2023-11-04 36:25

#19 ワイガヤの効能(後編)

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前回に引き続き、ゲストとともに「ワイガヤ」について話していきます。

今後もゲストに参加していただきたいと考えています。私も参加したい!という方は、出演者 3 名にぜひご連絡ください!

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仕事でコミュニケーションを扱う 3 人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、コミュニケーションとは何か?を一緒に考えていくポッドキャストです。

出演者🎙️

ゲスト:A さん(フライシュマン・ヒラード・ジャパン卒業生)
田中 愼一   
高木 恵子 (Facebook / LinkedIn)     
中川 浩孝(twitter / Facebook / LinkedIn / note)

ご意見・ご感想、3 人に話してほしいトピック、3 人へのご質問などありましたら、以下のフォームからお送りください。https://forms.gle/ZGKtUCBn3m25Nr6J6

サマリー

コミュニケーション力を極めるゴールデントライアングルのメンバーがコミュニケーションについて考えるポッドキャストです。このポッドキャストでは、好奇心が一体感の形成に重要であることや、心理療法士の対話を通じて自己治癒力を高める方法が明かされます。 特に「メカニズム」について考えながら、相手の立場に立って考える発想が徐々に生まれてくることや、人間関係の学びを通じて自分自身のコミュニケーション能力が成長していくことなどについて話が展開されています。 ゼミに入ることで友達ができ、自分の居場所を見つけて会話が安心してできるようになったと実感しています。

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中川 浩孝
コミュニケーション力を究める ゴールデン・トライアングル
仕事でコミュニケーションを扱う3人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、コミュニケーションとは何かを一緒に考えていくポッドキャストです。
田中 愼一
コミュニケーションの修羅場を人生のチャンスと思い込んでいる田中愼一です。よろしくお願いします。
高木 恵子
SEからPRコミュニケーション業界に転職して、はや四半世紀、高木恵子です。
中川 浩孝
外資系企業でマーケティングを経験してきたアメリカ在住中川浩孝です。
前回からの続きで、ゲストにAさんを迎えて、ワイガヤの話を続けていきます。
ワイガヤと好奇心
田中 愼一
さっき好奇心がワイガヤにとってすごく重要だっていう話があった。一つのたぶん、なぜ好奇心が大事かっていうと、
相手と一体感っていうのを作るときに、 お互いが相手に対して好奇心を持つと、
一体感って作りやすいんですね。
実はこれがまた心理療法士って言って、いわゆる心理のいろいろな病とかそういうのを治すね。
ある意味、ユングとかフロイトとか、ああいう心理学者はみんなそうなんだけども、
実際に病んでる人、精神が病んでる人たちに対して、心理療法士っていうのがついて、
対話をしながら徐々に自己治癒力に従って、精神の病から脱却していく。
基本はですね、やっぱり唯一頼らざるを得ないのは外から治療できないそうなんですね。やっぱり精神的な疾患というのは。
そうするとやっぱりその人の自己治癒力っていうものをどう高めて治していくかというのが基本らしいんだけど、
その時に、治そうとする方が、いわゆる心理療法士ですね、の人がですね、
治される人、治す人っていうふうに分けた瞬間に、
クライアントってみんな呼ぶんですけども、患者さんのことを。クライアントとの関係がなくなっちゃうそうなんです。
つまり、自分は教える側、あなたは教わる方っていうことを心で少しでも考えた瞬間に、
相手との関係が切断されるっていう。だから、それは何をしなきゃいけないかっていうと、
いわゆるその分けるっていうことをね、治療する側と治療される側って分けるという概念そのものをなくさなきゃいけない。
つまり一緒になって考える。一緒になって悩む。一緒になってってすべて一緒、一体感でこうやっていかなきゃいけない。
