中川 浩孝
コミュニケーション力を究めるゴールデン・トライアングル。 仕事でコミュニケーションを扱う3人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、コミュニケーションとは何かを一緒に考えていくポッドキャストです。
田中 愼一
みなさんこんにちは。コミュニケーションを極めると自分が見えてくる。 世界が見えてくる。コミュニケーションの世界に携わって40年以上。
コミュニケーション命。 シン・田中こと田中愼一です。よろしくお願いします。
中川 浩孝
外資系企業でマーケティングを経験してきたアメリカ在住中川浩孝です。 ということで今日はけいこさんお休みの2人回ですね。
田中 愼一
2人と3人とではちょっと雰囲気が違いますね。緊張感が2人だとあるという。
対決ムードになるとかさ。
そうなんですよね。前も話したと思うけど平田オリザさんという脚本家がいて、その方がおっしゃってたのが、コミュニケーションは3人からだと。
中川 浩孝
2人だと煮詰まるって話ですね。 そういう時はありますよね。確かに。
田中 愼一
そういう時に3人だと3人目の人に逃げることができる。
そこである程度余裕を稼いで、それで会話を続けていくっていうか。
2人での対話と3人での会話っていうのは、やっぱり質の違うものだっていうのはですね。
かなり今日、ヒロちゃんと向き合って感じてますね。
中川 浩孝
確かにね。2人で話していれば、2人が話してる間に次何を言おうかなとかもちょっと考える余裕もあったりとかするし。
そうなんですよね。
田中 愼一
見つまってきたら逃げられるんですよ。
中川 浩孝
そうなんですよね。これ、けいこさんどう思うんですか?みたいなね、そういうふうに触ればいいとかね、ありますよね。
田中 愼一
で、そこでちょっと休みをとって、頭を再構築して心を落ち着かせて、それで継続できる。
だから結構この3人以上と2人へっていうところっていうのは、やっぱり案外意識してない人多いんだけども、意識するともう少しうまくコミュニケーションを図っていくっていうことができるようになるんじゃないかなって気がする。
中川 浩孝
確かにでもそうかもしれないですね。でも例えば友達と飲みに行くとか、3人以上だったら全然心配なく誰とでもだいたい行けますけど、
差しってなると、やっぱりちょっとこの人と差しだと大丈夫かなってちょっと思っちゃいますよね。
田中 愼一
だから差しっていうのは、やっぱり2人しかいないってことはですね、人間社会では、やっぱり2次元では物事は収まらない。
より緊張感が強くて、3人いると、3つの視点で話すと、いろいろとですね、バランスが取れていく。
中川 浩孝
そうですね、確かにそれは言えますね。
田中 愼一
バランサーの機能があるんでしょうね。
僕はリーダーの人たちの対話力を上げるっていう仕事をしてるんだけども、対話っていうのはいつも僕が言ってるのは、これは格闘技だと。
対話っていうのはある意味力の行使っていうことにつながってくるんで、相手と向き合って差しで勝負っていう感じに。
やっぱりならざるを得ないっていうのはね。
だから結構違うコミュニケーションの世界なんですよね、2人とも。
中川 浩孝
そうですね。本当に仲がいい友達だったら、例えば全然喋らない、シーンとした時間が流れても別に全然問題ないんですけど。
田中 愼一
全然問題ないんですよ。
中川 浩孝
初対面の人でちょっと沈黙が続いちゃったりとかすると、やっぱり気まずい感じになりますよね。
田中 愼一
気まずい感じがするし、無理に何か作ろうとすると、結構またこちらの言葉が変になっちゃって、自分自身が慌てるっていうね。
やっぱりね、この1対1の対話っていうのは気をつけるというか注意するというか、別物だって考えるっていうのは絶対必要ですね。
中川 浩孝
確かにね、そうですね。
じゃあ今日は別の感じで。
田中 愼一
別の感じでですね、緊張の中進めていきたいなというふうに思います。
ということでよろしくお願いします。
中川 浩孝
お願いします。
田中 愼一
ということで、今週どういう経験があったかっていう中で、今なんとなく考え込んでしまうのが気候変動ですね。
昔の夏って僕の記憶では楽しかったし、暑いことを喜ぶっていうか、暑いからいいんだっていう気があって。
だから夏っていうのは楽しみの時期だったんですけど、年をとったせいもあるのかもしれないんですが、
最近朝起きてわーっと外を見るとですね、逆にいいなと思うかじゃなくてやばいと思う。
中川 浩孝
いやー本当に危険な状況になってきてますね。
田中 愼一
朝早くの温度さえももうすでにかなり高い温度になっていて。
昨日テレビを見ていたらですね、過去の日本における温度っていうのを写真でね、
こういう写真っては30年前の写真に最高温度はいくらだったかっていうのが、
田中 愼一
ずーっと過去50年くらいから、もっと60年70年くらいに遡って映像を送ってた。見てたんですね。
田中 愼一
そしたらやっぱり30度っていうのが基本で、30度をちょっと超えて、わー暑いって言ってて、
とか今は40度に近いわけですよね。
中川 浩孝
いやー本当にそうですよね。
田中 愼一
これやっぱり異常としか言いようがないっていうか。
中川 浩孝
いやーそうですよね。昔はだって真夏日30度で、その次の猛暑日なんてなかったですもんね。
最近できたんですね、あの言葉自体ね、猛暑日っていうことも結構。
田中 愼一
まさにその通りで。
本当にね、特にこの数年でそれをより実感するヤバさをより実感する。
だから僕なんかは、朝起きて外を見るとそれを実感し、さらに今度着替えて、
例えば外へ出るときですね、買い物なり出社するなり、
出た瞬間にまたこのヤバいって感じで。
中川 浩孝
いや本当に危険ですよ、皆さん気をつけていただかないと。
田中 愼一
これあれですか、やっぱりアメリカも同じですか?
