続けたいまちを目指して活動している。
https://tcc117.jp/fmyy/

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nagata-suishin@office.city.kobe.lg.jp
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00:10
みなさんこんにちは、杉田麻里子と、石川由加子です。
Good News for Citiesは、都市・建築・町づくりに関する様々なグッドニュースを、ザックバランに話す番組です。
今日も前回に引き続き、神戸市長田区でのアバニストインレジデンスの中で、
いろいろ私たちがインタビューしてきた人たちのお話を公開したいと思います。
今回は、都市の中の居場所に、というようなタイトルをつけているのですが、
長田は非常に多様、多文化共生みたいなものを立っているし、
かつ外国の方とかも多く、今も住んでいる場所です。
そこでまず一人目は、介護付き住宅ハッピーの6軒という、シニアの人たちのための介護付き住宅をやられている首都さんにお話を聞きました。
なかなかアバンギャルドな場所で、すごく町の中でも求心力を持っている活動や場所となっているところでした。
はい、もう一人のゲストが、コミュニティラジオFMYYのキムチヤキさんにお話をお伺いしました。
コミュニティラジオFMYYは、すごい本当に多言語で展開している地域のラジオで、
本当に長田に来る前からいろいろ情報を調べていると、必ずと言っていいほど名前が上がってくるコミュニティというか番組で、
やっぱり私たちも長田に滞在している間に、ベトナムのコミュニティとか韓国系のコミュニティとか、
結構ダイバーシティ、多文化共生みたいなところで、興味がそそられることが多かったんですけど、
まさにこのキムチヤキさんはそんなところで、いろんな文化と関わり合いながら、いろんなコンテンツを今まで作ってきたというので、その話を聞いています。
それではどうぞ。
はい、我々今回は長田区にあるハッピーの家というところに来ています。
ここの代表のカオスクリエイターの首都吉良さんに来ていただいております。
今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ハッピーの家ね、いろいろどこから話していけばという感じなんですが、まずは。
えっと、ほんまに短くまとめるとしたら、
人中小のおじいちゃんおばあちゃんが主に住んでいるシェアハウスです。
主に40年くらいの方が住んでいます。
ツインの住み家なんですね。
それだけ聞くと介護施設なのかもしれないんですけど、
その人たちのリアルを充実させていく。
つまり、リア充な若者じゃなくて、リア充なジジバゴを作っていくっていうシェアハウスです。
03:04
その人たちの生活のために、リアルの充実って何なのかなって考えたら、
やっぱりこのおいしいご飯が食べるとか、
安心・安全の医療であったりそんなのが整っているって大事だけど、
それ以上に人との出会いであったりとか、
こういうのがあったら人生豊かになるよねっていう体験とかをシェアハウスの中で作っていっています。
でもそれってお金で買えないことの方が多いので、
人との出会いっていうのを提供しようというので、
僕らと会社として日常のトロジェルトを増やすって言ってるんですけど、
いろんな人に自然に会える環境っていうのを提供しています。
ありがとうございます。
永谷に私たち来る前からファッピーの家の噂って結構いろんなところから聞いていて、
今回も滞在中に何度も来させていただいてて、
初日?
初日にちょうどツヤがあって、
このフロアでね、今僕らこうやってお茶飲みとか喋ってるけど、
初日ここでおツヤしてるときに。
おツヤもそうやって閉じて家族だけでやるじゃなくて、
今これまで住んでた場所の違うフロアとか同じフロアで、
近所の人も招きながらおツヤをされてたりとか、
あと1階とかも公園のように子どもたちが毎日帰るたびに、
まさに帰り道だから毎日通るんですけど、
遊んでいたりとか、
パッと見た人は一体ここは公園なのか広場なのか児童館なのか、
何なんだろうと思うのに、
本当に一言で表せない場所で、
いろんな人を惹きつけてるなって感じています。
ちょっとベラベラ喋って申し訳ないですけど、
ファッピーの家が作る風景すごい好きで、
それこそ私たちが永谷に到着した次の日に、
アラン君というファッピーの家で働いているとか、
おばあちゃんを推しながらファッピーの家に帰ってくる瞬間に遭遇して、
よー!みたいになったんですけど、
そういう瞬間とか、さっきの横浜行ったような、
建物の前が広場になっているような風景とかもすごくいいなと思って、
首都山の原風景というか、
なんでここに行き着いたのかみたいな、
老いたちとかも超気になるなと思うんですけど。
老いたちはね、こういう場面で喋っていいのかっていうぐらいのあれなんですけど、
今の聞き取り方めっちゃいいなと思っていて、
ファッピーの家を見た時に、この中だけを見ようとする人がすごく多いんですけど、
ここって別に無いものを無理やり作っているわけじゃなくて、
街の中に散らばっている要素っていうのを、
ある意味編集している場所なのかなっていう。
だからこの街全体が、実はそうなんです。
それを一つに表す場所がなかっただけの話で、
だから本当にこの新永田の街そのものがここにあるっていう感じですね。
06:03
僕が子供の時に見た景色はまさにそうで、
神戸の永田、特にこの新永田エリアっていうのは、
商店街があって、長居場があって、結構人口が密集していた。
日本人だけじゃなくて外国人の人もたくさんいて、
いろんなコンパニー、人が多様にいたと。
そういう風景を見ていて、
でも震災が起きて、街が焼けちゃって災害が入った時に、
それがこう、いい意味でも悪い意味でも、
各家族かというか、街が個別にこうなっていくっていう現象が起きて、
昔の新永田っぽくなくなったというか、村っぽくなくなったなと。
でもやっぱりその要素が街に散らばっているんですよ。
それを再編集しているというか、
あんまり好きじゃなかった、その時この街が。
なんでですか?
いや、ほんとそうですよ。
神戸の中で永田って言えば柄が悪くて外国人が多いっていう、
いわゆるザ・神戸じゃなくて、
神戸の永田ね、みたいな。
あんまり紹介したくないみたいなイメージが実際あったんですよ。
だから僕は10代の時とか、20代前半の時に、
例えば本土の中心にあったら、
どこに住んでる?って聞かれたら、永田って言わなかった。
ハーバーランドの近くって嘘ついてた。
嘘じゃないけど近い。
嘘じゃない。
それぐらい言いたくなかった。
でも今は永田に住んでます、子育てしてますって言えるんですけど、
ここでやっていることって、
さっきの話、結構思ったんですけど、
事業を作っているとか、街づくりしてるっていうのも、
どっちかっていうと、芸術祭とかの中でインスタレーションしてる感じ。
そのバー自体が一つの作品みたいな。
このハッピーの家に、
例えば今3回くらい遊びに来てくれてるのかな、2人が。
多分感じたのは、すごいここって、
ダイバーシティ、外国人の世代も関係なく、
こういうのっていいよね。
すげえ、ほんまの可能性ってこういうことなんやって感じたと思う。
別に作ってるわけじゃなくて、街の中にある。
つまり、街の中の外国人が多くて悪いっていうのを、
逆見せというか、
何でも表現したいと思っていて、
悪いことを繰り返したらめっちゃ長所になると思っていて、
それをこの場所でやっている。
ここに遊びに来ることによって、
街全体の見方が、
実はこの街ってすごいダイバーシティじゃんって思わせるっていう、
一つのインスタレーション的な場所。
そこを実は狙ってる感じです。
長谷一度離れて戻って来られたんですか?