で、これにはですね。
中川 浩孝
それまさにワイガヤに戻ってきてますね、この話。
田中 愼一
そうそうそう。だから結構人間ってお互いに、多分信頼関係っていうのは逆に言うと、そういうお互いがお互いの好奇心、お互いがお互いに、相手に対して好奇心を持っているってことが一つのきっかけになって、
それでどんどんこうなっていくと、ワイガヤみたいなプロセスを経ていくと、だんだんリスペクトも生まれるんだけど、
確かに間違いなく信頼関係はできますね。
ワイガヤを一緒にした経験があると信頼関係が強いと思います。
だからなんかそういうのがこうね、いろいろ入ってきてるっていうか、やっぱりそうするとなかなかね、相手とのコミュニケーションっていうのを考えるときに、欧米流のコミュニケーションって分けるじゃないですか。
こちらはこれを伝える、このキーメッセージをですね、相手になんとかして浸透させるっていう。
で、向こうは向こうで同じこと考えてる。
ここはいつも対立っていうのが生まれちゃうんですね、やっぱりね。
でもそれじゃなく、分けないで、一緒に何かをするとか、なんか一緒に考えるとか、一緒に問題解決を図るとか、一体になるっていう発想になってくると、
多分その対立っていう要素っていうのがどんどんどんどん小さくなってくるんじゃないかな。
だから心理療法士のその話を聞いてると、対立を少しでもなくしていくためには、自分自身が物事を分けるっていうことを脱却しないと一体感ができない。
でもその脱却するところっていうのは多分ね、とてつもない好奇心なのかなと思うんですよね、相手に対して。
中川 浩孝
なんか私はでも今の欧米はっていうのはちょっとそうどうかなと思ったのは、例えばフライシュマンとかはまたちょっと外資系の会社ですし、業界もだいぶちょっと特殊なので何とも言えないですけど、
なんかアメリカの会社の方が組織としては例えばフラットなので、上下関係みたいなことを意識しないっていうのは、私は日本よりもさらに強いのかなと思っていて。
日本の大きな会社なんかですとやっぱりね、課長が言ってるからとか部長が言ってることは正しいじゃないですけど、結局みんながそっちに流されてしまうみたいな、多分そういう傾向ってあるんじゃないかなと思うんです。
私も日本の会社で働いたことないので実際のところはちょっと分かりませんけれど、なんかそういうのってその立場とか自分の役職みたいなことによって区別されてしまう。
今のまさに区別しないのが一番大切なんだけど、結局自分の立場とかっていうのを考えてしまうっていうところが、なんかより強いのかなっていうのは私は感じたりするんですけどね。
田中 愼一
たぶんね、それはですね、考えるべき要素っていうのは、自我、自我、エゴですね。自我の取り方が東と西とでは若干その取り方が違うって話につながってくるな気がしてしょうがない。
なぜかというと、やっぱり西の世界っていうのは自我を非常に大事にしますよね。我思うゆえに我ありとかね。人は考える葦だっていうことで、自我を確立するっていうところがものすごく強いわけですよ。
東西のコミュニケーションの違い
田中 愼一
まずは自我を確立する。まず自分自身を持て。それを持った上で、他の相手と向き合えっていう。東側はですね、どっちかと言うと、一体感を先に求めていくんですよ。
高木 恵子
そうですね。
田中 愼一
要するに自分っていうのは、周りによって支えられて自分があるわけであって、独立自尊で自我があるっていう発想とはちょっと違うんですね。東もいろんな人の話を聞いてると。そうすると、例えば変なジョークなんだっけな。前話した人が言ってたジョークがあるんだけど。
例えば西の人が話すときっていうのは、スピーチをするときっていうのは、何をするかというと、まずジョークを言う。みんなを笑わせる。ジョークを言うことによって、俺がジョークでみんなを笑わせたっていう感覚を持つわけですね。そっからスピーチがある。
日本人の場合は弁解で始まる。私はスピーチうまくないんですとかね。私はこういうの苦手なんですよってこういうね。これはね、何を意図してるかというと、聞いてる人たちと一体感を作りたいと。俺は堂々とこれから自分のスピーチをする。で、まずみなさんを笑わせて、その次っていうんじゃなくて、すいません、僕苦手なんです。このスピーチってなって言いながら、あのまずは一体感を作ってから、自分が、
こう話すっていう。なんかそういう傾向があるっていうのはね、ある人が言ってたんですよ。まあそれが正しいかどうかは別としてね。ただいずれにしても、あの、
