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  2. 第23回【GODAI港北テニスコー..

港北支店オープニングスタッフとして学生アルバイトからGODAIに。
実はもう12年目に!
高校時代、先生にテニスが大好きな人がいて、その先生のおかげでテニスに没頭する時間を送ることができた。
テニスが大好きで、会社に来ることも楽しい!
それくらいテニスが楽しいという事を自分の魅力とともに発信したい!





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5代スポーツポッドキャスト、すぽきゃす。この番組は、スポーツを通じて、人々の健康生活の実現を目指す、5代グループの提供でお届けいたします。
はい、では今日は、港北支店、国次コーチに決まりました。よろしくお願いします。
はい、国次コーチ、こうやって君とお話しするのって初めてだよね。
初めてです。ほとんどお会いしてるぐらいで、ちょっとレッスンとか。
一緒の職場で働いたこともないし、一緒にレッスンもしたことないもんね。
ないです。
でもね、何年目になった?
今年で11、12ぐらいですかね。
え、そんなに経つの?
えっと、学生の時からいるので、港北のオープンからいるので、そう考えても10年、11年。
長いね。
あれだね、古株になっちゃった。
古株なんです。
古いね。
ベテランなんです。
年齢は今?
年齢は今年で31になります。
31。31世代ってさ、なんか多くない?
多いです。
前年は今だと、博楽の石垣コーチ。
あと白石コーチ。
石垣白石。
ぐらいですかね、今とりあえず。
でもあれか、31とか32が多いのか。
そうですね、その世代が多いですね。
1個上になると。
森コーチとか、あと井出コーチとか、あと綾部コーチが1個上のコーチになりますね。
ね、なんか多いよね。
すごいびっくりです。
たまたまなのか、近い年齢が多いので。
まあね、もっといたもんね、昔はね。
もっといた。
ちょっといましたね、確かに。
もういなくなっちゃったけどね。
だいぶ減りましたけどね。
でもさ、あれだね、意外とよく考えるとそうなのか、10年以上いるんだよね。
そうですね。
ここができる時。
オープニングスタッフでちょっと。
学生の時のアルバイト?
学生の時のアルバイト。
まあちょっとね、そんな10年前の話から聞きたいなと思うんだけど。
すごい前を遡りますね。
えっと、出身は?
出身は神奈川県ですね。
神奈川県。
本当に今住んでいる場所に近いところなので、ほとんど変わってないですね。
どこ住んでるの?
広瀬ですね。
もうあれから?小学生の時から広瀬?
小学生の時から広瀬です。
そうなんですか。
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で、テニスを始めたのはいつからなんですか?
テニスを始めたのは、うろ覚えなんです。
小学校の時に、親がテニスをやっているので、両親両方ともやっているので、
父親の会社の部活に遊びに連れて行ってもらった時に、
本当に遊びな感じで何も教えてもらうことはほとんどなくて、
ただボールを突きやったり、大人に遊んでやるよみたいな感じでやってもらった時が初めてです。
あ、そうなんだ。
低学年?
小学校でも、3、4年生ぐらいの時だと思うんです。
そこから?
そこから本格的にやり始めたのは、中学からテニスを何式をやって、
部活?
部活です。やって、高校から公式をやり始めて、今現在に至っている感じです。
そうなんだ。
高校は部活に入ったんでしょう?
高校は部活に入りました。
3年間は何式やってたんだ?
中学3年何式で。
3年間何式で公式になる。
高校の部活で公式になる時って、
俺ソフトテニスやったことないからあれなんだけど、全然違うじゃん。
全然違いますね。
ラケットも違うし、
ラケットも違うし、
最初どう思う?
あいまいまに公式もちょっと遊びでやってたので、
感覚的にはただ何式すごい飛ぶなっていう。
何式飛ぶかな?
ただ軽すぎてブンブン振ってた記憶があって、
ちょっと物足りないかなっていうのはありましたね。
どっちが?
何式の方が物足りないかなって。
あ、そうなんだ。
軽いからかな?
軽いからだと思うんですけど、当時はあんまり覚えてないんであれですけど。
何式やってると前衛と後衛にポジションって分かれるんでしょ?
僕は後衛でした。
後ろだったのね。やっぱりストローク好きだったんだ。
ストローク好きでした。ずっとそうでしたね。
何式?
前衛は全然からっきしでしたね。
ボレカスってなってましたずっと。
ボレ下手なの?
