1. 小農ラジオ
  2. 126. 里とか移住とか農とか。 
2025-02-22 54:45

126. 里とか移住とか農とか。 

【里とか移住とか農とか。】
今、農業の現場は大きな変革の時を迎えています。この激変の時代に、小さな農業を営み、小さな里山で暮らしながらポッドキャストを配信する3人。なぜここで農業してるの?配信してるの?これからこの里で何がしたいの?答えの出ないモヤモヤを農家が語り合うプログラムです。


なぜ小農を続けるのか?/農家はもっと減っていい?

なぜ残さなくてはならないのか/伝統や文化を続ける/土から離れない人/良い町とは/革命/自立分散型の町


Familyは室町時代から/郷にいれば郷に従う/フェア/文化は生み出せるのか?/引き継ぐ事は受け入れる事/多数決で泥棒を決める


農的な暮らしは必要か?/二次自然の維持/有機には拘らない


堆肥のこと/資源循環/コンポストファッション/小さな仕組みが必要/コンポストコミュニティ/消費者を農につなぐ小農/堆肥舎を建てよう!


萩原さんのお話/小さい農地でもちゃんと作る選択肢を残す/思考経路から得た抽象を明日の畑で具体に落とす/モデルケースはない/里山の多様性/コンポストコミュニティの作り方 


文化は特定の集団が特定のやり方をすることだと思う、小農は文化を作っているのではないか 


京都オーガニックラジオ 鈴木 健太郎


オーハラジオ 髙田潤一朗


さとんちゅラジオ 加地玄太


小農ラジオ 高谷裕一郎

サマリー

このエピソードでは、里山での生活や移住、小規模農業について議論が展開され、有機農業の現状や課題についても触れられています。また、地域づくりや文化の継承の重要性について、参加者たちが意見を交わしています。このエピソードでは、移住者と地域の文化の関わり、農業の重要性が語られています。さらに、伝統文化の継承と新たな文化の創造についても考察されています。このエピソードでは、里や移住、農業の重要性について話し合われており、特に地域資源の循環やコミュニティの形成が強調されています。また、農業の未来やその環境への影響についても考察されています。このエピソードでは、農業や移住、地域の多様性について語られ、高谷さんや佐久町の事例を通じて農業の新しい手法や成功の理由が探求されています。生産技術の重要性や地域ごとのモデルケースの存在の欠如についても言及されています。このエピソードでは、里、移住、農業についての意見交換が行われ、文化やコミュニティの形成についても触れられています。

