1. Good News for Cities〜都市に関する炉辺談話
  2. 【#156】偶然を受け容れる街、..
2024-12-17 38:31

【#156】偶然を受け容れる街、谷中。最小文化複合施設「HAGISO」/ 建築家・宮崎晃吉さん

◉今回の内容

萩荘(HAGISO)とは?/ハギエンナーレ/町宿の生態系/偶然を許容する街/所有/暗渠/最小文化施設


◉ゲスト

建築家 宮崎晃吉さん

2008年東京藝術大学大学院修士課程修了後、磯崎新アトリエ勤務。2011年より独立し建築設計やプロデュースを行うかたわら、2013年より、自社事業として東京・谷中を中心エリアとした築古のアパートや住宅をリノベーションした飲食、宿泊事業を設計および運営している。hanareで2018年グッドデザイン賞金賞受賞/ファイナリスト選出など。


HAGISO

https://hagiso.com/

書籍「最小文化複合施設」

https://hagiso.com/10thbook/

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

Discordコミュニティ始めました!

リンクはInstagramのBioから

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

番組の感想は『#GN4C』をつけて

X(Twitter)でお待ちしています!

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

🖐️Follow Us / 日々のあれこれ投稿中

●⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠MarikoのX(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Twitter)⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

⁠https://twitter.com/marikosugita⁠

●⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠YukakoのInstagram

https://www.instagram.com/kiki_yukako/

●⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Good News for Cities のInstagram

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://instagram.com/good_news_for_cities⁠

●⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠お仕事のご依頼などfor CitiesのHP⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

⁠https://www.forcities.org/⁠

●⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠番組へのお便りはこちら⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

⁠https://forms.gle/VNJkepcQPquVvYK97⁠

サマリー

ポッドキャストでは、建築家の宮崎晃吉氏が東京の谷中に位置する文化施設「HAGISO」について語ります。彼は偶然の出会いや地域との関わりが新しいライフスタイルを生み出す様子を描き、地域の独自の文化や人々の交流の重要性について深掘りします。宮崎氏は、「HAGISO」の哲学や偶然が生み出す出会いの面白さを紹介し、都市のハプニングや人々の表現が街に与える影響を探求します。また、柔軟で創造的な地域コミュニティの重要性を強調しています。最小文化複合施設「HAGISO」の魅力や偶然の出会いについても語り、文化とコミュニティの融合が織り成す谷中の独自性に焦点を当てています。