何で戻って来られたと思ったんですか?
例えば、神戸の人気の子育てエリアでは何があったかというと、
めっちゃ子供多いの。
小学校ももうパンパンで、
家開いたらすぐ子育て生徒が引っ越してくるところなんだけど、
09:02
ある時気づいたのが、
コンバーションに住んでる人の名前一人も知らなかった。
なんかあった時めっちゃ困るやんって思うから。
で、人のコミュニティって言ったら、
朝仕事行く時に、
お母さんの井戸畑会議がトントントンってちょっとあるの。
で、ママ同士のカーストの話とかやって、
もうすごい嫌になって。
で、高橋で授業をすることになったから、
高橋に引っ越してみようと子育てに力入れてきた。
その時に感じたのは、
すごい人は増えているし、
お金の面の子供はすごくいいんだけど、
その他大勢の人になる。
自分の子供も、自分も。
先生も把握しきれてないっていう。
みんなで子育てしてる感がなくて。
自分たち夫婦だけで子育てをするっていう余裕がなかったから、
みんなで街で育ててるって感覚ってないんかなって考えだした。
これ神戸あるあるなんだけど、
神戸の若者って大学を卒業したら、
海外に行くか東京に行くかっていうあるあるが出ちゃう。
みんな高校ぐらいだったら留学行ったりとかするんだけど、
妖精がどんどん。
あんまり何も得て帰ってこない。
これからの時代って自分の子供が大人になった時に、
外国人と仕事をしたりとか、
ほんまの意味のライバーシーンだから寝らなあかんけど、
それってどうやって育つんだろうなってめっちゃ考えたら、
あるやん、戻りたくないけど。
長谷があるやん、と思って。
あそこそうやわ、みたいな。
日常の中でそれが養える街なのかなって思ってきた。
なるほど。
じゃあ結構パーソナルだったというか、
こういうビジネスをやりたくてこうだからこうだから、
それで長谷っていうよりも、
自身が子育てしてて、
自身がこういう生活が欲しいから、
って出てきた回答が長谷。
いいね、パーソナル。
だから街そのものを生活に取り込んでいるというか。
なんでこの場所を選んだのかと。
ここは六軒道商店街の一番外れなんですよ。
新長谷から一番遠い。
で、この一丁目っていうのは、
国籍がマイヌーっていう人が一番多いんですよ。
だから今商店街のアーケードは全部解体されて、
なくなっていってるけど、
そもそもこの一丁目だけなかった。
で、日本、
俺も純粋な日本人なんだけど、
このエリアでやりたいなと思った。
思った理由はやっぱり、
この高齢者の人たちって、
一番差別をされてきた世代、
してきた世代だと思ってて、
そういう人らが一緒に暮らして、
で、そこにいろんな年代であったり国籍の人が
なんか一緒にいるっていうのはすごい意味があるなと思って。
どうやってやるんやったら長谷の中でも、
一番近寄りがたいここでやりたいなっていう思いがあって、
12:02
っていう裏の思いがした。
でもここで初め俺がやろうとした時に、
やっぱりめちゃくちゃいろんな人から言われて、
なんで日本人のお前がここで授業するの?
すごい叩かれたし。
俺はすごいそれが意味があることやなと思って始めたっていうのが、
本間の理由。
で、使える理由としては、
この街っていうのは人口密集地で、
大震災の後ほとんど燃えちゃったわけよ。
だから燃えたエリアっていうのを再開発かけれるから、
まとまった土地の活用っていうのはできる。
この南側っていうのは長谷とかが多かったから、
一部潰れて一部残ってるっていうのが点々になっていて、
全国的にそうなんやけど、
所得があんまり高くない街っていうのは、
土地の権利と建物の権利が違うことがすごく多い。
大地主っていうのが存在して、
土地は買えないけども建物だけ建てますみたいな感じで、
わらばんないってことがあって、すごく開発がしにくい。
そういう意味でこのエリアの中で、
これだけの規模の建物を建てるまとまった土地、
なかなか出ないわけ。
で、ここに駐車場があってそれを活用するっていう話があって、
これも言っていい話かわからないけど、
はじめクソしょうもない、
セールフォームかなんかがしょうもないことだっていう案件が立てるっていう話を聞いて、
で、俺ここの住宅さんにプレゼンしに行って、
ここでそんな家を横浜に建てても、
たぶん先祖さんは喜ばないんですね。
俺に売ってくれから、こうこうこれ買って余暇できるから、
どっちがいいって言ってくる。
誰に売るかによって今後のここの在り方が変わってくるから、
それを決断できる立場にあなたはどっちを選択するか選んでほしいっていうプレゼンをしに行って、
で、なんかすごい悩んだ挙句をセールフォームじゃなくて俺に売ってくれたっていう、
実は裏話があって、
どこまで使うかは知らんけど。
確かに、それ一つの決断で町の今の現状とか風景とか全然変わりますね。
でもつまり、
これからの歩道化が変わっていって全部嘘だと思う。
簡単に大きく開発をして大きいものを建てるっていうのもすごくいいし、
でも残さなければいけない建物とかもあると思うので、
でも全部残す必要はないし、
何を選択しますかっていう、
今までは戦後やっぱりこう、
焼き野原になってズタゴロになった国をよくしていくために、
みんなが同じ思いで同じものを建てていくっていうことにすごい価値があったけど、
多分これからはそうじゃなくて、
同じ町を作るんじゃなくて、何を選択していくのか。
選択するってことは何かを捨てるってことだから、
そのジャッジをすごいしていかなあかん時代というか。
何の話か分かんないけど。
ちなみにこのハッピーの家ができて、
15:01
さっきその町の風景みたいな話をしてたんですけど、
首都さん感じてる町の変化とか、
っていうもの何か具体的にあったりしますか。
圧倒的に行政より行政みたいな仕事をしてると。
ほんまに?
だってここって数年前までどう言われてたかっていうと、
歩いてはいけない商店街。
ここ?
