田中 愼一
一つのケースは、これはトヨタの2009年のときのリコールのケースですね。
このリコールのケースっていうのは、ある意味突然リコールがあって、
それがどんどん広がっていって、世界的なリコールになって、
それに対してトヨタがどう対応したかっていうのをケーススタディとして、
実際ケーススタディがアメリカに存在するんですね、ハーバードだったかな。
それをベースにみんなリーディングしてもらって、そこでみんなで議論して、
その本質は何なんだっていうね、クライシスコミュニケーションにおける本質とか、
いうのをして、その次にですね、このホンダのケース。
このホンダのケースは別にケースがあるというよりも、
僕自身の経験した80年代における日米通商自動車摩擦。
これはある意味今のね、アンチ中国的なアメリカのムードとほぼ同じぐらい、
あるいはそれ以上に酷かった、いわゆる80年代反日感情が渦巻く中で、
どうやってホンダのアメリカの事業戦略をある意味守れたか。
守るってのはどういうことかというと、
そのときの反日のホンダに対する感情を逆にホンダの味方になると。
つまりアメリカの世論がホンダの活動、アメリカの活動を逆に支持するっていうことを、
やれっていうことで7年間かけてやったんですけども。
そのがケース化されていて、それを話すという。
次の、いわゆるDay3っていうのがですね、
これはちょっとレベルなり変わってくるんですけども、オバマの選挙ですね。
オバマはもともとずっと、うちのアメリカのオペレーションがずっとやってたんで、
当然ながらいろんな話がわかるんで、
独自のいろんな情報を入手しながらケースを作って、オバマをやる。
オバマの場合のキーポイントっていうのは、
どっちかというと、ある意味ネットで大統領になった最初で最後の人って言ってもいいと思うんだけども、
非常にネットを使ったイノベーティブな発想。
それから、いろんな意味で国民大統領を全員共感させたっていうことで、
共感ってどういうメカニズムで生まれてきたのか。
そういうところをオバマのケースで話し、
逆に次にその後にですね、今度はオバマとトランプを比較するわけですよ。
で、オバマ流のコミュニケーションってどういうものなのか。
トランプのコミュニケーションってどういうものなのか。
対比することによって、どっちがいいか悪いかじゃないんですよ。
対比することによってコミュニケーションの力学の違いっていうのを説明する。
で、最後のでDay4っていうのはですね、これは一番難解なんですけども、
中国の古典で孫子っていう、世界で最古の兵法書と言われてる。
兵法書って何かっていうと、いかに戦いに勝つかっていうための兵法書ですね。
で、それを一応リーディングアサイメントとして皆さんに読んできてもらって、
それをコミュニケーションの視座から読み解いていく。
で、最終的には、僕が一番冒頭に言った戦略コミュニケーションの発想っていうのが、
そこで腹落ちしてもらえればいいというデザインになってると。
で、最後は、そのでDay4 の最後の部分っていうのは、
みんなに全員に、この2日間どうだったっていうのをみんなどんどん話してもらって、議論して。
これは僕もそこに議論して、教えるというよりも一緒になって考えながら発想しながらやっていくというセッションで、ほぼ終わるんですね。
これがだいたい2日間のコースなんですけども、
これずっと長年やっててね、
突然、先週あたりかな。
あ、なるほど、そういうことだったんだっていうね、気づきが降りてきて。
お前何年やってんだって言われそうなんだけども、
それから今まで受講した人にも申し訳ないんだけども、
お前自分が理解してないものを人に教えてたのかなんて批判されちゃうんだけども、
でも正直気がついちゃったからしょうがないですよね。
これはずっと見ててみたら、自分が作った特別講座ってもちろん作ったとき一生懸命考えたんですよ。
これがいいだろ、これがいいだろ、これがいいだろ。
何年か経つうちに、徐々に、非常に効率は悪い感じはするんだけど、