HAGISOの背景
みなさん、こんにちは。石川由加子と杉田真里子です。
Good News for Citiesは、都市・建築・街づくりに関する様々なグッドニュースを、ザック・バランに話す番組です。
はい、今回のゲストは、建築家の宮崎晃吉さんです。宮崎さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回は、建築がつくる新しいライフスタイルというところで、テーマを切っておしゃべりしていけたらと思っております。
はい、宮崎さん、建築系とかね、東京にいる方は、ご存知の方多いんじゃないかなと思うんですが、東京の柳中というエリアに、HAGISOという一軒家を解体、リノベーションして作った文化施設を、2013年からですかね、運営しております。
最近はですね、HAGISOに関する書籍が、この間、ポッドキャスト・ゲストにも来ていただいたマナズル出版から、最小文化施設、たまたま住んだ一軒のアパートから始まる東京柳中の物語という本が出版されました。
これもタイムリーな話題ということで、このサブタイトルもすごく素敵だなと思うんですけど、この建物を通じて暮らしを編集していく、そんな実践について、今日お話をお伺いできればいいなと思っております。
はい。
東京の柳中というところを拠点に活動していますが、僕自身は群馬県の前橋市というところ出身で、大学に進学以来上京して住んでいるのが柳中と。
柳中の中でも、もともと秋屋になっていた1955年に作られたアパートが、草冠に秋と書いて植物のハギの層アパートという名前の木造アパートに、学生時代に住み始めまして、それ以来アパートになぜか関わりながら生きているという感じです。
大学は東京芸大の建築家というところだったので、そこから近所にあるという意味で柳中のアパートなんですけど、たまたま僕の後輩が、柳中というと寺町なんで、70か所ぐらいのお寺さんがあるんですけど、
ハギ層もやっぱり親さん、お寺さんで、その門前でタバコ吸ってたらその親さんに怒られてっていうのをきっかけに、そんなところでタバコ吸ってるんじゃないかみたいなところから、いろいろ話してたら仲良くなっちゃって、近くの秋屋を借り始めるみたいなのがきっかけです。
最初は僕はいなかったんですけど、途中からジョインして、学生時代に過ごしたってところなんですけど、何やかんやみんなで楽しく住んでて、ゴミ屋敷みたいな状態だったんですけど、
2011年の震災おきに1回壊して駐車場にするってことになったんですけど、最後に結構みんなハギ層のこと好きだったから、建物のお葬式をやらせてくださいっていう話を親さんに提案したら開拓くださって、アートイベントとしての最後お葬式をやらせてもらったのが2012年。
それやって壊すはずだったんですけど、親さんの気が変わって、結局3週間で1500人くらいの人が来たので、それで親さんの気が変わって、ちょっともったいないかもみたいなところから、僕のほうで提案して、そこを直して使わせていただくっていうことになりまして。そこは2013年なので、もう12年目になります。
ハギエンナーレの意義
ちょっとその中でも私気になってたのは、お葬式、ハギエンナーレっていう名前でしたっけ。今回も結構解体される、なくなるってことが多分1個きっかけになって、ハギエンナーレが生まれ、そこが結構ドライブさせる1個のエネルギーになったんだろうなっていうふうに本を読んでいたりお話を伺ってて思ったんですけど、
ハギエンナーレはどういった具体的にどういった活動だったのか、リスナーの人にもちょっとご紹介したいなと思いました。
はい、ありがとうございます。住んでた連中が大体5人ぐらいの男の連中で、引っ越しどうするみたいな感じで、ホノミヤで話してるときに思いついた悪ノリのイベントなんですけど。
結局、今、普通に町暮らしてても人知れず孤独死していくご高齢の方とかも多いじゃないですか。
でも、建物もやっぱりそんな感じだなと思ってて、ちょうどハギ層の二軒ドライに初音湯っていうめちゃくちゃいい銭湯があったんですけど、それも相当長い間、町の人に愛されてた銭湯だと思うんだけど、
僕ちょっと海外出張行って帰ってきたら、もう更地になって分譲されてて、あまりにもあっけなくなくなるなっていうのがすごく寂しいなと思って。ある種、建物も孤独死みたいなもんだなと思って、せめて壊すときに建物に感謝を表現するような場があってもいいんじゃないかなと思って、という気持ちで話を進めたものになるんですけど。