そう。
数年前まで?
そう。だからマジで言われてて、
長田の南側ってあんま若い女の子だけで歩かん方がいいとか、
マジで言われてたぐらい柄が悪いイメージが先行してた。
なるほど。
でもそういう本当に悪かったそうっていうのはもう高齢化していないんだけど、
そういう圧縮イメージだけ残っていて、
それこそ女の子一人でひとり暮らししたりとかはあんまりなかったり、
やっぱり小学校の人数もあんまりグラウンド良くないから少なかったりとかする、
っていうゲータがあって。
で、行政も震災後、やっぱりスタボンになったからお金をすごい投げてくれて、
326億円とかそれぐらいかかってるんだ。
人口統計で言うと国民の中で一番高齢者が増えていて、
子どもも減っていて、こうなっていく。
ナンバーワンの区ですよっていう。
だからお金がけても動かへんかったっていう事実があって、
これができてから何が起こったかっていうと、
ご覧の通りいろんな世代がこの周りだけめちゃくちゃいたりとか、
テレビで見てる人はパーティーの家があるエリアっていうのはすごく若者であったり、
子どもが多いエリアなのかなってみんな勘違いしてくるわけよ。
つまりこういうコミュニティ作ることによって、
お金をかけてもできなかったっていうものが生まれるっていう事があるのかな。
だから結構空気が明らかに変わってる。
その中で移住してくる人。
大きな統計のデータでは数名数十名の話やからあんまりインパクトない話やけど、
明らかにこの範囲で5分10分以内のエリアの空気が完全に変わってる。
なんかあれですね、劇団ぽいというかハッピーの家という舞台をここでやっているような、
このワンシーンに遭遇していい勘違いが広がっていって、
またキャストが増えて盛り上がってきてるっていう感じがします。
昔から住んでる人からしたら、
なんでこんなに最近若い子が歩いてるのとかいうのは普通は不思議があって、
なんでこんな街にいるのか。
子供も走り回って遊んでたり。
ここに集結してるもんね結構。
確かに確かに。
ちなみにやっぱり高齢化も進んでいる長田という場所で、
高齢者のための施設っていうのは他にもいくつかあると思うんですけど、
その中でハッピーの家、あまり知らないリスナーさんもいると思うので、
18:02
ハッピーの家の特別なところというか、
何が仕組みとして違うのかみたいなところって、
どういうふうに説明すればいいでしょう?
難しいですけど、やっぱり高齢者のためにやってるわけじゃないんだけど、
高齢者のメリットというと、
この日本というのはお金がなくても最後まで生きれるっていうすごい恵まれた国で、
どこのエリアで暮らしていても住むところは絶対に見つかるし、
自分の体が悪くなっても医療は受けて介護は受けれるっていう仕組みは、
この10年くらいでできてる。
10年前までそれができたかってなかなか難しくて、
生活のインフラは整ってる。
でも日本中の高齢者施設ってアンケートを取ったらみんな暮らそうとか、
病院みたいとかっていうイメージが先行すると思うし、
実際にそういうところが多いと思うんだよね。
つまり生活のインフラ、セーフティネットの整えたけども、
みんなあんまり幸福感を持ってないなっていうのがアンケートの数値から出てるわけ。
アンケートを取ったらみんな口をそろえてみるのが、
今困ってることありますか?とか生活の話じゃないの。
孤独ってことだよね。
つまり孤独っていうニーズを叶えられてない。
それを完璧にそこに全振りして作ってるのがここなのかなって。
このおじいちゃん、孤独っていうよりもうるさいとか。
もうガヤガヤしてるとか。
って言えちゃう。
それだけ日常の中で出会う人たちも多いし、
コンテンツがすごく多い。
そういう意味では恵まれているのかなって。
よく喧嘩になったりとかも見てたらあるんだけど、
いろんな人が会うから、住人同士とか。
それってめっちゃ幸せなことだと思っていて、
喧嘩で怒れるってすごい大事なことなんだよね。
コロナ禍で多分若者もそれを実感したはずで、
オンラインで家で仕事をするようになって、
自分の好きなコンテンツ、ネットフリックスみたいな、
仕事の繋がりがある人はコミュニケーションするけど、
日常の中で誰かが、
偶発的に会うとかないじゃないですか。
確かにここに来るたびにいろんな人と、
いろんな年代の人と話せたよね。
その方の滞在中も。
アフリカンフェスティバルとかもやってましたよね。
映画会もやってたし。
外でバーやってたりとか。
ここに住んでる人たちはハッピーだなってすごい思いました。
やっぱり長田3週間、たかが3週間ですけど見てて結構、
みんなそれぞれ工夫して幸せそうだなみたいなところもあって、
21:04
やっぱり何を持ってるっていうよりも、
どう生きるというか、どう幸せに生きるのかみたいなところなんだろうなと思って、
そこの起爆剤というか、そこの中心の場所として、
舞台としてハッピーな家があるっていうのはすごい大賛だなと思いました。
あとなんかさっきね、メンバーにも話したんですけど、
個人的には家族みたいなものに関心を持ち始めました。
長田に来て。
自分のプライベートの家族もそうだけど、
町としての家族みたいなことに興味を持ち始めました。
家族が一番難しいんだなって。
ここがすごいいいなって思うのは、
家族関係に悩んでいる人ってすごく多いんだけど、
家族関係に悩んでいても、
自分の日常の他人、出会う他人との横なりに関係があったら、
なんか人間と平和があったりとか、
それが干渉剤になって、また家族といい距離感で暮らせたりとか、
そんなのあるんだよなって感じです。
確かに。
私たちも昨日結構怒られてシュンとしたことがあって、
でも今日、
バチバチ怒られましたね。
でも今日、それ載せられるか分からないけど、
ちょっとシュンとすることがあって、
そしたら今日、Rさんで、
後田さんからね、みんなでご飯食べてるよみたいな連絡をしてもらって、
さりげなくフォローしてくれて、
家族っぽいというか、
こういう人が近くにいるといいなって思って、
東京とかになると、
アポイントメント取って、
1週間後に会いに行くみたいな感じになっちゃうけど、
フラッと電車で行けちゃうぐらいの距離感で、
ああいう家族みたいにフォローしてくれる人がいるっていうのは、
すごい大きいなと思ったよね。
おじちゃんもさっき出る前に話してきて、
一応分かってくれて、
握手して、若いみたいな感じで話せたんだけど、
でも確かに東京だったら、
気になっても言わないとか、
変な方向に怒りが歪んで、
変な手紙とか嫌がらせするとか、
おじちゃんのこの爆発の直接的なコミュニケーション、
びっくりしたけど、
でもそれを言って私たちも、
ごめんなさい、こうしたいんですっていうものを、
はっきり話せば分かってもらえるっていうのが、
いい関係だなとは思いました。
個人の便利とか暮らしやすいのを追求したら、
どうしても最適化されちゃうから、
壁ができちゃう。
でもそうなった時に、
人との距離感がすごい遠くなっちゃって、
日本って結構便利にみんな暮らしてるし、
