コミュニケーションの要素と直接話法・間接話法
田中 愼一
コミュニケーション力を究めるゴールデン・トライアングル。 仕事でコミュニケーションを扱う3人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、コミュニケーションとは何かを一緒に考えていくポイントキャストです。
こんにちは。コミュニケーションを極めると自分が見えてくる、世界が見えてくる、コミュニケーションの世界に携わって40年以上、コミュニケーション命、
シン・田中こと田中愼一です。よろしくお願いします。
高木 恵子
SEからPR、コミュニケーション業界に転職して、はや四半世紀、高木恵子です。
中川 浩孝
外資系企業でマーケティングを経験してきた、アメリカ在住中川浩孝です。
田中 愼一
さあ今日は、えっとそうですね、ヒロさんから何か話したいっていう、聞かせたいというか聞いてくれっていう。
中川 浩孝
最近ちょっとあった話からなんですけれども、フェイスブックで私の知り合いの記者の方が、こう何かある製品を作っている会社なのか、ちょっと詳細は忘れてしまいましたけれども、
その会社の方から、こういう記事を書いてほしいみたいなことが書いて、依頼が来ましたと、メールの依頼が来ましたと。
で、その最後の最後に、車例についてはまた別途ご相談させてくださいみたいな話があったっていうのがあって、相当お怒りになってたんですね。
で、もちろん記者の方っていうのは、会社から何かを言われてお金をもらって書いてるわけではなくて、ただ情報をその方の見方で切り口で記事を書いているというところなので、
そういうお金で何かコントロールできると思っている人がいるっていうことに対して相当怒っていたって、当然なんですけど、
ただ、やっぱり今の風潮がインフルエンサーでもそうだし、広告、それそもそも広告と一般の記事と記事広告の違いが、一般の方には多分だいぶまだ理解ができないのかなとか、ちょっと違いがよくわからないのかなっていうところもあって、
そういう一般の方ではなくて、メディアの方、メディアのっていうかメディアに近い側のというか、企業の人たちでさえその違いがよくわかっていないっていうのがちょっと私はすごく残念だなと思って、
この辺っていうのは、実際当事者として記者の方なりメディアの方なりとやり取りすることも田中さんもけいこさんも多いと思うんですけれども、
この辺の認識のレベルっていうか、最近っていうのはちょっと曖昧になっているっていう感じっていうのはやっぱりありますか?
田中 愼一
ありますね。もともとコミュニケーションの仕方には2通りあって、直接話法と間接話法ってあるわけですね。
直接話法っていうのは、相手に対してこちらが直接メッセージを出すっていう。これが直接話法。
間接話法っていうのは、相手に自分から直接メッセージを出すんではなくて、相手がリスペクトしている第三者。まるっきり第三者経由で相手にメッセージを打ち込む。
なんで間接話法っていうのがあるかというと、直接話法の場合は、相手ってのは大体みんな利害関係者なわけですよ。
例えば企業から言うとお客様って利害関係者なんですね。
ですから企業が直接お客様にメッセージを出すっていうのは、もちろんあるわけですけども、
そうすると、お互いに利害があるために、利害関係者に超えられない立場があるわけですね。
そうすると、利害関係者から直接来たメッセージを受け取った方も、ある程度値踏みをするというか、何が狙いなのかなと。
そういう形の疑いという部分が少し出てくるわけですね。
ところが間接話法っていうのは、いわゆる利害者関係同士のコミュニケーションじゃなくて、
間に第三者のマスコミみたいな、いわゆる第三者ですね、完全に。
利害関係に全くない人から相手にメッセージが行くと、相手は第三者から来たから利害関係がない。
そうするとそれを受け入れるっていう。
だから基本的にはその二つの方法があるんですけども、
さっきヒロちゃんが言ってた、寄稿記事とか広告とか、あるいは普通の編集記事の違いは何かというと、
広告と記事広告の違い
田中 愼一
広告っていうのは完全に直接話法なんですよ。
消費者はみんなこの広告は企業が直接お金を出して、直接こっちに訴えてるっていう。
そういうふうに受け取りますね。
一方、編集記事。
これはですね、企業が書いてくれって言ったって、ジャーナリストは書きません。
あくまでジャーナリストの視点に立って、そこに面白い内容があるのか、
あるいは社会に訴えなきゃいけないものがあるのかっていう、
完全に第三者起点でこうなるんで。
だから逆に編集記事の場合っていうのは別にいわゆる間接話法になるわけですね。
間接話法になるんで、それだけ相手は間接話法経由を入ってくるメッセージに関しては受け入れやすいわけです。
利害関係者から来るよりも。
だから編集記事ってのはどっちかというと第三者。
広告っていうのは基本的には直接話法ね。
直接間接で分けるっていうのが重要なんですけど、
そこが実はあんまり明確に認識されてないんですよね。
寄稿記事だってあれもですね、通常はPRですって表記がされてるんで、
そういうふうに表記されてるものっていうのは直接話法のもので、