里山での生活と農業
おいしい野菜と勇気を君に。
はいどうも、有機農業系ポッドキャスト小農ラジオです。 今日は1月19日に京都大原で行われたイベントの音源を配信したいと思います。
「里とか移住とか農とか」というタイトルで、 ポッドキャスター4人で話したんですけれども、
司会にですね、京都オーガニックラジオの鈴木健太郎さん、 そして今回主催の大原ジョーの高田純一郎君、
そして、滋賀の里音柱ラジオの加地玄太君と、僕ですね、小農ラジオ。
この4番組のポッドキャスターがですね、 いろいろ里山で暮らす小さな農についてですね、いろいろお話をしてきました。
ぜひ聞いてほしいんですけど、ちょっと音源が悪くてですね、 かなりいろいろ調整しているので聞きづらいところもあると思いますけれども、
最後はですね、野良倉の萩原さんからもコメントをいただいたりというのもありますので、 ぜひ最後までお聞きください。それではどうぞ。
これ今日は純君から出されたお題のひとつですね。 そもそも世の中は今、有機であれ観光であれ大規模化していくのがトレンドになってきている中で、
我々、僕は農家じゃないんですけれども、我々小さな規模でやっている農家は、 やっていく意味があるのか、何のためにやっているのかということを悶々と尋問しているという。
ずっと考えていって、ずっと考えていって、それは。
こちら会場には農業関係者の方々もたくさんいらっしゃると思うので、 本当に簡単に名前を出させていただくと、つい何年か前にひさまつたつおさんという、
茨城のすごい農家さんが、農家はもっと減っていいという非常にラディカルなタイトルの本を出されて、
その本を読んでいる農家は、みんな、例えば僕らみたいな実際の農家は、
そうか、じゃあ僕たちはどうやって生きていこうか、みたいな悩みを持っていると思うんです。
突きつけられていると思うんです。
例えば有機農業って闇雲に本当に環境に負荷を与えないのか、みたいなところって実際やっていると、
こんなにマルチを使って捨てているのに本当にそうなんとか、
実際作ってみたけど、もう廃棄率がめちゃくちゃ多いなら、ちょっと除草剤や農薬を1回使って、
100%に近い形で野菜を届ける方がいいんじゃないの、みたいな、そういう疑問はずっと持っていて、
そんなことだけじゃないけど、いろんなことを非常に論理的に本に出してくださって、
多くの農家が、そうそう、というふうになっているわけですよね。
ここほんと数年、僕も有機野菜ですって言い切れない部分が、ちょっとどこかにちょっとひけ目を感じているところがあるんですけど、
そんな中で、それでも自分はこういう形で農業をやはりこういう場所で生きていくことを選んで、
里をこんな小さい場所で生きていくことを選んでいる。
この農地なんてひょっとしたらどんどん廃れていってしまう方が、
人口が減っていくこの日本においては正しいんじゃないの、みたいなところもあったりしつつ、
でもなんでやってるんでしたっけ、みたいなのがずっと疑問であったり。
というのが今回、ゆーちゃんやげんちゃんやけん太郎さんとお話ししたかった隠れたテーマなんですけど。
去年の1月は野党の震災があったじゃないですか。
あれは本当に悲しいことでしたけども、
あの時に結構、もうその村をなくしてしまえばいいみたいな話と、どうやって残していくかみたいなので結構論争というか、
割と僕はツイッターというかXを見るんですけども、すごいバチバチの議論が交わされてて、
もう入っていくつもりはなかったんだけど、これは確かに今被災した野党の問題ではあるんだけども、
自分たちのことでもあると思って見てて、ここを残していく意味っていうのを、
どうせ正当性を持っているのは、何が正当なのかわからないんですけども、
久松さんの本なんかはそういうのをすごい、もう俺に指差していっているんじゃないかみたいな感じで、
多分受け止めた人結構多いんじゃないかなと思うんですけども、
お前はどうなんだというふうに僕はすごく感じて、
でも文化とかの話もそうですけども、一回亡くなっちゃうと取り戻すことができなかなか難しくて、
だから里山みたいなのがすごく生産性とかで見るとものすごく低いし、
本当に補助金を例えば出してインフラを整備しているんだとしたら、
もしかしたら亡くなってもいいのかもっていうふうに感じちゃうかもしれないけど、
いやそうじゃないだろうと僕は思っていて、
ただそこをちゃんとそれほど明確に絶対にあった方がいいということは言えないんだけども、
みんなが気づいた時にもう亡くなっていないように守っていきたいなみたいなのが、
今のところ未来のために、未来の資産というか資源としてやっぱり里山ちゃんと残ってほしいなというので、
やってますけど、本当に全部が残るとはとても思えないです。
地域文化の継承
たぶん亡くなっていく里山というのはこれから出てくるから、
例えばここに大原とか、
大和じゃねえや、大洲とか、市役町とかですね、
いろいろ面白いことをやっている人たちがいるところは何か残りそうだなという気がしていて、
結局最後は人間みたいになると、そういう人育てるというのも里山の面白いところというか、
魅力なのかなと思ってやってます。
なので、あまり割り切れないものではあるんだけども、
それを大事にしたいなという、消費者も増えているので、
買って応援してもらっているのもそういう意味だろうと思っているし、
その里山というものについて、もうちょっといろんな深い話をしたいなと思って、
今日もこういう話をしているという感じですね。
そうですね、本当に僕もしょっちゅう考えているんですけど、
やっぱりもう本当に維持が難しいなというのはすごい感じますね。
今、りゅうちゃんがおっしゃっているように、やっぱり伝統とか文化、
本当にそこで考える人がいなくなったりとか、やる人がいなくなったら本当に無くなるなと思っていて、
田んぼとかもやっぱりそうで、田んぼを整備する人とか水路を掃除する人とかもいなくなったら、
たぶん1年田んぼ全部終わるんでしょというような、そんなふうに思ったりとかもするんですよ。
本当は消えるのは本当は簡単で消えると思うけど、
でもそこに住んでいる人たちって、何か別に決していると思っているわけではないと思っているし、
残せないなら残したいと思う。
何ならその場所を使ってやれることをやりたいと思う人も多分いると思うんですよね。
