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【#196】所作としての掃除|箒研究者・前田陽太さんと考える日常の身体感覚
2026-05-19 28:34

【#196】所作としての掃除|箒研究者・前田陽太さんと考える日常の身体感覚

在野の箒研究者をゲストに迎え、「掃除」という行為を日常の所作として掘り下げた回。

※ホストは杉田のみでお送りします。

※収録環境の関係上、所々音質が悪い箇所がございます。


埃をゼロにすることも、空間を完璧に管理することも難しい。だからこそ、“空間の一部として共存させてもらう感覚”が大切なのではないか——そんな問いから対話が始まります。


箒の音で掃除の状態がわかること。掃除が場だけでなく自分自身を整える“修行”でもあること。さらに、日本の掃除文化や「浄/不浄」の感覚、箒が持つ魔術性まで。


掃除を「ただの作業」ではなく、人と空間の関係を結び直す行為として見つめ直した一回です。


ゲスト

前田陽太

在野の箒探求・実践者メタバース関連スタートアップでの経験を経て、現実世界の多元的な在り方に関心を持ち、人類学を軸にリサーチと実践を展開。岩手県九戸村の箒産地他、暮らしに根ざした道具「箒」のフィールドワークを継続中。最近は、コンタクト・インプロビゼーションや庭師など身体の純粋経験に関心があり、展示/ワークショップ/パフォーマンス等、もの・身体に関わる様々な表現活動を行う。現在は兵庫県多可町の山間部に在住、箒の原材料であるホウキモロコシを栽培している。


「埃」「掃除」に関するBridge Studioの刊行物:

https://bridgekyoto.base.shop/items/140218075


出演/杉田真理子・前田陽太

Podcast サムネイル作成/Nippashi

編集/髙橋隆太




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サマリー

このエピソードでは、在野の箒研究者である前田陽太さんをゲストに迎え、掃除という行為を日常の所作として深く掘り下げています。埃を完全に排除するのではなく、空間の一部として共存する感覚の重要性から対話が始まりました。箒の音で掃除の状態がわかること、掃除が自己を整える修行でもあること、日本の掃除文化や「浄/不浄」の感覚、さらには箒が持つ魔術的な側面まで、多岐にわたるテーマが語られました。 前田さんは、人類学的な関心から箒の研究に至った経緯や、世界各地の箒の素材や使われ方の違いについて紹介しました。また、日本の学校における生徒による掃除や、仏教における修行としての掃除、神道における煤払いといった文化的な側面にも触れ、掃除が単なる作業ではなく、人と空間の関係性を結び直す行為であることを示唆しました。さらに、箒が持つ魔術的な意味合いや、現代における掃除の捉え方、そして庭師やダンスといった身体的な経験との繋がりについても考察しました。 今後の展望として、前田さんは自己と他者の境界を揺るがすような探求を続け、人類学的な知見を文章化していくことへの意欲を示しました。この対話を通して、掃除という日常的な行為が持つ奥深さや、文化、身体、精神性との繋がりが明らかになりました。

