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2020-09-30 37:44

【#25】GUEST TALK🎤物語を届けるデザイナー坂口祐

今回は、「物語を届けること」をテーマに、四国を中心に一次産業が作る風景を写真・映像・言葉など様々な表現で発信している、デザイナーの坂口さんをお呼びしておしゃべりしていきます。河川の研究、ロンドンで建築を学び、今は四国をベースにデザイナーとして活動するようになった理由は?そのアクティブな人生と、坂口さんが残したい風景、物語を通じて地域に関わる意味を深ぼっていきます。

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●坂口 祐(Sakaguchi Yu) 物語を届けるしごと/デザイナー
https://yousakana.jp

1980年東京生まれ、神奈川県茅ヶ崎市で育つ。慶應義塾大学SFCにて、坂茂/石川幹子研究室に所属し、都市河川の研究と景観設計を学ぶ。英国に留学しロンドン大学で建築設計を学んだ後、帰国。 2010年に四国に移住し、経済産業省 四国経済産業局にてウェブマガジン『四国びと』を担当し四国の中小企業や地域で活動している人々を取材。 2014年に独立し、食材が届く情報誌『四国食べる通信』や瀬戸内海の島の暮らしを伝える雑誌『せとうち暮らし』などに関わる。四国や瀬戸内海の島々の農山漁村を訪ね歩き、生産者を取材。自信が運営するWebサイト『物語を届けるしごと』は世界160カ国以上からアクセスがあり、四国や瀬戸内の魅力を四国外や海外に発信している。日本人間力大賞2015農林水産大臣奨励賞。 2016年から徳島県唯一の村、佐那河内村(さなごうちそん)の農産品のブランディングや情報発信のプロデュースを手がけ、季刊誌『さなのごちそう便り』の編集長を務めている。経済産業省 四国経済産業局 地方創生支援室 地域経済分析システムRESAS普及活用支援調査員。

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皆さんこんにちは、編集者・ライターの杉田真莉子と プロジェクトディレクターの石川赤子です。
この番組は、都市というテーマが好きで好きでしょうがない2人が、都市に関する様々なグッドニュースを ザック・バランに話す場所です。
はい、ということで今回は、物語を届ける仕事をなされている デザイナーの坂口さんにお越しいただいています。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
坂口さんは、我々も実際にお会いしたことがまだないんですけれども、私がドイツの園芸とか ガーデンみたいな、コミュニティガーデンみたいなのを調べている時に、坂口さんの書いた記事をオンライン上で見つけて
冒険広場とかの話ですよね。
そうですね、冒険広場とかの話です。それを見て、たどっていくうちに、坂口さんのサイトにたどり着いて、いろんな四国の物語だったり、
いろんな地域の物語が紡がれているサイトですごく興味を持ったので、アポイントを取らせていただき、今回ちょっとフォトキャストさせていただくことになりました。
はい、ということで、ちょっとひょんなことからでしたが、今日はありがとうございます。
こちらこそありがとうございます。
坂口さんのウェブサイトを初めて、拝見させていただいた時に、本当にいろんなことされているので、
そうですね。
食関係の良いそうな情報もあり、街づくりみたいな情報も、
漁船のお仕事もされているみたいなので、
いったいこの人は何者なんだろうって。
舞台美術までやってるぞという。
そこを物語っていう、結構チャーミングなワードでまとめているのがすごい素敵だなと思って。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
今どんなことをされているのかとか、ここに行かれるまで、ちょっとパーソナルエピソードみたいなところを簡単にご紹介いただけたらいいですか。
そうですね、グッドニュースフォーシティーズをお聴きの皆さん、こんにちは。
物語を届ける仕事という野望で、デザイナーの仕事をしている坂口優と申します。
お誕生日もおめでとうございます。