何かそれを見つけきれていなかったりとか、そこの手助けみたいなのが僕はやっぱりできていないなという感じが自分の中ではあってですね。
だから何かもうちょっとそこら辺を探れるような場というか機械みたいなのは作っていかないといけないかなというふうに思っていて、
僕は日本人が本当はみんな強いなって本当は思っていてですね、
本当に危機になった時とかはすごい力があるんじゃないかなとはずっと思ってですね。
何かそういう課題とかを本当の意味でちゃんと共有して、こういうふうにやっていこうというふうにあったりとかしたら、
例えばその行政の水道とか海浦関係のこととかでも、
元々は行政がやる場合は全部地域というか民間がそういうのを管理とかもしてましたし、
そういうのもあったけど、でも今は全部税金使って公共でやってもらうのが当たり前でみたいなという、
そういうふうな考えになってしまっているから、
でもほんまやったら昔の人は自分たち自力でやってたんやったし、じゃあできるよねという、そういうのもある可能性があるから、
まだまだ方法はあるんじゃないかなとは自分は思っていてですね。
農村をそういうふうに基盤を支えているのも、やっぱり工作を給与する人、
昔は農民がいたけど、その農民をもう一度たくさん作っていくこと自体にすごい限りがあるんじゃないかなとは思っていて、
本当はちょっとシェアファンみたいな感じなんですけど、
とにかく土から離れすぎた人たちをもう一度好きに触れるようなダンスを作ればいいかなと思って、
カジ君、さっきの話を聞いてて、シェアファンとか福祉とかやってるじゃないですか、
結構やっぱり積極的に行政とかいろんな人と関わるようにしてますか?
関わるようにしてますね。
こっちから行くというよりかは、マルシェとかやってるとやってくださったりする。
そもそもマルシェやること自体も人と関わっていかないとできないですね。
そうですね。
別に得意じゃないんですけど。
でも農業やったら別に人と関わらんでやろうと思えばできる。
できるけれども、やっぱそこは溢れる何かがあって、
こうしたいって思ってるビジョンがあるというか、
こうなったらいいのにみたいな感じで動いてる感じですか?
そうですね。
まちというのが、いいまちって何だよなっていうのはよく考えてたことがあって、
できれば地球できるようなところ、自分たちのところで何でも作り出せて、
そこで消費できて、何でもそれは物質的なものもそうだし、
見えない考えた知恵とか、そういう無形的なものもあるので、
やられて、それが地域の中でできれば自分たちでできればいいかなって思ってる考えがよくあるんですけどね。
それが別に中央集権的な感じで、どこかの国家の中央集権的な感じで、
そこが統率するようになっても、それぞれが実質して動き出せれば、
本当の意味で強い国が最終的にはできるんじゃないかなって思えるような考えがしてるんですけども、
元々は国っていうのは後から作ったものでしたから、
元々はそういう風な感じでまちって何かって言ったと思うし、
そういう意味では、統率することは大変やけど、
でもそれぞれがバラバラで動いてる方が本当の意味では強い国になるんじゃないかって思えるような考えがあるんですけども。
革命王。革命王とか。
敵大会みたいなね。
それぞれがどれぞれの領域に動いてほしいって目標を持つわけですね。
だから自分たちの地域っていうのを自分ごとで捉えてもらえるようなことだとかするんじゃないかと思ってるんです。
そこは熱意がすごいなって思います。
でもなんかすごいその話面白くて、非常に自主的に動く人たちが出てきて、
自立分散型の地域がどんどんできていくみたいなイメージなんでしょうけど、
逆に僕なんか15年、16年いると、地域のハブ的ななんとなく役割というか、
上の世代の人たちの非常に飲むのはこうやからこうしたらええねみたいな、
暗黙の了解みたいなのがいっぱい農村にはあるわけじゃないですか。
それを例えば言語化して言葉にしてやってきた人に、
これはこれこれこういう理由でこういう動きをしたらちょっとまずいよみたいな話をしたりする。
例えばこの動きをしてしまったらちょっとあのおじいちゃん嫌がるかもしれんし、
畑貸してくれへんようになるかもよみたいなのがどんどんどんどん見えてくるじゃないですか。
そういうのをちょっと伝えたりしているんですけど、
そうするとちょっとこう押し付けがましい話にもどんどんなってきて、
自分がそういう立場になってきたってことですか。
たぶんそうです。
でもそういった言われたことが移住してきた人に、
なんていうのかな、そういうことをミイラトリがミイラになって、
私たちに同じようなことを押し付けてきやがると、
なるほど、そういう考え方もあるのかと思って、
この地域でやっていくにはこういう雰囲気がいいんじゃないですかと思うけれども、
移住と地域文化の関係
全然そんなことはなくてもっと自由にやりたいなと思っている人たちもいて、
こんな多様な人たちをどんどんどんどん同じ地域で入れながらやっていくって、
どうしたらいいんだろうと思ったりしちゃいますね。
いつまでも移住してきた、その地域にとっては未熟な自分だと思っていたけれども、
新しく入ってきた人にとってみると、
老害化した人がいるというのが気づかないと危ないなというのがたまに、
若い人と話しているときに、あれ、俺ちょっともう弱かったんだよなという感じになるときはあります。
僕、田舎に移住して衝撃だったことがあって、
村に移住するわけじゃないですか。その村って結構苗字が一緒だったりしますよね。
それ、大体2つの苗字があるんですけど、
その苗字をルーツをたどっていくと室町時代とか、
その地名とか苗字とかが、おそらく500年とか、
その頃からずっとそのファミリーがその土地のことを決めてきていて、
すぐ道を挟んで隣の地区、隣の村はまた違う苗字が2つあって、
その人たちは同じくらいの長さで、何らかの推理権で争ったりしつつ、
連綿とつながれてきているわけじゃないですか。そこにひょっこり僕ら入るわけじゃないですか。
なんかこう、海の山岳民族の村に訪れるみたいな感じなんやなっていうのは、
一見わからないんやけど、入ってみたら気づくみたいなところがあって、
感じていることとか、背負っているものっていうのの重みが、
