中川 浩孝
コミュニケーション力を究めるゴールデン・トライアングル。 仕事でコミュニケーションを扱う3人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、コミュニケーションとは何かを一緒に考えていくポッドキャストです。
田中 愼一
みなさん、こんにちは。コミュニケーションを極めると自分が見えてくる、世界が見えてくる。 コミュニケーションの世界に携わって、はや40年以上。
コミュニケーション命、シン・田中こと田中愼一です。よろしくお願いいたします。
高木 恵子
SEからPRコミュニケーション業界に転職して約30年、高木恵子です。
中川 浩孝
外資系企業でマーケティングを経験してきたアメリカ在住、中川 浩孝です。
田中 愼一
よく僕はこの場でも話してますけども、いろいろな思いつきとか発想っていうのが、やっぱり午前中一番強いんですね。
しかもそれ考えてないときがいいんですね。
例えば僕の場合はシャワー浴びてるときが一番物事を考えないんですよ。
そうするとドカドカ降りてくるんですね。
降りてくる原因は、僕の説によると、無意識が寝てるときに働いていて、
だから昨日の寝る前までいろいろ考えてきたことっていうのが、
寝始めると今度は無意識が出てきてですね。
意識が寝ちゃって、無意識が出てきて、その意識があったときに考えていたことを再整理する。
そういう機能があると僕は勝手にそう解釈し、信じてるわけですね。
そうすると、信じると人間はいろいろな作用を生み出すんだなってわかるんですけども、
それを今言ったような無意識の働きを信じると、僕の場合、朝いろいろな発想が降りてくるんですね。
無意識さんが一生懸命考えてくれたことをですね、一種のAIみたいな感覚。
こっちがインプットしたら、それがもっと整理されてボンと降りてくる感じですかね。
だから無意識AIとでも呼んでください。
無意識AIさんから降りてくる、今日の第一の言葉っていうのが、
嘘の共有っていう言葉が降りてきたんですね。
で、なんでこんな嘘の共有が降りてきたのかなって。
嘘は俺嘘つきじゃないぞなんて思いながら、
あ、でも実は俺嘘つきだなーって思い、いろいろ思考してるうちに、
何が原因でこういうのが来たのかなって言ったときに、
数日前、これ今週ですよね。
ワシントンにウクライナの大統領のゼレンスキーとヨーロッパの首脳が対峙して、
ワシントン詣をし、トランプと話して、いわゆるプーチンとのどう取り持つのか。
いわゆるウクライナとロシアの戦いを終戦させるのかっていうところで集まったわけですよ。
前回はご存知のように記憶にあると思いますけど、
ゼレンスキーが徹底的にいじめに遭いましたよね。
トランプともう一人の副大統領に。
それは世界中が認知していて、それがみんな、たぶん世界中の人たちは頭に入ってるわけですよ。
だから、今回はどうなるのかなと。どういういじめがあるのかな。
あるいはどういうふうにゼレンスキーが対応するのかな。
トランプどうするのかなって、みんな虎視眈々と興味深く見てたと思うんですね、世界中が。
で、出てきたシーンっていうのがですね、実にトランプを持ち上げる。
これ以上持ち上げてもどうにもならないんじゃないっていう。
肝心のトランプも照れてるような表情があるぐらいの。
もともとあの人は持ち上げてもそれは当たり前だと思う。
たぶん性格の人だと思うんだけど。
今回ばかりは周りからケンカ別れしたようなゼレンスキー、
さらにはヨーロッパの首脳ですよ。
ドイツ、フランス、両国、英国、いわゆるヨーロッパが全部来たようなものですよ、首脳が。
彼らの言葉がみんな持ち上げるっていうね。
これがね、たぶん何か引っかかってたんですね。
なんでこんなことになってんのと。
戦争はどう見たってプーチンのほうが仕掛けてきて、
で、ドンパチやってるわけで、
本来ならば、普通だったらトランプを責めてるはずですよね。
もっとしっかりとプーチンに言ってくれなきゃだめ。
それが逆に褒めて褒めて褒めまくりっていう。
これが非常に今でも僕は不可思議な現象として、頭の中に入って、
その中で数日後に降りてきた言葉が嘘の共有っていうことなのか、
っていうふうに今解釈してるわけです。
田中 愼一
もっと言うと嘘と言い切っちゃいけないんでしょうね。
解釈っていうものがいろんな解釈があって、
これは確実に真実に基づいた解釈っていう世界もあるし、
