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  2. 第3回【GODAI亀戸・白楽テニス..

秋田県出身 元国体選手である石垣コーチ。
バリバリの体育会系の人生!テニスコーチになったきっかけは?!秋田愛からテニス愛を!?
ホテルマン時代からなまはげまで(笑)
ガッキーと呼んで下さい!!





00:02
5台スポーツポッドキャスト、すぽきゃす。
この番組は、スポーツを通じて人々の健康生活の実現を目指す
5台グループの提供でお届けいたします。
皆さん、いつもありがとうございます。
5台白楽支配人の石崎優太と申します。
この番組は、スポーツを中心とした情報を
5台から幅広く発信していきたいと思い立ち上げました。
それにはまず、5台をより知っていただくために
5台のスタッフを中心に改めてご紹介をしていきたいと思っております。
私がインタビュアーとなって、コーチ、フロントスタッフが
どんな人物なのか、いろいろと掘り下げていきたいと思いますので
ぜひ聞いてください。
それでは。
はい、5台スポーツポッドキャスト
スポキャスですね。
3人目。
これは配信されるかどうか分かりませんが
5台亀井堂から
今月移動になってきた石垣コーチです。
よろしくお願いします。
石垣コーチです。よろしくお願いします。
僕はもうガッキーって呼んじゃってるんで
石垣コーチとか呼ぶのめんどくさいんで
みんなもこれ聞いてる方はガッキーって呼んでもらいたいんですけど
ぜひぜひ。
ガッキーはまず、今いくつになったんですか?
今今年で31歳。
31歳。もう31歳ですか、石垣さん。
あの僕がもう31歳になりました。
懐かしいですね。
ガッキーと出会ったのって
何年目?ガッキー今
5台に入社して何年目ですか?
僕は5台に入社して
約8年ぐらいになると思います。
約8年ですね。
8年っていうのは
ちょっと遡っちゃっていくんですけどそこからね
石垣コーチは僕が知っている
秋田県出身
金足農業の
金足農業の
よかったね。
本当に感動しましたね。
秋田ってもう金足農業のピッチャーが活躍しなかったら何もないでしょ。
そうですよ。
おいしい食べ物とかありますよ。
なんかある?他に。
そうですね、霧田んぼとか
マゲワッパー、あとは生ハゲとか
生ハゲとか
吉田投手以外にもいろいろいいところがあるので
いろいろある。
今頃から秋田出身の人に怒られちゃって
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秋田はいろんないいところがある。
日本酒もおいしいし
秋田名物生ハゲチョコとか
それは嘘ですね。
石垣コーチの実家の商売の商品ですけど
カメイドで一時期発売されてました。
あげてたんじゃない?
発売しました。
あれおいしいよね。
チョコがいいチョコを使ってみたいですね。
いいチョコって。
ないですけど。
秋田出身で
秋田県出身で、秋田で生まれて
何歳から手にさじめたんですか?
僕は小学校2年生からなのでちょうど8歳とかですかね。
8歳。
8歳ってそんなに早くないよね。
そうですね。
いろんなスポーツもやってたので
何やってたの?
体操と水泳とあとはテニス。
体操も。
集団競技は父親にやらせてもらえなかったので
公園とかでみんなでやってたんですけど
結局個人競技をやらせたかったみたいで
一番実は体操が好きで
体操はハマってたんですけど
鉄棒がちょっと怖くてですね。
マットとか飛び箱はすごい成績が良かったですけど
鉄棒だけちょっと成績が悪くて
それで辞めてしまって
水泳もクロールができるようになったら辞めてしまって
最後に残ったのがテニスですね。
なんでだろうね。
その辺も後で聞いていきたいなっていう
テニスだけにハマっていったっていうね
ところがすごい興味深いなって思うんですよ。
そのテニスを選んで
子供の時にテニスの業界で言うと
ジュニア時代ってなるんですけど
石原コーチは秋田では
噂で聞くとトップクラスだったっていうね。
そうですね。
最初に僕が大会が出始めた時は
その一大会の出場人数が
4人とか5人だった時もあったんで
だいたい表彰台には載ってました。
1,2,3位には。
例えばその5人の中でも必ずトップ3に入って
入ってましたね。
一番少ない時はほんと3人とかありました。
もうすでにトップ3に入れました。
もう負けても3位になるっていう大会も入りました。
ある意味常にトップに君臨していたから
自分の潜在意識は完全に
自分はもうトップだと。
それに良い教育っていうか良い環境で。
まあまあそれは小さい頃だけだと思うんですけどね。
高校も行ったらもっとライバルが増えていって
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っていうところで
もうこれはお客様もね
西谷コーチに習っている人も知っていると思うんですけど
国体選手ですからね。
そうですね。
やっぱりそういった秋田県を背負って
っていうところで代表して出場していて。
高校卒業と同時に
次はどちらに行ったんですか?
