2023-09-30 35:50

#14 人間は誰しも多重人格者

#11 の宿題。人の中には複数の人格がいるという話。それはコミュニケーションをスムーズにするための一つの形なのかもしれません。

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仕事でコミュニケーションを扱う 3 人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、コミュニケーションとは何か?を一緒に考えていくポッドキャストです。

出演者🎙️

田中 愼一           
高木 恵子 (Facebook / LinkedIn)           
中川 浩孝(twitter / Facebook / LinkedIn / note)

ご意見・ご感想、3 人に話してほしいトピック、3 人へのご質問などありましたら、以下のフォームからお送りください。https://forms.gle/ZGKtUCBn3m25Nr6J6

サマリー

ゴールデン・トライアングルのメンバーは、人間の多重人格について話し、コミュニケーションの重要性を探求しています。コミュニケーションは人間関係を変えるポイントであり、ワイガヤさんや厚木さんのパネルディスカッションの例を通じて、場作りや意見の共有が知識創造につながることを実感しています。また、人間を通したコミュニケーションの複雑さを表すヤルタガイデンという出来事も紹介しています。

多重人格の存在
中川 浩孝
コミュニケーション力を究めるゴールデン・トライアングル。仕事でコミュニケーションを扱う3人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、コミュニケーションとは何かを一緒に考えていくポッドキャストです。
田中 愼一
コミュニケーションの修羅場を人生のチャンスと思い込んでいる田中愼一です。よろしくお願いします。
高木 恵子
SEからPR、コミュニケーション業界に転職してはや四半世紀、高木恵子です。
中川 浩孝
外資系企業でマーケティングを経験してきたアメリカ在住、中川浩孝です。
前々回の時に、それぞれの人は人格をいっぱい持っているのではないかという話があって、それをいつか話しましょうと言ったので、今日はその話をしていきたいなと思うんですけれども。
田中 愼一
いいですね。人格って感じでいきますか。
多重人格ね。基本的に人間は誰もみんな多重人格だと思いますね。
要は自分の中にいくつかの自分を持っているんじゃないかっていうのが、僕の経験値ですよね。
コミュニケーションという仕事を40年以上やっていると、やっぱり人間はそれぞれ違った自分というものを内に秘めていて、
それを相手次第でどれを選ぶか、どの人格を選ぶかっていうのは何かやってるような、少なくとも僕の頭の中には、僕の中を見るといくつかの人格があって、相手によってこの人格を出していくっていう操作がされてるっていうのは感じますね。
だから多分、人っていうのはいろいろな相手と向き合わなきゃいけないわけで、多分一つの新たな相手が来たときにそこに一番合う自分ってどれなのかなって選んで、一番合いそうな自分を見せるっていうね。
これ多分ね、意識しなくてみんなやってるんだと思うんですね。
だからそういう意味では、あとは違いはどれだけの多重人格を持ってるか持ってないかっていう。どれだけの量と、それから質で言うとどれだけ多様な人格を持ってるか持ってないかが多分ですよ、コミュニケーションの力っていうか、そこに大きく影響していくんじゃないかと思いますね。
中川 浩孝
面白いですね。田中さんみたいにでもたくさんの人と会ってる人は、じゃあもうめちゃめちゃたくさんの人格が必要なんじゃないですか。
田中 愼一
でもね、確かに千人以上のジャーナリストと会ってるんですよ。千人を超えるからもっと超えるな。下手すごい1500から2000ぐらいの、もちろんこの40年間でですよ。
やはりね、普通の人っていうか、記者と会うと何が違うかというと、彼らってもともとすごい多くの視点を持ってるわけですよ。
彼らの商売は視点商売で、要は視点を記事化することによって読者がおおって思うようなね。だから彼らは絶えず新たな視点を探ってるわけですよ。
彼らと本当に日常半時に会話していると、何が起こるかというと、変な話ですけども、相手はもともと視点商売だからいろんな視点を持ってるわけですね。物事の切り方。
