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語ぶるいジャーナル ep5テクノロジーと向き合う思想――最近の新書から『「いまどきの若者」の150年史』『明六社』『21世紀を動かす思想』『機械ぎらい 』
2026-04-27 24:52

語ぶるいジャーナル ep5テクノロジーと向き合う思想――最近の新書から『「いまどきの若者」の150年史』『明六社』『21世紀を動かす思想』『機械ぎらい 』

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河野有理『明六社-森有礼、西周、福澤諭吉らが集った知的結社』 (中公新書)

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パンス『「いまどきの若者」の150年史』(ちくまプリマー新書)

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樋口恭介『21世紀を動かす思想 加速主義・プルラリティ・SFプロトタイピング』(集英社新書)

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速水健朗『機械ぎらい 機械音痴のテクノロジー史』(集英社新書)

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サマリー

本エピソードでは、最近読んだ4冊の新書を通して、テクノロジーと現代社会、そして未来について考察する。明治時代の知的結社「明六社」の議論から、若者像の変遷、そして加速主義やプルラリティといった現代思想、さらにテクノロジーが使い手から乖離していく現状まで、多角的に論じられている。これらの書籍は、現代日本が抱える課題や未来への展望を考える上で、示唆に富む内容となっている。

「明六社」に見る明治時代の知的議論
特殊カルチャープログラム NOIZ NOIZ NOIZ FM
パーソナリティーの暗黒編集者 Okubo Junです。
本日は、語ぶるいジャーナルのep5をお送りいたします。
語ぶるいジャーナルは、出版レーベル 語ぶるい社の主催者である私 Okubo が
本の話などを中心にお送りしている カルチャートークプログラムでございます。
本日は、最近読んだ新書を何冊かご紹介したいと思います。
まずは、中央討論新社、中高新社の新刊、
先月かそのくらいに出たものですね。
明六社、森有紀、西天音、福沢諭吉らが集った知的結社という本でございます。
こちらは、前に注目の新刊みたいなことで ご紹介した本だったと思うんですけれども、
今回ちゃんと読みましたので、改めてご紹介したいと思います。
明六社というのは、本のサブタイトルにもあるように明治時代の知的結社ということなわけなんですけれども、
福沢諭吉で有名なんですけれども、前書きの時点でグループのメンバーの中でも、
福沢諭吉の知名度は突出して高すぎるがゆえに、
福沢諭吉の人生の中の一コマみたいな扱いをされているけれども、
それは非常にもったいないのではないかということで、今回こういう本が書かれたということですね。
それに加えて、啓蒙活動、明治時代初期の明六社という名前からして明治6年に結成されているわけなんですけれども、
明治初期の頃に日本に西洋文化文明を紹介した啓蒙団体であったみたいなイメージがあるんですけれども、
必ずしもそういうものではないということですね。それも含めて紹介してくれているという本になります。
啓蒙、西洋の思想を紹介するとかというわけではなくて、
一方ではいわゆる儒学者、儒教に根っこを置いた人なんかもいたりですね、
年齢層も明六社の場合は若い、今後の日本を作っていこうみたいな若い集団とかというわけではなくて、
意外と結成時点でそこそこの年齢やキャリアを持っている人が多かったということもあります。
西洋思想だけではなく、結構様々なバックグラウンドの人がいたようなんですね。
それも何かを広めていこうというよりは、むしろ議論の場として捉えられていたというかですね、
今後は日本がどうあるべきかみたいなことを明六雑誌という機関誌みたいなものを出していて、
そこを中心に様々な議論が展開されていたと。
本書の中ではその中でも何人か一章につき二人をセットで取り上げて、
それをそこでどんな議論が展開されたかというような形で紹介されていっている本になっているわけなんですけれども、
その議論のテーマもですね、例えば夫婦同権についてとかですね、
これは明治時代の時点で、やはり男の権利が強すぎるという話自体は既に明六社のメンバーたちの中でも共有はされていたようなんですけれども、
そこからどう持っていくかみたいなところでは結構意見が分かれていたみたいな話が出てきたりですとか、
あとはそれと合わせて夫婦像、家族像みたいなものですね。
これも個人的に面白かったところなんですけれども、
江戸時代までの日本というのは地筋よりもその家自体というのを重視していたと、
つまりもう家を途絶えさせないためには養子とかでも別に全然構わないみたいな、
そういう発想というのが日本は強かったということですね。
