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【GODAIスポーツポッドキャストすぽきゃす】
この番組は、スポーツを通じて人々の健康生活の実現を目指す
【GODAIグループ】の提供でお届けいたします。
皆さん、いつもありがとうございます。
GODAI博楽支配人の石崎優太と申します。
この番組は、スポーツを中心とした情報を
5台から幅広く発信していきたいと思い、立ち上げました。
それにはまず、5台をより知っていただくために
5台のスタッフを中心に、改めてご紹介をしていきたいと思っております。
私がインタビュアーとなって、コーチ、フロントスタッフが
どんな人物なのか、いろいろと掘り下げていきたいと思いますので、ぜひ聞いてください。
それでは。
はい、では本日は広北支店のナンバーワンコーチ、
後藤コーチです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
後藤さん、やっと後藤さんとお話しできることができましたね。
そうですね。
前回ちょっとタイミングが悪くて、コンディションが悪くてダメだったんですけど。
このポトキャストって、僕の予想ですけど、後藤さんまだ聞いたことないんじゃないですか?
聞いたことないです。
聞いたことないです。すみません。
いやいや、だいたいの人がそうなんで、大丈夫です。
あのー、大丈夫ですよ。津田コーチなんて、
いっしょにあれいいな、あれええな、ええなって言ってて、
津田さんにそう考えたら、ないねって言われて、ないんかいって言われて。
あのー、まあでも結構ね、今、すごいんですよ。っていうのは何がすごいって。
視聴回数?
ダウンロード数になるんですけど、ダウンロード数5万ダウンロードとか
えー。
無理系ですけどね。
結構聞いていただいているので、もちろんリピーターがいらっしゃると思うんですけど、
結構な方が聞いてくださっているので、必ず後藤コーチもお客様も聞いてくださるだろうと思っているので、
今日は後藤コーチを懲り下げてみたいと思います。よろしくお願いします。
後藤コーチはレッスンをコーチとしてやってきて、
今多分レッスンの累計で言うと、何回レッスンしたかわからないですけど、何年目ですか?コーチ歴。
えーと、5代に入ってですと、最初は博楽で3年くらいやっていたので、
博楽で3年。
後藤コーチと合わせると、5代では14年くらいですかね。
14年。
14年ですよ。
14年間ですね。
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後藤さんは、博楽で3年やって、その後に後北が立ち上がるというところで移動したんですよね。
そうですね。立ち上がりのメンバー。
立ち上がりのメンバー。
国粒コーチとお話ししたんですけど、国粒コーチも実は立ち上げるときに学生の時にアルバイトでいたって言って、
そうなるとみんなすごい長い付き合いになるんですよね。
かれかれ11年。
どうですか、後北、今12年目ですか。
そうですね。
振り返ってみて、いろいろと見てきた中で。
その時代時代というか、14年前の自分、5年前の自分、今の自分っていうのが全く違う。
人間的には変わってないんですけど、レッスンの考え方とか、やってるレッスンとかは正直違うかなっていうのはありますか。
違うっていうのは、いろいろと進化しているものだと思うんですけど、
例えばですけど、もちろん当たり前のように成長していっているというところが前提だと思うんですけど、
12年前、例えば後北、博楽の3年はちょっと置いておいた。
そして立ち上げの時から今でなると、どういうところが自分の中で変化があったのか。
一番は、自分の心にちょっとゆとりが今はあるので、
前よりもお客さんに向き合えるというか、よく見えるというかが明らかに違うかなっていうのはあります。
視野が広がってきた。
周りを見ていられるとか、そういった余裕というのが出てきましたね。
後藤さんの14年間、テニスコーチ歴とかになるんですけど、テニス歴でいうと。
テニスは実際に始めたのは高校1年生なので、
小学校、中学校と野球ばかで野球少年だったんですよね。
そうだったんですね。
あまりにも野球が好きすぎて、毎日壁当てをグローブを持ってボールで壁当てをする少年で。
壁が大人になっちゃったんですね。
壁が大人になっちゃって、必ずやってましたね。
雨でも雪でもやってましたね。
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壁とキャッチボール。
野球仲間といつも公園でやったり、とにかくそこにボールを投げて、コントロールしてそれをキャッチしてっていうのをずっとやってましたからね。
小学校の時はそういう野球チームに入ってたんですか?
