1. オトコの子育てよももやまばなし
  2. #58 子どもたちのレジスタンス..
2026-02-24 57:34

#58 子どもたちのレジスタンス w/富永京子

spotify

社会運動研究者と考える子どもたちの抵抗/親=権力者/床転がりとdie-in/ノイズ戦術としての唾飛ばし/ブラックブロック的投石/資源を持たないものの抵抗/冷笑戦略/労働化する日常/「お風呂入ったらいくらくれるの?」/家庭に入り込む資本主義/戦略的被害者ポジション/「勝手に決めるな」運動/風キャンユーモア戦術/笑いによる空気攪乱/対話は本当に民主的か/物理的介入はいけないのか/昭和的統治とリベラルなガバナンス/パリのタクシー運転手による遵法ストライキ/不登校という市民的不服従/逃走という戦略/親側のレジスタンス/懐柔か弾圧か/民主主義は面倒くさい/交渉が経営者も親も鍛える/

-

仕事の合間

-

なぜ社会は変わるのか はじめての社会運動論

-

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠メゾン桃山はこちらから!⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

-

親番組⁠⁠ 桃山商事⁠⁠

-

⁠⁠⁠⁠おたよりフォーム⁠⁠⁠⁠

-

サマリー

本エピソードでは、社会運動研究者の富永京子氏をゲストに迎え、「子どもたちのレジスタンス」というテーマについて深く掘り下げています。親という権力者に対して子どもたちが示す様々な抵抗の形を、社会運動の視点から分析します。唾を飛ばす、床に寝そべる、物を投げる、肩を抜くといった原始的な抵抗から、現代的な「勝手に決めるな」運動やユーモアを交えた「キャンセル」戦術まで、子どもの抵抗の多様性と進化について考察します。 また、親が子どもの抵抗にどう向き合うか、強権を発動すべきか、対話で解決すべきかといったジレンマにも触れます。昭和的な価値観と現代のリベラルな子育て観の対比や、子どもが主体性や自主性を尊重されるようになった現代の傾向が語られます。さらに、親側の抵抗として、子どもが親の意向に反して不登校を選ぶケースや、親が意図せず子どもに「労働」の概念を植え付けてしまうことによる「お風呂に入ったらお金をくれるの?」といった要求の発生についても議論します。 ジェームズ・C・スコットの『実践日々のアナキズム』で紹介されるタクシー運転手の順法ストライキのような、権力者が定めたルールを逆手に取る抵抗の事例も紹介され、子どもの抵抗も同様の戦略を取りうる可能性が示唆されます。最終的には、対話や理性だけでなく、時には「バチバチ」としたぶつかり合いも含めた多様な交渉術が、健全な関係性や組織運営、そして民主主義そのものを豊かにしていくという視点で締めくくられます。