いいプライベートが保たれるんだけど、
日常があんまクロスしなくなってる。
24:00
それがこの街にはまた、
みんなの日常が、
嫌が多いもんを交わるというか、
いいとこも悪いとこも。
その良さはあるように。
極論言えば、
若くてバリバリ仕事やりたいんですって言う時って、
別に俺この街じゃなくてもいいと思う。
東京でも全然いいし、
海外に行けよって思うぐらい。
自分一人の力でなんともならへん。
例えば家族が生まれても、
育てをしなければいけないとか、
両親の介護をしなければいけないとか、
誰かに頼らなあかん時に、
家族だけっていう選択肢があったら、
手詰まるというか。
だからこういう街ってすごい意味があって、
今うちでも多いのは、
3世帯とか4世帯以上の案件とかすごく多くて、
子育てもしたいし、
そのお母さんも産みがえしたいという人たちが、
この街を選択するってものすごいよね。
例えば尺子定義的に、
これが行政の感動やったら、
この街は高齢化していると。
だからなんとかしなければいけない。
ってなると思う。
その弱点っていうのを、
もうちょっとちゃんと見える文化にしたい。
高齢者が住みやすいってことやな、
離れないってことやな。
でも逆に言えば、
高齢者が住みやすいってことは、
この部分が住みやすい。間違いない。
例えばこの街のときに、
駅まで全部バリアフリーできる。
地下も全部不動転査で、
雨にも濡れてきてるっていう、
道幅も広いし、
これって絶対高齢者とくそ当て、
両立できるなって、
俺は勝手に思っていて、
そういう本来よくないとされていることに、
価値をどうやって身に出すのか、
すごい大事なのかなと。
今日の話に関して、
この街が特殊だとか、
ここが特殊だっていう風に捉えられるかもしれないけど、
めちゃくちゃシンプルで、
当たり前のことをしてて、
多分人間の歴史を振り返っていったら、
パパとママだけで子育てをしているっていう状況の方が、
歴史的には少ない。
人間ってそもそもホモサピエンスは、
集落で子育てをする。
っていうのが、
スタンダードで。
結構そういう風にやってたのが、
今なんか便利になって、
効率化して、
ある意味活発化を作っていって、
社会を回していったから分離しているだけで、
それがしんどくなって、
また入り戻っているだけの話になるかなっていう。
家族だけで子育てをやめた方がいい。
介護も。
その方がいいでしょ。
そういうパーソナルなことを、
うまく街に外部化できているところが。
俺こそやっぱり介護に依存している。
共依存。
共依存のね、
女性関係とも言いますか。
だからね、
27:00
精神疾患とかになっている子とかに、
どうやってアプローチしますかっていうときに、
俺らが、
学術的にやるのは、
その人たちにまず依存先を増やすんですよ。
だいたいみんな、
イコンって最終的にやっちゃうけど、
その時はそれでいいんだよね。
人間関係が離れた状態は、
絶対あんねん。
でも次に前を向く余裕があるときに、
次に必要なのは、
その人の依存先をうまく増やしてあげる。
すごく大事で。
俺は、
感覚値として持っているのは、
3つ依存先を増やすっていうのをやれば、
あとは自然に整っていくなって思って。
だから社会というのも、
コミュニティだったり、
居場所を作っていくっていう作業は、
今は多分必要なんで、
今までって国とか行政が街を作るっていう仕組みで
動いてきた。
大きなあれを作っていくのがすごく大事に。
それでやってきた国だと思って。
でも多分今って、
エリアごとに課題も違うし、
住んでる人も違うから、
結構その地域地域でやらなあかんことが
違うんですよ。
だからそうなるときに行政が、
例えば平野さんがめちゃくちゃ
街作り頑張ってるとなんともならなくて、
行政の人も、
そこに住んでる街の人も、
お水やってる人とかも、
なんかもう、
みんな多様ではあるけども、
ある程度統一のビジョンを
共有するっていうのはすごい
必要なのだろうなと思って。
うちの街は、これは切り捨てて、
これはやろうねっていうところを
お互いに持つっていうことはしたほうが
いいんだろうなと思って。
その中の選択肢の一つとして、
信長だったら、
ある意味ダイナモじゃないけど、
本場の意味のダイバーシティがあるなって。
そこをもっと打っていけば、
俺は可能性があると思ってるし、
その仮説の小さな検証を
ここにできている。
今うちがやってることって、
このハッピーの家から、
半径10分以内の有給不動産、
空き家を活用していく
ってことだけに便振りしてるんですよ。
3年で500件の有給不動産を
活用しますって宣言してるんですよ。
結構空き家の情報が来たりとか。
そこに移住者も進ます
っていうだけではなくて、
高齢者もそうだし、
小学生ある人もそうだし、
お店したい人であったら、
お店作るフォローをしたりとかして、
買われてないものを活用していくっていう。
こんな感じで、
自分的には
ダイバーシティというか、
多様性というか、
そういうものを街の中で
表現していってるけど、
別にここの考えが正しいとは思わないけど、
どっかの段階で
行政がどうとか、
みんなお馴染みの辺りが
こういう風に積んだほうがいいんじゃねえの
っていうのを早くしたほうがいいんじゃないかな
っていう考えがめっちゃかかるじゃん。
だから早いほうがいい。
人間って面白くて、
ほんまに追い詰められないと
頑張らないと。
人間関係もそうじゃないか。
30:03
今回はお話ありがとうございました。
ありがとうございました。
続いては、FMYYの
キムチヤキさんにお話をお伺いしました。
私はですね、
長田人では、
今は長田区民になってるんですけれども、
生まれは中央区なんです。
たまたま震災の前に、
乗馬クラブで。
乗馬クラブ。
で、馬好きなんですね。
馬って掛ける馬じゃなくて、
馬自体が好きなので、
乗るっていうのも好きなので。
そこで、残日コリアンの
夫に、
その時は夫じゃないですけどね。
出会って、
私は北のにいるので、
周りにはインド人がいて、
イスラムの
モスクがあって、
中国も大陸と
台湾もありっていうような、
それから
おばあちゃん家でやってる
いろいろな仕事の中で、
ドイツパンがあったり、
ドイツパンの人とか、
ゴンチャフちゃんてチョコレートとか、
そういう人たちとの出会いの中で、
多様な人は知ってるつもりだった。
残日コリアンは全く
見かけないっていうか、
出てこないんですよね。
彼と出会って、震災の前に出会って、
残日コリアンというのが
日本の中の
移民たちがたくさんいる中で、
これが全然外へ出てこない
っていうような
知者、外国人もたくさんいるんだな
っていうことに初めて気が付き、
で、地震があった。
残日の人たちっていうのは、
ケミカルの方もいらっしゃれば、
土研業とかいうことをされるとか、
もちろんパチンコとかね、
ファッションホテルとかいろいろな人たち、
自営業がすごく多かったんだけど、
土研をされてる方はですね、
ユンボってご存知ですか?
