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【GODAIスポーツポッドキャストすぽきゃす】
この番組は、スポーツを通じて、人々の健康生活の実現を目指す
【GODAIグループ】の提供でお届けいたします。
皆さん、いつもありがとうございます。
GODAI博楽支配人の石崎優太と申します。
この番組は、スポーツを中心とした情報を
GODAIから幅広く発信していきたいと思い、立ち上げました。
それにはまず、GODAIをより知っていただくために
GODAIのスタッフを中心に、改めてご紹介をしていきたいと思っております。
私がインタビュアーとなって、コーチ、フロントスタッフが
どんな人物なのか、いろいろと掘り下げていきたいと思いますので、ぜひ聞いてください。
それでは。
では、GODAIスポーツポッドキャスト
GODAI広北支店、河村コーチです。
お願いします。
僕、河村さんって呼んでるんで、河村コーチとかですよね。
河村さんで呼ばせていただきたい。
改まってっていう感じで。
今、ポッドキャストの説明をしたばかりなんですけど
ポッドキャストで何だろうかを知ってましたね。
僕も今、皆さんに何これ状態から始まってるんで。
いやいや、これほとんどの人知らないんですよね。
これ聞いてくださっている方にも、どんどん啓蒙していかなきゃいけないんで。
ぜひお手伝いします。
ありがとうございます。
もともとiPhoneには内蔵しているもので、最近はAndroidにも
ダウンロードできるようになってきてるんで。
それを受けて今、たった1分前にダウンロードを
皆さん、私、しました。
本当におめでとうございます。ポッドキャスターですよ。
ポッドキャスターです。
今、どんどん皆さん、コーチ各位、フロント各位に
お話を伺っているというところで
河村さんのお客様にも、今まで出会ってきた方々にも
今一度、河村コーチの人となりといいますか
どんな思いでやっているのかとか
いろんなザクバラにもそういう話をしていきたいなと。
まるはなかじりですね。
河村コーチまるかじりみたいな。
無理やりたいと言っている。
っていう感じでいろいろ話を聞きたいんですけど
まず、テニスなんで、河村さんがテニスに出会ったきっかけ。
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きっかけは、中学1年ですかね。
中1。
中1、横浜市の金沢区というところがあるんですけど
もうそこの部活なくなっちゃいましたけど
南式テニス出身ですね。
南式出身。
友達とかとみんなでサッカー部に入ろうと思ってたんですけど
近所の三つ四つ上のお兄ちゃんが
小学校で南式のテニスの壁打ちをしたんですよね。
中学生になる前にそれを見て
この子ラケットでパンパン打ってるなと思って
すごいかっこいいなと思って
自分の親に、近所のお兄ちゃんテニスやってるよって言って
そしたらうちの親父も、俺もやってたよっていう話があって
これはテニス部っていうのはどうなのかなって思って
入学した時にテニス部がいいと思ってるんだよねって
幼馴染のやつと話したら、俺も行くってなって
立ち上げの学校だったって、新設校だったんで
テニス部も、それこそグランドから土を起こして
全部草むしりして、ラインも全部
自分たちで作ったのがいい経験でしたね。ネット放送も
もうそこから、ゼロのところから、コート作るところから
中学校なんで、クレーというか土のコートでしたけど
そんなにすごいって言われてないんですけど
もうそれが、12歳、3歳の時のスタートですね
なんしきテニスがスタートだったんですかね
しかも部活で
部活ですね。3年間やって
でもなんしきテニスっていう、3年間やってきた中で
すごく燃えてたんですけど
やっぱり公式の人口が多いってことに気付くんですよ
僕はなんしきにお世話になってるんで
なんしきを否定するつもりは全然ないんですけど
やっぱりどっかで高校行ったら公式かなっていうのがちょっとあって
それで高校1年生の時に部活に入って
辞めてテニススクールに入ったんですね
部活を辞めて
部活を辞めて
それはどこに入ったんですか
金沢八景で隣の駅があったんですけど
そこにインドアのスクールがあったんですね
もうなくなっちゃったんですよ
そこに行きました
八景インドアというスクールに行って
そこが自分にとっては大きかったですね
公式テニスにとっては非常に大きくて
06:01
ジュニアでお世話になってましたけど
そこを卒業して大学生になって
そこでアルバイトをすることになって
大学生時代に金沢八景インドアのスクールで
