中川 浩孝
コミュニケーション力を究めるゴールデン・トライアングル。 仕事でコミュニケーションを扱う3人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、コミュニケーションとは何かを一緒に考えていくポッドキャストです。
田中 愼一
はいみなさん、こんにちは。 コミュニケーションを極めると、自分が見えてくる、世界が見えてくる。 コミュニケーションの世界に携わって、はや40年以上、コミュニケーション命。 シン・田中こと、田中愼一です。よろしくお願いします。
高木 恵子
SEからPR、コミュニケーション業界に転職して約30年、高木恵子です。
中川 浩孝
外資系企業でマーケティングを経験してきたアメリカ在住、中川浩孝です。
田中 愼一
えっとですね、まああの、時事ネタということでいくと、ちょっとびっくりしたのが、あの先週でしたっけね、あのアフリカ開発会議っていう、これ日本が主導している会議で、非常に価値ある試みだなというふうに、普段から思っていて、あとこのティクダだったかな?
TICADだ。TICADっていう名称で呼ばれているアフリカ開発会議なんですけども、TICADを仕掛けた人っていうのを実は僕よく知ってて、なかなかすごい人なんですけれども。
そういうことでちょっと今日、そういう報道は昨日かな、数日前にあってみたら、実はTICADで今回決まったことに、アフリカの数カ国と日本の地方自治体、いくつかの地方自治体が、なんかタウンハウスみたいな名前だったかな。
中川 浩孝
ホームタウン。
田中 愼一
ホームタウンっていうプロジェクトを立ち上げた中で、中身はお互いの市民たちが交換留学的にお互いを知り合うっていう場を提供するっていう内容らしいんですけども、
実はそれがどうも海外にまるっきり違った形で報道されてしまい、これから自由にその四つの地方自治体にアフリカ諸国の市民が移住できるというような、全然間違った報道がなぜかなされてしまった。
それがですね、実はSNSにも伝わって、すごいぞ移住できるぞ、これで民族大移動だとかね、いろいろなものがSNSで伝わって、それに今度は反発する形で、冗談じゃないっていう声が出て、結構大騒ぎで。
それが一番象徴的に現れたのが、市民から対象となった地方自治体にすごい量の問い合わせを受けて、そこの知事や市長さんたちが必死になってそれを打ち消してるっていう状態を見たんですね。
いくつかちょっと僕が気になった点があってですね、それは僕自身この場でもいろいろ話したと思うんですけども、
6歳のときに南ローデシアというところに行って、当時の南ローデシアは白豪主義と呼ばれて人種差別、つまり白人とそれ以外の人間ということで区別し、
白人はもう白人専用の住まい、学校、レストラン、トイレまで、ありとあらゆるが区別されていて。
幸い日本人は我々が初めての家族だったんで、そのときにちょうど国交が日本と成り立ったんです、南ローデシアと。
日本人は一応名誉白人という白人側に入れられたんですけれども、当然ながらそういう白豪主義を強いてる国ですから、
そこに4年ぐらいいたと思うんですけども、やはり身近に人種差別ってどういうものなのかと。
僕は白人側にいたとはいえ、肌の色は黄色ですから、
当然白人の学校に行くと僕一人が黄色で、みんな奇異な目で見てくる。
体で差別を覚えてきた人間にとって、今回のTICADでの騒動というのは、やはりただごとではないと思ってしまうんですね。
前々から気がついてきたのは、今は労働不足でどんどん海外の人が日本に入ってきて、
それは人手不足を解消する上では確かに有効ではあるんだけども、
人に対する差別という意識は、僕これね、人間みんな共有してると思うんですよね。
それをある程度受け入れる寛容さっていうのを人間は持ちながら、異文化交流っていうのが入ってくるわけですよ。
文化が交流するだけなら、それほど寛容性っていうものは保てられて、
文化交流って言ったり、交換留学とか言うんだけども、
これが移住となると、いわゆる文化交流のレベルじゃなく生活の交流に入ってくるわけですね。
そうしたときに、今まで持っている寛容さっていうのは吹き飛ばされる可能性が非常に強い。
これは僕自身は基本差別反対主義で、差別することは絶対ダメだというのは、
田中 愼一
逆に僕は差別されてきた人間で、その被害者でもあるんでね。
持ってるんだけども、一方で異文化交流ならぬ次の段階の生活交流っていうのは、
異文化生活交流でもいいのかな、かなり厳しいものがある。
好き嫌いがめちゃくちゃ出てくると思うんですね。
ここ数年、だんだん外国から人がどんどん入って、観光じゃなくて住み始めてますよね。
いろんなルートで住み始めてて。
はっきり言うと、日本のそこの受け入れ体制っていうのは非常に甘いです。
いろいろな制度があって、その既存の制度が外国の人たちから利用されて、
どんどんどんどん流れてきてる。
そこを今一生懸命政府が穴を塞ぐような感じで動いてるっていうのが実態で、
そこに対する感度が非常に稚拙で、