なんかちょっとびっくりしたんですよね、最初ね。それで行くじゃないけど、
おっとって思って、これはこっちがやっぱりここにいればここに従わなきゃいけないのか、
でもちょっと待てよ、それってフェアじゃないよなって思う自分もいて、
なんかその辺がね、むずいなって思ってました。
農業と地域の役割
フェアじゃない自分っていうのはどういうこと?
いやなんかやっぱり、その村に入って、じゃあその村はもう、
すごいわけわからないルールいっぱいあるじゃないですか。
階段はこの順番に回して次こうみたいな、この人飛ばすとか、
何だったっけ、上回りか下回りとかあるみたいなとか、
そういういろいろルールがあって、いやこれおかしくないみたいなこともいっぱいあったりとか、
でもやっぱり葬式の時にうちの村独自のやり方があったりとかして、
そういうのとか面白かったりとか、
なんかでもこれって一つの文化やけれども、やっぱりうちも人が減ってきてて、
どんどん簡略化されていって、もうおしめ団をみんなで作ってたのが、
ねえさあ、こうなんで買ってきて、するわけじゃないですか。
なんかね、僕が一番わらわらの上手だったりするんですよ、うちのところで。
あれ?みたいな。
これってなんか、どうなん?って思ったりしてます。
しめ縄の嵐はうちもほんと一緒で、だいたい1月の第2番目の日曜日ぐらいにだいたい凝っていて、
班長さんの家で、その家の中で立派なしめ縄を作るっていうのがあるんですけれども、
もう全然みんなできなくなってて、本当にこれは続くのかなって思うんですけれども、
文化ってどこかの時代では生まれた年があるものじゃないですか。
だからそういうのって、消えていくのも別に、
さっきジェントンが、それはしょうがないというか、当然だよなと。
ただ僕らがそういう新しい文化みたいなのを生み出せるのかっていうのは、
今の現代にもすごくできるのかなと思ってたんだけれども、
あとの人から見ないと、あるいはこれは文化というふうにはならないのかなと思うと、
たぶん生きていることは実感できないんだけど、僕らもたぶんそういう文化を進めて、
移住者を受け入れないような地域は、本当に文化も続かなければ新たに物も生まれなくて、
どんどん失われていっちゃうという地域になったから、
そうやって受け入れてくれる地域は、たぶん残っていくんだろうなという気はします。
本当に文化のこととか、残すということですけど、
どういう文化が残っていくのかって、よく考えることもあるんですけど、
結局やっぱり残したい文化しか残ってないんだから、
残そう、これ大事やから残さんと、みたいなというふうな、
理由的な感じでやっていくと、絶対残さないから、もう使えなくなったなみたいな、
という感じが僕の中ではあって、
誰かがみんなで残したいねって思っているやつとかは結構残っていったりとかする気はしてるんですよ。
あまり詰めらんかもそうで、
うちの地区は隣の地区では結構みんなで年末になったら集まって一緒に笑ったりとか、
いう風に残ってたりとかしていて、うちの地域とかはそんなになかったりとかはしてるんですけども、
でもなんか、うちのワルシャイのスタッフでですね、
シメノワのワークショップをやってるんですよ。
彼女は女の子なんですけど、彼女とかそういうのをやってるのも、
彼女は外出身じゃなくて外から来た子なんですけども、
やっぱりそういうシメノワの文化とかを見て、
何かしらインスピレーション、インスパイアするところが多分あって、
それでワークショップをやっていて、
形はもともとあった形とは多分違うと思うんですけども、
そういう風な感じで少しアレンジ加えた感じだったり、
何かしらの引き継ぐところが引き継いで形変えて、
続いていったりとかするんじゃないかなと思っていて、
多分祭りとかもそうやと思うんですよ。
もともとあったような祭りでは違って、
今風の感じの祭りに変わって、
今もちょっとだいぶ怪しいことがあるんですけども、
でも祭りという儀式だったりとか、
残せるものはやっぱり残したいと思うようになって、
多分今のような形になってるということがあるから、
そういう気持ちでみんな残したやつだけ最後持ってるから、
なくなるものがダメっていう感じの部分もあると思っていて、
でも逆にあれってことはね、
もともとなかったやつが生まれたということだから、
多分またどこかで生まれるんじゃないかなと判断するんですけども。
古文書研究どうなんですか?
古文書研究…古文書研究してるとね、
本当にこんなに昔はこうで今には伝わってないやなっていうこととかがあったりするし、
あとはその地域の話でいうと、
例えばある大原の村に泥棒が入ったんですけれども、
その泥棒は誰かという話し合いをするんですが、
最終的に過数決で泥棒を決めたりするんです。
過数決で泥棒を決めたり?
あります?それ。
でもそれってさ、
なんとなくこの村で、この村の雰囲気にそぐわへん、
立ち振る舞いをしてきた人を村人ちょっと嫌いしてたんでしょうねとか、
例えばそんな…
その人から読み取れる?
あったみたいで。
何の話?って。
なんかすごいそこまでディープになると、
非常にコミュニティとしては強固な形があるのかもしれないけど、
それは嫌じゃないですか、今の時代に。
そんな嫌…
なんかどういう雰囲気でこれからね、
実事者である僕たちが楽しみながら、
そういう文化と文化を残しながらやっていけたらいいのかなとは、
すごく考えるというか、コモジュアル。
で、コモジュアルもそうなんだけど、
今聞いていると、
移住してきた人たちがどういう風になってきたらいいのかな、
みたいな話はすごくよくわかったんですけど、
じゃあそこに農業って僕らどういう風に、
なんだろうな、農的な暮らしってやっぱりそういうところに、
やっぱり必要なんですかね。
僕は必要だと思うんですが。
農業をやっているからこそ地域と関われるんじゃないですか。
デザイナーで移住して地域で、
溝掃除とか、
役に立たないこいつってなるよりかは、
断然役に立つんじゃないかと。
対等に話ができるんだと。
僕は結構なんていうのかな、
里山の美しさみたいなのは、
一時的な自然、本当の自然じゃないんですね。
結局田んぼとかこういう里山の美しさっていうのは
二次自然で人が作り出したもので、
やっぱりそれが手がかけてしまった以上は、