年に2回ね、ずっと長年もやってやっと今頃気がついたのかって言われちゃうと非常に申し訳ないんですけども、
結果として今説明した順序っていうんですか、
言うには意味があって、実はそのステップが意味があったんですね。
つまり、Day3のものをDay1に持ってきちゃだめね。
Day1、Day2、Day3、Day4という、あの順序。
まず原理原則、コミュニケーションの、次にトヨタ、次にホンダ、次にオバマ、次にトランプ、さらに孫子っていう、
順番が実はすごい意味があるっていうか、コミュニケーションの本質を解いてるっていう。
やっぱりコミュニケーションはなんだっていうのは、皆さん正直、僕もびっくりするんですけど、
コミュニケーションはしっかりとらえてない人があまりにも多すぎます。
だからその原理原則っていうのを教えなきゃいけない。
なぜかというと、ほとんどの受講生はコミュニケーションは仲良くするためだってみんな来るわけですよ。
そこをまずは、今までのコミュニケーションに対する考え方はなくせっていうのを入れなきゃいけない。
そうするとやっぱりコミュニケーションの原理原則をボーンとぶち当てると、みんなそこでねびっくりするんですね。
こう考えるんだコミュニケーションっていうのは。
だからそういう意味では、Day1のコミュニケーション何かっていうのはすごく重要なんですね。
そうすると、なるほど、仲良くすることだけじゃないんだ。じゃあ何することなんだって言ったときに、
次に出てくるのがトヨタとホンダなんですね。
このトヨタとホンダっていうのは一体何なのかっていうと、基本的にはですね、戦いなんですね。
だから基本的にはその2つのケースをやることによって、
まずコミュニケーションとは単に仲良くなることだけじゃないよってまずDay1で言って、
Day2でコミュニケーションって戦いだーって言うわけですよ。戦争だーって言うね。
いわゆる仲良くすることだと思っていたとは真逆の発想でドーンと入ってくるわけです。
トヨタの場合はまさにどんどん炎上する中、どうやってアメリカの世論というか新聞報道等と向き合うかっていう話で、
それはどうクライシスに対応するかっていうところのケースなんですね。
これ戦いなんですね、明らかに。
次はもっと戦いなのがホンダのケースで、
もうホンダがアメリカを撤退するか、あるいは極端にホンダが潰れるかどうかっていう、
アメリカの世論の支持なくしてホンダなしっていう状況に追い込まれて、
しかもその場合は、トヨタの場合はクライシスっていう事象が敵だったんですけど、
田中 愼一
ホンダの場合は、アメリカの米国メーカーが敵なんですよ。組合が敵なんですよ。
だから今、日本製鉄がアメリカのUSスティールを買収するときに組合が一つの壁になってると思いますけど、
敵なんですよ。攻めてくるんですよ。だから本当の戦いなんですよ。
単なる自称に対して対応するっていうトヨタのケースと、逆にもう敵が攻めてくる。
そこに対してどう戦うか。そのときの最良の武器っていうのはコミュニケーションだと思うんです。
コミュニケーションっていうのは戦いだっていうところが、Day2で落とされるわけですね。
その次に今度オバマに行くわけです。オバマとトランプ。
そこでは何を落とすかというと、やっぱり戦いは最終的にはないんだねと。
一緒に手を取りながら、共感を持ちながら一つのことを一生懸命言っていこうよというような要素で、
オバマのところは共感のコミュニケーションっていうのを教え込むんですね。
共感のコミュニケーションっていうものを、より明確に理解してもらうために、その対極にあるトランプ。
でも一見対極に見えるんだけど、実は彼も共感のコミュニケーションの要素が強くて、
一方的に彼を支持する厚い層ってのがいるわけです。
それなんでそういう共感が取れたのかっていう。
だから基本的には、戦いだって一日目で言って、
まずはじめは友達を作るじゃねえぞって否定し、それから次に戦いだっていう順序になって、
さらにはやっぱり、でも最終的に共感なんだよねと。
ただ、ここの共感に至るまでは、一回は戦いのコミュニケーションを習得しておかないといけないんです。