好奇心を持つっていうのは、あの何だろうな、東も西もあんまり変わんないんじゃないかなって気がしますけど。
好奇心を持つってことはね。ただそれがどういう形で、あのなんていうのかな、まあ自我が強いってことは分けるっていう話になっちゃうんだね。
自分と自分じゃない相手っていうふうに分ける話。自我が弱いっていうか、どっちかというとそこまで強くないっていうのは別に、なるべく別に分ける必要はないっていう一体感的な発想からスタートする。
これ多分どっちも必要なんだと思うんですけど。そうですね、面白いですね。はっきり言って生き抜いて、だって自我がなかったら人間生きていけませんから。
中川 浩孝
なんかね、それはね、言葉にも現れていると思うんですよね。やっぱりほら、それこそ英語なんかは必ず主語でIからスタートするわけじゃないですか。何か意見を出るときには、I think じゃないですか。
日本では別に私はとか別に何か発言するときに言わないですもんね、わざわざ。そういうのはあるかもしれませんね。面白いですね。
田中 愼一
なんか主語がなくても日本語って話がどんどん続いてきちゃう。だから主語が自分じゃなくてもいいはある意味ね。
なんか周りを代表して言ってるっていうときはWeなんて使うでしょ。
そこをぼかしながら話せるじゃないですか。誰かが言ってるんですけどとか言ったら、逃げられるからね。逃げられるから、そっちの方がぼかした方がIなんだよね。
でもWeとIで言ったのはあれだな、あの大統領で、歴代の大統領で言うと、ほとんどのアメリカンの大統領っていうのはIなんですね、全て。
唯一例外は2人いて、1人はYou、これはケネディ、あなた方なんだとね、あなた方がこの国を作らなきゃいけないんだというYouって出したよね。
で、もう1人がオバマのWeですよね。オバマは全てWeでスタートした話ですね。だから珍しいんですよね、ケネディとオバマっていうのはね、そういう中で言ったらね。
でもやっぱりAさん言った、好奇心っていうのはやっぱり重要なんだなっていうのは、今ちょっとずっと。
中川 浩孝
これは経験した方が気持ちがいいっていうか、すごく快感物質が出るというかっていうことを考えると、子供の頃から訓練というか、日頃からやるべきことですよね、そういう意味では。
田中 愼一
それでね、実はうちの娘が小学校、今6年生の担任をやって、先生やってるんですけどね。この前ね、月曜日だったかな。
あの、えっとなんだっけ、そうそうそう。映画見たいって言い出してきて。月曜日休みなんですよ。
その前の日曜日が運動会だったんで、月曜日休みで少し時間取れないかって急に言ってくる。
俺仕事があるよって言ったんだけど、午前中だけでいいからって。分かった、じゃあ午前中だけ開けて、で映画見に行ったんですよ。
で、何の映画見に行ったかっていうと、人をバチバチ撃ちまくる、ジョン・ウィックっていう映画があるんですよ。
高木 恵子
あー、ジョン・ウィック。はいはい。
田中 愼一
あの、キアヌ・リーブスがやってる。
高木 恵子
キアヌ・リーブス、私の大好きなキアヌ様の。
田中 愼一
もう、もうね、酷い、酷いってか面白い映画なんだけど、もうね、人を殺しまくる映画なんですよ。
高木 恵子
そう、そうです、そうです。
田中 愼一
もうね、あれ、もう4回、もうパート4で完結になるんですよね。
で、それ見た後ね、教育論に入ってったわけね。
飯食いながら、昼飯食いながら。
で、その教育論に入ってった時に、実はね、今ね、小学生、自分の持ってる担当小学生っていうのは非常に非常識な部分もあって、
で、なんていうのかな、結構ね、基本的なことができてないんで、
で、いわゆる家庭訪問じゃないけど、親に連絡を入れてね、ここはちょっと問題じゃないかとか、こういうふうに言うんですよね。
そうするとね、大概の親がですね、なんて言うかって言うと、いや、自分たちは、とにかく子供の心を一番大事にしてます。
高木 恵子
へー。
田中 愼一
だから、子供がね、それを望んでないんだったら、それをやらせないし、
傷つく、子供の心が傷つくんだったらね、それはもう避けるしって、こういう反応するペアレンツがですね、親がですね、ほとんどだったんです。
7人中6人ぐらいそうだったんです。
高木 恵子
へー。
田中 愼一
俺ちょっと感じたのは、ちょっとおかしくない?なぜかって、人間っていうのは、自分の心はもちろん当然大事なんだけども、やっぱり周りの人の気持ちがわからないと、これ問題ですよねと。