お話しいただいてから、この1週間ぐらいずっとこのラジオを聞いたんですけど、
結構普段、最近は都市計画とかランドスケープデザインの話をする機会がなかったんですけど、
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本当に久々にそういうワードを聞く機会が多くて、とても興味深く聞かせていただきました。
今の仕事を何しているかというと、デザインの仕事を、特に一時産業に関わる農産業村の風景を美しいものを伝えたりとか、
あとは漁師さんとか農家さんのブランディング、それから商品のパッケージのデザインとかを通じて、
一時産業を通じて美しい風景を日本に残していく活動をしています。
それ以外に、ビッグデータを扱う仕事を経済産業省の四国経済産業局というところでしていて、
実はですね、リーサスというウェブで地域分析ツールがありまして、無料で誰でもアクセスできるんですけど、
それの専門の分析機関をしています。
ビッグデータを使って客観的に、定性的定量的という話がラジオでされていたんですけど、まさに定量的なものを、定性的なものをですね、分析していくような仕事。
この実は四国に移住してから10年間ぐらいずっと定量的な現地に行って、四国各地、四国には100の自治体が、
96の基礎自治体と4つの県なので、100の自治体があるんですけど、そういう場所を一つ一つ回りながら農産漁村とか、瀬戸内海には離島が138都ありますので、
人が住んでいる友人とですね、その島に住んでいる若い人からお年寄りとか職人さんとか農家さんや漁師さんを取材して、
それを自分のウェブサイトで日本語や英語で発信するっていう仕事を自分のライフワークとしてやっています。
じゃあ今は四国にいらっしゃるっていう感じですかね。
そうですね。10年前に出身は神奈川県の茅ヶ崎市で、2010年に移住してきた感じですね。
それまでを見ていると結構いろんなことをされているなぁと思っているんですけど、バックグラウンドは建築とかランドスケープなんでしょうか。
はい。大学時代は日本の大学で慶応義塾大学の湘南藤沢キャンパスの間で、建築と都市計画、ランドスケープデザインの先生の元について、
このラジオでも私の大学の後輩で、路地裏でモデルウォークをしている男の子が同じ学部だったのでびっくりしたんですけど、
東京の路地裏で植物の鉢とか植物に写真に撮ったりとか、結構面白いインスタグラムをやられている。彼と同じ大学ですね。
大学の先生は石川みっ子さんという都市計画とかランドスケープの先生と、
あとバーンシゲルさんという紙を使った建築を作る先生の下で、ずっと建築と都市計画の勉強をずっとしてました。
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その後ロンドンに留学して、ロンドン大学の大学院で2年間建築学科で勉強して、
ヨーロッパのいろんな小さい町とか、美しい風景がどうやって残されているのかみたいな仕組みをリサーチとかしてましたね。
なるほど、なるほど。ロンドンのエピソードとかもすごい興味があるんですけど、印象的だったお話とか、今の活動につながっていることとかってありますか?
そうですね、もともとこういう活動している軸になっている言葉が、ハニーブリックって言葉が軸になっていて、これは直訳すると、
ハチミツ色のレンガっていう言葉なんですけど、私は中学生ぐらいの時に父親の仕事の関係で夏休みにたまたまイギリスに行くことがあって、
そこで湖水地方と呼ばれる美しい村があるような地域に、ピーターラビットの里とか、そういった小さな村に行った時に、
そこにいたおじいさんが、自分に中学生の、ほとんど私も英語はしゃべれなかったんですけど、その時にオード色のレンガのことをハニーブリックって言うんだっていうのをすごい嬉しそうに自分の村のことを自慢してくれたんですね。
それが中学生の僕にはすごく心に残っていて、ただのオード色のレンガをなんでこのおじさんはこんな嬉しそうに話すんだろうっていうのがすごく心に残っていて、
で、その後大学で都市計画とかで東京の研究をずっと、東京都市河川ですね、川の研究をしていて、渋谷とか日本橋の川の地下に暗渠になっている川があるんですけど、そういったものの研究をしていく中で、