箒研究者・前田陽太さんの登場と自己紹介
皆さん、こんにちは。都市デザイナーの杉田麻里子と、
エクスペリエンスデザイナーの石川赤子です。
Good News for Citiesは、世界中のグッドなニュースから、
自分たちの手で都市の暮らしを豊かにするアイデアを探求していく番組です。
前からずっと深掘ってお話をしたいと思っていた前田陽太さんに来ていただいています。
前田さんの肩書きは、ザイヤの箒研究者で、
これだけ聞いてもみんな分からないと思うんですけど、箒の研究をされていて、
私との一番最初の出会いは、去年の夏ぐらいでしたっけ?
ブリッジスタジオっていう私が京都で運営している場所で、
箒をみんなで作って最後に掃除をするっていうワークショップをしていただきました。
むちゃくちゃ引き出しも多く、私はこのワークショップを通して、
すごい視野が広がったので、もうちょっと深掘って聞きたいなということで、
今回お声掛けをしました。前田さんどうぞよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
じゃあ、ザイヤの箒研究者前田さん、自己紹介をお願いいたします。
はい、改めまして前田陽太と言います。よろしくお願いします。
肩書きが謎すぎて、ザイヤのってついてるんですけど、
ザイヤじゃない、箒研究者いるのかみたいなところも含めてなんですけど、
最近ちょっとそういう感じで言わせてもらっています。
もともと、なんで箒なの?みたいなのもあると思うんですけど、
結構自分は人類学に関する関心っていうのが、ここ3,4年ですかね、結構あったりしていて、
特にアカデミックで学んだとかそういうわけではないんですけど、
人類学的な理論だったりとか、あるいはフィールドリサーチの方法だったりとか、
そういうものを個人の探求実践としてやっていきたいなっていうところに、
もともとは箒の前に掃除機とかっていうものがあったんですけど、
その後、ちょっとたまたま箒というものに出会って、
そこから箒を作っている産地の方にお邪魔して、
いろいろと学ばせていただいたり、フィールドリサーチさせていただいたりですとか、
今は自分でもちょっと作ったりですとか、
ということを人類学を軸にしながらやっている人間になっています。
最近はそれ以外に、これは一応仕事でもあるんですけど、
庭師の見習いみたいなことを始めたりですとか、
あとは他の趣味で言うと、最近コンタクトインプロビゼーションっていう、
コンテンポラリーダンスになるんですかね、
っていうダンスのイッシュっていうものを結構積極的にやって、
自分でも企画したりですとか、やったりとか、
つながりのないことをいろいろやっている人間なんですけど、
一応自分の中では少しつながりを出せながら、
今活動しているという感じになっています。
面白い。ありがとうございます。
マルチスピーシス人類学、私もすごい興味があって、
でもその中で掃除機とか箒っていう、
すごいニッチな存在に注目したって、
すごい革命的だなと思って、
「埃」との向き合い方と箒の魅力
もうその時点で私のテンション爆上がりで、
そもそも去年、前田さんにワークショップお願いしようと思った経緯なんですけど、
その時、結構私、掃除とか埃というものが毎日のテーマになっていて、
ブリッジスタジオってすごい古い建物で、
何年も空き家になっていたところなので、
掃除しても掃除しても埃が出てきたりとか、
使っている人から壁にすごい埃が溜まっているとか、
あと海外の人とかは柱とかを水拭きしたら黒くなるみたいなのが、
すごい衝撃で、みんなで水拭きするんだけど、
何度拭いても何度拭いても汚れが出てきて、
これってもうどうしたらいいんだろうみたいなのに、
ぶち当たっていたんですよね。
その時に、これを根本的な問題じゃなくて、
これはこういうものであり、
頭に浮かんだのがトトロの真っ黒クロスケで、
家のコンディションというものを人間が全て管理するって、
すごい難しいというか不可能だなっていうのは、
特に日本建築みたいなものだと、
そういうふうに作られてないな、そもそも、
みたいなことに気づいた時期だったんですよね。
窓開けてたら蝉入ってくるし、
やっぱりどんなにきれいにしてても、
定期的なケアっていうのは欠かせないし、
全て管理された状態ではない、
それを作れないっていう時に、
それとどう機嫌よく向き合っていくのか、
折り合いをつけるのか、
みたいなところを考えてた時期だったんですよね。
それを話した時に、
知り合いの子に前田さんの研究を紹介していただいて、
後、前田さん初めて会った時、
面白い本持ってきてくださってましたよね。
何だっけ?
日本建築の木造建築の新井の文化についてっていう。
それもまた無知かニッチな本。
ちょっとその本の話もしてもらえたらなと思うんですけど、