で、その問題になった子供たちっていうのは、周りの気持ちを一切考えずに、自分だけの気持ちでワッと行動したっていうことなんですね。
で、これ結構ね、本質的な問題で、人間っていうのは、周りの気持ちがわからない人間って、たぶん生存能力低いと思うんですね、人間社会では。
なぜかって言うと、我々はどう足掻いたって一人で生きていけないわけですよ。
周りから支えられてるっていうことは、周りの人たちの気持ちがわからない、察することができないと、ある意味で言うと、もう間違いなく間違った道に行ってしまう。
自分の心だけを大事にしてたら。
で、人間社会って社会的動物だから、やはり人と接しなきゃいけないわけですよね。
もっと言うならば、人と接するっていうのは、みんなお互い違うから、当然摩擦になるわけですよ。
で、その摩擦を少しでも減らすために、神様は人間にですね、コミュニケーションという手法を教えてくれたわけでしょ。
だからコミュニケーションっていうのは、ある意味何が目的かって言ったら、対立を最小化してことを成すっていうね、ための手段なんですよね。
だから、でもそれは本当に人間社会が社会的動物である限りは、絶対的にそこの原理原則は従っていかないと生存ができない。
だからそうなるとやっぱり重要なのは、周りをまず知る、周りの気持ちを知るっていうこと。
その中で自分の気持ちってどうあるべきなのかって考える。
こういう、なんていうのかな、トレーニングを小学校の時からしっかりやらないと、結局自分たちだけのね、勝手っていうね。
うちの息子はアメリカで育ってるんで、アメリカの小学校教育を受けてるんだけども、
アメリカは確かに、愛という自我をしっかりと確立させるっていうことは当然言うんだけど、
やっぱりアメリカの小学校の場合は、その代わり表現させるんですよ。
コミュニケーションと表現の学び
田中 愼一
要するに、なんていうのかな、なんか一つね、お花、綺麗なお花をぼんとみんなの前に置いて、
はい、みなさんこのお花を見てストーリーを語りなさいっていう授業がある。
そうすると、当てられた子供はその花を見ながら、その花のストーリーを自分なりに語っていくっていう練習で、
その時の主人公は誰かって言うと、自分なのか、それともその花なのか、あるいはその花を置いた人なのか、自分で決めなきゃいけない。
でも自分がそういうことで表現する練習をずいぶんさせられるんですね。
で、表現すると何が起こるかって必ず反応があるわけです、周りから。
そうすると当然ながらその反応に対しても表現し返さなきゃいけない。
だからある意味で言うと、そういうプロセスを通じて相手っていうものを認識し始めるんですよね。
だからアメリカは確かに愛っていうところをしっかり教え込むけども、一方でそれをどう表現すると周りから叩かれて、
どう表現すると周りから褒められるかっていう、そういうなんていうのかな、教え方っていうんですかね。
だから日本人はなかなか欧米人と比べると表現が貧弱ですよね。弱いんですよね。大げさじゃないんですよ。
アメリカ人みんな大げさにやりますからね。
中川 浩孝
まあ確かにそうですね。
田中 愼一
大げさにやればその反動もすごいお話なんですよね。
そうするとその反動も受けるっていう教育を受けるから、徐々に相手の立場に立って考えるっていう発想もだんだん生まれてくるわけですよね。
中川 浩孝
でもなんか両輪だっていう感じはしましたね。だからその自我というものとそのコミュニケーション、相手がじゃあどう感じるかっていうのが両方アメリカではセットで教育がちゃんとされているのは分かりました。
だからそれが両輪になっていないと、自己主張だけをする人が出てきてしまったりするっていうのは。
田中 愼一
あるいは逆にね、周りにこうなんというのかな、もうそのまま囚われちゃうっていうかね。
そうですね。
まるっきり自分が存在しなくなっちゃう。そういうのもダメだし、やっぱりそこのちょうどいいバランスを取らなきゃいけないんでしょうね。
でもそれはね、小学校からしっかり教えなきゃダメだと思うんですよ。
中川 浩孝
そうですね。
田中 愼一
言葉で教えるんじゃなくて、何かの動作で教える。だから表現するっていうのはすごくいいトレーニングになるんですよね。
自分、だからそれがまたダンスに戻るけど。
高木 恵子
でも小学校の時に創作ダンスとかっていう授業ありませんでした?