子どもたちのレジスタンス:抵抗の多様な形
みなさんこんにちは、オトコの子育てよももやまばなし。この番組は、現在6歳の双子を育てる清田と、3歳の子どもを育てる森田が、育児のよもやまばなしを雑談していく番組です。
メンバーシップサービス、レゾン桃山のサポートでお届けします。
はい。今回はですね、なかなかいかついテーマですよね。
子どもたちのレジスタンスというテーマで、ちょっとおしゃべりしていくわけですけど、
レジスタンス、なんすか、抵抗、だいぶいかつい言葉を使ってるけど、これはどういうあれなんですか。
いや、いろいろさ、あるじゃないですか。子どもがさ、抵抗してくるときが、親に向かって。
そうだね、嫌がるとか、反抗する、何だろうね、怒る、スネるとか、分かんないけどそういうこと?
泣くもそうだよね。
泣くもそうか。まあまあ確かにね、ああいうことを、レジスタンス。
そう、ワイちゃんで言うと、すごい笑ったのが、今でもやるんだけど、怒ると、こっちに向かって反抗してくるときに、唾をプルルルルってやる。
へえ。
そんなことやるの?
やる。
すごいね。
こうやってやるのよ。
はいはいはいはい。
それが、なんか、面白くてそれが。
なるほどなるほど。
まあその、抵抗の仕方、スタイルもあるし、何人に抵抗してるのかとか。
そうそうそうそう。
で、それであとあれだよね。まあその、抵抗という言葉、レジスタンスという言葉は、する側とされる側がいて、まあ我々はされる側。
まあよくあれですよね。なんか、政治とかだと、権力者みたいな。
そうだね。
政治家みたいな立場。まあ親という権力者の立場で、子どもたちに抵抗される側でもあるということで。
まあこの、ちょっとした日常の抵抗から、まあもしかしたらそこには深い意味があるかもしれないということで、子どもたちのそういうアクションを、まあレジスタンスと位置づけて、今日お喋りしていくわけですけど。
まあそこで強力な助っ人をお呼びしております。シャープ34の育児のアウトソーシングと家府調整という会でもお世話になった富永京子さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
ありがとうございます。
富永京子です。
ご無沙汰してます。
そうですね。ちょうど1年ぶりでまさに子どもが1歳、それぞれのお子さんが1歳上がって、より反抗というものが、より反抗のタクティクスがね、多様化したっていう、これ現代ですよね。
そうですね。富永さんは社会学者として、社会運動というテーマを研究されていて、結構この社会運動でも反抗、抵抗、レジスタンスというのは一つの大きなキーワードというか。
そうですね。例えばストライキであるとか、ボイコットって、抵抗、レジスタンス、それは労働者の経営者に対するレジスタンスでもありますし、先ほどお伝えいただいた通り、市民の政治家に対するレジスタンスでもあるわけで、市民的不服従みたいな言い方をすることもあるんですけれども。
いわゆる本当にね、いろんな対抗、抵抗の手段っていうのはあるし、確かに子供のうちの子もブルブルやるんですけれども、あれとかは話聞かねえぜみたいなあれですよね。すごい労働運動とかやってる人が経営者の前でノイズを鳴らすみたいな、それは近いのかもしれないですよね。
やだ、バーンとか、やだ、バーンってやる。
なるほど。じゃあちょっとそういう社会運動のフレームからも、たぶんこの子供たちの抵抗、レジスタンスを見たときに、もしかしたらね、すごい大きな問題とつながるかもしれないということで、ちょっと富田さんの力を借りまくりながら、我々ちょっと日常のエピソードなんかも紹介しながらね、みんなで子供との関わりの中で体験したことを紹介していこうと。
お子さん今何歳?
4歳になったとこですね。
じゃあそっか、はなまるさんが6歳なんで、6、4、3か。
そうだね、似たような。
結構だから、なんかね、変わってくるんだろうなっていうふうにも思って。
なんか1年前くらいだと、わいちゃんは寝そべり、うつ伏せに寝そべって泣くっていうのを。
やってた、やってることありますよね、3歳くらいだと。
場所、ところ構わず結構やったりっていうのはあったな、それ見て、上から眺めて、なんか抵抗してんなって思ってたけど。
それはなんか、もう明らかにコールができなかったからとか、これをしたいのに聞いてくれないから寝そべるとか、そういうなんかがあるわけ。
社会運動だとダイインっていうね、路上に寝そべるやつありますよね、死んだふりみたいな。
あるよ。
すごい、そこまでプリミティブなところからつながってるんだね。
あとは、なんだっけな、物投げるっていうのもよくやるかな。
社会運動だとブラックブロックっていうね、警察とかに石投げるっていう。
投石的な。
投石的な、そうか。
観戦運動みたいな、昔の。
なんか、抵抗する手段がすごい原始的だなっていうのは思う。
資源がそんなにないっていうか、自分に抵抗するために、だからツパとか。
社会運動の視点から見る子どもの抵抗
そうだね、体を使う。
でも、よく工夫するなって思う。
確かに確かに。
でも、寝そべりとかは、なんとなく保育園でそういうことをやっている子がいて、それを見て学んだんじゃないかなって思う。
戦略の電波ですよね。
なるほど。
富山さんはお子さんの抵抗、レジスタンスアクションはどんなのって経験しましたか?
そうですね、納豆とか食べなよって言ったら、聞いてんだか聞いてないんだかわからない顔をして、ふーんふーんみたいな。
聞き流し。
やるやる。
なんかちょっと冷笑気味な。お前がマジになってんのを、こっちで冷やかしてやんよみたいな。
なんかコード化した感じがしますよね。
確かに確かに。
なるほど。
どうですか?花丸さんは?
花丸さんももちろんいっぱいあるけど、すごくちっちゃい頃、プリミティブな段階の、すごい思い出したのが、
抱っこすると、抱っこを嫌がる時もあって、抱っこしてほしいって時もあるし、抱っこを嫌がる、運ぶ時とか、
その時にね、すごいの、関節を全部抜くの。
やば。
ありません?
抱っこしてる時に力抜かれるの。
力抜いて。
そういうの一度もないわ。
ほんと、抱っこしづらくすんの。こんなのどうやってやってんだろうみたいな。
だから、なんていうの、こっちの力を支えてるところの肩の、脇の下を持つじゃん。肩をグニャンって抜いて、
抜こうかするみたいな。
こうスッて落ちそうになったり、持ちづらくするっていうアクションを、なんかもう1歳とかやってて、
なんかそのなんだろう、この柔術というか。
突然の。
肩抜きなんだっていうのはね、よく話題になってた。
プリミティブ系。
プリミティブ系で思い出したことかな。他にどんなものが。
あとはね、あれだな、パンチパンチとかって言って、で、キックしてくる。
あ、そうなんだ。
パンチのことあんまりうまく理解してないみたいで、パンチパンチってキックしてきて。
あ、蹴ってもパンチ。
攻撃全般がってことですよね。
暴力だけがとにかく嫌だから、その時は結構きつめにサトスようにはしてるんだけど、