ちっちゃい子。
それでね、助けに来てくれたんだよ。
大丈夫かとかって言って、
で彼、
ここパッカーン割れててね、
タオルで縛って、
血だらけのこの、
よく戦国時代の
武士になって、
縛ってね、
自分血もあかんかったから、
それで妻と
助けてきたちびちゃんたちを助けたって言って、
先輩大丈夫か?
とかって言ってくださって、
で、そうしたら周りはね、
私の住んでるところが、
西国街道沿いの、
これは神戸市が昔からね、
立ち退きしていただいて、
大きな道にしたいと言っているところが、
実は西国街道沿いの、
五人家がたくさん並んでるんですね。
大名がよく泊まるようなお家。
広大なお家が多かった。
それが見事に全部倒れてたんですけど、
百何十年の
屋台骨が落ちてて、
で、うちの娘がその下にいます。
33:00
とか言うような方々がいて、
で、消防団の人の
ピカピカのチェーンソーでは、
なんか焦げる匂いがするんだけど、
全然入っていかないのは、
彼のチェーンソーだったら、
ピヤッと切れて、
もう無くなってるんですよ。
でも痛いからって言うので、
お出しするとか。
そしたら、もう暖房者で有名だった方なんですけれど、
あちらからもこちらからも、
助けてって言う。
ありがとうって言う感じの、
在日コリアンとしてのなんか、
働き方?
自分のできることこんな大きいんだ、
っていうのを実感された、
っていうことと共にですね、
地域の中で助け合いっていうのは、
非常によく見えて、
私自身は別に、
在日ってこんな話の中で、
日本の中で、こういう状況の中で、
なかなか、
彼は三世だからね、
大学も行ったりしてるんですけれど、
おじいちゃんとかお父さんたちが
非常に苦労したって話は聞いてたんです。
ので、
勤務という名前を外へ出すのは、
すごい嫌がってたんですね。
社会的にはやっぱり、
よく集めるから、仕事もしにくいから、
って言ってたんですけれど、
それが、その震災の後、
彼が初めて自治会で、
いろいろな集まりがある中で、
本名で名乗るっていうことを見たときに、
これって震災ってね、
人々を平等にする?
みんなで力合わせないと
ダカンっていうことを、
実感できたのかな、
という感覚はありました。
で、それからですね、
やっぱり自分の同胞たちの
生存を確認しに行きたい、
って言うので、
スマーにはないので、
新永田の方に
民団っていう、
コミュニティ組織、
韓国系の人たちのそういうところが、
民団って言うんです。
そこで、
帰ってきたら、
トランジストランジを持って帰ってきて、
今からラジオするらしい、
って言われてね。
そしたら、
アリランが流れてきて、
その当時ラジオでね、
アリランが流れるとか、韓国の言葉が流れるって、
ほぼなかったんですよね。
それが流れたときに、
真っ暗な中で彼が
すごい泣いてた。
で、それを見たとき、
私自身には分からないけれども、
やっぱりその、
認められてる?
SNSではなくて、
ラジオという公共のもので、
それが流れてくる、
チャングの音とか、
そのメロディが流れてくる、
っていうことが、
共に生きてる、
市民権を得た、
っていう感覚すごいあったんじゃないかな、
っていう。
そんな詳しい話を、
自分自身の中でもできなかったと思うんですけど、
なぜ初めて、
こんなに泣くんや、
驚いたんですけどね。
結婚式とかそんなのではみんなやるんですけれどもね。
で、それを同じように、
そこで始まって、
36:02
大変なことの中で、
大丈夫ですか?って声をかけ合う。
それはね、日本人同士でも、
誰か分からないけど、
大丈夫ですか?っていう声が聞こえたときに、
すごくほっとした。
誰かが自分、
自分に向かって言ってるんではなくても、
誰かが、
心配してる誰かが、
声をかけてくれてるって、
すごい大きいことだなっていうふうに。
よくラジオは寄り添うって言うじゃないですか。
声で、
あなたをっていう。
それを、
たまたまラジオっていうツールがあって、
それでやり始めたっていうのが、
今ここまで続いてる、
この一つの大きいことかな。
ただ無線だけでやってたらね、
それで終わってたの。
ラジオを使ったのは、
そういうふうに思うんですが、
それで終わってたらね、
在日コリアンから在日コリアンへの声かけ。
大丈夫か?って。
助けに行くよっていうふうに、
それに終わってたのが、
ここが、
そこの地域の、
ウナ旗という持つものの、
地域性っていうものが、
非常に大きいなと思うのは、
カワジュウとか、
ビツビシとか、
スミトムゴムとか、
エカガエエリアにありますよね。
鉄とゴムの街。
そこの中から、
1945年の戦争に負けた後、
朝鮮半島に独立したからと、
帰る人もいたけど、
帰れない人もいた。
ここでも
生計を立てないといけないっていう、
在日コリアンたちもたくさんいた中で、
ケミカルシューズっていうものを作り出して、
それで生計を得てきた。
ここの地域っていうのはとても大きく、
産業形態の中で、
人間が街で生きるっていう中で、
非常に大きな
一つの
根本的なものがあるんではないかな、
と思うんですね。
長田という街、
横野兵庫とかスマニーもちょっとですけれども、
地域の中に
いろんな工場の
具材っていうか、
部分が、
それぞれ消費本で社長になることができた。
ちょっとお金ができた人は、
ビルを建てて、
そこに一つ一つお部屋として、
貸し工場っていうんですけど、
そういうことができた。
っていうのが、
大会社ができたんじゃなくて、
そういうものができたっていう、
長田の在り方っていうのもとても大きくて、
その後の、
1985年ぐらいの
ベトナム人が、
ベトナム戦争の後に、
やっぱり
北と南に分かれた中の、
制度として、
南の方が、
やっぱり嫌だと思って、
幸せを求めて世界へ出ていくっていう、
ボートピープル、
船でやってくるっていう人たちが、
姫路って言ったところに、
そういう収容施設が日本の中にできて、
そこにいた人が、
39:00
長田に行くと、
そういう靴の簡単な仕事があるっていう、
口コミでやってくる。
ただ、
ここを線だけを縫うだけとか、
穴だけ開けるだけ。
日本語そんなにいらなくても、
それで、
非税人が入るっていうやり方だったみたいな、
2時間働いたら、
2時間もくれるとかっていう、
そういう大会社じゃないだけの、
いろいろなメリットがあって、
どんどんどんどん、
南米の人も日系の人たちも、
労働者として入ってくることができてたので、
そういう人たちとか、
ボートピープルとか、
いろんな人たちが、
そういう方の中に入ってきた中での、
