田中さんが 20 年間くらい毎日開くという本「禅の心」(松原泰道著)。発想力の源になっているそうです。

松原泰道さんの著書

難解な言葉がいくつか出てきましたので、文字で押さえておきます!

「規矩(きく)行い尽くすべからず」

公案(こうあん)

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仕事でコミュニケーションを扱う 3 人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、コミュニケーションとは何か?を一緒に考えていくポッドキャストです。

出演者🎙️

田中 愼一 (Blog)

高木 恵子 (Facebook / LinkedIn)

中川 浩孝(twitter / Facebook / LinkedIn / note)

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00:00
中川 浩孝
コミュニケーション力を究めるゴールデン・トライアングル。 仕事でコミュニケーションを扱う3人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、コミュニケーションとは何かを一緒に考えていくポッドキャストです。
田中 愼一
みなさんこんにちは。コミュニケーションを極めると自分が見えてくる。世間も見えてくる。コミュニケーションの世界に携わって40年以上。コミュニケーション命、シン・田中こと田中愼一です。よろしくお願いします。
高木 恵子
SEからPRコミュニケーション業界に転職して、はや四半世紀、高木恵子です。
中川 浩孝
外資系企業でマーケティングを経験してきたアメリカ在住、中川浩孝です。
田中 愼一
今日はどういうテーマかっていうことを、今打ち合わせしましたけども、一応合意してですね。
今日はですね、座右の本について、自分なりの経験をお話しして、それをきっかけにいろいろ議論を展開していくと面白いかなというふうに思います。
絶えず自分のそばに置いておく本っていうのはよくありますよね。人それぞれ持ってると思うんですけども、僕の場合っていうのは、結構いくつかあるんですよ、何冊か。
ただ少なくとも毎日必ず開く本がありましてですね。それについてちょっとお話したいかなという感じですかね。
基本的には、前にこのポッドキャスティングでもお話したと思うんですが、僕の場合は本の読み方がですね、本を積んでおくっていう意味で、積ん読って呼んでるんですね。
いわゆる本は僕は好きなんで、いろいろ買うんですが、読まないで積んでおくんですよね。
積んでおいて、ただその中に積んである本っていうのが部屋中にあって、非常に混雑はしてるんですが、
やはり一瞬の場で、いろんな本と一瞬の場で過ごしてると、やっぱり目に入ってくる本のタイトルがあって、
これ面白いなって思って、その本を手に取って、パッと開くと、まだ一回も読んでないやつってことなんだけど、
なるほどって言うんで、少しペラペラ見始めるんですね。
03:03
田中 愼一
ペラペラ見始めて、そのときはその本とはいい出会いだったねってお別れして、
一期一会で次の本と出会ったり、こんな読書のやり方。
全部読む本もあれば、一部しか読まない本もあれば、全然読んでない本も積まれてる。
ただ、そこでの日常的な出会いを楽しむっていうかね。
一種の人との出会いみたいなもんで、本との出会いっていうことで。
面白いもんで、それをずっとやってると、もう何十年というか、30年以上やってるかもしれないけど、
それをやってると、徐々に3回ぐらい出会う本と。
5回目にしてやっと全て読んだ本とか、今に至っても1ページ以上進まない本とか。
さまざまなのが出てくるわけですね。
これは、多くの本とどう出会うかっていう読書のやり方なんですけども、
もう一つの本との付き合い方っていうのは、そういうふうにいろいろな本と浮気をするんじゃなくてですね、
本当に一冊の本に集中するっていう。
一冊の本の中にいろいろな出会いをね、やっていくっていう。
僕が今、ずっとこの2005年からずっと読んでる本があるんですけどね。
ポッドキャスティングなんで見えないと思いますけども、
松原泰道という禅のお坊さんがいるんですね。
彼が書いている「禅の心」っていう本があって、
たぶん2005年のときにどっかで出会ったんですよね、この本。
あの頃はまだAmazonとかいうのを使ってないから、基本的には本屋で出会ったんですけども。
それをパッと買って、たぶん禅に興味があったんでしょうね。
興味があったりとか読み始めると、かなり簡単に、容易に書いてあるっていうことで。
結局今はですね、その本を8回読み切っちゃって、今9回目に向かってるんですけども、
ワーッと読むんじゃなくて、
一日、下手すると1ページ進むぐらいのスピードなんです。
で、それを一枚一枚めくっていくんですけども、
時にはその1枚で1週間ぐらい時間を過ごすこともあるし、
つまり考え続けるわけですね、1週間ぐらいね。
とか、あるいはパッと見てサッと考えたことで、
絶えずそういう考えてることっていうのを、今までは紙にためてたんですけども、
今はPC上にどんどん入れてるんだけども、書いてるんですよ。
でもそれを振り返るってことはほとんどないんだけども。
ただ、そのときに得たものを言葉化して書いておくっていうのは、
06:03
田中 愼一
いわゆるコミュニケーションの原則から必ず受信したものは発信する、表現するっていう。
そういう行為をやるっていうのが身についてるんで、
必ず得たものは文章化するっていうね。
こういう一種の習慣を持ってるんですね。
これが座右の本ということで、一冊の本にこの2005年からずっと、
2005年からって言ったらもう10年以上、20年以上?