自分は東京という町、今でも好きですし、とてもいろんなレイヤーがあって、歴史的なものを見てもいろんなものが積み重なっているのでとても好きなんだけど、今自分が都市計画としてここに関わっているこの風景を自分の子供とか孫に、これハニーブリックだぜって自慢できるような景色とか体験が、今の自分には大学の私の感性では見つけられなかったし、
これをもし新しく作り出すにしても、特に都市計画に関わる方たちってかなりご高齢な方が多かったりとか、成果が出るまでは都市計画ってすごい時間がかかるので、国の都市計画の学会だとかそういう場所に関わっている人たちも結構ご高齢な方が多かったりとか、すごい時間がかかる話ですよね。
その中で自分にとってのこのハニーブリックにあたるようなものが、大学時代に何にあたるんだろうなってずっともやもやしていて、それがやっぱり自分の中で見つけられなかったので、とりあえずロンドンに留学しようといって、観光ビザで最初は行って、大学も英語もたいしてしゃべれなかったんですけど、直接大学の校長のEメールアドレスを見つけて、
インターネットとか、まだ当時インターネットとかWi-Fiがあんま飛んでなかったので、適当にその辺のカフェに入ってインターネットをやって、校長のメールアドレスを見つけ出して、そこにメールして、大学に入りたいんだけど、ロンドン大学って言ってみれば東大ぐらいの英語のレベルも結構必要なとこなんですけど、
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私はたいして英語をしゃべれなかったんだけど、とりあえず会ってくれって言って、会ったら、もう会えばこっちのもんだと思って、ポートフォリオでとりあえず見せながら説明すれば説明できるんで、今までこんなことやってきたとかっていうのを見せたら、お前英語の点数全然足りてないけど、とりあえず面白いから入っていいよって言われて、
入りながら語学学校で勉強しながら、大学生活をするみたいにして、その間結構いろいろ時間もできたので、ヨーロッパのいろんな小さい村とかを回りながら、なんでこう当たり前のように美しい風景とか歴史的な建造物を保存する活動が残っていて、
それが日本だとなかなかその話が、一般の人たちには通用しなかったりする部分とか、価値観の相違がやっぱ、今度経済成長以降なのかな、多分前回の東京オリンピック以降ぐらいからあんまり通じない部分があって、その差はどのところから出てくるのかなみたいなことを感じながらずっと勉強して、
日本に帰ってきてたまたま四国に移住する機会があって、自分のライフワークとしてこのハニーブリックを見つける仕事をしたいと思って、4年間国家公務員をその後四国でするんですけど、そこで国家公務員しながら空いた時間を四国のいろんな農産漁村を巡ったりとか、
瀬戸内海の友人と138島を巡りながら美しい風景を見つけたら、何かそれを恩返しではないですけど、ありがとうございましたが綺麗ですねっていう発信はできるなと思って、そのハニーブリックを探す自分の旅をしながらそれを仕事にできたらいいなと思って、情報発信する活動をずっとしてたという感じですね。
なるほど。
その部分にすごく共感するなと思って聞いていたのと、なんかやっぱその価値観のところを揺さぶりたいみたいな思いがあるからこそ、その物語で言葉やイメージを届けているのかなみたいなことをちょっと今聞いてて思いました。
ありがとうございます。
そうですね。
設計とかではなくその物語みたいなところに行き着いたところもちょっと聞いてみたいなと思いました。
12:01
物語を届ける仕事っていうネーミングを考えたきっかけは、自分の仕事がデザイナーだってずっと思ってはいるんですけど、そのデザイナーとかクリエイターという言葉もあると思うんですね。
自分の中ではクリエイターという言葉が僕自身にあんまりしっくりこなくて、今までやってきたいろんな仕事って何かゼロから1を生み出す仕事というよりは、特に農家さんとかと出会うと命をゼロから作って産むとか、それから女の人が赤ちゃんを産んでゼロから1を生み出すみたいなことに対して、
自分のデザインという仕事はどっちかというと発見したりとか、身の回りにある魅力を見つけ出してそれをただ届けているだけなんだり、要は配達譜みたいに右から左に届けたり、それを窓を作って綺麗な木があればそこに窓を作って、1本の木を綺麗に見えるための建築を作るみたいなことなんですけど、