それ以外の時はね、こっちは難しいよね。どう対応するのか結構難しいなとか思ったりもするけど。
何に抵抗してるの?納豆だったら。
風呂入りたくないとか。
風呂入りたくない、あるよね。
テレビ見ててそれやめるとかさ。
そういうのが多いかな。やっぱり自分の欲望を叶えられないときに起こるよね、それはね。
そうだね。もっと要求とかを通すっていう手段も一つもあるんですかね。
お二人は多分要求を聞く側というか、体制側なわけですけど、
そういう時に強権を発動するかしないかって、やっぱ民主主義か権威主義かみたいなところがすごいあると思うんですが、どうですか?
いや、これは難しいですよね。だから、抱っこさせたくない肩を抜いたときも、でもやっぱり結局無理やり運ばないといけない場面もあって、
そのときにね、めちゃめちゃ泣き叫んで動くじゃないですか。
それでもある意味力づくで抱っこしてるせざるを得ない瞬間もちろんある。
特にちょっとね、暴力めいたときに、やっぱり自分の中でもね、それこそ抵抗感というか、いいのかなみたいな、かわいそうだなみたいな気持ちになる瞬間もあるんですけど、
そういうまだ言葉によって、例えばコミュニケーションが取れないとか、そういう段階のときはやっぱね、ある程度力づくで運んじゃったりとかはあったけど。
ぐいって引っ張ったりとか、ちょっとしちゃうこととかは、まあゼロじゃないっていう、できるだけ悟したいみたいな気持ちはもう3歳だとだんだんわかってくるから、
それはありますけど、でもそうだな、全然動かないときとかあるじゃないですか道端で、保育園の帰りとか。
何か見てたりする分にはいいんですけど、それで待ってるんですけど、なんかわがままを言って、それが通らなくて泣いて、で動かないみたいなときは、ちょっとじゃあもう先行くねってやっちゃったりすることはありますね。
それは悪いことのようにお二人ともお考えっていうことですよね。つまり、権威的に、あるいは武力概念っていうか、力を持って子どもの行動を制約するっていうことは、どっちかっていうと悪い、理性的でないみたいなイメージなんですよね。
そう思っちゃうんですよね。大人になって学習したリベラルな価値観が、やっぱりそこで規範となって、自分の中に入り込んで内面化してるところがあるんで。
そうですね、やっぱ落ち込みますね。無理矢理何かしちゃったときは、やっぱ落ち込むは落ち込みますね。
どうです?富永さんどうですか?
いや、なんか私は結構それで言うと昭和なので、言葉で通じない相手っていうのは、ある程度物理的介入してもしょうがないんじゃないかなっていう感覚があって。
ただ、すごいそれで思い出したのが、こないだ保育園の保護者会に行って、保護者会好きなんですよ。子どもと違って言葉の通じる人が多いんで。
すごい、現代の親ってここまでリベラルになったのかって思ったのが、保育園の生活発表会で、なんかそれぞれの子どもの成長を感じたエピソードみたいなのが話させてるんですけど、
子どもが舞台の上で全く動かなかったと、みんなが踊っているのに全く動かなくて、動かないっていうことの理由を聞いたら、他人と違うことをしたかったっていうことを子どもが言って、それはすごくいいことだと思ったっていう保護者さんのエピソードがあって、
犯行じゃないですか。犯行に対して自主性とか主体性を付与しているわけですよね。それはすごいリベラルだなと思ったんですよね。つまり、なんていうか、経営者としてみれば、すごい労働者の主体性を認める経営者みたいな。
たぶん昭和とかだと、うちの子ばかでみたいな話で、間に合わせちゃうと思うんですよ。だから、なんかそうですね、結構これはいろんな調査でも言われていることだと思うけど、やっぱり明確に子どもの主体性とか自主性を尊重する、子ども家庭長の成立とかに結びついてくると思いますけども、主体性とか自主性を尊重する感覚って強まったんだろうなっていうふうに、それを見て思ったんですよね。
この保育園というか、私の子どもがやってる保育園ですけど、保護者の少なくない人が、子どものことを彼とか彼女とか形容するんですよ。
すごいですね。
それもすごく現代だなって思ったんですよね。何なら3歳児か4歳児って別に、そんな主体性とか自主性とか明確な人格を認めない場合も多いじゃないですか。でも彼とか彼女なんだなと思って、なんかいろいろ考えさせられましたね。
確かにね、自分たちが育った昭和の頃の空気感だと、もっと乱暴で雑な扱いだし、親は所有物じゃないけど。
うちの子ばかりみたいな。
あと、ごちゃごちゃ言わずにみたいなのはあったよね。
黙れ、バーンってやられたり。
でも確かにその主体性みたいなことで言うと、自分も大体怒る時って全然効かない時とか、あと向こうが抵抗してくる時はそういう場合じゃないですか。
こっちがやって欲しいこととかと向こうがやりたいことがうまく噛み合わない時。
その時に言うんだけど、心のどっかで聞き分けのいい子になってほしいわけじゃないんだよなーみたいなところも、それはそれで思ってしまって。
それはやっぱりそういう風がいいって思ってるから。自分の主義主張がちゃんとある方がいいっていう価値観を自分が持っているから、ここでコロッと、はいわかりましたみたいな感じで。
来られても、それって本当にいいことになるかなっていう風に思いつつ、だけどめっちゃイライラしたりすることがあるっていう。
そこの間で結構揺れ動いてる感じはするんですよね。
そこのイライラ。最近だから今日お二人に悩み相談を。このテーマをね、決まっていろいろ観察してたんですよ。
6歳の双子だともう結構ほら、知恵を使って来るから、どういう抵抗の仕方をしてるんだろうと。不満を言うとか怒るとか、なんかボイコット動かない。
ボイコット。
逃げる、無視する、参加しない、とかいろいろあるんですけど、最近頭を悩ませてる特に抵抗が3つあって。
3つある。
3つあるんですよ。いいですか、相談に。
1個は仕事っていうのがどういうものかみたいな話をしたときに、なんかをやってお金をもらうもんだよみたいな、なんかそういう説明をしたら、それをなんかインストールしちゃって、
だから早くお風呂入ってとか、ご飯食べてつと、お風呂入ったらいくらくれるのとか、なんつーの、そういうことを言ってくるようになって、
それは仕事じゃないけど、なんか嫌なことをあえて頑張ってやるみたいなものを仕事と捉えてる縁があるので、
でもそこでなんか、例えばじゃあ100円あげるとか言ったら簡単に動かせそうだけど、
終わりだね、終わり。
やばいじゃん。
終わりの始まりじゃん。
だから、嫌でそうじゃないみたいなこと言うんだけど、でも代表はそうやってお金をもらってやってんじゃんみたいな、そういう言い方で、
なんかこうコミュニケーションがめんどくさいっていうのが一つのあって、あとその保育園のリベラルの話に関係してくると思うんですけど、
やっぱ自分のことは自分で決めていいんだよとか、嫌なことは嫌って言っていいんだよっていう、多分その教育というか、