この辺りの話、最近の公室転搬問題とかも合わせて考えるとちょっと興味深いものがあるなと思うわけなんですけれども、
そんな中で当時の森有紀とかは西洋的な夫婦像、理想の夫婦像みたいなものっていうのを踏まえてですね、
女化けとか養子とかいった制度については非常に批判的に述べていたというようなことがあります。
あと政治の面ですね、その議会、議会をどうするか。
これもですね、任意性がいいのではないかみたいなことは割と全体でコンセンサスが取れていたようなんですけれども、
いわゆる上院、アメリカとかでいう上院に当たる者というのは家族や子族、元大名とかですね、
そういった人たちを中心に構成して、いわゆる下院というのをどうするかというところで、
今は割と意見が割れたというかですね、一般普通選挙みたいなものを導入するべきかどうかみたいなところで結構意見が割れていてですね、
割と少なからぬ人が今の日本にそれをやるのはまだ時期焦燥であると。
はっきり言っちゃえば、今の段階でそんなことをやってもろくなことにはならないみたいなことを言っている人が割と多いということですね。
これなんかもね、今にして思えば、何なら今の日本にすれば時期焦燥なんじゃないかという気もしてこなくもないわけなんですけど、
まあそういった感じで、明治時代どういった感じで日本をどうしていこうかみたいなことを考えていたという言葉ですね。
いろんな形で伺えるという、そういった意味でも非常に面白い本でございました。
メディアから見る「若者像」の150年史
続けてご紹介したいと思いますのが、パンス・チョ、今時の若者の150年史。
こちらはチクマ・プリマー新書でございますね。
なんでこれを続けるかというと、この絵は若者像の変遷というのを追った歴史系の本ではあるわけなんですけれども、
これがまた若者の登場というのを明治時代から始めているわけなんですね。
明治時代からスタートしてZ世代に至るみたいな形で、その若者像の変遷というのを主にメディアに見る若者像ですね。
若者論というのがどのように変わってきたかみたいなことを辿った本でございます。
このパンスさんという方は、今回の本が初短著になると思うんですけれども、
以前にTVODというテキストユニットで本を作らせていただいたこともある方で、
その時は教長の形だったわけなんですけれども、このパンスさんというのは非常に年表がものすごい好きで、
子供の頃からずっと年表を作っていると。
今はクラウド上に長年積み重ねたすごい年表があるらしいんですけれども、
かつては一度100万年称号からパンスさんの作った年表というのが発売されたこともあるので、
厳密に言うとそれが初短著という説もあるんですけれども、とにかくそういう方です。
やはりそういう歴史に非常に興味を持った方なので、
そのあたりはしっかり調べて書かれているなという印象はやっぱり強いわけなんですけれども、
5章構成になっていて、第一章は明治時代から終戦までですね。
この辺は苦悩する青年みたいなのが生まれたみたいなところから、
大正時代には華やかないわゆるモボモガみたいなのが出てきて、
それがやはり戦争に向かっていくみたいなそういうところが語られまして、
第二章は終戦から1972年までですね。
ここで72年で一つ切断があるみたいなふうに言われるというのも、
今はわりと共有されている認識なんじゃないかとは思うんですけれども、
あれですよね、坪内雄三の1972年という本なんかでも出てきている話ではあります。
おおむね戦後すぐのいわゆるアプレゲールといわれるアプレってやつですね。
太陽則みたいなそういう人たちから、段階の世代に至っては政治運動とか、
あとはヒッピー風転みたいな時代みたいなのがある。
そのあたり政治の奇策みたいなところが、いわゆる一つの挫折を見るみたいなところまでが1972年までといったところになるわけですけれども、
さらにそこから第三章では80年代くらいまで、白毛世代からバブル世代までという感じだと思うんですけれども、
いわゆる新人類が出てきて、オタクとかが出てきてみたいなそういうあたりですね。
第四章がおおむね90年代、第五章が氷河期世代以降からZ世代以降という感じになってくるわけなんですけれども、
やっぱり著者の世代みたいなところから見ても、第四章、第五章が内容としては厚くなってきている感じ、厚いというのは分厚い薄いの厚いですね。
ホットでもありますけれども、このあたりが非常に読み応えのあるものになってきているところかと思います。
バブルがはじけて、氷河期世代みたいなのがありまして、Z世代に至って、やはり日常を受け入れていくみたいな、そういう気配みたいなところが描き出されているという感じで、
やっぱりそういったところまで、そういう形で150年にわたる若者像の変遷みたいなところを追ってきているという、コンパクトながらなかなか情報量の多い力作だと思います。
21世紀を動かす思想:加速主義、プルラリティ、SFプロトタイピング
続いて、そういった形で、現在と未来についての本を続けて紹介していきたいと思うんですけれども、
続きましては、樋口強介著、21世紀を動かす思想、加速主義、プロラリティ、SFプロトタイピング、
こちらは終焉写真書ですね。これはテクノロジーをベースにした、現代の思想を紹介するみたいな感じの本です。