中川 浩孝
いやーそうですね、なんか私のエリア、今東海岸のニューヨークから2時間くらいのところですけど、
やっぱり冬は全然雪が、昔は雪深いというか雪が多い土地だったんですけれど、
去年なんか2回くらいしか雪降ってないんですよね。
田中 愼一
本当に?
中川 浩孝
はい、まあそれなりに積もったんですけど、積もったのが2回くらい。
あと雨が降るかなと思ったらみぞれみたいなことはあったんですけど、
積もったのはもう多分2回くらいしかなくて、
だからもっと昔は本当に雪かきが大変とか、
日本海側ほどではないですけれども、でも結構雪の多い地域だったんですけど、
今は本当にほとんど雪かきすることも、結局去年も1回くらいしかしてないですから、
全然もう雪も減ったって言ってましたし、
昨日か、昨日とかもなんかね、雹が降ったんですよ、昼。
夕立みたいな感じで突然雹が降りまして。
いやーそれもちょっと珍しいって言ってたんで、やっぱり何かどこも確かも。
田中 愼一
南半球じゃないですよね。
中川 浩孝
いやー普通に北半球ですし、東京よりも北の方にあると思うんですけど、
全然夏は、夏はもちろん暑い、そこそこ暑いっていうのは昔からなんですけど、
それでもなんかやっぱりちょっと異常、昔と比べると気候が変わってきてるっていうのは地元の人たちもやっぱり言ってますよね。
田中 愼一
なるほどね、やっぱりだから、本当に今そういう意味で気候がやばいって感じる人が非常に増えてきてるっていう暑さがですね、
だからこういうのっていうのは一つ、なんていうのかな、本当に心配項目になってきたっていう。
中川 浩孝
いやー本当ですよね。
田中 愼一
だって通勤するのってこれ本当ひと仕事ですよ。
この暑さで、例えば僕なんか駅までだいたい歩くと15分か20分かかるんですよ。
この暑さでこれ通って、もう駅に着いた瞬間にもう体中がびっしょりで。
中川 浩孝
いやーほんとそうですよね、会社に着いたら疲れ切ってますよね。
田中 愼一
疲れ切ってるっていうと、会社に出社することだけがもう一つの大きな重荷になるぐらいの暑さっていうのね。
こんなことを日々、この数日間考えてる中で、
一つのそれを考えさせるきっかけっていうものが、実は先週の金曜日かなって。
それは何かというと、前もこのポッドキャスティングでお話したかもしれないんですが、
インド人の友人がいるんですね。
もう30年経つと40年近くの付き合いのインド人がいるんですけども。
本人は今、もともとはインド人で当然だけども、
国籍はたぶんいくつか持っていて、アメリカも長くて。
実際彼は今バンコクに住んでるんだけども、
自分が持っているいくつかの会社っていうのがですね、
まあ実業家なんですけども、アメリカにあって。
医薬関係の仕事とか、医薬関係が中心なんですけども、
大きくして、ほとんどのオペレーションの拠点はバンコクにあるんで。
だからある意味非常にインターナショナルな人で、
彼との出会いっていうのは、もともと彼は面白いことに、
実業家になる前はジャーナリストだったんですね。
ウォールステリートジャーナルってありますけども、
あそこもね、僕がもう昔30年以上も前かな、
アメリカに7年間駐在して、
その当時ホンダにいたんですけども、
アメリカでの進出の中で、80年代に起きた日米通商摩擦。
それによって引き起こされた、とてつもない反日感情。
ここに対してどう対処するかっていうのが僕の仕事だったんですけど、
7年間アメリカでやってたんですが、そのときに出会った記者なんですよ。
その当時はデトロイト支局にいて、
いわゆるスター・ジャーナリストって言われるぐらい有名な記者で、
特に自動車とかでニューヨーク・デトロイトにいたんですけども、
結構馬があって、彼の家に呼ばれて、彼がカレーを作ってくれるんですね。
彼は年に2回ぐらい故郷のインドに帰って、
インドではお父様が偉い軍人さんで、とてつもない広い家に住んでいて、
庭の中にいろいろなスパイスが50種類ぐらいあって、
そこに帰ると、そこのスパイスを全部持って帰ってきて、
それでカレー料理をご馳走してくれるんですよ。
2人ともスコッチが好きだったから、スコッチを飲みながら、
台所から会話が始まって、これどう?いいね。そういう仲だったんですね。
しばらく音沙汰なかったんですけど、ここ最近また彼と交流し始めてきて、
そのきっかけっていうのが、彼が書いた本があるんですね。
彼は今までスパイスの本を1冊書いていて、結構日本でも評判になってます。
そのあと彼は小説を書いて、
ある意味物語なんですけれども、いわゆるアニメーション化できないかって言うんで。
日本はアニメの大国なんで、日本でこれをなんとかアニメーション化できないかって話で、
実は彼とここ数ヶ月前から親しく話をしてるんですけどね。
その過程で彼の書いた本の内容が少し面白いなと。
それが今我々が向き合っている気候変動というものと、
なんだかのつながりがあるかなっていうのがちょっとあって、
それをこの場でお話で皆さんにシェアできればなというふうに思ってます。
いわゆる人間って、いまいろいろな何人、日本人、インド人、アメリカ人っていうことで、それぞれ国籍を持っていますよね。
ただいろいろなね、僕も海外長いからいろんな国籍を持ってる人たちと話してると、
面白いのは、どこの国籍を持ってるかっていう以上に、発想の国籍?