高木 恵子
20年近くですよ。
田中 愼一
20年以上これやってるわけですよ。
もちろん9回目に出会う言葉が毎回毎回ある。
8回目も読んでますからね。
その一つ一つってのがやっぱりそのときそのときに、やっぱり解釈が変わってくるんですね。
だんだんその本との深い付き合いが出来上がってくる。
一人の人と付き合っていくっていうのと同じで、
今まではたくさんの本との出会いっていうとこから、
その中で今度は一冊の本との出会いっていうんですかね。
それをある意味20年間ずっと今でも読み続けてる一冊の本っていう。
こんな位置づけなんですね。
これはなんでにがすごく僕にとっていいかというと、発想力っていうんですかね。
いわゆる毎朝起きると突然文章が出てくるわけですよ。
高木 恵子
すごい!
田中 愼一
例えば今日の言葉はちょっと難しいんですけども、
規矩(きく)という言葉があって、規則の規です。
で、くっていうのは矢を書いて、その隣に巨人の巨っていう字を書いて、
くっつけた漢字、規矩(きく)って両方できくって言うんですけども、
規矩(きく)ってのは規則ですね。規律ですね。
それを行い尽くすってことは、もう規律に従って全てをやってっちゃうってことね。
行い尽くしてしまったらダメだよっていう文章がボッと出てくるわけですよ。
これ普通だったら、僕も初めて読んだときは、
物事ってほどほどにするってことだなと。
規則と規則、規則と規則って言ってね。
相手にそれを押しつけちゃうとダメだよなっていうレベルの教訓として受け取っちゃうんだけど、
20年間この本と付き合ってると、
この文章は確かに今まで読んでたんだけど、
単にほどほどじゃないなっていうのに気がつく。
そうするとそこには、妄想に近い発想が出てくる。
なんで今日はその文章が、つまり規則とばっかり言い、
それを相手に強いることはダメだよっていう文章からですね、
自分が今日得た発想っていうのは、
09:01
田中 愼一
ここにはコミュニケーションの本質があるなと。
なんでコミュニケーションの発想があるかというと、
規則っていうのは、基本的には相手に対して、
自分に対して律することなんですよ。
つまり必ず相手、それが自分以外の相手、それから自分っていう相手、
そこを律するための方弁、方法なんですね。
実はそこにはですね、今日ポンと降りてきたのは対立の構図があるなと。
対立の構図っていうものは、必ず相手に規律を守らせるっていうのは、
相手と自分っていう対立の構図に入ってるわけです。
だから規律規律っていうと対立の構図だから相手がそれに対して反発しちゃうわけですよ。
これは別に自分以外の人との相手もそうだけど、実は自分との対立にもなるわけです。
つまり自分を立するっていうのは、自分なりに無理やり自分を動かすという側面が非常に強いじゃないですか。
対立の構図なんですね。
実はコミュニケーションも、前ここでちょっと話したけど、
コミュニケーション三段階説って僕は唱えてるんですけども、
コミュニケーションって一番初めは仲良くしようっていう形でコミュニケーションを始めるんですよ。
ところが、それでコミュニケーションに向き合うと敗北するんですよね。
人が仲良くなってくれないし、人は自分の話聞いてくれないし、
人は全然、もう何よこれって感じでね、仲良くしようと思ってるのに、
そう甘くないわけですよ、人間社会。
仲良くしようってすぐ受け入れてくれるような甘い世界に我々来てない。
そうすると何が起こるかというと、コミュニケーションっていうのは仲良くすることから、
そういう意識からコミュニケーションっていうのは戦いだっていうところに持っていかなきゃいけない。
相手との戦いだと。相手が思うように動かない、じゃあどう動かすかっていう発想の二段階説に上がっていくわけですね。
そこで相手が動かない。もっとややこしいのは自分が動かないっていうね。
だからもうコミュニケーションは戦いだっていうことで、その戦いだっていうステージが第二段階で。
実はこのステージを踏まないと、第三ステージに上がれないんですよ。
第三ステージは何かというと、いやーみんな仲間ってなるわけですよ。