ジュニアで習っていて
大学進学とともにコーチのアルバイトを
そうですね
アルバイトをやりましたね
そこでも3年半くらいやらせてもらったんですかね
はい
すごくそこがいい経験だった
お客さんにもすごくありがたいことも
頂戴しながらやらせてもらって
いい思い出で一般の社会人になっていくわけですね
そこから
大学に入るのにちょっと時間がかかったんで
卒業生が24歳でしたねその時は
いろいろあったんですか大学の時は24歳
時間がかかっちゃったんですか
浮かんなかったのかな
勉強できなかったのかな
いろんな意味で浮かんなかった
そういった意味で親にも迷惑かけてますけどね
その時はいわゆる浪人時代っていうことですか
2年の浪人した時
2年浪人した時はテニスはやらなかったんですか
浪人中はテニスはほとんどしてないですね
もう2年目の浪人に突入した時なんかもう
鎖国ですよね
鎖国
もう本当に申し訳ないけど集中してやるから
当時携帯とかはなかったんで
電話もごめん
ちょっと一人で来て
良かったですよね逆に泣くて良かったですよね
会ったらもう大変ですよね
ダメでしょうね予約に負けて
そんなに強い性格じゃないので
それは偉いですね
だって受験したわけですもんね
世間的に見たら僕の偉いですねっていうのが
当たり前だろうって思う方もたくさんいると思うんですけど
今でもいろんな道が開けてて
専門職っていうのが今すごく強かったりしますけどね
その時なんとなく大学なんですよね
結局なんとなくが非常に辛かったのかもしれないですけど
でも大学受かって半年くらいテニスそんなにできなかったんですよね
急には
なのでサークルでアルバイトとしては戻りたかったんで
サークルでリハビリしながらテニスリハビリしながら
アルバイトしたいよということで
ジュニア仲間が同じタイミングでアルバイトをし始めたんで
僕と
だからアルバイト同士もすごく仲が良くて
良い環境でしたねそこで
09:01
なるほど
でも八景インドアでも続けられて
コーチにもなりたいってコーチでもやってみようかなとか
アルバイトでやってみようかな
それは一長二石というか
いわゆる自分が練習もできるしやってたところで
っていうところはあったと思うんですけど
やっぱりそこで出会いがあったから
人との
これはそうですね
だと思うんですよ
そういうのってどうですか
これは根本は人が好きなんでしょうけど
ジュニア時代に教わってたコーチが何人もいて
全日本に出てらっしゃったコーチもいたり
横浜市内の大学生のコーチもいたり
隣の中国の先輩のコーチがいたりとかっていうのが出会いがあって
一人が左利きだったんですよね
僕も左利きなんですけど
そのコーチに憧れますよね
すごくジュニアながらに
いいサーブをキレのあるサーブ打ってみたりとか
すごくボレーが上手だったりとかしたんで
そうなりたいと思って頑張って
アルバイトコーチをしてたの見てたんで
これかっこいいなアルバイトできたらいいなっていうのは
おぼろげにジュニアの時に思っていて
だから戻りたいという意志はあったと思うんですよね
憧れというかこういう人みたいになりたいなっていうところって
テニスってね
そういう選手を真似する
それこそ僕でいうと
エドバーグっていう選手が昔いて
ものすごいかっこいいサーブ&ボレーをする選手がいて
ステファンですね
ステファン・エドベリーとかがありましたね
何なんですかね
ちょっと腰曲げすぎですかね
反りすぎって言うんですかね
憧れますよね
スピンサーブでボレーに出ていく
左利きでスピンサーブやっても相手のチャンスボールになる
ってことに現実的に気づいたのも彼の方が
左でね
意味ないじゃんみたいな
なるほどとかね
初歩的なところからやったりとか
初歩的なところからやったりとか
ステフィ・グラフという
女子の選手
フォアハンドがすごいって言われてますけど
僕が憧れたのはバック&スライスが
すごくて
素晴らしかったですね
見事ですよね
それでバック&スライスを練習したりとか
凝る時期っていうのは
これは自分のレッスンでもお客さんに言ったりしますけど
一つのこと凝るっていう時期は
それは大事ですよと
12:01
ちょっと切られちゃうよって言ったら
若干やめてあげてもらいたい
スライス切りすぎると若干嫌なボールになる
そんなことをやりながら
人に憧れるっていうところで言うと
プロの選手もそうですし
日常生活でもアルバイトのコーチに憧れましたね
すごくね
そういった経験があったからこそ
今にも繋がってると思うんですけど
その中で大学生活があって
その後
そのままテニスコーチとして道を行こうと思ったんですか?