なんかそういう価値観を、多分保育園でもそうだし家でもある程度話の中に出てくるので、それ自体すごくいいじゃないですか。
だけど、例えばこうなんか、なんていうのか、双子でちょっとこぜり合いとかがあると、すぐ被害者ポジションを取ろうとするんですよ、どっちも。
痛いとか、なんかちょっとぶつかっただけで痛い痛いとかって。
あ、言うね。
ね、言うじゃん。
花ちゃんがぶったとか、まるちゃんが蹴ったとか、どう見ても痛くないけど、その被害者感を全開にしているのもわかるけど、
今のは痛くない、間違ってぶつかっちゃっただけで痛くないから、ちょっとごめんねぐらいでいいじゃん、みたいな。
そしたら、なぜあなたが私の痛くないってことは決めるんだ、みたいな。
勝手に決めるなっていう、この勝手に決めるな運動がすごくて。
今までだったら、ここだからこうだなとかって、無理矢理話を進められていたところが、勝手に決めるなっていうところの価値観をインストールし、それを抵抗運動に使ってくるっていうのが、2点目のちょっとめんどくさいなっていう。
そうですね、すごいな。
あとなんか、これはちょっとポップな抵抗の仕方なんですけど、フローキャンセル界隈って言葉あるじゃないですか。
あれを、ほら、お笑い芸人の松尾と、
チョコプラ?
現代の子育て観と昭和の価値観
チョコプラ。チョコプラが歌にしたやつ知ってる?
知らない。
フローキャンセル、フローキャンセル界隈、隈、隈っていう歌がYouTubeで結構流行ってて、それを友達に教えてもらったり、保育園でも流行ってるのかな。
それでなんか、みんなで歌って盛り上がるみたいなのがあって、そのフローキャンの概念を理解したのか、
例えば、夜ご飯食べなって言ったら、ごはんキャンセル、ごはんキャンセルとか歌ったり、お風呂入んなって言ったらフローキャンセルとか、
愛想すごいよね。
ほんといっぱい、もう寝る時間だから寝るキャンセルとか歌いだす。
で、なんかこうやって笑いながら、キャンセルのチョコプラの仕草をして、ちょっと面白いわけですよ、それ確かに。
どんなのが出てくるのかなって思って、こっちも歯磨きしなってたらファミキャンセルとか言って、
ちょっと面白いって思ってる自分もいるんだけど、でも本当にいい加減にしろとも思うわけですよ。
だけど笑っちゃうんですよ、思わず。
笑ったってことは、なんか大丈夫だってもう認識して、
余計寝てほしい、風呂入ってほしい、歯磨きしてほしいって方向に進まなくなり、
なんか内心でイライラしてるけど、俺もさっき笑っちゃったしなみたいな、ちょっと面白がってるしなみたいな。
成功してるね、その抵抗が。
抵抗、こっちも権力者としてやられてるところもある。
割とユーモラスな歌みたいな、確かに社会運動でも歴史的によく使いますからね。
そういうものによって空気を和ませて交渉うまくいく。
確かにね。
高度化してるっていうことってある意味。
どんどん歳を減れば減るほど、抵抗の手段とかは、もちろんね、知恵を使ってやってくるだろうから、高度化して。
こっちは一応、権力者の側は、もっと対応が難しく面倒くさくなっていくっていうのはありますよね。
これにどう対応していいかっていうのが。
社会運動がだいぶグレードアップしてるというか、交渉の手続きが。
それこそだって、最初のお金の話とかって、4歳、3歳では出てこないタイプのタクティクスですよね。
戦力ですよね。
お年玉を貯めるみたいなのが毎年あって、それでお金が貯まっていく喜びとか、
自分のお金でガチャガチャをやるとか、お菓子を買うとか。
ある程度、自由を勝ち取れるツールみたいな感覚は、たぶん、もう覚えてきて、さらにたまっていく喜びとか。
だいたい物の価値みたいにも、少しずつこれ何円なの?何円なの?何円だったら何が買えるの?っていうのがよく出てくるようになったんで、
そういう中で、労働をすれば、嫌なことをすれば、金が入ってくるっていう。
たぶん、そういう発想になったんだと思うんですよ。
労働者としてのエイトスがね。
確かにそれは、言ってることは分かるんだけど、違うだろうと思いますし。
なんていうの?
いやいや、あげるわけないだろうみたいな。
でも、なんで?みたいに突っ込まれると、こっちもコミュニケーションを。
自分はあんまり怒るのが得意じゃないんですよ。
怒り方が分かんないというか、変に怒ったりすると、この怒り方でいいのかとか、変な感じで怒っちゃったんじゃないかとか、
後で後悔したり、恥ずかしくなったりするところが邪魔して、だったら一層、対話をしちゃったほうが楽だと思うから、話し合うっていうコマンドを取りがちなんですけど。
でも、この富永さんの、なぜ社会は変わるのかには。
ありがとうございます。
社会運動と資源っていう話が出てくるじゃないですか。
運動、もちろん運動する側の資源っていうのもあると思いますし、
抵抗される側にも、どこまでちゃんとそれに耐えられるのか、付き合えるのかっていう、時間的、体力的、金銭的な資源もこっちにはないので。
話し合うってことは大事だと思うし、そういうコマンドが取りがちだけど、一方で疲れてる、時間もない。
っていうので、コミュニケーションがあんまりうまくいかず、最近。
あ、めんどくさいみたいな。
これ100円あげちゃったほうがいいんじゃないの?みたいなね、思っちゃうことあるでしょうね。
そうすると、子育ての場合は、共同経営者が、もしパートなんかそんなとこ見ようもんなら、お前何してくれんだって話じゃないですか。
そうだね。
何、金あげてんだみたいな。
そういうのも、もちろんそれは良くないことだと思うんで、でもこういうのも俺が教えたってことなんだろうな。
でもさ、相手によってその抵抗の仕方も変えてる。
変えてる、変えてる。
そうだよね。
優秀な運動家の。
いや、絶対やらないですもん、あっちには。
やらない。
絶対やらないですもん、同じことは。
だからそうだね、それは叶わないことっていうか、なんかちょっとおかしいことだって思ってるわけだよね、そこでお金をもらうっていうのは。
多分ね、だからまあもちろんあげたことはないんだけど、でもマッサージを背中に乗ってもらう、なんか例えば草サッカーやってて、その帰りとかに帰って、背中乗ってくれるとめっちゃ気持ちいいわけ、足とか。
その時に昔、なんか10円とかマッサージ代をあげたことがあるんですよ。
えー。
なんで、なんかそれは良いような気がする。
ね。
なんでだ。
面白いですよね。
つまりなんか、結構子供生まれて思ったのが、お店屋さんとか労働のメタファーって結構絵本でも保育園でも出てくるじゃないですか。
こんなに資本主義って鑑定されて、子供の頃から鑑定されてんだなっていうか、いわゆる労働消費の関係って鑑定されてんだなと思って。
確かに。
それを家の中でどれくらい、って言っても家事労働って基本的に賃金が出ないし、生活って別にそんな全部貨幣化できるわけではないじゃないですか。
貨幣化しちゃったら自治にならなくなるし、消費者化しちゃうわけですから、そう考えると確かにお手伝いのお小遣いって良いような気がしますよね。