みんなが仲間って感じになるわけ。つまり一体化するわけです、相手と。
12:03
田中 愼一
対立の構図がなくなるんです。ただ対立の構図をなくすためには必ず、この戦いだっていう対立の構図と向き合わないと。
そこと戦って勝利しないと、みんなと仲良くできないっていう。
だから単に何の準備もなく仲良くしようって言ったって、そうは甘くはない。
一旦そこを自分は相手との戦い、自分との戦いっていうことで、しっかりとそこの段階を経ないと、
本当の意味でのみんなと一体化する、みんなと共感を持つ、本質的な仲間になるっていうか、仲良くするっていうところには至らないよ。
っていう発想が、今規矩(きく)ね、行い尽くすべからずの言葉から発想した今日の。
そうすると、例えば禅というのはそもそもどういう手法かっていうと、自分との対話なんですね。
座ることによって、精神集中することによって、自分をなくすことによって、無という境地に入っていく。
無の境地に入るまでのプロセスっていうのは、もう自分との対話なんですね。
言い方を変えると自分との戦いなんです。
だから基本的には、今日の僕の読みですよ、この文章。
規矩(きく)行い尽くすべからずっていうとこから発想した、今日の僕のいただいたものっていうのは、
いわゆる、あくまで自分との対話っていうもの、相手との対話というものに対立構造をあまりにも作りすぎちゃうと、
結局は次のレベルにいけないよと。
規律にしても、どんな規律にしても、それは一種の方便であってね。
ただそのプロセスをクリアしないと、つまり規律っていうものの本質っていうものをどう理解して、それをどう相手に対してそれを求めるのか。
それから自分に対してどう求めるのか、規律っていうものをいろいろ考えさせる。
一種のクイズというか、禅ではこれを公案(こうあん)って呼んでるんですね。公の提案の案ね。
公案っていうものをボンと出して、一種のケースタディなんですけど。
15:01
田中 愼一
これは臨済宗なんだけど、今僕は短い文章だけど、
公案っていうのは、いくつかもう少し誰々お坊さんとお師匠さんとその弟子が今歩いてました。
歩いたらそこに川に橋が壊れてて、川が渡れないということがそこに行ったら分かりました。
そしたらお師匠さんが弟子さんに対して、何を今発想したって質問する。
そしたら弟子が無っていうふうに言ったと。何もない無と返答したと。
さあこれいかにって言うんで、それを一生懸命考えるんですよ。
そういうケースを出して、そこに対して、じゃあお前はどうするんだとか。
例えば鳥が飛んでいると、向こうの方に北の方に向かっている。
高木 恵子
どこに向かった?答えろ。こういうようなね。禅問答ってやつ。
中川 浩孝
まさに禅問答ですよね。
田中 愼一
そういうのが一つのケーススタディみたいな公案という公案という形で、
それを勉強っていうよりもね、頭で考えちゃいけないんですよ。
頭で考えたらもう終わりになる。理屈になっちゃうから。
体で体得した一言を、もしかしたら一言も言わないかもしれない。
高木 恵子
反射的に反射神経みたいにポンって。
田中 愼一
表現しなきゃいけない。
高木 恵子
で、で、でる感じにならないといけないんですね
田中 愼一
表現しなきゃいけない。
これがね、あの、なんていうのか、面白いっていうか深みがあって、
禅との出会いってもう25年以上30年以上なのかもしれないけど、
そこがわかんなくて、公案でもうね、何を言ってるのかとかね、
一生懸命考えてもわかんない。それはね、自分のその理屈の呪縛にあっちゃって、
その理屈で解けないものはっていう話になっちゃうんですよ。
田中 愼一
自分の、なんていうか、理屈だけではないですよ。
自分の感情とかいろいろあるんだけども、そことね、なんかぶち当たる感じ。
で、それ何十年って考えてて、突然ポッと降りてくるっていうことなんですよね。
中川 浩孝
でもその訓練って、それこそ経営者であるとか人前で話す人って大切ですよね。
インタビューとかってまさに、そういう即興でちゃんとすぐ答えられるかっていうのって、
毎日訓練してると多分ポッて出てくるんでしょうね。
田中 愼一