そうですね
これだけアルバイトいいなって言いながら
テニスコーチいいなって言っておいても
職業にすると体壊れたらどうかなっていうのを
周りからも言われて自分でも思ったんで
やっぱり一般のサラリーマンというか
一般のって言ったら広いですけど
そういうところの方がいいのかなっていうのがあって
テニスじゃない仕事
そうですね
就職活動というのもしましたよね
スーツ着て
東京の神谷
東京の神谷に就職をして
ちゃんとサラリーマン着て
マイネージャーに
サラリーマン着てって言った?今
スーツを着て
いわゆる日本のサラリーマン像である
スーツをね
戦闘服を着てネクタイ締めて
通勤ラッシュをしのいで
神谷まで
3年間
連絡ですかね
ちなみに何系の仕事が
雑貨
ドラッグストアってありますよね
ドラッグストア
薬品以外の商品を卸すという感じですね
豚屋さんですね
薬品以外のね
薬品はまた違いますからね
結構商品はラインナップが多くて
多いですね
おむつから
バンドエイドとか
テーピングもやってました
いろんなことを北海道にしたりとか
飲み物をしたりとかやってましたね
そうすると
かなりどちらかというと
管理の仕事になっているんですか
営業なんです
営業
喋りしかできないですよね
喋りができるということが一番
喋って喋って
まだ何人しか撮ってないですけど
これだけ僕進行せずに
喋ってもらう
こんだけ楽な人いないですよ
別に僕もプロではないので
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本当に
もともと営業の方がいいなとか
そういう感覚を持ってたんですか
親父が営業だったんですよね
お父様が
人付き合いが大事だ
人を大事にしろというのは
学生の頃を友達を大事にしろという話があって
母もそうですけど
なんせ友達とよく会っているので
親が
それが普通の状況でしたし
会社を勤めるようになってからも
ものすごいそれを言ってもらって
会社名で行くなと
自分の名前で一回挨拶しなさいということを
伝えられて
すごくそれで勉強になりましたよね
トラックストアというチェーン店をやっているところがあって
そこの店舗に行ったりとか
商談推しに行ったりとか
商品を持って
血圧計とか持って
いろんなところで扱ったんで
こことここがこれが違うとか言いながら
営業といっても
いろんなジャンルの
いろんな会社の製品を扱わなきゃいけないから
メーカーさんから物を仕入れて
バイヤーさんに商談をして
通ると一斉に売り上げ上がるようなことをしてましたね
ある意味
おむつでも
やっぱり
多岐に渡るじゃないですか
いろんな会社がいっぱい出して
そうなんですよ
ムーニーちゃんとかね
マミンポコとかね
そうなんです
あれもう当時すごい詳しくて
ここがどうとか
ギャザーがどうとか
ギャザーです
斎藤ギャザーですね
あれですよ
今我々小さい頃パパやってますけど
その時の知識があればなって思いますけど
すっかり忘れましたけどね
本当に
言わないですけど
おむつってなんだかんだ限界がありますからね
さすがにね
いくらでも保てるぜっていうのはないですからね
それは試したの?
試したです
どんだけ持つのか
膨れるんじゃない?
息子で試したやつです
妻にやめろって言われた
早く買い上げなさい
もうちょっと強いくちゃだね
そんなことをちょっとしながら
やりましたね
3年くらいやって
テニスコーチに転職を
しましたね
それは何でなんですか?
3年半やってる中で
テニスコーチっていうところが
18:01
トン屋さんのお仕事ってすごく
金額で言うと結構いい金額を取り扱ってて
やりがいも感じましたしね
すごく人も
会社内も会社外もすごく良くしてもらって
っていうのもあったんですけど
仕事でなかなか嫌な思いもします
これはどの仕事も一緒ですよね
そうですね
どちらかというと嫌なところよりも
達成感っていうか
やりがいの部分で
良かったのはもちろんあるんですけど
テニスコーチの
それも大学のお話ですけど
アルバイトをしてる時に
あるおじさん
年配のお客さんがいて
男性の
二人いて
一人は左利きで
その人が
コーチにおけるサーブが入るようになったっていうのが
ずっと残ってて
ありがとうって言ってくれて
自分がアシスタントだったんで
今考えているリープサービスって
あったのかなと思うんですけど
非常にそれが嬉しくて残ってたのと
もう一人はゴルフしかやったことない人がいて
別のところです
別の市の区かな
テニス教室かなんかをお手伝いした時に
やられたんですけど
周りの生徒からも
マッツーマンで教えるタイミングがあって
すごく上達をしていただいて
本当にありがとうって言って
大学卒業式に乾杯してもらって
お二人のことが
すっごい嬉しかったんですよね
自分にとって
まだ二十歳ちょっとぐらいの若造に