小学校は少年野球のチームで、中学は中学校の野球部。何式ですけど。やってましたね。
そこから何で高校生になった時にテニスだったんですか?
親が両親ともにテニスをやっていたので、小学校の時とかに親の会社のテニスコートについて行って、それでも親の会社のテニスコートの壁で壁当てしてたり。
ちょっとラケットを持って、ちょこっと打つとかは小学校の時はやったことがあって、全く習ったこととかはなくて。
そこがまず始まりだったかなと思う。
中学校2年生の時に、ドリームランドの横にスピンクスっていう、今来ましたね。
1週間だけ、夏季の特別なレッスンっていうのが5日間とかだったんですけど、それに初めて1週間だけ行って。
その時野球部に行くと、しかも休みだったんですよね。
1週間だけやって、なかなかテニスも面白いなっていうのがあって。
中学3年の時に、高校も野球をやろうと思ってその候補を受けてたんですけど、
中3の3月かなんかに、また近くのテニススクールで、さこやまって、もうそれも潰れちゃったんですけど、
そこも1週間限定のスクールで、あなた行ってみなさいと言って、行ったのがきっかけで。
そこで中島コーチっていう、今もやられてる方なんですけど、すごく有名な方に出会って、
テニスやってみたらどうだって言われたのがきっかけかな。
そうなんですね。それが高校1年生のスタートだったわけじゃないですか、そういうようなきっかけがあって。
そこからつながってたわけですよね。
結構あれですよね、そうするとテニスに出会ったのって、そんな早くなかったんですね。
めちゃめちゃ遅いですし、試合に出ても何もせずに負けるというのも当たり前で、本当にサーブも入らないですし。
そこで、もともと野球をやる習慣があったので、壁当てじゃないんですけど、
毎日素振りしたらいいのかなとか、テニスのラケットを持って。
スクールは1週間に1回ですけど、毎日素振りでもしようかなというのがありましたね。
なんか、そこってすごい興味深いのが、すごい野球好きだったわけじゃないですか。
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急に親の影響があったにせよ、テニスにガラッとそっちにこうやって行くっていうところがあるんですか?
高校がですね、桜川高校って県立になるんですけど、すごい野球の強い学校で、1回準優勝したことがあるんですね、神奈川県で。
阿波のがいた高校なので、もともとすごく強くて、行く前に聞いた情報で、
誰かが1人でも赤点取ったら、全員連帯責任で五輪狩り。
中学校の時は五分狩りだったので、五分狩りはいいかなと思ったんですけど、
自分のミスじゃないのに、連帯責任で五輪狩りっていうのがどうしても嫌で、野球はやりたい、でも五輪狩りは嫌だっていう時に、
さっき言った春のテニススクールのあれを行って、テニスと天秤に書いた時に、テニスの方が面白いんじゃないかなみたいな。
そこは結構葛藤あったかもしれないですね。
それって、今ずっと冷静に聞いてて思ったんですけど、テニスが面白いっていうことに気づく前に坊主が嫌だった。
五輪狩りじゃなくて五輪狩りで。
五輪狩りで。
狩られることに恐れて、若干言い方変えるとテニスの方に逃げた感がある。
完全に逃げた。
完全に逃げた。
それがちょっときっかけなんですね。
野球をやってても、強い学校に行って正直レギュラーを取れるような自信もなかったかもしれないですね。
その時野球はバッティングの練習を一切しなかったんで、守備専用みたいな選手だったんで、高校でも通じないんじゃないかなとか、そういった思いはあったかもしれないですね。
自分の中で今後続けてもどうかなっていう部分も見え方が違ったんですね。
でもテニスってまた違うスポーツじゃないですか。
やってみて、小中からずっとやってて、野球だったら自分の居場所っていうか、ホームグラウンドじゃないですけど、得意なところになるわけじゃないですか。
だから自分で輝ける場所って思いやすいと思うんですけど、また新しいステージになった時にやってみて、何かなかったんですか、全然違うっていう。
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野球やってる時にとにかく守備の編集が好きだったんで、いつもノックを至近距離で受けてたんですよね。
ノックって結局イレギュラーするバウンドのボールとかを体で合わせるとか、ノーバウンドで取ることってあんまりなくて、スタートショートだったんで、テニスをやった時にバウンドの感覚が正直体にあったんですよね。
ショートバウンドで打つとかっていうか、正直最初から打てたんですよね。
あ、こんな感覚なのかな、みたいな。ただ実はノーバウンドで打つことがすごく苦手で、バウンドすれば体でリズム取れるけど、っていうのは最初にあったんですよね。
趣味か。
趣味の感覚があって。
野球やってる人って打つのは上手いなって思ってたんですよ。サッカーやってる人はすごいフットワークいいから感覚持ってるなって思ってて、
ただ野球やってた人に申し訳ないんですけど、そっちの方でフィットしてるっていう人は僕はあんまり会ったことがなくて、野球やってた方は結構動きが雑になってる感覚。
時には全然合わなかったりするんですけど、守備が得意だったんですね。
なるほど。
そういうこともあるんですね。それは僕の中で新たな発見だったな。
じゃあそうしたら、面白いじゃん、になったわけですか、テニスって。
そうですね。当時教えてもらったコーチはすごい強いコーチで、横浜市のシングルスを何年もしているような方だった。
たまたまなんですよね。その人に目をつけてもらって、結構厳しく指導してもらったので、見る見る成長してったんだと思うんですね。
でもその出会いも良かったですよね。
そうですね。出会ったコーチが一番大きかったのかなって思いますね。
それでその後、部活には入ったんですか?