なんか出てくるんでしょうね。結局そこは行き着くところはですね、心の構えになるんですよ。
18:05
田中 愼一
あの、頭での構えじゃないですね。考え方の思考の構えじゃないんですよ、もう。
あの、いわゆる体と一体になっている心。心ってね、体と一体になってるっていう概念を持つんですけども。
そういう訓練をやってると、だんだん心がですね、
コミュニケーション的に言うと覚悟っていうものが積み上がる。
そうすると覚悟があると、さっきヒロちゃんが言ってた、
突然なんかあったときにどう対応するかっていう対応力がつくんですね。
これクライシスコミュニケーションやってるとよくわかるんですよね。
よくクライシスがボーンと起こると、一番被害者意識を持つのは社長なんですけども、
田中 愼一
その被害者意識のまま記者会見に出るとどえらいことになる。
もう炎上しちゃいます。間違いなく炎上する。
それはなぜかというと、社長が一番被害者意識を持って発信するから、
何が起こるかと人のせいにしたり、自分は間違ってないんだとか、
どえらい発信しちゃうんですよ。そうするとダメになる。
だからいかに被害者意識から当事者意識にギアチェンジできるかっていうのが鍵なんだけど、
ギアチェンジできる人とできない人がいるんですよ。
見てると、できる人っていうのは覚悟を持ってるんですね。
みんな等しく被害者意識を持つんですよ。どんな人でも。
問題はその被害者意識から当事者意識にスポーンとギアチェンジできる人とできない人。
しかもどれだけのスピードでギアチェンジできるかできないか。これが勝負です。
だから心の鍛錬ができてる人っていうのは、そこあたりすぐギアチェンジできる。
禅っていうのは昔から、特に禅が流行ったのは鎌倉時代でしょ。
つまり武士の台頭と重なるんですよ。
だから武士っていうのは、四六時中365日24時間戦えますっていう職業だから。
その中で自分をどう強くしていくかっていったときに、禅という方法論が一つの手法だったんですね。
だから侍の連中ってみんな基本的には、やっぱり禅的なことに、
例えば織田信長にしても武田信玄にしても上杉謙信にしても、必ず禅坊主がついてるんですね。
禅坊主か密教坊主のどっちかと。
禅か密教。このどっちかのアドバイザーがいるんだよね。
それはね、やっぱり禅僧か密教僧が多いと思うんですね。
だからなんかその禅とか密教っていう世界っていうのは、そういう心の構えを作る。
中川 浩孝
そういうところが肝が座っているというか、その覚悟ができるっていうのは、まさにそういう準備ができているってことなんですよね。
21:04
田中 愼一
僕なんかやってる、よく言われるメディアトレーニングっていうのがある。
メディア対応をどうやるかっていう。
で、その中に突撃取材っていうのがあって。
これはですね、実はこれ僕がアメリカにいたときにはやってたんだけど、例えばペンタゴンなんか。
ペンタゴンですよ。別にコミュニケーションじゃなくて武力の府ですよ、アメリカへ。
そこの将官にそれをやるんですよね。
なんでペンタゴン、つまり海軍将兵たちにそういうトレーニングが必要かというと、
やっぱりアメリカって世界中に基地を持ってるでしょ。
やっぱりそこの司令官っていうのは何かあったときに矢面に出さざるを得ないんですよ。
だからそういうトレーニングを受けるんだけど、どうするかって言うと、
例えば将官が昇格したと。例えば今、少将から中将になったとか、中将から大将になったとか。
そうすると部屋が変わるんですよ、個室が。大きさが。
新しいオフィスに入るわけですよ。
だから自分が俺は中将になったって言って、喜んで新しいオフィスだって言って、
ドア開けた瞬間カメラが3台ぐらい並んでて、そこで質問が取材が起こっちゃうっていう。
そのときに、瞬時に何を考えなきゃいけないかって言うと、4つの項目を考えなきゃいけないんです。
一つはですね、瞬時にバッと出た、そういう場っていうのは別に記者会見だけじゃなくて、
突然そういう場に追い込まれますよね、リーダー。
追い込まれたときに、まずこの目の前で起こっている事態をどう目的化するか。
田中 愼一