あるいはたまにですけども、かなり有名な人が寄稿することによって、
これ間接話法で出る寄稿記事もありますけども、
そこはやっぱりしっかりとわきまえるっていうか、見分けるってことが結構実は重要な話で。
中川 浩孝
そうですよね。
田中 愼一
なぜかというと、今マスコミの世界っていうのもそうだけど、
それ以上にSNSがありますよね。
何を信じて何を信じちゃいけないのかっていったときに、
マスコミの存在っていうのは第三者っていう価値ですね。
これは引き続き必要だと思うんだけども、
でもSNSの世界ってそれがすごくぼやけてて、
直接話法なのか間接話法なのかっていう見極め、
自分が受け取ったメッセージっていうのは、
そこをやっぱり見極める目っていうのはやっぱりないと、
今後ますます情報が氾濫する中で、
どれが間接話法で、どれが直接話法で、どれが真実で、どれが妄想なのかっていうところがですね、
難しくなってきますよね。
中川 浩孝
そうですよね。
記事にはっきり書いてあるときもありますけれども、
インフルエンサーマーケティングとPRの概念
中川 浩孝
それをやっぱりちゃんと気がつかないといけないんですよね。
田中 愼一
そう。でもね、ちっちゃく書いてあるんですよ。
インフルエンサーっていうのは、もともとは第三者話法の世界だったんです。
だからインフルエンサーにお金を払うなんてありえなかった。
お金を払った瞬間に直接話法になっちゃうから、
消費者は信用しないんですよ。
だからお金を払わず、第三者がそうだそうだっていうインフルエンサーですね。
これはマスコミもインフルエンサーですけども、
そういうインフルエンサーに共感していただいて、
自ら発信していただくっていう仕掛けをするのが、本当の意味でのインフルエンサーマーケティング。
だから今言われてるインフルエンサーマーケティングっていうのは、ほとんどが広告の延長線上で。
インフルエンサーにお金を払って出してもらうって感じでね。
中川 浩孝
そうなんですよね。
高木 恵子
PRの意味も、人によって解釈が違ったりしませんか?
中川 浩孝
PRってよく言う。その通りですよね。プロモーションなのか、パブリックリレーションなのか。
田中 愼一
そこが多分日本の場合はですね、PRを導入したのが広告会社だったから。
そこが結構壁になっていたっていう感じで。
PRは広告宣伝、広告宣伝。とにかくPRするっていうのは、相手に訴えればすべてPRっていう話なわけですよ。
中川 浩孝
そうなんですよね。
アピールに近いんですよね、英語で言うと。
自己PRっていう言い方とかあるじゃないですか。私、自己PRって変な言葉だなと思って、いつも聞いてるんですけど。
田中 愼一
本当にね、アピールっていう意味で使ってますよね、日本はPR。
PRの言語はパブリックリレーションズで
そうなんですよね。
基本的にはアメリカの独立戦争のときに生まれた一つの概念なんだけども、
アメリカがイギリスから独立することに対して、
当時一部の少数派が非常にアメリカがイギリスから独立すべきだってことを主張してたんだけども、
少数派であるがゆえに、金もなく権力もなくっていう状態だったと。
一方、支配層の人たちは反対。独立するのはイギリスから。
あと一般大衆は無関心。
こんな状況でこの少数派が、お金もなく権力もないんだけども、軍事力もないんだけども、
とにかくあることを10年間やった。
その10年間で何かというと、今で言うと当たり前かもしれないけど、
例えば教会でプリーチングをね、教会で教えを聞くってみんな集まるでしょ、日曜日中に。
そのときに教えのほうだけじゃなくて、今の世の中の流れはおかしいとか、
こうあるべきだとか、いわゆる演説会みたいな場で国民に訴えかけるとか、
あとスローガンを作るとか、
それからイベントとして、例えばボストン茶会事件みたいな。
あれはイギリスの船だったと思うんですけども、インディアンの格好してアメリカ人が襲う。
でもあれはどっちかというと、今で言うとイベントですよね。
イベントをやって、アメリカの独立を支持するっていうやり方とか、
あと、今の世の中で悪用されてる嫌いもあるんですけども、
ボストン関税大虐殺事件っていうのがあってですね。
大虐殺っていう名前で、全国つつうららに口コミで広がっていくわけですよ。
当時マスコミもそんなにないし、SNSだってないわけだから、
口コミで、いや大虐殺がボストンにあったんだと。
なんで大虐殺かというと、駐留していたイギリス軍が一般市民を殺してしまったんだとかね。
大虐殺って大虐殺じゃないんですよ、全然。
まあ一、二件の殺傷事件だったんだけど、それを大虐殺って献殿することによってね、
いわゆるイギリスに対する反感を持つとか。
いわゆる今、本当のPRで使われてる手法っていうのが、実はそこでかなり……。
その中の一つがさっき話題になった第三者和法。いわゆる間接和法ですね。
間接和法で、いわゆる第三者、一般大衆から尊敬されてるような人たちの共感を得て、
彼らが自らの意思のもとを発信してもらうことによって、
一般大衆をどんどん啓発していくっていう活動になっている。
これ10年。だから一種の口コミですよ。口コミをですね、徹底的にやったと。
その口コミをやったおかげで、10年たったら一つの無関心だった一般大衆が動き始めて、
