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  2. 第86回 LANDR(エルアンドアー..

* メタトロンオペレーター
* Wisdom of the earth認定 アロマセラピスト
* スポーツアロマコンディショニングトレーナー

神奈川県にて、産声を上げずに、仮死状態で産まれる。

幼い頃から、両親が経営するテニスクラブにて、テニスに明け暮れ、ジュニア時代には日本代表に選出されたり、ウィンブルドンジュニアに出場したり、活躍する。

一方、肉体的な怪我や精神的な不調が続き、22歳に現役を引退する。その後テニスコーチをする傍ら、ヨガやアロマテラピーなど、自然と調和する生き方に深く興味を持ち、様々な本や先生から学ぶ。

2012年にスポーツアロマコンディショニングトレーナーの資格を取得し、テニスの生徒さんを中心に、トリートメントを提供するようになる。
2017年に不思議なご縁でメタトロンに出逢い、学びを経て、自身で扱えるようになる。

現在はテニスコーチを続けながら、鎌倉市長谷のサロンにてメタトロンやアロマを通じてクライアントさんの身体や心と向き合い、より本来の状態で生きるためのお手伝いをしている。

インタビュアーの石崎とは小学校時代からの友人。メタトロンという聴き慣れないコトバに興味を持ち、実際に受けてみた感想を含めた最先端なお話!