対話の重要性
田中 愼一
そこに追いついていくわけですね。彼らと真っ向に向き合ってると。
そうすると徐々にですね、今度は何が起こるかというと、相手の人よりもこっちの視点を多くするっていう動きになるんですね。
これができると、相手からリスペクトされるんですよ。
中川 浩孝
なるほど。
田中 愼一
そうすると、こちらのいわゆるメディアリレーションっていう仕事がものすごく、これ多分恵子さんなんかも経験されてると思うんですけど、
要は記者の人にこっちが十分視点を逆に与えてあげるっていう関係になると、彼らとの関係性がものすごく良くなるんですね。
そうすると、ジャーナリストと数多く会ってると、絶えず自分の視点っていうものを多様化せざるを得ないんですよ。
多様化することによって相手以上の視点を持つ。だからこれ視点の流動化って呼んでるんですけど、とにかくもう絶えず視点を多くしていく。
そうするとですね、不思議と自分のキャラクターも多様化していくんですよ。
なぜかというと、視点が多様化するってことは、それだけの視点で見ているキャラが出てくるわけですよ。
そうするとね、多分僕は自分のキャラの多様化というか多重人格化をどう推し進めてきたかというと、
多分マスコミという一番そういう視点を商売にしている、物の見方っていうものを商売にしている人たちとの、
1000人か1500人かわかんないけども、とてつもない連中と話してる中で、この多様な多重人格者っていうのがですね、僕の中に入ってるってこんなイメージですね。
中川 浩孝
おもしろいですね。でも私もちょっと何人か広報に携わってきた人たちの自分の周りの人のことを考えると、
なんとなくちょっとそれすごいわかるような気がするっていうのが、今自分の感想としてやっぱりありますね。
田中 愼一
だからそういう多様な視点を持っている人となるべく接していく。
やっぱり多様な視点を持っていれば持っているほど、物が見えるんですよ。
いろいろな角度で物がもっとより立体的に見えていくんですよ。
だからそれをどんどんやっていくと、多分自分の中の多重人格性っていうのもより立体的になってね。
百面相や二重面相や百面相じゃないけれども、相手次第でその中の一人の自分を引き出してくる。
高木 恵子
その人格って、今何か私、田中さんの話聞いてて、それって何だろうな、考え方?
どうやっぱり、考え方のような気がして、それってイコール人格なんですかね?
いろんな考え方があってもいいわけですよね。
田中 愼一
そうですね、多分ね、多分考え方っていうのもあると思います。
でも僕の感覚から言うとまず感じ方。
高木 恵子
あー、感じ方、なるほど。
田中 愼一
で、その感じ方からその考え方。
で、考えたらこれやっぱり表現するわけですよ。
だから個性っていうか、人格っていうのはそういう感じ方によって何かを発想し、発想してそれを表現するっていう、その一連の操作の中に何か定義できる個性っていうの。
中川 浩孝
なんかでもそれすごい面白いなと思ったのは、考えっていうのはどちらかというと理論的なことなので、正解ってある意味一つだと思うんですよ。
でも感じ方っていうのは人によってそれぞれ違うし、正解がないから、そこがやっぱり幅広くなるっていうのが人格が増えていくというか幅が広くなっていくということとつながっているのかなっていうのは今すごく感じましたね。
田中 愼一
だから感じ方が増えるとそれに対する発想も増えてきて、その発想が増えると表現がもっと複雑になっていくんですよ。
だから多分それが人格っていうか、それの一つのワンパターン、ワンパターンっていうのが一つの人格としてこれを定義すると、どれだけのパターンを自分の中に持っているかっていうのが、どれだけの相手と向き合っていけるのかうまくっていうのと関わってくるんじゃないですかね。
人間って僕に言わせると絶えず3人の相手と対話してるっていう。それは3人の相手っていうのはまず自分の他の人との対話ですよね。
だから相手との対話。それからもう一つは自分との対話ですよね。
もう一人の相手っていうのは相手と自分以外にもう一人の第三者的な対話。その第三者的な対話っていうのを相手と自分以外に求める。
例えば宗教なんかそうですよね。キリスト教あるいは神様、あるいは仏教というか仏様とか、あるいは中国で言うと天の声とかね。
つまりそこと対話するっていうね。だから人間って基本的には経験上その3人と対話してて、その3人の対話がうまくいってるかいってないかっていうのが、