中川 浩孝
なかったそんなの。
高木 恵子
私だけかな。小学校とか中学校。
田中 愼一
ある?あれ?
高木 恵子
ですよね。
ゲスト A さん
あったあった、やりました。
高木 恵子
小学校とか中学校の時に創作ダンスって体育の時間にあった。
田中 愼一
自分で勝手に踊ればいいんですか?
高木 恵子
そうです。自分で何かその創作ダンスだから。考えて踊る。
田中 愼一
考えて踊るんですか?
高木 恵子
うん。だから考えてっていうかそのダンスをね。創作ダンスだから何か。
田中 愼一
そうか。考えて創作して出すわけですね。で、そういう時は何なんだろう。何がカギになるのかな。
表現としては面白いですよね。
高木 恵子
なんか授業があったような気がするし。
なんか今って読書感想文とかあるんですかね。読書感想文、それからなんか創作、その読書感想文以外にもその作文っていう授業ってあるのかな、宿題とかって今でもあるんですかね。
田中 愼一
あるでしょうね。小学校いたのはずいぶん昔だから。
高木 恵子
そうですね。でも夏休みとか冬休みって必ず最後読書感想文とかその作文とか。
中川 浩孝
読書感想文ってありましたね。確かに。
高木 恵子
すごい大変じゃなかったですか。
田中 愼一
ありましたね。大変でしたね。
高木 恵子
大変でしたよね。今ってどうなんだろうと思って。
でもその大人になって考えると、あれもだから訓練になってましたよね。本読んで自分の感想文を書くとか、っていうのもなんか表現をするっていうことの。
田中 愼一
僕が一番表現を学んだっていうのはやっぱりね、中学2年から高校2年の間寮に入ってたんですよ。
で、もともと一人っ子だから話ベタっていうのと人見知りするのと、それはコミュニケーション取るのがダメだったんですよ。
で、中学2年の時にですね、寮にぶち込まれてね。
で、両親は海外に行っちゃったから、だから寮生活をだから4年やったのかな。
で、その寮っていうのが基本的にはね、中学高校全部一緒の寮なんですよ。
で、全寮制じゃないんだけど、少なくても僕がいた寮は何人、どれくらいいたんだろう、150人か200人くらいいたのかな。
で、えっとね、4人部屋。
で、中学1年から2年、3年、高校1年から3年まで全部で、だから6学年がその中にうわーってこう入るんですよ。
で、その時に初めて、なんていうんですかね、いわゆる自分自身のコミュニケーションっていうか、つまり自分自身をどう表現するかとか、どうするのかっていうのを徹底的に叩かれましたね。
あれがなかったら僕は今頃、なんですかね、のたれ人死んでんじゃないかと思うぐらい、人間としてはダメだったでしょうね。だってコミュニケーションは取れなかったからね。
高木 恵子
今からは想像つかないですよね。
田中 愼一
いや、どうでしょうね、わかんないけど、特に日本に帰ってきてから、ローディシアというところに行ってたんでね。で、そこで結構チャレンジングだったんだけど、結構逆にそれを乗り越えることによって非常に元気が出て、
その時の6年間は楽しかったんですけど、日本に帰ってきたらまた逆差別を受けちゃうんですよ。つまりローデシアにいた時はお前白人じゃないだろうっていうふうに逆差別を受け、今度日本に帰ってきたらお前中途半端な日本人だなって言われて逆差別を受けるわけですよ。
だから結構ダブルで差別っていうのを受けてて、で、その中でやっぱり基本的にはですね、だからコミュニケーションがちょっと苦手、人と接するのが苦手っていう感じになった。
でも親も偉いもんで、そこの苦手もわかってて、じゃあこいつはとにかくぶち込んどいてもいいだろうって。男子寮ですからね、男だけの世界にしかも中学1年から高校3年までの差のある連中があって、毎日過ごすわけですよ。