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五代スポーツポッドキャスト、すぽきゃす。この番組は、スポーツを通じて人々の健康生活の実現を目指す五代グループの提供でお届けいたします。
すぽきゃす、第86回目になります。本日は、メタトロンオペレーター、ウィズダムオブ・ザ・アース認定アロマセラピスト、スポーツアロマコンディショニングトレーナー、そしてテニスコーチでもいらっしゃいます。
サロンオーナーの宇田怜未さんとお話いたします。宇田怜未さん、よろしくお願いします。よろしくお願いします。
今、僕、噛まないで言えたかどうかっていうところなんですけど、今、今日、僕がご紹介した、もう一回言います。
メタトロンオペレーター、ウィズダムオブ・ザ・アース認定アロマセラピスト、スポーツアロマコンディショニングトレーナー
今日、これを聞いた方は、聞いた後に色々と興味津々になるんじゃないかっていうぐらいのお話、色々と聞きたいと思います。
皆さんに先に僕も色々と、色々なゲストをお呼びしてお話ししている中で、大体僕、色々な方を通してお話ししているんですが、
宇田怜未さん、僕と同級生でございまして、こんな感じで白々しく喋るような間柄ではございません。
というので、普段のような話でやっていきたいと思いますので、怜未さん、よろしくお願いします。
僕と怜未さんは小学生の時に同じテニススクールで出会いまして、もう彼これ、運命の付き合いになりますからね。
あまりこれ以上言うと怒られそうなので、というところで、そしてやはりこれをよく聞いてくださっている方は、言わずとしてもテニスで僕らは出会いまして、
テニスコーチもされていたということで、今は先に申し上げると、今日のテーマとしては、
メタトロンという、これは聞き慣れない、一般的にはまだ聞き慣れていない部分ですよね。
そういったところと、メタトロンというのは何なのかというところと、
あとは怜未さんの今までのスポーツアロマコンディショニングトレーナーとしても活躍されているので、
そういったことも中心にお話をしていきたいと思いますので、改めてよろしくお願いします。
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もうここまで丁寧に喋ったので。
緊張。初めてのラジオ。
初めてのラジオ。
ポッドキャストという、ラジオ、インターネットラジオと考えてくれれば全然いいので、
これ生配信じゃないので、いくらでも、NGワード言っちゃったら、
大丈夫です。これはキクタスさんという素晴らしい優秀な音声を届けてくれる会社さんが、
しっかりと、僕のNGワードをすべてカットしてくれるように。
大丈夫かな。
ということで、まずは僕らテニスということをきっかけで出会ってですね、
これ僕がご自身で喋るより、僕が喋った方がいいかなと思って、
まずですね、すごい雑に喋ります。
ものすごく小学生の時から高校生までめちゃくちゃテニス強かったです、この人。
いやいやいや。
もう、はっきり言って全日本ジュニアとインターハイで活躍されて、
全日本ジュニアとかのあれ?
全日本ジュニアはね、私シングルさは本当に勝てなくて、勝てなかったって言っても、
でも最高、ベスト8、全日本一緒だ。
すごいね。
一緒ね。
一回、最後一回出ただけだから。
もう常連でずっと上位にいて。
ダブルスは優勝してるのかな?
ダブルスはありがたいことに、リカちゃんと一回、藤原リカちゃん。
藤原リカプロと。
あと、14歳の時に一回優勝させてもらったり。
14歳とかって、僕ね、14歳ってあんまり覚えてないっていうか、
14歳の時に全日本ジュニアとか出てたわけでしょ?
出た。
14歳ってもうね、何の意識もしてないで生きてましたね、僕は。
すごいね。
覚えてる。
覚えてるでしょ。
あの時にね、そんな偉業を達成してたっていうところから、
考えると恐れ多いなっていう感じがするんですけど、
ジュニアの時は海外に遠征行って、海外の試合とか思い出とかあるでしょ?
そうだね、海外、遠征いろいろ行かせてもらって、
慈悲で行ったことももちろんあるんですけど、
教会の遠征も連れて行った。
日本代表になってね、戦ったこともあるし。
ユータがあんまり意識してなかった14歳が私の最…何ていうの?
ピーク?
でもね、それすごいよね。
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だってウィンブルドンジュニアとかも出てたでしょ?
それは落ち気味のギリギリで。
落ち気味のギリギリで。
落ち気味じゃないな。
そこがね、なんか同じスクールにいたのにそんなこと知らなかったからね。
だから要は、14歳でそんな日本代表になってて、
こっちは14歳でゲームセンターで遊んでましたからね。
同じテニススクールにいたけど。
だからそう考えると、振り返ると早崎のタイプだったのかな?
なんかね、言われるがままにやる性格だったのか、体が大きくって。
大きかったわ。
そうなのよ。体が大きくって、割と器用というかね、言われればできるっていう性質だったのか、
言われるがままに頑張った。もちろん自分も楽しかったと思うんですけども。
知らない間にというか、そんなにすごいね、14歳とかってね、そんなになんか頑張ったっていう、頑張ってたと思うけど。
いや、頑張ってる以上の何者でもないでしょ、14歳の時に。
そのね、実は今日紹介したいことにもつながるんですけど、
僕の手元には今サロンをですね、鎌倉の方で開かれているというところで、
実は今今日サロンにお邪魔しているんですが、
今僕の目の前にサロンのパンフレットを持って、ここにプロフィールがあるんですが、
ウィンブルドンJr.にも出場して活躍して日本代表にもなってっていうところで、
ただここに書いてあった、僕もあんまりその部分で記憶にないんだけど、
これあんまり知らなかった、怪我が多かったっていう。
そうなんですよ。
やはり精神的にもストレスをね、すごい抱えたっていうところで、
そういったことが今のこういった職業、立場になるまでにつながっているのかなと思って。