実は人間の悩みの厳選で、いずれにしても3つの相手とどう向き合ってるかっていうのは結構重要で、結構イメージできるのは相手との対話ですよね。
相手との対話がうまくいかないと落ち込んだりするし、あと自分との対話も結構イメージできるのは、やっぱり自分が言うこと聞かないじゃないですか。
で自分がこういうふうになっちゃうんだけどどうすればいいんだっていうような、そこを自分と一生懸命対応してるけどなかなかうまくいかないとか。
人格とコミュニケーション
田中 愼一
それから天との対話は、なんでこんな俺ついてないんだよとかね。
天は俺に何をしようと言ってるのかってね。俺をいじめてるつもりかとかね。神様はいないのかとかね。
そういうのって結構人間やるでしょ。つまり相手と自分以外に批判するわけですよ。これは文句言うわけですよ。
だからそういうのがあるんで、多分さっきの多重人格っていうのも、もっとそこと結びつきが結構あるんだろうなと。
逆に言うと多重人格になるとそれだけ多くの相手が増えてくるから、ますます下手すると悩みも多くなるのかなと思ってですね。
どうでしょう。わかんない。多重人格がいいのか悪いのかっていう話だよね。
中川 浩孝
おもしろい。
どうなんですか。それはでも当然それやらないとね、人と人っていうか千差万別で、人はみんな同じ考えの者は一人もないわけで。
そこにね、まっすぐぶつかっていっちゃうと、必ず誰とも相入れないというか、絶対にぶつかってしまうと思うので。
そこをうまく、それこそコミュニケーションで。自分の考えを変える云々ではなくて、
単純にそのコミュニケーションの時にそれを柔らかく包んで言うとか、やっぱりその別に自分の考え方を変えろっていうことではなくて、
単純に表現方法を少し変えるとか。
田中 愼一
いいですね。
中川 浩孝
ちょっとそこだけ。そういう感じですよね。
田中 愼一
そういう感じですね。やっぱりコミュニケーションって対立をなくすことを最善にするわけですよね。
高木 恵子
そうですね。
田中 愼一
社会的動物である人間っていうのは、やっぱり周りと一緒に仲良くしなきゃいけないわけで、対立を生むっていうのが一番馬鹿げた話なんですけど、
生きていけなくなっちゃうんですよ、対立すると。
中川 浩孝
そうですね。
田中 愼一
だから、それをなくすためにコミュニケーションっていうね、方法があって、なくす。
で、はっきり言うと、やっぱり社会的動物ではありながら、やっぱり我々は個人の自我っていうのを持ってるじゃないですか。
持ち方によって西洋と東洋じゃちょっと考え方が違うんだけど、でも自我っていうのは持ってるわけで、
そうするとやっぱり自我を通すだけじゃ世の中生きていけないわけですよね。
中川 浩孝
そうですよね。
田中 愼一
だからもう対立っていうのが自我がある限り必ず起こるわけですよ。
人間の社会。避けて取れない。そこをいかに対立をなくしていくかっていうのが、多分コミュニケーションの一番重要な役割だと思うんですよね。
中川 浩孝
うん、なるほどね。
私の一つ経験がなんかあるんですけど、さっきの記者の人との対話っていうところで、その記者の人が視点があるっていうその通りで、そこは私も全く賛成というかその通りだなと思うんですけど、
私がまだかなり若い時に、ちょっとインタビューを記者の方に受けるという機会があって、
記者の方って結構こういうふうに記事を書こうって考えていらっしゃると思うんですね。
もちろんある程度の筋は考えていらっしゃると思うんですけど。
それがですね、私が言いたいことと全然相入れない内容だったんですよ、例えば。
それを私が今こういうことなので、それはちょっとそう言い方はしてないですけど、それは違いますよっていうのをやんわり否定したつもりだったんですけど、
記者の方はでもそれはこうですよねって、向こうは全く曲げないっていうことがあって、私もまだ若かったので、その時はちょっとコミュニケーションが若干ギクシャクしてしまって、
今考えればもう少しいいコミュニケーション方法があったんだろうなっていうふうに思うんですけど、
だからコミュニケーションって一方方向でずっと同じことをお互いが言っていると平行線でいつまでたっても交わらないので、
お互いにやっぱりお互いに歩み寄ることが必要じゃないですか、その片方だけが折れるとかっていう話じゃなくて、
どこで折り合うかっていうところが大切だと思うので、ちょっとその時はまだ私もね本当に未熟だったのでちょっとあれだったんですけど、