で、なんか勉強してなくてサボってたらね、寮をウサギ跳び10周とかね、助けられて。
で、舎監もいたし、今だったらパオハラ大変だと思うけども、あの当時はね、結構本当に悪いことすると殴られるんですよ。先生から。
で、僕は基本的には殴られた、僕の責任で殴られたことはないんだけど、自分の友達が舎監の先生と喧嘩というかね、怒られて、で、僕が泊めに入ろうと思ったら舎監の先生が僕を殴ったっていうのがあったんですよ。
とばっちりを受けたっていうのはあったんですけどね。でもまあそういう中であのずっと生活していると徐々にどうやって違う人間とこう付き合っていけるのかとか、自分はどう対応しなきゃいけないのかとか、自分はこういうことやっちゃいけないなとかね、だからそういうのを学べるんですよね。
だから多分そこあたりが一番大きかったんじゃないかと思いますよね。あの僕のトランスフォーメーションにおいては。で、そこから大学だから、まあ大学はね、あのまあ普通にね、そういう意味ではそこでの経験があったから、人とこう逆にまともにもっと話せるようになったというか、逆になっちゃったかな。今度は話しすぎ?
たぶんね、そこが逆、だから大学で全部うっせきしてきたものっていうのと、一斉に大学で爆発しちゃったんですよね。
中川 浩孝
それはありますよね。私もでも男子校だったので、なんか大学に行った時にやっぱり環境がなんか全然違ったので、なんかおーっていうなんか。
田中 愼一
そうでしょ、男子校ってそうなるでしょ。もう男子校なんかもううわーって男女驚愕だーなんて思っちゃって。で、もう初日の時に説明会受けてる時に、あのナンパしましたよ、もう即。
で、即断られてショック受けて。あ、そうか。あの手軽に声かけちゃいけないんだっていうのは初めて。
日々学びがあったわけですね。日々学びですね。あれが大学入った一番初めの学びですね。
やっぱりそれはまずお友達になってしっかりとやって、初めからナンパするような不届き者じゃダメなんだっていうのを非常に。で、それをニヤニヤ、高校からの友達も入ってたんだ一緒に。ニヤニヤ笑ってて、こっちの失敗をですね。
だからまあそういうとこから人間って育つんですね。
高木 恵子
あ、でも私も似たような経験があって、私は女子校だったんですけど。
で、大学は完全に女子が少ない理系の大学に行っちゃったから、すごいギャップがあって。で、女子だけでもう何でも話してたから、その大学行った時に多分その話、何て言うんだろう、話す内容がやっぱ女子校っぽい内容が最初の頃って自然に出ちゃうから。
男の人が、男子学生がいっぱいいたから、本当に変な人からすごいかっこいい人まで本当にいっぱいいろいろいて。
それで、みんなで学食で結構1年生の最初の頃とかで話してるときに、本当に私たちの同じグループの中にシブガキ隊のモックンに本当にそっくりな、わかりますよね、あの当時のシブガキ隊のモックンって本当にかっこいいじゃないですか。
別に私はシブガキのモックンのファンではなかったんですけど、でも本当にあの綺麗な顔立ちのいて、同級生に同じクラスになって、で、学食でいつもだからみんなでなんか最初の頃って友達になるのでご飯食べるじゃないですか、お昼でもお茶でも。
で、そのときにあえて、じゃあA君としときましょう。名前言ってもしこれ聞かれたら困っちゃうし。
いやーもうA君ってさ、本当モックンみたいで、喋らないとモックンみたいにかっこいいよねって私としてはすごい褒め言葉なんですよ。
田中 愼一
褒め言葉だと思いますよ。
高木 恵子
ほんとすごいモックンに似てて、もう話さない、喋らなかったら本当モックンみたい、超かっこいいよねって私は素直に女子高の時みたいなトークだったかもしれないけど、そういうふうにストレートに表現をしたら、私は怒られたんですよ、彼にA君。
田中 愼一
要するに黙ってたら?