世論が出来上がってきて、その世論をもとに基本的には一挙に独立戦争に向かった。
そのときの一連の少数派が一生懸命やったいろんな手法っていうのを見て、
これパブリックリレーションズ。つまりそのときのパブリックってのは一般大衆だったわけです。
だからその一般大衆とリレーションズ。つまり関係性を持つ。
関係性を持つって何かっていうと一方的コミュニケーションじゃなくて、対話を通じて。
だからアメリカの独立っていうのは、ある意味口コミあるいは対話を通じて、
それが10年ずっと浸透する中で世論っていうものが出来上がって、
一般大衆の。それをもって一挙に独立戦争に持ってったっていう。
そこからパブリックリレーションっていうのが生まれたんですが、
そのパブリックリレーションのパブリックってのはその当時は一般大衆だったんですが、
その後パブリックはどんどん因数分解していくんですね。時代とともに。
例えばIRっていうとインベスターリレーション。
コンシューマーとはコンシューマーリレーション。コンシューマーマーケティングって言葉になっちゃうけども。
あと例えばエンプロイエンゲージメントっていうのは今いわゆるインターナルリレーションとか、
それぞれのいわゆる相手がどんどんステークホルダーに因数分解されていくわけですね。
そこでの基本っていうのは、やっぱりパブリックっていうのはそういうステークホルダーにだんだん今なっていて、
リレーションとは何を意味するかっていうと双方向性、対話。
だから広告宣伝じゃダメなんですよ。
中川 浩孝
そうですよね。
田中 愼一
あくまで対話でやるからこそ、
マスコミとかあるいはインフルエンサーたちが自らの意思で、マスコミだったら記事を書き、
自らの意思でインフルエンサー、有識者とかそういう人たちが意を唱えたり主張するっていう仕掛け。
だからあくまで基本は対話です。
このPRの発想ってのはやっぱりアメリカが一番強くて、それをプロモートするのが大統領選挙ですよね。
4年に一度の大統領選挙ってのは対話が将軍になるわけですよ、国民との。
一方的な広告宣伝ってのも一部ありますけど、
たとえばオバマの金額930億か900億円くらい集めたんだけども、
そのほとんどが3分の2くらいは対話のための資金なんですね。
対話をするときってのは何も発信するだけじゃないんですね。
まずは調査、要するに受信しなきゃいけない。
国民がどういう潜在意識を持っているか。
顕在意識をいくら見つけたって意味なくて、人を動かすためには、
まずその人が気がついていない潜在意識を見つけて、
そこに訴えるっていう方法じゃないと人って動かないんですよね。
そうするとどうやって今潜在意識あるのかっていう調査からものすごい。
広報、広告、プロモーションの違い
田中 愼一
だから調査に莫大な金がかかるわけですよ。
その調査が終わったら、じゃあそこを訴えるための政策とかは一体何なのか。
で、最後には発信っていう。発信が一番最後に来るわけですね。
ほとんどの金は前半戦で使われちゃいます。
だから調査にいかに金かけていくかですよ。
調査って言っても、一回やって終わりじゃなくて、毎日やるわけです。選挙中は。
中川 浩孝
どんどん変わっていくんですもんね。
田中 愼一
それは何かというと、相手を知らないと対話できないんですよ。
相手を知って初めて、こういうことだったら相手も受け入れてくれるだろうな。
だったらそれを伝えようっていうのが対話で、しかもそれは双方向で伝えていかないと、
一方的に相手に伝わることはないですから。
だからこういうのっていうのがパブリックレーションがね、ある意味誤解されてきてしまった。
それは広告系の会社が初めにPRを日本に導入しちゃって、PRを広告系の補助手段にしたのかな。
だから広告売ってくれればね、PR的な仕事めんどくさいでしょ。あれはもうタダでやりますよ。こういう感じ。
あえてどこの会社って言いませんが。
中川 浩孝
なんとなくわかっちゃうんですけど、まあいいですけど。
高木 恵子
でも、何だろう、その企業側っていうか、その発注側ですよね。
自分の会社のサービスとか製品を有名にさせたいっていう側の人たちが、
広告とか記事広告とか、要はお金を払って出てくるアウトプットの価値と、
いわゆるその第三者視点、そのメディアリレーションズで記事化されたアウトプット、見た目って実は
見た目としては同じじゃないですか。もちろん最近はもうねPR、ステママーケティングダメだから、お金かけたものにはPRっていう文字を入れなきゃいけないけれども、でも
仕上がりのアウトプットという記事っていうもので言うと、そこは同じじゃないですか。そうすると、なんかその価値をね、
分かる人と分からないっていうか、そこの価値のやっぱり理解度でどっちを選ぶかっていうところが問われちゃうと思うんですよね。
田中 愼一
そうですね。特に広告系っていうのは直接話法の場合、クリエイティブが随分大きな役割と話すんで、印象的でわーってね。
僕なんかよくうちのスタッフに言われるんだけども、
PRって言ってるけど、広告に一番早くやられるのは知ってて、田中さんじゃないかって言われてて、もう一発広告でこれやってるんですぐ買っちゃうんですよね。
