兄弟との関係性
中川 浩孝
コミュニケーション力を究めるゴールデン・トライアングル。 仕事でコミュニケーションを扱う3人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、コミュニケーションとは何かを一緒に考えていくポッドキャストです。
田中 愼一
はいみなさんこんにちは、コミュニケーションを究めると自分が見えてくる、世界が見えてくる。コミュニケーションの世界に携わって40年以上、コミュニケーション命のシン・田中こと田中愼一です。よろしくお願いします。
高木 恵子
はい、毎日暑い日が続いていますが、皆さんお元気でしょうか。もう私は死にそうなんですが、SEからPRコミュニケーション業界に転職して、はや四半世紀以上、高木恵子です。
中川 浩孝
お休みから戻ってきました、外資系企業でマーケティングを経験してきたアメリカ在住中川浩孝です。
高木 恵子
暑いですよね、毎日。
中川 浩孝
暑いみたいですね。
高木 恵子
もう死にそうです。
田中 愼一
暑いですね。いや本当に暑いですね。
高木 恵子
ひろさん来週戻ってくる、明日出発?もう気を付けてください。日本、ちょっと去年以上にひどいですよ、これ。
中川 浩孝
そうですか。
高木 恵子
はい、お気を付けください。
中川 浩孝
去年は夏帰ってないからな
田中 愼一
いや、本当にひどいよね。毎年上がってるじゃないですか。
高木 恵子
なんかもう、だって今まだ梅雨なんですよ。
中川 浩孝
梅雨明けてないでしたっけ?
高木 恵子
明けてなくて、これひどいですよね。もう本当ひどい。外出れないんですもん、私ずっと。
中川 浩孝
私すごい暑いところに行ってきたので。
高木 恵子
でもカラッとしてますよね。
中川 浩孝
全然カラッとしてないところに行ってきたんですよ。
高木 恵子
あ、そうなんですか。
中川 浩孝
めちゃめちゃ湿度高かったです。
田中 愼一
だったら日本に来るための準備段階でいいじゃないですか。
中川 浩孝
そう、そうだったかもしれない。でもなんかずっと外には全然いられなかったので、すぐに冷房のきいたところにすぐ戻るみたいな。
高木 恵子
そんな感じですよ、東京も日本も。
田中 愼一
確かに、それは言えますね。
確か、前回けいこさんと二人で話したときに、我々二人一人っ子じゃなかなか話が進まないというかわかんないというか、全然未知の世界っていう兄弟という問題があったじゃないですか。
兄弟ってどういう関係なのか。兄弟関係って絶対的に理解できないんですよ、一人っ子。
だからこれね、ヒロちゃんに聞かないとわかんないかなっていう。
中川 浩孝
どうなんですか、でも。
田中 愼一
兄弟関係ってどういう関係なんですかね。
中川 浩孝
でも兄弟も人によってずいぶん関係性は違うと思うんですけど、私の場合は5つ離れてるんですよね、妹と。
なんで、子供の頃の5歳ってめちゃめちゃ大きいじゃないですか。やっぱりそれこそ小学校1年生と6年生みたいな差なので。
今考えると喧嘩とかしたんですけど、でも喧嘩といっても喧嘩にならないですよね、5つ離れてるとそんなに。私の方が圧倒的に強いので。
手を出すとかっていうのはもちろん子供のちっちゃい時はありましたけど、大人になってからというか大きくなってからはそういうこと。大人じゃないですね。
もう少し歳がいってからはもうそういうことはないし、別に何でしょうね。
なんかでも僕は妹とすごい話したかっていうと全然そんなに話してなかったとか、そんなにすっげー仲良かったわけではない。
あと男か女か、男か女か男か女か女かみたいなのも全然違うと思うんですけど。
自分の場合は競争相手とかいう感じには思っていなかったし、5歳離れちゃうと競争というかもうだからちょっと違うものというかだいぶ違う感じがしていたので、
