田中 愼一
ペラペラ見始めて、そのときはその本とはいい出会いだったねってお別れして、
一期一会で次の本と出会ったり、こんな読書のやり方。
全部読む本もあれば、一部しか読まない本もあれば、全然読んでない本も積まれてる。
ただ、そこでの日常的な出会いを楽しむっていうかね。
一種の人との出会いみたいなもんで、本との出会いっていうことで。
面白いもんで、それをずっとやってると、もう何十年というか、30年以上やってるかもしれないけど、
それをやってると、徐々に3回ぐらい出会う本と。
5回目にしてやっと全て読んだ本とか、今に至っても1ページ以上進まない本とか。
さまざまなのが出てくるわけですね。
これは、多くの本とどう出会うかっていう読書のやり方なんですけども、
もう一つの本との付き合い方っていうのは、そういうふうにいろいろな本と浮気をするんじゃなくてですね、
本当に一冊の本に集中するっていう。
一冊の本の中にいろいろな出会いをね、やっていくっていう。
僕が今、ずっとこの2005年からずっと読んでる本があるんですけどね。
ポッドキャスティングなんで見えないと思いますけども、
松原泰道という禅のお坊さんがいるんですね。
彼が書いている「禅の心」っていう本があって、
たぶん2005年のときにどっかで出会ったんですよね、この本。
あの頃はまだAmazonとかいうのを使ってないから、基本的には本屋で出会ったんですけども。
それをパッと買って、たぶん禅に興味があったんでしょうね。
興味があったりとか読み始めると、かなり簡単に、容易に書いてあるっていうことで。
結局今はですね、その本を8回読み切っちゃって、今9回目に向かってるんですけども、
ワーッと読むんじゃなくて、
一日、下手すると1ページ進むぐらいのスピードなんです。
で、それを一枚一枚めくっていくんですけども、
時にはその1枚で1週間ぐらい時間を過ごすこともあるし、
つまり考え続けるわけですね、1週間ぐらいね。
とか、あるいはパッと見てサッと考えたことで、
絶えずそういう考えてることっていうのを、今までは紙にためてたんですけども、
今はPC上にどんどん入れてるんだけども、書いてるんですよ。
でもそれを振り返るってことはほとんどないんだけども。
ただ、そのときに得たものを言葉化して書いておくっていうのは、
田中 愼一
これは臨済宗なんだけど、今僕は短い文章だけど、
公案っていうのは、いくつかもう少し誰々お坊さんとお師匠さんとその弟子が今歩いてました。
歩いたらそこに川に橋が壊れてて、川が渡れないということがそこに行ったら分かりました。
そしたらお師匠さんが弟子さんに対して、何を今発想したって質問する。
そしたら弟子が無っていうふうに言ったと。何もない無と返答したと。
さあこれいかにって言うんで、それを一生懸命考えるんですよ。
そういうケースを出して、そこに対して、じゃあお前はどうするんだとか。
例えば鳥が飛んでいると、向こうの方に北の方に向かっている。
高木 恵子
どこに向かった?答えろ。こういうようなね。禅問答ってやつ。
中川 浩孝
まさに禅問答ですよね。
田中 愼一
そういうのが一つのケーススタディみたいな公案という公案という形で、
それを勉強っていうよりもね、頭で考えちゃいけないんですよ。
頭で考えたらもう終わりになる。理屈になっちゃうから。
体で体得した一言を、もしかしたら一言も言わないかもしれない。
高木 恵子
反射的に反射神経みたいにポンって。
田中 愼一
表現しなきゃいけない。
高木 恵子
で、で、でる感じにならないといけないんですね
田中 愼一
表現しなきゃいけない。
これがね、あの、なんていうのか、面白いっていうか深みがあって、
禅との出会いってもう25年以上30年以上なのかもしれないけど、
そこがわかんなくて、公案でもうね、何を言ってるのかとかね、
一生懸命考えてもわかんない。それはね、自分のその理屈の呪縛にあっちゃって、
その理屈で解けないものはっていう話になっちゃうんですよ。
田中 愼一
自分の、なんていうか、理屈だけではないですよ。
自分の感情とかいろいろあるんだけども、そことね、なんかぶち当たる感じ。