今考えるともっと本当にうまくお話をうまい方向に持っていけたんじゃないかなと思うんですけれども、
っていうのがちょっと私の中で結構トラウマではないんですけど、昔からそれずっと記憶にやっぱり強く残っていて、
そういうのは良くないなっていうふうに思ったっていう経験がかなり若い時にありましたね。
田中 愼一
なるほどね、多分ですね、絶対折り合わないケースってあるんですよ。
それはね確かにあるんですけども、じゃあそこを100%乗り越えられる手法あるかというと、なかなか難しいんですが、
一つの原理原則として使えるのが、自分が変われば相手が変わるんですよ。
高木 恵子
ああ、そうですね。
田中 愼一
だから、通常はまず自分を変えること、つまり対立してるってことはですね、自分も我を通してるわけですよ。
相手も側を通してるわけですよ。だからそこには全然妥協の余地が存在できないわけですよね。
した時にその状況を変える時っていうのは、確かに理論的にはお互いが変わればいいわけだけど、
まずは相手は変わらないと見た方がいい。
中川 浩孝
そうですね。
田中 愼一
自分をまず変えることによって相手が変わるっていう原理を使うしかないんですね。
これはですね、すぐできる場合もありますよ。そういう技ってのはありますよ。
例えば、相手の質問とかコメントを利用してこっちのメッセージを出すっていうね、クリッティングっていう技はありますけども、
もう徹底的に対立し合ってる場合っていうのは、それもう効かないわけですよ。
そうすると、あとはもう時間をかけるしかなくて。
コミュニケーションの重要性
田中 愼一
で、よくね、僕がMBAで教えてると、よくそういう質問があってね、相手が変わんないんですよっていうのがあるわけですよ。
悪いけどね、まず自分が変わることが必要。
そうするとね、自分が変わると相手も変わってくるっていうのは、これ経験値として間違いなくあって、
ただ時間はかかります。だから、よくそういう人に言うのは、まず一番嫌いな人間いるでしょ、誰か。
6ヶ月使って、その人間とお友達になりなさいっていうアサイメントがある。
そうすると、どうするかっていうと、自分を捨てざるを得なくなってくるんですよ。
中川 浩孝
なるほどね。
田中 愼一
で、捨てていくんだけども、捨てていく過程で自分の相手に対するメッセージが変わってくるんですよね。
一番変わってくるのは非言語で変わってくる。
相手が自分を好かれてると、相手から好かれてると思う相手に、嫌な気持ちっていうのは人間持たないんですよ。
よく僕が使う言葉、ラブラブ光線っていうのがあるんだけど。
相手にラブラブ光線を放射するって言うんですね。
それは、基本的に相手に対して、自分を殺すっていう言い方はないんだけど、自分をまず無くすと、
相手に少しでも興味を持つっていう努力をしてくると、徐々に自分の非言語が変わってくるんですよ、相手に対して。
相手はそれを察知するんです。時間かかりますよ。
でも徐々に、実際、経験値として僕は絶えずそれを使ってるんですけども、
どうしてもぶつかる相手って出てくるんですよ。
そういう時はいつもそういう方法で時間をかけながら対立をなくしていくんだけども、
やっぱり効き目はありますね。時間はかかるけど効き目はある。
だから人間って自分の頃をゼロにすると、ゼロにし、相手をもっと素直に見てあげて、
相手のどっかに関心を持つ。
あいつ嫌なやつだけど、でもまあ結構踏ん張ってるよなとかね。
そういうのをやっていくと自分の表現が変わってきて、相手にそれが伝わってきて、相手も徐々に変わってくる。
そういう道しかないですね。
中川 浩孝
確かにね、そうですね。
田中 愼一
今んとこ、40年ぐらいで、100年経験すればね、コミュニケーションを。
もっと仙人的なソリューションが見つかるかもしれないけど、40年そこそこじゃダメですね、まだね。
そこまで至らない。せいぜいそれぐらいしかないです。
高木 恵子
仕事関係だとどうしてもそのコミュニケーションって必要だったりするじゃないですか。
仕事だとある程度利害関係お互いが持ってて、特に例えば我々みたいにクライアントだったら絶対そこの関係性、記者の方もそうですけど、
うまくやっときたいっていうもちろんその前提があるじゃないですか。
例えばこれが仕事ではなくて、ほんとプライベートっていうシチュエーションでもやっぱり苦手だなとか、この人っていう関係性ってあったりするわけじゃないですか。
そういう時って皆さんどうします?