実際何やったかっていうと、結局お金はないんで、ただ材料は死ぬほどあるっていうか、半分以上ゴミみたいなもんですけど、建物自体とそこにある残地物を使って、
20人ぐらい友達というか、アーティストとか建築家の若い連中を集めて、お金はないんだけどそこにあるものを使ったり、もしくはそこにあるものを引き算をしていったりすることで作品を作っていくっていうことをやろうよっていう話でやったんですよね。
なんで床壊しちゃったりとか柱彫刻したりとか、どうせ壊すから最後に何やってもいいかみたいな感じで、好き勝手にアパート自体を材料に作ったっていう感じですかね。
なんかそれがきっかけとなって、その大谷さんが壊しちゃうのもったいないかなって思ったっていうエピソードをどこかで読んだんですけど、なんかそういう気づきが生まれたのすごく面白いなと思って。
男チームの悪ノリで、なんか祭りやってみようかみたいな話から、なんだかそれが盛り上がっちゃって人がたくさん来て、この場所がもしかしたらいろんな人に愛されてたのかもしれない、もしかしたらもっと可能性があるのかもしれないっていう、なんか一瞬のその風景を街の人たちに見せられたっていうのが価値だったんだろうなと思ったんですけど、そこはどうでしたか。
たぶん、もちろん僕らも壊されるのはしょうがないと思ってたけど、もしかしたらここなんかできたら面白いのになーみたいなことは思ってたんですけど、でもそれをこう大谷さんに何もない状態で説得しようと思っても、もともと大谷さんにとってはほとんど価値がないというか、ただのゴミ屋敷だと思ってたところなので、なかなか説得っていうのはできないと思うんですよね。
だけど、その目の前で起きてることみたいなのを目の当たりにすると、僕らが説得するまでもなく大谷さんがもうワクワクしちゃってるっていうか、なんかここで何かが起きる可能性があるかもみたいなことを、もう大谷さん自身が結構想像しちゃってて、
そういうことであれば、僕らが一方的にやりたいことを説得して押し付けるんじゃなくて、一緒にやっていきましょうよみたいな感じになれるなっていう感覚には思いましたかね。
偶然性を受け入れる街
なんかあの萩草自体はこの街全体を宿に見立てるっていうようなコンセプトで今もやられていると思うんですけど、なんかそれもやっぱりなんか計画的に全体像の1万円を描いてっていうよりかは、なんかその状況が場所で生まれてって、
だったらやってみようかとか、だったらここどう?みたいなところでこう新しい場所だったり新しい機能が街に増えていくのがすごく、何て言うんだろう、自然発生的で面白いなと思っていて、計画的なのか半分計画的なのかわからないですけど、
なんかそういうあり方が今の萩草の生態系を徐々に作っていってて、これからもその生態系が拡張していくんだろうなぁみたいなのを感じているんですが、なんかその萩草が街に染み出していったプロセスとかそういった部分ではどういうことを考えていらっしゃいましたか。
そうですね、本当始めた時は本当萩草のことしか考えてなかったですね。萩草のというフィールドをいかに使い倒すかっていうか、普通だったら木造アパートでやらないであろう全てのことをやってみようと思って、もういろんなことファッションショーやったり映画の上映会やったりいろんなことをやってたんですけど、
それをやる中でだんだん場があることでいろんな人がそこに集まってきたし、お客さんもそうだし、ここでこういうことをやりたいみたいな人たちも集まってきてくれて、僕ら全然想定してなかったようなご縁みたいなのも結構生まれてくるっていう感覚があって、
それに対して、計画しようとしてもそんなことって計画できようがないというか、自分たちの想像力を簡単に超えてくるし、やろうと思ったってそういう巡り合わせっていうのは計画できないと思うんですけど、
ただ、ある場があることで可能性の塊みたいなものがあるとすると、そこを受け入れていく構えだけをこちら側が持っていれば、いかようにでもなるんじゃないかなっていうふうに思ってやってきたって感じですかね。
だから、それを受け入れられる街とか状況が面白い暮らしの在り方を作っていくなと思うんですけど、それって例えば、それが渋谷でできないとは言わないですけど、あのように大きな計画的に作られた都市部の中でなかなか難しいな。