高校の部活は1面しかなかったので、週1回。
ベースラインの10.5メートルぐらい後ろに橋があるので、一歩も下がって打てないぐらいの。
ダンジョーを兼用で使うので、ほとんどコートで打つことはできなくて、
週1回近くにあった坂山というスクールに通って、あとは毎日素振りしてました。
そこで、後藤コーチは努力家だと思うので、僕も今まで10年ぐらいの付き合いですけど、
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相当自己流でコーチに習いながら自分で考えながら、こうやったらもっとこうなるのかなと繰り返したんですか?
基本的にはコーチに教わったことを実践しただけで。
あまり自分自身で考えてプレーを、高校時代はなかった?
そういう時はなかったですよね。僕の知っている後藤コーチは、気になったらとことん調べるというか、
こうやったらこうなるのかなとか、結構そういうところになった。
その時はまだあれだったんですか?
当時はまだそこまで人に質問をするとか、そういうことはあまりなかったかもしれないですね。
その後、高校3年間、テニス付けになったんですか?
うーん、そうでもないですね。部活を引退して、受験勉強を始めたんですけど、
1ヶ月くらいで飽きてしまって、受験勉強。
ちょっと頑張れば推薦が取れるような形だったので、指定校推薦を取って、
そこでちょっと時間ができたんですね。そこでテニスに半年、半年もなかったかな、
4、5ヶ月打ち込んだ時に、多分一番成長して、
当時、坂本山にいたナンバー2のコーチに試合で勝っちゃって、
習ってたコーチじゃないんですけど、いけるかな、みたいな。勝てちゃったんで。
そこでスイッチが入ったとか、熱が入ったとか、まだ体育会でやってもいいかもしれないな、
高3の受験勉強をしている時でした。
3年間テニスをやって、体育会に行けるかなっていう感覚って結構すごいですよね。
もっとさらに楽しくなっているというか。
すごい。その後、体育会に?
体育会に、そんなに強い大学ではなかったんですけど、入って。
大人の大学は神奈川大学?
神奈川大学。
神奈川大学。人大の体育会のテニス部入って、そこからもう…
当時4部かなんかで。
先輩は関東学生が一人いて、2校目に。
インカレの人が一人いて、たまたまその台結構強くて、
自分の1年生の時の3年生は上手かったんですよね。
先輩にいたんですね、関東学生、インカレ。
じゃあ目指せる人がいたんですね。
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いたんですよ、たまたまいたんです。
1校目の先輩はそこまで上手い方がいなくて、
同期もそこまで上手い人がいなくて、
最初はすごい良い環境というか、ボコボコにされていたので。
それは良かったですね。
そうですね。
でもそういった出会いがあって、
大学の時は目指していたところはどこだったんですか?