私結構、これこんなに自分が無理してコミュニケーションを取って、この人との関係性をさらに良くしたいかっていう、
私は意外と諦めが早くて、プライベートの方は。仕事はやっぱり絶対諦めはしないんですけど。
田中 愼一
そうですね、それはありますよね。
高木 恵子
なんかプライベートだと、ここまで頑張って頑張って頑張ってどうしてプライベートなのに、そこまで頑張らないとこの人とはうまくリレーションをキープできないんだったらもういいかなみたいな。
田中 愼一
まあそこのどこまで待つか、我慢するかっていうのは一つポイントだと思いますね。
高木 恵子
そうですよね。
田中 愼一
間違いなくそれはポイントだと思うし、あと僕の場合は目的次第ですね。
プライベートでもやっぱり目的ってあるじゃないですか。
目的を実現するためにはね、何とかこことうまくやった方がいいんだろうなのか、それとももうここで切っちゃってもいいよなと思うのか、それ次第ですかね。
中川 浩孝
プライベートの目的ってなんすか?
田中 愼一
いろいろありますよ。
例えば元気になりたいとかね、これが目的じゃないですか。
そうすると誰と話すかとかね、場を作ったりね。
その場を作ると何人か入る中にその嫌な奴が入ってきたとかね。
でもあいつが入ってくれることが重要なんだっていうとか、いろいろありますよ。
面白いのが経験で、何て言うんだろうな、場作りっていうのはやっぱり人間がやっぱりある意味元気になるにはすごく重要で、
昨日なんかも夜ですね、ステーキを食いに、最近うちから卒業して、うちの競合に行った人間と飯食ったんですけど、
向こうもなんかいろいろ申し訳なさそうにもありけど、俺は俺の道を行くって、こっちはこっちでまあ複雑。
でもこっちとしては元気になりたいんでね。
彼といろいろバンバンバンバン話しながら、結構楽しい3時間ぐらいを過ごすことができて、目的達成です。
だからその時は多分お互い、一応アミカブル(amicable:友好的、円満)なんですけど、お互いやっぱりそれぞれあるわけですよ、それぞれね、卒業したっていうバックグラウンドには。
で、それも十分話は聞いてるんだけど、やっぱり少ししこりは残るっていうのは人間の性で、でもそこをあえて本当に意識せず、
やればね、結構というかかなり楽しかったです。やり方いろいろあると思うんですね。
例えば目的がね、相手に後悔させるっていうことが目的だったらね、また違った対応したと思いますけど、
そうじゃなく、そんなのも目的でもなんでもないんで、僕にとってはやっぱり人と会う限りは元気になるっていうのが一つの目的なんだ。
そういうような感じかな。
厚木さんのパネルディスカッション
田中 愼一
こことね直接関わるかどうかわかんないんだけど、場作りですごい面白いなと思ったのが、ロンドンブーツの淳さんいますよね。淳さんね。
実は彼とパネルディスカッションやったことがあるんですよ。
一橋大学の学園祭で。
一橋の大学生が誰がつないでくれたのか知らないけど、実は淳さんを総理大臣にすると。
そのためのワイガヤをぜひともパネルディスカッションをしたいと。
その当時僕は民主党の、結構フライシュマン・ヒラードは民主党の選挙やってたって話題になってたから、そのきっかけで僕のとこに声がかかってきて。
ロンブーの淳さんと僕とで、大きな講堂で300人か400人いる中で、
しかも学生だけじゃなくて、学生の田舎の人たちもみんな集まってきてる感じで。
おばあちゃんもいるんだけども、そこで始まったわけですよ。
その時に僕が淳さんの動きを見てたら面白くて。
まずですね、ネタ化できる人間を見つけるんですよね。
目の前におばあちゃんがいたんで、おばあちゃん一橋の学生なの?ってこう聞くわけですよ。