ただ、風呂に入る自分の衛生状態を守るみたいなのは、確かに100円もらってすることではないよ。
それはセルフネグレットに繋がっちゃうわけですからね。
そうですね。お手伝いでちょっと10円払うとかいいとは思いつつ。
でも、あんまりどうして区別がまだ、背中乗ってって乗ったら10円くれんのに、風呂入ってって入って。
それ同じじゃない。やりたくないという意味では同じだからね。
子どもの抵抗の高度化と親の対応
面倒くさいことをやってるみたいな。そういうのはまあ、こういうのも俺が撒いた種なのかなとか思って。
いやいやいやいや。
それはしないと思う。
子供ってだって結構ね、持続的にコミュニケーション取れるわけですから、
あの時言ったことは間違いで、より精緻に言うならこういうことだっていう誤解は解けるわけですからね。
そうですね。なんで、まあまあ今のところちょっとその、もやもやしながらやってはいるんですけど。
なんかその、高度化していくっていう意味で言うと、なんか僕の友人、男性の友人の子供の話がちょっとあって、
4年生の子供がいて、4年生というのは6年生ぐらいにいるのかな。
で、その4年生の方の子供、女の子なんだけど、その子がある日不登校になってしまったというふうに言ってて、
なんかそれがどうも、その学校に行きたくないとかそういうわけじゃないらしいんですよ。
学校でうまくいってないとかそういうことでは全然なくて、どうも母親、お母さんと折り合いが悪くて、
で、そのお母さんに対する反抗として、
市民的不服従ですね。
不登校というのを選んでるっていうふうに言ってて、
だから明確にその親が一番嫌なこと、やられて一番嫌なことを、一番困ることをやってるっていうのも結構すごいなっていうふうに思ったし、
で、お母さん、お母さんにそれは大変だなと思ったけど、
彼は彼でまた悩んでて、間に立っていろいろ調整をしてるんだけど、なかなか難しいみたいな話をしてて、
不服従ですよね。
いや、まさにですよね。だって社会運動、対抗ってやっぱりリスクがあるわけで、その学校に行かない期間、友達とコミュニケーションが取れなかったり、
授業に追いつかなかったりするリスクってあるわけじゃないですか。
それを捨ててもっていうことですもんね。
ちゃんと、ほんとさっき話に出た、そういう抵抗をちゃんとできるっていう頼もしさと、
そうだね。
親からすると、めんどくさい、大変そうだなみたいな、この葛藤、せめぎ合いっていうのはあるよね。
あるよね。
だから抵抗って、受ける側の目線から、特に親って目線からだと難しいですね。
抵抗を潰せば楽になるのかというと、そうじゃないし。
そうだね。
やっぱ、学校の先生の言うこととかはすごい、超聞き分けが良くなられたら困るみたいなところもあるわけじゃないですか。
確かに。
聞き分けが良すぎる子供に感じる、ちょっと不安というか、
優秀な子役みたいな。
そうそうそう、優秀な。ああいう感じって何なんでしょうね。
そうなんですよね。北海道で高校の倫理の先生が学生と母親、生徒さんと母親相手に取ったアンケートがあって、これすごくて、
40年くらいの通じ的データなんですけど、やっぱり子供の犯行ってめちゃめちゃ減ってんですよね。
子供の犯行と、これ全然本通じと関係ないけど、多分成功症がかなり減ってんのかな。
で、明確に従順になっているという感じですよね。
意味のない犯行みたいなものを結構、規避するような動きが強くなって、多分それって全国的な傾向だろうなと思うんですけど、だから大人の方も、
なんか対抗みたいなものがおそらく消失しているというか、大人の方も結構起こりづらく、どっちかというと対話で解決するようになっているし、
子供の自主性を認めるし、そうなると子供も犯行する理由がなくなるというか、交渉である程度なんとかなるから、犯行対抗みたいなものって意味あんのって思っちゃうのかもしれないですよね。
本当そうですよね。
確かに。締め付けがあるからみたいな。
これ難しいね。
難しい。それこそ今度ちょっと話そうと言っているさ、本編、親番組のほうでヤンキーの話とか、まさにそういうことだよね。
不良ってそういうもんじゃない?
確かに。
抵抗。
つながっているんだ。
そう。ルールがないと犯行できないみたいなさ、不良的なものはね。正しいものがあってそこから外れるのが不良だから。
そっかそっか。
確かにね。そういう、自分なんかは母親が結構やばめの過干渉かつ不機嫌コントロール型だったんで、小さい頃からも支配下にあったんですけど、
でもその抵抗の手段として犯行するっていうのは全く取らなかったけど、逃げるっていうコマンドはいっぱい取れたんですよ。
商店街だったら近所に逃げちゃうとか、物理的に田舎サッカーに出かけちゃうとか、もちろん帰ってきた後の恐ろしさっていうのはあったにせよ。
で、お金とかもお小遣い、母親の機嫌次第みたいなところもあったんで、そうすると巧みにおじいちゃんおばあちゃんにヒュッと、わりと自転車で行ける距離だったんで、ヒュッと行って、そこから資金調達部とか。
なんか京都っぽいわ、すごい。
ある意味でサバイバルの、よく言えばですけど、ここダメならこっちよとか、ここは正面突破難しそうだからこうしようとかっていうのって、結構大人になって、自分の一つのサバイバル能力としてあるな。
でも、それってああいうちょっと苦しんどい環境で身についたものだったりもするし、
だから、個人的には二子たちも、こっちの親がちょっと厳しそうだったらあっちの親とか、それが厳しそうだったらジージーバーバーとかにうまく取り入って、自分の望みをうまく叶えたり、
っていうしぶとさみたいなのを、結構俺はいいんじゃないかなと思ってるんですけど、でも一方で、ちゃんとこれはダメ、これはいいっていう基準を示して、その基準をちゃんと示した上で子育てをしてった方がいいんじゃないかっていう、
どっちかと言うと、パートナーのしおりさんはそう思ってるようなところがあって、俺はその基準っていうのがもうグズグズ、どうしたら起こるとか全く分からなかったんで、現場の状況対応的に臨機応変にっていう感じになっちゃったんで。
基準を示すのも結構難しいと思うけどな。
そうなんですけどね、やっぱり場合事例によるだろうっていう話どうしてもなっちゃうから、なんか面白いですね、その京田さんのおじいちゃんおばあちゃんから資源調達するみたいなのは、なんか議会がダメなら司法に行ったりみたいな、同性パートナーシップ制度みたいな。
守ればいいもんじゃないっていうか、このテーマ思いついたのが、以前富永さんにこれ本当に結構前、初めてお会いした時に勧めてもらった、
ジェームズ・C・スコットさんという人の書いた、実践日々のアナキズム、世界に抗う土着の秩序の作り方という本があって、これすごい面白くて折に触れて読んでるんですけど、その中に労働者の抵抗の仕方として、
パリのタクシーの運転手の例っていうのがあって、パリ市当局から課される各種手数料や規制に対して不満を抱くと、そのパリのタクシーの運転手の人たちは熱心に規則を守る順法ストライキと呼ばれる手段に訴えてたと。
