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2022-04-15 44:05

【#75】坂本大三郎さんに聞く「山伏」の世界

こんにちは、Good News for Citiesのゆかこです。

みなさん「山伏」って知っていますか?

今回は、先日行ってきた岐阜県・郡上市の「源流遊行旅」をご一緒した、「山伏」の坂本大三郎さんと山伏の世界についてお話ししてきます。

東京のど真ん中で現代アートの世界にいた大三郎さん。その後、ある修行をきっかけに「山伏」という存在に魅了され、山形に移住し山伏として生活を築いています。山伏として生きるとはどういうことなのか?これまでの役割と現代での役割など、その世界について深ぼっていきます。

目次👀

  • 山伏になったきっかけについて
  • 東京の現代アートの世界から山形の山伏へ
  • 移動と山伏 - 関所はフリーパス!?
  • 芸能と深く関わっていた山伏
  • 山伏の修行は「掟」で秘密
  • 「よそ者」としての振る舞い
  • なくなったものと向き合い未来を考える
  • 「人が触ってあたたかくなった自然」を求めて旅をする
  • 今の大三郎さんなら、渋谷に何作る?
  • 文化との断絶がない「日本」?

⚫︎ゲストについて

坂本大三郎/山伏

千葉県生まれ。自然と人の関わりの中で生まれた芸術や芸能の発生、民間信仰、生活技術に関心を持ち東北を拠点に活動している。著書に『山伏と僕』(リトルモア・2012)、『山伏ノート』(技術評論社・2013)、『山の神々 』(株式会社 エイアンドエフ・2019)等。芸術家として、山形ビエンナーレ(2014、2016)、瀬戸内国際芸術祭(2016)、札幌モエレ沼公園ガラスのピラミッドギャラリー『ホーリーマウンテンズ展』(2016)、石巻リボーンアート・フェス(2020、2021)、奥大和MINDTRAIL(2021)等に参加。

Instagram
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⚫︎お話し中に触れたもの/大三郎さんの記事や書籍

柳田國男「先祖の話」
https://amzn.to/3M5Fs4z

宮本常一
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大三郎さんの書籍
https://amzn.to/37LMbBT

大三郎さんについての記事
https://crea.bunshun.jp/articles/-/34116
https://yamap.com/magazine/author/26050