おばあちゃんが何言ってんだよってね。このおばあちゃんが来るわけないじゃんってそこから対話が始まるわけ。
それから今度は向こう側の端の方に外人がいるから、あんた外人さん?一橋には外人がいるの?っていう話から、
だいたい数人ぐらい仕掛けてネタ化するんですよ。
ネタ化する人間を決めたら、いよいよ淳劇場が始まるわけですよ。
彼は僕もネタにするわけですよ。
こっちもこっちをネタにしながら、漫才やってるような感じで、淳をどうやったら総理大臣に行くかっていう話をボンボンボンボンするんだけど、
彼がネタ化した人たち、数人いるわけですね。そこをどんどんどんどん燃やして、淳から当てちゃうんです、こっちから。
すごいいい雰囲気で、わーってなる中で、淳自身が自分を演出してるっていう、なんていうのかな。
これなんかは別に彼が芸人だからっていうよりも、実はそれをやってる人たちっているんですね。日常の場で、プライベートの世界で。
知識創造プロセスとワイガヤ
田中 愼一
いわゆるみんなを乗せて、うわーってやりながら。で、あれは逆に言うと本人が元気になるんですよ。
本人がみんな乗せながらこうやる。で、これと似たようなのがワイガヤっていうホンダのその知識創造のプロセスの一つなんですけども、
ホンタという会社に入るとだんだん身についてくるものがあって、それ何かというとワイガヤっていう一つのプラクティスなんですね。
で、これは一言で言うと、自分の頭でだけ考えるなっていう原則なんです。
一人の頭で考えたってログなことが出てこないぞと。人の頭を借りよっていう、修正なんですね。
で、結構ホンダで、当時ですけど、成功したっていうか活躍した連中ってみんなこの発想を持っていて、
で、何か一番大きな課題ね、これどうしても解決できないなって悩んでる奴がいると、例えば僕が悩んでる。
そうすると基本的には僕がですね、あいつとあいつとあいつって五六人集めるんですよ。
で、いやさ、実はトップガン見たんだけどさ、やっぱりすげーよなって話から始めて、
なぜすごいかっていうトップガンの話から始めてどんどんどんどんそんな感じ、世間話からたわごとのない話から始めて、
で、何をするかというとみんなを乗せていくんですよ。で、これみんなを乗せるのがさっきのロンブーの手法なんです。
つまりそこに集まった奴をネタ化しながら、お前この前なんとかって言っただろうとか言いながらこうもやしていくんですよ。
で、そこである程度乗った段階で俺今悩んでんだけどさって話になって、こうなんかアイディアねえかって言うと今度ブレストのステージに入るんですね。
ブレストのステージがわーってこう入ってきて、みんないろんな意見を出すわけですよ。
で、それの渦中でこっちはまあ一生懸命あ、そうかそうかなるほどなんてこんなことをやりながらやってるうちに、
だんだんですね一番課題認識がある自分がですよ。
何かこう掴むんですよ。方向性をブレストの中で。で、その中の一つの方向性をピックアップしてそっちに持ってこうとするわけです。
僕が一番、それが一番課題解決に近いんじゃないか直感するわけです。
そうするとそれを動かし始めると今までブレストだったから、今度は一つの方向にこう収斂させようとする動きが出てくると
反発が出てくるんですよ。で、それをケチさんって呼ぶんですけどね。ケチつけるやつって。
で、ケチつけるやつがどんどん出てくるわけですよ。これも一種のネタ化なんだけども、そう僕はそのケチつけたやつを論破しなきゃいけないんです。
はい。理屈で。で、論破していくと徐々にそれを聞いている他の人たちが僕自身の課題認識のレベルに追いついていくんです。
なるほどね。そうするとね、追いつった瞬間がね、ワープって僕は呼んでるんですけど、突然みんなの意見が今までバラバラのブレストからですね、それぞれの意見が積み上がっていく感じ。
