1. すぽきゃすTV
  2. [第6回]伝説の柔道家・大沢..

▼映像版はこちら
https://youtu.be/QZItKdBdjTc

今回のゲストは、
健友堂鍼灸・整体・整骨院の徳永院長です。(全4回の2回目)

講道館柔道の大沢慶己十段からの言葉が
人生のターニングポイントだったと語る徳永院長こと徳さん。

大切なことは自分の道を信じること。
恩師からの学びを信じ実践し続ける徳さんの
治療家人生を伺います。

▼【5分】股関節・お尻まわりのかんたんエクササイズ
https://youtu.be/kubVmbftXhk

【ゲスト】
◉徳永英太郎(とくなが・えいたろう)
健友堂鍼灸・整体・整骨院 院長。鹿児島県霧島市出身。
幼少期から父の勧めで柔道を始める。中学卒業後に上京。
数多くの柔道オリンピックメダリストを輩出した "虎の穴"講堂学舎(世田谷学園)にて毎日厳しい練習に励むなか、膝の靭帯断裂、肘の靭帯損傷など怪我に悩まされる。
治療に専念する中でトレーナー・整骨院・整形外科の先生にお世話になり、将来、痛みで悩む方を少しでも助けることができる仕事に携わりたいという思いが強くなり、整骨、鍼灸の国家資格を取得。
「健友堂鍼灸・整体・整骨院」https://www.kenyudo.co.jp/

【目次】
OP心に健やかなもの
柔道から治療家の道を選んだ理由
大沢慶己十段から教わった言葉
治療の概念を変えた〇〇〇〇テープの開発者との出会い
EDアスリートの名言に学ぶ

【番組への感想・質問募集中】
こちらのフォームより、あなたの感想をお待ちしております!
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【出演者】
◉石崎勇太(いしざき・ゆうた)
1981年生まれ。中央大学法学部法律学科卒。幼少期からテニスを始め、高校時代にはインターハイ、全日本ジュニアに出場。大学時代には体育会硬式テニス部主将として1部リーグで活躍。全日本選手権、インカレ出場。
卒業後大手建設会社、広告代理店を経て、現在はGODAIグループが運営するGODAI白楽支店 支配人。
『すぽきゃすTV』の前身番組『すぽきゃす』の企画・立ち上げ、インタビュアーとしてGODAIのコーチ・スタッフや各界で活躍しているスポーツ・健康の専門家にインタビュー。
時にはスポーツアスリートのマネジメントやメンタルサポートを行い、テニススクールのコーチとして熱心な指導はお客様に高く評価されている。
プライベートでは二児のパパ。育児に奔走中!
https://godai.gr.jp/
◉早川洋平(はやかわ・ようへい)
新聞記者等を経て2008年キクタス株式会社設立。羽生結弦、コシノジュンコ、髙田賢三など世界で活躍する著名人、経営者、スポーツ選手等ジャンルを超えて対談。13年からは海外取材を本格化するいっぽうで、戦争体験者の肉声を世界へ発信するプロジェクト『戦争の記憶』にも取り組む。
公共機関・企業・作家などのパーソナルメディアのプロデュースも手がけ、キクタス配信全番組のダウンロード数は毎月約200万回。累計は3億回を超える。『We are Netflix Podcast@Tokyo』『横浜美術館「ラジオ美術館」』『石田衣良「大人の放課後ラジオ」などプロデュース多数。
https://linktr.ee/yoh.haya