例えば今回みたいにTICADという正式な会議で発信されたことでさえも、
こういう誤報道が発生してしまうっていうのは、
僕は発信の仕方に問題があったんじゃないかと思った。
そこに危機意識ある程度リスク感度を持って発信していくっていうのが重要なのが、
たぶん僕が想像するに、誤解を生むような発信の仕方っていうか、
あまり気をかけなかったんじゃないかっていうね。
そういうのもあるんじゃないかと思うぐらいですね。
やっぱりこういう、単に文化交流のみならず生活交流のレベルまで、
いわゆる外国人が入ってくるときっていうのは、
よほど日本人も気をつけなきゃいけないし、
そこに対するある程度の覚悟、寛容性っていうものを育てとかないと、
コンフリクトがますます増えてくる。
こんなことでですね、ちょっと皆さんの意見をお伺いしたいなと思っている次第でございます。
いかがでしょう。
まあアメリカね、それ以上に先行してるアメリカから来たヒロちゃんとしては、
そこあたりは結構切実に感じるんじゃないか。
中川 浩孝
そうですね、アメリカはもともと移民の国なのにも関わらず、
やっぱり後から入ってくる人は差別をされるっていう、
それも歴史上ずっと続いていて、
やっぱり後から来た人は若干差別されるという、
それはどこの国でも多分移民政策が行われている国でさえそういうことが起こる中で、
日本ではほとんど移民というものがそんなに入ってきていない中で、
さらにその可能性っていうのは強いだろうなっていうのが一つと、
あとは今回発表されていた地方都市っていうのが、
そんなにめちゃめちゃ排他的なというか、
エリアでは全然なかったと思うんですよ。
例えば千葉の木更津であったりとか、
それなりに都心というそんな遠くないところのところとかが入って、
いたにも関わらずそういうことが入ってくる、
そういう意見が出てくるってのはすごい面白いなと思ったんですよ。
っていうのは日本の田舎って、
ある意味日本人に対してだって排他的じゃないですか。
なので今回の都市が別にそういうところでは必ずしもなかったにも関わらず、
そういったことが出てくる。
ただ抗議殺到みたいなことをいつものように書かれてるんですけど、
これだって多分Xとかと一緒で、
一部の人が集中的にやっぱりやっているし、
そこに住んでない人が全然抗議してる可能性ももちろんあるので、
またいつものように本当はそんなに大きくないのに、
一部の人が大きな声を出しているのが目立ってしまうっていう現象が、
ソーシャルと同じ現象が起きてるんだろうなっていうのはある程度予想しますが、
ただもう田中さんのおっしゃる通り発信側のやっぱりちょっと読みが甘かったというか、
こういう人たちが叩いてくるっていうのはもう、
私たちだったら容易に想像つくじゃないですか。
田中 愼一
そうですね、普通想像つきますよね。
中川 浩孝
ホームタウンっていう名前もあんまり多分良くなかったし、
ホームタウンって言うとやっぱりね、
田中 愼一
ホームになっちゃいますからね。
中川 浩孝
なんかふるさと感がすごい出ちゃうんじゃないですか。
田中 愼一
せめて例えばエクスチェンジプログラムとかね。
中川 浩孝
そうなんですよ、ただそういう意味では、
今までの姉妹都市提携みたいなことと何が違うのかなみたいな、
そこだけにフォーカスをして書けばよかったんだと思うんですけれども、
なんかホームタウンになりますみたいな、
すごくざっくりした言い方になっちゃうと、
やっぱり取る側が勝手に想像できるというか、
言い方になったんだろうなっていう感じはしますね。
田中 愼一
けいこさんどうですか。
高木 恵子
いやうん、そうですよね。
やっぱりまず伝え方が、
その伝えたいことと受け手の理解が本当に違ったから、
結局この今の騒ぎって起きてしまってるっていうところが、
一番のなんか問題点なんだろうなと思って。
外国人の受け入れってのはもういたしかたがないことって、
大半の日本人の方たちは理解はあるというか、
もうしょうがないのかなっていう気持ちは、
大体の方たちって思ってると思うんですけど、
やっぱりそのステップだと思うんですよね。
今回のはとにかく、
その伝え方も悪かったっていうのもあるかもしれないけど、
きちんとこの四都市の人たちと、
ちょっとわかんないですけどね、
いろいろ外務省なのか、
このTICADの日本の責任者のチームなのかわかんないですけど、
きちんとお話がされて、
どういう受け入れ体制、どういう形なのかっていうのが、
やっぱり整ってから本来発表ってするじゃないですか。
これって別に全てのことに関して、
どこかとパートナーシップ結ぶときって、
きちんと内容を固めて、
お互いでこういう外には、
こういう発信の仕方にしましょうっていうのを、
きちんとやってから公の発表をするっていうのが、
全てのものでのプロセスだと思うんだけど、
なんかそこがきちんと、
やっぱりできてなかったのかなっていう。
中川 浩孝
だってこれ絶対にFAQに入れると思いません?
これって絶対に私だったら、
これは移民プログラムですか?