これは明らかに妄想という世界もあるけど、
一番ややこしいのは、その真ん中にグレーゾーンがあって、
クリアーにこれ妄想、これ真実って分けられない世界が、実はコミュニケーションの世界なんだ。
もっと言い方を変えると人間世界なんですよね。
だからここに来て、さっき嘘の流行って言葉を出したんですけども、
それにより火がついちゃってて、
だからこれトランプとかヨーロッパの首脳とかゼレンスキーの問題だけじゃなくて、
たぶん我々の中でも、今SNSっていうのはいろいろ流行する中で、
過激な発言とか、え、こう解釈すんの?とかいうちょっと驚きの解釈がどんどん生まれてるってことは、
やっぱり解釈っていう、まず中にですね、
そういう妄想的な要素の強いもの、弱いもの、様々なものがあって、
それを我々はどれを選ぶのかっていうチョイスはできると思うんですけども、
ここ最近そのチョイスを考えたときに、
過激なもの、これ明らかにフェイクだろって思うような、
妄想だろっていう要素が増えてるなっていうのが、一種の警鐘として僕の中に降りてきたんですよね。
ってことは、逆に言うと僕も日々コミュニケーションの仕事に携わってるってことは、
そこに妄想が入り込んでくる。
でもその妄想は必要枠の妄想っていうのもあるわけですよ。
つまり世の中の味方にどういう解釈を与えるかによって、
人間って元気になったり元気をなくしたりするわけですよ。
自分の目の前で起こっている風景をどう解釈するのか、
どう意味付けるのかによって自分の元気度合いっていうのが影響される。
これ人間の本質なんですね。
そうすると、人にものによってはあえて妄想を入れることによって、
自分を元気にしていくっていうことっていうのは、
日常茶飯事的に行われてるんですね、人間世界の中に。
でも、いまいちどそういうもんだっていうのを再確認する人間社会。
っていうのがやっぱりすごく求められて、
特にいまいろいろ過激な解釈をする人、
つまり今までにはないような事実に対する解釈をする人が、
なんか声がよく、特にSNSなんか見てると出てきてるなーって。
それがもうSNSの世界だけじゃなくて、
いまトップリーダーの人たちの間でそういうことが起こってるっていう事象が現れてるんで、
これはなかなか心配しなきゃいけない話なのかなーっていうふうには感じてますね。
どうですか。
妄想チックな僕が語るのも、またさらなる妄想チックに輪がかるのかもしれないですけど、いかがでしょうか。
高木 恵子
いや、なんだろう。でも、こういう言い方は変かもしれないけど、
トランプさんみたいに分かりやすく嘘をつく人は、ある意味私は正直だと思うんですよ。
でも、やっぱ昔から周りには、
すごい、何だろう、普通にいい人っぽく見えて、すごい嘘をついてる人っていましたよね。昔から。いませんか。
いましたよね。
田中 愼一
僕も含めています。
高木 恵子
だから、そういう意味で言うと、逆に、
私は正直なんだと思うので。
田中 愼一
正直な嘘っていうのがすごく面白い言葉で。
高木 恵子
分かりやすいですよね。
田中 愼一
分かりやすい。めっちゃ分かりやすい。
高木 恵子
分かりやすいから、逆に対応ができるじゃないですか。
田中 愼一
どこで嘘ついてるかは明確に分かるからね。
高木 恵子
対応というか、それに対して、自分が歩み寄るのか、もう絶対こういう人は嫌だわってなるのかっていう、人間どっちかですよね。
だから、そういう意味で言うと、やりやすいような気はするんですよね。
そういう対応をする人が増えてきてる。
もし世の中になってるんだとしたら、逆に私はやりやすいなって思う。
でも、昔は逆に、この人って実はこうだったとか、
この人にこんな風にされちゃったっていうのって、意外と分かんない。
私は多かったんで。
そこって、自分も若かったから、人を見抜く力がなかったのかもしれないけど、
でも、昔はそういう人の方が多かったような気がするから、昔の方が私はコミュニケーションが大変だった。
今の方が、自分も年を重ねてきたっていうこともあるかもしれないけど、
大体、この人私に合うかな、合わないかなとか、
そういう自分の最初の直感というか印象で、それが比較的当たるから、
そういうコミュニケーションを気付いたりし始めたりっていうことが、やりやすくなってきてるっていうのは、私の、すいません、今の。
田中 愼一
いや、あの、名言ですよ。正直な嘘っていうのは。これはね、名言ですね。
ヒロちゃんどうですか?