「もしここで暮らしたら」
https://www.hinagata-mag.com/auther/daizaburo

山形ビエンナーレのコンセプトムービー
https://youtu.be/1WMLRlFu11Y

00:12
こんにちは、Good News for Citiesのゆか子です。
この間、愚上の話をちょっとしたと思うんですけど、
その時に一緒に旅をしていた、山伏の坂本大三郎さんということを今日はお呼びして、
ちょっとその旅では話せなかった、大三郎さんのちょっと個人的なストーリーとか、
山伏って私初めてその時お会いしたんですけれども、
山伏ってどういう職業というか、どういう役割なんだろうみたいなところも話していければと思います。
今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
先日はありがとうございました。
いえいえ、こちらこそ。
旅はどうでしたか?
旅は、まず一番に思い出としてあるのは寒かった。
いや、初日、めっちゃ寒かったですよね。
雨も降ってて。
最後も寒かったですよね。
最後は寒かった。
最後何気に1時間ぐらい外いたんじゃないですか、あれ。
最後ね、みんなで振り返りみたいなものをね、ちょっと屋外でね、やったんですよね。
で、サウナーをね、した後だったから。
みんなめっちゃ冷えたっていう。
でも良かったですね。
でも西田博さん、今山形にいらっしゃるっていうところで行くと、環境としては結構違うんですか、岐阜も。
そうですね、似てるところも結構あるんですけど、やっぱ山間部っていう、今僕が住んでるのも、ガッサンっていう標高1984mの山のふもとに住んでて、
山深いところの下にできている町みたいな、そういうところに住んでるんで。
じゃあそんなに大きくないんですか、今住まれてるところ。
そうですね、人口も5000人ぐらいで。
それぐらいなんだ。
なるほどなるほど。じゃあちょっとね、山節っていうパンチラインがすごいので、その前にちょっとこうダイダブロさんがこれまでどういう道のりを歩んでて、どういうきっかけで山節になったかみたいなところをお話聞きたいなと思うんですけど、
山節になる前はどんなことをされてたんですか。
山節になる前は東京でふらふらしてたっていう、そういう感じなんですけど、もともと10代の終わりぐらいから現代美術のギャラリーで出入りしてて、
そのままスタッフになっていろいろ展覧会を作ったりとか、
03:05
そういうようなことをしていたんですけど、そこでいろんなクリエイティブに関わっている人たちと出会いがあって、
イラストを描いたりとか、デザインしたりとか、いろんなそういう仕事をしつつ、
で、なんだろうな、本当フリーター、半ばフリーターというか、
だらだらと生きていたなって感じがする。
でも、東京は結構都市部に住んでたんですよね。
そうですね、渋谷、恵比寿、広尾とかその辺に住んでいて、
その辺を、なんだろうな、本当、都会って感じ。
初めてだらだらさんに会った時、山節の出立ちで現れたんで、
現地の方来たと思って見てたら、東京にいたんですよって話してたので、
そのギャップが結構面白いなと思って、
なんで東京からわざわざ移住したのかなっていうのと、
現代アートの世界とかクリエイティブの世界と山節っていう存在の繋がりみたいなところ、
なんだったのかなみたいなのが気になりました。
もともと子供の頃から前足を持ってたりして、病気がちだったんです。
家でずっと絵を描いたりしてるような子供だったんですけど、
そういう自分がずっと好きだった絵を描くこととかって、
人間ってなんでこんなことしてるんだろうってあるときふと思うんですよ。
絵を描くとなんで楽しいんだろうって。
そういう現代美術のギャラリーのスタッフをしたり、
ちょうどそのギャラリーの運営というか企画とかに村上隆さんとかも関わってたりして、
割と90年代とか2000年、ゼロ年代のちょっと尖がった感じの場所にいたんですけどね。
そういういろんな新しいものを見ているときに、
日本のものづくりとか芸術とか芸能の原点というか、
こういうものってどこから生まれてきたんだろうという疑問をすごく抱くようになっていて、
山節の文化に出会ったというか、
06:02
そういうのは本当偶然というか、
山形にまだ山節っていう人たちがいて、
夏に誰でも参加できる修行があるらしいという話を聞いて、
そんなオープンな修行だ。
好奇心で参加してみたら、なんか面白い文化だなと思って、
東京に帰ってからいろいろ山節のことを調べてみると、
山節っていう存在が日本の芸術とか芸能の発生とか発展にすごく関わりがある人たちだったということがわかってきて、
これ自分が知りたいと思ってたことと関わりがある人たちなんだなと思って、
それで、もっといろんなことを知りたいなと思って、