みたいな質問が絶対出るだろうなって想定できるから、
FAQに絶対入れると思うんですよ、私だったら。
田中 愼一
普通はね。ただ、それがまず一番問題点は、
FAQを思いつかないぐらいにリスク感度が低すぎる。
だからこういうことが起こるイマジネーション力がですね、
ほぼ欠乏しているっていう感じで、
特に異文化を導入する、移民を受け入れる、
そういうことがどういうリスクを国内外に作り出すかっていうことを、
イメージできないっていうのが、
実は今の日本の一般的な傾向だと思う。
田中 愼一
つまりこれはですね、当局の人たちじゃなくて、
日本人全般に、そういう感度が不足してるっていうのは、
僕はあるんだろうと思いますよ。
中川 浩孝
そういう意味では、その意識を高めるっていうことが、
外務省とかがやらなくちゃいけないことなのに、
外務省自身がそれに気づいていないから、
それは国民を教育なんてできるわけがないよね。
田中 愼一
ないっていうね。
もちろんね、外務省の方々の方がそこは理解はできてるけど、
でもなかなかそれ以外の省庁とか、
それ以外のいろんなところ、あるいは政治家とか、
そこあたりに理解してないっていうのはまた一つあるんだろうけども、
少なくとも、やっぱり外務省としてあれは、
少しでも完全にね、
もうすごいしっかりしたマネジメントをやってほしかったという気にはなります。
高木 恵子
そうですよね。
田中 愼一
差別って本当に複雑怪奇で、
僕の場合は6歳のときに南ローデシアに行って、
白人から差別されたわけです。
でね、それから4年後に日本に戻ってきたわけですよ。
やっと日本に戻ってきた。
で、差別の世界から抜けたと思った段階で、
今度は僕が差別されるわけです。
日本人から。
お前日本語下手だとかね。
お前野球知らないだろうとか。
ボールがくれば振ればいいんだろうと思ってるだろうとか。
ひどい感じで、今度は日本人かよってこんな感じなの。
差別って別に人種が同じだから起こるという話ではなく、
いわゆる違いがあって、みんなが持ってない。
高木 恵子
そう、よそ者とか違いみたいな。
田中 愼一
そうそう、違いとか。
実はそこで触発されちゃうんですよね。
中川 浩孝
そこを感じるのはわかりますけれどもね、
やっぱり自分のコンフォートゾーンを荒らされるんじゃないかみたいな。
田中 愼一
それはもちろん人種っていうのも影響してくるけど、
違いっていうのが実は人種が違うってことは違いだってことだと思うんで。
中川 浩孝
非常にわかりやすい違いです
田中 愼一
わかる。
だから自分の違うやつとっていうものがですね、
実はこれからもうすます非常に重要になってきて、
実はある意味で言うと対話のあり方がね、これから問われてくるんじゃないかと思うんですね。
なぜかというと、やっぱり個性あっての人間社会というか、
一人一人が違う個性を持っているからこそ、
いろんなアイディアとか知恵とかイノベーションが生まれるのに、
その個性っていうものが差別につながるとなると。
社会にとってはですね、完全に後ろ向きの世界になっていってしまうと。
だからそういうことで、ある意味今言ったTICADの問題っていうのを考えさせられてたときに、
やっぱりもっと根本的なところっていうのは、
日本人の対話に対する考え方っていうのをもう少し考えていかなきゃいけない。
つまり、個性を認める、個性を認めるっていうのはずいぶん昔から言われてるんだけど、
個性同士を認めるだけじゃ、実はそこからプラスっていうものが出てこなくて、
欧米なんか見たり、世界見てると、個性と個性のぶつかり合いっていうのがあって、
その個性と個性のぶつかり合いから、逆に非常にイノベーティブな発想とかものが生み出されてきてるっていう、
少なくとも僕がアメリカにいたときは、それが非常にうまく絡んでたなっていう現体験があるんですけども、
日本はやっぱり個性というものを尊重しろと言っているっていうのは、
そのレベルは実態は尊重してないっていう。
事実があるから個性を尊重しろと訴えてる。
田中 愼一
個性を尊重しろって言ってる限りは、まだ差別をしてるっていうのが僕の意識ですね。
高木 恵子
そうですそうです。
田中 愼一
だから、本来は個性を活かせっていうのが重要なんだけども、
個性を尊重しろっていうのは受け身ですよね。
もう分かった、認めてやるよって。
お前の個性を認めてやるよっていう態度ですよ。
高木 恵子
あとは、結局これは日本人のいいところでもあるんだと思うんだけど、
やっぱり仲間意識ですよね。
例えばちょっと個性の強い人が、自分の個性の仲間を作ろうとして、
この仲間に入ってこないと、ちょっと差別されちゃうみたいな、
排除されちゃうっていう形が日本の社会にはあるじゃないですか。
これは子どもでも大人でもあると思うんですよね。
田中 愼一
そうですね。
高木 恵子
だからその考え方、仲間意識ってすごくいい方向に作用すると、
すごくいいんだけど、この仲間に入らないと排除されるみたいな。
田中 愼一
たぶんね、それすごくいいポイントで、仲間意識は絶対重要なんですよ。
高木 恵子
そうなんですけどね。
田中 愼一
結局人間は一人じゃ動けないことを起こせないんです。