つまり何を達成するための目的としてこの場面を活用するか。
あるいはこれは逆に活用しちゃいけないと。逃げるが勝ちというふうに判断するか。
これはですね目的意識を持たなきゃいけない。
つまりこれを利用するかっていうのを目的にするか、これは危ないから逃げるっていうのを目的にするか。
まず目的を意識したらどうか。次に目的を意識したら次に、いわゆる対話になりますからね。
質問を受けてるわけだから。これコミュニケーションですから当然相手が必要になる。
コミュニケーションには必ず相手がいますから。
じゃあここの場で本当の相手は誰かっていう。相手を認識する必要がある。
何も目の前にいる記者の人たちだけじゃなくて、その記者が報道する内容を見る人たちも裏にいるわけですよ。
そこをどこを意識するか。
で三つ目はですね、じゃあその意識した相手にどういうメッセージを打つのかというメッセージを考える。
で最後、本当の相手に良いメッセージを仮に発信したとしても、それが他の人たちが見たときに、
他の人たちはまた違った気持ちになる可能性がある。
24:01
田中 愼一
他に気をつけなきゃいけない相手。
だからつまり本当の相手か、気をつけなきゃいけない相手って、相手も2種類あるってことですね。
この4つ目的、相手は、メッセージは、他に意識しなきゃいけない相手は、
この4つのことを即時、10秒。10秒で全部決めて、速攻対応しなきゃいけない。
この練習をするわけですよ。
これは単にマスコミ対応というんじゃなくて、
実際僕がやってるリーダーシップコミュニケーション対応の中では一つのステップを採用しています。
リーダーっていうのは、いつ誰と対話が始まるかわかんないわけですよ。
さっきはクライシスコミュニケーションのときには、記者団と即対話しなきゃいけないし、
そこをどう乗り切るかっていうところのスキルっていうのはやっぱり重要だし、
そこを支えるのは、リーダーとしての心構えっていうか、
人によっては度胸というか、弾力というか、あるいは覚悟という言葉を使う人もいるし、
それが日常的にできてるかどうかっていうのは実はすごく重要ですね。
それはストックなんですよ。
日々のコミュニケーションの受信、発想、発信をぐるぐるしっかりと回していくうちに、
徐々にそういう覚悟とか心の構えというか、
いうものが徐々にストックとしてたまっていくんですね。
だから、頭でスキルを一生懸命勉強したとしても、はっきりすぐできないです。
そういうのが、ある意味、さっきの鎌倉武士が、
禅という方法にのめり込んでたっていう背景があるんだろうなと思いますよね。
中川 浩孝
なるほどね。今の話聞いていて、関係しているような関係していないところとかあるんですが、
私の大嫌いなトレーニングで、インプロってあるじゃないですか、インプロビゼーション
即興劇みたいなのをやらされるようなトレーニング。
あれってアメリカでは結構一般的じゃないですか。
結構トレーニングとかにも活用されているし、多分学生とかでもやっていることが多いので、
多分それってまさに、突然状況がよくわからない中で何かお題を与えられて、
そこから物語を作っていくみたいなところって、
あの練習ってアメリカ人はすごい知ってる気がするんですよね、そういう意味では。
田中 愼一
してますね。かなりしてる。
なぜかと、欧米人って結構左脳が強いじゃないですか。
中川 浩孝
そうなんですね。
田中 愼一
僕の印象は、やっぱり理屈っぽいっていうかロジックっていうか、英語がロジカルだから。
日本人の日本語ベースで育った人間からすると、
27:02
田中 愼一
トゥーマッチロジックっていうか、ロジックに走りすぎてるってきらいがよく感じるんだけども、
あれはね、ロジックの呪縛を解く練習方法としてはすごくいいと思う。
中川 浩孝
なるほどね。
田中 愼一
考えない。即興でやらなきゃいけないっていうプレッシャーの中で、
そこで自分どう表現するかってね。
これがね、すごく重要ですし、
極端に言うと、そのトレーニングは日本では行われてないですね、小学校では。
中川 浩孝
でも今の話を聞くと、もしかしたら日本人的な、田中さん的に言えば、