そんなことを聞いてて思い出しましたね。
そうですね。ありがとうございます。
今の話、かなりめちゃくちゃ共感する部分があるというか、
自分も今、ここ1年半、2年ぐらい、
日本科学、兵庫の山のほうなんですけど、
日本科学に越してきて、
単純に探究っていうだけではなくて、
自分の暮らし、生活実践そのものが、
結構そういう環境にあったりもするので、
すごい共感したところなんですね。
あと、またトトロの話で申し訳ないんですけど、
マックロクロス家か。
家はもともとあって、
人間はその一部に住ませていただくみたいな。
マックロクロス家にはマックロクロス家の領域があり、
屋根裏とか、床下とか、
多分そのいわゆるすす渡りみたいな存在だけじゃなくて、
昔の日本科学とかだったら、
結構その暗いスペースみたいなのもあって、
光に照らされて、
そこから妖怪とか、
出し気晴らしみたいな話が出てきたりとか、
人間がそのマスタリー、
その空間を自分のものとしてコントロールするっていうよりも、
その一部に共存させてもらうみたいな謙虚さっていうのは、
前田さんの話を聞いていて、
すごい思ったりもしましたね。
ちょっとこの前のワークショップで何をしたのかみたいなところも踏まえ、
その前田さんが全国駆けずり回って、
ホウキンを集めたりとか作ったりしてると思うんですけど、
その話もちょっと聞いてもいいですか?
そうですね。ありがとうございます。
そうですね。前回、ベリッジスタジオさんでやらせていただいたときは、
少し自分の人類学的な調査的なものだったりもシェアさせていただきながら、
そのときはお米の収穫後のミグを使ったワナのホウキンっていうのと、
あとは京都の京北で伐採したシロっていう、
ヤシノキ系の木の皮を使ったシロのホウキンだったりとか、
そういうものを作らせていただいたんですけど、
ホウキンってこれは日本だけに限らず、
世界的に昔から結構あるものだと思うんですけど、
めちゃくちゃプリミティブというか、
その辺にある材を束ねたらホウキンと呼べるんじゃないかっていうぐらい、
素朴な道具だと思うんですよね。
かつ、やっぱりその土地に使われているもの、
素材っていうのはその土地にある植生っていうものを使われているので、
例えば僕の持っているインドネシアのバリのホウキンだったら、
ココナッツの葉芯、葉っぱの一番硬い部分を使ったホウキンですし、
タイのものだったらまた別のものですし、
日本だったらシロっていうものとか、
あとホウキンもろこしっていうもろこし属のイネ科の、
それ専用というか栽培作物っていう工芸作物のものがあるんですけど、
そういうものを主に使っていて、
なので自分が土地に行くときっていうのは、
その素材の違いだったりとか、使われ方の違いだったりとか、
っていうところに着目しながら見に行っていて、
特に自分は南部ホウキという岩手県の久野辺村っていうところの
ホウキン産地に実際にお邪魔して、
収穫のお手伝いしたりとか、草取りのお手伝いしたりとか、
あとはホウキンの作り方を教えていただいたりとか、
してっていう形で、今大体どっか行ったら何かホウキンのものを買って
帰ってくるみたいな感じで待ってますね。
最高ですね。ホウキンコレクションもむちゃ良かったですね。
ちっちゃいものから結構大型のもので、
庭履き用とか室内用とか色々あったのを思い出しました。
ちなみにアフリカでもホウキンはむちゃよく見ますね。
毎朝ホウキンを使ってみんな道路を履いている音で目覚めるみたいなのよくありますね。
結構砂っぽい地域に今いるんですけど、
ちょっと斜め型の外履き用のやつをみんな、
特に女性が外履いている。
なるほど、そうですよね。
自分も最近ホウキンってやっぱり日本だと基本的に掃除機がベースなので、
ちょっとそういう良いものっていうか工芸品とか荒物が好きな人が持っているような
イメージとかも結構あったりはしたんですけど、
最近それこそ自分が庭師として結構外で働いたりとか、
建物の建築で働いたりとかしている時もめちゃくちゃ彼らもホウキン持っていて、
竹のホウキンもそうですし、いわゆる座敷ホウキンもそうですし、
ああいう現場って本当に有効だなっていうか、
建築の現場だったりああいう現場とか、
普通に当たり前にそれも自分たちで作りながら使われているので、
まだまだ日本においてもこんなにいろんな場所で使われているんだなっていうのは、
本当に今も実感しているところです。
いいですよね。
箒の音、掃除の所作、そして仏教との繋がり
あとワークショップでみんなでいろいろ時間が限られていたので、
そんな大きなものというより結構みんな手のひらサイズのものとか作っている人が、
シュロとかも使っていた人も多かったんですけど、
それを使ってみんなで掃除をする考慮をしているときに思ったのが、
すごい音が美しいなと思って、
掃除機の音が子供の頃からすごい苦手で、