例えば僕の場合っていうのは海外長いんだけども、発想はピュアに日本人なんですよ。
日本の国籍を持って発想するんですね。
僕のインドの友人もですね、アメリカにいたときなんかも一緒に、
はじめはこの人はインド人っていうふうに僕は認識して、向こうは僕は日本人と思ってるんですけど、
だんだん発想の国籍っていう意識を持ち始めてきて。
やっぱり国によってですね、発想っていうのがやっぱり違うんだなっていう。
このアメリカ人と話してるときっていうのは、あまり発想の違いっていうのはあるんだけども、
国籍っていうところまであんまり感じないんですけどね。
中川 浩孝
なるほどね、面白いですね。
田中 愼一
その共通項っていうのが、
やっぱりグローバルで話してると、
ほとんどが欧米的な発想が支配的なのに対して、
たまにそういうスパイスの効いた発想がバッと出会うとね、
すごい刺激になるんですよね。
僕は彼の書いた本っていうのは、
今読んではいるんだけども、
だいたい理解力はわかってるんだけども、
それを見ていくと、なんとなく共感のレベルが高くて、
新しい国籍の発想っていうかね、
これはインドの発想なんでしょうけども、
との出会いが自分自身の日本人としての発想をより刺激するっていうか。
これ結構面白い体験で、
なんていうんですかね、
その摂理対意志みたいなね。
今まさにひろちゃんが言ったね。
そこあたりは結構、少し面白いなと。
それがどうも今の温暖化問題っていうものに対して、
人間が向き合ってるわけですけども、
やっぱり人間そのものを持っている発想っていうのを変えないと、
この温暖化問題とか、
今ある、はっきり言って目の前にある危機ですよね、これ。
に対処していけないんじゃないかって気がすごくあって、
で、それが今回彼が書いた本の中に、
一つの発想として埋め込まれてるんだなっていうのが、
ちょっとかなりですね、僕としては驚いたっていう。
中川 浩孝
なるほどね。
まあでもなんかこういうのって本当にカルチャーというか、
もう子供の頃からいろんなお話を聞いたりとか、
人と話したり、いろんな経験を積んでいく中で、
そういう考え方って多分固まっていくものなので、
一朝一夕で変えられるものではないですよね、やっぱり。
田中 愼一
ないと思いますね。
でもやっぱり人間というのはずっとある意味進化してきたんでね。
で、進化っていうのはどこに一番原点があるかというと、
生き延びるってことですよね。
だから結局、生き延びたいのであれば、
変わらざるを得ないっていう状況が、
人類だけじゃなくて地球の進化そのものの本質なんじゃないですか。
だからそれを感じ始めたっていうのはもう一つの兆候で、
前は、たとえば10年前はそこまで感じなかったですよ。
もっとのほほんとして温暖化かなんて言いながら、
抽象論で片付けてなくてきたころ
中川 浩孝
いやでも本当に前はね、真夏日だけじゃなくて猛暑日が何日もあるみたいなのから、
実際に体でそれを体験しちゃってますからね。
田中 愼一
だからそういうことがすると変わらざるを得ない。
中川 浩孝
それで変わらざるを得ないですよね。
田中 愼一
ということは発想を変えなきゃいけないってことだと思うんですね。
中川 浩孝
そうですね。
田中 愼一
一つの、僕のインド人の友人の書いた本っていうのが、
一つのヒントを与えるっていうかね、
そういうものにちょっとあるかなと。
前もここで話したことがあると思いますけど、
今の現代人って宗教に対する拒否反応があるでしょ。
中川 浩孝
はいありますね。
田中 愼一
宗教っていうのは、実は非常に深い試作を経た上で、
研ぎ澄まされた思想というか、発想というものがあるんですけども、
残念ながら宗教に対する考え方っていうのが、
非常に抵抗力のある人が増えてるんで、
そうなるとなかなかせっかく非常に何千年っていう形で、
人間が一生懸命培ってきたその知恵というかね、
発想っていうものっていうのが伝わりにくい状況にある。
例えば今回、僕のインドの友人が書いた本なんかは、
ある意味物語調というかですね、ちょっとパッと見ると童話みたいなんですよ。