仲間がいないとだめなんです。
ただ、その仲間意識を作るプロセスが、基本的には問題だと思うんですよね。
それが、日本の場合は仲間意識を作るっていうところが、グローバルに比べると、
グローバルで比べちゃだめだけど、僕の経験値から言うと、
僕の場合はアメリカが一つ大きな原点なんで、
アメリカで考えたときはやっぱり、仲間の作り方が日本とはまるっきり違ってて、
日本の場合は仲間を作る一つの基準っていうのは、俺たちと同じっていう。
高木 恵子
そうそうそうそう。同じにやれみたいに、同じところに。
田中 愼一
違いじゃないんですよ。
同じってとこからスタートしちゃうわけ。
そうすると入っていくためには、自分の個性を消さなきゃいけない。
高木 恵子
そうなんですよ。そこなんですよ。
田中 愼一
こういうのが一人っ子の悩みの、一つのナンバーワンの基準でございまして、
ヒロちゃんと違って、我々はそういう苦難の時代を乗り越えて、
今日に至っていることは、少しここで言わせていただきます。
でも本当にそうなんです。仲間に入っていかないといけない。
でも変な話、例えばローデシアで6歳だったけども、
違うことはもう肌の色でわかってるから、違いで判断してないんですよ。
幸いしてくれなかった。何ができるかで判断される。
だから逆に言うと、僕日本人でホンダでドライバーであったジム・レッドマンが、
基本的にはローデシアの英雄で、僕が彼と握手してる写真を見せると、
もうその途端に差別じゃなく、すごい仲間になっちゃうわけです。
高木 恵子
英雄っぽくなっちゃったんですね。
田中 愼一
だから仲間に入るための登竜門っていうのが、違いなのか、
要するに俺にはできないよ、すげえなっていう違いなのか、
お前俺と同じじゃないじゃないかっていう、そこで登竜門が違うっていうのは間違いなくありますね。
だからそう考えると、少し考えてた、けいこさんとも昨日ちょっと話しましたけども、
仲間の作り方っていうのをもう少し考えるべきじゃないかなっていう感じなんですね。
そういったときに、やっぱり仲間を作るっていうと、
そういう日々の自分の対話の仕方を考えていくっていうのが、
田中 愼一
実はすごく重要なんじゃないかなっていうことで。
僕はコミュニケーションっていうのを40年以上やってるんですが、
最近この数日間、あるいは数週間かな、
コミュニケーションっていうものは、日本語で対話、訳す。
つまりコミュニケーションっていう日本語訳はないんですよ。
昔明治維新のときに、一人の人がコミュニケーションを訳したんですね。
日本語に。どういう役者かと言うと、人間交際っていう。
人間と交際するの交際で、人間交際。コミュニケーションとは人間交際なんだと。
ただ結構表現かっこ悪いじゃないですか、人間交際って。
だからたぶん流行らなかったんでしょうね。
だからコミュニケーションになっちゃったんだけど、
実はそれを言ったのが福沢諭吉なんですよね。
だから彼の本を読んでると、人間交際っていうのが実は非常に重要な。
つまり人間というのは、どう相手と交際するかっていうのが、
実はいろいろな意味でこれからの日本の近代化にとって絶対的に必要不可欠なんだと。
そのためには交際できるだけの力量を身につけなきゃダメだと。
つまりそこでは個性を重要視するって話なんですよ。
つまり個々がそれぞれの個性を重要視することによって、
他者が持っていないものを発揮することによって交際っていうのは成立する。
つまり、自分は相手にこういうものを提供できるんだという力量。
相手もこちらにこういうものを提供できるんだっていうもの。
お互いがそれぞれ相手に提供できるものがあることが前提で、
それによって初めて交際が成り立つ。
だから人間交際、一番重要だぜっていうのを言ってるんですよね。
ただ、不幸にも人間交際って言葉は流行らなかったんで。
だから基本的には、学問のススメなんていうのはもうその最たるもんで。
基本的には個人、あるいは個人主義というか個人を鍛えろっていう一つの本ですけども、
実業の勧めですよね。だから学問のススメっていうのはまさに。
個人を鍛えるための実業を身につけろって話なんだけども。
そういうことで残念ながら人間交際っていうのは普及しなかった。
それに近い僕が今考えられる、この数週間でやっぱり一番降りてくるのが対話なんですね。
ただこの対話っていうのはね、英語のダイアログとちょっとニュアンスが違うんですよ。
ダイアログってもしかしたらそういう深い意味もあるのかもしれないけど、
僕の稚拙な英語力では、ダイアログっていうのはキャッチボールみたいな印象なんですね。
日本語での対話っていうのはキャッチボールだけじゃなくて、
そのキャッチボールの中から価値あるものが生まれてくるっていう。
それが対話してる相手と自分との間に何か価値のあるものが生み出されるっていう。
そういう概念を対話っていうのに持たせてるんですよね。
これはある意味、人間交際という福田由吉が考えた概念に近い。
ただ人間交際っていうのはあんまりかっこよくないんで、
やっぱり対話っていうのが一番ひっくりくるのかね、現代的にはね。