そういう感じは私はなかったんですよ。同じ家の中にいて同じような顔している5歳離れた人がいるっていうくらいの感じでしたね。
だから子供の頃はなんかそういう感じだったんですけど、大人になってからの方がざっくばらんにいろいろ仕事の話とか全然したりもするし。
高木 恵子
でもなんか子供の頃って一緒に遊んだりやっぱり、それだけ歳が離れてるとリーダーシップじゃないけどやっぱり一緒に連れてってなんか自分が導いてなんかしてあげなきゃみたいな。
中川 浩孝
そうですね。面倒見なさいよみたいなことはもちろん親からも言われますから、そこをしっかりしなくちゃいけないっていうお兄ちゃんなんだからっていうのはやっぱり言われていて、
兄弟の違いと多様性
中川 浩孝
それが性格的なところに影響をもしかしたらやっぱり与えたのかなっていう部分はもちろんありますね。
田中 愼一
イメージとして僕の場合は、昔は兄弟っていうのをあくまで客観的に見ながらね、第三者的に見ながら兄弟関係みたいなんだけども、
はじめは兄弟だから似てるんだろうなと。似てる部分が濃厚なんだろうなと。みんな似てる部分が結構明らかなんだろうなというふうに想像していたんですね。
ところがよく見ていくと似てないほうが多いんですよ。つまり子が立ってるっていうか。
ある意味、兄弟がいるってことは、三つ子四つ子とかね、みたいにいっぺんにボーンと生まれるパターンはほとんど人間の場合は少ないとはいえ、
あと実際に生まれて、僕は4人子供がいるんですけども、一人一人を見ていくと、どっちかというと似てるなっていう部分よりも違うなっていう部分のほうがすごく多いっていう経験。
中川 浩孝
でも多分そこのほうが目につくんだと思うんですよね。同じ部分っていうのは自然になっちゃうというか、お互いにと、特に兄弟関係として見たときにはお互いの同じところに関しては意識しない普通のことみたいな感じになっちゃうので、
他の家から見た人から見たらこの人たち似てるなっていうところがあるんだと思うんですけど、私たちにとってはそれが普通だから違ったところだけが目立つっていうのはそうかも。むしろそうかもしれないですね。
田中 愼一
だからそう目立つっていうことで考えてたんですけども、やっぱり基本的には人間っていうのは生存するためには、ある意味多様性っていうか、
中川 浩孝
違うポジションを取っていくってことなんですよね。
田中 愼一
みんなそれぞれが違うポジションを取れるように、多くのポジションを取れればそれだけ生存率が高くなる。
だから基本的にはそういう多くのポジションを確保していく上で、逆に言うと兄弟っていうのは、これは最近僕が思ってることですけど昔と違って、似てるというんじゃなくて、
どう違うのかっていうところがすごく面白いというか。
違いがですね、それぞれ成長していく中で、仕事につくようになってから、それぞれが違う強さっていうか、強みを見つけ出していけるっていう。
それはなんでそれぞれが見つけ出せるかって言うと、それぞれがそういう自分の違いっていうものっていうのを持っているからっていう感じなんですね。
これすごく面白くて。まあ4人いるんで、基本的には対象として4人いると母数が多いんでね、ある程度比較。しかも男女男女なんで。
年もだから逆に言うと、さっきヒロちゃんが5歳って言ったけど、たぶん一番上と下が11歳ぐらい違う
だからそういう形で見ていくと違いっていうのは、やっぱり人間が生き抜いていく上ではすごく重要な要素。
違いがないっていうのはこれやばいことなんだよ。
だから基本的にはこれは社会的にも言えるし、違いのある、多様性のある。
最近言われてる多様性のある組織とかね、いろいろ言われてきてるじゃないか。ここ10年か20年ぐらい。