いろいろやってるうちに15、6年経った。
もうそんなに経ったんですね。
うん。
なるほど。
じゃあちょっと山節ってそもそもっていう、
ちょっと仙人のようなイメージがあったりとか、
多分山節って言われて、山節の定義はこれこれこういうものですって、
なかなか一般の人は言えないのかなと思うんですけど、
大沢さん的に山節ってどういうものとして今考えていらっしゃいますか。
なんか山節っていろんな側面があって、
山の中で修行してる人っていうのが多分多くの人がイメージすることだと思うんですね。
でも、実は山と里をつなぐ人たちでもあって、
夏とかに町から山に人を連れてって山を参拝させて、
でまた送り返してくるとか、そういうようなことをしていたりとか、
あとはその山っていろんな薬草だとか食べ物だとかいろんなのが取れる場所でもあるんで、
そういうとこで取れたものを町の人に提供したりとか、
あとはその山節って昔石床をフリーパスで通れたんですよ。
だからいろんな物流、物の流通に関わってたりとか、
情報を伝える人たちだったりとか、そういう役割も持っていて、
だからいろいろな、
当時の知識人みたいな、そういう側面もある。
例えば戦国時代とかにそういう存在を利用しようとすると、山節が忍者みたいなことをしたりとか、
09:02
ちょっとスパイ的な。
そうですね。
基本的に山節は移動していくものなんですか?
移動する性格をすごい強く持ってますね。
どこかに定住して修行を続けるっていうよりかは、
いろんな場所に出向いて行って、そこで修行したり、教えを問うたりとかなんですか?
基本的に、例えば出羽山山とか、拠点にする山があることはあるんですけど、
そこを拠点にしていろいろ各地を回っていったりとか、
あるいは本当に拠点を持たずに、ずっと功労をするような人たちもいたと思うんですけど、
面白い、でも。
いずれにしても移動性を持っていた。
そこで、そういった山の知識だったりとか、山への案内みたいなものをしてた人っていうことなんですかね?
大体そういう側面、そういうふうに考えてもらっても間違いではないと思います。
さっき言ってた、芸能みたいなところとの結びつきはどういう部分にあるんですか?
そうですね。山節って昔、ひじりって呼ばれてたんです。
ひじり。
ひじりっていうのは、お日様の日。
日曜日のお日様、太陽の日と、あと物知りの知り。
で、日を知っているっていう意味のひじり。
で、せいっていう字は後についた漢字なんですけど、
元々のひじりっていうのは、小読みを知っているとか、天体の運行に詳しいっていうような意味合いがあって、
共同体の中で農業みたいなのをやっているときって、いつ種をまくとか、いつ収穫をするとかってすごく大事じゃないですか。
そういうのを取り決めたりする人たちだったんですね。
で、そういうときって必ずお祭りが伴うんですよ。
だから、お祭りを担う人たちでもあって、
お祭りするときってみんな踊ったりするじゃないですか。
だから、芸能とすごく関わりが深い人たちだったっていうのが、そこが原点なんですけど。
12:01
もっといろいろ詳しい話もあるんですけど、それを話していると結構時間がかかる。
なるほどね。じゃあ、そういった豊作祈願の祭りとか、そういうものをある種、企画してコーディネートしてるみたいな人たちだったってことですね。
そうですね。
今回はこういうダンスしたほうがいいんじゃない?とかも聞いてたんですかね。
そうだと思います。今でもそういうムラムラで、今年はあの演目をやったほうがいいんじゃないかみたいな話ってあるじゃないですか。
そういうのをやってた。
そういうのをやってた。
でも、そういうふうに考えると、結構山節って短かというかね、もうちょっと近い存在に感じますね。
ずっと山にこもってるっていうよりかは。
昔は本当に、江戸時代まで、町っていうか村、共同体の中に1人は山節がいたっていうふうに言われて。
えー面白い。いつからそこが遠くなったんだろう?
明治時代に禁止されてるんですよ。
それは政府によってってことですか?
政府によって。だから国家新党っていうものを作ったじゃないですか。
で、その時にやっぱ山節っていろんな文化をごちゃごちゃに混ぜ合わせて、それをこう、何ていうかな、町の人とかいろんな人たちに教える、伝える人たちだったんで、
国家新党を作って、国を治めたいと思った人たちにとっては、ちょっと邪魔っていうか、余計なことをするんじゃねーみたいな。
いろんな選択肢だったり、文化を教えられては困るみたいなことでってことですね。
そうですね。
えーそうなんだ。
じゃあそこで一気にこう、廃れたというか、数が減ったっていうのがあった?
そうですね。だからその時に山節やってた人たちが、山節って名乗れなくなったんで、
例えば薬屋になったりとか、バス会社やりますとか、旅行会社になりますとか、
ツアー系の?
旅館経営者、そうそうそう。