維持していかなきゃいけないから、
阻害もしなきゃいけないし、
もちろん漏れもしなきゃいけないしとか、
田んぼ荒らしてしまったら、
本当になんとなく全てが終わっていくんだろうなと思うと、
今面白い取り組みをしている人がたくさんいるし、
田んぼ大輝ということで、
いろいろ見抜けてくれたりする人もいるけど、
そういった里山の舞台が整っているから、
いいことを知れて美しいっていう感じになるので、
それをどう守っていくのかっていうのは、
本当に今、自分の脳法というか、
勇気ということをもうやめても、
その農地を守っていくっていうふうに
やっていこうかなというぐらいに思っているんですけれども、
自分のところの人たちはどう思われているか、
どういう意味なのかわからないんですけれども、
やっぱり田んぼ荒らされていくのを見るのは辛いというふうに
みんな言っているので、
そこを守っていった作品は多分、
もっといい里山が残ってくるんだろうなというふうに
思っています。
文化の継承と新たな創造
そうですね。
うちもでもみたいな感じだと思います。
農家が何をできるかといったときにですね、
うちの地域では、
天井農家さんをまだまだ選んでいたりとか、
農業をやる人が少なくなって、
でも重視している人たちというのは、
ああいう風景とかがやっぱりすごい、
すごい惹かれてきた人たちが多いと思うんです。
で、実際野菜を作りたいとか、
ご飯をやりたいという人とかもいるんですよ。
いるけど、教えてくれる人がやっぱり人気。
で、どこに集落を構えて、
どこのずっと住んでいたら、
たとえば息子さんとかお母さんとか、
おじいちゃんおばあちゃんを教えてもらったりとか、
入居するような、
そういう身近な師匠がいたからこそ、
そういう地域があって、
風景が維持されてきたというところが結構あると思うんですけども、
都道府県から来た人たちというのは、
どこのセルテンがあって、
教えてくれる人がやっぱり人気だから、
結構とどまっているところがあるんじゃないかなと、
僕は思っているんですね。
で、農家で何ができるかといったときに、
僕は特に何にもっておいた、
ご飯とかも、どれができないのかというのは、
そういう人たちに対してガイドしてあげることが、
まず一つできるんじゃないかなと、
ずっと思っていて、
本当にご飯やりたいんですよという人がいて、
でも僕もまだ全然自分の生活とか思わない状態になったりとかしているから、
そこまで教えに向かったりするのが、
いつも気の毒になってしまっているんですけども、
でも、ある程度の形になって、
自分でもそこに関われるような形になってきたりしたら、
コミュニティでみんなでご飯をやりたいとか、
コミュニティと農業の重要性
本当にこういうふうにみんなで一緒にそこを、
こういうふうにご飯を作ってほしいな、
そういうようなところも今は思うしないね、
みたいなこともあったりしますし、
そのためのコミュニティは別にやるけども、
普通に言うことも便利だったりとかするんで、
だから、たぶんそうだと思うんですよ。
そんなふうになると思います。
勇気やめてもみんなが疲れる。
っていう事例が今の仕掛けです。
あれ?みたいな。
勇気にやめてもどうなるんですか?
いつかはこっそり勇気にしてやろうとは、
こっそりはダメだと思っているんだけど、
その人たちの話すときは、
もう僕は何でもいいんです。
言えば、よし、みたいな。
で、徐々に抑制を繰り返していくように、
ニュースに変換していく。
技術の問題もあるんで、
それはいずれとは思うんですけども、
できるとは思うんですけどもね。
ていうか、たぶんもう、
技術があがっていると思うから、
勇気でもある程度、
完結してくると思っているし、
実現できるんじゃないかな。
うちの地区で結構大規模で、
米と豆を観光でやっているのが3位ですけど、
観光をやけるのもグループを勉強しているんですよ。
地域資源の循環
その人に言うと、
農家は全員勇気を一回勉強したらいい。
それでそうするだけで、
別に別に農薬を使う量も減るし、
効率も上がるし、という話をしていて、
すごいいい目線だなと思っています。
ちょっと大肥の話を聞きたいなと思っていますけど、
一応遠くから来られているので、
地域でコンポストというか、
大肥の場を作って、
例えば大原にあんな大肥場ができたら、
どうなるか考えたときに、
結構インパクトあるんじゃないかと。
その地域の中で、
白川町でそういうインパクトがあったのかというと、
あと森道みたいなところで、
大肥のことをついてやるというのは、
やっぱりこの資源循環って、
どっちかというと都会的な価値観というか、
トレンドになってきているので、
上がってきている話だと思うんですけども、
やっぱりそこの、
今の都会の人たちに対する受け、
あと地域でできたときの反応みたいなのって、
どうなるのかちょっと気になっています。
都会の人たちに対しては、
やっぱり今、
結構コンポストというものが、
おしゃれな感じに思われていて、
自在しているなみたいな感じはあるんですけども、
今のSDGsとかエポとかそういう観点と、
単純に生活が気持ちよくなるというか、
いろいろ組み合わせると、
やっぱりもっと歴史的なところになるので、
結構意思が高まっていると思うんですけども、
森道でやっていてもですね、
みんなのこの世の周りも、
この辺の生ゴミでできた大肥なんですよ、
見せてもですね、
絶対やっぱりピンとこないですよね。
魚が切り身で売っていると思っているみたいな。
これを見ると生ゴミと魚を結びつかんで、
えー!みたいな感じになるんで、
まだやっぱり、
本当にちょっとファッション、
日本って割とファッションから入るというようなところがありましたけど、
コンポストもまだちょっとファッションで、
ちょっとちゃんとできていないなというようなやり方が、
僕は見ていてあるので、
もうちょっとちゃんとしたやり方がある。
その辺をちゃんとやるにはですね、
結局のところ、
小さい箱とかバッグの中では完結しないので、
それを誰かにまとめてちゃんと発行させて退院してもらう。
自分の仕組みが必要で、
それは大きな、
どこかに地方集権的に大きな工場があって、
そこでやるんじゃなくて、
大原に一箇所という固定があって、
