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GODAI スポーツポッドキャスト、すぽきゃす。
この番組は、スポーツを通じて、人々の健康生活の実現を目指す、
GODAI グループの提供でお届けいたします。
では今日は、船橋支店の小山裕史です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
小山さん、久しぶりですね。
なかなか会う機会がない。
こういう形でね、この前もGOちゃんと話したの聞いた?
ポッドキャストで添えたGOプロと。
すみません、聞いてない。
聞いてない?
すみません、聞いておきます。
ポッドキャストを始めて、小山さんが流れる日は、
多分18人目か19人目になるはずなんですけど、
まあだいたいね、うちのコーチたちね、
あ、なんか知ってます?みたいな。
でもいいんですよ、これはぼちぼち広がっていけば。
でも、なんと、なんとですよ。
皆さん、ポッドキャスト今累計5万ダウンロード超えてるんですよ。
そんなに?
そんなに。5万ダウンロードって俺はそんなに思わなくて。
いや、まさかそんなにね。
いや、リピーターの方がね、いたりとか、
ダウンロードしてくださったりとか、
あとは、ちょっと興味がある方とか。
影ながら応援してくれてる方もいらっしゃるんですけど、
ぜひね、レビューを書いていただくと嬉しいなとか。
これでヒット数を稼げるように。
そう、小山さんで。
トークは苦手ですけど。
知ってます。
まあ知ってますもんなにも、
まずちょっと説明をすると、
僕と小山コーチは、いつから?中学生かな?
中学生の、中1くらいだよね。
出会ったのね。
からの付き合いなんですけど、
まあお互いテニスをね、やっていて、
小山コーチは福岡県出身で、
博多弁丸出しの。
出会ったときはね、
なんかすごい、
正直言って田舎くせえな、こいつが思ってた。
なんとかしようと、
思いっきり田舎も丸出しでやってきた関東に、
すごい緊張してきたのを思い出しますね。
えっと、あれ何かさ、
ナイキのイベントだったんだよね。
出会ったのね。
有明で、ナイキが主催する、
ナイキキャンプのセレクションみたいなやつだったよね。
それに合格すると、
1年間ナイキのサポートを受けられるっていう。
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受けたよね。
受けた。
ねえ。
小山コーチは、
小学生の頃から、
俺たちの台ではね、
あれだったよね。
スーパースターだったよね。
トップクラスだったもんね、
ジュニアと言いますか。
そう、当時は。
ねえ。
改めて、知らない人もいると思うんで、
聞いてくれるであろう方に、
今聞いてらっしゃる方に説明すると、
12歳以下から花咲いた?
そうですね。
テニスの試合って、
Under-12、Under-14、Under-16、Under-18っていう形で、
別れてるんですけど、
12の時は?
12歳以下の、
西小里君も、
優勝したのかな?
全国選抜ジュニアっていう、
千葉県のTTCで行われる大会で、
2回目の全国大会出場で、
準優勝しました。
Under-12で全国準優勝?
準優勝しまして、
それがきっかけで、
いろいろと遠征にも行けるようになりまして、
そこからスタートしたんだ。
旅が。
はい。
なるほど。で、14は?
14歳以下の時に、
13歳かな?
13歳の時のRSK全国戦、
RSKか。
岡山の。
岡山のね、
14歳以下だけの大会だよね。
それでも、また準優勝しました。
準優勝。
シルバーコレクターいるし。
だんだんシルバー。
日の目の見えないね。
でもすごいね。
優勝はないんですけど、
12、14で優勝して、
で、その時に、
14歳以下の国別対抗戦、
3人ずつ各国代表で選ばれるんですけども、
そこで初めて日本代表として選ばれて、
プレーすることになりました。
日本代表だったんだよね。
はい。
ねえ。
日本代表ですよ。
はい。
何か覚えてる?
いや、
俺は俺だから、
あいつあんな奴は強いなとか思った記憶があるね。
中学生の時とか。
あの、小さいながら、
あんな奴とかって言ってもらって。
日の丸を、
仲いいんですよ僕ら。
重圧みたいなのを初めて感じて、
本当に試合のウォーミングアップやってる時に、
グリップの持ち方を忘れちゃって。
それくらい緊張したんだ。
もうド緊張して。
もともと上がり性ではあったんですけど、
やっぱりその重圧っていうのをすごい感じることができたのは、
本当にいい経験できたなと思いますね。
ある程度凄さが伝わったのとは思うんですけど、
16歳か18歳かと。
で、高校に入学するにあたって、
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福岡から神奈川に来ましたね。
どちらの高校に?