だからコミュニケーションずっと言ってコミュニケーションコミュニケーションって言ってきたんですけど、40年近く。
ここでその誤りに気がついて、それは対話として言うべきだったんじゃないかという。
対話に今非常に興味を持っていて、
今頭の中に僕が入ってるのは一つの公式で、対話イコールイノベーション。
つまり人間っていうのは対話というもの、福沢諭吉に言うと交際っていうものを通じて、
さまざまな価値をイノベートしてきてる。
それが人間社会を支えて成長してきてるんだっていう考え方ですよね。
そう考えたときに、いつも僕は人に自分流儀のコミュニケーションを必ず構築しなさいと。
コミュニケーションっていうのは自分の外にあるんじゃなくて、
全ての答え、コミュニケーションに対するヒント答えっていうのは自分の中にあるんで、
それをいかに覚醒させて、それで自分流のコミュニケーションスタイルを持つべきかってしょっちゅう言ってるんですけども。
そういう考えに基づいて、僕が40年近くコミュニケーションと連呼してきた中で、
僕自身のコミュニケーションスタイルって何かって考えたときに、
何かこれがイノベーションに通ずるっていう一つの原体験っていうのが間違いなくあるなっていうのを、
実はここ数週間考えてきたんですよね。
その原体験で考えられるのが、ワイガヤっていう、これはここの場でもお話したと思いますが、
ワイワイガヤガヤっていう、人が議論している、あるいは会話してるときの音を擬似的に言ったワイワイガヤガヤっていうとこから来てるんですけども。
本当は一つの企業カルチャー、英語で言うとカルチュアルコードと言ってもいいのかな。
やっぱりワイガヤってのがあるんですね。
今それがどう変質してるか知らないけど、僕自身の時代はそれが生きていて、
それを実際に身につけたのは、実は日本ではなくアメリカなんですね。
アメリカの7年間で、その当時僕がホンダにいたときっていうのは、すでにホンダも大きくなってきて大企業になっていて、
日本のホンダっていうのはそれなりに大組織になって、組織が中心っていう世界だったんだけど、
その当時のアメリカっていうのはホンダにとっては最大のマーケットで、
日本よりも圧倒的に多く車とかオートバイを売ってるマーケットで、
どっちかというとホンダにとってはフロンティアだったんですね。
だからそこで働いていた人たち、特に駐在員として行ってた日本人たちっていうのは、
一つの正義っていうんですか、正義感っていうものを抱いて動いてたそれぞれが、
それぞれの個性を生かして、っていう世界が幸いにも存在した時代だったんですね。
アメリカっていうのは。
そこに入った何人かの駐在員とか、結構日本人何百人単位で駐在員がいるんですけども、
そういう中でそれぞれが正義を持って、
僕の持ってた正義っていうのは、やっぱりホンダという企業がアメリカに役に立つ企業なんだよっていうのを知ってもらうことによって、
ホンダに対する差別、これは日本に対する差別と一緒ですけども、ものすごい反日運動が起こってたんで、
ホンダも日本に撤退しろとかもひどかったんですよ。
でそれを、いやホンダはアメリカに役に立つんだっていう、一つの正義感で動いて、
で実際アメリカの世論をホンダの味方につけるっていうのを7年かかったけど、まあやり遂げたわけですね。
そのときの仲間たちっていうのがたくさんいて、
僕はデトロイトにいて、マスコミとか有識者、学者との対話をしっかりし、
ニューヨークではアナリストとの対話をする。
それから工場のあったオハイオは社員、地域社会との対話をする。
ロサンゼルス、販社があったところはお客様中心、販売店に対して対応する。
それぞれを代表とする連中が集まって、これがワンチームになって動いた。
そのときのことをずっとしばらく思い返してたら、やっぱりそこには一つの正義というものがあって、
それに向かってみんなですごいわいがやをしたんですね。
わいがやっていうものによって、気がついたら僕のコミュニケーションスタイルは全てがわいがや調なんですよ。
そこにルーツがあって、わいがやを分析していくと、僕自身のコミュニケーションのスタイルが明確に出てくる。
わいがやって一言で言うと何かというと、3つのステージ、4つぐらいのステージがあって、
まず初めは入口から入って、普段の会話を始めます。
会話を始めてワーワーワーワー言ってるうちに、だんだん対話に入っていくんですけども、
実は対話を始めるためには、いくつかの課題がないと対話って始まらないんですよ。
俺これで困ってるんだよ、これなんとかならないとか。
だから一番初めの入り口は、「今週の週末どう過ごしたの?」とかね。
俺、とにかく国宝って映画見たんだよね。これ面白いんだよな、まじに。
あと、「ヒロちゃんあれ見たかな?」なんて、昨日けっこうさんとの入り口はそれでスタートしたし。
そういう他愛もない会話から始まるんだけど、そこから徐々に自分を開示していって、
俺今こういう課題悩んでんだけどさ、って言いながら。
それで向こうからいろいろ意見を聞いてるうちに、いろんな意見が出てくる。
相手が複数だといろいろな意見が出てくると、何が起こるかというと、今度英語で言うとコリジョンっていうのかな。対立が出てくる。
