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  2. 第35回【GODAI港北テニスコー..

幼少をドイツ、南アフリカで過ごした経験がある関谷コーチ。
大学はアメリカへ行き、ビジュアルからか、その経験からかニックネームは

「ダンディ。」

ダンディが語る男のダンディズム?!
いや、セキヤイズムはたくさんの土地で経験したからこそ。

物腰柔らかい語り口調でやっぱりテニスが好きだった。
仕事として「コーチ」を選んだ魅力を語ります!





00:02
【GODAIスポーツポッドキャストすぽきゃす】
この番組は、スポーツを通じて、人々の健康生活の実現を目指す
【GODAIグループ】の提供でお届けいたします。
はい、それでは本日は、港北支店関谷裕彰コーチです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、関谷裕彰コーチの、いろんなネホリハホリ、頭からお尻まで、
包み隠さず、描写していこうかと。
隠しましょう。
隠しますか。
関谷さんとお話しするの久しぶりなんですけど、
まず関谷さんの簡単なプロフィールというか、
どこから聞こうかな。
関谷さんは、生まれた瞬間からっていう。
たぶんみんな意外と知ってて知らなそうなんですけど、
育ちが日本だけではないっていうところですね。
みんななんとなく分かってるんですけど、
たぶん詳しく知らないと思うんですよ。
海外に行くと関谷さんがいたっていう、みんなね。
それはね、いないと思うんですよ。
僕も何人か見たことあるんですよ。
僕南米でも関谷さんを見たことあるんですよ。
イギリスでも関谷さんを見たことあるし。
ちょっと前にも南の国で見たっていう人がいましたけど。
写真撮ってきていただくと並べてみたいですね。
出身は?
出身は横浜ですね。
どちらなんですか横浜に。
横浜の近所です。
近所?
明蓮寺です。
明蓮寺なんですか?
出身地は明蓮寺です。
じゃあ博楽の横の?
博楽の横の江北区ですね。
そうなんですね。
明蓮寺って江北区なんですよね。
そうなんです。
江北区って感じると僕らの中で江北に歌うとか、
江北の方が聞くなよりあっちっていう感じがするんですけど。
本当神奈川区との境目ですね。
そうですよね。ちょっとしたら神奈川区ですもんね。
なるほど。明蓮寺出身で。
1歳の次の誕生日からドイツに。
03:02
ドイツ?
昔でいう西ドイツですね。
西ドイツ。
西ドイツです。父親の仕事で家族で行きました。
関谷さんは5兄弟は?
3人いるんですけど、兄弟僕入れて3人で、その時はまだ姉だけで。
4人でその当時西ドイツへ行きました。
何年くらいいらっしゃったんですか?
4年。
4歳か5歳くらいまで?
で、その後にそのまま南アフリカに。
南アフリカ?
住んでました。それも3年ですね。
南アフリカさ。
ちょうどケビン・アンダーソン選手がチラッと話した時に、
僕の住んでた町が自分が出身の隣の町だって言ってましたね。
あ、そうなんですか。
どれくらいの距離なんですか?
どれくらいなんですか?
南アフリカって僕もはや分かんないんですけど、隣の町まですげえ時間かかりそうな気がするんですけど。
広いでしょうね。結構。僕も小学校2年までなんで。
あ、2年生。小学校小2。
小2まで。
どうだったんですか?小2って思うときっていうか、
記憶にありますよね。小2の頃って。
その当時の関谷少年は何してたんですか?
何してましたかね。野球とサッカーと水泳してましたね。
やっぱりスポーツだったんですね。
スポーツは好きでしたね。
野球とサッカーと水泳。
これは、そういうスクールがあるんですか?
いや、日本人学校だったんです。小学校が。
あ、なるほど。
そこでやったり。水泳はスクール行ってましたね。
教室があるんですね。
その時ちょうど友達のお父さんが元日本の出牌代表だったっていう人が
いて、テニススクールをやるっていう話で。
南アフリカにあるんですか?元出牌代表だったんですか?
はい。そんな人がいて。
お父さんのお友達?
いや、同じ学校の友達のお父さん。
で、そこで始めようとしたんですけど、
親に止められてなぜか。
なんでですか?
なんかあんまり小っちゃいうちからそんなテニスはやるもんじゃないみたいな。
なんですかそれ?
お父さんお母さんの方針だったんですか?
そうですね。
なんですかそれ?