だから戦いっていうところで、それは何でなのかっていうと、多分コミュニケーションっていうのは両方の要素があって、
一つの要素は、自分が生きていくっていう上で、周りとどううまくやっていくかっていう力なんですね。
でももう一つの要素っていうのは、やっぱり競争なんですよ。
競争が激化すると戦いになっちゃうんだけど、
要するにみんながみんないつも共感してハッピーっていうのは一つの側面としてあるけど、
もう一方の側面でお互いに戦い合ってる。
人間社会で戦争が終わらないのはそれは一つですよね。
そうするとどうするかというと、やっぱり絶えず戦っているコミュニケーション。
例えば今いろいろ戦争してるところはですね、実はコミュニケーションが結構発達してるんですよね。
コミュニケーションをどう使って相手をね、戦うかっていう。
その相手をどう戦うかっていうのがわかると、
相手をどう共感すればいいか、相手とどううまくやればいいかっていうのもわかるんですよ。
相手を叩くことを理解していないコミュニケーションは、はっきり言って相手に共感を与えることができません。
っていうのに気がついたっていう。
だから多分この順番がすごく重要で、それはコミュニケーションが持ってる二面性ですね。
コミュニケーションっていう力は、人間に与えられた、本当に生存するための力なんだ。
生存するためには周りに動いてもらうっていうのも生存なんだけど、
周りを潰すってことも生存なんですよね。
この両面をコミュニケーションっていうのは持っているっていう。
少なくともそこには順序があって、つまり僕が気づいた。
共感から入っちゃダメなんですよ。
まずは一つ、戦い。人によってはそれ両方だなんて言うんだけど、そうじゃないと僕は思ってて。
まずは戦い。僕自身がコミュニケーションに入ったのは、戦いから入ったんでね。
だからそのせいもあるんだろうけど、でも僕は確信持ってるのは、
まずは戦いのコミュニケーションを理解すれば、
共感のコミュニケーションにはよりスムーズに入っていけるっていう。
田中 愼一
だからよく言いますよね、戦争が科学技術を発達させるって。
要するに戦争っていうのは究極なんですよ、ある意味。
そこで使う武器の開発っていうのはすごいスピードだし、
あともう一つ例えば競争ってことで言うとF1なんかさ。
勝手のF1っていうのはものすごい最先端の、もうとにかく全員が戦いモードで、
そこで徹底的にエンジン技術、内燃機関技術を開発されて、
それがみんな大衆車で行くわけですよね。
走る実験室って言われてるんだけども、ある意味走る戦う技術者集団って言ってもいいんだけど。
だからそういう順序が必要だというね。
そこで一番フィット感がくるのが最後のDay4の孫子なんですね。
なぜかというと孫子って言うと一番有名な言葉が戦わずして勝つなんですよ。
だから戦わずして勝つっていうのは、ある意味で言うとさっき言った両得で、
戦うコミュニケーションも、共感のコミュニケーションも、
基本的には両方を成り立たせるためには、戦わずして勝つっていう発想がすごく重要です。
ある意味コミュニケーションの怖い世界も十分理解した上で、
戦わずして勝つっていう、やっぱり孫子の発想ってのはすごく面白くて、
そういう戦いというものと真逆である戦い平和というかね、
なんかそこあたりのそれぞれ違った側面なんだけど、
実はそれが一つの表裏一体の関係にあって、
その表裏一体として見ることがすごく重要だよっていうのが孫子の一つの。
その表裏一体に見ることができれば、戦わなくたって勝つことができるっていう、
一種の哲学発想ですね。
締めてるんで、なかなか非常に腹落ち感、
まあ結構腹落ち感してくれる講座ではあるんですけども、
結局は僕がやっと腹落ちしたっていう。
申し訳ない。
もし受講生の方聞いてたら申し訳ありませんでした。
中川 浩孝
この話が直接関係するかちょっとわからないんですけど、
私今子供がいるわけではないので、
教育のあんまり近いところにはあんまり接してすることがないですけれど、