また掃除の時間が来たみたいな、
何とも言えない嫌さみたいなのがあったんですけど、
ホウキンって耳障りではないというか、
むしろ心地よい音だなっていうのを改めてコメントですけど、
思ったりもしましたね。
そうですね。
だけど音っていうのは多分かなり大事で、
僕もなかなかホウキン作ったりとかそこの現場立ち会っているんですけど、
具体的なホウキンの使い方だったりとかって、
やっぱり種類によって全然違ったりとか、
じゃあどこを吐くのかっていうのによっても、
例えば畑だったりとかそういうものも含めて、
全然違うのかなっていうふうに思うんですけど、
最近ちょっと今度3月にそういう掃除道具、
ホウキンだったりとか畑の使い方を習うっていうワークショップを、
ちょっと外部の方を招いてやったりするんですけど、
そこだとやっぱりちゃんと掃除できてるできてないっていうのは、
耳では分かるというか音で分かるので、
ホウキンだったら本当にスススっていう音とその感覚ですね、
だったりとか畑だったら本当に、
掃除の酸の部分にだけを吐くというか、
その紙の部分に当てずに酸だけに当たるみたいな、
スパンスパンスパンっていう音とリズムみたいなものが、
最初はやっぱりできなくて、
それができてるとちゃんと掃除できてるねっていう判断になるらしいので、
やっぱりその諸差というか、
諸差はね、なるほど。
あとそれでも思い出したんですけど、
ワークショップのときの前田さんのプレゼンの中で、
仏教との関わり、何でしたっけ、
修行の一部、修行の一部じゃないの、
掃除から始まり、掃除に終わるみたいな話をしてたと思うんですけど、
さっきお寺の人と一緒に掃除をする機会があったんですけど、
ホウキンの使い方がマジでうまくて、
これができないと始まらないんですよ、みたいなことを言っていたんですけど、
ちょっとそのあたりも教えてもらえますか。
そうですね、ありがとうございます。
そうですね、いわゆるホウキンを使った掃除だったりっていうのは、
かなりいろんな文脈で語られることも多いのかなと思っていて、
直近だとそういうね、家事だったりとかっていうのもあると思いますし、
あと日本だとやっぱり学校教育の中で、
ある種衛生とか保健体育とか、あるいはしつけみたいな文脈で
語られること結構あるのかなというふうに思うけど、
やっぱり古くをたどると、今おっしゃっていただいたような、
修行だったりとか、あるいは仏教として、
掃除をやるっていうのは、やはり第一に置かれているっていう部分が
あったりするのかなというふうに思いますね。
やっぱり背景としては、もちろん彼らが修行している場だったり庭だったり、
整えていくっていうところもそうだと思うんですけど、
やはり掃除をするっていう行為が、
浄とか浮浄みたいなものにアプローチをしていくというところがあって、
その浮浄なもの、例えば浮浄だとされるものに対して、
自分自身が身体的にどのように荒れるのかっていうのが、
たぶんすごい問われる場面だというふうに思うんですよね。
例えば、禅宗とかだったら陰徳を積むみたいな形で、
偉い人ほど、トイレ掃除とかはおまえは手とかで、
毎朝やっていくっていうところで、陰徳を積むだったりとか、
陰徳に対してその姿を見せるところも含めて、
やはり第一義的に置かれて、
それを何か全て任せてしまうっていうことではなくて、
それは日々の鍛錬というか、訓練というか、
まさに修行的なものもあると思うので、
日々毎朝やるっていうことが定着しているというか、
当たり前になっているのかなというふうには思いますね。
それめっちゃ面白いですね。
偉い人ほどトイレ掃除をするみたいなのって、
あんまり日本の外で見ないというか、
それで思い出したんですけど、
小学校とかで小学生、中学校とかもなんですかね、
学校終わりにみんなで掃除するじゃないですか。
自分たちで。
それも世界的に見ると、まじで珍しい文化というか、
たぶんね、日本人はそれが当たり前だと思っていると思うんですけど、
それこそアメリカのハイスクールとかだと、
いわゆるジャニーターみたいな人がいて、
掃除担当の人がいて、
基本的にその人がやってくれるみたいな。
なんか、幼い頃からみんな自分たちでその場所を、
自分たちでケアしているかどうかによって、
結構そのものの扱い方とか、
すごい変わってくるんじゃないかなというのが、
すごい聞いてて思いましたね。
うん、そうですよね。
まさにそうだなと思っていて、
日本の掃除文化と魔術的な側面
自分も今、小学3年生の息子がいたりするんですけど、
これ、彼のスタンカーとかに行くと、
自分が平成の時代とかに見たような標語というかポスター、
その掃除が大事だよみたいなものが、
ほぼ同じ年齢で貼ってあったりもするので、
続いているんだなというふうに思いますし、
あとは仏教ではなくて、