それはそれで面白いですね、なんか。現代ナイズとしているというか。
そうそう。古いお医者さんの家系とか、昔は先祖山節だったんですけど、結構多いです。
あーそうなんですね、面白い。
じゃあ次にちょっと山節のその修行みたいなものについて聞きたいなと思うんですけど、
修行として大沢さんはどういうことをやられているんですか?
15:00
そう、修行の話を聞かれるんですけど、おきてで語っちゃいけないことなんです。
いや、まじですか?
そうなんですよ。
なるほど、じゃあそれはなんかこう、飲食店の秘伝のたれ、秘密だよみたいなのをノリで話せないってことなんですね。
そうなんです。
面白い、それはじゃあおきてなんだ。
なんでそのおきてができたんだろう。
でも独自のやっぱこう修行方法が重要であるっていう文化なんですかね。
そうですね、やっぱりあの句伝って、口だけ口で伝える、文章に残さないと。
そういうのがすごく強い文化なんで。
あーそうなんですね、なるほど。
でもそういう意味でいくと、口立てだった場合ってなかなか残りづらいじゃないですか。
例えば今後山節が減ってった場合に、山節のそれはどうやって残っていくんですかね。
まあ、完全にいなくなるってことはないと思うんですけど、
ただやっぱり明治の時に山節が禁止されて、ものすごくいろんなものがなくなってるんですよ。
それからずっと150年とか経って、その間にもやっぱりすごくたくさんのものがなくなってるんで。
だからもう今まさにいろんなものがなくなってるっていう。
だからそれを山節のことだけじゃなくて、山間部にいろんな貴重な文化が残ってるんで、
そういうのをできるだけ覚え残していくようなことをしたいなとも思ってるんですけど、なかなかハードルが高い。
みんな秘密にされてるとね、こちらもお隣さんの事情がわからないですもんね。
ちなみにダイザブロさんみたいに全然違う職業をしてたんだけど、山節に転校したみたいな方もいらっしゃるんですか?
山節って何かをやりながら山節っていうあり方が、ずっとそれが山節だよねみたいな、そういう文化なんですよ。
副業というか、いくつかの顔を持っているのが山節っていうことか。
はい、だから今も例えば学校の先生やりながら山節とか、会社経営しながら山節とか、そういう人はたくさんいるんですけど、それはもうほんと昔からそうなんです。
18:02
山節サミットとか、山節コミュニティとかってあるんですか?
山節コミュニティはありますね。
あるんですか、じゃあ一応山節の人の顔が見えたり、つながりはあるってことなんですね。
そうですね、昔はほんとに何かどこかで事件があると、それを日本中に伝えるのは山節の役割だったりしていたんで。
メディアみたいな役割だったんだ。
面白い。
めっちゃ結構そう考えると重要な役割というか。
そうですね、日本の歴史というか、教科書に載るような大文字の歴史じゃなくて、
もうちょっとごちゃごちゃした民間の中で起こっているようなことはすごく関わりがある人たちだと。
ありがとうございます。
今日もう一個聞きたいなと思ってたのが、
私たちもグッドニュースフォアシティとして、
よそ者としての都市という活動をしていて、
毎年どこか知らない都市に行って、そこにお気にあげをしていこうという形でリサーチをしたり、
知らない都市に近づこうとしているんですけど、
山節もそういった特徴があるというところで、
ダイザブロさんが考える、よそ者としてどこかの知らない場所に行くときの、
その場所との近づき方とか振る舞いとか、
そういうところで意識していることとか、考えていることがあれば聞いてみたいです。
はい、そうですね。
よそ者というキーワードが、
僕自身すごく自分の人生を通していつも考えてきたことなんですけど、
僕もやっぱり千葉出身で、
どこに行ってもやっぱりよそ者なんです。
山形にいて15年関わっていてもやっぱり、
地元の人からすれば、
よそ者にしか思ってもらえないところもある。
山節ということをずっと考えてきて、
山節もやっぱりよそ者なんですよね。
だけど山節って各地を移動して情報を伝えて、
いろんな文化を伝えて、
どこに行ってもよそ者でありながらも、
実はその土地の民間の祭りであったりとか、
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習俗みたいなことにすごく関わりがある人たちでもあったので、
よそ者でありながら根っこも生えてるみたいな。
根っこも生やすよみたいな。
すごく二面性を持っている人で、
自分自身それをどういうふうに考えていけばいいんだろうなと思いまして、
やっぱり自分が考えてるのは、
個人として自分っていうのはいつでもよそ者なんだけど、
今家庭を持って子供が生まれてみると、
子供ってどこにでも根っこを生やせる存在だなっていう感じがして、