はいはいはいはい。で、それがね、なんて言うんだろう、気持ちがいいんですよ。面白い。
あの、そこに参加している人間がすごい気持ちがいいの。元気になってくるの。で、どんどんどんどん未知の世界に入り込んでいく感覚で、これもあるな、これもあるな。
で、そこで大事なのがホワイトボードなんです。はいはいはい。
それを全部絵にしていくんです。そうするとその絵を見てまたさらに刺激を受けて、じゃあこうじゃないのとかね。で、だんだんみんな立ち上がり始めるんですよ。ホワイトボード。
なるほど。で、みんなこうだこうだってやってこう作り上げていくと、予想もしなかったような、あのソリューションが見つかるんです。
で、ソリューションが見つかった瞬間に、全員がおーってこういう感じになって、一つのベクトルに固まるんですよね。
で、一番主催した僕なんかはもう絶好調というか、これ以上元気がない。
あのね、やっぱり人間って自分の中にある暗黙知がですね、一つの絵でも何でもいいんだけど、形式知になった瞬間エクサシーを感じるんですね。
なるほどね。これはね、あの一橋のその知識創造理論っていうのを創業、まあ開発した野中育次郎っていう先生が昔一橋の教授にいたんですけども、野中育次郎出てくると思いますよ、有名だから。
で、彼なんかは知識創造っていうことで、このワイガヤを研究してて、でこのワイガヤがひとつの知識創造プロセスで、なんでみんながうわーって盛り上がって、その一種の快感に似た気持ちになるのかっていうのは、暗黙値から形式値に出ていくときにものすごい快感を人間覚えるってことですね。
で、その快感が基本的には知識創造のまさに原動力になるんですよ。
だからこのワイガヤっていうのはまさにその知識創造のプロセスで、後付けでね、野中先生がそれを理屈したんですけどね。もともとそういう発想が動いてて、でそういう習性をみんな身につけてる人間が多いもんですから、その当時の本田はね。
だから一人で絶対考えない。みんなで考える。でそれをどう考えさせるかっていう、あのプロセスが今のワイガヤのプロセスなんだよね。
中川 浩孝
なるほど。なんかニュースでホンダがほら原則出社に戻るっていうニュースを見て、あーって思ってたけど、そういうバックグラウンドがあってホンダではやっぱり原則出社にしたいっていう、なんか意味がそれで繋がった気がしました。
ヤルタガイデンのネタ化
田中 愼一
あのね、それは僕もね間違いなくあると思います。顔つけ合わせてやんなきゃできないんですよ、ワイガヤは。オンラインでやろうと思って僕も何回かやったんだけどやっぱり密度が違うんですね。で快感の度合いが違う。
で僕のフライシュマンヒラードのいろんなソリューションっていうのはサービスっていうのはそういうワイガヤプロセスでほとんど作ってきてるんですね。
だからもうみんながその元気をいただいてるから、それをサービスとして実行するときにめちゃくちゃ元気で実行するんですよ。で自分のものになってるから。
だからこのワイガヤのプロセスとか、さっき言ったロンドンブーツがやったそのネタ化して周りを盛り上がるとか、少なくとも僕にとってはそれは自分をエナジャイズする。
絶えず元気にする一つの手法なんですね。それをプライベートでも当然ながらやってますし、だからやっぱり飲みに行ったり話に行ったり、そういうのっていうのはやっぱり基本的には僕の場合はプライベートの場ほど自分を元気にする場として設計したいと思うよね。
だからそういうのっていうのはやっぱりすごく重要じゃないかなと思いますよね。だからコミュニケーションっていうのは1対1が本当に現場なんですよ、原点なんですよコミュニケーション。でも3人以上になると違ったフェーズに入ってくるんですね。