市民、市民というか消費者の人たちがそのところに持ってきて、
それを代金するような仕組みで、
そこでできた代金でまた地域で野菜作って、
どんどんどんどんフローカルで回していくみたいなのが、
本来だって農業っていうのは、
海外から農耕を輸入しないとできないものではなかったはずじゃないですか。
それがどんどん人の手を離れていくというか、
やっぱりどんどん規模が大きくなってくると、
法律とかがいろいろとなってくると、
さっき畑君が市から離れてしまったんだけれども、
なんとなく外国からのものを頼らないとできないものになってしまって、
農業というのが見えなくなっちゃってきているなと思うんですけれども、
こういうところだったらなおさら農家とも近いし、
そういうのをつながるきっかけとして、コンコーションを利用してやれば、
コンコーションコミュニティということを最近伝わるんですけれども、
農業の未来を考える
いい関係ができるんですね。
自分の生ゴミを持っててくれる人からだったら、
この人から買うみたいな感じで、
私の育ったものを育ててもらった人が育ててくれたもので帰ってくるみたいな、
というのを実感できると思うので、
どんどんそういう小さなコミュニティがいっぱいできるというのが、
わりと日本はそういうのがあっているんじゃないかなと思うんですよね。
だから商農というのも、これからは科学ではないかなと、
商農推しなんですけれども、面白いなと思います。
その大規模な技術者を増やすというのが、
僕は学校で見れるんですけれども、面白いと思います。
ファッションというのがすごくいいなと思ったというか、
例えば生ゴミ、京都市内の人から生ゴミを大原の農家が受け入れて、
循環させること、多分社会的なインパクトとしてはめちゃくちゃ大きいものではないし、
循環の割合としてはめちゃくちゃ小さいものなのかもしれないけど、
多分里山とか産地じゃない小さいところ、里で僕らがやる意味というのは、
肥農家の方々とアクセスしやすい場所でやり続ける、
そういう農業から派生する何かしらの体験であったりとか、
アイデアを共有しやすい場所にあるというのはすごく大きいなと思っていて、
そうして循環の形を見た人が、
じゃあもっと全体的にはこんなことを考えなきゃいけないのかもしれないねとか、
そういうところに持っていけたりしたら面白いのかなとは思ったというか。
ちょっとファッションの言い方を失礼してみました。
ファッションはいいんですよ。形から入るというのは全然いいんですけども、
本質的というか、本当にやっているところも見えるような場があれば、
結構そこに興味がある人は実際に森道の会場でも最終的にはその土を買って帰る。
オーガンフェスの土を持ってずっと歩いているお客さんが何人かいたりとかもして、
興味のある人というのは少し少なからずにいるんだなというのはあったので、
最初はファッションみたいなのがいいと思うんだけども、
やっているとだんだんそこが増えてくるんじゃないかなと。
まとめに入りかけてですね。
自称の勇気はどうですか、みなさん。
なんとなくやっぱり、多分ある程度の確信とある程度の迷いを持ってやっていると思うんですけども。
確信の部分としては、結構今日話を聞いていて、
それぞれの確信の部分ってあるなというのは、やっぱりあるですよね。
やっぱ常に農家としてどうなのかみたいなこととか、迷うこともありますよね。
対比者を、僕もわずか4年卒業したんですけど、
あのユウちゃんの会社を拠点として作るかという人ってなかなかいるんじゃないかなと思って、
あんなでっかいのが。
僕も踏みとどまったりとかをやって、小さな感じのやつをするんですけども。
そこは慎重にやったほうがいいですね。
あれは大胆すぎましたね。
規模でしたらどうなんですか。もっと小さくてもいいから、
例えば対比を拠点として、そこで人と人がつながったりとかするような場を作るという意味であれば、
そんなユウちゃんとこのほどの立派なものを扱わなくてもいいんじゃないかと。
僕の方だと今はもうすでに足りないんですよ。
あれでも足りなくて。
対比自体で、
ネジするっていう活動があるんだけども、
対比だけではなくていろんな活用があって、
マイオードンであり、ストロークであり、生ゴミでありみたいな。
いろんな幅を持ってやれば全然いけるし、
うち農家としてあれを持ってやれば、
費用代が単純に節約もできます。
ちょうど北海道から切り減らしちゃう中は、
力の職業工場からそういうのを簡単に受け取れるような条件があるんでから、
この人は自分で対比を作っていけば、
本当に農業がもっと純実にできるんじゃないかと。
もう切り減らしちゃいますからね。
とりあえず今からいろいろと考える。
これどう使おうか考えると思うんですけどね。
対比者ファーストで。
とりあえず参っててください。
僕は大丈夫です。
これはね、ウェントアライアファームさんという、
僕もそういうことをやりたいなと思っている農家もいますし、
地域にそういう農家が少しでもいたらね、
また広がっていくのかなとすごい思うというか。
先ほど原田さんのところ見せてもらったんですけども、
すごく配達と回収がセットになっている。
ああいう仕組みがすごくいいなと思って。
僕は配達はとてもお客さんが近くにいないのでできないんですけども、
エンディングに向けて。
はぐれたんですか?
京都と並べはどういう課題ですか?
京都って僕は去年の6月にエキスポで来て、
いろいろしたのがあったんですけども、
本当に手上とか坂の途中とか、
いろんな農家さんがいらっしゃって、
すごい面白いところだなと思って、
今回はそういう話をしてきたんですけども、
これからいろんな新しいことが始まりそうな気がします。
ビアコモですね。
そんなところで一旦、いいですかね。
何の結論も出ていません。
モヤモヤしている農家の話を聞いたということで、
会場の方にどうしましょう。
せっかく農家さん来られているので、
ぶっちゃっていいですか。
一番、萩原さん。
びっくりしちゃったんですよ。
誰か話してもらいたい農家がいるかって言ったら。
大原とか京都の方はご存じない方もいらっしゃるかもしれないですけど、
萩原さんで野良蔵農場といって、
佐久、長野の方ですごい農業をされている有機農業界の
超トップスターみたいな感じで、
ところで僕ら喋って申し訳ありません。