高木 恵子
そうそうそうなんですよ、お前は今俺に喋らなかったらかっこいいって言ったな、喋らないってことはお前は俺を人間として認めてないんだって。
中学寮での経験
田中 愼一
怒られたの?
高木 恵子
すごい言われて。
田中 愼一
いいと思って言ったことが逆に怒ってきたっていう。
高木 恵子
そうなんですよ私。
田中 愼一
これは結構すごい体験ですよね。
高木 恵子
そうなんですよ。
田中 愼一
体で覚えた相手の反応。
高木 恵子
これってもしかしたら女子高の時のトーク癖というかトークの身についちゃってて、これはいけないなってすごい大学1年生の時に。
田中さんの最初の経験と同じくらい大学1年生の最初の頃に、これはちょっとちゃんとしないとってすごい思いました。
田中 愼一
本当に。
Aさんはどうなの?男子高、女子高じゃないですかね。
ゲスト A さん
突然。私も女子高です。
田中 愼一
本当に?
ゲスト A さん
そう。
田中 愼一
ここにいるのみんな。
高木 恵子
男子高と女子高ですね。合コンしてたら出会ってたかもしれませんよね。年が違うのか、田中さんと。
田中 愼一
ごめんなさい、私がちょっとだいぶ違うんです。
でもさ、これ面白いな。一度議論したいですね。女子高VS男子高って。
高木 恵子
いいですよ、いいですよ。
田中 愼一
男子高って何なのか、女子高のメカニズムはどうなっているのかとかね。
ゲスト A さん
女子高は面白いですよね。
高木 恵子
楽しかった。すごい楽しかった。
ゲスト A さん
最高だった。
本当に私高校時代が一番楽しかったです。
高木 恵子
そう、私も楽しかった。大学時代もそれなりに楽しかったけど高校はまた。
全然違う。
田中 愼一
マジで?
高木 恵子
楽しかった。
田中 愼一
ひろちゃんどうだった?高校生時代が一番楽しかった。
中川 浩孝
私もでもどうだろう。全然違う楽しみですよね。
田中 愼一
ああ、そうね。
ゲスト A さん
何?全然わからない。
中川 浩孝
高校生の時はやっぱり何て言うんだろう。何にも気にしなくていいというか、それこそフィルターがないというか、さっきのけいこさんじゃないですけど、みたいな感じ。
でもやっぱり大学に入ると、いろんな人がいるというか、高校の時と比べるとやっぱりダイバーシティが高いというか、いろんな人がいるので、やっぱり発言とか言い方とか気をつけちゃうというか、自分から少しストップするというか、そういうところがあったような気がします。
私、大学で実はその大学のゼミに入るまで、本当なんか人とコミュニケーションできなくて、全然しゃべらない。あの人は変わった人だくらいに多分、変わってるんですけど、変わった人だって思われてたと思います。
田中 愼一
何で変わったの?ゼミに入った瞬間に。
中川 浩孝
何かね、あまりにもチャラチャラしていたのかな、なんか周りが。自由感がすごい高くて。
田中 愼一
すみません、俺もその一人でした。
中川 浩孝
こういうことが勉強したいというふうに思ってたので、なんかもう少し授業に勉強したいなというのがあったので、なんかちょっと違うなと思って、あんまり実は友達になれなかったというのが私は。
でもゼミ。
ゼミに入ることで友達ができる
田中 愼一
ゼミに入ったから、いわゆるチャラチャラしてないのが増えてきたってこと?
中川 浩孝
チャラチャラしていないというよりも、もっと話すというか、もっと深く話せる時間がやっぱり長くなった。
やっぱりほら普通に大学生の場合はね、いろんな授業みんな取るから、なんかやっぱりずっと一緒にいる時間が長いわけじゃないじゃないですか。
結構作らないと、さっきみたいにけいこさんランチ一緒に行くとかしないと。
でもゼミの場合は否が応でも一緒にいる時間が長くなるので、そこで少し深い付き合いができるようになったということで、友達ができたという感じで、それまでは私意外と寂しい、なんか家と学校を往復するみたいな学生生活を送っていました。
田中 愼一
いいんじゃない?ひろちゃん、俺もそんなようなもんだからさ。
中川 浩孝
ナンパしてるじゃないですか。
ゲスト A さん
でもはい、ちょっと今の話聞いて、ちょっとワイガヤに戻していいですか?