自分は多分やっている仕事っていうのは、発見してそれを届けることがデザイナーとしてやりたいことだなと思って、何かいい言葉ないかなと思ったときに物語、美しいものの背景には必ずそれが風景であり、プロダクトであり、グラフィックデザインであり、それが写真1枚でも美しいものは必ずその背景に物語があると思っていて、
それを届ける仕事をデザイナーとしてやりたいなと思って、物語を届ける仕事という名前を考えたという感じですね。
なんか物語ってすごいパワフルというか力があるなと思っていて、綺麗なものって世の中にたくさんあるので、それを見るだけだったら綺麗だな、これはこうなんだなみたいな感じで終わってしまうと思うんですけど、そこに物語が作り加えられると、一つとして同じ物語はないというか、
景色であったりとか、ハニーブリックのエピソードもそうですけど、そのおじさんがどんな表情で語ったのかとか、そのハニーブリックの色がなんでそれになったのかとか、どんな建物に使われているのかとか、なんかエピソードは一つとして何も同じところはないなと思っていて、世界中で。
その物語に注目したっていうのは、坂口さんのすごいところかなと思いました。
ありがとうございます。
そうですね、言葉の力って本当にすごいですよね。
はい、どうぞ。
ちなみに四国を今、結構何年間かベースとされていると思うんですけど、その中で一番印象に残った物語みたいなものがあれば聞きたいなと思ったんですが、どうでしょうか。
そうですね、農家さんとかいろんな方たちに取材すると、やっぱり人それぞれ最後は家族の風景みたいに出会うことがあって、最初は私はランドスケープが好きで、その農作物を作っている風景とか、漁師さんが働いている現場の海の景色とかに最初は感動するんですけど、お話聞いていくと、どの農家さんも最後は家族の風景に行き着くんですよね。
15:13
すごい印象的だったのが、例えばお醤油屋さん、小島って3万人ぐらいの香川県から高松港から1時間ぐらいで行く割と大きい島があるんですけど、そこが日本で一番醤油の清家が密集している地域があるんですね。
そこが必要の里と呼ばれていて、そこにいる山禄醤油さんという清家でずっと戦前代ぐらいからずっと前から清家でずっとお醤油を作っている方を取材したときにお話を聞いたんですけど、清家の状況自体が、もう日本でその大清家で清家を作れる職人さんが、私が取材した当時、大阪にいるウッドワークさんという会社の3人、
60歳以上の3人の親方しかもう作れなくて、もうそれ以外の方は作る技術がないんですって。で、この3人の方がもう辞めてしまうと清家が日本からなくなってしまうと。清家の寿命は大体150年ぐらい持つんで、でも自分たちの世代ぐらいまではお醤油作れるけど清家で。
だけど、自分の子供とか孫の時代になった時に、もう清家誰も作れないよねって話になるってことに気が付いて、で、もう自らその技術を清家でお醤油を作る技術、清家を作る技術を大阪に修行に行って、島の大工さんと学びに行って、島にその技術を持ってきて、自分たちで杉の木からタガを編んで清家を作れるようになったんですね。
タガっていって竹を編んで、十何メートルの竹を編んで清家を作るんですけど、それの技術がすごい難しいのもあるんですけど、長い竹っていうのが取ってきても船で運んだり、道路交通、そもそも車に乗っけると道路交通法に引っかかるし、曲げてぐるぐるにして運んでも破損してうまく運ぶことができなくて、
これの材料はなかなか手に入りづらくて、それもしかも真竹じゃないとダメで、もう装置来ちゃダメなんですね。それがどうしようかなというふうに暗証に乗り上げて、材料をどうやって調達するかっていうのをコストと見合わないと仕事としてできないのでどうしようかなと思ったときに、
地元の人に相談したら、お前のじいさんが山の裏に真竹を植えとったぞっていう話を聞いて、どうやらじいさんは自分の孫がいつかその真竹を植えとけば役に立つだろうって言って、当たり前のようにそれをやってたんですよね。
お醤油屋さんがその話を聞いたときに涙が出るぐらい嬉しかったみたいで、話があったおかげで今清家を自分たちで組めるようになったんですけど、もう今醤油業も忙しいのにそれに加えて全国から、実は戦後にこういう清家の発注ってずっと日本ではほとんどなかったんですけど、