神道というか神社だったりとかいう部分になるんですけど、
すす払い、年中行事の中で言うとすす払い、
それは正月ことはじめということでもあるんですけど、
12月13日がその日というふうになっていて、
なので神殿だったりとか、
普段の全然手の叩かないような3メートル上とかですね、
そういった部分とかを笹の葉を切ってきて、
それで剥くということをやったりしてですね、
半分くらいパフォーマティブな部分とか、
儀礼的な部分もあるんだというふうに思うんですけど、
結構それが昔だと、
家庭にみんな総出で集まって、
それをみんなで年末の葬事というのをやって、
かつその後にみんなで一家団らしながら、
家庭のことだったりとか、
いろいろ談話をする時間が設けられているという意味で、
彼は年間の中でもすごく重要な一日になっていたというふうに思いますし、
そういう中で、みんなでまさに家をケアしていくというところの精神が育まれたりというのは、
家庭の中でもすごい行われていたんだろうなと思います。
それはめっちゃ面白いです。
清めるという行為、清める、掃除するという行為が、
すごいパブリックなものである、
その笹払いという行為も、
一人でやるんじゃなくて、
次の人が集まってきて何人かでやるということですよね。
とか、小学校の掃除を一人のジャニーターさんがやるんじゃなくて、
子どもたちがみんなで担当を振って、
しかも今週はトイレ当番とか、
今週はこの部屋とか回すじゃないですか。
すごい共有の行為でやるというのも、
すごいいいなというふうに思って、
掃除って汚いし、
みんなやりたくなくて、
なんなら機械にとって代わってほしいし、
個人でやるものであり、
もしくはお金を払って誰かにやってもらう、
みたいな、
そういうアチチュードを、
ヨーロッパとかにいるとすごい感じるんですけど、
それこそ偉ければ偉いほど掃除しないというか、
お金がある人は掃除しないように雇うし、
その分断が居心地悪いな、
みたいな思うこともすごいあって、
みんなで掃除をするとか、
結構好きなんですけど、
お掃除とか、
お掃除じゃなくてもみんなでつきつき集まって、
みんなでケアをするみたいな、
そういう掃除の共有、
ファブリック性みたいなところ、
特徴的だなと思いましたね。
たしかにたしかに。
普通に楽しいですよね。
学校の掃除だからだと、
ほうきで遊んじゃったりして、
怒られたりみたいな、
普通にそういう思い出もあったりすると思うんですけど、
ただ結構、
僕、ほうきを持っている家庭の方に、
インタビューとかヒアリングとかもさせていただいて、
結構、
許容レベルっていうか、
例えばさっきのほこりみたいな話で言うと、
どういうタイミングで掃除をしたくなるかとか、
それをどれくらい突き詰めてやるのか、
みたいなことって、
結構その人に依存したりとか、
誰と一緒に生活しているかに依存したりとかするなな、
というふうに思っていて、
そこを合わせていくっていうと、
結構、家庭のいざこざをなくす上で大事だったりするのかな、
というふうに思うんですけど、
ただ日本の場合だと、
なんとなくそこのベースラインっていうか、
さっきのみんなでやるっていうことによって、
整っているイメージもあったりするので、
そういう延長に、
必ずしもあるのか分からないですけど、
いわゆる日本の街並みっていうところが、
ある程度掃除されて整然としている、
みたいなところは、
その辺のライン感というかレベル感というか、
みんなで共有の体験をした、
ということも含めて、
何か整っている側面あるのかな、
というふうに思います。
面白いですね。
あと、まだ話してないですけど、
前田さんに以前研究内容を聞いたときに、
ほうきが持つ魔術的な側面、意味合い、
これが全国に見られる、
みたいなのが面白かったです。
魔女はなぜほうきにまたがっているのかとか。
はいはい。
そうですよね。
僕もそこは初め、
全然そういう感じで思っていなかったので、
結構意外性があるというか、
むしろその術だったりとか、
術的な部分と結びつけられていて、
むしろほうきの始まりとしては、
そっちなんじゃないか、みたいな説もあるぐらい、
な感じだったんですよね。
なので結構、日本とかだと、
それこそ関西だと、
神戸市とかにもほうきの宮っていうところが、
あったりするんですけど、
そこは出産の儀礼のためにほうきを使っていて、
お腹をなでるっていう感じですね。
それは子どもに魂を下ろしていくっていう仕草だったりするんですけど、
かと思えば逆に早々儀礼でお葬式とか、
っていうところでも使われていたらしくて、
それは逆に死者から魂が外に出ていかないように吐き集めて、
その中に留めておくみたいな、
一見真逆のシーンではあるんですけど、
同じように魂との関係性ってところで使われていたりですとか、
あとは予算振興の中の儀礼として、
