高圧洗浄機の使用
こんにちは、英語指導メンタリストのはじめ先生です。このチャンネルでは、思考を変えることによって、英語力と人生を劇的に好転させる秘訣についてお伝えしています。
今日のテーマは、高圧洗浄機から学んだこと、というお話です。
昨日は昨日で、お茶漬けと英語学習という謎のテーマで挑んでみましたが、今日は高圧洗浄機ですよ。
一体どこに向かっているのかという感じもしないですが、先日日曜日にお休みの日だったので、家の掃除をしようと思っていました。
ふと気がつくと、外階段がめちゃめちゃ汚くなっていました。
道路に面したところに門があって、そこの門から階段を上がっていって、ちょっと高いところに家が建っていて、そこに玄関があるような感じになっています。
その外階段は白いタイルなのですが、しばらく入念な掃除をしていなかったので、気がつくとめちゃめちゃ汚くなっていました。
特に雨が降った後だと汚くなるわけです。
一年本気して、一年本気というわけではないのですが、久しぶりに高圧洗浄機を使って掃除をしようと思っていました。
気がつくと何年か高圧洗浄機を使っていなくて、2,3年ぶりぐらいに高圧洗浄機を出して、
使い方も忘れているくらいの勢いで、このホースはどこにつなぐんだっけ?と思いました。
思い出し思い出し、高圧洗浄機をつないで、電源もオンして、水道のバルブも開けて、
さあいざ、久々に高圧洗浄でタイルをきれいにしましょうとやり始めたのですが、
これがびっくりするほど汚れているんですよね。
こういう白さだったよね、と改めて思い出すみたいな感じで、無我夢中になってやりました。
でも結構時間がかかって、全部やり終わるのに1時間半かかったかな?そんなにかかっていないかな?
結構ずっと高圧洗浄機をブーブーブーブーやっていて、音もうるさいので近所も迷惑だっただろうなと思うんですけど、
ただ終わってみると、やっぱりめちゃめちゃ気持ちいいんですよ。
すごい真っ白なタイルが復活して、何年かぶりに見えて、
上がるのも楽しいみたいな感じになったんですけど、
ただね、作業中に気をつけないと、タイル自体は高圧洗浄で割れることはほぼほぼないと思います。
けれども、タイルの目地に向かって高圧洗浄をかけると、目地が吹き飛んじゃったりもするんですよね。
なので、そこの弱くなっているところは気をつけてやらないといけないなと思ったんです。
で、これが一体何の話につながるかという話なんですけど、
心の掃除の重要性
私たちって普通に生きているだけで、いろんなゴミみたいなものをいっぱい身体につけていると思うんですよ。
身体とか心につけているんだろうなと思い立ったわけですよ、そこで。
特に日常を過ごしていると、日々いろんなことがあって、いろんなものに忙殺されていたりすると、
自分で主体的に何か考えるというより、いろんなものが自分のところに降ってくるじゃないですか。
人の話が飛んでくるとか、上司から何かこういうふうに言われるとか、家族に何かこういうふうに言われるとか、いろんなことがあったり、
他にも人を取り巻く諸々の事情というのがあると思うんですけど、
そういったものがだんだんだんだん、そこの処理できなかったものとか、あるいは中途半端にしちゃっていたものとかが、
だんだんだんだん蓄積されてですね、ゴミみたいになって、自分は何がやりたいんだっけみたいになっちゃうというのが結構あると思うんですけれども、
やっぱりそういう意味でね、徹底的にクリーニングをするというのは大事だなというふうに改めて思ったわけですよ。
僕は去年の12月くらいかな、長年使っていたパソコンが壊れましてですね、それで新しくしたんです。
新しくした瞬間はね、めちゃめちゃサクサク動くんだけど、最近の中でもまた動きが遅いんですよね。
ハードディスクというかSSDに、結構ズームで撮った録画とか入れているっていうのもあるんだけど、なんか動きが遅くなっちゃう。
これもね、やっぱりね、いろんなものを捨てないとダメなんですよね。
そのデータでどうしても必要なものは別のバックアプリの方に入れちゃうとかっていうことをやってもいいと思うんだけど、