やっぱり関東学生になりたいなと思って。
2年間、自分なりに一生懸命練習したつもりだったんですけど、
2年生の終わりくらいに、
鎌山の中島高中のところに、
一回練習する機会があったんですよね。
したら、一言こう言われたんですよね。
下手そうになったなって言われて、
高3の時と比べて、
大会で何やってるの?みたいなことを言われて、
その時、何言ってるのかなって感覚的に。
大学生の時って、みんなスピンサーブをバックに打って、
ぐりぐりスピンを打って、
ただ繋いでいるだけみたいな感じで、
それが高校生の時と比べたら明らかに質が落ちていて、
それをやっていれば勝てるんじゃないかなと思っていたんですけど、
2年間も全く勝てなくて。
その時、コーチに言われて、
もっとヨスの大会というか、草大会に出た方がいいんじゃないの?
と言われたのがきっかけで、
全然大会とは関係ない草大会に出たんですよね。
そこで、年の年配の方と話して、
確か彼のサーブから始まって、
1本目のセカンドサーブを回り込んで引っ叩いてやろうと思って、
回り込んだらスライスサーブを打たれて、
ワイドにエースを取られたんですよ。
あれ、おかしいなと思って、
2ポイント目もまた回り込んだろうと思って、
また全部トスかスライスのトスで、
またセンターギミに来て、
この人、外に打ってこないなみたいな。
その時、何か勘違いしているのかな?みたいな。
大会はこういうテニスで、
その時、ハッと気づいたのを覚えていますね。
勘違いしている。
大会じゃなくて、もっと広い世界というか、
もっと視野を広く持った方がいいのかな?とか。
全然上手くいかない。
年配の方から学んだような気がして。
そのぐらいから考えるようになったんです。
大学3年生ぐらいの時ですかね。
そこで中島コーチの言葉が分かった。
言葉が重たかったんですよね。
何を言っているのかな?とか。
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全然強くなっているんだけど、
みたいな変な自信があったんですけど、
そこでその時、
やっていることの質がどんどん小さくなっていて、
個人回りとしたテニスになっていて、
あの草大会が大きかったかもしれないですね。
そこで色々と草トーナメントを回り始めて、
それが自分で目指していた関東学生と、
あとインカレって大学で目指すべきところですね。
そうです。
インカレっていうのは全国の大学で、
シングルスだったら128本ですよね。
ダブルスも64組ですかね。
すっごい狭きものですけど、
全日本学生っていうね。
その関東学生に出るのも、
関東でのタイミングが大きいんですよね。
大学生が大学に出るときに、
大学3年の春の大会で、
初めて関東学生に上がれたんです。
その後上がれたんですけど、
ドローは確か良かったんですけど、
春に上がって、夏に上がって、
ラストチームに上がったんです。
その後、
大学3年の春の大会で、
初めて関東学生に上がれました。
春に上がって、
ラストチャンス4年生のときにも、
また春に上がって、
最後インカレにチャレンジしたら、
たまたま出れちゃったっていう。
シングルはインカレで、
なんとか出れちゃったんですよね。
聞いていただいて、
大学の大会の世界が、
ご存じない方のために補足すると、
今と僕らの時代って変わってるかもしれないけど、
僕らの時代は関東学生に出るのに、
1次予選、2次予選っていって、
合計で7回から8回ぐらい勝たないと、
まず関東学生にならないんですよね。
そうですね。
そこで、上がって関東学生になって、
関東からね、
関東は競合地域なので、
本数が多かったとしても、
関東学生の本戦で確かベスト…
あの時関東は合計56本ぐらいだったんですよ。
でも結局56本でそれでいたから、
トーナメントで2回ぐらいちゃんと勝たないと。
2回勝って、2回戦負けの何人かが切られるみたいな。
ですよね。足切りされちゃうんですよね。
そこでのところでね、
高校1年生からテニスを始めて、
なかなかね、
インカレって僕にすごいと思うんですよね。
これはね、
やっぱりテニスって、
小学生から始めてる人の方が多いし、
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その中でやって、
じゃないと勝てないスポーツじゃないんですけど、
まさに、
体育会のいわゆる回り込んで叩くっていうところの概念から、
幅広く視野を広げて、
あ、こういう戦い方があるんだっていうところに
気づいたっていうところが大きいですよね。
そうですね。
その時に、なんか光が見えたじゃないですけど、
やり方に気づけたっていう、
そういうのがありましたね。
今までの大学での経験、
体育会での経験、
または小中で野球をやってた経験っていうところが、
あって、今の後藤コーチがあると思うんですけど、
今、レッスン、プロコーチとして、
やってらっしゃるじゃないですか。
それで今、
すごい大事にしている部分、
レッスンとかですね、後藤コーチが大事にしているものって。
昔は、
その生徒さんを見た時に、
これは難しいかなとか、
できないことなのかもしれないかなとかって、
思ってレッスンを多分してたんですけど、
今は、
何とか、
上手くなってほしいとか、できるようになってほしい。
何とか伝え方を工夫したり、やり方を考えれば、
できるっていう風に思えるようになって。
人によって、
時間のかかり方は違いますけど、
諦めないでやれば、
みんな変われるんじゃないかなって、
今は信じられるようになってきましたね。
でも、後藤コーチの人生が、
絶対にやればできるんだっていうことを、
経験しているからこそ言える部分じゃないのかなって、
今改めて思うんですけど、
どうですか?