みんなそれぞれの勝手な個性の部分をぶつけてくるから、コメントにね。
そうすると対立構図が出てきて、そこでドンパチやり始める。
ところが、対話のプロセスがドンパチやってると、次に徐々にそのドンパチの数が積み上がっていくと、
だんだん相手と自分との間に共通に見えてくる、実は第三の土俵が見えてくる。
だから対話を始めたときは自分の土俵があって、これが正しいんだ、これが正しいんだって言ってるんだけども、
相手と対話を喧嘩してると、ドンパチやってると、徐々に、
あ、待てよ、俺の土俵のここの部分と相手の土俵のこの部分は、実は共有できるんじゃないかっていうプロセス。
これが第三段階みたいなもんかな。まず会話、普段の話。それから対話、まずぶつかりのステージ。
次のステージっていうのが、お互いに共有できる度が出てきたなっていうところが。
そうすると共有部分が増えてくると、今度は実にお互いに言っていることが積み上がっていくような対話のパターンになってる。
そうすると、今度は何が出てくるかっていうと、エネルギーが出てくるんですね。
お互いがこの共有できるっていう部分がつかめた瞬間に、
この共有できる部分で、俺はこういうことができる、俺はこういうことを提案するっていう。
今まで対立だったのが、積み上がりのプロセスに入っていく。
そうすると、人間ってとてつもないエネルギーを醸し出すんですね。
みんな熱くなってきてですね、議論がどんどん燃えていく。
燃えてくるとですね、どんどんどんどん別の土俵じゃなくて、お互いが一つの土俵で一緒になって、
それをどんどんどんどん突き進めていくと、エネルギーがあって体が赤くなって顔も紅潮し、
どんどんどんどんいくと、想定外のソリューション。
つまり一番初めに、僕が開示したこの課題、なんとかならねえかなっていった課題がですね、みんなの想定外。
想定外っていうのも実はエネルギーを生むんですね。
驚きっていう形で、おおーって感じでみんな。
それでソリューションが出来上がる。
これがプロセスなんです、想定外の。
これは僕がいろんなところで戦略コミュニケーション特別講座っていうのを教えてるんですけども、
実はある講座が終わった後に、これはねお医者さんだったのかな、50代のお医者さんだったかな。
結構有名な方なんだけども、僕のとこに来て。
2日間集中講座をやってて、彼がコメントを僕に言ったんですね。
今回の講座っていうのは面白かったと。
なんで面白かったかっていうと、
1日目に、自分はコミュニケーションっていうのは人と仲良くすることだというふうに思ってたと。
ところが1日目に僕の講座を受けたら、コミュニケーションとは戦いだっていう。
2日目に言ったら、2日目の午前中は、次に戦いは共感だって言ってた。
後半戦の午後は、最後のセッションは、いわゆるコミュニケーションとは創造だっていう。
仲良くすることから、コミュニケーションは戦いだに移り、そっからコミュニケーションは共感だに移って、
最後はコミュニケーションは創造だって言ってくれたんですよ。
これうまくまとめたなーと思って、実は今説明した我が家のプロセスとほぼ付合する。
高木 恵子
そうですね。
田中 愼一
だから対話って初め対立から、コリジョンから入らなきゃいけないっていう。
これはもうしょうがない。でもコリジョンを経ないと、エンパシーに行かない、共感に行かないんです。
まずは自分と相手の考えの違いをぶつけ合い、そのコリジョンに耐えうるものを作れっていうのが、僕のステージ1の教えなんです。
だから僕は最近は、コミュニケーションの戦いっていう言葉から、ここ1週間ぐらいは対話の兵法を身につける。
つまり対話には兵法があるんだと。戦いなんだと。
で、その兵法を身につけてないと、コリジョンで潰されちゃうんです。
あるいはコリジョンで喧嘩が始まっちゃうんです。
そうじゃなく、コリジョンを十分戦い抜きながら一挙に共感のほうに持っていくためには、
コリジョンという衝撃、ぶつかり合いっていうものですね、日本語訳すると。
そこをやっぱり乗り越えなきゃいけない。
乗り越えるだけの兵法というか、テクニックを持ってなきゃだめだよってのが、僕が1日目に教えることなんですよね。
2日目の午前中っていうのは、基本的にはやっぱり共感に、つまり兵法でドンパチやってるうちに、
徐々に相手と自分の間の共有項というのが見えてくるんですよ。
第3の道が見えてくるんですよ。
これ、共有だけじゃだめなんですね。
共有よりもさらに目新しく、お互いがこれっていう気づきを得るような、
気づきをお互い入れるような、今まで見てるものをプリントアウトコピーじゃなくて、
今まで両方とも気づかなかったことが気づくっていうプロセスが入ると、一挙に共感レベルに入ってくるんですね。
共感レベルに入ると、午前中は何をするかというと、その共感から何かアウトプットをもらおうぜって話になる。
そうすると、そのお医者さんは、想像だって言ったんだけど、それはイノベーションって考えればいいんじゃないかな。
だからさっき言った対話のステージ化を行ったんですけども、
これは実はイノベーションを生み出すためのプロセスなんだって考えると、
非常に腑に落ちるんですね。
で、そこで、確かけいこさんから聞いたのは、でもねと。