神奈川の湘南高科大学高校という。
名門ですね。
テニスの名門校に。
名門校に。
今までインターフェでも何回も優勝してるね。
結局その3年間で団体で優勝できたの?
準優勝。
やっぱり準優勝だった。
また準優勝だった。
そうなんですよ。
凄いよね。
どんな時でも決勝の舞台にはちゃんと目が立ってるんだよね。
その経験は凄い生きてますね。
で、18歳。高校生までだもんね。18歳以下で。
大学は法政大学に入学して、
法政大学でも。
どうでした?
そこで、新進大会って覚えてる?
関東では優勝をその辺りでしまして。
久しぶりの関東学生で優勝した。
その時がダブルスだったんですけど、
高校の時に練習してきたことがやっと身になり始めて。
時代ごろはシングル中心でやってたんですけど、
高校大学と恩師がダブルスにお前はもっとやるべきだって思い置いて、
初めて大学で身を結んだというか、
結果に繋がった部分があって。
ダブルスが?
そう優勝して。
ダブルス何優勝したの?
夏間。
また関東学生ね。
夏の関東学生もダブルス優勝したんだと。
春の関東学生はやっぱり準優勝。
春間も準優勝したんだ。
本当?
したんですよ。
何年生の時?
4年生かな。
最後?
3年生だった。
当時強かったオチアイ・ジクマル組って石崎君は覚えてると思うんですけど、
めちゃくちゃ強いペアにコテンパンに決勝でやられるっていう。
それが準優勝だったんです。
春間が。
夏間は優勝優勝でした。
で、インカレあるじゃないですか。
インカレで第一シードになったんですよ。
第一シードだったけど、あれだ。
一回戦で負けたんだよね。
覚えてる覚えてる。
すごく覚えてる。
インカレ負けたんだよね。
あれはね、笑った。
笑われました。
笑ったね。
人生で一番やらかした。
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なんか、小山さんそういう星の下に変わってるとかあるよね。
なんかそういうところ使う。
爪が甘かったですね。
爪が甘い。
爪が甘い。
知ってる?
はい。
いやいや。
でもそういった形で、関東学生とかインカレっていうところで。
大学のリーグ戦は?
リーグ戦でまた準優勝しました。
関東大学リーグで準優勝で大沢行って。
大沢ちゃんと行ってんだよね。
行った。
ちゃんとあれだよね。
12歳からスタートからして大学までのところでちゃんと全国大会で。
ちゃんとそこまで上がってるよね。
すごいよね。
頑張りました。
すごいと思う本当に。
なんかね、そういうすごい人なんですよね。
で、まず久しぶりにこういう機会なんで聞きたいのは、
テニスをまず始めたきっかけ。
始めたきっかけはもう両親がすごいテニス好きで。
司令のコートに、僕は幼少期、今でも覚えてるんですけど、3歳ぐらいの時にコートに連れて行かれて。
僕が一人、石崎君と一緒に一人でしたから、遊ぶ相手がいなくて。
親はテニス楽しんでますから。
やることないなと思ったら、やっぱり壁打ちが横にあって。
でもやっぱり暇だから、そこでボコボコやってるうちに、なんだこれうまい、面白いな。
やってるうちに、こうだんだんだんだんテニスの面白さにのびり込んでいったというか。
お父さんお母さんが好きだったんだね。
すごい好きで。
それについていった形で。
その後、テニスをなんか真剣に習い始めるっていうのはいつ頃からだった?
10歳かな。小学校4年生の時に本格的にテニスをやろうって決めて。
それはスクールに行った?
そうです。
なんていうところ?
これ入れていいですか?
いいよ。
ディノテニスクラブっていう福岡の小さいスクール。テニスクラブかな。
ディノ。
ディノザウルス。恐竜の。
よく知らないけど。
ディノザウルス。
そのオーナーがディノザウルスが好きで。
本当に小さいスクールで。
地域密着の。
たまたまそこに全国大会に出るぐらいの。
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たぶん石垣くん知ってると思うんですけど。
知坂くんっていう。
知坂?
知坂?