だから語ってることと行動が違うじゃないかってね。言行不一致だっていつも批判されるんですけど、やっぱりあのクリエイティブの力ってすごいですよね。
中川 浩孝
まあそれはありますよね。
田中 愼一
だからえっと飲みたくなっちゃうとか、それはまあだから広告ってまだ生き残ってるんだと思うんですよ。
中川 浩孝
その通りですね。でも広告見てすぐ買っちゃう人なんですね、田中さん。面白いですね。
田中 愼一
僕すぐ買っちゃうんです。すぐね、イメージが湧いてくると買っちゃうんですよ。
だから例えば一番弱いのはお酒の広告。
コミュニケーション力と教育
田中 愼一
お酒って、飲むとき、例えば家で飲もうが外で飲もうが、みんなそうだと僕は信じてるんですけども、イメージしながら飲むんですよ。
例えばね、今晩どういう食事がいいかなって思ったときに、自分は今日はどういう飲みのイメージで行くかなってこう書いてる。
でそこで、いやースコッチだなとかね、今日はちょっと東欧系に行って、ウォッカがいいんじゃないかなとかね。
でウォッカの場合はやっぱりどういうシーンで飲んでるのがいいのかなとかね。
そしていろいろドラマのシーンが頭に浮かんできて、今日はこういう感じかなっていうね。
中川 浩孝
お酒はでも難しいですもんね。だって味を説明するのも難しいし、成分で何かがわかるかっていうとわからないし。
田中 愼一
わかんないけど、だからイメージなんですよ。ライフスタイルに近い。
だから自分のイメージできるライフスタイルにあったクリエイティブが入っちゃうともう即買っちゃうっていうやつ。
ダメですね。だから言行不一致なんですけども、でもやっぱり広告は広告でそういう力はあると思うんで。
ただやっぱり編集記事、じゃあ実際に広告を見た、はい編集記事を読んだ、どっちに絶大な信頼感を置くかってのは編集記事ですよ、間違いなく。
高木 恵子
そこをそっちに価値があるっていう理解をしてもらうための努力も実は私たちってしないと。
中川 浩孝
必要なんですけどね。そこが訓練されてないんだと思うんですよ、消費者自体が。
高木 恵子
そうなんですよ。受け手側とか、もちろん発注する企業側の人たちとかも、どう違うって説明をしてもね。
田中 愼一
たぶん特に発注する企業側ですよね。今でも広告換算?あれ何の意味もないんだけど。全然意味がないんですけど。
消費者のほうはバカじゃないんで、やっぱり編集記事だったらそっちのほうを信用するし、広告宣伝は広告宣伝で、まあそうかなっていう冷静さがあるけど、
今一つ問題なのは、消費者を騙すようないろんな方法が出てきちゃってるんで、
そこに対する免疫性をもっと高めていかないといけないと思いますよね。
だから逆に広告とPRの違いがわかるレベル以上に、
今はもっと複雑な、一見第三者和法というか、間接和法的な仕掛けで、SNSはそれを仕掛けやすいじゃないですか。
そこもあるから、もうはっきり言って、間接和法か直接和法か、編集か広告かっていうのは、もう特に知ってないとやばい時代なんですよね。
中川 浩孝
でもそんなのを学校で習わないじゃないですか、子供の頃から。
田中 愼一
習わないんですよ。
またここに来るとね、日本はコミュニケーションの教育が全然なっていない。
小学校から本来アメリカなんかは、そこに関わったコミュニケーションに関わったいろんなやり方をやってますよ。
子供のコミュニケーション覚醒への対応
田中 愼一
それはコミュニケーションっていうのが、暗黙知的にこれは人間にとってはパワーなんだと。
パワーを培わなきゃダメだよっていうのを、教育するための教材とか、
会議を読むとか、あるいは先生の生徒に対する接し方とか、
そういうのがやっぱりある程度のコミュニケーションの力の基盤になるようなものを培うという努力はしてると思います。
それが日本ではほとんどできてない。
だからそれに日本が今まで平和国家というか、ずっと孤立してたってことで、
非常に同一性の高い社会で安全だったってこともあるんだろうけど、
世の中、グローバルは全然安全な世界って存在しなかった。歴史的に。
大陸なんて必ず侵略されるっていう世界。
アメリカなんかは基本的には侵略の歴史ですよね。
だからいろいろなところがそういうのが当たり前なんだけど、
そういうところの世界で育つ人ってコミュニケーションに対する感覚が結構やっぱり研ぎ澄まされてるから、
コミュニケーションを間違えると殺されちゃうっていうね。
中川 浩孝
まあ確かにその緊張感は日本の中には醸成されてこなかったですよね。
田中 愼一
ないですね、日本の中ではね。
だからもう少しそういうコミュニケーションに対する認識をやっぱり強化しないと、
しかも小学生あたりからやらないとね。
中川 浩孝
セキュリティの例えばトレーニングとかって会社でやったりするじゃないですか。
なんか私はそういう感じだと思うんですよね。
この記事を読んでみてくださいみたいな感じのことをやって、
これは編集記事でしょうか、それとも記事広告でしょうか、みたいな。
そういうのってもっと子供の頃からトレーニングするべきなんじゃないかなと私なんか思うんですよね。
田中 愼一
それ面白いかも。
高木 恵子
田中さん、私のメディアトレーニング、昔私もメディアトレーニングクライアントにやってて、