企業論として語ることは優しいんだけど、実体験として自分の家族の中でその多様性っていうのがどう生きてるかっていうのを、
一つの実体験で感じるっていうのはまたこれ別の、もっとより腹落ちした感覚があるんで。そこあたりはどうですか。
高木 恵子
その4人いる中で、やっぱり自分に似てるなっていうのは、4人それぞれに感じるところってないですか。
田中 愼一
それぞれに感じるんです。
高木 恵子
それはあるんですよね、やっぱりね。
田中 愼一
これはね、どちらかというと親子関係っていう関係ですね。
親子関係っていう関係で言った時に、これはみんなそうだと思うんですね。
多分親子関係と兄弟関係って違うもので。
そこがなんて言うんだろう。でもその親子関係と兄弟関係っていうのがこのクロスして、いわゆる2つの軸で、
その2つの関係っていうのがある意味で言うと、人間が生き抜いていく上での、やっぱり計算された関係かなって感じがしますね。
その2つの関係がうまく絡まっていくと、一族郎党繁盛するっていうね。
中川 浩孝
これ田中さんのお子さんが聞いてるかもしれないから言いづらいかもしれないんですけど。
田中 愼一
なんでしょう。
中川 浩孝
4人の子育てをしている中で、4人に対してちょっと自分の態度が違うなとか言ってることが違うなとか思ってることとかってあったりはするんですか?
4人とも全く公平に同じように育てたっていう意識なんですか?
田中 愼一
あのね、えっとね。
難しいですけどね。
基本的にね、話し方はどのくらい変えてるのかな。
親子関係と兄弟関係の絡み合い
田中 愼一
話し方っていうのは、相手によってやっぱり違うわけですよね。
中川 浩孝
へー面白い。
田中 愼一
受け取り方とか、違いも。だから先ほど言った違いみんな違うんで。
だからその違いに合わせて語る話をする。
それ以外のはもうフェアでやることが基本だと思いますけどね。
形で見えるような援助とか支援とかそういうのはやっぱりなるべくフェアにやっていかなきゃいけない。
語り方っていうか話し方の、なんて言うんだろう。
っていうのはやっぱり、いやわかんないですけど、コミュニケーションの基本だけど、やっぱり相手視点に立って話すっていうのが基本でしょ。
だから自己主張はあんまりしないっていうか、相手視点に立ってその中で言えるように努めてますけどね。
中川 浩孝
なるほどね。
田中 愼一
あんまり自己主張しないように。
中川 浩孝
それはすごいコミュニケーションのプロフェッショナル的な子育てをされたのかなっていう感じが。
田中 愼一
コミュニケーションで今まで痛い目にあってるからですよね。
私はコミュニケーションは苦であるってね。
ブッダが人生は苦だなんて言うのと同じだけど、コミュニケーションは苦だっていう派の人間なんですよ。
2種類あると思うね。
多分僕の想像で言うとけいこさんは逆で、コミュニケーションは喜びであるとか、コミュニケーションは楽であるとか、そういう感じから発想する。
同じ一人っ子でも発想が違う。
高木 恵子
でも苦しみとか喜びっていう風にそもそも感じてないから。
コミュニケーションが苦しいとか喜びとかってあんまり。
田中 愼一
すいません、僕はネクラなもんですから。
同じ一人っ子でなんでここまで違うコミュニケーションに対する考え方があるかっていうのはね、これはなかなか興味深いですね。
中川 浩孝
ですから兄弟がいる人も別々に一人一人全然違うんだと思いますよ。
田中 愼一
間違いなくね。
高木 恵子
ヒロさんの妹さんに対して妹さんとコミュニケーションとっててなんかチラッとお母さんとかお父さんを感じることってあります?
中川 浩孝
どうかな。
高木 恵子
そういうのあんまない?