日大三島のエースだった人。
なんか久しぶりに聞いた。
今はもうお医者さんやってる人。
お医者さんなの今。
その人が近くで全国大会どうだったって返ってくるわけですよ。
この人くらいやれば全国大会いけるのかっていうのを間近で見ることによって。
ある程度これくらい努力しなきゃいけないんだ。
目指す人がいたんです。
この人に勝てるようになれば全国でも少しずつは勝てるようになるのかなっていうことで。
コーチにもいろいろと相談したりして。
何を変えたらいいんですか?
前はフォアだと。
そこから泣きながら毎日フォアハンドル練習しまくって。
相変わらずそこでバックを全然練習しなかったことですから。
いまだにバックはちょっと苦手。
僕苦手なの?
実は苦手です。
知ってたけど。
狙われましたからね。
あの話したほうがいいんじゃないですか?
僕と石崎君。
それはね、小山さんが落ち込んじゃうからそういう話しないと。
まあ後でするけど。
違う。
でもなんかそのところでそういう出会いがあって。
もっと俺こうしなきゃみたいなっていうところがあったっていうのは。
でもそういう出会いってさ、偶然なんだけどありがたいよね。
両親に感謝もしてるし、そういうところで練習をさせてもらえた。
ライバルになる、目指すべき人がいたっていうのが大きい。
その人にも本当に出会えたことはラッキーだったと思うし。
なかなか普通そういう存在って福岡じゃなかなか出会えない。
まあね、福岡でいうとイメージで言うと柳川高校とかってなってくるから。
でもそれまではね、高校に入るまではなかなか出会えないっていうかね。
そうなんだね。
でもその後それでリノにテニスクラブにそこで習って。
14歳以下で日本代表になるまでになったわけじゃない。
中学生まではそこで。
中3まではそこで過ごして。
そこから高校に。
高校に行ってっていう形で。
高校の時はなんで神奈川に行こうって。
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日中留学じゃないけどね。
話に出たら柳川高校に行くか石崎君と一緒の日大参考に行くか。
日大参考に行くか迷った。
迷った。
でも当時僕はそんなに勉強ができるタイプではなかったので。
石崎君と違って。
俺もできなかったけどね。
やっぱり柳川と湘南高科大学全高校の二択になって。
当時やっぱ柳川といえば上昇軍団だったから。
逆にそこに勝ち合いが芽生えてきて。
当時湘南高科大学全高校に。
同期としてももちろん入りますけど。
すごいいいメンバーに恵まれて。
すごかったよね。俺たちの年齢はね。
昇吾とか柳川もすごかったしね。
みんなすごかったよね。
世帯的にはかなり昇吾は厚かったね。
あとは堀越とかね。
堀越もね。
ちょっと厚すぎて。
プッシュだけどさ。
そう簡単に勝てなかったもんね。
中間層がまた厚いよね。
極端じゃないんだよね。
トップが全部強いとかじゃなくて。
敵的に強いから困ったよね。
1,2回戦とかでもかなりきつい試合を強いられるっていうのは当たり前だったから。
そうだよね。
その時の回想シーンを話したら1時間ぐらい経っちゃいそうだから。
その中でいろいろと切磋琢磨して。
全国から集まった中で元々関東にいた人間と関西から北海道から来たいろんな人間が
トップクラスが神奈川の湘南高科大附属高校にテニス部に集まって
その中で揉まれるわけじゃない。
レギュラーを取るだけでもね。
そうなんですよ。
だってトップクラスもいない。
大変でしたよね。
今思ったらおそらく一番必死に練習してたのかなっていうのは。
もちろん大学とその後も練習はしたんだけれども
もう練習量今同じのをやってみろって言われたらちょっときついですっていうぐらい追い込んでたんで。
そうだよね。
後輩には杉田祐一選手がいたり高橋祐介選手も排出している湘南高科大附属高校ですから
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それはねいろんな思いをしたと思うんだけども
その中でここに商工に入ってよかったなと思うところってどんなところだった?