まず最初に私それやりましたよ。
これは広告、例えば記事、明らかにそのちっちゃくPRもわかりやすくPRって書いてある記事と書いてない記事を両方出して、
一番最初のなんか本当にアイスブレイクみたいなトーキングで、
今日は広報、メディアリレーション、スピーカーのトレーニングなんですけど、
まず最初にお聞きしますみたいなことで、この記事はどっちでしょうとか、
あと広報と広告の違いってわかりますかみたいな、そこの質問から入っていって、
その人の理解度をわかった上で、メディアトレーニングとかやってましたね。
田中 愼一
それ面白いですね。そういう学校をやってる軸でもいいけど、そういうところで一回そういうのを開発してみたいですね。
たぶんね、もっと突き詰めていくと基本的には人間関係の問題になってくるんで、
人間関係っていうのは非常に実は難しい。
あんまり知識変調になってる嫌いがあって、日本特にそうなんですけども、
人間関係をどうマネージするかっていうところが、たぶん教えられてない部分があるし、
それがある意味いじめとつながってきてる。いじめなくならないじゃないですか。
ますますいじめが増えてる傾向というか、今のSNSの動向なんかにみんな子供のときからアクセスできますから。
そうなると本当に免疫性っていうのがないんですよ、今ね、コミュニケーションに対する。
人間関係性っていうものに対する免疫性。
人間関係性の免疫性って一言で言うとコミュニケーション力なんで。
あと、何ていうのかな、勘違いがあるみたいで、
コミュニケーション能力っていうのはある特定の人にしかない。
いわゆるギフテッドだっていう発想があるんだけど、そんなことまるっきなくて、
人それぞれ自分なりのコミュニケーション流儀っていうのを内在的に持ってるわけですよね。
それを覚醒させるっていうことが一番重要なんだけども、
その覚醒させるための基本教育プログラムっていうのがないんですよ。
もうなんていうのかな。
高木 恵子
そうですね。
田中 愼一
そこに個性が重要になってくるのに、
個性尊重教育ってずいぶん昔から日本でやってるけど、
そういうとこにはフォーカスを当てずにですね、
自由度を上げれば個性尊重だっていう。
みんな勉強しなくなっちゃって。
結局ですね、日本の学力低下がはなはだしってこの20年ぐらい。
30年ぐらいかな。
ゆとり教育ってところから始まって、どんどんどんどんおかしくなってるって感じはありますね。
なんかやっぱり人間関係っていうものをどうマネージするのかっていうのを、
少なくとも子供たちに教えるっていうのは重要だし、
その教え方が今までの教え方じゃダメなんですよ、それは。
高木 恵子
そうですね。
田中 愼一
もう少し創発的じゃないとダメなんですよ。
だから大人はね、できるんですよ。
できるっていうか、実際今やってるからビジネスとして。
できるって言っても、根本的にはできるわけじゃないけど、
でもね、なんなりこういうパターンを引いてこういくと気づきと覚醒が生まれるっていうパターンっていうのはもう出来上がってるんで、
そこはあんまり問題ない。
問題はそのパターンがある程度大人では通用するのであれば、
それをどういう形で、例えば小学生に伝えていけるパターンを開発できるかっていう。
で、大人の方はかなり創発的にすぐ入っていけるんですけど、
子供はもう少しね、ちょっと工夫しないと厳しいかなって。
高木 恵子
あーそうですね、確かに。
田中 愼一
で、一人一人でやるパターンもあるんだけど、そっちの方がやりやすいかな。
一対他でやる教室方式もありますから、
他あたりがね、なかなか。
一つはあれだろうな、コーチングなんかやってる人の子供のコーチングってあるんですかね。
高木 恵子
あーそれは聞いたことないですよね。
子供のコーチングっていうのはないな。
田中 愼一
なんか他あたりのノウハウがある程度あると、
コミュニケーションをどう覚醒させていくかって言った方がいいですよね。
教育じゃない。どっちかというと、
一人一人が持っているコミュニケーションの潜在力をどう覚醒させていくかって言った
プログラムを作ると、非常にこれからの怖い時代、生き抜くためには必要になってくるんじゃないですかね。
やっぱりこれから怖い時代になりますよね。
高木 恵子
なんか今の、今のっていうか、まあ私たちの時代もそうだったけど、子供たちの習い事って塾だったり、
塾が一番多くて、でその後それこそ今だと英会話とか、あと水泳とか、あとなんかちょっとスポーツ。
もうそれでなんか平日の5日間、もう学校終わったらみんなそういう習い事塾がよいみたいなのを、
実は今の親御さんたちってすごくしていて、
だからすごい今の小学生とかすごい忙しいみたいなんですよ。
そうでもそこにこのコミュニケーションみたいな、またスクールを入れようってなると、今度はそれって親の理解ですよね。
それが何で必要なんだろう。子供のうちから、何で教えてあげなきゃいけないんだろうっていうのに、
またまだそこを解き伏せなきゃいけなくなっちゃったりもするから、なんか難しいですよね。
田中 愼一
あと重要なのが人間関係ということでフォーカス当てると、
実は塾とか習い事ってあんまり人間関係が、まあもちろんありますけど、