これ前も話したと思う、平田オリザさんという脚本家の方が、ヤルタ会談っていうね、ルーズベルト、スターリン、それからチャーチルっていう戦後のドイツと日本をどうするっていうんで、そこで決めた会談だったんですけど全てをね。それを劇化してるんですね。ドラマ化、劇化か劇にしてるんですけど、平田オリザさん。
一度その人とコミュニケーション論を議論したことがあるんですよ。そしたら彼はコミュニケーションっていうのは3人以上で初めて成立するもんだってこう唱えたんですね。2人だとコミュニケーションにはならん、いわゆる煮詰まるっていう発想ですね。3人いるから煮詰まらないで逃げ道があるからいいんだってわけですよ。
で、そこでそれを表現したのがヤルタ会談っていう今のね。これ見てると面白いのは、実は3人ともすごい自我が強いですよね。ルーズベルト、スターリン、チャーチル。これがお互いにアメリカの国益、ソ連の国益、イギリスの国益を考えながら背に背負ってですね、3人が会話するシーンなんですよ。
で、それを見てると面白いのが、ルーズベルトがスターリンと話してる時、実はルーズベルトはスターリンと話してなくて、一番のターゲットはチャーチルなんですよ。なるほど。自分がどういうふうにスターリンと話してるかをチャーチル見せることによって、見せるってことですね。チャーチルに牽制してるんですよ。
で、チャーチルも同じことやってるわけですよ。スターリンも同じことやってるわけですよ。お互いが無数に、もうなんとかすごいスピードで相手が変わってるんですよ。なるほど。対一の相手。もうスターリンと話している時だけでも相手が変わってるんですよ。
ここはスターリンが相手。いや、でもこれはチャーチルが相手。これはスターリンが相手。これはチャーチルと同じスターリンと会話してる途中でも相手を切り替えてるんですね、ルーズベルト。なるほどね。それを同じことをスターリンをやり、チャーチルをやってる。実に見事な、面白い出来ですよ。なるほど。
で、それは何かっていうと、さっきの淳さんのネタ化と同じなんだけども、要はもう一人増えるわけですよ。二人話してるところにもう一人。そうするとその一人がネタ化できるようになるんですよ、お互い。そのネタ化される人も含めて。だから厚木さんで言ったネタ化っていうのは、このヤルタ会談のネタ化っていうのはどっちかというとインフルエンサーの始まりみたいなもんですよね。
なるほど。相手と自分以外にもう一人の第三者が現れるっていう。そこに一つのコミュニケーションのやり取りの複雑さが増えてくるんです。で、それが1対3から1対4、1対5、1対Nって広がっていくわけでしょ。そうすると徐々にインフルエンサーの数が増えてくる。
コミュニケーションの複雑さ
田中 愼一
淳流で言うとネタ化する人間が増えてくる。で、それをネタ化するインフルエンサー化することによって自分の対話を有効に持っていくっていう。だから淳の場合はネタ化した人たちを使って自分自身の場っていうか芸人としての立ち位置っていうか、面白さっていうか、それを演出してるわけですよね。
で、僕の場合はどっちかというとさっき言ったプライベートでは特に自分を元気にするための場として、そういういわゆる3人以上の集まりですね。だから面白いですね。ただやっぱりね、原点は1対1のコミュニケーションなんですよ、すべて。ただそこにもう一人第三者があるか、もう一人あるかっていう、こういう構図ですけどね。
中川 浩孝
いやー、それは高度ですね、かなり。
田中 愼一
だから面白いですよね。そういうふうに見ていくとコミュニケーションっていうのは。
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