日本大学ですね。
いわゆる日大に
テニスのスポーツ推薦ですか。
それでちょっと引っ張っていただきまして。
すごいですね。
大学4年間はテニスだけの生活で。
もうバリバリ?
バリバリにやってましたね。
あそこの何だっけ?
玉川浄水の。
玉川浄水の。
あそこの今の寮はかなり綺麗になって。
そうですね。
でもガッキーがいた頃も結構
綺麗だったんじゃないのかな?
そうでもなかったのかな?
そうですね。
でも汚かったですね。
廊下とかもすごい狭かったですし。
でも内装は綺麗でしたね。
住めば都みたいな感じですね。
そうですね。
玉川浄水みんなあそこにね
よく知ってますよ。
伝説のある寮ですね。
なるほど。
でその後
日大でね
日大だと
トップリーグですから
非常に先輩も同級生も強い選手たちがね
全国クラスの中で揉まれながら
リーグ戦も戦って
その後
テニスの道に行こうと思いきや
どちらに行ったんでしたっけ?
秋田に帰りました。
秋田に帰って
秋田に帰って
別の職なんですけど
ホテルマンを1年。
そこがね今でもね
なんでなんだろうなって
どういう経緯でホテルマンになったんですか?
そうですね。一応
コネクションもあったりとか
そういう理由で
とりあえずそこに就職できるぞって
それで頑張ろうかなと
テニスの道はパタッとパタッと諦めて
諦めたっていうか
もうやり切ったっていう感じはあったのかな?
そうですね。やっぱり大学は周りを見ると
すごい強い選手だったんで
一応高校から大学に入るときは
プロも目指してたりはしたんですけど
やっぱり大学の壁の高さといいますか
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これは自分はプロではやっていけないというところで
一旦大学でテニスっていうのは
一度気を付けて
そうですね。一応地元
自分はやっぱ秋田が好きなので
一応帰ったものも
働きながらビール瓶で素振りをしたりとか
ビール瓶で?
ビール瓶持って素振りをしたり
テニスへの気持ちがちょっと忘れられなくて
それで
運良く後代に入社することができまして
そこからずっとプロでやってます
後代を知ったのは
きっかけは何で?
秋田の大先輩の堀江さんという
伝説の
伝説のフラットの堀江と呼ばれる堀江さん
ドフラットの
ドフラミンゴ堀江さんがいてくれて
一応そこで
スラムダンク割に堀江さん
テニスがしたいですって言ったら
じゃあ打ち合う?どう?って感じで
誘っていただきまして
そこから後代の入社は
段取りよく決まりました
赤木キャプテンだっけ?
堀江キャプテンだった?
堀江キャプテンだった
そんなにごつくはない?
ごつくはないです
どちらかというと
安財監督ばりに優しい生徒ですね
じゃあその秋田の繋がりで
秋田に1回帰ったものの
もう1回秋田の繋がりで
後代に来ることになった
なるほど
テニスはずっとやってたものの
選手としてずっと
テニスに携わってきて
1回ホテルっていう企業に
ホテル業界っていうところにいて
やっぱりテニスやりたいなと
早いタイミングで
1年間はいたっていうところで
そこからまたテニスの道に
今回はその中でテニスの道っていう
ここから結構聞きたいところで
後代に来てコーチっていう
テニスコーチっていうキャリアを
スタートさせたわけじゃないですか
石垣楽器は
どんなことが自分の中で
テニスっていうものをベースとして
小さい頃からやってきて
テニスの見方とか
自分の中での感覚とか
人生観とかテニス観っていうのって
変化があった?