1995年の阪神淡路大震災。
ベトナム人なんかは、
やっぱり避難所には入らなかった人が、
多いんですよね。
ブルーシートでテントを作る、
公園でテントを作るっていうやり方。
やっぱり避難所という意味も、
分からないとか、
自分たち自身も入っていいのかどうか、
分からないとか、
言葉が通じない人が多い。
ただ、在日コリアンだけは、
本当に日本の中で、
3世、4世にもなっているので、
日本語が分かるので、
自治会長になったりとか、PTA会長になったり、
いろいろしているので、避難所に入っている。
ところがそこで、
なぜラジオを始めたかというと、
そこで入っているんだけど、
本名を書かない。
張り紙でね、
クラスのところには誰々がいますっていうのは、
いっぱい張り紙をしたりとか、
登録はしたんですけど、
それ本名を書かないで、
2本目といわれる通称名を書いていたので、
探しに来ても、
どこにいるか分からない。
絶対ここにいるはずなのに、
探せないっていうところで、
避難所を見たら、
みんなが小さいラジオを集まって、
誰々さん、何々町のところはどういう風に燃えてますとか、
そういう風なことを聞いているのを見て、
ラジオで発信したらいいわって言って、
先ほどのアリラを流して、
避難所を呼びかけて、
あなたたちを探してますよって、
何月何日に避難所に呼ぼせよって言って、
専念たちが来たら、
出てきてくださいっていう、
安否確認をやり始めた。
って言ったところから、
それがさっき言ったように、
防災無線とか、
そういう無線ではなくて、
ラジオを使ったって言ったところを、
それを使おうと思ったところがとても大きくて、
そうすると、それでうまく、
出会いができて、
避難所でいろいろ見てみたら、
子どもを抱えている人もいる。
高齢者もいる。
視覚障害者もいる。
耳の聞こえない人もいるらしい。
いろいろ分かってきて、
なので、
ここの私たちがやっているFMIは、
私もたまたま、
参加するようにはなったんですけれども、
これが、
普通のマスメディアの言う、
情報を全国に伝える、
っていうのではなくて、
避難被災地の中で、
42:00
被災者同士が、
こういう風にしたらどうだろう、
これは困っているんだけど、
どうやって直したらいいんだろうか、
っていう知恵のやり取りのツールとして、
使えたっていうことで、
街を住みやすくするために、
どうしたらいいの?
っていうのの、
集まる場所、考える場所、
それの情報のやり取りっていうのを、
電気的信号でやり取りできる、
そういう場所なんだ、
っていうことになってきたのが、
街づくりのツールとして、
使えるやっていうようなところで、
やってきたっていうところが、
一番多くて、
大きくて、
最初から外国語の放送します、
っていう風な、
あるいは防災のためのラジオなのか、
っていうのではなくて、
どうしよう、あなたどこにいる?
って言ったところから始まった、
っていうのが、
最初のみんなが、
対して困ったときに、
大丈夫?って声を掛け合った。
その最初の声の掛け合いこそが、
街を強くする力。
で、
大丈夫?って言葉が、
聞こえない人も、
通じない人も、
届かない人もいる、
っていうことに気がついて、
多様なものに変えていく、
っていうのの27年だっていう風に。
そこに、
私自身が、
そういうことでね、
街っていうのは、
どういうものなのか、
どういうものを求めるものなのか、
っていうのを、
すごい、だんだん分かってくる。
自分自身が成長する場所として、
非常にここに参加できて、
ありがたかったな、
っていう風に思いますね。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
壮大な。
そうですね。
山崎さん、
FMYYの代表理事されていて、
今はね。
そもそもそのFMYYって何だろう、
みたいなところを、
聞いてみたいなと思うんですけど、
どんな活動今されていて、
結構幅広く、
いろんな文化を扱われていると思うんですけど、
その存在を知らないリスナーの方に、
ちょっと紹介をお願いできると。
はい。
FMYYって言うと、
FMと付いているので、
番組制作、
メディアっていう風に、
すごく強く思われると思うんですけど、
実はですね、
ほぼ、
今日もですが、
街を歩いている方が多くて、
街のいろんな人たちの出会いを、
様々に作っている。
街の中でいろんな人たちのコネクションを作っている、
街づくりをしている方が、
ほとんどだ。
それがFMYY。
で、
それぐらい、
メディアっていうのは、
別に電気的な発信だけじゃなくて、
人間同士がこうやってお会いする。
人間メディアだってそうじゃん、
っていうので、
私は街の中をウロウロ、
45:00
チャリンダーと言っているんですが。
チャリンダー、いい言葉出ましたね。
いろいろ知っていながらね、
あの人とこの人を繋ぐ、
メディア、媒介、
っていうことはあちこちにあって、
あなたもメディアになったやん、
人間メディアだから、
あなたの周りの人に言ってよ、
っていうような、
生声でもね、メディアはやれるよね、
っていうことを言ってて、
一人一人がそういう力になって、
光っていったら、
あの、
全体に、
NHKさんみたいにバーッと大きい光じゃなくて、
下から、
ちっちゃい一軒一軒が光がポポポポポ、
ついていった方が、
それは強いんじゃないか、
っていうようなのを、
一年、
ほぼ365日、
あっちでもいい、こっちでもいい、
しつこいな、まだ言っとんか、
っていう感じぐらいあったらね、
こんにちはっていう挨拶をして、
もう、
東北に行くことも、
熊本に行くことも、
インドネシアに行くことも、いろいろありますけれど、
それだけじゃなくて、
まず自分のテリトリーとしている、
ここの知識で、
動けるところぐらいの人たちを揺さぶって、
その人たちが、
次々と行けば、
池も、
一回石を投げたら、
わーっと広がるだけだけど、
あの人もこの人も両側から一緒に投げてくれた、
ずっとこう、
さざめいてるじゃないですか、
キラキラするっていう、
考え方で、
ドット数を増やす、
みたいな感じですね。
そういうことをやってて、
それに、
お二人のように優雅とではないですが、
次の新しく、
キーパーソンになるような人が、
飛び込んできて、
その人たちが、
それ素敵ねって、
またそれぞれの地域へ帰って、
その人たちが光らせていただければ、
それは伝播していくんじゃないかな、
そういうことをやっているところにいるのが、
FMYYの私です、