みんなで、じゃあこのタイミングでということで合意して、それを見計らって、突如道路交通法を全部ちゃんと守るっていう。
パリの全タクシーが。
多くのタクシーが。
そうすると30キロって書かれてるところは30キロ走るし、一時停車全部一時停止するとか、そういうのを全部守ると結局渋滞とかがめちゃくちゃ起きちゃって。
流れていかない。
そう、流れていかないわけよ。
っていうやり方とか、あとキャタピラ社っていうところの技術者が会社が決めるプロトコルとか手順書通りに全部やって、そうすると効率がめちゃくちゃ落ちるわけ、実際は。
なるほど。
例えばこのタイミングで誰かに確認してもらうとか、必ずここで指差し確認をするとか、でもそれを全部守ってると時間がめちゃくちゃかかるわけじゃん。
っていう形の抵抗をしたみたいな。
あなたたちの言うことを全部守ってますよみたいな。
その結果。
だからそういうのもあるから、だから基準を示すのが難しいっていうのはちょっと言い過ぎかもしれないけど、なんか一見聞き分けがいい子のようにも見えて、実は内心どっかで抵抗してるかもしれないし、彼、彼女なりに何か抵抗しているかもしれないから、なんか見た目にはわからないものとかもこの先出てくるんだろうなっていうふうにちょっとそれを読んでて思ってます。
なんかそれで思い出したら、うちの大学の附属ではないんですけど、ある大学の附属校の子が、附属だからエスカレーターで行けるけど一般入試で行ったみたいなことを言ってて、一般入試で上に上がったっていうことだと思うんですけど、なんか多分それも彼なりの親とか学校に対する、例えばお前優秀なんだからこの学部にエスカレーターで行けよとか、そうなればうちの附属校の進学実績がみたいなものに対抗するために一般入試で行ったみたいなことだと思うんですけど。
そういうなんか確かに順法ストライク的なものは、子供はなんかそういうアイディアを出すかもしれないですよね。
面白いですね。
全部守ったよ、みたいな。
守りました。
何かみたいな感じのね。
でも確かにそういう形のね、まあだから異性者、権力者が定めたルールや基準に納得がいかない場合は、全部従ってみてっていうやり方もあるってことか。
でもいろんなやり方があるよね。
実践日々のアナキズムを読んだ後にワイちゃんがブンブンとかやってるのを見て、なんて素朴な抵抗があるんだろうって思ったわけよ。
なんか素朴な抵抗が許されてるっていう安心感でもあるのかな。
多分スコットってもともとなんかかなり立場の弱い、もうなんか目つけられたら即暴力行為で制裁されるみたいなタイプの人たちは割と最初研究してたはずなんですよね。
多分東南アジアの農民と地主の闘争なんかを論じてて、やっぱり農民かなり力が弱いので、なんかすごい隠れたサインみたいなの使って連帯するわけですよね。
たぶんタクシー運転手の巡邦ストライクとかもそれで、ガチでやったらかなりすぐ制裁されるから巡邦することによってその対抗を間接的にするっていうことですよね。
それで言うとワイちゃんはなんか素朴にやってもそんなに制裁されないみたいな感覚を持ってるのかもしれない。
そうですね、確かに。
確かにね。それは聞くといいね。
一発ぶん殴ったらもうさ、一切やらなくなると思う。
それはそうだよね。いや、わかる。
そういうことなんだよ、たぶんね。
今得ているかであろう信頼関係を失うのが怖いから起これないみたいなのもちょっとあるかも。
どんだけ低いんだって感じですか?
自分がちょっと強権的になった後に感じる不安、ワイちゃんに対して。結構そういうことなのかなって今ふと思った。
こういうふうに、例えば先行くよって言ってちょっと先行っちゃったりして、泣いてきて。
そしたらなんだろうな、こっちの顔色を伺うようになっちゃうんじゃないかなみたいな。
そういう不安があって起こらないようにしてるみたいな。
それはやっぱり顔色を伺うような人間になってほしくないってどこかで思ってるからなのかな。
確かにね。
なんかちょっとコンサルみたいなこともやってて、経営者の方から言われるのもやっぱり怒れないですよね。
本来、怒るカメダファミリーみたいな、ガチで親父が怒ってガチで子どもが殴りかかるみたいな。
でも家族って信頼関係が続いていくわけですから、そうやってバチバチし合う関係性っていうのはあり得るはずなんですよね。
激起こして激反発するみたいな。
ただ我々ができないっていうのは、やっぱり関係、家族だから関係って基本的には長期的なはずなんですけれども、
その関係の長期的な関係みたいなものをやっぱりどこかで信じられないというか、
短期短期で関係を見ちゃって、それ故に民主的というか融和的というか、そういうコミュニケーションになりますよね。
確かに。
信頼。
短期的に見てるから。
やっぱり流動化、雇用が流動化して社員辞めちゃうから怒れないかもみたいな人って結構多いかなっていう感覚を持ってるんですけど、
多分昔の企業とかだと普通に怒ってたし、普通に反発。
それは労働組合とかあるからかもしれないですけど、反発してたところなんかも結構あるんだろうなってそれ聞いて思いましたね。
ある意味信頼関係に信頼があるから。
でも今の話で言うと、もう一個気になるテーマはあって、こっちは抵抗を受ける側じゃないですか。
で、俺もちゃんとそれはダメなものはダメだとか、うるせえとか対応できないとかを言えればいいんですけど、それが言えない。
でもなんかモヤモヤが溜まってくるとすごい意地悪な気持ちになって、ある意味その順法ストライキ?
親側の。
みたいな気持ちになるんですよ。
でもいいよ。
監督者側の。
抵抗の多様性と権力者のジレンマ
監督しなくていいと思う。本当に心の底から俺思うわみたいな。
で、いつかも島になって痛い目見た時に自分で多分磨くだろうからって言うとかじゃないの。
俺言っちゃう。
言っちゃう。
本当に俺もふっと歯磨きのアクションから降りて、あとはご飯も食べないと言ったらもう降りちゃって。
ほとんどかすかにね、今までクエクエ言ってたやつが急に静かになったら、より怖いって思ってくんねえかなみたいな期待はあるんですけど。
気をたばん力を抜くみたいな。
でもそこにもなんか全然気づいてくれなくて。
言わないと気づかんよね。
言わないから、いつまでもその飯や歯磨き進まなくて、でこっちも割とこう、自分こんなアクション取ってよくないなと思いながらそういうアクション取っちゃったのに、
さらにその効果が全然伝わってなくて、なんか身の置きどころがなくて、で心はもうサクサしてきてみたいな。
だからもう蝕んでもなりやがれくらいに思ってて。
それ出しちゃえばいいんじゃない?たまっちゃったときはさ、そういう風に。
言ったら焦るんじゃない?やっぱり。言えないのかだから。
なんかワイちゃんぐらいでも焦るよ。
じゃあもういいのねって。
もういいのね。
もうやらないね、もう一生やらないから、みたいな。
そう言って、そうすると焦る。3歳でも焦る。