本当はみんなああいうことをしたいんだけど、いろいろな、例えば時間だったり、そういった計画として見えないものに対して合算を出せないっていうことだったりとか、なんかそのみんなが実はこの風景を見たいんだけどできてない状況もあるんじゃないかなとか思うんですけど。
そうですね。夜中だけかっていうことでもないとは思うんですけど、僕は今住まいも夜中で、毎日ほとんど夜中から出ないで暮らして、出張以外は出勤もないし、夜中に寝て起きて暮らしてって仕事してって感じなんですけど、
やっぱりすごく学びがあって、夜中の街を暮らしててすごく学んでるのが、やっぱりある種近世の街だと思うんですよね。東京の中では珍しく戦災で火事を免れていて、細い路地があったりとか、昔の知見者さんたちの構造が残ってたりとかっていう状況の中で、
これからの寺町だということになると、一つはほとんどの人が釈迦人っていうか仮暮らししてる人たちっていうか、所有してないっていうところが面白いなと思っていて、土地が釈迦がほとんどだったりお寺さんの土地が多いんですけど、
ある種その逆で近代の都市が基本的には所有権ですべてが整理されている。ここからここは誰かの土地っていうのが、もちろん釈迦にしたってもちろん知見者はいるんだけど、そこを実質的に運営してる人たちってある種の仮暮らしの状態でマネージしていて、
そうすると、ある種領域の境界みたいなのがすごい曖昧な街だなっていうところをよく感じるんですよね。そういう領域が曖昧だと、ちょっとした地先園芸もすぐはみ出るし、逆に敷地内にベンチに知らない人が座ってたりするような光景もそこら中にあるし、
公園の庭木を近所のおばちゃんが勝手に剪定してるとか、そういうことが簡単に領域を侵犯してくるというか。それで、それが当たり前になってきてるっていうのって、すごい可能性を感じるんですけど。
逆にミルアーツさん、この間話をしてたんですけど、例えばニュータウンとかって基本的には所有権で、それぞれの小建て住宅の敷地はそれぞれ全部所有権で、それ以外は公の道路と公園であるっていう、つまり全てが誰かのものだということが明示されてるし、逆に言うと誰のものでもないみたいなところが、
そういう都市とのすごく対比っていうのがあるなと。そういう都市ってのは別に柳川だけじゃなくて、日本中にたくさんまだ残っていると思うんですけど、そのコンディションも含め、何らかそのある種偶然性みたいなものを許容できる街と、もしかしたらそれがしにくい街っていうのはでもあるかもしれないなと思ったんですよね。
で、単純に考えて、すごい細い路地が、もう建築基準法的にこれからは作れない幅の路地が残ってるっていうだけでも、毎日すれ違う人とかって、1日普通に過ごしてても挨拶する人の数が尋常じゃなく多いし、
誰かに半分無理やり、都市が強制的に人とコンタクトを取るような構造になっていて、そういう都市で何か起こり得る偶然の頻度みたいなものっていうのが、おそらくさっきのニュータウンで起こる偶然の頻度とは違うんじゃないかなと思っていて。
偶然性と都市の条件
で、そうすると何か、ちょっとした機会みたいなものに対する都市のリアクションみたいなものが、結構違うと思うんですよね。
例えばコロナ禍が結構大変だったんですけど、でもその中でいろんな偶然が偶然を呼んでみたいなことが随分起きたんですけど、それって大体、街場で出くわして、これどうするみたいな世間話がそこら中で起きていて。
で、僕らの場合はそれで宅配便のシステムを自分たちで作って、うちの会社の外の人と一緒に宅配便を3日で考えて、3日で始めるみたいなことをやったんですけど。
なんかそういうことも、ある種の都市のコンディションがそうさせてるっていうところもあるんじゃないかなっていうふうに思っていて。
まだね、これを何と言ったらいいのかって感じますけど。
私も東京から京都に引っ越して、今少しずつ場所を拡張させていってるんですけど、今の偶然性の頻度ってすごい良いキーワードだなと思って聞いていて。
私自身も、例えば、近所の友達の建築家の両親がやってるカフェでコーヒー飲んでたら、海外の友達がいきなりそこに入ってきてびっくりして話してたら、
友達が向こうから走ってきてみたいな、そういう不思議な偶然性みたいな巡り合わせとか、
なんかここでこう出会っちゃったとか、なんでここで出会ったんだとか。
あと一緒に友達と街を歩いてたら、偶然面白そうな物件見つけて、そしたら偶然その次の日にそこの物件のオーナーの友達に会ってみたいな、
なんか小さな小さなチャンスとか偶然みたいなのが、徒歩15分圏内とかに行われるのが私はすごい好きで。