っていう感じでしょうかね。
初めて永田に来たときに、
先ほど復興のときに立ち上がったラジオの話があったと思うので、
まさにすごい、
都市を生き抜くセーフティーネットとしての
ラジオがあったんだなって感じたんですけど、
初めて永田に来たときも、
印象的だったのが、
ハッピーの家ってあるじゃないですか、
ハッピーの家の、
駐車場に、
バングラディッシュの形がたまってたんですよ。
ただなんか、
何してるのかなと思って聞いて、
何してるのかなと思って聞いたら、
先週ぐらいからやってきて、
なんかちょっとこう、
住居状況が悪くて、
Wi-Fiがなくて連絡が取れないから、
このハッピーの家にWi-Fiを貸してくれて、
そこにたむろってるみたいな話を聞いて、
すごく、
なんていうんだろう、
地場でそういう支え合いとか、
生きる力のセーフティーネットができてるっていうところに、
すごい価値を感じたんですね。
私は今東京に住んでるんですけど、
やっぱりなかなかそういうことが、
48:00
難しくなってきているっていうことも、
感じていて、
なので、
当たり前にあるみたいなのが、
とても魅力的だなと思って、
一個永田を見る目線として、
そういう繋がりとか、
生き支える繋がりみたいなものを、
ちょっとテーマとしても見たいなと思ってたんですよ。
今、東シリーケの、
あの地区のあたりに住んでるんですけど、
そこもお隣のお隣が、
ベトナムの若いカップルが住んでいて、
でも日本語は喋れないので、
あまりコミュニケーションはできないんですけど、
そのエリアもかなりベトナムの人が増えてきている。
で、その人たちと毎日すれ違うこともあって、
日常の中に、
違う国の人たちがいるっていうのが、
すごく当たり前の場所っていうのも、
面白いなと思っていたんですね。
ただ、
その人たちとの生活が、
やっぱりまだあんまり見えないっていうこともあって、
その人たちとの生活が、
やっぱりまだあんまり見えないっていうこともあって、
その人たちとの生活が、
やっぱりまだあんまり見えないっていうこともあって、
その人たちにどうやって近づくことができるんだろうっていうのを、
今も考えていて、
そこら辺の、
主にベトナムのコミュニティなんですが、
その人たちとの繋がりの取り方だったり、
コミュニケーションの仕方って、
現在どういうことをされてたりしますか。
現在どういうことをされてたりしますか。
マノのベトナム人コミュニティは、
よく知っていまして、
ダンスブロックの横堀さんも、
その地域に住んでいるということもあり、
マノの周回省はあるじゃないですか、
あそこにベトナム語のできる日本人の方がいらっしゃって、
地域のお祭りごと、
何々がありますって、
地域で巻くじゃないですか、
それをベトナム語に直してくれているみたいで、
それを配っているっていうのと、
それからそのベトナム人たちが、
やっぱり野菜が欲しい、
自分たちの必要なパクチーだけではなくてね、
パクチーが欲しい、
パクチーが欲しい、
パクチーが欲しい、
パクチーが欲しい、
パクチーだけではなくてね、
パクチーは今、ちょっとずつ売れるようになっていますが、
いろんなものが、葉っぱがいるんですね。
それを、
自治会の方の持っている土地で、
運河沿いなんですけどね、
そこで、
作ってらっしゃったりも見に来ましたし、
私自身も駒川市で、
これは長田区の女性勤務を受けながら、
多文化共生ガーデンっていうのを、
ここの協会のベトナム人たちが、
非常にジャングルみたいになってますけれど、
いろんなものを作っているっていうのが、
あったりするので。
あ、そうですか。
なので、
私は今日も、
小学生から中学生、
高校生、大学生みんなに、
挨拶が一番、
コミュニケーションの取り方の一番いい。
パッと顔を合わせたときに、
そらすんじゃなくて、
おはよう、だけでも言うとかね。
全然知らん人でも、
山の中では必ずするじゃないですか。
あれってやっぱり、
何かのことがあったときに、
確か何時頃、
どっかですれ違いましたっていうような、
情報共有にもなるとも聞いてるのでね。
今はね、
知らない人に、
声かけられたら逃げなさいとか、
51:00
っていう時代になってるんですけど、
決してそうじゃないと思う。
おかえりって言っただけで、
あんなに表情がコロッと変わる。
それから、
おじいちゃんが書材投げに、
座ってらっしゃるところに、
こんにちはーとかって言うだけで、
びっくりはされるけど、
決して悪い気はしてない。
だからそのベトナム人、
何人かわからないけど、
声かけるっていうのは、
いいと思いますし、
実はここの、かなり広い
たかとり協会の中の、
ベトナムのタクシーっていうのを
置いてるところがあるんですが、
黒猫ヤマトも、
佐川キュウビンも、
休む場所にしてるんですよ。
一服する。
で、
周回でいろいろ回ってあるんでしょうね、
タクハイ。
そこでいっつも、
一服する、コーヒー飲む、
トイレ行くっていう、
ここはそういう場所になってるんですね。
地域の小学生も、
トイレ借りれるところになってて、
っていう風に、
なんかやっぱり、
街の中にそういう場所、
先ほどのバングラの人たちだけじゃなくて、
フラッと入ってきて、
座ってもいい場所。
で、近くの公園も、
多分そうなってますし、
その向かいの、
輸入業者のところがあるんですけど、
大変親しく知ってますが、
そこの、
おっちゃんもですね、
前で水道船で遊んでる子どもたちがいたら、
こらーって怒るっていうのとともに、
そこにあんな、
って聞きに来た時は、
受け入れるっていう場所。
街の中にやっぱりそういう場所がね、
いくつもないと、
ギスギスするんではないかな。
だから、
おもてなしっていうより、
おせっかい、
どうしたんっていう、
声をかけれる、
そういう空気感を、
街の中に作っていくのが必要なんじゃないかな。
どうしたんっていうのが、
たまたまうちは、
最初の審査の時から、
大丈夫っていうのを、
汚せよっていう、
声かけで、
心配してますよ、
っていう声かけ、
探してますよっていう声かけで、
電気的でやった、
っていうだけで、
それを日常の中に広げていくっていう、
活動を、
生声でやってるっていうのが、
60%、70%。
あとは、
電気的信号で、
ネットで、
世界の言葉で、
永田からって言ってるんですけれども、
これは日本だけではなくて、
全世界に通じるので、
スペイン語圏の人には、
自分は守ったらいいよ、
それからまた、
近くの、
日本人に、
知り合いを作ろう、
アラーム鳴ってる、
台風が来てるみたいな雰囲気、