ボレ下手です。
そう。
でもどうだろうね。分かれるよね。
今公式でもそれはボレ得意な人とストローク得意な人と分かれるし、
両方とも公式の場合はバランスよくできることの方が望ましいけどね。
望ましいですね。
そうなんだ。
そこから高校からもテニスずっと公式でストロークひたすら打ってましたね。
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やっぱり公式やってよかった?
公式やってよかったですね。
今の多分高校の時がよかった。
中学の時は何式やってて自分が受験をした時に自分が行きたいところに行けなかったっていうのがあって。
高校?
ただそこのテニスはあんまり強くなかったりとか部活もしっかりやってる感じはなかったみたいなんです。
実際今行ったところは先生たちが、学校の先生たちがテニスをやってる人たちが多くて。
好きだったんだ。
好きだったんです。今後の先生も、授業を教えてくれる先生とかもみんなテニスが好きで。
それで僕がテニスやるっていう話をいろいろしてたら結構先生とかにもテニスやろうぜって誘われてやってて。
すごい上手い先生もいて、その先生に毎朝30分でいいんで試合してくださいって言って。
1年2年ぐらいずっと朝授業の前に試合挑んで毎日ボコボコにされてたっていう記憶が未だにあります。
そうなんだ。
それだけただテニスに夢中になってやってたっていうのがすぐ覚えてます。
それはいい時間だったね。
先生もよくやってくれたね。
たまたまの子、全然顧問じゃないんですけど、その人は違う部活の顧問で。
ただテニスはやりたいっていう話で、すごい上手い人だったので。
それでやっていただきました、試合とか。
それは本当に感謝しなきゃいけない。
そうですね、今それがなかったら大学行ってもテニスやってなかったし、
今テニスコーチやってないんじゃないかなっていうのはすごい始まりのきっかけですね。
そうするとその3年間で公式をみっちりやって、授業の前に朝学校に行って試合するぐらいハマったんですね。
ハマってました。
そこでやっぱりテニスいいなって楽しいなって思って、それで大学に進学してんの?
しました。
大学でまた?
大学も部活をやるって決めてて、体育会に入るって決めてたんで、サークルじゃなくて。
僕が理系の大学に進学したので、理系の体育会みたいなところで、そこも4年間ずっと部活でテニスを続けてやってました。
どちらに行ったんだっけ?
東京都市大学ですね。
前は武蔵工業大学っていう。
そうだよね、名前が変わったんだよね。
変わりました。
あれ誰と一緒なんだっけ?
西谷コーチが3年のときの僕が1年。
本当に現役のときかぶってる。直続の先輩だった。
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もちろん大学のときはかぶってるから知ってるんだよね。
知ってます。
西谷コーチが博楽でやってたでしょ?
やってました。
変なことにまた移動になってこっちにいるんだけど、きっかけが西谷コーチってわけじゃないの?
じゃないんです。
バイト始めたらいたの?
バイト始めたらいるってなったんですよ。
全然やってることを知らなくて。
気がついたら博楽でコーチやってるって話を聞いて、
僕もこっちで広北でやってますよみたいな話をして。
そのときは本当に驚きだったんですけど。
それはお互い大学生だったの?
そのときは西谷コーチは大学生だったかな?