主人公は動物と人間っていう形で、
その中には、いわゆる宗教という形ではなく、
それとは別の童話みたいな形なんだけども、
でも中に入っている、提案されている発想っていうのは、
まさにある意味で言うと、そういう宗教が積み重ねてきたね、
いろんな知恵っていうものが、別の形で表現されてる。
これがすごく面白いなと思って。
田中 愼一
だからちょっとそういうことで、あくまで友人として協力してるんですけども、
非常に面白い。
その中で気づいたのが、彼はアニメーションをするときに一番尊敬してるのが、
宮崎駿さん。ジブリの。
ジブリはなんで彼がそんなにすごいかってリスペクトしてるかというと、
彼のHumanity、英語でHumanityって言葉を使ったんですけども、
彼の作品にはHumanityがすごく強く出てると。
それからHumanityだけじゃなく、その人間が生きている環境に対する配慮。
つまり自然に対する、自然の摂理に対するリスペクトっていうものが入ってる。
でそこは、なるほどねと。
やっぱり日本っていうか、欧米の発想はどっちかというと、自然を支配する。
中川 浩孝
そうですね、本当にその通りですね。
田中 愼一
東洋はどちらかというと、自然の一部であるっていう。
つまりその自然の摂理に生かされてるっていう。
だからここ真逆の発想なんですね。
基本は今の温暖化の原点っていうのは、
近代化、つまりいわゆる産業革命をきっかけに、
どんどんどんどんいわゆる自然を支配するという発想のもとに、
いかに自然を人間のためにどう使っていくかっていう発想が中心だったんですね。
その中で、宮崎駿さんの場合はヒューマニティということで、
より人間性ということで、しかもその人間性って何かっていうと、
実はより自然に近いものなんですよ。
中川 浩孝
確かにそうですね。
田中 愼一
だから彼はヒューマニティを追求してきた。
それに対して僕の友人はですね、そこに対する評価はものすごく高くて、
つまりヒューマニティと自然に対するリスペクト。
彼の今のインド人の発想ってのは、それをもう少し自然寄りにする感じ?
要するに、自然へのリスペクトというだけじゃなくて、
自然へのなんですかね、いい言葉が見つからないんですけども、
自然への親しみ?愛情?というか、
リスペクトとは別にそこと一体になってるわけではなく、
違いに対してリスペクトするっていう言葉をよく使うわけですね。
だからもしかしたら宮崎さんの中では、
やっぱり人間と自然っていうのはどこかでまだ区切られていて、
ただ自然に対してはちゃんとリスペクトするっていうところなのかなと。
で、このインド人の友人の発想っていうのは、それをさらに深めて、
もうはっきり言って人間も動物も、あるいは生きとしていけるものすべて、
これはリスペクトしなきゃいけないっていうか、一緒。
だから人間と自然という対立構造は分けないってことですかね。
だからこれはもともと東洋が持ってる発想なんでね。
そういうような内容で、なるほどなと。
彼が言ってきたのは、アニマルライツって言葉があって、
人間と同じ権利を認めようっていう話。動物に対してもね。
これはなかなか極端な言葉だったと思ったんだけども。
でも根底にある考え方ってのは、
例えば人間がある土地を開拓して自分が住むって言ったときに、
今までは自分が好き勝手にそこの土地を買って、そこで何かを作るんだけど、
実はアニマルライツっていう発想を持つと、
まずそこにすでに先住民がいるわけですよね。
中川 浩孝
そういうこと言ったら、たぶん人間どこにも住めないような気がするんですけど。
田中 愼一
そうそう。まさにその通り。
そこに折り合いをつけていくっていう発想があるかないか。
中川 浩孝
一緒に生きるかどうかってことですよね。共生するか。
田中 愼一
生きるか生きないかっていうのがあって、
これどうも考えていくと、
所詮我々はエコの世界にいるわけでしょ。
要するに循環型の社会の中で循環で生かされてるわけじゃないですか。
一方どっかを、例えばアニマルを消していけば、
田中 愼一