学校と違って人間関係にあんまり苦しみ必要ない。塾なんてその典型で、
もう受験だけ考えてりゃいいけど、周りから考えなくていいわけですよ、塾なんか。
バーッと行って勉強してサーッと帰っていく。だからいわゆる孤独な空間なんですよね。
もちろん中には友達作るってのもいるだろうけども、
だいたい塾っていうのは目的が明確になりすぎちゃってるから。
人間ってほっとくとやっぱり、僕みたいに人間関係めんどくさいなーって思っちゃうから。
だから塾なんか行かせちゃうと、どんどん孤立していって、
とにかく集中しなきゃいけないものがあるから孤立しやすいわけですよ。
でも学校ってそうはいかないですよね。
やっぱりそんなに集中するものではなくて、一般的なものでやるから、
当然休み時間とか、いろいろな食事するとか、その一日がもう人間関係の要素がものすごく多くて、
その中で見解したり、いじめたりいじめられたり、あるいはいろいろな友達作ったり、
なんかそういう空間じゃないですか。
だから多分何か教えるんだったら、その空間の中に入ってないとダメだと思うんですよね。
高木 恵子
そうなんですよね。
田中 愼一
だから習い事とか言って分けちゃうと、多分ダメだなーって気はちょっとなんかしますけどね。
高木 恵子
そうですよね。
だから難しいよな。
中川 浩孝
難しい。
高木 恵子
そう、だから今の、例えば日本の今のそういう教育のカリキュラムとかに、
もし頑張って盛り込むなら、
なんか私、英会話って小学校から始まってるじゃないですか。
今日本の学校って。
だから英会話のところに、実は一緒に組み込む、コミュニケーションっていう。
田中 愼一
それは面白いかもしれない。
高木 恵子
それが一番なんか自然なような気がしていて、
やっぱ英会話って、日本語と違う言語をやるわけだから、
最初にもちろんなんかある程度、日本語を覚えたのと同じようにね、
単語とかその文字を覚えなきゃいけないっていう、ちょっとそのロジスティック、
ロジカルなところってあると思うんだけど、
それ以外って、特に英会話って、やっぱり一番コミュニケーション能力が何だろう、必要とされる。
その、もし学問というか、習い事で言うなら、そのなんか種類に入るような気がするから。
そこをね、セットで教えると、もしかしたら、
きちんとその、外国人がコミュニケーション能力が高いとは一概には言えないけども、
でも英語を使う中で、コミュニケーション能力も一緒になんかこう、
立ち勝っていけれるような気が、なんかちょっとしますよね。
田中 愼一
たぶんあれでしょうね、あの日本語だと、日本語を使っていると甘えると思うんですよ。
いい加減になるんですよ。人間関係が。
パーンと日本語だからワーっていって、でも英語だと相手をもっと意識することになる。
相手にこの自分の英語伝わるかなって意識することによって、
よりその人間関係の要素が入ってきちゃう。
相手に伝わるかなっていうのも、実は人間関係の一つの現れですよね。
確かに。
で、そういう相手を意識せざるを得ないっていうのは、
多分英語に限らず外国語を習うときには必ず出てきて。
高木 恵子
そうですよね。
田中 愼一
その起点っていうのは、相手に伝わるかな、わかるかな、
じゃあ自分の発音こうかな、それともこういう表現を使ったほうがいいのかなって一生懸命考えるから、
日本語で習うよりも圧倒的にそこはですね、相手を意識するっていう行為に入るんで。
だからすごくいいアイディアだと思いますよ、英語を使って。
小学校から始まってるんだから、英語の中にそういう要素を入れるってのがいいかもしれない。
中川 浩孝
そうすると将来的にもグローバルにコミュニケーションできる。
田中 愼一
人材育成っていう形になると思うんですね。
中川 浩孝
逆にそれを習うと日本語のときはちょっと違うんだなとかっていうのも多分意識するよう、逆にこうなんか明らかになってくるところがあると思うんですよ。
田中 愼一
日本語との違いがわかるんで、そうすると思考回路も違うというところまでわかるようになる。
高木 恵子
違ってきますよね。
田中 愼一
切り替えができるようになる。切り替えができるっていうのは英語しか話せない人から比べると、
もっとより多面的に物事を見ることができるということで、
逆にアメリカを抜くと。
中川 浩孝
まあでもね、それが前に私たちが話したネイティブにいくつまでも慣れないっていう話で、
最初からやっぱり考え方で英語で考えられるっていうのを子供の頃から身につけられると、それは本当に強いなと思います。
田中 愼一
強いですよね。しかもそれギアチェンが自由自在にできたらね。
今の段階ではまだどっちかなんだけど、両方同じレベルになってギアチェンできたら結構すごいですよ。
高木 恵子
いいですね。
田中 愼一
だから二つの人格を持っているようなものですよ。思考回路が二つあるってことは。
高木 恵子
けいこさんあたりに文部大臣になっていただきたい。
田中 愼一
文部大臣ですね。これから女性の時代だから、文部大臣、5年以内ってどうですか?
高木 恵子
今からそんな道にどうやっていくんですか?
中川 浩孝
パブリックリレーションズって使うんじゃないですか?PRを使うんじゃないですか?