中川 浩孝
いや、なんか私は、嘘なのか嘘じゃないのか、さっきもちょっと話出てましたけど、わからないというか、
そもそも政治の世界なんて嘘だらけじゃないですかっていうのが、私の政治に対する見方であって、
なんか別に、じゃあ日本の政治家がみんな本当のこと言っているかって言ったら絶対違うっていう、
そこは悲しいことっていうか、みんなそういうふうに思ってしまっていること自体は悲しいことなんですけれど、
なんかそういう意味では程度の差はあれ、みんな嘘ついてるよねっていうところから言うと、
もうなんかヨーロッパの人たちはその、多分もう少し正直ベースというか、少し進んだ、もう少しなんでしょうかね、
こう違う、次元の高いところの話ができるところまで行っていたんだと思うんですけれども、
それではもう立ち行かないということに気がつき、結局同じレベルまで降りてきて話をしているっていう感じなのかなって私は。
田中 愼一
なるほど、あれは同じレベルに降りてきたわけですね。
面白い。
中川 浩孝
結局さっき田中さんも言っていたように、多分あの方法でやるのが一番、トランプさんとうまくやる方法なんですよね、きっと。
田中 愼一
まあ多分ね、僕なんかもよく使うというか、気持ちはわかります。
ゼレンスキーや欧州の首脳の人たちの。
中川 浩孝
だからもう、方法はさておき実を取るっていう方に、きっと彼らはシフトしたんだろうなっていうふうに私は完全に捉えました。
逆に言えば、攻略法がもうわかったっていうふうに、私は感じたんだろうなっていうふうに思ったんですよね。
田中 愼一
まあそうですね、その攻略法っていうのが成功したかどうか、これから結果すぐ出てきますよね。
それは面白い話ですね。
田中 愼一
で、今その中で嘘が前提って言って、何が嘘なのかなって考えたときに、
コミュニケーションの視点から見ると、言葉は嘘をつくんですよ。
だから言葉っていうのは、やっぱり言葉でコミュニケーションをとる限りは間違いなく嘘は入ってくると思うんですね。
あるいは嘘をつかざるを得ない状況になっている。
だから言葉っていうのは嘘をつくっていうふうに、今話を聞いたらちょっと思いついて、
じゃあ嘘がつかないもんってあんのかっていうのを考えたら、実は心は嘘つけないんですよ。
心っていうのは。
だから人間同士のコミュニケーションっていうのが言葉で行われている限りは、
基本的には今言った嘘が介入してくる。
じゃあ言葉じゃないことでどうやってコミュニケーションをとるんだと、人間っていうのは。
そうすると実は非言語なんですよ、あとは。
そうすると非言語表現ってどこから生まれるのかっていうと、正直言うと心から生まれるんですよね。
心っていうのが全て非言語で表現されるんですよ。
これ昨日トレーニングやったからまたわかるんですけど。
散々非言語の質問が出たんで、色々答えていくうちに、
僕自身も非言語に対する考え方が整理されてきたんだけども。
非言語っていうのは9つあるって言われていて、
その9つっていうのがですね、いろいろあるんですけど、
今こう見るとですね、まず人体。
つまり、遺伝子的なものを含めてその体、自身ですね。
これ自身が非言語。大きい人、小さい人、っていう人体が出てくる。
当然ながら女性か男性かっていうのもありますよね。
だから人体そのものが。
それから二つ目がですね、これがいつも言われている動作。
身振り手振りも含めた動作っていうのも、いわゆる非言語のメッセージを出す。
それから周辺言語っていう言葉があって、
いわゆる話し言葉に付随する音声。イントネーションとか。
そういうのも実は三つ目の周辺言語っていうのがある。
で四つ目がですね、これ目つき。目の動き。目は本当に物を語るんですよ。
だからいくら言葉で嘘を言っても、目を見るとこいつ嘘ついてるなってわかるようにね。
それからあとね、沈黙っていうのが。
つまり沈黙することが、それものが非言語なんだと。