樋口強介さんは、もともとSF作家としてデビューした方なんですけれども、
この辺りは、実際自分を集合党としてコミットされている部分も結構あると思うので、
新書とはいえ、なかなかコンパクトにまとまってよく書けた本だと思います。
ざっくり四部構成になっていて、新書で四部構成という時点で、一部ずつが薄いのではあるまいかという疑いを持たなくもなかったんですけど、
コンパクトにうまくまとめられている感じは、最近はコンサル系のお仕事に力を入れている著者だけのことはあるなと思ったわけなんですけれども、
ざっくりまずは加速主義というのが紹介されます。
これは最近でいうと、ピーター・ティールだとか、ああいうテック・ピリオナ系の人たちが代表的な存在として挙げられますけれども、
物事の進化・進歩、さらには資本主義みたいなものをどんどんスピードアップしていこうみたいな、そういう志向性の方たちですね。
割とエリート主義的だったり、非民主主義的であるみたいな感じの批判もあったりすることの多いタイプの思想にはなってきます。
加速主義にも2種類あって、人権に配慮しようよみたいなタイプの加速主義もあるようで、そのあたりのことも触れられてはいます。
ただ基本的には加速主義というのはシンギュラリティを求めるというか、ある一点に向かって進化を加速していくのだ、進歩を加速していくのだみたいな、そういう思考の考え方でありまして、
それに対してプルラリティですね。これはシンギュラリティに対するプルラリティだったんですね。僕も言われるまで気づかなかったんですけど、
シンギュラリティというのは1点に向かって推し進めていくスタイルであるのに対して、プルラリティというのは多様性みたいな部分をテクノロジーによって担保していこう、サポートしていこうという考え方になっています。
代表的なのは台湾のオードリータウンですね。あの方なんかはやっぱりマイノリティの意見なんかもテクノロジーの力によってうまく救い上げようみたいな考え方がある。
例えばこの本の中で取り上げられているVTaiwanというプラットフォームがありまして、これは本当に様々な対立する考え方というのを議論を戦わせていく上で共通点を探っていくみたいなそういうもので、
例としてはタクシー業界でウーバーみたいなものを導入するかどうかということで、タクシー業界とそれから参入主体側ですね、様々なステークホルダーたちが集まって非常に議論を戦わせていくうちに、
まあでもやっぱりここは大事にした方がいいんじゃないの、安全性みたいなことですとかね、そういったところっていうのはやっぱりどちら側の人たちも大事に思っているということがわかってきて、共通点を探していくということです。
台湾の場合はそういったところ、行政側もその議論の結果を取り入れていくというのは実績としてあるので、そういう意味でみんな非常に真面目に取り組むということですね。
というようなプルライティングでして、そこから未来というものをどう考えていくのかということに焦点が移っていきまして、そこで紹介されているのがシナリオプラーニングというものと、
それからスペキュラティブデザインとSFプロトタイピングという手法と言っていいんですかね、そういうものが紹介されています。
シナリオプラーニングというのはシナリオをプランするわけなので、未来像を思い描くみたいなことですね。
あとスペキュラティブデザインとSFプロトタイピングというのは、それよりももうちょっとSF的に想像の幅を広げていくみたいな考え方です。
SFプロトタイピングというのはビジネスの現場なんかでもすでに割と取り入れられていて、
例えばある会社が持っているこの技術ということで、どういうビジネスに役立つかとかそういう狭い範囲の話ではなく、
ここからどういう未来が待っているのかみたいなことをSF作家の人が、いわゆる普通の人とは射程の長いというかね、
そういう想像力を持って未来像を描いてみせるみたいな、そういうことがビジネスの現場なんかでも行われているようで、
そしてこの姫路京介さん、著者の方というのは結構SFプロトタイピングのお仕事を実際かなりやられていて、そっち方面の著作も結構ある方です。
なのでこの辺りの話は非常に実践的な感じで面白いなと思います。
姫路京介さんはSF作家としてのデビュー作の構造素子という本が大変面白かったので、本音を言うともっと小説も書いてほしいなというところもあるんですけども、
というような感じで、これはやはりテクノロジーとどう使うかということがもう様々な面でキーになってくるというような本です。
テクノロジーから取り残される人々:機械嫌いのテクノロジー史
それに対してテクノロジーの発展についていけない人たちというのはどうなるのかということを書いたのが、
続けて紹介する早水健郎さんの機械嫌い、機械オンチのテクノロジー史という本ですね。
こちらも収栄写真書です。機械嫌いとか機械オンチって言っているように、ざっくり言っちゃうとテクノロジーについていけない人たちの話ではあるんですけども、
じゃあそのテクノロジーについていけないというのはついていけない人たちの問題なのかというところからありまして、
例えばよく話題に昇りますけれども、飲食店でQRコードを使ってスマホなどのタブレットなどで注文するというシステムというのは便利なのかというね。