中川 浩孝
あんまりわからないかも。
どっちに似てるとかっていうのも性格的なところではあんまり感じないかな。
どちらかというと僕も妹も性格的には母親に似てると思います。
どちらかというと。
なので喋り方とか全体的な考え方のトーンは母親の方に近いんじゃないかなっていう気はしますね。
そういう意味ではだからなんとなく妹の考えていることはそんなに自分の考えとそんなずれないというか、なんとなく似てるっていう感じは傾向としてはあるような気がします。
好き嫌いみたいな大きな枠で考えると似てるような気がしますね。
誰の影響なのかとか、でも母親なのかなっていうのが多いですね。
田中 愼一
でも隔世遺伝もあるんでね。
中川 浩孝
確かに。わからないですけど。
隔世遺伝と鬼滅の最終話
田中 愼一
しかも隔世ってすぐそこじゃなくてすごい昔の隔世以前ってのがあるんですよ。
中川 浩孝
そんな離れた、会ったこともないご先祖様から受け継いでるかもしれない。
田中 愼一
そうなると対象者っていうのはものすごい数の人間がいて。
中川 浩孝
そうですよね。わからない、会ったことないものだっていう感じですね。
田中 愼一
だからそれが基本的には人間の多様性を支えてるわけですよね。
中川 浩孝
まあ本当そうですよね。
田中 愼一
だから100年前のご先祖さんの遺伝子がボーンと突然現れたりね。
その組み合わせたるやすごい話じゃないですか。
ただ、そこに対してもAIが入ってくるんですよね。
高木 恵子
ちょっとネタバラシだけど、そこの話って鬼滅の最後に出てきますよ。
中川 浩孝
あれやめてください。まだまだ全然見てないんですから。
田中 愼一
本当?また来た。
高木 恵子
隔世遺伝っていう、ちょっと今ドキッとしちゃった。
鬼滅の本当の最後ってそうなんですよ。
田中 愼一
あれね、隔世遺伝じゃないと片がつかないと思うんですよね。
高木 恵子
そう、こうね、やっぱり継承されるっていうストーリーで終わるんですよ。
だから本当にいろいろ考えるところがある。
コミュニケーションにおける苦と楽
中川 浩孝
これ聞いてる人がやめてって思ってるかもしれないですよ。
田中 愼一
こっちは3年待たなきゃいけない。3年くらいかかるでしょ。そんなかかんないか。
高木 恵子
3部作だからね、最後ね。
中川 浩孝
映画になるんですね、最後。
田中 愼一
3年我慢しなきゃいけないんですよ。こっちの身にもなってください。
さっきコミュニケーションは相手の視点に立ってって言ったばかりじゃないですか。
もう今の一言でまたね。
気になっちゃいますね。
絶対今本屋では読まないことにしてるんでね。買わないことにしてるんで。
中川 浩孝
その間にもう一回最初から見始めればいいじゃないですか。田中さんお得意の最初から見直し。
高木 恵子
そうそう、それいいかも。
中川 浩孝
私と一緒に見ましょうよ。今私第7話くらい見てますから。
田中 愼一
7話くらい見てるの?