何らかのメッセージを相手に発信してるんだと。
だから沈黙は金なりっていう言葉あるんだけども、あれは正しいんです。
沈黙は一つ金と同じぐらいの価値のある非言語発信なんですね。
それからあと身体接触ですね。
これは日本で言うと、欧米で言うと握手とか、
それから握手の強さで相手を判断するとか、信頼するかしないかとか。
日本で言うと、今やったらセクハラって言われちゃうかもしれないけども、
いやーなんとかちゃん元気かーって肩を叩くとかね。
ああいう身体接触ね。
それからもっと面白いのは7つ目のは、対人空間って言葉で表現されてるんですけども、
つまりコミュニケーションが行われる場の設計。
つまり場っていうものがメッセージを出すんですよ。
これ言語じゃないですから。
だから場の設計ってすごい重要で、
コミュニケーションの世界でも場の設計っていうのは一つの伝達チャネルとして考えるわけですね。
それから8つ目が時間。
これは2つの時間軸があって、
1つは文化的な時間軸って言われていて、
つまり文化によってですね、話し方のスピードが違うんですよ。
説明の仕方とか。
高木 恵子
ああ、文化に。確かに確かに。
田中 愼一
いろいろな意味で時間軸的なね、
文化っていうのは、それぞれの国の文化っていうのは時間軸が違うっていうのは、
だから物の理解の仕方とか話し方とか、いろいろな形の、いわゆる文化的なことを背景とした時間に対する感じ方の違い。
感じ方です、あくまでもね。
で、もう一つのが生理学的、生態的な時間っていうのがあって、
人間にはいつ頃になると、まあ人それぞれなんだけども、朝起きたときは気分が優れないとかね、
逆に朝起きてるときはすっきりしてるとかね、
夕方になると生理学的にその時間っていうものの感じ方が変わってくるんですよ。
それもいわゆる非言語で、最後がね色彩、色。
だからこういう九つのものっていうのが、実は全て心の在り方が一挙に今言った九つの部分に影響を与えるんですよ。
一つだけじゃないでしょ。もう全て九つ。
だから心の在り方が目つきに出てくるし、言葉のトーンにも出てくるし、
言葉の大小、大きい小さいにも出てくるし、動作の在り方にも出てくるし、
今言った九つの部分に、どこで沈黙が入るかにも出てくるし、
それがぐわーっと非言語としてぐわっと入ってくるわけです。
そうすると、嘘のない世界をもし仮に求めるんであれば、
理屈っぽく言うならば、心と心が通じればいいんですよ。
言語を挟まない、非言語にある心と心の交流ができると、
これは非常に高度なコミュニケーション、嘘のつかないコミュニケーションになってくるわけです。
そうすると、実はもう一つの言葉が降りてきたわけですね。
シャワーが終わる頃かな、今度。
これは仏教用語なんですけど、「涅槃妙心」というのは、涅槃の境地ってよく使うんですけど、
お釈迦様が亡くなられるときに、心穏やかになって落ち着いて、
すべてが静寂の中で清らかな気持ちになって、
涅槃の境地に入っていく。
妙心というのは、妙という漢字がありますよね。
妙な心、妙心。これは言い方を言うと非常にいい意味で使ってるんですけども、
摩訶不思議な心だって意味ですね。
これ妙だなーっていうのは、摩訶不思議だっていう。
田中 愼一
だから非常に、仏教でいうと一つの境地で、心が徹底的に落ち着いて安定して、
静かで清浄で綺麗で、それが本当に摩訶不思議な心っていうね。
で、この涅槃妙心という言葉を思いついたときに、
今言った言葉を介さないコミュニケーションの一つのエピソードというのが降りてきたんですね。
これはお釈迦様と、お釈迦様には十大弟子って、十人の優れたお弟子さんがいて、
その一人に迦葉っていう弟子がいたんですね。
これはですね、有名な言葉があるんで、
ここはポッドキャスティングなんで、漢字はなかなか出られないんですけども、
その迦葉というお弟子さんが、実はお釈迦様が説教しているときに、
お釈迦様は言葉を使わずに花を折ったんですね。