そこがいつも横軸で移動してた自分っていうのに、
子供っていう存在が付け加わることで、
縦軸が生まれてるっていうか、
そういうふうに考えると、
家っていうものを一度よく考えてみなきゃいけない。
今非常に家について関心があるんですけど。
家っていうのは、物理的な家と家族みたいな家。
家族、そうですね。
人間の社会の中で家族であったりとか、
家っていうものがどういうふうに機能してたのか。
なるほどね。
この間、柳田邦夫の先祖の話っていう本があるんですけど、
それをある新聞社に、読書コーナーみたいなのに紹介して、
柳田邦夫は終戦間際に若者がどんどん死んでいく状況を見て、
自分たちの亡くなった人たちが、
亡くなった人たちをどうやって弔っていたのかっていうことを考えるために、
その本を書いたんですけど、
それを読んでいくと、やっぱり家のことをすごく考えてる人。
やっぱり、自分の子供が生まれるっていうことをさっき言いましたけど、
子供がたて塾につながってるけど、
もう一方のたて塾は亡くなってる人たちにつながっていると、僕は思っていて、
だから、その土地にいろいろな文化を根付かせてきた人たちがいるんですけど、
24:01
その人たちっていうのは、もう亡くなってこの世にはいないわけですね。
だから、その土地にかつて住んでいた、今はもう亡くなっている死者も、
考えであったりとか、声みたいなのをどうやって踏み取っていくかっていうことが、
すごくたて塾っていうことを考えたときには重要じゃないかなっていう。
なるほど、なるほど。
だからその土地の死者と向き合うことが、その土地の文化を探ることみたいな、
一個記事でそういったことを書かれてたと思うんですけど、
そういった死者が残してきたものを知ったり伝えていくことで、
その土地の本質に近づくっていうような感覚があるんではないかってことなんですかね。
なんかやっぱり、オルテガっていう哲学者の人が、近代以降の自分たちの社会は、死者がいなくなってしまった。
つまり、亡くなっている人たちっていうのは、ある文化であったりとか、
その社会の中で生きる規範みたいなものを持っていて、
そういったものがなくなってしまって、
そのことで自分たちの精神っていうのがすごく不安定になってしまったっていうような、
だから今はものすごく横移動をすることが簡単になっている時代で、
行こうと思えばどこでも行けるような、そういう時ではあるんですけど、
そういう時だからこそ、そういうもうちょっと足元であったりとか、
自分たちの亡くなった人たち、祖先っていうことの意味を考えてみることが大事じゃないかな。
なんかそれこそ、私は今東京にいて、東京のそういった街づくりみたいなところにも関わっていたりはするんですけど、
やっぱり、新しい、例えばなんかこう開発をしようとか、なんか街を作ろうっていう時って、
どっちかっていうとこう、未来に向くというか、そっちを輝かしいものにしたいみたいなエネルギーで動くから、
その場所に何があったかとか、そこに何が、例えば文化としてもそうだし、
地政学的な土地としての歴史みたいなところを深掘ったりっていうところ、あんまり語られてないなと。
27:00
でもそれこそ渋谷のスクランブル交差点なんて、なんかスラム街みたいな沼地だったような場所で、
そういう土地の歴史とかを見ると、もしかしたら違う建て方とか、
違う文化の作り方が今、もしくはこれから考えられたりとか、なんかそういうふうなことが。
なんか人間もなんかやっぱ動物だから、その土地に自然と引き寄せられるとか、
なんとなくここは気持ちが悪いとかあると思うんですね。
そういうのって、なんかその土地の歴史とか、実は関係してたりするなぁとか思って、
なんか街を作ったり都市を作る人たちも、そういった死者と向き合うとか、
亡くなったものと向き合うって、めちゃくちゃこれから大事なんじゃないかなって、今聞いてても思いました。
渋谷もやっぱり、昔は渋谷川が流れてて、今は安居になっちゃってますけど、
多分あそこに立っていると、今とは全く違う感情を受ける場所だったと思うんですよね。
ただ、今、この現在を生きている自分たちっていうのは、そこには戻れないじゃないですか。
だから、死者を考えるっていうのは、過去に戻ればいいよねっていう話じゃなくて、
やっぱり未来を考えていくときに、自分たちがどういうことを幸福だと思ってたのかとか、
どういう状況になったら不快を感じるのかとか、
そういうことをもうちょっと長いスパンで考えてみたほうがいいんじゃないかなっていうことだと思ってるんですけど。
まさにそうですね。そういう考え方ができたら面白そうだな。
ちょっと切な的に街を作っていくのではなく、もうちょっと、
それこそ大地に根付いて作ったり考えたりできそうな気がしますね。
ただ、今回私も旅に行ってみて、ああいう場所に行くとすごく都市にいるより、