なんかそういう場所の街の条件って何なんだろうって、私も言葉にはまだできないですけど、すごい面白いなっていうのと、
そこから始まるんだっていうのが、萩草がオーナーがタバコ吸ってて怒られたことから始まったみたいなエピソードもすごい良いなと思いながら聞いてたんですけど。
そうですね、ある種のハプニングも含めてそうだと思うんですけど、
でもその偶然っていうものを計画できるかっていうと、偶然なんで計画できないと思うんですが、
ただ偶然が起きる可能性を上げるためのデザインみたいなものはあり得るんじゃないかと思っていて、
要はさっきの頻度を上げるためのコンディションを作っていくっていうのはもしかしたら計画できるかもしれない。
ただ偶然そのものは当然計画できないっていう。
でも実はそのコンディションを作っていくってこと自体が、ある種都市というか環境自体ができることなんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。
街の条件と出会い
なんかその夜中での実践の中で、このコンディションを作っている要素とか仕掛けみたいな具体的な事例とかあったりしますか?
つまり何が計画されているかみたいなことですか?
そうですね。
でも本当さっきの一つは細い路地みたいなコンディションと、
あとその住んでる人の表現というのかな、が外に滲み出ちゃってるっていう状態がありますよね。
さっきの地先園芸なんかもそうですけど、道路はみ出て、でもすごい大切にしてる植物なんかが置いてあると。
それ立ち止まって見ちゃうじゃないですか。
その見てる間の20秒ぐらいに本人がいたりするわけですよ。
そうするとそこで話が始まっちゃうわけで、何もそこに滲み出てなかったら普通に歩いてパスしちゃうようなところを、
その20秒あるだけで何か起きる可能性があって。
ベンチとか普通に置いてあるけど、そこに座った5分とかで、
たぶんそう止まった5分で何かが起きるっていう可能性は、ただパスしちゃうことに比べたら圧倒的に多くて。
そういうことが掛け合わさって何かが接点が生まれていく可能性っていうのが確実に上がってると思うんですよね。
それ以外にも例えば、ご自由にどうぞとかね。
いらないものを置いてあったりするじゃないですか。
あれって別にGDPには1ミリも貢献してないと思いますけど、
だけどあれがあることでそこに立ち止まって何かが起きる可能性っていうのを生んでるっていう機会を生んでるわけで。
そういうことがかなり大事なんじゃないかなっていうふうに。
それが許容される都市とされない都市みたいなもんね。
まさに作る人の表現が街に染み出している状態のある街って、私たちもいいなといつも思ってて。
それを許容できる街の条件みたいなのがあるなと思って。
例えば今の話を聞いてて思い出したのが、昨日2人でベトナムにホチミンに行ったんですけど、
ちっちゃな路地みたいなところを歩いてて、三脚の足の上にモノホシザオみたいなのを溶接で勝手にくっつけて、
それにペットボトルを半分に切ったプランターがかかっている謎の構造物が道端にあり、それについてコメントしてたら、隣のお店からパンツ一丁のおじさんが出てきて話し始めた。
いいね。
それを、なんかカオスなんですけど、いいじゃないですか。
めっちゃいいじゃないですか。
みんなと握手して、謎に。
みんなと握手して。
こういう状況を許容できるホチミンという場所が私たちはすごい好きだし、
そういう霊的な条件が揃っている街って、日本に関わらずベトナムに関わらずいろんなところにあって、
そういうところにどうしても惹かれちゃう私たちって思いました。今話を聞いてて。
文化複合施設の役割
そうですよね、わかる。
僕も2010年ぐらいから、僕は萩草をやる前は磯崎原田アトリエにいたんですけど、
上海に1年ぐらい駐在させてもらってた時があって、上海もすごい綺麗になっちゃってるところも多いんですけど、
いわゆるリーロンっていわれる路地上の集合住宅地がもともとあって、
ああいうところって、綺麗なとこは綺麗だけど、結構廃墟っぽいところもあるんですけど、
廃墟っぽいところを歩くと、中に住んでるおじちゃんたちが上裸でテレビ見てるのが普通に外から見えるとか、
洗濯物がどうとか、作ってる料理の匂いが出てきたりとか、
そういうことが外にあふれ出ちゃってる感じがすごい好きで、
しょっちゅう週末はそういうところばっかり散歩してましたね。
なんか体を開いてるなって思うんですよね。ベトナムもそうだし、柳中もそうだし、