今の話を聞いて、
感想をお願いします。
皆さんおっしゃっていた存在意義というか、
小さいところで存在意義って、
僕なんかも突きつけられるんですよ。
よくこの場で紹介されると大規模とか言われるんですけど、
全然自分で大規模って思ったことがなくて、
一品一品大してやってないですよ。
9ヘクタールはやってるけど、
農業の新しい手法
そんなにもないですよね。あんまり大きい感覚がなくて、
これからの農業のテクノロジーの
発達を考えると、
身も蓋もないですけど、
直線距離が取れるところは大役立つと思うんですよ。
僕ら佐久大町なんかほんとないんですよ。
小さくて。
そこで僕らどうやってやっていくのかって、
僕はずっと考える。今でも考える。
ただちょっとつまんないなと思うが、
佐久町で観光農業ってレタスとか、
いったり入る数で決まっておって、
有料農地の人が売り上げが高いっていうのは
完全にイコールなんですよね。
すごく日陰とか多いんですよ。
そうじゃないやり方が、
中山町、佐久町にあった方がいいと思ってて、
そうしないと選択肢がなさすぎるので、
僕の方は生産技術の方に
全振りしちゃった。
小さい面積でも、
ちゃんときちっと取れるっていう方向に
全振りしちゃったんですけど、
高谷さんの畑とか見たし思ったら、
あの枚数で買ったのかと思うと、
やっぱり高谷さんがやられてきた大秘を含めた事業っていうのが、
やっぱり考えた上で
なったんだなっていう。
地域とか状況によって、
モデルケースはないなと思います。
高谷さんがなんでそこに至ったのかっていう、
思考経路を僕たちが学ぶということで、
こういう皆さんの話を、
抽象度を上げて自分に取り込んで、
明日の畑で具体に落とすっていう、
一回抽象度を上げるしかないと思うんですよね。
地域も全然違うと思うんで、年齢も違うと思うんで、
それは僕はちょっと今回そういう感じで、
やっぱり皆さんが今至ってる理由はそれぞれあるという感じでした。
地域の多様性
手法ですよね。
結局そこ、農心とか移住した時って、
最初からこんな農業をしてここに行くぞって言って、
そんなに良いところに当たるわけないっていう、
結局ご縁で繋がったところで、
いかに生き残っていくかみたいなところの手法っていうのは、
それぞれみんな違いますもんね。
だそうです。
大変恐縮な話ですね。
昨日もお話ししたんですけど、
最初は全然違うスタイルの農業をしようと思ってたんですけど、
残念ながら全然そういうのに適した場所が長くない中で、
大抵のことを学んだ時に、
絶対これだと思ってですね、
全然後々考えずに案内しちゃったっていう、
みたいな感じでやったので、
あんまりひとりが肩始めに進められないんですけども、
結果としてでも自分の直感は新しかったかなと思うんですけども、
本当にモデルケースがないって、
今聞いてくださったのは本当にそうで、
ある種の多様性がないとやっていけないっていうのは、
全てに置き入れることですけど、
本当にたとえば多様性で、
いろんな人が来るっていうのが楽しくもあり、
そうじゃなきゃやりたくないんだなっていうのを
すごく悲しく思います。
他に何か、すみません。
質問でも感想でもいいんですけど、
質問でも感想でもいいんですけど、
もしいましたら、ご自由に。
言いにくくなった。
あれ、質問とかないですか?
生産者でない人の話聞いていいですか?
そうですね、そうですね。
生産者以外の方は?
あ、そうですね。
ネイさんやルミさんやマイちゃんあたり、
どうですか?
消費者としてこんな話を聞きながらとか、
八百屋としてこんな話を聞きながらとか。
お得さんにいつもお世話になっています。
自然食品店をやっているナチュラルフードンブリの
赤塚と申しますのお話、
すごいどれも面白くて共感できて、
有機農業じゃなくていいっていう言葉とかも、
私もすごい、
自然食品店っていう、
オーガニックっていうのを全面的に売り出している
店なので、
もっといろいろ話してみたいなってことが
あったんですけど、
昨日からなぜかコンポストの話が
テーマにいろんな人としてたんで、
今日はこの2日間くらいコンポストの話ばっかり
ポッドキャストの紹介
上がってくるなと思いながら聞いてたんですけど、
新しく会員さんから
回収してコンポストやってみるという取り組みも
すごいいいなと思ってたんですけど、
町の人から集める工夫というか、
いろんなものが戻ってきちゃうと思うんですね。
具体的にはどのように
気をつけて回収されているのかなっていうのは
すごい興味があったので、
コンポストコミュニティをどう成熟させていっているのか
ちょっとお伺いしたいです。
僕が何箇所かでそういうのを立ち上げて、
だいたい流林とかのグループで始めるんですけど、
ここにいるのは農家なんですよ。
それはそういう作業スペースを持っていたり、
ここにこういうことをしたりするような
環境がある農家。
うちの考え方は
2段階に切り分けて退任しました。
最初は腐らせないで貯める。
それを貯めたのをまとめて退任するんですけど、
最初の簡単な部分だけを
一般の方にやってもらうというので、
それで専用の箱を作って、
中にはそういう見せ物とか
増えた状態の材料を入れて、そこに生が入れて出て、
やる程度溜まったら回収して退任するという
やり方なんですけれども、
大きくて置き場がないとか、
もっと単純にその
なおがかりなことができないという話もあるので、
我々さんのような
こまめに集めるような回収方法などが
そういうのもいいのではないかと思います。
最終的にはそれが集まったのを
お店の方でそういうのが
大変勝手になると、
大変です。
一回の作業が
3、400分かかって、
しかも置いておく場所も必要だし、
いろいろなことがあるので、
ぜひ何かその方法を持ってください。
僕が大事なのはそこにちゃんとお金を稼いでさせることだと思っていて、
それは最初に
箱を作るときはもちろん箱代をもらうし、
その中に入れる銅材は
700円という非常に安い値段なんですが、
700円で2ヶ月持つのがだいぶ安いですが、
それを販売するし、
持ってきてもらったときには材料があったということで、
応援で少しお返しをしたりとかいう感じで、
ここまで回ってるんだな、
結局そういう人は僕もお金を買ってくれるし、