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すぽきゃすTV
ためになる健康エンタメ
この番組は、スポーツを通じて人々の健康生活の実現を目指す
GODAIの提供でお送りいたします。
YouTube版では、エクササイズ動画もお楽しみいただけます。
こんにちは、早川予兵です。石崎優太です。
ためになる健康エンタメ、すぽきゃすTV、今回もやってまいりました。
この番組は、GODAIセンター南支店Gスタイルスタジオからお届けしています。
YouTubeの方、チャンネル登録を。
ポッドキャストリスナーの方、番組フォローをよろしくお願い申し上げます。
お願いします。
ということで、12月、今回2回目に入りましたかな。
石崎さん、もともと忙しいけど、12月は特に白車かかって忙しそうですけど、
どうですか?あんまり変わらない?常に忙しいから。
そうですね。シワスって言いますからね。
12月に今までサボってたものを、ため込んで走り出すみたいなね。
サボり菌、サボり菌。
違うか。石崎優太さんの心を健やかにね、12月でもありますし、
してくれる物事、どんなくだらないことでもいいですよ。
でも、映画を見ることって全然なくなっちゃったんですよ。
ずっと忙しいのに。
かまけてね。
でね、子供と一緒にいる時間もとかっていうことになってくると、
プライベートで自分一人でどうのこうのって時間がなくなっちゃって。
別にダメとは言われてなくてもね、なんとなく気まずいみたいな。
気まずいみたいな、そう。
それで、ワンピースってね、今やってるじゃないですか。
で、レッドってね。
なんか騒がれてましたね。
単行本でワンピースってずっと読んできてるんですけど、
もう20年やってるんですよ。
何巻まであるんですか?
100、100超えたんですよ。
この前はフィルムレッドって言ってね。
それがどうしてもうちの長男に見たいって言って、見に行ったわけですよ。
行ったらね、すごいな今の映画って。
とにかく音もすごいし、画力もすごい。
画力っていうか映像もすごいし。
詩って言うなら物語もすごい感動するしみたいな。
久しぶりに心健やかにというか、心踊るみたいな。
いいですよ。
そんな感じになって、息子と一緒に自分がシャンクスっていうね、
キャラクターがいるんですけど。
そういったかっこいいよね、シャンクスって言って。
息子が僕のことこれからシャンクスって呼んでくれるっていう。
それぐらいね。
その息子にほっこりしたという。
そういった話です。
やっぱ二児のパパですね。
そんなですね、心健やかにほっこりですね。
体験をしつつですね、
今日は先週に引き続き、本編の方ではですね、
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県有道新旧生態生活院委員長の徳永英太郎先生こと徳さんのですね、
お話し続きをご覧いただけたらと思います。
それではどうぞ。
県有道のこと、そして治療のこと、いろいろお話を伺ったり、
まだまだ伺いたいんですが、
やっぱりそもそも徳さんが治療科の道を選んだ理由というか、
それだけでもね、話したらもう一晩焼酎でも飲みながら。
焼酎はあんまりあれかもしれない。
ですけど、まず最初にそういうきっかけというかね、
いくつかターニングポイントがあったと思うんですけど、
どういう経緯でここにいたのでしょう?
柔道という競技をやってたんですよ。
普通にプレイヤーとして。
はい。父が柔道をやってたもんですから、
その指導の下、一番最初に柔道をやったのが幼稚園ぐらいですかね。
そういう時からやってたんですよね。
それで、毎日やってたわけではないんですけどもちろん。
中学校行ったらちょっと僕、野球やりたくて。
ソフトボールの関係で。
野球行こうと思ったんですよ。
それで父親の内緒でちょっと野球行こうかなと思ってたんですけど、
入った中学校で柔道部の監督が、
柔道部の監督が父親の後輩ということで、
もう思いを言わさず手を引っ張られて連れて行っちゃった。
行かれたみたいな感じで。
それで3年間、あまり練習した覚えはなかったんですけど、
それなりに良い成績を残せることができて、
東京の方の行動学者という私塾というのがありまして、
もう今ちょっと残念ながらなくなっちゃったんですけど、