これ何?って聞ける人、
54:00
日本人を作ろう、
守る知恵を、
これはネットで、
どこにでも届くっていうもので、
自分自身を守る知恵として、
日本を住みやすいものにするためには、
こうしたらいいっていうのを、
その人たちの分かることまで、
やるっていうのも、
両方、そちらも大事にしながら、
やっているっていうこと、
ではありますね。
お節介を作る雰囲気、
その場所がたくさん、
街の中にあることって、
私たちも今回滞在をしながら、
そういった雰囲気を感じる、
シーンが所々にあって、
すごい温かい気持ちになってます。
なので、
羨ましいなってすごい思うんですけど、
今なんか、
いろんな方にお話をお聞きしていると、
やっぱり永田、
すごい面白いこともたくさんあって、
でも一方で、
行政の方にお話を聞くと、
行政的な課題はすごい多い。
例えば、空き家率が多かったり、
いろいろあると思うんですけど、
聞いてみたいなと思ったのは、
千秋さんの目から見て、
永田にもう少しあればいいのにとか、
ここがもうちょっとみたいなところって、
課題として、
どんなところがあるのかなっていうのを
聞いてみたいです。
千秋 そうですね、
東京でもっていうふうに
おっしゃったんですけれど、
やっぱり自治会の中に、
地域に住んでいる外国人が入れるようにする。
あるいは、
消防団っていうのも大変大きな力だと
思うんですけど、
あれは、消防団はやっぱり
国籍上校っていうのがあるんですよね。
そうすると、街の中で
これだけ若い世代の
ベトナム人が、
次の、
例えば小学校なんかでも、
マノなんかの小学校、新洋の小学校は、
ベトナム人の子どもが
入ってくることで、
閉鎖することなく、
そのまま維持できる。
26人維持できた、
っていうふうになっている。
その人たちを、
自治の中にね、
地域の中の、
決定権者っていうか、
声を出せる人に、
まさかの、
司会議員にしろとかね、
そこまでは言わないんですけど、
自治会の人に入れる。
あるいは消防団だって、
本当に若くて、
増えているので、
小学校の子ども持っている、
親御さんたくさんいる、
そういう人たちを、
ぜひ消防団に入れるとか、
自治会に入れるとかね、
そういう地域の中の、
顔の見える人にしていく。
住んでるよね、ではなくて、
一緒に街を考えていこうじゃない、
っていう人に、
入れ込んでいくっていうところの、
突破を今、
したいなあというので、
そこに巻き込むっていうことを、
自治会の、
お偉いさんっていうのは、
なかなかハードル高いところの、
57:00
心を持ちたので、
そこをどう突破していくのかっていうのを、
もちろん永田区役者の方々と一緒に、
どういう話をしようって言ったら、
寄ってくるかなあとか、
それいいなあと思ってもらえるか、
っていうのを、
その人たちの力を使ったら、
もっといいものになるかもしれないなあ、
っていうふうに、
そこを、
どう突破するかっていうのが、
今一番の課題ですね。
すごい面白い回答でした。
確かに、
私たちもそういった、
街づくりとかの意思決定の場に、
どう多様な、
メンバーを入れるかっていうことが、
キーだねって日頃話していて、
最近だと女性の参画、
みたいなことも言われると思うんですけど、
女性だけじゃなくて、
例えば子供だったりとか、
日本以外のバックグラウンドがある人たちだったりとか、
何か体に障害がある方々だったりとか、
いろんなアクターの視点を、
この街の意思決定の場に入れていくっていうのが、
キーなんじゃないかなっていうので、
その視点を作るために、
まずFMYYをフォローするっていうところから始めるのが、
いいんじゃないかなと思って聞いていました。
なんかその多様性とか、
いろいろ皆さん言うけれども、
すごいそれに近い街だなと思って、
今おっしゃったこと、
決定の場に多様性が必要だっていうところに、
リアリティがあるのがすごくいいなと思って、
多分全国的に見ても、
早くそういったことが実現する街になるかもしれない、
みたいな可能性を感じています。
障害者作業所とのネットワークって、
番組も毎月持ってて、
そこが一番言ってるのは、
震災の時、パン屋さんなんですけどね、
炊き出しのいろいろあったけど、
焼きたてのパンを出した、
言ってらっしゃってて、
焼きたてのパンを炊き出しとして出したら、
それは障害者の人が作ってるんですけど、
ありがとうって言われた、
それが忘れられない、
だから支援されるだけの人たちって、
やっぱり外国人もそうなんですけど、
いつもこう、
自分たちは下だっていうふうに思ってる部分も、
本当にあるんですよね。
外人だからあかんねんっていうふうな、
やっぱり私たちは外人やから、
のけ者にされても、
それはしゃあない、みたいなところを持ってる。
それから障害があったら、
障害者自身が思うのではなくて、
その周りの人が障害があるから、
ちょっと遠慮しとくとかね、
サポートしてあげないとあかん、
っていうふうな感じなんですけど、
その人たち自身が、
トップになってて、
ありがとうって言われる人になる場面がね、
作るっていうのが、
とても重要ではないかなっていうふうに思います。
ありがとうございます。
すごい面白かったし、
1:00:00
街の視点がまた、
私たちとしても変わるだろうなと思って、
いろんな人と対話したくなりました。
それこそメディアっていうものより、
街に出てる方が多いっておっしゃってたんです。
チャリンダーですね。
チャリンダーとして我々も、
自転車滑走させてますけど。
そうですね。
収録から見て、
これタカトリに行く人かな、
匂いがいっぱいしてました。
匂い。
今、2週間ぐらい経って、
日曜、チャリンコでそういうことを漕いでると、
手を振る人の数が増えてって。
そうなんですよ。
日に日にね。
そう。
2日目に歩いてたら、
到着の2日後に歩いてたら、
ダンサーのアラン君が、
おばあちゃんの車椅子を押しながら歩いて、
ひょーんみたいな感じで手を振ってくれて、
なんていい街なんだと思った。
ちょっと感動ポイントだったんですけど、
そういう、
今日もここに来るまで自転車を必死で漕いでたら、
知り合いに手を振ってもらったりとか、
そういうことなんだろうなと思って。
はい、ありがとうございました。
グッドニュース・フォーシティーズでは、
毎週新しいエピソードを配信しています。
次回もお楽しみに。
01:01:29

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