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いろんな発酵醸造、実は醤油だけの話じゃなくて醤油みりんとか日本酒とか味噌とかの発酵醸造全部がこの清家で作らなきゃいけないので、この清家作る人がいなくなったら日本から天然の発酵調味料が全部なくなるわけですよ。
全部タンクで温度を管理した、工場で作ったものしか、規格を統一したものしか作れなくなって、その多様性が失われちゃう中で、この山禄さんはその技術を覚えて、偶然そのおじいさんが真竹を植えてたことでそのパトンがつながっていって、
取材していたときにこの取材した山禄さんの子どもたちが、6月ぐらいだったんですけど清家からプチプチと発酵する泡の音がしてるんですけど、それを子どもたちがしゃがみながら音を聞いてたりするんですよね。
それを見たときに、おじいさんから父親から息子とさらにその下の世代の子たちにうまくパトンが渡されている瞬間みたいなのを見て、それは本当に美しい光景というか、そうやってパトンが渡されていくことがすごく大事なんだなと思って、それは本当に感動して。
同時にやっぱりいろいろ取材していくと、そういったものがパトンを渡されずに消えていく瞬間っていうのをやっぱり目に見ることもいっぱいあるんですよね。
なので、それをお手伝いできるような仕事とか、それを記録していく仕事を自分の中でする必要はあるなと思って活動してますね。
なるほど、今なんか壮絶なドキュメンタリーを一本見たような気持ちになる。
イメージが立ち上がってきて。
面白いですね、やっぱり。
なんか私の好きなアメリカのポッドキャストなんですけど、99%見えないっていう名前のデザイン系のポッドキャストで、私たちの目に見えているのは本当に1%だけで、例えば醤油だったら私たちが日々消費する醤油しか見えていなくて、その背後にどんな物語があったりとか、どんな奇跡をたどってここに来ているのかみたいな、
99%が見えないみたいなところを深掘って伝えていくって仕事なんですけど、やっぱりそういう見えないものを深掘って、先ほど美しい木があったらそこに綺麗に見える窓をつけてあげてとか、配達をしてあげてみたいなちょっとアナロジー使われて、すごいぴったりだなと思ったんですけど、
そういった伝えるってだけで言ったらちょっと、あんまり伝わらないんですけど、それこそ窓を作ってあげるみたいな、そういう仕事って本当に大切なんだなっていうのは、窓さんお話していると思いますね。なんか涙が出てきそうになって。
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意外と多分身の周りにそういうものにあふれているはずなんですけど、特に地元の人たちは長年見慣れちゃってて、それがすごいってことに気がつかないので、私みたいなよさ者が、私移住してきたときは誰も四国とか瀬戸内に知り合いがいない状態でアイターンで来ているので、やっぱり目に映るすべてのものが感動するわけですよね。
地元の人にとって当たり前が、よさ者にはすごい感動するシーンがいっぱいあるので、そういうものに出会ったときに素直にこれすごいですねっていうことを発信するっていうだけでもすごい意味があることだなというふうに思いますね。
たぶん今は四国を中心にやられていると思うんですけど、ある意味諦めた東京みたいなものの中にそういった風景を今の坂口さんなら発見できますかっていうのをちょっと聞いてみたかったです。
東京は東京ですごい楽しいんですよ。このラジオを聞いてたときにすごい思ったのは、都市のイメージのワークショップされたときに渋谷のあたりが匂うよねって話をしてたじゃないですか。覚えてますかね。
あの話聞いたときにまさに僕渋谷川の調査をずっとしてたんで、渋谷って文字通り谷で赤坂が坂で青山が山になっているように東京ってほんと地形が豊かじゃないですか。渋谷が匂うのはなぜかって言ったらそこに下に川があるからなんですよね。
歩いていると川の匂い、川その水の匂いが結構する場所があって、そういう匂いをたどっているときに僕は結構一人でこう普通の人なら臭い匂いがしてきたら嫌だなと思うんだけど、僕は川があるってちょっとニヤリとするところがあるじゃない、フィールドワークしていると本当にこう足元に普段見えてないけど面白いものっていっぱいあるんで、そういう意味では東京は面白いって面白いんですよね。