それは私塾なので、
横地先生という先生が自分の資材を投げ打って、
その行動学者というのを設立されたんですけど、
東京オリンピック、この間にもちろんないんですけど、
その前のオリンピックで最重量級と言われるところで、
日本人が優勝できなかったと。
これは柔道を変えていくにはどうしたらいいんだということで、
横地先生がいろいろ考えて、
これは資材を投げ打って塾を作るしかないなということで。
それで東京に試験受けに来て受かったので、
ずっとそこで柔道をやり始めて、
そこって中学1年生から6学年、高校3年まで、
結局世田谷学園が引き受けてくれたということで、
大分力もついてきたなというところで、
行動館というところがあるんですけど、そこに出稽古に行って、
その時にちょっと大怪我してしまって、
前十字人体と内側足腹人体、内側半月板を断裂してしまって、
それからちょっとどうしようかなという感じで、
いろいろその中で整形外科であったりとか、
トレーナーの方であったりとか、
背骨治療の先生であったりとか、
いろいろ相談しながらやっていったんですけど、
その当時の治療の、外科的にもそうなんですけど、
含めなかなか回復させることができなかったということで、
ちょっと2年生の後半くらいから1年間、
06:03
自分のトレーニングにやってたんですけど、
なかなかまともに柔道できなくなってしまったということで、
高校から大学に行くときに推薦とかもあったんですけど、
いろいろ考えたときに、柔道に対する不安とかもありましたし、
それでいろいろお世話になった先生方、トレーナー、
背骨治療の先生、整形外科の先生、
その辺りの先生とも話をして、
こういう治療の道もあるよということで、
柔道制服師という学校に進学したということですね。
それから治療人生が始まったということなんですけど、
それでその2年後、3年後に一応手術はしたんですよ。
まだ柔道を諦められない部分があって、
でもその当時の手術ってなかなかうまくいかなくて、
柔道できるレベルには治ってこなかったなというのが実際ですね。
今はほとんど完全に治る状態に持っていけるみたいですからね。
石崎さんも初めて聞いたような部分もあるようなお顔をされていましたか?
いや、全然初めて聞いたところが多くて、
世田谷って僕の世代でも結構柔道の強い選手が出てる記憶があるんですよね。
そうですね。
今、行動学者が亡くなったのが3年前ですかね。
3年前なんですね。
それで最後の卒業生というのは、
この間の東京の金メダリストの大野君であったりとか、
大野選手は最後の世田谷学園生、行動学者出身の最後のプレーヤーということですね。
僕はテニスですけど、
インターハイの団結式っていうのが昔あって、
今あるのかどうかわからないですけど、東京都で僕も出てたので、
その時は僕の同級生だと世田谷だったかな、
ムネタ選手と一緒にインターハイの団結式とか一緒に出たのを覚えてますね。
すごい強い選手でしたよね。
体重量級ですね。
すっごいでかくて。
今お話がかかってきて、行動学者ってね、
ここにも虎の穴にいろんなメダリスト排出してるところで、
そこである意味希望に燃えてというか、上京されて、
でも夢を破れてと言っていいのかわかんないんですけど、
私ごとの教室なんですけど、僕もサッカーずっとやってて、
プロになるつもりで高校まで行ったんですけど、
単純に実力が足らずに、でもやっぱり諦めざるを得ないみたいな時に、
すごく大きな熱汗もありましたし、
そこからいろいろあって今に至るんですけど、
そういう意味ではトークスさんもさっきのところで、
いわゆるプレイヤーとしてのところにひとまず、
手術もありましたけど、
その周りのね、さっきおっしゃったいろんな先生方のところから相互に行って、
治療家の道もって話があったと思うんですけど、
そこをもうちょっと具体的に、
誰か一人とかこの言葉がっていうことではないかもしれないですけど、
でも振り返った時にいろんな先生とかいろんな言葉が、
誰かからかけていただいて、
なんか特にこの一言とかこのターニングパーソンじゃないですけど、
なかったらそこを決定的に進めなかったんじゃないかなっていうこと、
振り返ってはありますか?
今思うとですね、
これちょっと先月の話なんですけど、
先月の話なんですけど、
大沢先生っていう先生がいらっしゃったんですけど、