今日ね、そういったところも聞いて深掘りしたいなと思ってて。
そうですね。怪我は本当に、それこそ14歳ぐらいの時にも、肩のね、脱臼癖があって、
ちょっと緩い、もともとルーズショルダーで、ちょっと緩くて外れやすいという肩を持っていて、
普通の人だったら取れないボールを取っちゃう、この辺で取っちゃう。
取れちゃうってね。
取って外れるみたいなのが一番最初、小学生だったかな、なんか一回あって、
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それが1年置きぐらいにやってきて、全部で4,5回外れています。
そんなに?
そんなに。
外れてると、あだっきゅう、完全にあだっきゅうではなくて、あだっきゅうなので自分ではめられる。
けど、やった後は2ヶ月ぐらいはちょっと使い物にならないという。
もう痛いんだ。
痛いし、周りが傷ついちゃう、外れた時。
とか、膝とか。
膝とか。
かかととか、いっぱい。
思い出が。
思い出がね。
結構リハビリはいっぱいやった。
なるほど、でもそれってそこ14歳から始まって、
で、ジュニアっていう期間はその後4年5年で続いて、まさにアンダー18のところで、
ジュニアっていうのが一区切りするまでで、結構そこの期間って大事な。
だから、そこってやっぱりこのプロになるかならないかみたいなところももちろん考えさだし、
なんかそういったところの部分って、なんかどういうメンタリティだったのかなと思って。
なんかそんなにやってた当初はそれが重大なことというか、
今になればその理由というか、なんでそれが起きてたのかとかも、
今の私のなりの解釈はできるんだけれども、
その当時はね、それがそんなに人生を左右するようなことだと思ってなかった。
もうテニスしかなかったからね。
自分の周りにはテニスの環境しかなかったので、
それでテニスをずっと怪我しても、これは直してやる試練だみたいな。
そんな感じでね。
で、そう試練が来たから、直してまた頑張ろうみたいな、
そんな軽い感じでやってた。
軽いのかなと。
でもやっぱりそう目指すべきは、もう一回また同じ舞台に戻るためにっていうところで。
そうだね。20歳ぐらいまではそんな感じでした。
はいはい。
いやでも、それってやっぱり環境がそうさせてた?
まあそれは大きいと思います。
実家がテニスクラブで。
そうなんですよね。
幼少時より両親が経営するテニスクラブに行ってテニスを始めるっていうね。
一番最初のプロフィールにそこ書いてある。
強調。
ここがもうやっぱり、ある意味全然テニスやってた。
僕もね、テニスやってましたけど、そこがもうはや専念できる環境であり、
そこに自分の意識をしか持っていけない環境でもあったっていう。
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そう、それしか知らなかった。
これね、肩ってテニスのやってる人はね、分かると思うんですけど、
結構ね、これね致命的なものなんですよね。
そうね、複雑なんですよね。
まあこれ聞いた方は、40肩とか50肩とかそういう問題じゃないんですよ。
そういう問題じゃなくて、上がらないとかっていう問題じゃなくて、
もう常にボール打たなきゃいけないっていうところで、
サーブだけの問題じゃない、スマッシュだけの問題じゃないものがね、
ここでは語ると多分3時間4時間になるって話だからね。
そういったところで、今ちょっとひも付けると、
その経験っていうところで、いわゆるアスリートであった自分と、
そしてその怪我を重ねて、いろんなところである意味マインドチェンジもあったりする中で、
どうしてこういったアロマ、ボディーコンディショニングっていうトレーナーになっている、
そしてメタトロンっていうところになるまでのいきさつを簡単に教えてもらいたいなと。
はい、20歳ぐらいの時、一応プロになったんですけど、
プロになって試合とか出てたんですけど、
なんせ体がまず壊れてしまって、そこからメンタルをかなり崩して、
今いろいろ病みの時期を迎えたわけですね。
そこから病院とかも実は行ったことがある。
メンタルの。
でもそこでは根本的な解決にならないような感覚があって、
自分なりにどうしてなのとか、なんでこれ起きたんだろうとか、
どうしたらいいんだろうっていうのをすごい考えてた時期が20代前半かな。
で、アロマ、香りにはすごい癒された。
それがやっぱり香りとかそういったところには結構助けられてた。
助けられた。
あとヨガ、一番最初はヨガだったかな。
結局体と心がボロボロになった時点で、これはテニスちょっとできないぞと思って、
競技として選手としてやっていくのはちょっと無理だと思ってもみ切りをつけて引退したの。
そうだったんだね。
で、そこからこのボロボロな体をどうしたもんかと思ってヨガに出会ったのね。
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で、ヨガをしばらく続けているうちに少し体が戻ってきて、
アロマとの出会いがちょっと定かではないんだけれど、
とにかく香りがすごい自分を癒してくれたというのが一つきっかけかな。
あとはハワイに実はマッサージの勉強に行ったことがあります。
ヨガをやったからか、ヨガって精神的なものがあるでしょ。
で、そこをそれとロミロミ、ハワイアン、ロミロミのマッサージ知ってる?
ロミロミっていうのは聞いたことある。
ハワイの言葉でロミロミってよくありそうな気がする。
食べ物かね。
じゃなくてマッサージがあるみたいな。
ちょっと今僕の馬鹿さ加減がこれでだった。
で、ロミロミを習いたいと思ったわけ。
自分がすごいマッサージとかを怪我が多かったから行ってたので、
体のことを学んだほうがいいな、学びたいなと思って。
ハワイに行ったんだ。
ハワイに行ったんです。
最初ハワイに行ってロミロミを習おうと思って行ったんだけれど、
私らしいんだけど選んだ学校がちょっとイマイチで、
ビジネス的な感じの深いものをやりたかったんだけど、
ちょっとモアマニーみたいな感じの要素をこうやって営業職出されちゃって。