最近のお子さんとかはやっぱり競争っていうのがあんまりないというか、
一時運動会で順位つけないとかそういう話あったじゃないですか。
子供の頃に私はむしろ競争っていうのは経験しておいた方が私もいいと思っていて、
っていうのは社会に出た後って結局どこの会社に入ったって他の競合相手がいて、
その会社との戦いなわけじゃないですか。
なんか今までそんな仲良く順位とかをつけられなかったような子供が、
いきなり20何歳でいきなり社会に出たら、いきなりすごい競争の世界に立たされたら、
多分すっごいつらいっていうか、なんかえーって感じになると思うんですよね。
なので特に運動会とか試験もそうかもしれませんけど、
ルールがある中で順位をつけるっていうのは私はすごくいいことだと思っていて、
ルールがないところでつけるのは難しいと思うんですけど、
なんかいろんなそういうルールがある中で順位をつけるっていうのは、
子供の頃から経験しておいた方が、
なんていうんですかね、こう正々堂々と戦うというか、
なんかそういう舞台をちゃんと理解しておくのはすごくいいことなんじゃないかなと思ってるんですよ。
で、多分今の話とすごいなんか近づいて、関係してくるかなと思うのは、
その子供の頃に多分それを理解していれば、社会に行った時に逆にもう競争だけじゃなくて、
じゃあいかにこううまくやっていくかとか、
なんかそこから何かを生み出せるかっていうのになんか発想にいくような気がするんですけど、
最初に仲良くっていうのしかやってないと、
多分社会人になった時に迷ってしまって、
なんかこうどうしたらいいのかなみたいな、
ちょっとなんかいうふうになるんじゃないかなと思って、
なんか最近の若い人と話す機会はあんまりないですが、
なんかちょっとその辺をなんか聞いてみたいなとか、
どういうふうに感じるのかは、なんか聞いてみたいなと思ったことはあるんですよね。
田中 愼一
なるほどね。
まあある意味、社会ってね、競争も重要ですけど、競争と共生。
これはやっぱり一如というか一つのもので、
田中 愼一
まあ第一ステップはマネージでしょうね。
でもマネージできないんだよね。
それから今言った、我々が積み上げてきてるものっていうのは、知識って代表的なものですし、技術はみんなそうだと思うんだけども、
そういうものが両面持ってるっていう。つまりこっちを呪縛するほうに回ってくるっていうものがね。
だってAIなんて下手すると人間をバカにする機械かもしれないんだよな。
中川 浩孝
まあそうですよね。
田中 愼一
だからそういう人間の心とか意識のイノベーションっていうのが非常に重要で、
それ何なのかっていうのはやっぱりもう少し考えていく必要があるのかもしれないですけどね。
中川 浩孝
たしかに。まあでもそれこそね、その知識的なというか、言うなところはおっしゃる通りAIにとって変わられるとなると、
じゃあ人間が脳を使って考えることって、そういう領域にどんどんどんどん行きますよね。
なんかもう計算とかそういう話は全部機械にやってもらった方がいいので、ロジックではないところの方ってことですよね。
田中 愼一
だって我々なんかこのね、PCが入ってきてから漢字が書けなくなった。
中川 浩孝
特に携帯とかで本当に持つようになって、本当にさらに書かなくなっちゃいましたからね。
田中 愼一
だからある意味我々進歩してるように見えるんだけど、実は逆で退化してんじゃないかと。
漢字は書けなくなるわね。
これからなんか読めなくなったりね、漢字が。
機械を通さないとお互いコミュニケーションが取れなくなるとね。
中川 浩孝
確かに。
私、サピエンス全史っていうの昔流行った本を今さら読んでるんですけど、今最近。
あんまり本読まないほうなんですけど、最近読んでるんですけど。
そこに書いてあって面白いことは、文字が生まれる前の方が人間の知識とか人間の脳はもっと発達していったんじゃないかみたいなことがあって。
田中 愼一
これは面白いな。
中川 浩孝
それは確かにいろんな外に、外部に記憶として出せるようになってしまったがために、
脳では、今も昔だったら例えば、