ほうきを逆さに立てる玉ぼうきっていうものがあって、
ほうきの先にガラス玉で装飾というか宝石というか、
そういうものをつけて払うというか振るような道具もあったりするんですけど、
そういう各所で見られますし、
あとはそういう儀礼的なもの以外で言うと、
いわゆる例えば京都だとほうきを逆さに立てると、
長い客に帰ってほしいっていう意味合いを示しているだったりとか、
あと聞いた話だとそれこそアフリカとかだと、
結婚式とかでほうきをまたぐというか、
ほうきにまたがってジャンプするっていうのをやって、
それが何か2人の関係性に末永くみたいな意味を示しているっていうことを、
ちょっと記事で読んだりとかもしていたので、
多分そういうものは全国というか全世界的にあるのかなっていうのを思ってて、
やっぱりそれは少し繰り返しの部分もあるんですけど、
やっぱり情とか不情だったりとか、
そういうものを扱う、
そういうものだったりとか、
っていうところとのつながりが、
すごく日本は日本なりの海外連のグループだったなっていうふうには思っています。
むちゃくちゃ面白いです。
今後の展望:境界の探求と執筆活動
なんかすごい長くなっちゃって申し訳ないんですけど、
なんか今、これからの話みたいなところで、
庭師の仕事も始められたりとか、
もう結構いろいろほうきの世界は探求されてきたと思うんですけど、
なんかまだやれてないことというか、
この先こういう方向でやってみたいみたいな、
ちょっと展望もあれば聞かせていただけたらと思います。
ありがとうございます。
そうですね、自分の場合は、
さっき前半の方で家の捉え方だったりとか、
自分自身の存在を相対化するみたいな話だったりとか、
家と外を曖昧にするみたいな話とかも少しさせていただいていたんですけど、
そこのイメージというか、
事故と他者、それはさっきのマルチスピーシスみたいなものも含めてなんですけど、
そこの境界っていうものをどう、
溶かすというよりは揺るがすようなことができるのかっていうイメージがあって、
なんとなく自分は自分として徹底的にきれいにしたいみたいな気分の時もあれば、
もうちょっとそれが緩やかに寄り添うような気分の時もあれば、
そのどちらでもない気分の時もあったりとかって、
それは気分だったりシチュエーションだったりとか、
いろんな条件によって立ち会われると思うんですけど、
なんかそれを日々の日常の行いの中でそういうものに迫るっていう意味合いで、
掃除とか、掃除を使った掃除とかっていうところに、
なんとなくイメージがあったりしていて、
庭だったらそれと共通するテーマの中で、
その庭の中でいわゆる迫り来る野生みたいなところと、
人間のある種のデザインみたいなところっていうのをどう調整するというか、
うまく合わせていくかっていうところがあったりすると思うんですけど、
そういう部分に共通して関心があって、
それがダンスの現場だったりとか、庭だったりとか、掃除の短期だったりとか、
いろんな部分で事故と他者と境界領域みたいなところに、
結構関心が寄っているのかなと思います。
そこは引き続き、いろんな現場に行きながら探求しているっていうのと、
あともう1個、すごく個人的な展望ではあるんですけど、
1個は人類学に関心があるって言って、少しそういう手法も用いたりしてるんですけど、
もうちょっと書くっていうことをやっていこうかなっていうのは今年思っていることで、
それは論文チックなものだったりとか、
人類学もやっぱりフィールドワークをして、エスノグラフィーをして、
最終的にはそれを理論化する、概念化するっていうところでやっていくんだと思うんですけど、
そこってまた全然別の世界っていうか、
引きしたものをいかに概念化するのかって、
多分別のスキルだったりとか、別の経験だったりとか必要なのかなっていうふうに思うので、
なんかその辺りまで自分の中でできてくると、
本当にほうきもろこしという材を作るみたいなこととか、
ほうきを作るだったりとか、
さっきの事故と他者の関係性を捉え直すっていうこともやりつつ、
それを何か概念化する、抽象化するっていうところで、
自分の中では一気通貫してやっているのかなと思って、
ちょっとその辺りやっていけたらなと思っています。
めっちゃいいですね。ありがとうございます。
これからもいろいろ教えてください。
ほうきと相次と人類学といろんなテーマでディスカッションしていきたいなと思いました。
あとワークショップもまたやってもらいたいなと思っております。
ほうきはまりました。
ということで前田さんありがとうございます。
引き続きよろしくお願いします。
ありがとうございました。
DMやメッセージもお待ちしております。
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