もうちょっと長い時間軸を感じたりとか、自然とのつながりを裸感で感じたり、
つまり人間以外のものとのつながりを裸感で感じられたりするなと思うんですけど、
都市の中でシステムに組み込まれて生きていると、
そういう機会がやっぱりどうしても少なくなって忘れ去っていっちゃうなとかいうのも思っていて、
そういう時に、2拠点じゃないけど、それこそ横移動する意味ってそういうところにもあるのかもなと思って、
1点に定住していると何て言うんだろう、今が見えなくなってくるというか、客観的に現状を判断できなくなってくるみたいなのがあるなと思うと、
30:05
なんか移動する意味っていうのはそういうところにあるのかもしれないなって思いました。
民族学者の宮本恒一が、あの人はすごく移動した人なんですけど、
宮本恒一は自然っていうものをすごく冷たいものっていうふうに考えてたんですよね。
ただその自然っていうものが、人が触ったところが温かくなるっていうふうに言っていて、
あれだけすごく旅をした人なんですけども、
その宮本恒一は人間が触って温かくなった自然っていうのを求めて旅をしていこうっていうようなことを言っていて、
だからなんていうかな、やっぱりその人が触って温かくなっている自然っていうものを、
そこに今の人、今生きてる自分たちも触れると、やっぱり心が温かくなる。
そういうふうに僕は考えてるんですけど、きっとそれは都会に住んでる人たちも一緒で、
そういうなんていうかな、やっぱりバランスで、都会っていうのは割とそういうものすごく整理されてて、
突然獣が出てきたりしないような、そういうふうにコントロールされてると思うんですけど、
あんまりにコントロールされてる場所にずっといると、ちょっと息苦しいねみたいになっちゃうから、
人間が触って温かさが残っているような場所っていうのに時折触れるっていう、
そういうことが、生きていることの励みになるというか、そういうことじゃないかなと思うんですけど。
本来はね、人間もその生物の一つだから、そのように生きていたような気もしますよね。
やっぱりどこまで行っても人間というのは生き物、動物っていうところから離れられてないので。
ちょっとじゃあ都市についても少しその流れで聞きたいんですが、
さこんさんは東京にも住んでたってことで、今の話にもあるとは思うんですけど、
今東京のこの、例えば渋谷のこれを作ってくださいとか関わってくださいって言われたら、
33:05
どういうものを作りたいですか?もしくはどういう考え方でそれを作ることを考えていきたいですか?
もし自分が作るんだったら、何かこの小さな飲み屋みたいなのを作りたいです。
それはどんな飲み屋ですか?
いやもう本当に、今っていろんな、このお酒が好きな人が、
このお酒が好きな人もいれば、このお酒が好きな人もいるとか、趣味がバラバラじゃないですか。
でも割とその一つのものに対して、
俺はこれが好きなんだっていう人たちが集まりやすい。
それはお酒だけじゃなくてコーヒーでもいいし、もっと別のこのアニメが好きだとか、
そういう文化的なことでもいいんですけど、
なんかそういう人たちがこう雑多な中で集まれるような、
今ってものすごくコントロールされてますけど、
もっとこう、いかがわしいようなスペースがあったらいいなって思って。
クリーンにどんどんなってきてますもんね。
確かに、ちょっと意外性のある答えでした。
何点か。
何点か展開するんですか?
何箇所かあればいいなと思って。
そうなんだ。
それに成澤さんは立つんですか?店に。
もしやるんだったら立ちたいです。
めっちゃいいですね。それ行きたいわ。
なるほど。人が集まるそういった、
ちょっとこう、るつぼじゃないけど、そういうちっちゃなお店みたいなものを作ると。
だから何ですかね、こう一つのビルの中での買いごとによってちょっと違う。
めっちゃ楽しい。そういう雑居ビル欲しいですね。
なるほど。いいですね。
東京はそんなに行き来は今はしてないんですか?山形がやっぱり中心で。
でもやっぱり結構取材とかでいろいろ各地行くんで、
千葉が実家なんで、千葉にはもう結構なんだろう、1ヶ月に1回とか。
そうなんですね、関東には。
そうですね。だからコロナがなかった頃はそのついでに東京行って、
36:02
友達となんか飲み行ったり、しょっちゅうしてましたけど。
そうなんですね。東京での暮らしと今の山形での暮らし、
職種というかやっていることも変わっているので、もしかしたら違いが大きいかもしれないんですけど、
暮らしとか街として違いを感じたりとか、それぞれ面白いなって感じたところはありますか?
そうですね、やっぱり自分が生まれ育った場所が、
伝統的なものがほとんどないような場所だったんですね。
だから、街の中でやってるお祭りとかも10年前に始めました。
町内会が始めましたみたいなものばっかりだったような場所で生まれ育ったんですけど、