田中 愼一
PR&A&Iの時代だから、AIの時代だから、物事のスピードが速いんで、
従来30年かかったとこはだいたい3年で終わってできるとかね、そういう時代ですね、今も。
高木 恵子
それよりも、プライベートで英会話を教えてる外国人なのかと組んで、
最初はちっちゃなところから英会話とコミュニケーションのセットで、
英会話教室みたいなコミュニケーションスクールみたいなのを作っていった方が、
それが事例になるじゃないですか。
このカリキュラムってすごいねって、どんどんどんどんもし生徒が集まってきて、
その子たちのコミュニケーション能力がすごく突出してきて、
いろんなところでその成果がボンボンボンボン出てきたら、
なんだこの教育法はみたいになって、っていうの方がいいような気がしますけどね。
だって今のシステムに組み込むことをやろうとしたら、
たぶん100年かかってもできないかもしれない日本の。
田中 愼一
やっぱり外から動かすって理由が。
高木 恵子
英会話の時には必ずコミュニケーションのレクチャーなのか、
そういう時間もセットでないと、
やっぱり日本人は、日本語以外の語学を身につけるのは、
やっぱりそっちが近道みたいな方向で持ってった方が、
その方がなんか親御さんもお金を払うような気がする。
田中 愼一
英語プラス人間関係のマネジメント能力ですからね。
高木 恵子
そうそう。
田中 愼一
これから生き抜いていく上では非常にわかりやすい能力ですよね。
高木 恵子
そうですよね。
田中 愼一
まず人間関係をマネージするっていうのは、
これ至難の技で大人もできてないわけですから、みんな。
でもマネジメントしなきゃいけないって、人間関係重要だって誰も思ってると思うんで。
人間関係のマネジメントと、さらにそこから英語っていうものプラス、
2つの思考回路、英語日本語。
英会話教室の危機
中川 浩孝
ていうかね、私実は英会話産業って今危機的な状況にあると思ってるんですよ、基本的には。
高木 恵子
確かに。
中川 浩孝
それこそAIで全部やられちゃうので、
もう英会話って大人になってからやるって本当に意味がなくなっちゃうんですよ、たぶん。
なので子供の頃からその英会話を身につけるのではなくて、
英会話的コミュニケーションというか、
英語でするコミュニケーション術を学ぶっていう風に、
たぶんシフトしていかないと英会話教室ってすごい巨大な市場なんですけど、
たぶんヤバい市場だと思います。
田中 愼一
今さ、いい言葉言ったよね、ヒロちゃん。
英会話、なに?
コミュニケーションの英会話術、なんだっけ?
中川 浩孝
なんて言ってたかな、私。英会話的コミュニケーションって言ってたんですかね。
田中 愼一
英会話的コミュニケーション。
高木 恵子
録画を聞き直してもたぶんわかる。
中川 浩孝
あとで聞いてみよう。
高木 恵子
そうですね。
田中 愼一
それいいかもしれない。
要するに英会話っていうものを一つの手法として、
で、いわゆる人間関係をどうマネージするかっていう能力を開発しましょうって話ですよね。
だから英語のための英語じゃなくて、
人間関係をマネージするための英語っていう感じです。
中川 浩孝
そっちにシフトしないと、AIに全部取って変わられると思うんですよね。
言葉っていうだけの、言葉の部分だけを取り入れたら。
田中 愼一
間違いない。
それ、なんかできません?
高木 恵子
いいですよね、いいですよね、ほんと。
だって、なんかグッモーニングでも、なんかサンキューでも、
どういうトーンで言えばいいのかとか、
あとそれこそ田中さんがいつも言ってる、
その非言語のものをどういうふうに一緒につけることで、
そのたかだかおはようとありがとうの言葉がどう相手に伝わるかって、
そっからですよね。
それがコミュニケーションのなんかほんと最初の一歩みたいなことになるから、
セットでだから教えると、
ただ単にグッモーニングとかサンキューだけの単語を教えたところで。
田中 愼一
そう、単語を教えたってダメなんですよ。
高木 恵子
そうなんで、それをどういうふうにっていうのがね。
田中 愼一
どう相手に伝えるかっていうところに全ての起点があって、
高木 恵子
そうですよね。
田中 愼一
動きがあるわけで、単語をいくら覚えたって相手にどう伝わるかっていうところはやってないわけですよ。
高木 恵子
だからそこからね、教えればいいですよね。
田中 愼一
だからどう伝わるかっていったときには思考回路も重要だし、
あとコミュニケーション的なセンスも重要だし、
やはりさあらゆるものが必要になったから、
英語を話せるっていうのは実はそういうことがよくありますよね。
英語をそれなりにやってる人は、
非言語が大げさなの。
日本人で大げさにね。
韓国人はあんまり見ないんだけど、
日本人は大げさなんですよね、非言語が。
それは何かと言うと、非言語の重要性をわかってるんで、
やっぱりついつい表現が大きくなって、
いいことだとは思うんですけどね。
だからやっぱりね、非言語も含めた全てで、
コミュニケーション✖️英語って感じかな。
コミュニケーションと演劇
田中 愼一
で、イコール人間関係、マネジメント、管理。
高木 恵子
なんか私が、いつだろうな、学生時代かな、
高校生とか大学生の時に、
英語を学ぶために演劇?