でもその大好きなエッグスのショート動画に出てくるのよ。
そうやって子供を脅してませんか?みたいなショート動画。
よき親。
いっぱいいるじゃないですか、そういう育児カウンサラーみたいな人がいて、
あるでしょうね。
こういう言葉を脅しですよ、みたいな。
脅しね。
まあまあ確かになとか、けって思いながらも、ちょっとなんかそのショート動画に影響されてるのかもしれない。言えなくなっちゃう。
やっぱでもこっちも多少交渉しないとさ、みたいなのは思うけどな。
そうだよね。いや、そりゃ絶対必要。だからちゃんと健全に交渉。
自分もなんかその抵抗される側としてのアクションがまだ、なんか分かって、ちゃんと身についてない感じがあって、
さっきみたいに言ったよ、もう一生歯磨きしなくていいんじゃないですか、みたいな気持ちになってクサクサしたり。
あとなんか本当に悪魔的な考えとか、双子なんで。
俺はこっちだけ甘やかしたら、こいつらとんでもなく喧嘩するだろう、みたいな。
このマネジメント。
打ち牙を誘発したろかな、みたいな気持ちになったり。
あとだから、ある程度適度に懐中しちゃって、この抵抗の矢印をいい感じに追ってやろうかな、みたいな。
権力者が時に甘やかして、力をそらすみたいな。
ガス抜きさせるみたいな。
そういうのも、今日ちょっと富永さんに聞いてみた。
物価を下げるんじゃなくて、消費税率動向みたいなやつですよね。
そっかそっか、そういうこともやってるか。
育児アドバイザー的な人が言う、脅すなも結構よく分かんないところがあって、
どっちにしろコミュニケーションって権力者優位にできるものなんですよね。
だから、例えば対話で解決みたいなものも、うまく丸め込めば経営者なり政治家なりがイニシアティブを握れるわけですよね。
だから、脅し、例えば物理的介入もダメっていうか、親らしくない。脅しも親らしくないっていうけど、
対話で解除するのも結構いやらしく操作できちゃいますけどね、と思ってしまうところがあるんですよね。
確かに。
だって、絶対的な差があるからな。
そうですよね。まだ言うて大人の方が知恵はね、やっぱあるから。
だし、持ってるじゃん。全部持ってるから。
そうだよね。カードをいっぱい持ってるから、対話したよねっていう感じで、形は残しながら、誘導できる。
でも、向こうがかけられるものって自分の体くらいしかないから、ベッドっていうのができるものってさ。
だから、体が派手。
対話するにしたって、こちら側には交渉材料がたくさんあるけど、向こうには少ないっていう構造があるってことですよね。
あと結構、労働組合出身の執行部というか、管理部に、管理的な職務に就く人っているわけですけど、そういう人なんかから聞くと、やっぱ経営側も交渉を通じて鍛えられるっていうことは言いますよね。
つまり、お互いに、闘争的な側面だけじゃなくて、お互いにより自治とかマネジメントの形を探っていくっていうのも一つ、この対抗の役割だと思うんですよ。
そういう意味では、さっきのやつの事例とかわかりやすくて、その反抗されるごとに、確かに経営者成り立てだとどう対応していいもんかわかんないんだけど、やっていくうちにいい感じのマネジメントが見えていくっていう感じですよね。
確かに、それはなんかいい視点というか、経営者も鍛えられて、確かに面倒くさいなとかうるさいなとか思っても、やっぱでも一定の相手の言い分には一定の利があるぞとかってことになった時に、とかこのままじゃ全体が成り立たないぞとか立ち行かないぞってなった時に。
そういう時になんかスルーするとか、脅迫的な言動を多少してみるとか、時には100円渡すとかしながら、なんか学んでいくものなのかもしれないですよね。
保育園の先生とかめちゃくちゃ上手いですもんね。
確かに、スーパーマネジメント上手ですよね。じゃあ歌ってる間に数えよっかみたいな感じで、そういうのやりますよね。
俺なんかそれを、保育園の先生たちは気をそらすのが上手いなっていうふうにずっと思って感じてたんだけど、でもそういうことだけじゃないんだな、たぶん。
そうだね。
交渉が上手なんだろうな、たぶん。
押し引きをしたり、いっぱい失敗もしてるだろうしね、その中でカードというか、現場の知恵みたいな感じでやってるのかもしれないですね。そういうのが、我々にも多少なりとも身についてるんだろうけど、これが。
でも、あれだよね。それで言うと、あんまり強権的っていうことばっかりやってると、こちら側が鍛えられないってのはありますよね。
それはあるでしょうね。なるほど、なるほど。
なんかそれはあるね。
確かにね。
いろいろやってる。
一つさ、基準だけでさ、やるってさ、やっぱりこっちは鍛えられないよな。ずっと変わらない。
確かに。
うん。だから子供がある程度のいくと、そういう親をなんかバカにしだすような気がする。
厳しい親のことって、あるタイミングでバカにしだすんじゃないかな、みんな。子供って。
これしかできない。
そう。
いつも同じこと言ってるみたいなね。
そうそう。
確かにね。そういう気持ちあったかも、自分も。その親が不機嫌になるとか、キレ散らかすっていうことで、なんか常にたぶん。
ワンパターンだからね。
ワンパターン。そうだね。
予想もつくしさ。
うんざりもするじゃん。
うんざりもするだろうからね。
またかよ、みたいな。
それだと、そうだね。こっちにもあっちにも。
あるタイミングまでは、それで怖いとかっていうふうに思うけど、怖くなくなったら、たぶん経緯持てないよね。
そっか。そうだね。なるほど。楽な手段って。
まあそうだね。バーンって壁叩くとかで震えがらして、その場は通せるけどみたいな。
そうそう。そういう側面もあるんだろうなと。
そう考えるとね、って話でっかくなっちゃうけど、民主主義は大変ですね。
権力者側もいろんなレパートリーあるからね。これが例えば軍事的な政権とかだと、割と弾圧主弾、言ってもいろいろあるんですけれども、監視するとか検出するとか。
確かに民主主義の方がいろいろ怪獣のやりようはあるかな、怪獣というか交渉のやりようはあるかなっていう面白い研究は多いですね。
なるほど。
めんどくさいし複雑だけど、まあ確かに暴力でバーンっていうシンプルなことではない。
抵抗できる余地があるってことですね、逆に。
抵抗しなくなっちゃうとそれはそれでね。
でもこの先なんか大きくなるじゃないですか。
そうだね。
そうすると今今度小学生なんですよ。ツインズは次。
なんかこっちの資源に対するキャパシティに対する不安がやっぱあるから通じていけるかなみたいな不安がすげえあって。
だって今の時点で風呂入るから100円くれみたいなこと言ってるのはかなり知的ですもんね。
いや、そうですよね。
そうなんですよ。
確かにその。
ツインズ、花丸はね、相当。
そういう。
立ててる。
なんか。
相当なもんだと思う。
2人でずっと喋ってるんで。
多分喋るのは経験というかさ、2人でも嫌な喧嘩してるし。
モロハラみたいなことやりあってるし。
そういう中でもしかしたら2人の中でも鍛えられてる感じがあるのかもしれないですね。