そこで始めた子たちはみんな強くなってて、
日本帰ってきてから県のトップに行ったりとか、大阪の一位だったりとか。
06:06
その南アフリカで出会った人たちがですか?
南アフリカにそんな日本人がいらっしゃったんですか?
いや、でも一クラス多分30人ぐらいしかいないんですよ。で、一クラスしかないんですよ。
で、その同じ小学校の1個上と1個下にそういう子が出て。
え〜30人。
まあだいたいみんな小学生のうちに日本に帰るんですけどね。
あ、そうなんですね。
まあでもそうですね、お父様のお仕事の関係って言ったらやはりその転勤ですもんね。
あ、もうでもお父さんのお仕事はほとんど海外畑の?
そうですね、オランダの会社だったらしいんで。
外資系の?
外資系の。
その承認の時にテニスに出会いそうだったのに出会わずに、
その時は出会い代表の人はスクールをやるよと言って、
でもそこには入れてもらえず帰国をしたと。
そうです。
つまりテニスはやってない。
テニスはやってないですよね。
まだその時の承認の生計少年はテニスは知ってるけれども。
知ってるけれども何も知らなかったですね、選手とかは。
なんなんですかね、テニスはやるものではない。
どういうものだったんですかね。
怪我するからとか言ってましたけど。
ちなみにお父さんお母さんはテニスはされてなかったんですか。
遊びでぐらいじゃないですかね。
父親は野球をやってましたけど。
お母様は特にその当時はやってなかった。
日本に承認で戻ってきて、それ以来ずっと日本になったんですか。
大学でちょっとアメリカに行きましたけど。
そうなんですね。
それはどちらだったんですか、アメリカの。
カリフォルニア州のオレンジカウンティーってとこです。
オレンジカウンティー、僕聞いたことありますね。
なんで聞いたことあるんだろう。
オレンジカウンティーって有名ですか。
ロスのちょっと下でディズニーランドがあるとこですね。
なんか聞いたことあるのかな。
それはなんでアメリカに行ったんですか。
大学、テニス中学から始めたんですけど。
ちょっとアメリカでテニスやりたいなっていうのが一番メインだったんですけど。
とりあえず勉強で行こうってことに。
あれなんですか、日本に帰って中学でテニスやってたんですか。
テニス部に入ったんですか。
テニス部があったんですか。
09:01
あったんです。
それは公式テニス部で。
中高一貫の学校だったんで、中学生は初の中学生部員だったんです。
第一号だったんですか。
第一号で。
中学の時もクラス数が全然なくて、高校は普通に7クラスぐらいあるんですよ。
中学は1クラスずつしか学年なくて。
だから中一で高校生と同じ練習をさせてもらいました。
そうなんですね。
この時はど素人ですよね。
ど素人ですね。
握り方から教えてもらって。
全く当たらなかったですね、最初は。
それはそうでしょうね。
高校までの6年間を部活で。
高校の途中まで部活で、その後は横浜テニスカレッジですね。
そこで出会ってるんですね。
高校生の時に。
高一の途中で。
高一の途中で。
そうなんですね。
あとは部活の時の友達とコート狩りでやってましたよね。
そうなんですね。
高一で、近所ですもんね。
旧横浜テニスカレッジに。
それは何のきっかけで行こうかなと思ったんですか?
行くことはありません。
行くことはありません。
行くことはありません。
行くことはありません。
行くことはありません。
何のきっかけで行こうかなと思ったんですか?
行こうかなって思ったところが高かったんですよね。
他にスクールがあったのですか?