残念ながら先月の末、
96歳で亡くなられた先生なんですけど、
09:01
その当時、今の私と同じぐらいの年なんですね。
大沢先生って、
行動感柔道の柔断。
柔断っていうのは、
ちょっと知らない人はどういうものかわからないと思うんですけど、
柔断っていうのは、
柔断っていうのは、
柔断っていうのは、
柔断っていうのは、
知らない人はどういうものかわからないと思うんですけど、
柔道の歴史って、
120年ぐらいあると思うんですけど、
今まで12人ぐらいしか、
12人かな?
ちょっとはっきり覚えてないですけど、12人。
最後の柔断が大沢先生だったってことなんですけど、
その先生が、
昭和の牛若丸っていう、
その体は大きくないんですけど、
体さばき、体のさばき方がもう尋常じゃないんですよ。
ツバメ返しって聞いたことあります?
実際あるんですよ。
大沢先生、ツバメ返しってすごく得意で、
その足払い。
足なんか、かなりの角度で曲がっちゃってるんですよ。
本当に足が鎌みたいな感じになっていて、
そういう達人、
その頃はあまりよくわからなくてやっていただいてたんですけど、
当時の我々と一緒に練習してたとき、そんな引き取らないんですよ。
それって今考えたらすごいことだなと思うんですよね。
昭和の大選手。
ツバメ返して足をかけたときに、
それをツバメのようにひらっとすり返って、
また足をかるっていう、
こういう感じでやっていくわけなんですけど、
その角度って本当に一寸隙もない、
そういう大選手だったんですけど、
その先生に、自分の道っていろいろあると思うんだけど、
その選択されたことって、
今本当に信じていけば絶対希望が見つかることもあるんだっていうことを言われて、
自分で信じた道を行きなさいみたいな感じで言われたので、
自分でこれと思った信じた道を歩いていこうと思って、
今でもその大沢先生の言葉って忘れられないですね。
だからやっぱりそういう時の指導者ってすごく大事だなっていうのを
よくつくづく思うんですけど。
今ね、そこから治療にいろいろしながら
少しずつシフトしていった中で、
そこからいよいよ治療家になるっていうことだと思うんですけど、
その中で年月を全て語るのは難しいと思いますけど、
やっぱりその中で先ほどの冒頭のところとも少しリンクするんですけど、
生体、性骨、ハリキューある中で、
肩書きとしてはそういう肩書きだとは思うんですけど、
いわゆるさっきのスペシャルな、
やっぱりお話伺っていると、
対処療法というよりもその人の根本とか、
その人をトータルで見るとか、
その辺っていうのは私としてもすごく興味を引かれたんですけど、
そういった今現在の治療家、
治療家というワークすらいい意味で収まらなそうな感じが特産しますけど、
治療家としての特産を作り上げた、
その後の何かターニングポイントっていうのはあったんでしょうか。
先ほどカイロ・ブラックティックというお話をしたんですけど、
そのカイロ・ブラックティックの学院長が、
12:01
加瀬先生という先生だったんですよ。
DCという、ドクター・オブ・カイロ・ブラックティック。
アメリカのカイロの学校を6年間出て、
こちらに帰ってこられたという先生だったんですけど、
皆さんご存知だと思うんですけど、
キネシオテープってあるじゃないですか。
キネシオテープって実はその当時に、
加瀬先生が考えたテープ。
そうなんですか。
解剖学をやっているときに、
そのテープを思いついたんだという。
そのキネシオテープっていう発想って本当なかったんですよね。
今まではどっちかというと、
テーピングってガッチリ固定したりとか、
あれは人工筋肉テープと呼ばれる、
皮膚刺激によって、
そのリンパの活性とか、
筋肉のもちろん増強も測るんですけど、
そういうテープを考えた先生なんですけど、
こういうひらめきがあると、
いろんな方をまた救っていくことができるんだなと。
今はキネシオテープ、スポーツ科で知らない人はいないと思うんですけど、
そのぐらい大きな影響を与えた先生なんですけど。
キネシオって日本人が開発したものなんですか。
そうなんですよ。知らないんですよ。
知らないですね。
そう、加瀬先生。
加瀬健三先生。
加瀬健三先生、ありがとうございます。
あれがあったおかげで、
救われる人が本当にたくさんいると思います。