ちょこっと花の動きを折った瞬間に、その迦葉という弟子がですね、微笑むんです。
その微笑みを見たお釈迦様が、迦葉に私の教えを伝達したっていう言葉を言うわけです。
そこには言葉の交流は何もないんです。
ところが、お釈迦様がその花をちょっと折ったという、
これは完全に非言語ですよね。
事象というものを、隣にいた迦葉という十大弟子の一人がそれを見て、
で、微笑むわけです。
で、その微笑みをお釈迦様は見て、
お釈迦様が私の教えは迦葉に継がせたっていうような逸話があるんですね。
これは仏教用書に書いてあって、
これを拈華微笑という難しい漢字なんでこれ以上説明しませんが、
一つのエピソードとしてあるんですね。
で、これなんかは心から心っていう発想なんですよ。
言葉を絶対返さない。
で、もともと仏教は言葉っていうものに対して懐疑的なんですね。
それはもともと心が嘘をつくからだと思うんですけども、
あ、心じゃなくて言葉が嘘をつくからだと思うんですけど、
言葉っていうのは、いわゆる分別知っていう、分別する。
一番の煩悩の一つが、分別すること。
ものを分けるってことなんですよ。
ものを分けて考える。
で、言葉っていうのは分けますよね。
これは鉛筆です。これは何です。
だから言葉を使って伝達するっていうのは、
基本的に本当の意味での悟りを伝達されたっていうことではなく、
言葉じゃないもので心と心が通うっていう、
これがいわゆる仏教の一つの教えで、
まあ他の宗教もそういう考え方はあるみたいですけど、
僕はまあ仏教しか知らないんでね。
で、仏教の中ではそういう伝統みたいな考え方がありますね。
言葉っていうものっていうのは、あくまで人間が作り出した妄想っていう発想ですよね。
言葉で作ったイメージとかいうのは、ある意味妄想に近いっていうような発想を持ってるかな、
僕の仏教観を見るとね。
だからそれが、今だから心から心ってのは結構高度なんだけども、
僕に言わせれば非言語なんですよ。
だから基本的には自分の心を本当に落ち着かせることができたら、
それはもう間違いなく自分のありとあらゆる非言語チャンネルを通じて、
外に出てって、人の心を動かす。
ある意味で言うと、
昨日だったかな、コミュニケーションのトレーニングをリーダーの人たちに施してたときに、
ストーリー性をもって語れっていう表現を言ったんですよ、みんなにね。
単に理屈、事実はこうで、理屈はこうで、だからこうですっていう、
それは重要な知識の提供であるんだけども、
それだけでは人の心は動きません。
だからそれを説明するときに、やっぱりストーリー性を持たせて語る。
人はストーリー性で動くんですよ、人の心っていうのは。
だからストーリーを持って語らなきゃダメですよって言ったときに、
そこで受講者の人が、いやストーリー性ってわかるけど、それどうやって言うんですかって言うと、
僕はいつもストーリーはどういう性質のものかっていうのを教えるときに、
いやストーリーっていうのは人に語るもんじゃないんです。
自分に毎日語り聞かせるものなんだと。
つまり自分の心に対して、とにかくしっかりと自分はこういうストーリーを持って、
こういうミッション、将来こういうことを一つの課題として認識し、
で、なぜそれを課題として認識したかっていうのを、
自分の今まで生まれてから今日までのいろいろな人との出会いとか、
いろいろな事象との出会い、いろいろな課題、解決、悩んだこと、
さまざまなものっていうものがあったからこそ、
今こういう将来の課題に対して向き合って、実際行動をとっているんですっていう意味で、
将来を見渡し自分の過去を意味付け、今を行動する、語るっていうのが、
ストーリーを作るときの一番初めの骨子なんですね。
それに基づいてみんな作っていくんですけども、
そのストーリー性というものが明確に自分に言い聞かせられて、
自分の中に暗示としてかかって、自分のストーリーを明確に持つ段階になると、