例えばタブレットで注文しようとすると、すごいあるあるだと思うんですけど、
例えば紙のメニューを見てこれ頼もうと思ったときに、それをスマホで注文しようとすると、
分類とかがよくわからなくてすごい探すの大変みたいなことってあるじゃないですか。
あれっていうのは世の中を本当に便利にしているんだろうかということですね。
そういったことを様々な場面で、そういったことが起こっているというのをいろいろと列挙していくという、
それを読んでいくだけでもなかなか流音の下がるものがあるわけなんですけれども、
それはじゃあなんでそんなになっちゃうのかという話ですね。
例えばそこで一つ早水さんが言っているのが、世の中、かつてはテクノロジーというのはハードウェアが中心であったと。
ハードウェア中心だった時代というのは結構業界全体で厳密な規格化されていたりしたと。
例えば例として上がっているのは自動車ですね。
ブレーキがここ、アクセラーがここみたいなところというのは比較的厳密に守られている。
それが近年ではハードウェアからソフトウェアにテクノロジーの中心が移行したことによって、
そういう規格みたいなものがあんまり変えり見られなくなっていたと。
変えり見られなくてみんなが特殊なユーザーインターフェースで作っていくし、
さらに作り手側の都合で作られていくというかですね。
これも例に挙げられていたのがすごいわかりやすかったんですけれども、
今マクドナルドのタッチパネルの注文ね。
選んで確定してお金払うだけでいいのに、
選んで注文しようとすると、
これもおすすめですとかこれもどうですかみたいなのが出てくるとかね。
それ以前に飲食店で多いのはカテゴリー分けがすごいお店側の都合で作られた季節のおすすめとか、
謎のカテゴリー分けにされていることによってものすごい探しにくいみたいなこととかね。
売り手都合によってインターフェースが作られてしまうということで、
要は使い手の方が置いてきぼんにされているということなわけですね。
そういうのの最たるものみたいなこととして最終的に挙げられていくのが、
いわゆるマイナンバーのシステムですね。
これも結局いろんな館長が絡んでいくことによって、
それぞれの館長のやり方がごちゃごちゃになっていって、
結果としてものすごい、確かに確定申告するときには便利かもしれないが、
その確定申告の便利さのために何をしなきゃいけないか、
年に1回使うためにかけるコストとして、
それは労力に見合うのかみたいな話ですよね。
そういうところ、ユーザーインターフェースというもの自体に
国の思想みたいなものが現れるという話になっていってですね、
今の日本の官僚のやり方みたいなものが、
マイナンバーのシステムには如実に現れているという話になっていきます。
結局のところは、要はシステムを作る側というのは、
システムのことを分かっているので、
使う人目線に立てていないというのが問題なんだという話になっていくわけなんですけれども、
そういった話自体も非常に納得がいきますし、
先ほどのプルラリティだ、加速主義だ、SFプロトタイピングだみたいな話というのは、
非常に結構なんですけれども、個人的にはすごい好きな話ではあるんですけれども、
一方で、いざそれを使うとなったときに、
それが果たして便利なものになるのか、本当にみたいなところというのでね、
この絵は冷水を浴びせるというかですね、早水さんだけにみたいな感じですけれども、
これが2ヶ月続けて、その同じ終焉写真書から出ているということ自体も、
なかなか興味深い現象だなと思います。
あとですね、エレベーターの発展史みたいな話もあってですね、
この辺りも要はボタンというのがいかに革新的な発明だったか、
つまりエレベーターというのは最初は専用の操縦士がいてね、
非常に狙った回で止めるみたいな技術を要するものだったのが、
ボタンを導入することでみんなが使えるようになって、
非常に普及していったという話から、そこからですね、
ボタンというのは機能が増えてどんどんボタンが増えすぎて、
わけがわからないことになっていってしまうんだみたいなのを、
昨今テレビのリモコンを例に出して語っていたりとかですね、
非常に身近なところでそうそうそうとなるような話が非常に多い一冊です。
というような感じで、明治時代のいかに国を作っていくのかみたいな話から、
まとめと番組告知
近年そのテクノロジーでどのように今後の世界を作っていくのかみたいなところまで、
一気に考える助けになるかもしれない4冊というのを紹介してまいりました。
ということで、本日ゴブリージャーナルエピソード4、5、
冒頭で何か言いましたよね、エピソード5か、
ゴブリージャーナルの第5回、この辺りで終わりにしたいと思います。
概要欄にお便りフォームやYouTubeチャンネルへのリンクなども貼っておきますので、
よろしければご意見ご感想をお寄せいただくとか、
YouTubeの方でチャンネル登録や高評価など押していただくなどしていただけると幸いです。
ということで、また次回お目にかかりましょう。それではさよなら。
24:52

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