こっちからすると喧嘩しないでって思うんですよ。
喧嘩見ると心臓がキュッてしちゃうんで。
でもあの喧嘩は。
確かに。
ねえ、2人の中でこうバチバチやりながら、なんかこうああ言ってきたらこう言い返そうとか。
まあ時には2人で吊るんでこっちを丸め込もうとか。
まあそういう鍛錬の場になってると考えると、あんな経験しないですもんね。
双子っていう環境じゃないとずっと2人でいて。
一応はキャラクターによってはあるんでしょうけど、兄弟ほど権力差が明確じゃないのも面白いですよね。
公平なテーブルでずっと民主的に喋ってるみたいな感じなわけですよね。
こっちに対する要求も絶対に不平等は許さないっていう感じ。
格差を許さない、主演化させるな。
富永さんの本なんか読んでると、運動コス側もあいつは要求が通ったらずるいとか。
こっちは全然とか、あとフリーライダー論とか。
こっちはすごい苦労して。
権利を押し上げたのに他の人がフリーライドしてくるみたいなね。
あいつの賃金も上がるのに納得いかないとか。
ほんと難しいな。
だから抵抗という形と、何に抵抗してるのか、何を得ようとしてるのか。
拒否者としてどう振る舞うべきか。
考えさせられるテーマだったかもしれませんね。
こっちが権力者っていうのは認識してたような、してないような感じだったな。
私の本はなぜ社会が変わるのかって紹介いただいたのもですけど、
みんなのわがまま入門っていう本は結構経営者の方に読んでいただいてたんですよね。
それはやっぱり意見を職場において言われなくなってると。
つまり言われたらどうしたらいいのかも、あるいはどうやったら言う空気ができるのかとかも。
心理的安全性みたいな概念が結構経営学で流行ったので、そこがきっかけだと思うんですけど。
そういう意味で、言わせられる権力者であるがバチバチを恐れないみたいなのがいいのかもしれないですよね。
そこで変に全部対話で言話的にってなったらまた別の権力性が生まれちゃいますから。
カメダファミリーじゃないですけど、こうやってバチバチ対抗してバチバチやって、でもいい自治が生まれるみたいな。
そのためのいろんなレパートリーというか手法を試してみたいですよね。
そうですね。そこはちょっと一個いいですね。何でも言ってもらえる空気も作れるし、かといって全部従うわけでもなく、
ちゃんと戦えて、その結果いい落とし所が見つけられるような組織とか関係性はいいね。
だから、親番組につながるかもしれない。だからこそヤンキー的なものに注目が集まってるかもしれないな、そういうところもあるんですかね。
これだけ対話と理性が重視されている現代社会ですから、それと違うオルタナティブが消えつつあるというのは怖いことでありますよね。
ラブ上等。バチバチも大事なんですね、時に。
うちのパートナーは研究者なんですけど、やっぱりすごい言語と理性を信じてるんですよね。
すごい、これ4歳児に言って分かるのかってレベルで説明するんですよね。
いいですね。見てみたい。
そんなの分かんないよって言ったら、子どもの自主性とか主体性を信じてないのかみたいなことを言うわけで、
この人の前で暴力とかしたら絶対怒られる。絶対すごい失望されるんだろうなと思って。ただそこにやっぱり現代社会を見ますね。
ほんとですね。面白いテーマだな。理性を信じる。確かにそんな分かんねえよって気持ちも当然思いますもんね。
言っても分かんねえよって。
とにかく変化するからね。向こうも変化するしっていうのもあるなって思って。
とても現代の対話重視に行き過ぎるとあれだし、かといってリメンバー、昭和みたいなのもあれだし。
それを多様性として楽しみたいですよね。交渉の多様性と成長の多様性として。
やはり我々の思いつきで投げた球をいつも富永さんは打ち返してくれるという感じで、今回も楽しい座談をさせていただきました。ありがとうございました。
ちょっと富永さん、ご自身の番組の先天をちょっとだけ。
そうですね。ポッドキャストというかスポットファイ限定なんですけど、ただブラウザで多分皆さん聞けると思うんですけれども、アプリだとスポットファイ限定で、
仕事の合間というポッドキャストをやっております。子育ての話もしつつ研究の話やカルチャーの話もするワクワクコンテンツでございますので、もしよろしければよろしくお願いいたします。
最近ずっと面白い。本当に面白いし。
感情もすごく出るじゃないですか。それもすごく面白い。でも去年そこまでそれは感じなかったんですけど、今年はすごくそれを。
今年一年の仕事の合間、そうですよね。それすごく感じましたね。
聞き手の方を信頼できるようになったかもしれないですよね。新聞の連載とかしてても読み手を信じられる局面ってあるじゃないですか。
確かに。
あれになってきたかな。
より近い感じがすごくしますね。
するよね。
する。
分かる分かる。
あとね、本とか漫画が読みたくなるんだよね。
なる。
映画見たくなるし。
佐藤さん。
佐藤と佐藤。
佐藤さん。
紹介してた時はこれのすぐ読みたくなる。
そうですね。それこそこの番組で紹介してもいいくらいの映画でしたね。
いっぱい映画、漫画、論文も読むっていう習慣ないけど、あれを富永さんのナビゲートで聞くと興味出るよね。
あとこの新章のなぜ社会は変わるのかも、どっちからでもおすすめっていうか、読んでから聞いてもいいし聞いてから読んでも、両方やるとより楽しめる感じがする。
特にこのなぜ社会は変わるのかの後書きがすごいよくて、富永さんがあるとき社会の見る力が備わっていたというか。
土壌に出たら展示ブロックがあって、日照県の問題で形が変わったマンションがあってみたいな、すべてが社会運動の成果なんだってね。
それこそ子育てしてたらものすごく感じるでしょうから。
本当そうですよね。全部のあらゆるものが人々の交渉とか運動の結果こうなってるっていうような感じ方を全世界にするっていう、富永さんの体験というか書いてあって。
でもその目線を少し借りられたような気がして、家の中眺めても、こういう習慣一つ取っても結構揉めた末にこうなったなとか、この棚を選ぶにもなんか大変だったけどとか、
彼女のこういう思いがあったなとかっていう眼差しで見ると、ちょっとエモくすらなかった。
それは面白いですね。
なんか良かったんで、そういう社会運動というもののそのいろんな理論って言うんですね、結構新書なんで入門者にもわかりやすく書いているような本なので、こちらもね、ポッドキャスターと合わせておすすめです。
ということで、本当ありがとうございました。
ありがとうございました。
今回は子どもたちのレジスタンスという、ちょっといかついテーマでお届けしました。ここまでお聞きいただきありがとうございました。
桃山翔司の清田でした。
森田でした。
信頼関係と抵抗のバランス
そしてゲストの。
富永京子でした。
皆さん次回もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
57:34

コメント

スクロール