そうですね
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やっぱり自分がプレーをする以上に
人に教える難しさっていうのは
本当に感じましたね
やはりすごい勉強も
しましたし
それでやっと今8年目ぐらいですよ
やっとそのお客様のニーズに合わせて
アドバイスができるようになってきたかな
というままのところです
まだまだ正直にこれからしていきますけど
それの中でどういうことが
そういったテニスを楽しむ方たちに
僕らは伝えてるわけなんですけど
難しさ
どういうところがこういうところが難しいな
って感じるところってある?
テニスですか?
そうですね
やっぱりスポーツの中でも
こんなに広い範囲を動いて
かつ道具を使って
やるスポーツっていうのは
スポーツの中でも少ないと思うんですけど
やっぱり一番難しいのは
その手を使ってボールをコントロールするんじゃなくて
ラケットを使って
ラケットの中にはガットもあって
すごい繊細なスポーツ
なのでやっぱりそこが一番テニスだと
コントロールというか
ラケットコーディネーションといいますか
それがやっぱり難しいのかなと思いますね
それはそういったコントロールが必要だから
それをテニスを習っていらっしゃる方たちに
技術を伝えるっていうところが
非常に難しいってこと
それをどういうふうに
できるようにするかっていうところが
やっぱり難しいと思いますね
逆にやっていて
コーチやっていて
楽しいって感じるところってどういうところ?
そうですね
一番楽しいのは
いろんな方とボールを打ち合って
テニスを一緒に楽しめることができるっていうところが
まだ自分の中では一番楽しんでると思いますし
あとは自分がアドバイスをさせていただいたときに
それがお客さんの都合にパーンとはまって
あ、できた!って
お客さんがなったときには
自分も楽しいですし
嬉しく思いますね
自分がこうですよ
こうやってくださいって言ったときの
パチンとはまっちゃった瞬間
気持ちいいよね
そうですね、そのときはもう
それだよ!みたいな
それですよって言って
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もう一回いきましょうって言って
反応がすごい楽しいですね
なるほど
どちらかというと
みんな共通して持っているところはあると思うんだけど
上手くなってもらいたいっていうところはあると思うんだけど
コミュニケーションっていうところの部分が
一番楽器はレッスンで重きに置いているところなのかな
そうですね
一番コミュニケーション取るのが
自分の一番の弱いところ
弱いね
人見知りなんですね
すごい人見知り
それはやっぱ飽きただから
飽きただからですよね
飽きたりしててもう人見知りなんですか
それはでも自分の中で課題だと思って
よく本とか読んだりしてるんですけど
本とか読んだり
気にしてるんだ
何秒以上会話が続く
会話術みたいなの読んだりして
スキル的な
スキル本を読んだり
自分の弱いところを
特に初めましての方に対しては
本当に自分がどう接していいのか分からなくて
そういうところは本を読んで
だいぶ改善されてきたかなと思うんですけど
コミュニケーション本当に下手ですね
皆さん聞きました?
コミュニケーションに難ありですね
人見知り
人見知りで
常にレッスン見てる時は
ガキ頑張ってるな
こいつ頑張ってるな
そう思ってる
頑張ってるな
なるほど
でもいいよね
自分の弱いところをちゃんと認識してて
そこをさらけ出してるわけでしょ
結構テンパってるな
テンパってる
なるほどね
そうだよね
時々ボレストとか見てても
やっつけちゃう時あるもんね
そうそう
負けたくない気持ちが入っちゃう
選手の血がさわる
そうですね
勝負になっちゃう時
ものすごく迷惑になっちゃう
最後自分が勝って終わりたい
気持ち悪い
勝って終わりたい
気持ちよくない
それはぜひやめていただいて
本当すみません
今こうやって8年という中で
まず最初は江北支店に
配属されたわけなんですよね
江北支店で何年?
江北支店はちょうど6年ぐらい
6年江北支店でいましたね
6年やった後に次は?
今度は亀戸支店で
18:00
江北支店でいる時に
週1日なんですけど
水曜日だけは博楽支店のほうに
遅まんですけど
そういう時期があったね確かに
週4日江北
週1日博楽
水曜日ね
水曜の夜2本
ジュニアカラバンで
一般は2本ですね
一般2本やってました
ジュニアをやってから
Dの時間とEの時間を担当して
あれは僕の記憶だと
CコートとDコート
CコートとDコート担当させてありました
それをやってて
亀戸支店が
オープンと
亀戸支店は3年目になったのかな?