卒業してたかもしれない。
卒業してたかもしれない。
そうなんだ。
そこからまさかまたここで、しかも一緒に働くとは思ってなかった。
そうだよね。さっき事務所で背中焦りさせられた。
現役のときの先輩は、僕は先輩って呼んじゃうんですけど、
怖かったので。
今も全然尊敬できる先輩で、そのときも尊敬してる先輩だったんですけど、
雰囲気がテニスをしっかりやるぞっていう雰囲気がすごいあって。
彼もテニス大好きだもんね。
大好きです。
試合を挑んではボコボコにやられてる記憶がありますね。
今でもすげーボルツからね。
サーブとボルトって大変だよね。
大学のときからあんな感じだったんだ。
ブンブンまるだもんね。
よく入るなって心の中で思いながら、くそーとか思って絶対勝ってやると思ってたんですけど、
なかなか勝てなかったですね。
そうなんだね。まさかね。
テニスの世界っていうのは、もちろんやってる人たちが多いけど、
同じ会社に入って、それも運命的なものがあるかもしれないね。
そうですね。縁があるのかなって思いましたね。
すごいびっくりで。
縁というと、結局僕の親もやってたんですけど、親の知り合いが、
僕が学生のときに、このスクールの広報科をやってたんですけど、
僕の親の知り合いが、僕が学生のときに、このスクールの広報科をやってたんですけど、
親の知り合いが、僕が学生のときに、このスクールの広報科のレッスンに入ってくれたりしてて、
レッスンするたびに、お父さんのこと知ってるよみたいな話とか、
お母さんのこと知ってるよっていう話をされたりして、
僕がちっちゃいときのことを知ってる方もいらっしゃったりして、
そのときのこんなちっちゃかった国というか、
今コーチやってるの?みたいな話とかもやっぱりあって、
テニスってすごい縁が、テニスやっててよかったなっていう縁というのをすごい感じた瞬間があって。
なるほどね。テニスってそういうとこあるよね。
やってる人同士で繋がっていたりとか、
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その共通で、あの人知ってるよ、そこで繋がってるんだとかね。
多いよね。
多いですね。すごいびっくりですね。
お母様は一度お見かけしたことがありますけど、
今頼ってます。
受けてくれてるんだ。元気だよね。
そうですね。
本当に、何て言うんだろう、国粒コーチよりも100倍明るくしたような感じだよね。
100倍明るいです。
明るいよね。いいお母さんだよね。
本当に思ってます。
ここで確かイベントのときにご挨拶したのかな。
もうパッと明るいもんね。
本当に僕よりもすごい気を遣える人なので、
正直いつもスンってなるんですけど。
自分も気を遣わなきゃとか思うんですけど。
手本になるようなお母様だと思うんだけど。
テニスをやるきっかけをお父さんお母さんにもらって、今に至るということで。
ここを知ったきっかけっていうのが?
ここを知ったきっかけは大学の部活の顧問の先生に、
ここがオープンしますって話が来て、オープニングのアルバイトスタッフを募集しています。
学生バイトみたいな感じで。
それでどうっていう話をされて、僕は行ってみたいですっていう話をして。
そこからここに。その時はきっかけで来ました。
誰かもともと知り合いがいたわけではないんだね。
ではないです。
それもええんだよね。どう?っていう第三者に言われて。
行ってみようかなって。
なかなかないかなと。
大学何年生?
大学2年生になる前なので、ちょうどそのくらいの時期ですね。
ちょっとバイトでもしようかなって思った時ですね。
そこからもう12年経っちゃったわけね。
12年経ちましたね。すごいなと思って。
まさか最終的にここで働くことになるとは。
就職するまで行くとは。
思ってなかったその時。
そうかそうか。
結構前の記憶だけど、試合も出てたよね?
試合もそうですね。出てましたね。
あれじゃなかったっけ?藤沢市民とか優勝しなかった?
そうですね。ダブルスで優勝はしたことはありますね。
結構頑張ってたよね。
最近試合出てない?
最近は出てるんですけど、なかなか思ったような結果は出てないので。
ただ横浜市民とかは出たりして。
横浜市民出てるね。
横浜市民も今レベルが高くなっちゃったね。
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そうですね。だいぶ高くなりました。
市民の大会っていうより、タイトル取りに来る人がいるような大会。
だって学生も出てるし、社会人の方でも上級というかね。
全日本に出たことあるような人も出てきたりする大会になってるからね。
そうですね。
そういった中でね、予選もあれだけたくさんいて、
本当にあれは勝つこと出ることっていうのは名誉的なところの要素もあるんだけど、
今そういった形で十何年かキャリアとしてコーチをね、試合も出ながらっていうところで、
国継コーチにとってテニスってどういうものになってるのかな?
テニスはそうですね、生き甲斐にはなってるのかなっていうのはすごい思います。
生き甲斐。
自分がなかなか熱中できるものがなかったので、
テニスってやってると不思議と奥深いなって、
どのスポーツやっても多分思うんですけど、
テニスは特に打ち合って打ち合って最終的に勝てるって思ったことがあって、
それが気持ちよかった瞬間があったりとかして、
そういう意味ですごいテニス楽しいなって思って、
それが試合をやってこれで負けたのが悔しいと思って、
そこからテニスで頑張って勝ちたいなっていうのが最初の多分モチベーションがあったのかなと思って。
今はもう皆さんに対してレッスンとかもやってるので、
レッスンに対してのモチベーションとかもいろいろ自分で考えたりとかして、
いろんな発見もあるので、今そういう面白いなと思ってやってる。
テニスはすごい今、自分の中でいろんな意味でモチベーションになってるっていうのがあるのかなっていうのは、
あんまりちょっとまとまってないんですけど。
本当にそういったここに来ることにワクワクしてるわけでしょ。
それはすごいよね、生き甲斐になってるっていうことは仕事も生き甲斐になってるっていうことだろうし、
ただ自分がテニスするだけとはまた違うからね、
仕事としてやるっていう中ではいろいろと思いもあるんだろうけれども、
その中で今生き甲斐になっているテニスっていうものを職業にして、
レッスンをね、今ちょっと沢林に話してくれたけど、
今どういう思いというか、レッスンとして大事にしていること、
国継コーチとしてこういったものを僕はいつもモットーとしてやってるんだっていうのを教えてくれる?