SSCに。
湘南スポーツセンターが。
湘南スポーツセンターが高一中3の時にできて。
こんなとこ行きたいなって思ったんですけど。
すごい施設ですからね。
その当時は全寮で学校も転校しなくちゃいけなくて。
学費込みで月謝40何万とかいう時期があったんですよ。
なるほど。
当時はニック・ボロテリーさんのシステムが入って。
まさに週一の習い事というよりはガッツリやっていくっていうのが当時のSSCでしたからね。
何せ僕もそこの出身ですから。
僕はもうそういう時代じゃなかったですけどね。
よく知ってますけど。
そこでどうかなと思って比較検討したところで。
比較の対象にもならないですよね。
12:01
近くにあるぞと。
とりあえず近いから。
そうですね。転校しなきゃいけないって結構大きな問題ですからね。
もうその時に出会ってたんですね。
はい。
そこで今その時に習ってたコーチって。
その時に習ってたコーチは今はいらっしゃらない方ばかりですね。
たまに黒田コーチとか教えていただきましたけど。
レジェンドのうちの。
あとは高澤コーチ。
高澤レジェンドと黒田レジェンドに。
そうだったんですね。
その時からコーチから知り合いなんですね。
なるほど。
これでも結構知らない人多いんじゃないですかね。
そうでしょうね。あんまり言ってないですけど。
そうでしたか。
その後、高校の部活と横浜テニスカレッジでテニスをずっと続けて。
進学っていうところでアメリカへ。
そうですね。最初はアメリカの大学の日本に来てるところに入ったんですね。
そこはテニス部とかなかったんで。
高校で部活とかでやってた子達っていうのが何人もいて。
そこでサークルみたいなものを作ってちょっと真面目にテニスやろうって言ってやってました。
大学時代は。
目的でもテニスっていうよりは大学で学ぶついでにテニスっていう感じで。
最初はでもテニスがすごい好きな人たちが集まったんで。
もうそれはそれで授業はちゃんと受けてテニスは一生懸命やろうっていう感じで。
日本の大学と違って、僕は話しか聞いたことないんですけど、アメリカの大学の方が卒業するのが大変だって言うじゃないですか。
そうですね。
卒業するのが大変だって言うじゃないですか。
結構ちゃんと単位取るのに結構シビアなんですよね。
シビアですね。勉強はめっちゃしないと。
でも取れないんですか?
取れないし、教科書とか理解できないじゃないですか、英語なんて。
だから人の3倍ぐらい時間かかるんで、結構一生懸命やりました。
分かんない文脈も出てきますよね。
そうなんですね。
じゃあもう英語はあんまり普通はなんて言うんですか、日常的な部分とか。
どうですかね。いや、ほぼ忘れましたけど。
忘れちゃうもんなんですか?
喋ってないと。
15:01
そうなんですか?
細かい話とか分かんなくなったりするんですけど。
僕も時々日本語出てこなくなる時もありますからね。
その後どうされたんですか、アメリカで。4年間ですか?
アメリカは4年間。
4年間って。
その4年後、日本に?
日本に帰って、先輩が働いてたスクールがあって、そこでちょっとコーチ会わないかっていう話が。
じゃあ相当アメリカでテニスにのめり込んで大学生活は。
のめり込もうとしたんですけど、行ったらちょうどカリフォルニア州が在政なんで、
州立の学校だったんですけど、テニス部がないって言われて。
は?って言って。
去年まであったんだけど、今年はバジェットカットでなくなったんだよねって言われて。
じゃあ俺はどうすればいいんですかって言ったら、隣の学校とか練習しに行けばって言われて。
一人でテクテク行って、練習させてくれるって言ったら、いいよって。
でも試合は出れないけどどうぞって言われたんで。
へー。
そうなんですか。
そしたらめちゃめちゃ上手いですよみんな。
着てるTシャツが前年の州のチャンピオンっていう、
すごいですね。州のチャンピオンって言ったらね。
州のチャンピオンヤバいですね。
ヤバいですよね。
ある意味日本で言うと東日本チャンピオンみたいなもんですよね。
モザがいっぱいいますもんね。人が多いし。
留学生ばっかりで、ナンバーワンはインド人?
インド人。
インド人。
インド人。
留学生ばっかりで、ナンバーワンはインド人?
ナンバー2が韓国系のアメリカ人で、
ナンバー6までいかないと純粋なアメリカ人がいなかったんですよ。
そうなんですね。
じゃあ結構みんな多いんですね。留学生っていうのは。
多いですね。
でもそういう選択っていいですよね。今もテニスでアメリカにそのまま大学に行く。
または今でも西堀圭選手みたいにIMGに。
彼の場合はもっと若い時に行ったところの中高で、
IMGの中にある学校に通ってて。
僕の世代も何人か行ってるんですよ。
高校卒業と同時に、プロになれるくらいのレベルの子たちもいたんですけど、
進学を選んで。
でもいいですよね、アメリカに行くっていうのもね。
僕はその時は考えられなかったですけど。
海外に行くっていうのは今から思うとすごい有意義な選択だなと思いますよね。
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日本に住みすぎちゃったなって感じがしますけど。
経験的にはすごくいいと思いますけどね。
そうですよね。
どうだったんですか?
テニスをする環境は残念ながら学校の中にはなくて、
隣の学校でっていうところだったんですけど、
テニスをする環境っていうのはアメリカっていうのはどうなんですか?