顔が見える以上の関係が切り抜けるので、
今回のときはすごくウィンウィンな
材料を買いました。
そんなものが入っていて困ってたとか
そんなのはないですか?
やっぱり人工物は
袋とか大きなケータイとか
そういうのが入っているのは困るので、
それはちゃんとその場で言うんですけれども、
そういうのがいっぱい使ったようなものが
あまり捨てられると困るんですけれども、
そのためのお越しがいっぱいあるってことはないので、
横切りしなくてもいいと思います。
たくさんの家から集めると結構流して
変なものが流されていくので、
少ない割合としては。
この問題はないと思います。
僕は今のところ問題はないです。
上手い人と下手な人はいいです。
下手な人は箱の中がゴロゴロしているんですけれども、
そこは毎回指導してほしいという。
そんなに難しくないので、
ぜひワークショップなど。
お店でもやっていきたいなと思いながら、
母とか両親世代は
貴族になれちゃうかみたいな。
そのイメージが
すごくついちゃったんですよ。
間違ったやり方がすごく普及して、
ホームオフスタイルでバケツひっくり返したような。
あれだと絶対できないので、
どうしてもあれが普及してしまったので、
嫌だっていう世代がいるので、
今はもう違います。
それこそ八百屋さんとかがカブになって
回収できたら一番いいですね。
今この距離感なので、
返しに行きやすい場所かなと思っています。
農家さんは全部回るのも、
配達があればいいけどね。
一箇所に集約できたら、
今愛知ではカフェをハブにして、
何個か所くらいの集めるベースを作って、
一軒の農家で対比化しているというのをやっていて、
それの農業が広がっていったらしいです。
これから結構そのモデルは増えていくのではないかと。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
他何かありますでしょうか。
はい、どうぞ。
福島学校での集団が、
特定の農家さんが
農家さんと一緒に
農家さんと一緒に
特定の集団が
特定の農家さんと一緒に
職業生産の農家さんと一緒に
それは僕もすごくいつも思っています。
多分オーガニックとか、
消耗の効果というのは、
生産者と直接つながっている感じとか、
顔が見えるというか、
それを通して地域とつながっているみたいなので、
昔、大原さんは野菜を
野菜はまた別ですけど、
野菜はまた別ですけど、
そういう文化が今はなくなったけど、
逆にこういう変なプレイヤーがいっぱい、
農家なんか、八百屋なんかが
いっぱいゴロゴロして
グラグラやっているのが新しい文化を作っているのではないかという意味では、
もっと連携していったら面白いですね。
最後にちょっと、
それぞれポッドキャストやっているので、
ポッドキャストも宣伝して終わりましょうか。
僕の方では京都オーガニックアクションで
京都オーガニックラジオというのをやっています。
京都のオーガニックの生産者と小売店を
主に焦点を当てて配信しております。よかったら聴いてください。
僕の一番多いので最後がいいかな。
じゃあ僕が先に行きます。
タイヒとか家庭サイエンのアドバイザーとか
すごい面白いXなんですけど、僕のXは古文書研究。
古文書研究をしているおじいさんの話を聞くということをベースにしたラジオなので、
なかなかちょっと晴れないんですけど、大原ジオという名前で
大原のいろいろを深掘りするラジオをやっています。
大原に興味が出ておられます。
ちょっとだけでも聴いてみてください。
ありがとうございます。
うちのポッドキャストはサドンティラジオという名前でして、
私と作曲部にいますように美学の漁師と
山の地下の川国民と
特に興味のある大学生の4人でやっているポッドキャストです。
まだ25回と26回くらいと非常に若いポッドキャストなので、
ぜひこれからも楽しく聴いてほしいなと思います。よろしくお願いします。
最後にも紹介させてもらった
小野ラジオという番組なんですけれども、
この話にも少ししたいなと思ったのは、
里と移住の文化
5年前に始めて、その時はほんと何も気なしに小野ラジオ、
小さい頃からやったら小野ラジオくらいがいつもになかったんですけれども、
この小野という側にすごく惹かれて、
いろいろ自分の中で考えが回って今に至るというところがあって、
コロナが運命だったのかなと思っているんですけれども、
いろいろ大学の先生だったりとか、
小学校の方がたくさん出てくれている番組です。
なぜかというと耳が開いているのではないかと思うので、
ぜひ最後に聞いてもらったら嬉しいです。
今日ステッカーを持ってきているので、
リスナーの方は、星5つ付けてくれた方にはステッカーが付いていますので、
ぜひ星5つを超えてみてください。
どうもありがとうございました。
はい、いかがでしたでしょうか。
ちょっと聞きづらい部分があったかと思うんですけれども、
最後にですね、来場者からコメントをいただいたのがすごく良かったので、
ちょっと聞き取りづらかったかもしれないので、
もう一度、地球研の野田さんという方からいただいたんですけれども、
文化は特定の集団が特定のやり方をすることだと思うから、
少納は文化を作っているんじゃないですかというコメントを実はいただいていて、
これ結構4人ともおおって感動したんですよ。
なので非常に嬉しいコメントをもらいました。
はい、ということで、少納ラジオ、少納座談会みたいなイベントだったんですけれども、
非常に楽しかったです。
少納ラジオを通して結構いろんな人とつながって、
最近対比者の方にもいろんな番組聞いてくる方とか、
学校に入る方とかもいて、非常にやってて良かったなと思います。
はい、ということで、今回はこれで終わりたいと思います。
さっき言った地球研の野田さん、実は今どこだったかな、
ザンビアで生ゴミの対比化、これもちょっと面白い方法で対比化する取り組みをしている方で、
ザンビアから帰ってきたら、熱が冷めない頃に少納ラジオでお話ししましょうというので、
快諾していただいているので、近々多分野田さんがまた出てくれると思います。
楽しみにしていてください。
はい、ではさよなら。
54:45

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