で、それ何十年って考えてて、突然ポッと降りてくるっていうことなんですよね。
中川 浩孝
でもその訓練って、それこそ経営者であるとか人前で話す人って大切ですよね。
インタビューとかってまさに、そういう即興でちゃんとすぐ答えられるかっていうのって、
毎日訓練してると多分ポッて出てくるんでしょうね。
田中 愼一
なんか出てくるんでしょうね。結局そこは行き着くところはですね、心の構えになるんですよ。
田中 愼一
あの、頭での構えじゃないですね。考え方の思考の構えじゃないんですよ、もう。
あの、いわゆる体と一体になっている心。心ってね、体と一体になってるっていう概念を持つんですけども。
そういう訓練をやってると、だんだん心がですね、
コミュニケーション的に言うと覚悟っていうものが積み上がる。
そうすると覚悟があると、さっきヒロちゃんが言ってた、
突然なんかあったときにどう対応するかっていう対応力がつくんですね。
これクライシスコミュニケーションやってるとよくわかるんですよね。
よくクライシスがボーンと起こると、一番被害者意識を持つのは社長なんですけども、
田中 愼一
その被害者意識のまま記者会見に出るとどえらいことになる。
もう炎上しちゃいます。間違いなく炎上する。
それはなぜかというと、社長が一番被害者意識を持って発信するから、
何が起こるかと人のせいにしたり、自分は間違ってないんだとか、
どえらい発信しちゃうんですよ。そうするとダメになる。
だからいかに被害者意識から当事者意識にギアチェンジできるかっていうのが鍵なんだけど、
ギアチェンジできる人とできない人がいるんですよ。
見てると、できる人っていうのは覚悟を持ってるんですね。
みんな等しく被害者意識を持つんですよ。どんな人でも。
問題はその被害者意識から当事者意識にスポーンとギアチェンジできる人とできない人。
しかもどれだけのスピードでギアチェンジできるかできないか。これが勝負です。
だから心の鍛錬ができてる人っていうのは、そこあたりすぐギアチェンジできる。
禅っていうのは昔から、特に禅が流行ったのは鎌倉時代でしょ。
つまり武士の台頭と重なるんですよ。
だから武士っていうのは、四六時中365日24時間戦えますっていう職業だから。
その中で自分をどう強くしていくかっていったときに、禅という方法論が一つの手法だったんですね。
だから侍の連中ってみんな基本的には、やっぱり禅的なことに、
例えば織田信長にしても武田信玄にしても上杉謙信にしても、必ず禅坊主がついてるんですね。
禅坊主か密教坊主のどっちかと。
禅か密教。このどっちかのアドバイザーがいるんだよね。
それはね、やっぱり禅僧か密教僧が多いと思うんですね。
だからなんかその禅とか密教っていう世界っていうのは、そういう心の構えを作る。
中川 浩孝
そういうところが肝が座っているというか、その覚悟ができるっていうのは、まさにそういう準備ができているってことなんですよね。
田中 愼一
僕なんかやってる、よく言われるメディアトレーニングっていうのがある。
メディア対応をどうやるかっていう。
で、その中に突撃取材っていうのがあって。
これはですね、実はこれ僕がアメリカにいたときにはやってたんだけど、例えばペンタゴンなんか。
ペンタゴンですよ。別にコミュニケーションじゃなくて武力の府ですよ、アメリカへ。
そこの将官にそれをやるんですよね。
なんでペンタゴン、つまり海軍将兵たちにそういうトレーニングが必要かというと、
やっぱりアメリカって世界中に基地を持ってるでしょ。
やっぱりそこの司令官っていうのは何かあったときに矢面に出さざるを得ないんですよ。
だからそういうトレーニングを受けるんだけど、どうするかって言うと、
例えば将官が昇格したと。例えば今、少将から中将になったとか、中将から大将になったとか。
そうすると部屋が変わるんですよ、個室が。大きさが。
新しいオフィスに入るわけですよ。
だから自分が俺は中将になったって言って、喜んで新しいオフィスだって言って、
ドア開けた瞬間カメラが3台ぐらい並んでて、そこで質問が取材が起こっちゃうっていう。