いずれは循環が崩れて人間がダメになっちゃう。
中川 浩孝
そうですね。その通りですよね。
田中 愼一
だから選択肢ないんですね、これ。と思うぐらい。
だからより、今から考えるとアニマルライツって極端な発想だけど、
中川 浩孝
人間の中だけだってそれこそイスラエルとパルスチナみたいな問題が起こっているので、
そこはアニマルライトとか言ってる場合じゃないだろうっていう話はなくはないんですけど、まず人間の中で折り合いをつけなさいっていうのはあるんですけど。
田中 愼一
まあ確かにね。でももう人間のところで折り合いをつけようとすると、時間がかかるかあるいはできないかもしれない。
であればもう同時進行でいけばいいじゃないですか。人間も動物もあんまり関係ないんだと。
なんでこんなそういう発想で本を書いたのっていろいろ聞いてたら、彼は生きるか死ぬかのコロナで暗黒で病院にかっつい込まれたんですよ。
で毎日周りの人が亡くなってるんですよね。
中川 浩孝
じゃあ一番最初の頃だったんですね。
田中 愼一
一番最初の頃なんですよ。パニック。まさにパンデミックで。
そういう中でもう自分の命はもうないのかなっていうのを覚悟してる。
それがひとつのきっかけなんです。
中川 浩孝
なるほどね。
田中 愼一
彼にはある現体験がいくつか重なってるみたいで、ヒアリングしていくうちに徐々に面白い話が出てきて、
例えば彼の家っていうのはバンコクの中心街のど真ん中あたりにどでかい庭付きの家を持ってるらしいんですよね、金持ちだから。
庭付きなんだけど、そこに何年前でしたかな、15年前かな、移ってきて、そこの場所を手に入れて。
そしたらリスの一家がいて、庭に。
すごく反発的に彼の姿を見ると、あのちっちゃなリスが攻めてくるんですよ。
中川 浩孝
へー。
田中 愼一
ギャギャギャギャギャギャーって、襲ってくる。
もちろん向こうにとっても先住民だから、彼は侵略者みたいに捕らえる。
ところがその後、徐々に徐々に、今や世代を超えて何代目かになっちゃってるんですよ。
すごい数も増えて、いわゆるリスの一家がですね、一緒に彼の自宅に住んでるっていう。
中川 浩孝
なるほど。お家の土地をシェアしてるってことですね。
田中 愼一
そうそう。それであと、バンコクってそういうとこなのかなってちょっと思っちゃったんだけども、
コウモリの家族が住んでて、
本当にコウモリがぶら下がってるところに行って、ずっと眺めてるとかね。
中川 浩孝
へー。
田中 愼一
それが一つの家族を作って、そこで暮らし始めた。
それだけはやはりさすがにそうだろうなと思ったんだけど、
大蛇、いわゆる2匹ヘビとか、でかいヘビがね、住みついちゃってたので、
田中 愼一
バンコクってそういうとこなの?って思ってたんだけど。
中川 浩孝
そんなのいるんですね、バンコクのど真ん中に。
田中 愼一
結構その都市のど真ん中にある緑なんで。
中川 浩孝
あーなるほど。逆にみんな集まってきちゃうんですね、そこにね。
田中 愼一
集まってくるっていうのと、たとえばそこに逃がしちゃう人もいるんじゃないですかね、いろんな変なことを。
中川 浩孝
なるほどなるほど。
田中 愼一
だからたとえばプールで泳いでると、横からヘビが一緒にこう動いてる。
ゾッとするような話とかね。
中川 浩孝
それはなかなか怖いですね。
田中 愼一
で、パッと顔を出したらヘビと鉢合わせ、顔が鉢合わせになって、
で、向こうも怖がってるけど自分も怖がってるっていうね。
話聞いてるとね、すごいなんていうか、そういうある意味、動物との触れ合いっていうのがなぜかバンコクにあって。
元々インドで育ってるから、彼の大きな庭園の中ではいろんな動物がいたんですよ。
中川 浩孝
普通にいたんですね。
田中 愼一
さすがに僕もいろいろアフリカとか行って、動物とはいろんな接してますし、ヘビとかいろいろいますけど、
でもそこまではね、一体にはなれないですね。
中川 浩孝
東京ではなかなかやっぱりなかったですもんね。
田中 愼一
でも僕なんかは、いろいろ人に話すんですけど、ゴキブリが出るとどうします?
