imu
そうなんです。そしたら、なんていうの?
muro
ほら、僕、コミュニケーション、僕のコミュニケーションってどっちかというと茶室型っていうか、
imu
イノシシ鹿とくれば蝶でしょう、みたいなとか、カチョウとくれば風月でしょう、みたいな。
なんていうの?枕言葉を言えば、あるよね、みたいな、わかるよね、みたいなコミュニケーションをしがちだということがわかったんだよ。
例えば、安倍の仲間呂っていう人物がいるんだけど、この人は中国に行って、中国でお役人になって、日本に帰ってこれなかった人なんですよね。
muro
で、その日本に帰ってこれなかったっていう歌を歌ってるんですよ。
imu
天の原、振り裂け見れば霞がなる、三笠の山に出し月かもっていう、まあそういう歌があるんです。
例えば、その掛け軸に月の絵が、三笠の山に出てる月の絵がかかっていて、
muro
で、僕が安倍の仲間呂の話を始めて、この和歌とかを引用したりしたら、今日の話題は故郷に帰りたいっていうことだな、ははーんって聞く人はわかるなっていうのが僕の考えだ。
で、その社長さんにそう言ったら、社長さんが、いやわかんない、そんなこと言われてもわかんないって言われて、バシってワンメッセージで出してくれなきゃって言うから、
imu
ワンメッセージってことは、故郷って言えばいいってことですかって言ったら、社長が、違う帰りたいって言うんだっていう、なるほどねって思ったんですよ。
muro
帰りたい!帰りたい!帰りたい!っていうのが、この月券型の道場型のコミュニケーションというか、
ほら、僕からしてみたら、故郷といえば帰りたいわけじゃないですか。
imu
それでさえ茶室的であった。
muro
みんな普通この茶室型のコミュニケーションしてると思ったら、まあそうじゃない人もいるんだなって気づいたっていう、
上水優輝
本当はその茶室型と道場型じゃない、いろいろあんのかもしれないけど、2つ気づいたっていう話です。
だからどうしたいかみたいなのを直接言語化するかしないかみたいなのは、一番わかりやすいあれですよね、その対比としてはね。
なんか単純に言葉の数が多いか少ないかみたいな話はないですよね。どうしたいのかみたいな、なんかそこをどれぐらい直接的に表現するかしないかみたいな。
imu
どうして欲しいのかとかね。 僕結構それで言うとね、言葉数多いですけど茶室なんですよね。あんまりどうして欲しいとか言わないですもんね。
野語だと思うんですよね。 ああ、バシっていうのが。
muro
なるほどね。
imu
ちょっと一応確認なんですけど、茶室型っていうのは別にあれですよね、教養がないと成り立たないみたいな話ではないですよね。
muro
ないと思う。 観察力じゃないの。 だってなんて言うかな、嫌な感じの親戚のおばちゃんとかってそういう感じだと思うんですよね。
imu
自分もお土産を分けて欲しいみたいな話をするときに、自分もお土産を分けて欲しいみたいなこと絶対言わずに。
そのお土産周辺の話をずっと続けたりする人いるじゃないですか。 これ美味しそうねみたいな。
そうそうそう。いいわね、お宅はいつもいただいていいわねみたいな。
じゃあ欲しいってことがみたいなのってあるじゃないですか。
まあそれ確かに道場型の人からしたら、道場型の人からしたらちょっと回りくどいみたいな感じになるかもしれないですね。
道場型の人はそれくれって言うだけだから、まあ分かりは分かりですよね。
上水優輝
難しいよね。どうしたいとかどうして欲しいとか。なんかね、自分が一人で喋るポッドキャストとかでどうしたいとかは喋れるけど、
imu
誰か面と向かって人に対して自分はどうしたいですとかどうして欲しいですとかって言語はしないもんね。
する? いやー、いや分からんなどうなんじゃろう。どうでしょうね。
僕もあんましないかも。茶室かもな。ちょっとマジで分からん。
でも、あ、茶室通じねえなってなったら道場行こっかってなるかもしれないですね。
茶室通じねえなって。 うん。あ、道場だったみたいな感じかもしれない。
muro
だから道場型のこういう人がいるっていうことが分かったことが結構大きくて。
imu
茶室型のコミュニケーションしかないと僕はずっと思ってたから、
muro
その、なんていうかな、書けた軸が悪いって思ってたんですよ。
もっとはっきり言えとかもっと直接言えって言われてたのを、一番初めはものすごくデフォルメしたクリムトの書いた月みたいなのを貼ってたけど、
これじゃあ月って分かんない人もいるんだみたいな感じで、じゃあバッチリ月が書いてある書け軸に書いてみましたみたいな感じのコミュニケーションをしてたの。
これ月が書かれてても、これ月だって分かんない人いるかもしれないから、