そのときに、瞬時に何を考えなきゃいけないかって言うと、4つの項目を考えなきゃいけないんです。
一つはですね、瞬時にバッと出た、そういう場っていうのは別に記者会見だけじゃなくて、
突然そういう場に追い込まれますよね、リーダー。
追い込まれたときに、まずこの目の前で起こっている事態をどう目的化するか。
田中 愼一
つまり何を達成するための目的としてこの場面を活用するか。
あるいはこれは逆に活用しちゃいけないと。逃げるが勝ちというふうに判断するか。
これはですね目的意識を持たなきゃいけない。
つまりこれを利用するかっていうのを目的にするか、これは危ないから逃げるっていうのを目的にするか。
まず目的を意識したらどうか。次に目的を意識したら次に、いわゆる対話になりますからね。
質問を受けてるわけだから。これコミュニケーションですから当然相手が必要になる。
コミュニケーションには必ず相手がいますから。
じゃあここの場で本当の相手は誰かっていう。相手を認識する必要がある。
何も目の前にいる記者の人たちだけじゃなくて、その記者が報道する内容を見る人たちも裏にいるわけですよ。
そこをどこを意識するか。
で三つ目はですね、じゃあその意識した相手にどういうメッセージを打つのかというメッセージを考える。
で最後、本当の相手に良いメッセージを仮に発信したとしても、それが他の人たちが見たときに、
他の人たちはまた違った気持ちになる可能性がある。
田中 愼一
トゥーマッチロジックっていうか、ロジックに走りすぎてるってきらいがよく感じるんだけども、
あれはね、ロジックの呪縛を解く練習方法としてはすごくいいと思う。
中川 浩孝
なるほどね。
田中 愼一
考えない。即興でやらなきゃいけないっていうプレッシャーの中で、
そこで自分どう表現するかってね。
これがね、すごく重要ですし、
極端に言うと、そのトレーニングは日本では行われてないですね、小学校では。
中川 浩孝
でも今の話を聞くと、もしかしたら日本人的な、田中さん的に言えば、
右脳のほうがどちらかというと、強い考え方をする人たちにとっては、
インプロは多分できるので、逆に論理的な、理論的な話し方を勉強したほうが、
もしかしたら日本人にとってはいいのかもしれないですね。
田中 愼一
かもしれないですね。
僕の場合は、やっぱり日本語と英語っていう両方っていうのができたほうが良かったなと思うんだけども、
この二つの言語の使い方っていうのが、たぶんすごく重要で、
長らく外資系企業でずっとね、もう27年経っちゃったんだけど、
やってると、やっぱり英語でしっかりと相手に納得、共感させるっていうことと、
日本語でさせるっていうことをやっていかなきゃいけないですよね。
そうすると、やっぱり日本語と英語の絡みっていうのが出てきて、
より、ものによっては英語で表現した方がいいとかね。
ものによっては日本語っていうのは分かれてきて、分かれてくるとだんだん両方の関係性と特徴が見えてきて、
英語っていうのはどっちかというと、非常にロジカルなものを説明するときはものすごく役に立つ。
頭の整理になる。
日本の場合は、ぼやっとしたものをどう概念把握して書いていくっていうのが日本的なほうがいい。
逆にぼやっとしたものを表現しようと、英語で表現しようと思ったらとても偉い話で。
中川 浩孝
難しいですよね。確かに。
田中 愼一
あのね、ぎゅーって凝縮された表現がないんですよ、英語の場合。あんまり。
相対論ですよ、これ。ないとは言ってないんですよ、日本語とか。
日本語ってなんかぎゅーって凝縮されてるから、さっきの禅問答じゃないけど、いろいろな解釈ができるっていう多様性があるからね、確かにそれは言えますね。
高木 恵子
なんかこれを英語で言ったほうがすごい楽だよなって時ありますよね。
なんか日本語で説明するときと、もう英語だったらもう1行2行で終わるのにみたいな、なんかそういうのって確かに感じたこといっぱいあるなぁ。
田中 愼一
だからやっぱり即興でなんかやるっていうトレーニングっていうのは、基本的には特に近代人、近代社会の人間の中ではやっぱり左脳が発達しすぎちゃったんだよね。