先ほど出てきた中島コーチとの出会いですとか、
あとは、
大学に入って先輩に委員彼がいて、
関東学生の先輩がいて、
そういった出会いがすごく大きかったっていうところがあるじゃないですか。
何か、
自分の後藤コーチとしての理想として、
お客さんに、
どういう存在でありたいというのがありますか?
これは自分のポリシーなんですけど、
実行している状態っていうのが、
何をやっていても面白いと思うんですよ。
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実行している状況を競っている人なの?
実行している状況を競っている人なの?
テニスのプロの試合でも、
6-6のタイムブレイクになりましたね。
10-10まで行きましたけど、
すごい面白いじゃないですか。
でも、6-0で終わってしまうとかっていう、
圧倒的な力の差があると、
そんなに面白くないので、
常に実行状態で、
テニスをやりたいなっていう思いがあるので、
どの方とラリーをしていても、
その方のレベルにこちら側を合わせて、
実行状態をうまく作って、
勝った、負けた、うまくできた、できなかった、
っていうやり取りを楽しみたいなっていう感じがあります。
プレーしてコーチだからっていうことではなくて、
そこもこういう判例とか、
いろんな条件を自分の中に作って、
向こうに有利にしているような形で、
そういったお客様、どんな相手でも、
そういった車工師、
ハラハラドキドキするような雰囲気を作る。
雰囲気を心がけていますね。
それが一番楽しいと思っているので、自分でも。
やっぱりそこにある楽しさなんですね。
そうですね。
やっぱりラリーしていても、
打ちやすいボールが来て気持ちよく出たり、
取れるところにギリギリに振ってくれて、
ラリーが途切れないとか、
っていうのはすごく楽しいと思うんですね。
自分がディンスを始めた時に何が楽しいって感じたかと言うと、
やっぱりコーチとのラリーだったので、
そういうのは大切にしていきたいなと思っていますね。
そうですね。
あっという間に話していると、
30分くらい経っちゃうんですけど、
こういう話って僕も大好きなんで、
もっと聞きたいなと思うんですけど、
なかなか1回の話でボトルコーチの魅力が伝えられないっていうのは
僕は分かっているので、
第2回目、3回目っていうのをまたお願いしたいなと思うんですけど、
いつも皆さんに聞いているんですけど、
これを聞きながら、
聞いてくださるお客様に、
これからのボトルコーチということも含めて、
メッセージをいただきたいなと思うんですけど。
ちょっと待ってくださいね。
そうですね。
いろんな方が聞いていらっしゃると思うんですけども、
私のレッスンに来ていない方、
ぜひ、
コーチに来ていただきたいなと思うんですけど、
私のレッスンに来ていない方、
ぜひ、
プレーを、
レッスン中のプレーを、
デモンストレーション、
いろんなメニューもあるんですけども、
ぜひ見ていただきたいなと。
体験していただけると、
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すごくテニスの楽しさが分かっていただけるんじゃないかな、
というのがありますね。
テニスのレッスンを受けてくださっている方、
よりまた進化していけるように頑張っていきたいと思いますので、
これからもよろしくお願いします。
はい。
皆さん、ぜひ、
レッスンを受けたことがない人は、
ご当コーチのデモンストレーション、
レッスンってデモンストレーションの部分ですごい、
僕らも大事にしている部分なんですけど、
あそこに結構詰まっている部分がありますよね。
そうですね。
そういったところをぜひ見ていただいて、
またレッスンを受けている方も、
より一層注目してみていただければと思いますので。
はい。
ご当コーチ、今日はありがとうございました。
ありがとうございました。