次のやつは三笠の山って書いてあって、こっちに月って書いてあるみたいな感じの、これぐらい着彩になれば分かるだろうみたいなことを僕は思ってたわけですよね、コミュニケーションにおいてね。
imu
けどそうじゃなかった。帰りたいって言わないとダメだったんだみたいなのが、なるほどねって思ったって感じ。
でもこれむずいのが、座室型の人に対して、道場型で言ったらなんかちょっと、
上水優輝
なんていうかね、圧迫感を与えるみたいな人もあるかな。 座室に、だからあれですよ、市内持って入って振り回してるみたいな状態だからね。
ですよね。難しいとこっすよね。 逆もしっかりだけどね、道場に書け軸持って行って、一輪座席とか多いって感じだから、それもそれだし。
imu
そうですね。難しいなぁ。
こう、だからどっちも行けるみたいなね、人が周りにいるんでしょうけど、どっちかみたいになっちゃうともう、ある種コミュニケーション不能みたいになっちゃいますよね。
上水優輝
難しいですよね。ただ不快じゃないですか、その例えば、どうしたいとかどうしてほしいって言いたくないわけじゃないですか、そのスタイルとして例えば自分だったら。
でもそれを言わされるみたいな状況になるわけだから、確かに伝わるかもしれないけど、伝わったと同時に自分はもうすでに嫌な気持ちになっているみたいなこと起こるから。
フラットではないですよね。そのもう、かなりダメージ受けてるみたいな。
と言った方がですか? 例えば自分は茶室だけど、相手が道場だなって分かって、
要は市内なんか握りたくないし、人を市内で叩くとかも、例えばしたくないって自分が思ってるとするじゃないですか。
別にそれが道場であっても喧嘩じゃないとか分かってても、でもパシャンって叩くこととかが嫌だなと思ったら、
パシャンって叩いて相手がそういうことが分かったって言われても、その時自分は傷ついているみたいなことが起こってるじゃん。
imu
人を市内で叩きたくなかったっていう気持ちがあるから。
なるほど。それって例えばちょっと伝え方とか工夫するとかでも同じですかね?
道場型ではあるけど、みたいな。ちょっと今から目を打つな!みたいな。言ってから伝えるみたいな。だとどうですかね?
上水優輝
道場型の人はね、僕が思うに、でも度合いがあると思うけど、振り切ってる人とかは本気で打たないとダメなんですよ、多分。
中にはそういうね、ちょっとこれはこうだからとか設定を伝えながらやれると。それぐらいだったら多分自分も主張できるけど、
本当に、なんならもう市内とかじゃなくて真剣抜いてこいみたいな人もいるわけだから、人によっては。
imu
切るか切られるかみたいな。ぐらいの気合い入ってる人とかだと、
上水優輝
切るしかないのかっていう気持ちはなるよね。なるほど。コミュニケーションしないか、切られるか、切り捨てるか、この3つしかないみたいな、すごい
imu
覚悟を決めないといけないみたいな気持ちになる。
じゃあそういう真剣勝負の人からすると、
なんていうかな、意見の擦り合わせとかじゃなくて、もう本当に戦い、ただの戦いっていう心持ちでコミュニケーションしてるんですかね。
上水優輝
いや、それがコミュニケーションだと思ってるんだと思う。
imu
意見をぶつけ合うということがコミュニケーションってことですか。
そうそうそうそう。
muro
意見をぶつけ合わすっていうより、そのような強度で言わないと、向こうに伝わんないんですよ。
imu
本気なんだなっていうことが伝わらないって感じですか。
本気なんだなというのも伝わらないし、究極的には何を言ってるかも分かってない。
muro
何を言ってるかも分かってない。 だなって僕は思った。
imu
そんなこと起こるんですね。 はっきり言ってくんないと分かんないよってことですか。
そうそう。
へー。
muro
だから、なんていうかな、 A案とB案とC案がありますよね。
A案にはこれこれのメリットがあり、これこれのデメリットがあります。
B案にはこれこれのメリットがあり、これこれのデメリットがあります。
C案にはこれこれのメリットがあり、これこれのデメリットがあります。
A、B、Cどれがいいと思いますか。
imu
ちなみに自分はC案がおすすめです。みたいな話をすると、何言ってんのかなーってなるわけ。
上水優輝
役所であったってことだよ。
imu
マジっすか。
muro
そう。
imu
会ったことないな俺は。
muro
C案を採用しなきゃ殺すみたいなことをやらないと分かんないわけよ。
あ、この人C案がいいんだ、みたいなことが分からないわけ。
imu
へー。大変そうだな。
大変だなって僕は思った。
これ毎回あるってこと?