中川 浩孝
もちろんです。
ゲスト A さん
いやなんか、やっぱわいがやの効能って、人との関係構築にすごいいいなって今思ったんですよね。
だからゼミに入るまではチャラチャラした人が多くて、なんかちょっといまいち合わないなみたいな、ちょっと自分を閉ざしてしまうけれども、ゼミっていう共通のテーマがあって場があって、一緒に時間とか体験を共有するっていう場だから話せるわけですよね。
自分を開いて。やっぱそのワイガヤも、部署とかバックグラウンド関係なくその場に集まって、ある意味自分を表現できる場であったり、
そのなんていうのかな、自分が大したこと考えてないなって思ってても、なんかね自分が言ったことに対してみんながどんどん掘ってくれたり聞いてくれたり、なんかねそれを扱ってくれるっていうその体験はやっぱ自分の居場所があるなって思えるし。
中川 浩孝
なるほどね。いいですね、自分の居場所っていうのは。
ゲスト A さん
すごく面白い。だから、この間のエピソード14まで、ワイガヤにはみんなでノリノリで、ノリさんっていうアイデアをどんどんかぶせていくキャラクターの人と、それに対してある意味クリティックをするケチさんっていうキャラクターの人がいて、
それってある意味キャラクターだから、全然人物が固定してなくていいんですよね。その場面場面でどんどんアイデアを乗れる人にもなれるし、また場面が変わったら今度自分がクリティックをするケチさんになれるという場もあるんですけど、そのケチさんっていうキャラクターを自分がやるにしても、あるいはそのケチさんに何かを言われるにしても、なんかねすごく安全な場なんですよね、ワイガヤって。不思議と。
全然ディベートっぽい感じにもならないし、ちょっとひねった問いがワッとくるんですけど、それについてみんなで何かちょっとそれを乗り越えようみたいな感じでアイデアをかぶせていくとか、そうなってくるとまたそのケチさんもだんだんその場の流れに吸い込まれるように一体になっていくっていう。
さっきのブルースリーのビーウォーター的な。なんかね感じがすごいあるんですよね。
中川 浩孝
しかも全体としてだからまとまったというか、みんながウォーターになった状態なんですねきっとね。
ゲスト A さん
そうだと思います。
田中 愼一
やっぱりAさんが言った安全という言葉は僕すごい重要だと思う。
安心してちょっとしたことでも表現できるっていう。
その安心感っていうのが、しかもちょっとしたことを出すと積み重なっていくわけですよ、他のところがみんないじってくれるから。
どんどんどんどんこう上がっていく。それがね、なおさら安心感をどんどん醸成していくから。
それは非常に、だから自分の居場所っていうのもいい言葉ですね。
やっぱり自分の居場所ってことは一人一人がそれぞれ自分の居場所を持って語ってるっていうのはもう完全に安心感というか安堵感。
中川 浩孝
確かにそうですね。
田中 愼一
だからまさにAさんが言ってたその議論とかディベートとか全然違うんだよね。
あと普通の会議ともね。
そういう意味では人間関係が間違いなく出てくるでしょうね。
面白いね。
ゲスト A さん
とにかく面白い。
田中 愼一
世界がワイガヤ始めたら世界は平和になると。
わいがやの効能と自分の居場所
中川 浩孝
いやでも本当そうですね。
田中 愼一
みんながそれぞれの自分の居場所を見つけて、安心して、会話が、対話が好きなようにできる。
素晴らしいじゃないですか。
ゲスト A さん
ぜひ田中さんの娘さんの小学校でワイガヤ広めてくださいよ。
田中 愼一
ワイガヤ広め隊。
じゃあ一度Aさんにも来てもらってワイガヤ広め隊のね、首謀者としてですね。
いやーどう小学生の間でワイガヤを広めるか。
でもそのぐらいのところから始めた方がいいかもしれないね。
絶対みんな面白いと思う。
ゲスト A さん
人生面白くなると思う。
田中 愼一
そう間違いなく人生面白くなる。ワイガヤで人生面白くなる。
36:25

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