本当にその当時思った心から感謝してもらえたことが
この上なく嬉しくて
それで3年ぐらい経つところで
こういった喜びっていうのを
仕事にできたら最高なんじゃないかなと思って
テニスコーチを目指そうというところですね
簡単に勤めてた時に
テニスは趣味っていうか
テニスは週一回ぐらい
アルバイトしたスクールで
夜に練習をさせてもらってましたね
ちょっと続けてたところ
多少は続けてましたね
その中でお手伝いというかボランティアみたいな形で
そういった教える機会があったりとか
社会人の時はなかったですけどね
全て二人は大学の時に出会った方
その感覚があった
感覚です
だからもう嬉しいという思いを
記憶とね
持ったまま3年が経過してるんですよ
21:00
じゃあなんか後ろ髪引かれるじゃないですけど
なんかちょっと心に残ってたものがあったんですね
ミレンとはちょっと違ったんですけど
なんかすごく嬉しかった
なんかすごく嬉しかった
感謝をされるってことは
これほどまで嬉しいんだなと思って
やっぱりこっちの仕事の方が
自分としては
今の自分としてはいいのかなというところですね
もともとだってそうですもん
就職するかってタイミングポイントになった時に
周りの人からも色々とアドバイスもらって
今のテニスコーチだと
先入観もね当時
なんとなく
放置って
あって
そこの中で3年間ちょっと悩んでたっていうか
心にはやっぱり
どっかでもあったでしょうけどね
豊谷さんの仕事も非常に楽しかったですからね
そこの時に
その時に
豊谷さんが働いてた時から
じゃあやっぱりテニスコーチだなって
やろうって思って
相談ですよね
上司に
上司に相談
大人事
大人事
上司が全然いいんですよ
いい上司
いい上司だったんですけど
相談しましたね
大丈夫なのかと
もう大学の時に悩んだ
体がダメになったらどうなんだ
っていう話とか
お前そんなに上手いのかっていう話とか
テニスコーチのイメージ像ですよね
そこに来て
言われてみればそんなに上手くはないんだけども
どうしても喜びっていう部分で
どうしても行きたいんだっていうところで
もうちょっと考えてみれば
っていうのがあって
大学でアルバイトしてたスクールのコーチにも
どうかなっていうのもあって
どっちかというと反対意見が多かったんでしょうけど
同世代は
やれることがあるならやっちゃえば
っていうのも多かったですね
社内もそうでしたけどね
ただやっぱり年長者
先輩からすると
いろんなことを経験されてるんで
なかなか危ない話なんじゃないのか
っていうようなこともね
ありがたい意見としてはいただいて
だから言ってから3,4ヶ月は悩んでると思うんですよね
親父にも相談して
もうちょっと考えるわみたいなことになって
でも結局揺るがずに
じゃあわかったと
その当時の先輩に
じゃあ次に俺が教えてやることは
字表の書き方だっていうね
かっこいいですね
って思うじゃないですか
すぐ出てきたんですよその字表が
24:01
その人の名前で用意してたの
俺より先に辞めると思われる
俺の字表は1年延期しようとか何とか言って
その先輩が先に辞めちゃった
辞める予定だったらしい
予定だったらしい
ある意味本当に先輩だったんですね
じゃあそのとこで
いろいろ考えて
またテニスのコーチをやるってなって
その時から
5代なんですか
だから八景のインドアのスクールで
どうにかできないですかねっていうことを
言ってみたらなかなかちょっと
社員として雇えるっていうのが
なかなかっていうところがあって
社員っていうのにものすごいこだわってたかって
そうでもないんですけど
生活もじゃあ変わるんで
ある程度バリバリやりたいっていうようなことが
なかなかキャパとしてないと
それで
ここのですね
ここに働いてるコーチがその当時いて
大学の時に同級生だったんですけど
彼とたまたまその時に電車で
僕が降りる駅彼が乗る駅で
すれ違って
久しぶり
それほど何年ぶりですけど
それで
ちょっと俺テニスコーチやろうと思ってるから
今度話し聞かせてっていう
チャッと言ってじゃあねっていう
その電話の乗り降り越しになって
さらに1週間以内だと思うんですけど
電話がかかってきて
この前の話どう?本当?っていう
本当本当?っていう話で
じゃあ一回来てよ
って言って来たのが博楽ですよね
その時は横浜テニス
横浜テニスカレッジですね
博楽校だった
博楽校がなかったですよね
まだ行って
博楽しかなかった
博楽校しかなかったので
横浜テニスカレッジというところで
なるほど
だから僕人大
神奈川大学とかで
この存在は知ったんですけど
結構上手いとか
厳しいとか
いろんな意見があって
もうなんかそういう
やっぱり
強い人がいるとか
高いから俺は無理だろうなと思いながら
行って
当時の採用担当の方も
お話しさせてもらって
夜
日曜日かなんかで
練習したんですよね
いつからできるの?