中川 浩孝
ゴキブリは最近本当に見ないですけど、
ゴキブリが出たらゴキブリホイホイみたいなやつを買って駆除しますね、やっぱりね。
田中 愼一
なるほど。昔僕そうだったんですけど、ここね15年ぐらいはどうやって外に出すかっていうこと。
中川 浩孝
基本的には外に行ってほしいですよ、できればね。
田中 愼一
だからそうなると、他の虫だったら簡単に手つかんでボンと出すんですけど、ゴキブリと、あとあれもう一つ、ムカデ。
僕は修善寺に行くんで、修善寺に場所があるんで行くと、あそこあたり山の中なんで、ムカデがよく出てきますよ。
で、ムカデとゴキブリが出てくるんですけど、それを外に出すのに一大奮闘するんですね。
特にゴキブリはね、ムカデは簡単なんですよ、遅いから動くのが。
中川 浩孝
あーそうですね。
田中 愼一
ゴキブリはね、これすごい苦労する
中川 浩孝
速いし飛びますしね。
田中 愼一
でもね、やっぱり殺せないんですね。
ホイホイ昔はやってたんだけど、今はほとんどできなくて、で、やっぱりこう逃がしてやるっていう発想になってくる。
だから僕自身もなんていうのかな、人というかそういう生きとして生けるものっていうものでいたときに、殺すっていうのが非常に抵抗感ができます。
中川 浩孝
まあね、私も基本的にはなるべく殺したくないなと思ってますけど、ハエだけは殺しちゃいますね。
ハエが家の中に入ってきてしまったときは、それをなるべく出そうとするんですけど出ないときが多いので、それはちょっと仕方なく申し訳ないなと思いながら殺してしまいますけど。
田中 愼一
でも人間のやっぱり心の根本にはそういう情っていうのがあることはまあ一つ事実なんですよね。
それがどこから生まれるのかわかんないけど、本能的に我々摂理の中で生かされてるっていう中で、ある意味同僚じゃないですか、ゴキブリ。
中川 浩孝
そうですね。一緒に地球の上に住む仲間ですよね。
田中 愼一
だから最近はゴキブリホイホイじゃないけど、ゴキブリのコマーシャル見るとイエーってチャンネル変えますね。
それぐらいちょっとね、考え方が変わってきちゃって。感じ方が変わってきちゃって。
だからその友人の本と接して、それをどうやってアニメ化するかっていうことをやってるうちに、
徐々に、彼はインド人の発想を持ってるから、インド国籍の発想っていうものが日本国籍の発想とそれなりに共通点があるんだなって。
違いもありますけどね。共通点があるんだなっていうのは非常に面白いですね。
我々やっぱり少し欧米化がやっぱり進んじゃってて、欧米化の考え方っていうのが当たり前になってるけども、
実はもともと奥底には我々それぞれの国籍に基づいた発想っていうのがまだ残ってるんじゃないかなと。
中川 浩孝
なるほどね。
田中 愼一
それっていうのが今大事になってきてる。
中川 浩孝
そういう中ではジブリのアニメが世界中である程度愛されている。
すごいメインストリームではないですけれども、一部にファンの人たちがいるっていうのは、
やっぱり日本的な考え方がちょっと理解できる人たちも世界中のいろんなところに散見されるというかいるのかなっていうのはやっぱり思いますけどね。
田中 愼一
そうですね。やっぱりね。
だからやっぱりそういうジブリのいろんな作品、宮崎駿が作った作品の中に示されていく優しさみたいなもんですか。
相手を認めると言うとなんか欧米的なんだけど、
相手を受け入れるというか、相手を受け入れるだけじゃないんだよね。
やっぱり仲間意識じゃないけど、そういう優しさっていうのがあるんだなって。
我々はビジネス世界に生きてるから、しかも欧米的なビジネス世界に生きてるから、
切ったはったやってるから、ちょっと遠遠い感じはしますが、
やっぱりそこあたりに戻らないと、結構地球もやっていけないんじゃないですかね。人類含めて。
中川 浩孝
そうですね。でも多様性とかと似てますよね。
だから多様性をさらに人間以外のところにも広げていくっていうか。
田中 愼一
広げるっていう考えとありますね。多様っていうものを。
だからやっぱり人間同士でもね、相手をリスペクトしろってよく言うけども、
田中 愼一
やっぱり人間を超えてリスペクトから始まるっていうのかな。
リスペクトからだんだんリスペクトっていうのは、まだ違いを求めて、違いっていうのが前提にあるわけですよね。
リスペクトってのは間違いなく違いを前提にしてリスペクトする。
でもその違いをリスペクトするところがもっと進んでいくと、
リスペクトじゃないインクルーシブなんでしょう。
なんか一体感っていうか、違いを超えるって感じですね。
多分多様性っていうのは違いを超えるっていうところまでいかないと、
田中 愼一
リスペクトのレベルだけじゃダメなんでしょうね。
田中 愼一
違いを超える、つまりリスペクトのレベルから違いを超えるぐらいになるっていうのが一つの結局の在り方に近いのかなって感じですね。
中川 浩孝
まあでも確かに人間同士でそういうことを言ってる場合じゃないっていうのはありますね。
もう間に合わなくなっちゃうかもしれないですから、今からやっぱり自然ともつながっていく。
田中 愼一
だからちょっと考えたほうがいいですね。
そうするとあらゆる生活活動の中に、そういうあらゆる多様なものに対するリスペクトっていうものを含んだ発想を持たなきゃいけないわけで、
そうするとものの作り方とか売り方とか、そういう在り様がどんどん変わってくるでしょうね。