そういうステップを感じながら行こうとする感度を持っている人って、ほとんどいないんですよと。
けいこさんやヒロさんや僕みたいな人たちっていうのは、例外なんですよっていうことですよね。
高木 恵子
そうですね。そこのステップとか、そこのところにまだ気がついてない人の方がいっぱいいると思う。
田中 愼一
対話は対話だという感じで、その対話にステージングがあるっていう発想もなければ。
高木 恵子
とかイノベーション、ましてや。
田中 愼一
イノベーションなんかに繋がってるなんて話はない。
高木 恵子
話がこう、みんなでしてる中で何かぽっとクリエイティブイノベーションが起きるっていう体験をしたことっていうのは、まだそんなに私は多くはいないと思う。
田中 愼一
僕の場合はさっき言ったように、アメリカでの7年間っていうアメリカの夜もどうホンダの味方につけるかっていうことで、ある意味とてつもないイノベーションを作らざるを得なかったということで。
それは自分一人作ったんじゃなくて、一緒にやってた一つの正義を共有する中で一生懸命頭をひねり出してた仲間たちとの対話っていうのと、それからもう一つは外との対話ですね。
僕はとにかくはじめ200人のアメリカのデトロイトにいた自動車だけを追っかけてる記者たちとの対話から始まったわけです。
四六時中彼らと対話をし、あと学者ですね、ミシガン大学MITの自動車研究の学者たちの対話、あと一部ファイナンシャルアナリストたちとの対話、および政治家、それからロビーストとの対話。
とにかく外との対話っていうのは、うちとの対話だけじゃダメなんですよ。仲間との対話だけじゃなく、外との対話もやりながら、そういう対話っていうものからイノベーションっていうのを生み出すっていう、原体験みたいなものをしたんで。
この数週間、そのときどういうことしたかっていうのを振り返ると、なるほどなって腑に落ちる気づきを与えてくれて、少し覚醒したかなと思うんですけども。
どうですか、この議論でヒロちゃんとしてですね。もう既に覚醒されてるヒロちゃんからすると。
中川 浩孝
覚醒されてるのかどうかわかんないですけど、どうでしょうね。だからやっぱり子供の頃からそういう訓練をしていないと、
やっぱり日本の教育、少なくとも私の時代の教育っていうのは、やっぱり同調圧力まではいきませんけれど、こういうあるものだっていうのを教えられる、与えられる場でしかなかったので、
それにあんまり疑問を持たずに、みんながそれを守っていくというか、そういう感じのやり方だったような気がするですよね。
多分、多くの私と同世代から上の人たちは、例えば、おかみから与えられるみたいな、そういうやっぱり上の人が言ってるからやるものだとか、
そういう世界で生きてきた人が多いと思うんですけど、私は多分社会人になったときが一つのターニングポイントだと思うんですけど、
やっぱり外資系のアメリカの会社で働いたので、若いからとか上司だからとか、そういう関係性があまりないというか、
やっぱりいい意見があればそれを取り入れるし、ダメなことは上司が言おうとしても、やっぱり上司に対してもダメって言えるし、それは良くないことだって言えるし、
そういうやっぱり会社で働けたっていうのは、私の中ではやっぱり大きかったと思うんですよね。
それって多分、今の話聞いててすごく考えてたんですけど、勝ち負けのある意味世界だとは思うんですね。
自分の意見が通るか通らないかっていうのがあると思うんですけど、それがいっぱいあれば、たまに勝つしたまに負けるっていう状態になるので、私それでいいのかなって思うんですよ。
それがすごく少ないと、いつも常に負けちゃうみたいな、自分の意見が常に通らないみたいな感じになっちゃうので、
たぶんそれがいっぱい起これば起こるほど、これは別に勝ち負けの問題ではなくて、たまたまこれは私の意見が通ったから、これはたまたま私の意見が通らなかったっていうふうに、
たぶん判断できるようになっていくんだろうなっていう感じがしますね。
田中 愼一
その勝ち負けはね、面白い話で、一応今の話の勝ち負けっていうのは、相手が負けたらこっちが勝つ。
こっちが勝つことが相手の負けることだっていうレベルで、そこのね、とこなんだけど、もう一つの勝ち負けっていうのがあって、相手にとっては、相手勝ってるんですよ。
でも実は俺も勝ってるっていう。つまりこれは、勝ちに対する解釈を変えてるわけですよ。
だからそういう意味で言うと勝ち負けっていうのは絶対的に重要だと思ってて。そういう意味で。
つまり実際に相手が負けたらこっちの勝ち、こっちが勝ったら相手の負けっていうのも勝ち負けあるけども、もう一つはそれをひねって、
相手の負けが実は俺の負けにもあるっていうふうに解釈したときに、よく言われるウィンウィンってやつ。ああいうのはやっぱり非常に重要だなっていうのはよくありますね。
中川 浩孝
たぶんワイガヤで、たくさんの意見を超えた新しいみんなが勝ちになれる意見ができるっていうのは一番最高の状態だと思うんですけど、
たぶんそうではないときっていうか、やっぱり自分を伝えられないときもあるから。
田中 愼一
たぶんね、そこに至るまでは本当に勝ち負けなんですよ。至らないやつもあると思うけど。