私今高円寺に住んでるんですけど、高円寺もちょっと似てるなと思ったり、
2年前ぐらいから引き船とか向こう島のあたりも結構、東京都内だとすごい好きでよく行ってるんですけど、
あそこも人々がよくわからないものとか、見たことないものとか、すれ違う人とかにとの接し方、
体の開き方が違うなっていうのを感じるんですよね。それを何が作っているのか。
もしかしたら引き船とかだとやはり防災意識みたいなものがあったのかもしれないですけど、
そこが結構違う。緊張感ではなく、ちょっとだらっと開けてるみたいな感覚があるなとか、今聞いてて思いました。
そういう意味では、おもて玄関というよりは勝手口らしさっていうか、
僕もよく遊歩道ってあるじゃないですか。遊歩道を歩くの結構好きで、
遊歩道ってだいたい暗居なんですよね、もともと。
小さい洋水路の上にふたして暗居になってるんですけど、
暗居になってること自体はつまんないなと思うんですけど、
そっち側って勝手口側なんですよ、全部家が。並んでる家が。
確かに。
おもてじゃなくて、もともと川だったから、洗濯でもしてたんだと思うんですけど、
家の裏側がずらーって面して、そこを歩けるようになってて、
そうするとすごいね、歩くと生活感がすごいにじみ出ちゃってて、
東京でもこんなに表で歩くとすごいつまんないんですよ。
だけどこの裏側の遊歩道を歩くと、すごい生活感が実は感じれて、
そこ歩いてるときに首都高もそんな感じだなと思ったんだよね。
首都高を走ってると、あれも暗居じゃないですか、暗居っていうか川の上にだいたいできてるじゃないですか。
まさに、まさに。
そうすると表だと思ってるところってほとんどなくて、
裏の非常階段でタバコ吸ってる人たちとか、
なんていうのかな、見ちゃいけないようなところをすごいスルーして縫うように行くでしょ、
首都高を走ってたりすると。すごい一瞬だから難しいんですけど、
でもスケールは違えど、都市の暗居の遊歩道と首都高がちょっと同じような勝手口側の体験みたいなものを感じることがあって、
そっち側の立面っていうか、通りっていうのは、やっぱりさっきの体の開き方が油断してて、
いい感じだなっていうふうには思いますね。
なんか、もしかしたら、そのかつての川の位置と道のサイズとその面積あたりの割合とかで分析していったら、
そのコンディションが揃ってる土地の要素としてそういったものがもしかしたら出てくる可能性あるかもしれないですね。
小さな川がこれだけあって、そういう小道がいく何本あって、それがクロスしててとか、
なんかそういう分析できそうだなとちょっと思いました。
ちなみに、ハギソウ、ちょっとハギソウは再現可能なのかみたいな話にもなるのかもですけど、
ハギソウみたいな作ってくださいみたいな相談めちゃめちゃされそうだなとも思ったんですけど、
私たちの町でもハギソウみたいなものを作ってくださいっていう相談とかって来たりしますか?
そしてそれはできるのでしょうか?
そうですね、この本作ったタイトルが最小文化複合施設っていう名前にしたんだけど、
それを考えた時、やっぱりすべての町に最小文化複合施設があればいいのにと思ってつけたんですけど、
でも、形は違えど既にたくさんあると思っていて、そういう場所は。
なんかやっぱり寄りどころになるような場所というか、
誰でも表現できたりとか、誰でも押し付けられたものじゃなくて、
自分たちの文化を育んでいけるような場所って、結構形は違えど、
最小文化複合施設ってもちろん言ってないけど、あるとは思っていて、
それはすごく僕らも発見するのが面白いんですけど、
そういうので作ってくださいっていう依頼はどうかな、
でもズバリしてはないですけど、
でもやっぱり僕らのところに依頼をくれる人たちは、
なんだかやっぱり、もちろん経済的に持続させるっていうことは求めているけど、
それ以上に地域とか、長く喜んでもらえるものにしたいとかっていうことを考えてる人が結構多くて、
非常にそういう人たちに、逆に軽複するような場面っていうのはたくさんありますけどね。
今まさに書籍出版されて、出版イベントとか全国でやられたりとか、
もしイベント情報とか直近で活動にこのリスナーの方も触れられる機会があるのであれば、
ぜひご紹介いただきたいです。
ありがとうございます。
今、萩草のウェブサイトで本の情報を集めているページがあるんですけど、
そこにいろんなイベントの情報を書いています。