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そうですね、まず一つがやっぱり楽しくやってもらいたいなっていうのがあるので、
なるべく楽しさを伝えられるようにとか、
あと雰囲気をなるべくすごいきつくやるっていうよりかは、
雰囲気が柔らかくっていう感じで僕も普段話し方とか、
結構仕方を意識したりしているので、
そういうところで楽しさをちょっとうまく、
僕から楽しさを発信したいテニスがこういうものだよっていうのを発信したりできるようにっていうのは、
すごい心がけてやってますね。
楽しさなんだね。
楽しさですね。あとはそうですね、
やっぱり伝わりやすくっていうところがすごい大事なのかなと思うんで、
自分の技術指導とかもそうですし、
分かりやすい言葉で伝えられるようにしてレッスンを進めていきたいなっていうのは、
すごい考えてやってますね。
なるほどね。分かりやすいって大事だよね。
結局端的に分かりやすくっていうのはすごい意識してるんですけど、
やっぱりどうしても喋りたくなってしまうときがあったりして、
それでちょっと長くなってあろうてしょ遅いよって言われたりとか、
すいませんだよっていう時が特にあったりもしたので、
そこはずっと自分の中では考えてやってたりするので、
でも大事なことだなとは思ってやってますね。
伝えたいことが溢れてしまうんですよね。
そうなんですよね。
そうなるとね、喋りすぎちゃうと時間なくなっちゃうっていうこともあるだろうし、
でも今ので国継ぐコーチが大事にしているんだなっていうところがすごい伝わると思うんだけど、
今そういった中で十何年というキャリアを積んできて、
これから先さらに自分はこういうコーチになりたい、
もっとこうしていきたいとかっていうのがある?
そうですね。
自分でもっと正直言うと自分の中でもまだまだレッスンの未熟なところって感じているところもあったりしていて、
自分でもっと発信できるというか、
今の二つのことはもともとやっていることなんで、
もっと自分をもっとよりアピールして、
国継ぐコーチのレッスンいいなっていう、
魅力っていうところですかね。
なかなか自分で言うと恥ずかしいんですけど、
魅力をもっと出せたら。
その持ち味、楽しさとか教える丁寧さとかそういうところが自分でできているとは思っているので、
あとはそれにもう何かをプラスして魅力を出せたらなっていうのを今ちょっと模索しているので、
そこが出せたらいいなっていうのが今後の自分のレッスンにさらに生きてくるんじゃないかなっていうのは考えています。
どうしようかね。
なんかその俺の魅力っていうのは国継ぐの魅力みたいなね。
そうです。石崎コーチの逆に魅力を聞いてみたいなと思ったんですけど。
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俺の魅力なんだろうね。声が低いことがある。
声が低いことがある。
僕も声低くやってみようかな。
俺もともとね、低いからよく声を褒められたりするんだよね。
だから高校生の時なんかは声の低さを先輩にいじられたりして、よくモノマネされたりして。
でも自分では別に気にしたことはなくて。
魅力ね。
そうですね。ちょっとそこがなかなか。
石崎コーチが逆に僕の魅力みたいなのがありますか?
国継ぐの魅力。
なんだろうね。
俺は一緒に働いたことがないから客観の時々会うっていうところで。
素直さはあるなと思うんだよね。
もっとこうしたいとかしたいっていう欲求はあるじゃない?
例えばだけど。
一緒に練習したこともあるけれども、
自分のこうしたいっていう思いとか理想的な試合をしたいとかっていうところの部分は強い人だなと思ったから。
そういった自分がさらに良くなるっていう気持ちの部分っていうところは強いじゃない?
だからそういったのは自分がさらに成長したいっていうものを持っているから。
それって俺の魅力だと思うんだよね。
だってそうやってやっていくことによってコーチってまた伝えられるものがあるじゃない?