めちゃくちゃ救われてましたよ。
僕だってテニスのものだと思ってました。
そのくらいもう定着しているもの。
スポーツに定着しています。
そんな出会いがあったんですね。
そうです。
ちょうどだから、
キネシオテープの始動員の、
たぶん1期生か2期生だと思うんですよね。
その学校で取ったので、
たぶんそれ以前はなかったですね。
そういう経験値とか、
そういうのを積んでいくことで、
また新しい発見があって、
石崎さんが言われたように、
助かる人がいらっしゃるんだなという。
そうですね。
めちゃくちゃ助けられますよね。
スポーツをやっていたら、
怪我がつきものというか、
リカバリしなきゃいけないですし、
限界を超えるところまでやらなきゃいけない時って、
出てくるので、
どのレベルでもですね。
だから進化はそれと、
最近色がついたテープとかね。
ありますね。
赤色とか、赤色はどういうとこに役立ちますよとか、
青色はどういうとこに役立ちますよとか、
そういうのがいろいろあるんですけど、
でも結局はやっぱり肌色に落ち着いている感じですかね。
さあ、エンディングです。
みなさん覚えてますかね。
世界のトップアスリートの英語名言。
やりましたね。
なんでこんなしつこいのかと、
みなさん思うかもしれませんが、
これは別にこのJリサーチ出版社から
スポンサードいただいているわけではないんですが、
外してまた新しいもの。
何のコーナーかよく分からない。
サンサイブックスさんからですね、
366日アスリートの名言ということで、
ちょっと見つけたので、
石谷さん、渡します。
ちょっと何か面白い名言見つけてください。
無茶振りです。
かなりの無茶振りです。
じゃあこれパッと開いたところで、
15:00
今、体操選手のページとサッカー選手のページが
右と左に出たんで、
早川さんがサッカーをやっていたので、
サッカーの選手。
サワ・ホマレ選手。
ナデシコジャパン優勝の時の。
ナデシコジャパン。
言ったじゃないですか。
本番には合わせるって。
いやー、これ来ましたね。
言ったじゃないですか。
本番には合わせるって。
これどうやら、
2011年のワールドカップで優勝した。
この発言は、銀メダル獲得した
ロンドンオリンピック、
カナダ初戦で勝利した時の言葉。
そっちか。
直前で体調不良で欠場続けながら、
見事なままに結果を出した彼女の勝負強さと
意志の強さが伺えます。
ということなんですけど、
まあでもこれ、
結果出した後に言った言葉ってことですよね。
結果出したからには言えますよね。
言ってもかっこいいですよね。
かっこいいですね。言ったじゃないですか。
本番に合わせるって。
ずっと溜め込んでたってことですよね。
やっぱりアスリートって、
ずっとそういった中で体調不良とか
なかなか結果が生まれないっていうところで、
その時の腹肌が逃げくり返るじゃないですけど、
ここに溜め込んだストレスって。
ちょうどお腹の話もありますよね。
お腹の話もありますよね、徳さんから。
やっぱり観忍袋とかいろんなものがあると思うんですけど、
そういったところで、
イライラもフラストレーションもありながらっていうところで、
ここでパチンと結果出せたっていうところで出た、
振り絞った言葉なんじゃないですかね。
やっぱりマスコミからいろいろとね。
あるでしょう。
いろんなこと言われて。
不要論とかありますからね、こういう。
だからそういった中では、
でもこの時ってもう沢穂丸選手は、
日本代表ではリーダー的な、
そういったエースで、
あと十何年、二十年近く引っ張ってきてね。
年長者としても引っ張ってきた存在ですから、
その中で言ったじゃないですかっていうところって、
これかっこいいですよね。
かっこいいですね。
なんか彼女っぽい言葉で素晴らしいなって思うんですよね。
ということで今回もお届けしてきましたが、
今回もいつものように、
リエル先生のですね、
プチエクササイズも合わせて映像で配信されてますので、
そちらもぜひぜひチェックしてみてください。
それではまた次回お目にお耳にかかりましょう。
さようなら。
さようなら。
この番組は提供、
ご大グループ、
プロデュース、キクタスでお届けいたしました。
17:56

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