って言われて
もう使う?
って言って
ちょっとまだ
サラリーマンやってるんで
サラリーマンやりながらの
転職活動だったので
じゃあいいじゃん
土曜日ちょっと来れば
っていう話になって
トントン拍子に
話をいただいて
そこから
それが
エッセイ13年ぐらいだったんで
17年前ぐらいですかね
27:00
もう17年
そうですね
17年
8年
もう17年
17年分は
なかなか
語り尽くせないと
思うんですけど
それはもう
パート2パート3
3ぐらいやっちゃうと思うんですけど
今
いろいろと
聞いてきた中から
もうキャリアが
可能性も17年
高知歴
高知歴
学生含めると
20年ぐらい
20年ぐらいですよね
もう
本当に大ベテラン
本当におかげさまで
もう本当に
プロフェッショナルの
領域なんですけど
今
河村さんが
レッスンで
非常に
いろんな思いをね
持ってらっしゃると思うんですよ
今聞いてた中で
テニスに対する思いとか
レッスンに対する思いとか
お客さんに対する
ちょっと一つ
何か
いつもこういうことを大事にして
レッスンしてるんだ
っていうことって
教えてもらいたいな
そうですね
一番
テニスっていう
手段っていう
言い方が
あれですけど
テニスというものを
使って
僕らが
指導という風に
させてもらってますけど
おそらく
テニスっていうと
日常的な
ものじゃないはずなんです
スクールに来てるお客さんにとっては
朝起きてから夜寝るまでの中で
テニスっていう
時間っていうのは
僕の中では非日常
っていう風に思ってるんで
このところに
時間とかをね
割いていただいてるんですけど
来てもらったからには
何か一つ持って帰ってもらいたいですし
楽しいって思ってもらいたいなと思って
ここの
非日常感っていうんですかね
日常感
それをすごく
大事にしたいというか
入り口から
よく
エサ見つけようって
言われるんですけど
やっぱり
コーチの顔を
見に来てほしいなと思いますし
僕も会いたいなと思いますし
そういった
人とのつながりですけど
そこに
何か一つ
今日も
これ持って帰ってもらおうとか
っていうのを
ラリーしながら
話しながら
っていう
思いがありますね
僕勝手ながら
河村コーチの
レッスンを
客観的に
見ていて
河村さん
河村コーチの
レッスンって
なんか
世界観が
あるなって
僕個人的に
感じてるんですよ
雰囲気
雰囲気って
よく
河村コーチの
雰囲気っていうのが
あるんですよ
気づかないですけどね
あるんですよ
もちろん
そのコーチの
雰囲気ってあるんですけど
その雰囲気を
感じられる
コーチって
30:00
結構
僕の中では
そんなに
日本全国でも
多くないんじゃないかな
と思って
ワールドって
言うんですかね
ワールド
なんか
そういう思いが
非常に強いんでしょうね
河村コーチは
レッスンやったら
そらくがね
そういう
雰囲気が
強いんですよね
家族だと思ってますからね
家族
大げさなこと
言いますけど
自分のクラスに
生徒として
入ってくれた段階で
僕の中では
家族化したいんですよね
うちの人
と思ってるんですよね
いや
まさに
その
ね
ライフスタイル
っていう
ところを
僕ら
古代
グループは
掲げてますけど
やっぱり
そういった
ところですよね
生活の
雰囲気
っていうのが
そうです
一部に
輝けるところがあると
他にも
あるでしょうけど
僕も
そういう
ところで
ありたいなと
そこに
手助けができれば
いいな
っていう思い
ですかね
なるほど
ちょっと大きいかな
言うことが
いや
いいと思う
すごい
いいと思うんですよね
うん
なるほど
ちょっと
いろいろと
もっと深く
聞いたら
もっと
いろんなことが
聞けそうな気が
するんですけど
来年まで
放送かかっちゃいますからね
もう
まだ
いけますよね
オリンピックを
つなげば
オリンピック
いいそうですね
2020までね
いいじゃないですか
うん
そういった
中で
いろんな
思いを
やはり
これからも
伝えて
いくというところで
はい
なかなか
ちょっと
長く
なってしまうと
はい
河村
すべてを
この1回で
終わらせてしまう
ところになってしまって
また次回というところで
ぜひぜひ
はい
というところに
今日は
はい
五大
広報支援
河村コーチの
お話を聞きました
ありがとうございました
はい ありがとうございました
ありがとうございました
ありがとうございます
提供
五大グループ
プロデュース
キクタスで
お送りいたしました