そういうのは引き続き持ってもらいたいなって。
それはもっと大きくしてもらいたいっていうところがあると思うんだ。
そこの部分で、これからの時代ってさ、
SNSとかウェブの世界ってYouTuberとかね、
自分からそうやって発信していくメディアを持てる時代っていうの。
だからコーチもそういったものが自分でプラットフォームを築けるというか。
だから国継ぐ、一つはさ、昔からあるのはブログとかさ。
ああいうのなんかは自分の思い出とか、
だからコーチとしてそういった思っていることとかね、
そういったことを伝えるためには、
今国継ぐコーチが言ったことっていうのは、
そういうものでも発信できるよね。
別に個人でも持たなくても、
5代、6代、7代、8代、9代、10代、10代とか、
でも読んでくれる人いると思うんだけどね。
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そうだし、YouTubeで会社と相談して、
もっとこういうことを、ワンポイント講座とかね、
魅力を伝えられる一つのきっかけにもなるんじゃないかなと思うんだけど、
そういったものを、
いっぱいできると思うんだけどね。
ここでしゃべっちゃったからもうやれば。
ちょっと考えてみて、そこできるか。
やれる、やれる。絶対そういうのは必要だと思うし、
もっともっとね、
そういった今国継ぐコーチのレッスンを受けてくださっているお客様に対しての
何かそういうのが必要だと思うし、
もっともっとね、
今国継ぐコーチのレッスンを受けてくださっているお客様に対しての
何かのためにかな、
なれることっていうのはたくさんあると思うから。
何かその楽しさっていうところをね、いつも。
これはでもね、結構ね共通して、
今いろんなコーチにインタビューしてるんだけど、
みんな持ってるところで楽しさっていうね。
うちの会社のスクールの大事にしてるところで、
明るく楽しく元気にっていうところの一つで通じるものもあると思うし、
何かその中で、
今お客さんに対してこれから何かどんなことを伝えていきたい、もっと。
伝えていきたい。
自分のレッスンの中で楽しさっていうのもあると思うんだけど、
技術的なことでもいいし、
もっとこうなってもらいたいなっていう思いって。
そうですね。
楽しくやるっていうのはすごい大事なんです。
その中でやっぱこう、
自分、多分僕らがいろいろなことを言ったときに、
多分何かが当てはまる瞬間が多分あると思うんですよ。
当てはまらないことも多分あるかもしれないですけど、
多分それ当てはまったときに、
あ、これだっていうのをしっかり覚えていて欲しいなっていうのは。
多分僕らはいろんなことを言うので、
多分いろんなコーチたち教え言い方も多分いろいろ違ったりとか、
教え方も全然違うと思うんですけど、
ただ当てはまる、
何だろう、はまる瞬間が多分あると思うので、
それを大事にしてもらいたいっていうのはすごい受けてる方には思ってますね。
ただ僕らもそれをちゃんと引き継いで、
引き出せるような言葉を探さなきゃいけないっていうのをすごい感じてやってるので、
そういう意味では、
なるべく僕らが言った言葉がうまくはまる瞬間が多分あると思うので、
それを感じてほしいっていうのが。
なるほどね。
僕は一生懸命伝えるんだよって。
伝えたいのねっていう。
受け止めてほしいって。
ただ一方通行にならないように、
なるべくどうですかって聞いたりはするようにしてるんで。
一方通行だとひとりよがりになっちゃうので、
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なるべくお互いにキャッチボールができるようにっていうのが、
僕はなるべくレッスンでやってみたい。
ちょっと自分のあれなんですけど、やってみたいなと思ってるんで。
なるほど。
いいこと言うね。
ありがとうございます。
そっかそっか。
でも引き続き、
これから広北して、
これから20年に向かって、
10年過ぎて10周年で、
いいパーティーもやって。
やってられましたね。
すごかったです。
これから15年、20年に向けてというところで、
さらに引き続き、
お客様のおかげなんですけど、
これからも国通コーチのレッスンを受けていただくために、
最後に国通コーチのお客様にメッセージを。
メッセージを。
楽しく明るく元気にっていうのが、
僕の中でも今スクールの掲げているものとしても共通しているので、
なるべくそれを僕がうまく伝えられるように、
そして皆さんが上達がしっかり分かりやすくできるように、
今後も続けていきたいと思いますので、
ぜひともよろしくお願いいたします。
ぜひこれからも国通コーチをよろしくお願いいたします。
はい、では今日は国通コーチありがとうございました。
ありがとうございました。
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