上水優輝
そうね。
imu
そっか。
めちゃめちゃだって今のかなり情報整理して、自分としての意見も添えてて、
分かりやすいなと思ったけど、分かんない人もいるんですね。分かりにくいっていうか。
muro
うん。だからこの後どうなるかっていうと、
A案、B案、C案あって、C案いいと思います、みたいな。
うーん、じゃあA案で、みたいな感じでやってもらって、
じゃあA案がいいんだなと思って、A案で進めてたら、
そのA案のデメリットみたいなものが顕在化してきて、
ダメになっていったりとかしたときに、
なんかダメになってきたんだけどみたいなことを言われて、
A案のデメリットだということは説明したはずだし、
C案ならそれを乗り越えられるっていう説明もしたと思うんですけど、
imu
A案のメリットをお取りになりましたよね?みたいな話をすると、
muro
そんなことを言われても分からなかった。
C案がいいならC案がいいって言ってくれないと分からなかった。
imu
みたいなことを言われるって感じ。
上水優輝
確かにこれ難しいですよね。スタイルがまず一つあり、
もう一つは理解力というか能力の問題もあるみたいなのがあるから、
さっき言ったみたいに、イムさんが言ったみたいにさ、
これ今から銘打つね、みたいなことをやった瞬間、
意味が分からなくなる人とかが出てくるみたいなのは、
たぶん理解力がないからなんだよね。
今から打つってなんでこの人打った?みたいな、
imu
そこがまた分からなくなるからさ。
上水優輝
バーンって打ってくれ!みたいな。
その打たれた勢いでなんか感じるもので理解するみたいな人もいるから、
どれくらい抽象的なものを理解できるか度合いみたいなのも、
同時にあるだろうなっていうスタイルだけじゃなくてね。
茶室にしてもさ、ちょっと分かりやすい茶室だったかあるけど、
imu
めちゃくちゃ分かりにくい茶室とかもあるわけじゃん。
上水優輝
みたいな感じで、そこのスタイルかけるその、なんだろうな、
imu
さらにその解像度みたいなのもあるよねっていう。
複雑っすね。
なんか怖くなってきたな、この世界。
上水優輝
怖いよね。
muro
怖いよね。
imu
怖いなぁ。
muro
いや、だからね、コミュニケーションが成り立たなくても社会生活でやっていけると思うんですよ、多分。
僕この歳まで困らなかったから。
まあ僕、まともな社会生活やってないから。
僕だから良かったっていうのあるかもしれないけど、
けど、例えば普通に大学卒業して大きい企業とかに行っても、
そのコミュニケーションのパターンみたいなのが多分あらかじめ決められてるんですよね。
imu
そのコミュニティーコミュニティーで。
はいはいはい、なるほど。
そうだね。
muro
で、その中からそのビュッフェみたいな感じでこうやってやれば、大体食えるもの、食えるプレートになるみたいな。
主菜を選んでください。
パン、白米、雑穀米、玄米みたいなのから選んでくださいみたいな。
主菜を選んでください。
肉、魚、みたいなのをこうチョイスしていくと、
大体定食みたいになるよね、みたいなコミュニケーションが各コミュニティーで用意されてるんだと思うけど、
そのコミュニケーションで用意された方みたいなのを超えてコミュニケーションしなきゃいけない水準だと、
この人が本当に自分が言ってることが分かってるのか分かってないのかみたいなのがすげえ大事になってきちゃって、
それを確認しなきゃいけないんだけど、確認すると、あんかい分かってないこの人ってなるわけ。
imu
で、それは逆に言うと、この人が言ってること、自分は全く分かってないかもしれないということも引き出すわけだよね。
だから、今まで我々は分かり合えてると思ってたんだけど、何だったんだろう?みたいな感じになる。
なるほど。むずいっすね。用心するとかでなんとかなるもんじゃないしな。
上水優輝
社会がやっぱ高度になりすぎてますよね。
共有する度合いをある程度高めないと、生存さえ危ういみたいな感じで、
imu
結構難しいようなことを難しいレベル感で理解し合わないと、仲間と見なせないみたいなのがあるなと思うから、
上水優輝
全然別にコミュニケーション誰もうまくないんだけど、自分も含めね。
そこで分かり合わないと危険みたいな。結構しんどいっすよね。
ウイビューさんが言ってましたけど、暴力がやっぱ機能するなと思って。
muro
ちょっと、僕めっちゃヤバいこと言ってるみたいな。
imu
あと僕が思ったのは、権力が、まあ暴力の一種だと思うんだけど、権力がやっぱ機能する。
分かり合う必要がないという、なんていうかな、権力というものに従えば分かり合う必要がない。
一方的に誰かが誰かを分かるだけでいいっていう状況にするか、もしくは暴力によって分からせるってことが可能だよね。