その中にどう自然との距離を取るとか、そういった部分ですかね、人が密集して人との距離感で満員電車がやっぱり辛くなってくるみたいなのはやっぱりあって、そこだけが難しいなと思うところですよね。楽しむことはいくらでもできるし、それからアートとかデザインやっぱり最先端なものが集まるので、行くたびにやっぱり美術館、大学時代も本当に東京でやっている展覧会とか、
全部見たんじゃないかってぐらいうろうろしてて、それがやっぱり四国、こっちに移住してきてから逆にそういうものにはほとんど、那覇島とかアートのいろんなイベントとかはいっぱいあるんですけど、やっぱり東京に触れて触れられているような最先端なものとかはあまりなくて、その辺のバランスはお互いないものねだりなんですけど、あるのかなと。
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だから別にどっちか都市と地方を選択する必要はなくて、別にお互いに特徴、いいところをいいとこ取りしながら暮らしていくみたいなことは今の時代、別に人がどこに住もうが、籍書があるわけでもないし、どこに住んでても別に日本語が通じるんで、
東京は東京でいいところと悪いところはあるし、地方は地方でいいところ悪いところあるので、そこをうまくすみ分けながら住むのは大事なのかなというふうに思いますね。
なるほど、都会と地方と別に選択しなくてもいいってお話だったんですけど、その2つがどっちのいいところも合体したような理想郷ってないのかなって、すごい私はわがままに考えてしまって、
私は都市デザインとか勉強してきたので、やっぱり都市が好きだし、諦めたくない、東京とかも諦めたくないっていう気持ちがあるんですけど、一方で今私拠点京都に家があるんですけど、京都は自然と都会がいい具合にマッチングされていて、
農業もあり、山もあり、ちょっと電車で乗って大原に行ったりとかもできるみたいな、理想な状態みたいなのをちょっと見ている気がして、そういう場所が日本でも他にも絶対たくさんあると思うんですけど、
坂口さんにとっては理想のマッチング状態というか、そういう場所がここいいかもみたいな。
そのまさに何回目かの話で、キャロリン・スティールさんのサイトピアの話をおっしゃったじゃないですか。あの話を聞いたときに、やっぱりすごいよくわかるなと思ったのは、その食の場として都市を捉えたときに、都市の中に最後の本のテッドのプレゼンとかで、都市と食べ物を作っている風景とか、モザイク状に入り混ざっているみたいなのを示していたと思うんですけど、
ああいうことは多分今後都市計画の中で可能になってくるだろうし、もともとで言えばその田園都市的な話、エヴェネザーハワードの田園都市みたいな線引きをして、中心部とその外郭みたいに分け方をしていたんだけど、そこがもうちょっと混ざっていくような、
例えば中心市街地とか空き家になったような場所とかを、空き地になった場所を農地として使っていくみたいな、それが新しいスマート農業みたいなものを取り入れたら、多分そういったものが小規模でもそれなりに利益を出しながら、しかもそれを収穫とかを例えば、
何でしたっけ、ウーバーイーツみたいに、ウーバーイーツの配達員が自分で収穫して取って屋台を届けるみたいなことが多分起こり得るんだろうな、当たり前にそれができるように、それがさらに言うと人間じゃなくておそらくドローンとか機械が配達するみたいなことにはなってくるのかもしれないですけど、
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都市と農村とか都市と地方みたいな部分が線引きして、郊外と都市みたいなものが線引きしてなるというよりかは、スポンジ状になっていく中心部の間を越えるように、そういう植物風景とか自然風景が回帰していくみたいなことは多分起こり得るんだろうなというふうには思いますね。
私の父親の実家が京都なんですよ。京都の嵐山で、そこの実家の近くも本当に10分ぐらいすれば有名な都月橋の観光地、人がいっぱいいるところですけど、その裏側に行くともうほんと風知地区で、田んぼと山しかないみたいな風景も、そこにやっぱり子供の頃から行ってたことが自分の原風景の一つにもなっていて、
四国に移住してきてからも、それはすごい感じるのは、高松も今私が住んでいるのは中心部ではなくて、そこから30分自転車で行ったところで半分自然、半分都会ぐらいの感じで、自転車で30分ぐらいの範囲の中に、家の目の前田んぼですし、