そうですもうすぐ3年
あっという間なんですけど
江北支店で
6年間やっていて
亀戸支店に
移動ってなった時
またこれは
人見知りの石垣コーチは
どう思ったんですか?
そうですね
嫌だなと
嫌でしたね
それ何がまず
嫌な理由
ベスト10いっぱいあると思う
まずトップ3ぐらい
トップ3ぐらいですか
まず何だろう
やっぱり慣れてたところから
新しいところに行くっていうのが
人見知りとしてはね
それ嫌だよね
嫌でしたね
せっかく6年間気づいてきた
スタッフとも仲良くやってたんで
これまた新しくなるのか
っていうところも
ありましたし
でも一番やっぱり
自分が担当してた
お客さんと離れて
また新しいところで
新たなお客さんと
っていうところで
コミュニケーションの
自分の弱さを知ってるので
それでちょっと
そういうところも
また新たな構築を
していかなければいけない
プレッシャーと
そうですね
新しいところ嫌なんでしょうね
自分の苦手意識
落ち着くところぐらいから
思ってましたね
でもそれが嫌だっていうことは
それ前からあったのかな
えーと
どう言いますと
秋田から
ずっと慣れ親しんだ
秋田を離れて
東京の日大
テニス部に
入学するわけじゃないですか
そこでも4年間やって
東京に慣れてきた
東京って言ってもね
21:02
立ち会話
立ち会話
めっちゃ怒られちゃいますけど
立ち会話
慣れ親しんで
仲間がいて
卒業とね
これは人生のターミングポイント
になってるわけですから
また秋田に行って
そこはね
慣れ親しんだっていうところに戻るっていう
それはやっぱ戻りたい
そこは戻りたかったですね
秋田の愛が
すごかった
もうアイラブ秋田だったから
アイラブ秋田ですね
戻るべと
ホテルで就職して
でも
やっぱりその
人見知りの楽器の
そのものよりも
勝るほど
テニスへの気持ちの方が強かったのかな
そうですね
テニス大好き
ってなって
人見知りとかは
気にせずに
テニスがしたいっていう
気持ちでしたね
今後そうやって生きていけばいいんじゃないの
そうですかね
また今回
ちょっと慣れ親しんだ
亀戸から
少し若干
居たことがある博楽
移動という
もうそうですね
本当は嫌だったんですけど
本当は嫌です
でも
色々と
亀戸のオープンの時も
全て新しい
お客様で
そこでやっぱりコミュニケーションも
最終的には取れるようになったので
ちょっとそこを自信にして
また博楽支店でも
どんどん積極的にコミュニケーションを
お客様と取っていけたらなと
思ってます
これからね10月からね
10月1日から
今は週2回来てるのかな
そうですね
月曜日と木曜日
月曜日と木曜日来てます
でもそういった中で
コミュニケーションというか
そういった人との
実は苦手なんです
というところが垣間見れたんですけど
テニスコーチとしてはね
ある意味
良くない
良くないって言えないけど
かなり致命的なスキルが
はい
ないという
でも逆にそこが
テニスが大好きだというところと
でもやっぱりね
あれだよね
僕らってお客様に
助けられてるよね
本当感謝
僕らの仕事っていうのはね
いらっしゃらないと
僕ら存在価値がない
コートに立ってても
一人立ってても
こういう感じになってしまって
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こういった石垣コーチが
体育会で学んできた
テニスっていうものと
また本気のテニスっていうものと
テニスって楽しいっていう
テニス大好きなんだっていうね
こんなに楽しいスポーツなんだよ
っていうことを
是非ね
これからも伝えていただきたいと思いますが
最後に
これからの意気込みというか
一言でお願いしたいと思うんですけど
それで
石垣コーチの
ポッドキャストを
締めくくろうと思うんですけど
わかりました
じゃあ行かせてもらいます
こんな人見知りの石垣ですけども
皆さん是非
ガッキーと呼んでください
これからもよろしくお願いします
ありがとうございました
ガッキーと呼んでください
感謝しております
この番組は
提供 五大グループ
プロデュース キクタスでお送りいたしました
25:20

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