やっぱり間違いなく言えるのは山室先生。
高知の山室先生が本当にもう月っきりで。
杉田祐一君もそういう部活で山室先生にお世話になった一人で
本当に一緒に練習もやるし
トレーニングも浜辺一緒に走るし
ベンチプレスも僕ら以上に上げるし
今上がったからね。
山室先生もね。
かっこいい先生がいたんですけど
その先生が一緒に頑張ってくれたからこそ
頑張らなきゃなっていう気持ちもあったし
その先生を喜ばせたいっていう一心で団体戦を終わった。
そういう思いもあったよね。
その中でいろいろと考えた中で
法政大学に進学して
そこでもいろいろあったよね。
法政大学から4年間関東学生を優勝して
インカレーでも活躍をして
大学では王座っていうね
一つの目標というかみんなが目指すべきところの部分で
王座の出場をねっていう経験をして
そういった中でテニスを通して
いろいろと人生を歩んできたわけじゃないですか
そこの中から学んだことっていうのは
大学までひとくくりとして
学生時代で今振り返ったらどういうところだったんですか
やっぱり人と同じことをやっていては
そこそこで終わってしまうんだなっていうのを
自分よりも上に行く選手は
やっぱり人知れず努力してたし
なんてことない動作なんだけど
すごいいろんなこと考えてるんだなっていうのを
ふとした会話とか試合会場とかで話すときに
やっぱすごいやってんだなっていうのを感じて
それは後々にも行きましたね
そういう経験は
その後実業団に行ったじゃない
伊予銀行っていう愛媛県にあるところに行って
銀行員なんだよね
今本当に銀行員だったと思うよ
元銀行員ね
愛媛銀行で
21:00
愛媛じゃない伊予銀行じゃない
愛媛の伊予銀行で
テニス部に実業団があるんですけど
今までの伊予銀行って
日本リーグやって大活躍してますけど
また来週あるはもんかな
決勝リーグ
また進んでるわけ伊予銀行って
すごいチームですけど
そこで約3年くらいプレーしてたっていう
僕も記憶が新しいですけど
そこの中で3年間プレーした後に
プロ転校したじゃないですか
ちょっとその辺も聞きたいなと思ってて
社会人になってのキャリアを積んでから
プロに転校したっていうところ
どういう気持ちだったのかなって
僕がアマチュアの選手として
実業団の中でプレーしていく中で
僕の同期で活躍してた選手が
高校大学卒業した後にプロにみんな行って
また多かったもんね
俺たちの代はプロになった人がね
やっぱり自分自身も
何かもっと近づきたいっていう気持ちもあったし
何か自分を変えるきっかけを
自分で作っていきたいっていう思いがあって
銀行の人事の方とか
あとはチームメイトのみんなにも
思いを伝えた上で
一回退職をしたんですけど
本当に厳しいところに身を置くことによって
どれだけできるのかを試してみたかった
自分の可能性をね
テニスでどこまで自分はいけるのか
その中でのトライで
日本ランキングではシングルスで
何位まで行ったんだっけ?
16位まで
行ったね
よく頑張ったよね
言うのも簡単なんだけど
もっと10位以内とか
トップ10っていうのは
自分の中では
16位って俺凄い立派だと思うよ
16位って試合どんどん回って
コンスタントにレベル高い試合で
優勝とか準優勝とかしてないとさ
ポイントも稼げないしね
トップ10に入るっていうのはね
その当時もそうだけど
NATPなんか世界ランキング持ってる選手が
グループに出てくる世界になってくるから
24:02
トップ10になってくる
そうなるとやっぱり国内でね
回ってたっていう中で
やってるっていうことになってくると
そこっていうのは凄い成績だね
立派な成績なんじゃないのかなって
改めて思うんだけど
やってみて
プロで自分の悔い残らず
やったわけじゃない
どうだった?