今回の本って、僕ら自費出版なんですよ。自社出版で、自分たちで印刷費と、
編集はマラズー出版社にお願いしてっていう形でやってるので、
ある種、原価も普通の出版社だったらやらないような原価率だと思うし、
販売の戦略もすごい気長にやってはいるんですけど、
だいたい僕のたまたま出張とかがあったついでに、
その近くで売ってくれてる書店さんのところでイベントするみたいなので、
じわじわやっていきたいなと思ってて。
もう一つは、販売の仕方がマラズー出版さんのポリシーでもあるんですけど、
Amazonで売らないし、大手の取り継ぎ通さないし、
基本、街場の独立系書店さんでしか売らない。
ECはマラズ出版のECと、書店さんが自分たちでECする分だけみたいなことでやってて、
今回もそういう感じなんで、じわじわって感じなんですけど、
でも確実に、この本のことを理解してくれてる人が売ってくれてたりとか、
そういう人たちから、買った人たちからメッセージもらえたりとか、
そういう手応えがやっぱりすごい、販売の仕方一つとってもあるなと思うし、
あと、すごく本自体に力のある想定にできたっていうのもあって、
それはやっぱり制作チームみんなの思いなんですけど、
やっぱり情報はいくらでもウェブで取れる時代なので、
本そのもの紙の質とか、作り方とか、紙の軽さとか、カットの仕方とか、
あと今回しおりひもを、その隣のハギデラさんのハギっていう植物の葉っぱを取ってきて、
煮出して草木染めしてるんですけど、
ちょっとピンクになってるんですよ。
手をかけましたね。
それをマナズル出版さんがマナズルに持ってって煮出して、
マナズルの海の海水で色止めをしてるっていう。
しおりひも。
最後まで塩水で色止めするらしいですよ。
本当に匂ってきそうなものの存在感みたいなものが本自体に結構込められてて、
そういうことに反応してくれる人たちって単に情報を交換してるのとはまた違う面白さがあって、
そんなことを感じながらじわじわと色んなところでちょっとずつ手売りして行商みたいなことをしてます。
これは大作ですよね。
このハードカバーもすごいかっこいいし、
なんかプロダクト感がずしっとある書籍だなとデザインとして思ったのと、
この最後のおまけのトジページもかわいいなと思って。
袋トジね。
悪ノリですけどね。
そんなのあると思って。
すごい凝ってらっしゃる。
なんか読んでて楽しいし、どのページから読んでも結構面白いなと思って。
ありがとうございます。
これは作るぞってずっと思ってたんですか?それとも、いいやってここ1年ぐらいで作ったんですか?
原稿はもう書き始めてから6年ぐらいかかってて、ずっと塩漬けに寝かしてたんですけど、ちょっとずつ書いて。
それを2年半前ぐらいにまなずる出版さんが関わってくれて、そこから2年半かかってますからね。
やっぱりすごいこれは。
それぐらいかかりますよね。
よく付き合ってくれたなと思いますけど。
確かに、根気強く諦めずに。
出版イベントやりましょう。
京都やるんですよ。
京都やるんです。
どこですか?
景文社さんで、2月。
景文社さん。
世界で一番美しい書店の一つと言われてる。
景文社さんで、2月の、ちょっとウェブを見ていただければ。
はい、見ます見ます。
2月16日だな。2月16日京都。
その前に神戸。その前の日神戸、その次の日奈良。
奈良いいですね。
関西攻めますね。
関西案議をして。川口さんたちと一緒に行きます。
大阪は一回やったんですよ。
ザ・マーケットっていうアベノの近くのところで、11月24日にやったんですよね。
またやってもいいかなと思ってますけど、お誘いいただければ逆に行きます。
ぜひぜひ。
東京は結構終わって、次関西に来年って感じですね。
そうですね。
結構やられてますね。
もう結構やりましたね。
すごい、超精力的。
はい、最後に番組からのお知らせです。
グッドニュース・フォーシティーズのフォローとレビューをお待ちしています。
フォローすると最新話の更新の通知がきます。
リアルタイムの方がやるんだみたいな感じですね。
単純に僕自身も楽しみで。
最後に番組からのお知らせです。
グッドニュース・フォーシティーズのフォローとレビューをお待ちしています。
フォローすると最新話の更新の通知がきます。
レビューしていただくことで番組の改善にもなりますので、
ぜひ聞いた方は反応頂けると嬉しいです。
はい、宮崎さん、今回はありがとうございました。
ありがとうございました。
38:31

コメント

スクロール