その中でちょっと行ったらスーパーもコンビニも、洋服買うところもあって、でも30分以内に海もあるし山もあるしみたいな感じで、割といいところを撮りできるような環境にいるので、すごい居心地はいいですね。
いやでもまさにそうですね、そういう地方の部分と都市の部分がもうちょっとマージしていくっていうの、今後もっと進んでいきそうだし、そのテクノロジーの部分でも全部を全部テクノロジーに導入すりゃいいってもんではなくて、多分その地域に必要な機能だったり、その風景を壊さない程度の何か技術みたいなものがあるんだろうなと思ってました。
あとあれだね、私たちが今いるアムステルダム本当に自転車で市内というか、全部回れる距離にあるっていうのと、本当に30分ぐらい車を走らせると海だったり砂丘みたいなところにたどり着いたり、やっぱその都市としての自然とのバランスとか生活のいろいろな満たされたい機能みたいなものが結構バランスよく計画されているのがあるなっていうような感じがするよね。
いいですね。
その辺を結構意識的に計画の中に織り込むみたいな、やっぱりヨーロッパは長年ずっとやってるから得意な部分で、なかなか日本で、私住んでるところも高松市の総合計画の審議会の委員とかも、委員の中では一番年齢が若かったりするんですけど、
そういうのに参加してたりとかしてても、やっぱりそういった話が、実は高松って2004年に線引き制度が廃止した日本でも結構稀な事例としてあって、それが都市計画の話とかでは結構失敗事例として語られることが多いんですよ。
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線引き制度を廃止したがために、やっぱり都市がスプロール化していって拡張していって、それまで農村地域だった場所にまで住宅化されていたり、私が今住んでるエリアも、やっぱり田畑がどんどん駐車場やマンションとかアパートに変わっていっているみたいな現象はあって、
そこはちゃんと都市計画をしていく人間がある程度手綱を引いて、何のプランを描くかみたいなことが、日本の特に地方都市はそれが全然足りないなと思っていて、高松市はコンパクトシティとか電営都市構想というのを結構打ち出して言葉としては残っているんですけど、
じゃあ具体的にどういう方策でするのとか、線引き制度を廃止した以降、それが失敗してしまったって言われていることに対して、どうやってコンパクトシティに実現するのみたいなことは漠然と言葉とかではいっぱい書いてあるんですけど、具体的にそれどうするのみたいなところがまだまだこれから課題なのかなというのは思いますね。
そうですね。そろそろ30分なのでまとめに入っていきたいなと思うんですけど、これからどんな活動をされたいと、将来的なビジョンみたいなところがもしあれば、野望みたいなところがあれば教えていただきたいなと思います。
何かさっきバトン渡すって話をしょうゆぐらの話したじゃないですか。同時にやっぱりバトンが渡されずに消えていく物語がいっぱいあることに気がついて、なんか取材して四国に来てからこの10年間、毎年のようにこれから寒くなっていく時期とか真夏の暑い時期にお年寄りが亡くなってお葬式に行くんですよね。
お葬式に行くたびにやっぱりもっと話聞いとけばよかったなみたいなこといっぱいあって、おじいちゃんが持ってた縄の編む技術とか、結構特殊な籠を作る技術を持てたりとか、おばあちゃんのレシピみたいなのとか、あるいは田んぼでやってた田植えの時の儀式がその地域でそのおばあちゃんしかもその田植えの儀式をしてなくて、息子さんに同じ質問をその儀式の話をしたら、いや知らんでみたいなこと言われて。
で、そのおばあちゃん去年か一昨年ぐらい亡くなってしまって、あるいは祭りとかでも祭り太鼓の林、祭林のリズムが復活させたいんだけど、その記録が残ってないからリズムがわかんないみたいなこと言われたりとか、なんかこう取材していくとやっぱ消えていってバトンが自分のおばあちゃんが持ってたものだったら、それを子供の世代に、特に団塊の世代の方が結構大学生になると、