中川 浩孝
そうですね。
田中 愼一
実際今いわゆる温暖化でCO2排出をゼロにしろとか、いろんな形でビジネスの在り方が変わってきてますよね。
でも本当にやっぱり変えなきゃいけないのは、人間の発想のほうも早く変えないとそれに合わせて。
そういうのがすごく重要だと思いますね。
やっぱり思うんだけど、そういうときに人間の発想を変えるってことは、やっぱり人間が相手なわけですね、我々は。
人間の発想を変えるってのは、やっぱり人間同士の中に質の高い対話をね、自分との対話っていうものをやっていかないとダメなんですよね。
自分との対話っていうものを、ずっとやっぱり人類の文明の中で自分との対話っていうのはどうあるべきかっていうための知恵を構築してきたのが、
実はいわゆる、これはもう一神教でも多神教でも同じだと思うんだけど、宗教なんですよね。
田中 愼一
信じない人は信じない人で結構だし、でも信じる信じない関係なく、これ面白いなと思った知恵があれば取り入れればいいんですよ。
中川 浩孝
部分部分で取っていけばいいんですもんね、別にね。
田中 愼一
せっかく人類が残している知恵の集積っていうのがあるんで、それが今だんだん忘れ去られてる感じがあるんで、
一度ね、信じる宗教と知恵である宗教という言葉をやめたほうがいいな。
少し分けて考える発想を持ったほうがいいね。
でも、ひろさんはお坊さんの話聞いてるんですね。
中川 浩孝
別に最近はないですけど、やっぱり法事の時とかそういうのでお話を聞いているとすごく面白いなと思うし、
そういう意味では、最近はこちらで教会に例えばクリスマスですとか何かそういうイベントの時に一緒にクリスマスで
キリスト教の普通の教会に行ったりすることもあるんですけど、それこそカトリックの教会とかも行ったりするんですけど、
やっぱりその時にお話ししているのって、歌を歌ったりするところとかはあれですけれども、
お話をしているところに関しては結構面白いなって思えることはあったりはするので、
それって多分万国共通だし、逆に言えばこの宗教に染まりたくないっていうのであれば、
いろんな宗教の話を聞いてみるっていうのももしかしたら面白いなのかなと。
田中 愼一
逆にね、それはいいと思うんですね。確かにいろんな宗教の坊さんの話を聞くって面白いかもしれない。
いや僕はだから、そうですね、今興味があるのは、お坊さんってどうやってお坊さんになるのかなと思って。
そういう面白い知恵を語れる人にならなきゃいけない。
中川 浩孝
ああ確かに確かに。納得させなくちゃいけないですもんね、その檀家さんとかをね。
田中 愼一
まあ一応うまくできてて、そういう面白い話を語ってくれるお坊さんにはやっぱり檀家さんが増えるから集まるから、
商売繁盛でもあるし、だから語りっていうのが重要なんでしょうね、お坊さんになるためには。
中川 浩孝
確かにそれこそコミュニケーションのトレーニングがめちゃめちゃ受けてるんじゃないですか?
田中 愼一
いやそういうふうに、だからそのプロセスがね、僕はそんな入って研究したことがないからわかんないけども、
映像があって、NHKスペシャルが昔やっていた永平寺という。
これすごくよくできてて、その頃宮崎奕保っていう永平寺のトップのお坊さんがいて、
もう100歳を超えてたかな、あのとき。
その人の話を中心に、一本NHKスペシャルがあって、もう一本NHKスペシャルで永平寺そのものの修行を取り上げた映像があるんだけど、
それ見てると、なるほどな、すごいやってるな。
ただ、そのときに語る知恵、語るっていうか語り力っていうのをどう身につけてるのかなっていうのは、あんまり出てなかったんで。
でもやっぱりお坊さんって語る力ですよね。
中川 浩孝
そうですね、そうだと思います、確かに。
田中 愼一
はっきり言って、知恵を語るっていうのがお坊さんの価値ですよね、やっぱり。
中川 浩孝
そうだと思いますね。
田中 愼一
だからどうやって教育してるのかなっていうのはすごく興味深い。
中川 浩孝
それ興味深いですね、確かにね。
田中 愼一
これからそういう知恵を語れる人っていうのを育成していくっていうのが、そういう人が増えてくれるっていうのが必要かもしれないですね。
高野聖っていう、いわゆる空海の、なんで日本全国に3000の空海神話っていうのがあるんですよ。
全国にあるんですね。
空海が行ってもいないだろうと思うようなところにも、空海の伝説がずっと3000くらいあるそうです、日本は。
中川 浩孝
すごいですね。
田中 愼一
地域別ではもう満遍なく。
だから、なんでこんなことが起こったのかっていうのを究明する番組があって。
いろいろ見てると面白いのが、この高野聖っていう人たち。
この高野聖っていうのは何かっていうと、人数はもう無数にいたみたいですけども。
いわゆるお坊さんであり、乞食みたいであり、いろいろなところで、
結局、今でいう浮浪者じゃないだろうけども、語り部みたいな役割を果たしてて。
たぶん村々に行って、今ヒロさんが言ったようにね、面白い話を聞かせる。
それでいろいろなお供え物をいただいて、それで生きていくような。
それが全国に行脚して広がってたんですね、高野聖。
これがやはり、高野山っていうもの、あるいは弘法大師空海の発想とか、
あるいは彼の宗派である、彼が作った真言密教とか、
そういうものの知恵、考え方っていうのを語り目として普及させた。
実は今でも空海が、弘法さん弘法さんと呼ばれたり、空海さん空海さんと呼ばれたり、