すごいもっといろんなここに行ったらこの動物がいるとか、ここは危ないから行っちゃいけないとかいう情報が全部脳に入れとかなくちゃいけなかったわけじゃないですか。
しかもそれを伝承していかなくちゃいけなかったんだけど、
今は例えばそれを文章として残しておけば、それをチェック後の後の人が見ればいいだけなので、
それは必ずしも記憶していなくていいっていう。
それは確かにあるなと思って、人間の脳ってもしかしたらどんどんどんどん退化してるんだろうなっていう言葉が。
田中 愼一
言えるかもしれないですね。
人間の脳は実は進歩してないでどんどん退化して、
結局はAIに機械に取って変わられるっていうのが運命なのかもしれないですよね。
中川 浩孝
いやそうなんですよ。
だからそこをね、ずっと歴史上ずっとそうなってきているっていうのを考えると、
さもありなんていうか、当然AIにどんどん生まれていくんだろうなっていう感じがより起こったっていうのはありました。
田中 愼一
この前見た恐竜の映像っていうのは、あれ人間に例えてみると面白いんですよね。
どんどん馬鹿に退化していく人間の姿が映し出されて。
中川 浩孝
馬鹿になったのか、違うところに特化したのかっていうのは分からないので何とも言えないですけど、
それで、それのおかげでもしかしたら芸術とかそういうところに時間がかけられるようになったのかもしれないですし。
高木 恵子
でも今芸術もね、AIで作れたり、いろいろできちゃうから、
高木 恵子
なんかでも、私割と理系の人なんで、
新しい技術ができると必ず全てにまず規制っていうのかな、
新しい技術に対する使い方の基準とか取説みたいなのが必ずできるじゃないですか。
だからそこで全部こうある程度制御されるっていうのがやっぱり時代として繰り返されてきていて、
結局今AIもどこの国もまだAIに対するガイドラインとかがないから、
もう国自体でいろいろ国とかグローバルで今ガイドラインを作ろうとして、
で作られたらきっとそれがスタンダードになって、
我々民衆に降りてきて、それが浸透されていく。
だけど、その中で新しい技術が世の中に発達してくると、
結局でも私たち人間が考えながら使わなきゃいけないところにやっぱり頭は使うと思うんですよ。
そのだからフェイクニュースが出てくる、AIっていうそういったいろんな技術が出てくる中で、
どれが本物でとかっていう判断とか、
どこまでこの情報を自分が信じるって言い方はちょっと大げさかもしれないけど、
この情報をどういうふうに理解するかっていう判断は、それはAIではできなくて、
そこはやっぱり自分個人の判断になるから、
そこに逆に人間たちは自分の個性とか、
まあ英知みたいなものを使っていくっていうか、逆に使わなきゃいけないですよね。
中川 浩孝
そうじゃないと、だってフェイクニュースにこれだけ踊らされている人がいる中で、
もっともっとそういう人が増えていっちゃうわけじゃないですか。
そのリテラシーというか、それをどんどんトレーニングしていかなくてはいけないということですね。
高木 恵子
教育が変わるかもしれません。新しい技術がどんどんできる。
だから私たちもそうですよね。スマホがない時代、
例えばローマ字入力なんて学校では教わってなかったりとか、
だから新しい教育、どういうふうに新しい技術を取り入れた生活をしなきゃいけないかっていう。
教育はやっぱり変わってきますよね。私たちの子供の頃にはね。
パソコン教室なんて、学校でパソコンみたいなことは教えてもらえなかったし。
田中 愼一
そもそも教育っていうのは、人間のイノベーションさせるためのツールでしょ。教育っていうのは。
だから絶えずやっぱり新しいものが出てきた時に、それを教え込む。どういうふうに使うかっていう。
そういうのがやっぱり基本だから、やっぱり教育でしょうね。やっぱりそうなるとね。
中川 浩孝
とはいえ、いつもだから全然間に合ってないんですよね。
だから私たち今仕事でバンバンパソコン使ってるけど、もちろん学校では習ってないわけじゃないですか。