そもそもまあやっぱりもういらないのに持っているものとかもすごいあったりするじゃないですか。
それはその実際にその人がもう使えなくなった物であったり服であったりっていうこともあるんだろうけど、
もっともっとよく考えてみると、別に今そういう考え方を持っていなくてもよくないみたいな考え、
あるいはその人の価値観とか、あるいはその人の埋め込まれたものみたいなもの。
そういった人にはいろんな種類があると思うんですよ。
例えば親にね、お金を稼ぐ悪い人が多いんだよなんて言われると、それは一つずつ自分の中にいつまでも残ってますよね。
それはひょっとしたら真実かもしれないというスタンスもありだと思うんで、ここで価値を断定するわけではないんですけれども、
やっぱり自分の心の中にあるものも一個一個疑ってみて、これ消してもいいんじゃないかなと思うように問いかけてみるというのも大事かなと思ったんですよ。
心の中でなくても、例えばスマホの中にある住所録とかもね、電話番号とかも。
定期的な見直し
何年電話してないんだろう?この人そもそも誰だっけ?みたいな人もいるわけで、そういう人を一個一個消していく、乱射りしていくというのも、
結構メンタルに与える影響というのは派手かいんじゃないかなというふうに思います。
本当に普段ね、暮らしていると、ちょっと俯瞰した視点、前もちょっとお話ししましたけどね、
自分の状態って意外と近視眼的になっているとか、近くで見ているとわかんないんですけど、
ちょっと引いた目線とか、ちょっと他人の目線みたいに立ってみると、
いやこれ別にもう良くない?ものだったらこれもいらなくない?とか、
考え方だったら別にその考え方は今時しなくてもいい。
今時でなくても、例えば今このタイミングではしなくてもいいとかね。
そういうふうなことがわかるっていう作用があるなというふうに思ったんですよね。
これをやるとなると結構心理的なエネルギーもいるんですよ。
階段掃除もそうなんですけど、
久々に押入れから高圧洗浄機を出し、パーツがどうだっけとか、
どうやって組み立てるんだっけと試行錯誤をしたりね、いろいろやっていると、
そのちょっとしたことがなかなか踏切に預かなくてやれないというふうになって、
結局気が付いたら、前回の高圧洗浄をやってから数年経っていたわけですから、
もっと頻繁にやれば絶対にきれいな状態を保てるのに、
だけど毎日見ているとあまり気づかなかったりしますよね。
だから私たちも同じように心にいろんな汚れ、
汚れというかどうでもいいものがしがみついているとか、
絡まりついてそれを取れないまま、あるいは取らないままで、
それが平常運転だと思っているんだけど、
気が付いてみるとめっちゃいろんなもの、いらないものを持っていました。
もっと捨ててもいいんじゃないでしょうか、みたいな状況があると思うので、
こういうところを皆さんも自分の身の回りの環境、
そして自分の心の中のこれも別に手放してもよくないというようなものを、
きれいに流してみるというのもいいのではないかなというふうに思いました。
知らない間にどんな余分なものがついてきているかというと、
それってやっぱり元の状態を知っていないとわからないですよね。
僕の場合は数年ぶりにコア洗浄をやったら、
あ、もともとこんな色だったね、そういえば、みたいな感じでそこで原点に戻れるんですけど、
心の中にあるゴミというのは、見つけるのも大変だったりするわけですよ。
だからこそ、儀礼というか儀式的にとりあえずコア洗浄をかけるという、
月に1回ぐらいかける、定期的にそういうことをやって、
それで自分の心をもう1回振り返ってみるみたいな、
そんな機会を設けてもいいんじゃないかなというふうに思いました。
はい、ということでね、今日も聞いていただいてありがとうございました。
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OK, thank you for listening and have a great day.