アメリカはコートも使い放題だし、
その学校の練習のほかに同じ大学に元ハリーホップマンに行ってましたとか、
京都で2位でしたっていう子がいたんで、
日本人の友達もアメリカ人の友達も一緒に結構いろんなコートですぐ練習できるんで。
コートいっぱいあるんですね。
山ほどありますね。
学校にも結構難面もありますし、
公園にもあるし、
ナイターも1時間75セントとかなんですよ。
すげえ。
100円かからずに1時間ナイター使えたりとか、
下手したら無料のところとかもあるみたいですからね。
コート料金ってどうなんですか?
無料なんですか?
テニスチームが練習してないときは使っていいですよって書いてあるんで、
ほぼ練習してないんですよ。
いつも空いてます。
それは日本から考えたらテニス天国ですね。
そうですね。
コートが無料、日本じゃ考えられないですね。
ただテニスやってる人もあまりいないですよね。
なんでですか?
なんでですかね。
ジム行ってる人が圧倒的に多かったですからね。
なんでそんなにコート面数がたくさんあって、なおかつ無料にできるんですかね?
そこでお金を儲けをしようとかっていう概念が全くないんでしょうね。
そういう意味では。
要は州のもので、州が作ったコートってなるわけですよね。
いわゆる学校が建てた。
学校が建てた。
それはもう国民のためっていうようなものに位置づけになっているんですかね。
バスケットボールもいっぱいありますけど、
そこら辺はすごいオーラかというか。
なるほど。
でもその中で4年間勉強も3倍やりながら4年間で卒業して、その後日本に帰ってきてという頃で、
就職というところはいろいろと考えたんじゃないかなと思うんですけど、
なぜテニスっていうところに?
そうですね。なんでですかね。
テニスが好きだったっていうのが一番大きいんですけど、
なんかそのテニスが好きだったっていうのは、
やってみようかなと思ってしまったんでしょうね。
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日本にいるときにアルバイトでコーチはやってたんで。
あ、そうだったんですか。
そこは2年、3年やっててから行ったので、
アルバイトをやることになったんじゃないかなと思って、
そこは2年、3年やっててから行ったので、
それは高校生のときですか?
いや、高校卒業してすぐぐらいですね。
あ。
から始めて、でちょっとその間日本にいて、その後アメリカに行った。
あ、そうなんですね。じゃあそのまま卒業して行ったわけではなくて、
もうすぐではなかったんですね。
なかったんですね。
じゃあその数年でアルバイトをやったんですかね。
あ、良かったですね。小間沢でやってたんですけど、
すごい楽しくて、もうバイト行くのが楽しみでしたね。
何が楽しかったんですか?
何ですかね、お客さん、生徒さんとも仲良かったですし、
他の人たちとも仲良かったですし、
すごく素晴らしいスクールだなって思っていました。
あ、そういったコミュニケーションをとるところが楽しかったですかね。
そうですね。こじまりしているところなので大きくないんですけど。
うん。アットホームな。
そうですね。
アットホームな。
アットホームな生徒さんの中で絶対に楽しむことが大事だと思います。
はい大きくないんですよ アットホームなアットホーム
じゃあその時のイメージというかあのそういったいい印象が職業として そうですねそれが一番強いと思う
でその ことがあって帰ってきてお誘いがあってでまたあの
ここでやってみないかというところだったと思うんですけど でもそこからはもうずっと今に至るという感じですかそのテニスコーチ職業として
テニスコーチっていう えっと途中で
あの1回 違う仕事もしようかなっていうのがあって
あの 英会話スクールの営業とかをやってた時期があるんですけど
そこで英語が生きてくるわけですね
それはやってみたんですか やってみてえっと
そうですね1年弱 やった時に
5台から 誘いがあって
広告講ができるんだけど あーじゃあそのタイミングだったんですね じゃあその11年
前12年前くらいですか 11年ですかね
そのタイミングでコーチにもう1回っていうことになるんですね
そして今そのもうじゃあ えっと5台に広告ができるタイミングなんで
24:04
11 年目12年目ぐらい12年目になるんですね
そのもう結構なあのキャリアになってくるんですけど
その12年間そのやはりコーチを続けてきた えっと続けられたというか
今振り返って そのなんでこういうことやってるんだろうなっていうところ
教えてもらいたいんですけど なんて
やっぱりやってる中で 生徒の方とかの関わりとかどんどん人間関係は増えて
いくじゃないですか
なんかいろんな 若い時には見えなかった喜びとか