そのストーリーによって心がほぼ定まっていくんですね。
そうすると、言葉だけじゃなくて非言語がしっかりついていくんです。
だから非言語の世界って、まず心をマネージすることなんです。
心をマネージすると、頭で考えちゃダメ。
心でマネージすると、非言語が動いてくれるんですよ。
頭でマネージすると嘘が出てくるんですよ。言葉というものに頼ると。
だから言葉も重要なんですよ。
でも言葉がメッセージにおいてどれだけ重要かというと、30%しか重要じゃないんですよ。
あと残りの70%は非言語によって相手に伝わるんです。
それはどっちかというと心から心への伝達で、言葉を通じた伝達じゃないんです。
だから心は嘘つかない。
田中 愼一
今日午前中に朝降りてきたから、6時半ぐらいかな。
それでずっと、これは今日話すのには結構いいネタかなっていう話ですかね。
いかがでしょう、そこあたり、ご感想、反対意見、批判、なんでも構いません。
田中 愼一
嘘だと言っていただいても構わないし。
中川 浩孝
いやーまあでも、もちろん、仕組みとしてそうだろうなっていうのは理解できるんですけれど、
やっぱり心をマネジメントするのってすごい大変ですよね。
だからこそ、普段から毎日やっぱりトレーニングするというか、それが自然な状態というか、
何かそれを無理なことをするんじゃなくて、それが自然だという形に。
田中 愼一
自然な状態になるのが一番なんですよ。
中川 浩孝
っていうことですよね、やっぱりね。
田中 愼一
そうですね、基本的には。
だから毎日それをやっぱりやるっていうことが重要で、
一種のルーティーンがね、なんで今結構流行ってるかっていうと、
やっぱりその心のマネジメントなんですよ。
やっぱり自分の心をマネージすることが人生の中で一番困難なんですよ。
だから、頭でいくら考えたってね、心はマネージできないんですよ。
心言うこと聞かないから。
だからその心をどうマネージしていくのかっていうのは、
生きていく上で非常に重要なポイントなんだなと。
しかもそれは単に宗教論とかね、理想論とか抽象論の世界じゃなくて、
コミュニケーションから見れば、非言語という、
間違いなく人間が非言語を通じて7割ぐらいの自分たちの表現を表現してるわけですよ。
それは作用を間違いなく持ってるんですよ。
相手の心を動かすっていう作用を。
これはね、もう事実、真理なんですよ。
コミュニケーションから見ると。
だから、基本的には人間社会は非言語で動いてると僕は思ってる7割は。
ところが面白いことに、意識してる人少ないんですね、非言語を。
で、非言語のメカニズムもわかってない。
心で思ったことは外に伝わらないって思ってるけど、そんなことはない。
自分以上に自分を外に伝えちゃってるんですよ、非言語ってのは。
だから単に抽象論で自分の心を整理しましょうとか、
そんなこといくら言ったって起こんないんですよね。
だからまずは起こんないんだったら、実は真理だって言うんだったら、
僕は真理だと思ってるし、
やっぱり真理だっていう理屈は必要なわけです。
その理屈が今僕が説明した理屈です。
つまりコミュニケーションの使者からは、非言語というものを説明すると、
これは当然の道理なんですね。
別に科学的、非科学的なんて関係ない。事実なんですよ、真理なんですよ。
でもやっぱり真理を伝えるために、やっぱり理屈は必要なんですよね。
人間はまずは理屈から入るから。
だから理屈は、単に宗教が説くような、理屈はないですよね、宗教はなかなかね。
あんまり理屈が上手じゃないなと思うんだけど、
コミュニケーションの視点から見ると、理屈としてちゃんと成り立つんですよ。
非言語という考え方を使えば。
だからやっぱり心のマネジメントでしょうね。
だから僕なんかがこういう話をすると、これ宗教だって言い出す人がいるんだけど、
宗教とは違う。
コミュニケーションというものを追求していくと、そういう世界が見えてくるんですよ、真理ですから、これ本当にね。