今振り返ってみて
悔い残った部分
残った部分といえば
もっと海外に挑戦するべきだったなと
今でこそ西コリ君が
凄い活躍して
たぶん小中学生の子は
当たり前に海外海外で
多分言えると思うんだけど
実際にその時の自分の置かれてる状況
スポンサーとかも含めて
現実的なところを見過ぎて
もっとポイントを取らなきゃいけない
っていうところに
意識が行き過ぎて
挑戦できなかった部分がやっぱり悔やまれる
本当に変な話ですけど
どっかにお願いして
お金借りてでもいくぐらい
それぐらいがむしゃらにやらないと
もっと上にはいけなかったんだな
っていうのは実際は思うし
ただそういう失敗というか
自分が学んできたことを
若い子たちには伝えていけるから
ここまでしかいけないんだね
これだけ成績出してもっていうのは言えるから
そういう部分では僕にしか伝える
僕なら伝える部分はあるのかな
っていうのを感じますね
やっぱりこれは
どのスポーツ選手も一緒で
海外に回って結果を出していくためには
それなりの資金も必要で
時間も必要で
そうなってくると
ここで自分にどういうタイミングで投資するべきなのか
どういう判断をするのかっていう
その時は難しいよね
俺は経験したことないけど
海外に行くべきなのか
っていうところの部分は
よく想像につくけれども
なかなかそういうことを経験した
コーチっていうのはいないと思うんで
今現在指導者として
歩んでいる小山コーチなんだけれども
今そういったことをいろいろ経験して
子どもたちに対して
そういったことを伝えられるような
ことができるっていうところで
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今は一般のテニスを楽しんでらっしゃる方に対して
船橋でレッスンをしながら
または今はコーチたちへの
技術指導もやってくれているんだけれども
そういった中で今
これからの小山コーチとして
どんなコーチ
さらに歩んでいくのかっていうところとか
今どういうビジョンを持っているのか
もっとこの五大の魅力を伝えていける
中心的な存在になれるかっていうためにも
まずは自分の技術も磨きつつ
知識も含めて
あとは動画とかを通して
伝えていくだけじゃなく
実際体験にレッスンに受けてもらって
これだけいいボールを打つコーチがいるんだ
というのを体感してもらって
そこに一人でも多く
もちろん入会して楽しんでもらえたら
一番嬉しいんですけれども
そういうテニスの楽しさとか奥深さを
ほんとに他のコーチ以上に
伝えていける存在になれたらいいな
と思います
小山コーチならではの苦しい思いもして
試合に勝つっていう喜びも
いろいろと経験をして
でもそんな本格的なボールを
受けれるっていうスクールも少ないと思うんで
特に上級者の方なんかは
ぜひ挑んでもらいたいなって
おかげさまで僕の担当している
男性のトーナメントクラスが
ほとんどもう定員になるようになりまして
本当にお客様のおかげなんですけれども
そういう広めていただけるぐらい
信頼関係を築いていくのは
本当に大変だなって感じるんですけども
本当に恵まれた環境の中で
やらせてもらえてるんだなっていうのは
実感している
感謝ですよね
テニスを楽しんで
そういった思いも乗せて
引き続きというところで
船橋で楽しんでらっしゃる方にも
小山コーチの魅力を
これからもぜひ味わっていただきたいなと思うんですけど
なかなかこの短い時間で
小山コーチ丸かじりっていう形で
いろいろとお話ししたいなと思ったんですけど
なかなか時間も時間なので
最後にお客様に
小山コーチのメッセージを
いただきたいんですけど
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本当にレベル関係なく幅広いレベル
本当に初級の方から
初心者のテニス全くやった方
グリップの握り方もまだ分からないんですけど
っていう方から
本当に全日本目指したいです
っていうぐらいの熱意のある方まで
幅広くテニスの楽しさを
伝えていける存在になっていきたいと思いますし
そのためにも
1日1日を大事に
学ぶ姿勢をしっかりと
これから持ちながらやっていきたいなと
思います
それはなんかあれですよね
自分の初心商品みたいな
お客様
今のはカットで
カットで握りをそのまま
そういった理想像として持っていながら
お客様に対しては
そういったいろんな
方たちに向けて
レッスンをできることを
伝えていきたいと
楽しいからねテニスってね
やっぱり女性陣の方々もそうなんですけど
お昼にレッスンやってる方々も
きついからもうやめてとか言ってるんですけど
やっぱりテニスやってるとき
目がキラキラしてるんですよね
そういう人たちに対して受けて
僕のレッスンを受けてもらって楽しかったよとか
前よりもここが上手くなったとか
声を聞けるのがすごい僕的には嬉しいので
そういう新たな気づきとかを
より一人でも多く感じていただけたらなと
分かりました
でも本当にそういった純粋な気持ちを引き続き
お客様にぶつけていただきたいなと思うんですけど
今SNSでね
今小山コーチのフォームをね
絶賛今流してますので
いいボール打ってね
それをイメージ動画として
これからさらに新しい動画と取り組みを考えていますので
ぜひこれからもね
小山元プロの
これからのティーチング・コーチングも
ぜひ期待していただければと思いますので
これからもよろしくお願いいたします
ありがとうございました
ありがとうございました