楽しみとかっていうのもどんどん見出せるし
テニスって奥深いじゃないですか自分もねもっともっと今からでもうまくなりたいし
なんかこう発見があるのが 一番続けてきた理由ですかね
まあ1回僕の場合はフロントに何年か入った時期があって フロント3年ぐらいあったんですかね
でコーチに復帰した時にやっぱりテニスって楽しいな すごい感じで
ずっとずっと続けたいなっていうのが自分でもあるんで
ジュニアの子とかにはそういうことを伝えられたらいいし 一般のお客様生徒さんには
ずっと楽しめるようなことを教えていきたいなと思っています
若い時に見えなかった景色とか人間模様とか感じるところの部分だと思うんですけど
フロントに3年間コンバートした時があったというところで
そのフロントをやってみて
また改めてコーチっていう職業が素晴らしいなって感じたっていうところ
その他にフロントをやってみて経験して良かったなって思う時はありますか
フロントをやってみて良かったことは コーチだけでは見えない
いろんな人の一面が見えるっていうところではあります
ただフロント業ってやっぱり すごい大変な仕事なんだな
接客であったり
対人で1対1なんで コーチって1対10とかじゃないですか
27:00
やっぱり1対1の大切さっていうのをすごい感じましたね
僕らの仕事って本当に一番最初にお客様に出会うというのが
ファーストコンタクトはフロントのみんなになってくるので
お客さんも入ってきた時に何かしら問いかけるところとか何か聞く
何かそういった要望をお伝えしていただくという時は
やはりフロントが受けることになるので
そういった意味ではコーチの場合は
また違う形の接し方になってますからね
その経験した中で
コーチっていう仕事がもっと見えてきてる部分があると思うんですけど
改めてコーチっていう仕事の魅力って言うんですか?関谷さんの
魅力ですか?
魅力ですか?
たくさんあると思うんですけど
あんまり言葉にしたことはないのかなって
他のポッドキャストやってて
結構みんなにも聞いたりするんですけど
みんな一泊考える時が多くて
でもみんなそれなりの魅力を感じているからこそ
僕12年間もやっぱりコーチ
それ以前からやってらっしゃいますけど関谷さんも
そういったものって改めて考えてみるとどうかなと思って
何かを人に伝えてそれがハマった時っていうんですかね
すごい伝わったって自分が感じる時って
あんまりないと思うんですよ普段の生活になると
教師とかやってたらまた別だと思うんですけど
テニスコーチっていろんなことを知らないといけないんで
テニスのことだけではなくて
体の動かし方であったり
怪我の予防であったり
怪我をしてしまったらどこが悪いからこうなった
みたいな知識とかも必要だと思うんですけど
そういった全般を伝えられる仕事っていうのが
僕の中での魅力ですかね
自分の言いたいことが伝わった時って
すごい喜びを感じるんで
そうですよね
逆に伝わらなかった時は悲しみも感じます
その反応ですね
何か言ってみて全然ハマらなかった時に
申し訳なさそうですけど
人によっては面白いんですけど
30:00
敗北感もあるかもしれないですね
そうですよね
でも本当に気持ちがその人に伝わった時って
何でもやっぱり嬉しいですよね
まさにそれが自分の伝え方として
その人が良くなったりすると
いいボールを打ってもらったりすると嬉しいですよね
そういったことが止まらない
そうですね
それがニーツキル感じですかね
今日もいい話を聞けたので
だいぶカットさせていただこうと思います
皆さんに最後いろいろとコメントをいただいてるんですが
関谷さんも日頃レッスンを受けていただいてるお客様と
これからテニスをやろうかな
やってみたいんだけど
どうしようかなと思っている方に
一つテニスの魅力を伝えながら
コメントいただきたいんですが
そうですね
テニスっていうスポーツは
運動能力とかそんなに関係なく
誰でも楽しめるところに行けるスポーツだと思うので
今できないことがあったり
うまくいかないことがあっても
やり方を変えたり
考え方を変えたりすれば絶対に上達できるんで
長く続けることで
より楽しみが大きくなると思いますので
ぜひこれから始める方も今やってる方も
頑張って続けていきましょう
ありがとうございます
やはりドイツと南アフリカを経験して
そして最後も
ほぼ赤って
アメリカでいろんな経験をしてきたからこそ
そしてテニスコーチをやってきて
それでフロントも経験して
いろんな人生経験をしている
関谷コーチのレッスンを
引き続き楽しんで
受けていただければと思いますので
本日は関谷コーチありがとうございました
ありがとうございます
32:46

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