今いる場所っていうのは、それこそ何百年前とか、もっと前からずっとやってた文化みたいなのがすごくゴロゴロしてて、
その点と点で見るとものすごい違いがあるなっていうふうに考えてたんですね。
でもなんかこう、そういういろんな古い文化とか伝統みたいなのに関心を持って、
いろんなところを旅をして、日本だけじゃなくて海外とか、特にアジアを中心になんですけど、
その土地の文化みたいなのを見ていくと、
古い文化が残っている地域ですよっていう、例えば海外に行ってそこを訪れてみても、
その土地でメインで暮らしている人たちとその文化を担っている人たちって、ものすごい断絶があるんですよ。
それこそ違う民族だったりとか、そういうようなところがほとんどなんですよね。
その文化的なつながりも全くなくて、そういうところばっかりだなと思って、
ふと日本に帰ってみると、日本って意外とそういう断絶があんまりない感じがするんですよ。
そういう都会とその山間部というか地方地域みたいな、点と点で見るとかなり違うんですけど、
人の感性みたいのはほとんど同じっていうか、あんまり変わってないんですよ。
だから僕が千葉から山形の山奥に移動してきても、そんなに違和感なくすぐ生きていけるっていうか、
ふとこれってすごいことなんじゃないかなって思ったんですよ。
39:02
この間、ドバイに住んでる人とネットで話をしてたんですけど、
面白そう、その回。
自分の身の回りにある文化みたいなことを話してたら、絵本とか物語を聞いてるみたいだねみたいな話をして、
あなたが感じている時間軸っていうか、どういうものなのって聞かれたんですけど、
なんか自分で全然そんな特別なものじゃなくて、
なんか当たり前に、これが日本文化ですよみたいな気持ちでいたんですけど、
普通、何も考えずに当たり前に過ごしていたけど、
実はすごい特徴のある文化じゃないかなっていう気もしてきて、
実はその都会で暮らしている人たちも、ものすごく根っこのある古い由来を持っている感性に基づいて生きていて、
だから、例えば山形みたいなところで暮らしていても、それほど深い断絶みたいな感じることなく、
過ごすことができるんじゃないかなと思って。
それはめちゃくちゃ面白いですね。
それもちょっとダイナモローザーじゃないと出てこなかった視点かもしれない。
結構すごいことなんじゃないかなって思うんですけど。
だってこの山奥に残っている文化って、何百年何千年、下手したら何万年っていう古い由来を持っている手仕事だったりとか、
食品の加工の仕方だったりとか、そういうものが残っていて、それを今でも普通に口にしたりしてるんですよ。
なるほどな。
それがなんか生活に根付いているというかね。
違和感なく、多分山の人もそうだし、町の人も取り入れることができるっていうのは、結構すごいことじゃないかなって、この間気づいた。
すごいなんかそれ、エピファニーみたい。光降りてきた感じ。
でも確かにそうだな、そういった大きな断絶っていうのは確かにないというか、どこかしらやっぱり繋がってたりするし、
そういう生活を都市で取り入れたり、やってる人たちもいたりもするって考えると確かに。
42:00
結構海外行くと断絶があって、その上にものすごく綺麗な上書きをして、
それはそれですごく素晴らしいものなんですけど、
なんかこう下まで降りていけないよねみたいな。
なるほどね。
日本って結構降りてこうと思えば降りていけるんですよ。
確かに、そこの境界が曖昧かもですね。
なんか曖昧になって混じってるっていう感じはあるかもね。
街の作られ方もそうかもですね。
ドバイなんてまさにもう新旧がパキッと街としても分かれちゃってて、
もうプレゼンテーションとしての新しい街みたいな感じで作られてますもんね。
なるほど、面白いですね。
ちょっとその視点は深掘っていきたいですね。
なんかじゃあ最後にちょっと大沢さんは今後なんかちょっと取り組んでいくこと、
いきたいこととかもしあれば教えてください。
そうですね、もともとものづくりすることに関心があって、
自分なりにこういろいろものづくりすることってどういうことなんだろうっていう考えてきたんですけど、
結局生きてることがそことつながってるなと思って、
だからとにかく生きていこうと。
めっちゃいいっすね、最高です。
でも本当そうですよね、何か特別なことはしなくちゃいけないっていうか、
生きること、生活がまさに作品というか、ものづくりですよね。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
じゃあ今回は山節の坂本大沢さんにお越しいただきました。ありがとうございました。
Good news for cities.
44:05

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