右脳のほうがどちらかというと、強い考え方をする人たちにとっては、
インプロは多分できるので、逆に論理的な、理論的な話し方を勉強したほうが、
もしかしたら日本人にとってはいいのかもしれないですね。
田中 愼一
かもしれないですね。
僕の場合は、やっぱり日本語と英語っていう両方っていうのができたほうが良かったなと思うんだけども、
この二つの言語の使い方っていうのが、たぶんすごく重要で、
長らく外資系企業でずっとね、もう27年経っちゃったんだけど、
やってると、やっぱり英語でしっかりと相手に納得、共感させるっていうことと、
日本語でさせるっていうことをやっていかなきゃいけないですよね。
そうすると、やっぱり日本語と英語の絡みっていうのが出てきて、
より、ものによっては英語で表現した方がいいとかね。
ものによっては日本語っていうのは分かれてきて、分かれてくるとだんだん両方の関係性と特徴が見えてきて、
英語っていうのはどっちかというと、非常にロジカルなものを説明するときはものすごく役に立つ。
頭の整理になる。
日本の場合は、ぼやっとしたものをどう概念把握して書いていくっていうのが日本的なほうがいい。
逆にぼやっとしたものを表現しようと、英語で表現しようと思ったらとても偉い話で。
中川 浩孝
難しいですよね。確かに。
田中 愼一
あのね、ぎゅーって凝縮された表現がないんですよ、英語の場合。あんまり。
相対論ですよ、これ。ないとは言ってないんですよ、日本語とか。
日本語ってなんかぎゅーって凝縮されてるから、さっきの禅問答じゃないけど、いろいろな解釈ができるっていう多様性があるからね、確かにそれは言えますね。
高木 恵子
なんかこれを英語で言ったほうがすごい楽だよなって時ありますよね。
なんか日本語で説明するときと、もう英語だったらもう1行2行で終わるのにみたいな、なんかそういうのって確かに感じたこといっぱいあるなぁ。
田中 愼一
だからやっぱり即興でなんかやるっていうトレーニングっていうのは、基本的には特に近代人、近代社会の人間の中ではやっぱり左脳が発達しすぎちゃったんだよね。
30:03
田中 愼一
ある意味、科学の発展とともに、左脳っていうものがより重要視されてきて、必然の世界を求めていくっていう。
科学って必然の世界を広げてる世界でしょ?
偶然性のある世界をどんどん縮めようとしてるわけですよね。
でも僕なんかが見ると、必然性っていう世界は、もう全ユニバースの中ではやっぱりすごい小さくて、偶然性のほうがもっとでかいんですよね。
だから科学っていうことが発達してきたのは、必然性をずっとこの200年、
科学の発達と言ってどこを起源にするかっていうのは、ギリシャ時代まで登っちゃう可能性もあるかもしれないけど、
やっぱりあれですよね、近代的な科学思想っていうのは、そういう意味で言うと、すごく社会の発展にもつながってきたけど、
一方で人間の感度というものをあまりにも左脳的に、必然のところにこだわりすぎるぐらいのところがあるんで、
やっぱり今の近代人、これは別に日本人もアメリカ人も変わらないと思うんですけど、
やっぱりもう少し、頭で考える以外の人間って多分思考というか感度というかあると思うんですよね。
別に頭の中だけで生きてるわけじゃないから。
そこあたりってのはすごく重要になってきてるんじゃないですか。
身体知という言葉なんかよく使われますよね。
やっぱり身体知、身体の身の知識ねっていうことで、身体知っていう言葉があるけど。
お茶なんかやってると結構身体知っていうのを感じますよね。
やっぱりあれ一つのプロセスで考えないんですよ。
もう決まったプロセスを行くだけなんですよ。
決まった作法、決まった動きをこうやっていく。
やっていく中で、上手いもんでさすがに何百年という歴史が培われてて、
この動作をすると心がどう動くかっていうのが、実は計算はされてないけど、
あれたぶんね計算したら出てくると思いますよ。AIで計算するから。
かなり出てくると思う。出てこない部分もあるけど、暗黙知っていうのがあるから。
僕の感覚で言うと、例えば僕がいる宗徧流っていうのは、