そんなそういう。
なるほどなるほど。
資格というか一応できる少々はもらったものの、
これは日本に帰って仕事でできる感じはとてもしなかったね。
ハワイまで行って。
ハワイまで行ってお金払って。
テニスの仕事はもうできないと思ってた。
そうもう私できないと思ってたから、
違う仕事を探さなくちゃと思って。
でもその時は本当に必死だったんだよね。
必死よ。
なんかもうもがいてる時だったでしょ。
それはそういう時あったんだね。
知らなかったわ。
だってわかる?テニスもう嫌だって。
それを仕事にはしたくない。
分かる分かる。
もうとにかく離れたい。
でじゃあ今後体もしんどいし、
何かでも治したいし、このままじゃダメだし。
それで何かこうやって掴むつもりで行ったんだね。
なるほどなるほど。それでそれで。
それで帰ってきたけど、
それでとても仕事にはならない。
ただマッサージはある程度なんとなく分かったぞ。
でどうしようかなと思った時に、
そこでスポーツアロマコンディショニングっていうものを
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教えている人に教えたりとか、
セラピーをされている先生に
ネットで検索したのかな、当時。
杉山愛ちゃんも見ていたことがあった先生だったね。
スポーツアロマコンディショニングという形でね。
でそこに長く結構お世話になったの。
そうなんだ。
資格がいくつかあって、
ビギナークラスとベーシックとスペシャルというのが
3段階であって、
それを2年かけて学んで、
やっとこれでちょっと仕事ができるかなっていう感じ。
でもその間も仕事をしなきゃいけないから、
今までお世話になっていたスクールの
ジュニアの育成をやったりとかできないと言いつつ
やってました。
ジュニア育成をやらせてもらって。
そうなんだ。
やりながらその中で勉強しつつと。
そんな感じ。
体調悪くなるときもあるから、
ごめんなさい休みますって言って、
休んだときもあった。
いやだから結構そこって
すごい心の葛藤があったと思うんだけど、
あのー、
今日は、
えっとね、
今思い返せば、
プロにの経験がない僕でさえ
要はテニスから離れたり、
僕はもううまくね、
離れるきっかけが就職っていうのがあったから、
もうそれで離れた。
でもその中で、
もうやっぱりお腹いっぱいだし、
だからなんかね、
またちょっと違った物の離れ方なんだけど、
分かるその気持ちは。
で、しんどくて。
でもう、
何かやっぱりやらなきゃいけないって言って、
それがジュニアの
子供と接してたとしても、
メンタル的には複雑なんだよね。
複雑だった。
そうなんだよ。
自分これいいのかなみたいな、
ごめんなさい当時の子たちに。
いやいやいや、でもね、
それはね、本当に今が言えるっていうところで、
で、あのー、
多分その頃に、
で、今日は何を隠そう、
結構久しぶりに会うことになって、
またね、このポッドキャストをきっかけに
というところで、
ありがとうございます。
で、あのー、僕は、
すごいまたその、
セカンドキャリアというか、
そういった道にこうやって進んでいるところを、
SNSとかでそういうのを通じて見たときに、
そのときにね、
一回話聞いてて、
思い出したのが、
あのー、
自転車競技の方たちの、
サポートをしているっていう話を聞いて、
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で、それもなんかSNSで、
見てたことがあって、
なんかそのときに覚えてたのが、
屈強の男たちを相手にして、
よく覚えてるね。
そう、で、
確かに、
自転車の、
いわゆるツールドフランスとか、
そういうところ行っちゃう、
でもその自転車競技で、
長距離を走る人たちのチームを、
そこで、
なんか、
今修行してるんだっていうことも、
聞いてて、
今ちょうど思い出したんだけど。
そう、それがこの、
スポーツアロマコンディショニングの、
あれの一つだったの、
カレークラブの一つというか、
行きたい人は行けますよ、
みたいな感じで、
そこで、
そういう募集があって、
基本そこで学んだ人たちが、
サポートに入る、
先生がね、
自転車競技の選手を、
かなり見てた先生で、
そう、私たちも入って、
勉強させてもらうっていう、
あれも、
競輪の選手も見てらっしゃったりとか、
あとロードバイクとか、
マウンテンバイクもか。
いやー、だって、
ただでさえママチャリ越えただけでね、
長距離越えただけでね、
疲労するんですね。
相当なアスリートのね、
体をこうやって施術することになったと、
思うんだけど、
そういった経験から、
いま、
一般の方たちに向けての、
そういった、
サロンを展開するというところなんですよ。
はい。
そうですね。
これはでも、
そのアロマっていうところは、
やっぱりその、
さっき言ってた、
香りに自分が癒されたっていう経験から、
やっぱりアロマっていうのを欠かせなく、
自分の中では外せないものになっちゃう。
そうです。
香りは、
脳に、
要は思考を返さずに、
直接脳に働きかけるものなんですよ。
視覚とか、
嗅覚とかは、
一度大脳心筆と通る。
大脳心筆という脳の外側の、
要は考えたりする場所。
香りは、
直接脳幹という脳の中心の、
すごい大事なところに届く。
はいはい。
ので、
多分それがすごい自分に合った、
考えなくていいから。
いいよ。
好き、そういうの。
考えなくていい。
ただ心地いい。
それを求めてた。
なるほど。
でも確かに、
香りがあるだけで、
なんか気持ちよくなったり、
そういったのは素人ながら、
もちろん毎回ね、
身近にあるのはシャンプーだったりとかね、
そういったボディーソープだったりっていう中にも、
香りがあったりとかして、
大事だったりとかね、
あったりとかしてっていうところで。
24:01
この番組は提供、
ご大グループ、
プロデュースキクタスでお送りいたしました。
24:18

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