タイミングで地方を離れて東京とか大阪に出て、そのまま向こうで就職して帰ってこなかったパターンだと、僕らにとってのおばあちゃんぐらいの世代が持っている、そういうおじいちゃんおばあちゃんの生きる知恵ですよねっていうのが、自分の子供の世代、僕らの父親世代、父親母親世代ぐらいにちゃんとバトンが渡ってなかったりするので、その孫の世代が今こうやって地方回帰で戻ってくるタイミングで、
33:21
結構そういうのに惹かれて興味を持つ人たちがいっぱいいるので、もう多分ここリーサスでビッグデータで見ると2045年ぐらいには地方都市ってほとんどおばあちゃんの街になるぐらい、90歳以上のおばあちゃんの人口がすごい多いんですよ。
女性の時代が多いってことなんですね。
そうですね。だからもうあとここ10年以内ぐらいには、このおじいちゃんおばあちゃんのいろんな持っている物語とか、生きるための知恵とかをちゃんとアーカイブしたりとか、それを次の世代に伝えるってことを自分のライフワークにしていかないと、
それがさらに先の僕らの子供とか孫の世代になった時に何も受け継がなかったよねとか、そういうことになってしまうかなと思って、野望としてはそういったことを今10年とか15年ぐらいが結構勝負だなと思って、そういった話をなるべく聞いていきたいなというふうに思ってます。
やっぱりそういう話って日本全国だったり世界で起こっているなぁと思っていて、それがもっと地域で当たり前にできるようにならないのかなと思ってて、例えば行政だったりが全域の中でアーカイブみたいなものをやる、きちんとデータじゃないですか、地域の資産としてのデータだと思うので、
そういうものをちゃんと仕組みとして回していくみたいなことが全国とかでできないのかなと思うんですけど、そういう部分っていうのはなかなか難しいんですかね、行政だったりとかが。
自治体によっては集落調査員みたいなシステムがあって、そういったお年寄りの話とかを聞くっていう仕組みはあるんですけど、やっぱりマリコさんとかユカコさんみたいな編集者とかライターとかの視点ってやっぱりすごい大事じゃないですか、同じ言葉を聞いてもどう編集するかとか、どこを面白いと思うかによってだいぶ言葉の見え方って変わってくるので、
なんか純粋にレコーダーとって聞き取ることももちろん大事なんだけど、それをちゃんとある程度編集して聞きやすくするとかっていう作業も同時にしていくので、そういった現場に都会じゃなくて地方にこそ編集者とかライターさんとか、自分で聞きながら編集できる人たちっていうのはすごい求められている職能だなというふうに思いますね。
そういう人たちは今どんどん増えてきているので、なんか希望が持てそうな感じだなと思いました。
そうですね。コロナのおかげで割とどこに住んでも仕事ができるっていう人がようやく東京にいなくても、まるで東京と二拠点だったり多拠点をしながら地方に関わるってことを改めて考え直す機会が結構相談を受けたりとか、この間も高松市長と一緒に移住のイベントをオンラインでやったんですけど、その時も来ているオンラインで参加した日本全国の若い人たちは男女ともにこのコロナ禍で家にいる機会があって、
36:25
改めて働き方とか暮らし方を考え直す。そういった時に東京にいながら高松市に関わるとか、あるいは東京、家を引き払って高松でオンラインの仕事をするみたいなことができないかなと考えているみたいな人が結構いらっしゃいましたね。
なるほど。面白い。
なんかでもこれからもそういう地方と都市の動きみたいなのも結構変わっていきそうな感じがするので、なんか引き続きそこら辺のお話を交換していけたらと思いました。
はい、ぜひぜひ。
第2弾とかやりたいなと思いました。
ぜひぜひ。もうなんかラジオ聞いてたら、本当に久々に都市とかランドスケープの言葉を聞いて、僕もアーバニストなのかわからないですけど、その都市とか風景とかにもかかわる言葉がすごい好きで、
大学時代にいっぱいそういう言葉に触れてたんだけど、なかなか地方に来るとそういう仕事の人がほとんどいないので、なんか久々にラジオ聞きながら結構ワクワクして聞けたんで、ぜひまた何かの機会があれば情報交換していただくように思います。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
今後もこの番組では、都市をテーマに様々なおしゃべりを繰り広げる予定です。
次回もお楽しみに。
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