あと88カ所ですか、四国の。
あそこを回るときも必ず、二人三脚みたいな表現があるんですけども、
工房さんが一緒に歩いてくれるっていうね。
二人なんとかっていう表現があるんですけども。
知恵を語る人たちっていうのが、高野聖なんかが一つの代表なんでしょうね。
それが定住するとお坊さんになるんですよ、お寺の。
なかなかお寺のお坊さんまでになった人は少ないのかもしれないけども、
少なくとも全国にそういう人たちが行脚して、
教えっていうか知恵を語った。
それを一般民衆が受け取りながら、そこに施しを与えて、
その知恵っていうものを伺ってありがたがってたっていうか、
田中 愼一
そういうことなんですよね。
だからやっぱりそういう人が今いないんですよね。
なかなかね。法事もそんなにやらなくなったでしょ、コロナの時代。
中川 浩孝
そうですね、確かにそうですね。
それ以上にやっぱり人の話を聞くっていうか、
そういう貴重な体験というか、今どんどん減っているし、
逆に言えばインターネットとかテレビとかいろいろ他のメディアもいっぱいあるので、
そこから知恵を得るみたいな、ここでしか知恵が得られないみたいな、
そういう場じゃなくなっちゃってますもんね、お寺自体というか、
そういう人たちと話すっていうこと自体がね。
田中 愼一
だからちょっとね、そこあたりが結構、
もっとこれから求められていくんでしょうねって感じですね。
そっか、なかなかこの場でいろいろとそういう知恵を語るってのも面白いかもしれないですね。
中川 浩孝
確かに確かに。面白いですね。
田中 愼一
いろいろな場で知恵って何?っていう。
知恵って何であるんでしょうねっていうところから始まって、
ちょっと知恵を探索するのは面白いかもしれない。
こういう知恵があるよとか、これ知恵だよねっていう、知恵シリーズじゃないけど。
中川 浩孝
知恵シリーズ。すごい難しくなりそうだな。
田中 愼一
知恵って英語で言うとwisdomなんでしょうね。
知恵っていうのは、知識と知恵は全然違うもんで、
知識重ねると知識を重ねたほど知恵が劣ってくるっていう。
知識っていうのは気をつけないと知識に飲まれちゃうんですよね。
中川 浩孝
そうですね。確かに。
田中 愼一
一つの仏教の知恵に、人間が向き合う壁って二つあるって言ってて。
一つは煩悩。もう一つは知識。
つまり、知識っていうのは飲まれると。
知恵っていうのは飲まれないようにするためにはどうすべきかっていうのが知恵なんですよ。
知識と知恵っていうのは一緒にする人いるんだけど間違いで。
知識を有効活用するためには知恵が必要なんですよ。
中川 浩孝
知恵は使うものですよね。確かに。
田中 愼一
だからそれが今で言うAIと人間も同じで。
AIは知識の塊なんですよ。
人間は知恵を開発しなきゃいけないんですよ。
ある意味で言うとコミュニケーションというのを追求していくと徐々に知恵って何?って話になってきて。
知恵というものを培うことがある意味コミュニケーション上手になるっていうか。
知恵を作ることによって繋がりを作っていく他の人との。
それで物事を起こしていくっていうことから言うと知恵にフォーカスをする。知恵VS知識。
これはね結構重要な視点かもしれないですね。
中川 浩孝
重要ですね確かにね。
私たちも知恵ってTips的なイメージなんですよね。
でもやっぱりそれを実際に活用するとかどう使っていくかっていうのは現場現場とかその場その場でその時その時によって違うので。
そこですよね応用力というかそこの。
田中 愼一
知識の立ち悪いのは知恵を説明するときに知識を使わざるを得ないんですよ。
中川 浩孝
確かに確かに。
田中 愼一
だからこれはねダメでだからTipsはまさにその通りでその知識というような理屈づけでこれが知恵ですって言ったって知恵にならない。
中川 浩孝
そうだまあその通りですねでも本当にね。
田中 愼一
だから知識依存型の知恵っていうのはダメでそれは知恵じゃなくてやっぱり知識と人間の知識って今莫大に増えてるわけですよ。
AIが入ってくることによってですねこれはもっと級数的以上にもうワープに近い爆発なんですよ知識の爆発ですよねある意味。
その中で人間はじゃあどうすればいいのかって知識に頼ったら生きていけないわけですよ。
中川 浩孝
いや本当そうですねでも確かに。
田中 愼一
知恵をいかに開発するかっていうのはこれからの人間のだからまあさっきの話も通じるんですけども
どうやってそのえっと今の温暖化問題と向き合うのかっていうのは人間は知恵を作らなきゃいけないんですってそこに対する。
それが一つの知恵の発露が発想なんですよね何を発想というか。
でその発想っていうのを今の世の中はいちいちまた知識で武装するんですよ。
なぜその発想は正しいかと正しくないか。そんなこと言ってるからまた知識に飲み込まれちゃうわけです。
中川 浩孝
まあでも本当その通りなんですよね。
田中 愼一
知識で説明できないものは認めなくなるわけですよ。
中川 浩孝
そうですね。
田中 愼一
そうすると知恵が死に絶えてしまうわけですよ。
だからその知識の語り辺って絶対必要だったんですね。
中川 浩孝
そうですね難しい難しいけれど必要ですね。
田中 愼一
このゴルデントライアングルでじゃあ旗揚げしますかね。
我こそは人類の救世主なんですよね。ここで知恵を語ろう。なんだ知恵っていうのは。
中川 浩孝
知恵ねそうですね。