でも今後の人たちとか、今後出てくる人はAIをバンバン使わなくちゃいけないけど、それだってもちろんまだ学んでないわけじゃないですか。
田中 愼一
まあそうでしょうね。逆にPCは使えない人が増えてくる。
中川 浩孝
確かに。
田中 愼一
音声だけでコントロールできるようになったり。
中川 浩孝
そうなってきますよね。
田中 愼一
あるいは実際自分が見てるものだけで、それが自動的に分析されて、頭に入ってくるとか、頭に入ってくる情報が加工されちゃうっていうか。
そこが逆に追い込まれてる感じがあって。
どんどんどんどん人間が行われるところが絞り込まれていくでしょ。
その周りをどんどんどんどんAIが囲んできて、最後の取り入れってところも遮断されてですね。
すべてAIの間接情報によって判断せざるを得ない状況に追い込まれてるような、そういう感じ。
悲観的すぎますかね。
中川 浩孝
自分でだから、今でもニュースを探しに行かないと、そのニュースソースを本当に自分で見に行かないと、何のニュースが本当か分からないっていうのと一緒で。
中川 浩孝
多分ずっとこれからも自分で探していかない。
実際には結局探しに行って、どのソースが本当なのかとか正しいソースなのかをずっとやり続けないといけない。
田中 愼一
まあ確かにそれは重要ですね。やっぱりね、やり続けなきゃいけないし、やっぱり現場主義ってすごく重要だと思ってて。
現場主義って言うと日本のメーカーの一つのキーワードだけど、やっぱり現場に行って知る、自分の五感六感で感じ取る、そこで判断するっていう現場主義は重要で。
ところが最近その現場主義がどんどんね、例えば極端に言うとオンラインが普及する中で、現場に行かなくても現場を見れるっていう。
でも見れるっていうのと、そこを感じ取るって違いますからね。
映像でいくら見たって、そこに行って感じる感覚っていうのはもっと情報量が多いんですよ、圧倒的に。
中川 浩孝
それは間違いない。
田中 愼一
しかも全部生じゃないですか。
高木 恵子
確かに。
田中 愼一
加工されてないから、そういう直接、加工されてないもの、情報と触れ合うっていう場を作るってやっぱりすごい重要で。
今どんどん数値化されちゃって、AI化されて、加工化されちゃって、
さっきのヒロちゃんが言ってた、文字っていうものを発明してから人間はバカになったっていうね。
つまり文字じゃなかったときは、本当に自分の頭とか全体で感じ取ったものをまた自分全体で伝えなきゃいけなかったわけでしょ。
だから頭はかなりね、イメージ力ってすごかったんだと思うんですよ。
中川 浩孝
そうですよね、確かに。
田中 愼一
だからちょっとそういうところがですね、やっぱりなんていうのかな。
我々人間どうするのか。
だからある意味で言うと、新しい仏教はできるかも。
そうです。うちには教祖様がいるから、霊能者。
高木 恵子
やめましょうよ。
田中 愼一
ちょっと出張って、ヒロちゃんはもうすでにブッダ的な顔してるから。
ダルマ的っていうか。
中川 浩孝
まあでも、新しいそういう仏教というか、フィロソフィーなのかわからないですけど。
田中 愼一
宗教っていう名前には出てこないかもしれないですよね。
中川 浩孝
そうではないかもしれないですよね。
田中 愼一
宗教っていうのじゃないかもしれないけど、何らかの形の心と意識をイノベートするっていうね。
何かの手法を考え出していくんじゃないですか、人間は。
中川 浩孝
そうですね、それがまさにイノベーションなんでしょうね、でもね、確かに。
宗教ではないものなのかもしれないっていう、面白いですよね、そう考えると。
田中 愼一
今までは、心とかあれっていうのは、イノベーションっていうのは、基本的には宗教の世界か、あるいは心理学の世界ぐらいでしかなかったんだけども。
あれはどっちかというと、仏教なんかで言うと非常に深い考え方はあるけども、
いずれにしてもそのレベルでしょ。でもそこから新しいものがどんどん出てくる可能性ありますよね。
宗教だって、仏教だって2500年前、他のもっと古いインド哲学とかそういうのだって、せいぜい数千年前ですよ。