だから要は、英語でその劇をやることで、
セリフを覚えるとかいうので、英語を学びましょうっていう、
なんか学校がいくつか日本ってあったような気がするんですよね。
田中 愼一
昔、高校生だった時に寮にいたんですけど、
話とかわかんないけど、
大統領の、あれケネディだったかな、大統領の演説があるんですよ。
で、あれを丸暗記してね。
丸暗記って言って、座って覚えるんじゃ、丸暗記にならないんですよ。
自分がいかにもケネディになったっていう形で、
これ言ってる通りやると、きちがいになったかと思われるんで、
寮に倉庫があってですね、
誰も来ない倉庫があって、そこに入り込んでですね、
もう大統領になったような感じで、体も含めてね、
顔もね、イントネーションもね、ちゃんとテープで聞いて、
それを真似したっていうのがありますね。
それがね、結構役に立ったっていうか、
非言語のコントロールをどうすればいいかっていうのも身についたしある意味。
あと相手にどのところでうなずくのかとか、
あとこちらが言ってるところのどこのポイントを強調するのかとか、
そのときに手の動きはどうなってるかとか、
そういうのを学ぶのには、習得するにはものすごい役に立ちました。
でアメリカ行ったときにそれがね、あの時の感覚でやればいいんだっていう感じで。
だから一つはそういう偉い人の、うまいと言われている、
例えば最近であればオバマの最後の勝利演説、第1回目の。
あれ素晴らしい内容になってるんですよ。
あの内容を真似して演じれば、
かなりその自分の感情をどう盛り上げるのか、
そこで言葉をどう出すのか、手はどう動くのか、そこはじっと我慢する。
それから次を言うとかね。
でああいうのを一回体で習得すると、結構効き目ありますよ。
高木 恵子
そうですよねきっとね。
田中 愼一
だから今言ったのは手法としては僕は成り立つと思いますね。
アウトプットと人間関係のマネージメント
高木 恵子
何かカリキュラム作れそうじゃないですか、田中さん。
田中 愼一
その中には演劇が絶対入らなきゃいけないんですよ。
演劇の要素も。
だから多分演劇とかそういうものを組み合わせて、
その最終的なアウトプットとは人間関係をマネージできる能力を培うっていうことで、
その途上で英語力も上がるし、
あと非言語能力も上がっていくし、
いわゆる言語と非言語をどうマッチングさせるかっていうのは、
演劇の世界でいわゆる成り切るっていう技があるわけですよ。
成り切る技を身につける。
これらの要素っていうのがすべて、いわゆる人間関係をマネージするっていうものの、
5つのポイントみたいに出しちゃってね。
高木 恵子
5つのポイントね。
田中 愼一
7つでもいいですけどね。
イメージトレーニングの重要性
田中 愼一
3つは少なすぎんで、5つから7つ、トントンと出して。
で、もう偉そうにそれで演説してですね、
だからはい、やんなきゃいけないんだよ君諸君なって言いながら、
やっていくと結構イメージできますね。
高木 恵子
いいですねいいですね。
田中 愼一
それイメージできるのは、ちょっと人間関係っていうのが、
アウトプットが何かっていうのが重要なんですよ。
英語が上手くなるじゃダメなんですよ。
高木 恵子
そうなんですよね。
田中 愼一
英語が上手くなるってじゃあどういうことって、
まずあやふや英語が上手くなるってどういう意味なのか。
究極的な人間の目的は人間関係を作ることなんですよ。
そのアウトプットを得るためには、
英語という手段を使って、演劇という手段を使って、
それからコミュニケーションという手段を使って、
いろんな手段を作って、こうやっていくっていう。
高木 恵子
あと歌もそうですね。
英語の歌を覚えることも一つの、
アウトプットの表現力になりますよね。
田中 愼一
表現力になります。
高木 恵子
演劇とか歌っていうのが、英語はいいかも。
田中 愼一
リサイタルというかね、開いてる無双してですね。
家族がいないときに、誰もいないときに、
これ今回幼稚園生か、幼稚園生じゃなくて5、6歳のときかな。
レコードかけてですね、踊りながら一人で歌ってるっていう。
今スタジオで俺はトム・ジョーンズみたいに踊ってんだって見ながら、
遊んだ記憶ありますよ。
あれは結構ね、重要な表現力。
高木 恵子
そうですよね。歌ってそうですよね。
田中 愼一
体動いてね、動き回りながらね。
いかにもステージに乗ってこうやってるようなイメージでね。
勢い余ってギターまで買ってもらっちゃいましたよ。
でもどうか言っても上手くならないんで開けられましたけどね。
高木 恵子
いいですね。なんかできそうですね。
中川 浩孝
それでできそうじゃないですか。
田中 愼一
できそうですね。でも英会話のどこか見つけるってことがありますかね。
高木 恵子
でも、英会話を教えられる外国人いっぱい知り合いいません?
田中 愼一
声かけりゃ少し出てきますけど。
高木 恵子
だから始めちゃえばいいんですよね。
もう別に今あるところに乗っかるよりも、
たぶん田中さんもヒロさんも私もそうだけど、英会話を教えられる外人っていっぱいいるじゃないですか。知り合いにきっと。
そうだから、まずやってみて、どういうことができるのか。
果たして本当にそれが子どもたちに受けるのか。
最初にちょっとやってみるだけでも全然違いますよね。
田中 愼一
あと、例えばコーチングの要素なんかも入ると思うんですよね。
高木 恵子
そうですよね。
田中 愼一
それから、この前参加していただいたAさんに、コーチングの話。
今、いろんなところでコーチングをやってるみたいなんですよ。
その経験値踏まえて、この前西新井大師に行った帰りに上野で飲んだんだけど、
そのときも散々レクチャーしていただいてですね。
だからコーチングっていう要素も実は重要なんですよね。
演劇、コーチング、我々が言うコミュニケーション、
それから英語と、それからその中で今言ったような実践的なイメージトレーニングっていう、いい言葉で言うとね、イメージトレーニングとか、
そういうのを組み合わせることがすごく重要かなって気がする。