鬼滅ね、これ大変なんですよ、今。時間割をどう配分するかで。
コナンと鬼滅と、今度、実はハンター×ハンターも見始めちゃった。
これがね、今の隔世って話になると、実はもっと昔の幽遊白書っていうのがあるんですよ。
あれが隔世なんですよ、実は。なんとか大隔世って。
魔族のトップの、魔族って言ってもわかんない。いわゆる鬼みたいなところの先祖の遺伝子が、
突然現代になってある少年のところでボンと覚醒するんですよ。
中川 浩孝
そうなんですね。
田中 愼一
そういう話。そっちも見なきゃいけなくなる。
高木 恵子
大変だ。
田中 愼一
もうその一言がどれだけ罪深いことか。隔世。
高木 恵子
でも人間我慢しちゃいけないと思うんですよね。
それが我慢が結局ストレスになるから。
田中 愼一
だからコミュニケーションって苦だって言ってるじゃないですか、僕。
今、けいこさんとコミュニケーションしてること自身が苦になってきてる。
高木 恵子
そんな自分に苦しみを与えちゃいけませんよ。
田中 愼一
いやちょっとまだね、精進しなきゃいけないなって感じですね。
まだね、コミュニケーションって一言で言ったら苦って言ってあるんですね。
だってやっぱりコミュニケーションを取るっていうのは、多分いろんな人がいると思うんですよ。
コミュニケーションを取るのが楽しい楽しいっていう人も当然いますよね。
コミュニケーションが必要だとすごくみんな思うんですよ。
みんな思ってる。
でもコミュニケーションやるとなんか辛いなっていうふうに考える。
その2つの視点が多分両極にあるからね。
実際に人間はその混ざったやつなんですよね。
だから少なくとも両極端としてそれを楽と見る、苦と見るっていうのを、
どう表裏一体化させるかっていう。
対極に結ぶんじゃなくて、こうちょっと曲げて、苦と楽をくっつけちゃう。
一如にするって、仏教用語でいうと一如にするっていうか一苦にする。
だから苦も楽だし楽も苦であるっていう。
そういう発想が生まれると、
多分そこに対するアプローチが楽からアプローチするけいこさん流と、
苦からアプローチするわたくし流っていうのがあるんじゃないかな。
ただ行き着くとこは同じ。
どうでしょう。だめですかね。
ヒロちゃんに判断を。
中川 浩孝
私も面倒くささとかを感じる時もあるし、
初めて会う人は嫌だなとか、そういうのももちろんあったりするんですけど、
でもやっぱり気の合う友達と会うのは楽しいし、
それってだからもう別に苦とか楽とかっていうよりは、
何でしょうね。本当に当たり前のものとしてただ捉えていって、
別に苦とも楽とも捉えていない。けいこさん流なのかもしれないけど。
高木 恵子
そこはあんまり強く意識しちゃうと余計大変。
中川 浩孝
そうそう。意識してしまうとね。その通りです。
苦とか楽とか見つけちゃうとそういうふうになっちゃう。むしろ。
田中 愼一
確かに。ただ意識しないでできる人と、
意識しないとできない人っていうのはいるんですよね。
高木 恵子
そっか。
田中 愼一
これは平均値で言うと、ずっと長年NBAの学生を教えてるんですけどね。
1回35人みんな話を2日間集中で聞くんですよ。
やっぱりね、悩みの99%ぐらいは、
困ってることの99%ぐらいって全部コミュニケーション絡み。
だから人間というのは、実はかなりコミュニケーションで苦しんでる人は、
苦しんでる、悩んでる人って言ってもいいですけどね。
結構多いんだなっていうね。そうじゃない人たちもいるんですよ、もちろん。
当然ながら。ただ結構の数がやっぱり、
やっぱりみんなね、2日ぐらいするとこくり始めるから。
そうすると、こうなんだよっていう感じで。
でもそれはそれで別に一つの差がなんでね、個人の。
そういう苦と見るか楽と感じるかっていうのは差がなんで、
それはそれ相応のいわゆる違いだと思うんですよね。
高木 恵子
あとはそのどっちかに決めなくてもいいんだよっていう考え方も一つありますよね。
中川 浩孝
そう、そんな気がします。
田中 愼一
だから僕の場合は苦というとこからスタートして、それで飯を食うようになっちゃったわけですよね。
それで十分飯、充分というか飯を食うようになっちゃったっていう恩義があるもんですから。
だからやっぱりコミュニケーションは苦であるっていう言葉にお世話になったんで、私自身。
中川 浩孝
なるほどね。
田中 愼一
それをやはりこうね、やっぱり。
中川 浩孝
いろいろ解明してね、考えるんじゃないですか。そういう派閥もあっていいと思います。
田中 愼一
苦しんでるのは当たり前なんだよって言ってやったほうが。
じゃあそれを乗り越える方法ってあるの?っていうのは実はこうなんだね。
最大の敵は自分だよってこういう感じで落とし込んでいく。
だんだん宗教講座になっちゃうんですね。