中川 浩孝
そうそう。至らないやつもあると思うんですよ。
田中 愼一
両方ともあるんで、だから逆にただ勝ち負けの概念は絶対的に必要なんですね。
中川 浩孝
うーん、なるほどね。そうですね。そうしないとみんながやっぱり自分が負けた嫌な気分に、
田中 愼一
負けたって思った瞬間にね。だから負けも実は勝ちだっていう発想。
そこあたりっていうのはピンチのチャンスっていうのと同じなんだけども。
中川 浩孝
だから私の中では、そういう意味では、私の中での会社での経験っていうのは、
会社っていうのは、ある意味会社で話してる話って、正解があるわけの話ではないので、どれも。
なので、実は勝ち負けじゃないっていうことと、その会社として決定したことは、
みんなで決定したことに関しては、そのみんなで決めた意見をやっぱり通しましょうっていうか、それに対してコミットしていく。
自分が意見が違ったとしても、最終的にみんなで決めた意見に対しては、やっぱりそれに向かってやっていくっていう、
その考え方が、社会人の若い段階でできたっていうのがすごく良かったと思うんですよね。
田中 愼一
あと、その方向性が自分が提案した方向性じゃないんだけど、一旦その方向性に決まった段階で、
自分の中の目的化を変えればいいですよね。
中川 浩孝
その通りです。その通りです。
田中 愼一
質問が始まるっていうような突撃アンブッシュと呼んでるんですけど、突撃取材。
そこで何を学ばせるかっていうと、人間っていうのは、
瞬時に想定外の対話が始まってしまうケースってあるわけですよ。
全然気にしなかったのは、ドア開けたら学校の校長先生がいたとかね。
なんか知らないけど、全然想定外の人と出会っちゃったとかね。
で、そのときに必ず5つのことを10秒間で、長くかかっても10秒。
普通だったら数秒で、5つのことを決めろって教えるんですよ。
まず一つは、今出会った。話さなきゃいけなくなった。
それを目的化しろ。
つまり、今出会ったものをどう目的化するか。
それを利用して何をしようとするのかっていう目的化。
で、二つ目は自分の立場。
自分の立場をどういうポジショニングを置くのか。
つまり生徒としての立場か、人間個人としての立場か。
なぜかというと、相手との対話ってことは自分のポジショニングが明確じゃないと対話できないんですよ。
で、三つ目は対話だからメッセージが発信されるわけですよね。
だから何を発信するのかっていう。
メッセージですね。
目的が明確になればメッセージも明確になりますよね。
で、次にそのメッセージを誰に伝えたいのか。
前には校長先生がいたとしても、その校長先生が職員室に帰って他の先生に語っちゃうかもしれない。
あるいは生徒に語っちゃうかもしれない。
目的が決まってるってことはターゲットが決まってるはずなんですよ。
で、メッセージもこれで決まる。
で、四つ目が、それを仮に周りが聞いたときに、
誰が悲しみ、誰が喜び、誰が怒るかっていうのを想像する。
これで5つじゃないですか。
この5つのことをですね、数秒間でパッと決める練習をするんですよ。
中川 浩孝
そうか、数秒でできるのか。
田中 愼一
そうすると、慣れば数秒でできます。
無意識でもうできます、それ。
だからはじめは意識しながら練習していくと、本当に無意識にスパッと出てくる。
そうすると何ができるようになるかというと、
さまざまなものとの出会いとか、対話とか、いろんなことのやりとりしてる中で、
それが絶えず絶えずリアルタイムで入ってくるわけですよ。決めるわけです。
そうするとね、非常に安全でリスクヘッジのできた対話ができるっていうのを教える。
これはリーダーシップコミュニケーションの中で一番初めにやる項目。
だからそういう意味で、それが重要だね。
ある意味で言うと、そういうことを絶えず考えて、そういう練習を受けていくと、
絶えず自分の目の前に、日常生活ってそうじゃないですか、想定外ばっかり起こること。
思ったとおりに全て行くってことはないし。
そのときにその状況が変われば変わったで、何が目的なのか。
しかも自分のポジションは何なのか。
相手は誰なのか。
実際に相手以外の他の相手って言うんですか。
つまりその相手にメッセージを出しても、それはいろいろな人に伝わっちゃうんで、
他の相手っていうことはその5つかな。
目的化する、ポジションを決める、相手を決める、それからメッセージ決める、
それから最後は本当の相手以外の相手を意識する。
この5つですね。
結構これはね、対話の質を上げるっていう意味ではね、結構効果的です。
中川 浩孝
確かに。それって別に取材じゃなくても誰かとお話をするときに、
今日はこういう話しようとか、そういうふうに考えておけばいいってことですね。
田中 愼一
考えておけばいいですし、対話を離れたとしても、
物事が自分の思ったとおりに動かなかったときに、
それをもう一回自分の目的っていうのから洗い直すっていうプロセスで、
さっき言った、負けたと思ったけど実は勝てるっていうところっていうのは、
目的を流動化するわけですよね。
目的を流動化すると負けも勝ちになってくるわけですよね。
すると心も安定してきます。