お世話になってるところは400年か500年ぐらいなんだけども、
やっぱりすごい蓄積されたものっていう中に、どこに蓄積されてるかっていうと、
作法とか動きとか、あと周りの表現。
33:01
田中 愼一
周りのいろんな表現からメッセージを受け取るんだけども、
そういうものが全部、理屈っぽくじゃなく、
その経験値に基づいて設計されてるっていう感覚なんですよね。
そのプロセス、例えば3時間なり4時間なりの茶会に出て、
まず作法を守りながら、その求められてる動きをとって、
しかももうすでに与えられたいろいろな表現。
表現が作り上げられている部屋の間をいろいろ移動したり、
庭というところと接したり、それから空気と接する。
焚火の火と接するっていう、すべてこれ言葉じゃなくて表現なんですね。
自分が一つの作法を守って動いてるってのが表現なんですよ。
だからいわゆる全体がすべてが表現。
しかもその表現の中に、客観的に表現してるんじゃなくて、
自分も表現してる、その中の一人だっていう。
だから庭も表現している、部屋も表現している。
茶器も表現している、焚火も表現している。
しかもその中に自分も今体を動かして表現してるっていう。
すべて表現の中に心っていうものがですね、影響されるわけですね。
田中 愼一
だから4時間その中に行くと、心がですね、現れる感じ。
心が洗われるってのはどういう事象で、僕の場合は出てくるかというと、
田中 愼一
見てる世界が変わってくるって感じ。
中川 浩孝
しかも今聞いていて思ったのは、
さっき田中さん20年近く同じ本を何度も読んで、
その時の感じ方が変わるみたいな。
同じことをすることによって、その時の違いっていうか、
また何回も何回もやることによって違いが見えてくるっていうのは多分あるんでしょうね。
田中 愼一
あるんでしょうね。
あのね、たぶんね、一つの動きをした時に、
あ、本当に気持ちいいと思ったり、同じ動きしててもあれ?って思ったり。
いろいろと心が中心だと思うんですけども、
心っていうのは結局は表現によって動くっていうふうに最近思ってるんですけども、
表現っていうのは単に客観的に見てる表現だけじゃなく、
自分も実は表現の一部なんですよね。
だからそれを自分が表現してると、同じ動きなんだけども、
毎回同じ動きなんだけども、その表現が変わってきてるんでしょうね。
例えば、あの名優が何十年も一つの舞台をやってますよね。
あれだって同じだと思うんですよね。
実際は全て同じなんだけど、脚本もシナリオも。
でもたぶんね、表現してる本人が、歌舞伎もそうだと思うけども。
36:00
高木 恵子
毎日変わるんでしょうね。
田中 愼一
毎日変わってるんですよ。
毎日変わってる表現は、自分に対してもすごいメッセージを与えるだけじゃなくて、
それを見てる観客に対しても新たな音っていうものを見せてる。
だから同じなんだけど、脚本は。でも違う表現なんですよね。
それに心が動くんですよね。
それは自分の心だけじゃなくて、それを見てる相手の心。
そこら辺がコミュニケーションの本質がね、非常に隠れてるなって気がする。
高木 恵子
なんか深いですね、この話は。
中川 浩孝
めちゃめちゃ深いですね。
田中 愼一
だからそこが一つの人に共感を与えるっていうね。
僕が今ビジネススクールで教えてるコースでは、別に考えてそうなったわけじゃないんだけど、
何十年ってやってると、いやもう10年以上やってるんだろう。
10何年やってると、まあ年2回なんですけど、
だんだん自分が教えてるコースの構造がやっとわかってきて。
自分で作ったのに、やっと今に10数年経って、
俺が教えてるってこういうことを教えてるのかっていうことがわかってきたという皮肉な結果なんですけども。
これをですね、今度次回に話しましょうかね。
中川 浩孝
ぜひお願いします。
高木 恵子
深い感じの掘り下げていくと、いろんな話が展開できそうんすね。
田中 愼一
ここあたりを起点に、コミュニケーションの本質をもっと考えていくと面白いと思いますよね。
37:56

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