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2021-03-30 17:04

#320 あまりにも未熟な

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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。
サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、あまりにも未熟な、というお話をしたいと思っています。
何が未熟なのかっていうと、言葉を使用するということにおいて、僕たち人間っていうのは、あまりにも未熟だよね、っていうお話です。
このポッドキャストはもちろん、日々のエッセイも、全部言葉で僕は伝えているんですね。
別にダンスで伝えるわけでもないし、皆さんとハグをするわけでもないし、ましてやこれ音声だけですからね。
YouTubeとかだったら、まだ僕の表情とかね、そんなところでも伝えられるのかもしれないんですけども、
せいぜい喋る速さとか、声のトーンとかっていうのは、非言語の部分で伝わるのかもしれないですけども、
基本的には言葉で伝えていますよね。
この言葉で伝達するときにですね、何を伝達したいのかっていうことなんですよね。
すっごい雑な分け方ですけども、その言っている内容、意味を伝達したいのか、
意味とは別に、その印象ですよね。
すごい爽やかな人だったなーとか、強そうな人だったなーとか、優しそうな人だったなーとかっていう印象ですよね。
人レベルじゃないにしても、その発言はこういう印象を受けたなーとかね。
印象を伝えたいのか、意味を伝えたいのか、この2つってのがあるのかなと。
この2つはどっちかっていうパターンだけのこともあれば、だいたいどっちも混ざってる。
意味は伝達したいんだけども、こういう印象で意味を伝達したいとかね。
すごい2つの成分が混じり合って何か言葉を使って伝えてるんだと思うんですよね。
意味を伝えたいとか言ってるけども、形容詞みたいに印象そのものが言葉として変換されているものとかもあるから、
結局印象を伝えるのに言葉で伝えるみたいなこともあるし、
印象を伝えるのに声のトーンとかで印象を伝えることもあるし、
あとは相手との言葉選びのチューニングで印象が変わる。
決定するっていうのと決めるっていうのではちょっと同じことなんだけども、
響き方が違うので印象が変わるとかですね。
なので言葉で伝えるにしても言葉選びで印象が変わるとか、
意味自体は変わらないけど印象が変わるとかってこともありますよね。
受け手の方、例えばこれでいくとですね、僕が喋って皆さんが聞いてくださっていると。
だから聞いている方のことを一切考えずに僕が僕の意味、
僕の印象で僕が思っている適切な言語で話すということになると、
僕が一方的に皆さんにことを投げつけている状態であると。
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そうじゃないコミュニケーションがたくさんありますよね。
例えば1対1とかで相手にこういう印象を持ってほしいとか、
こういうことをこの人には伝えたいんだと、分かってほしいんだと。
この人はこういう人でこういうふうに感じる、
言いやすい人だからこういう言葉を選ぼうみたいな感じで、
相手に配慮した言葉を選ぶパターンもあると。
なので今僕みたいに好き放題喋っているパターンもあれば、
相手ありきで喋るパターンもあると。
まあそのどちらであるんですよね。
だいたい喋るときに言われるのは、相手の立場とか相手の感じ方とか、
相手の言葉に合わせて話しましょうとかって言いますけど、
だとしてもそんなことをやったとしても、
僕たちの言葉のやり取りっていうのは、
めちゃくちゃいい加減だよねっていう話を今日はしたいなと思っています。
まあちょっと例文みたいな感じになるんですけども、
赤い車が私の目の前を通った。
っていうときに、赤い車が私の目の前を通ったってだけの話。
でもそれを聞いたときに、意味だけで捉える人もいれば、
赤い車が私の目の前を通ったらどんな風に通ったんだろうなとか、
どんな車が通ったんだろうなとか、どんなロケーションだったのか、
自分はどんなシチュエーションにあったのかってことを想像する方もいますよね。
赤い車が私の目の前を通った。
その言葉としては、赤い車が本当に目の前を通ったというだけなんだけども、
今言ったみたいに、そこの映像が浮かんだ方もいると思うんですよね。
どんな映像が浮かびましたか。
例えば僕は渋滞気味の道路を赤いマーチがね、
時速20km未満ぐらいの、すごい助攻プラスアルファーぐらいのスピードで前を通っていった、
みたいな映像が浮かんだとしましょうか。
でも次の文章を聞いてください。
赤い車が私の目の前をさっそーと走り抜けた。
さっそーと走り抜けたなら多分時速20km未満ではないだろうってことは何となくわかりますよね。
じゃあどんな車がさっそーと通り抜けたのか。
ポルシェか、それともフェラーリか、ワーゲンか、何でもいいですよ。
とにかく何かさっそーと赤い車が通り抜けた、その時の車種って何だろうとかね、想像してみましょうと。
また次の文章を聞きますよ。
赤い車がサイレンを鳴らしながら私の目の前をさっそーと走り抜けた。
もうそうなってくると赤い車でサイレン鳴らすとかなったらもう消防車やろって思ってしまいますよね。
でもこれだったらどうでしょう。
赤い乗用車が車の屋根にランプをつけ、サイレンを鳴らしながら私の目の前をさっそーと走り抜けた。
こういうと赤い乗用車の覆面パトカーだったっていう感じになりますよね。
何が言ったかというと、この赤い乗用車が車の屋根にランプをつけてサイレンを鳴らしながら私の目の前をさっそーと走り抜けたんだよねとは会話の中ではあんまり言わないですよね。
会話の中では赤い車が私の目の前を通ったんだよねとかっていう言い方をすると。
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だからかなり誤解しながら会話をやり続けている可能性があるなと。
もちろん赤い車が私の目の前を通ったんだよねって時に、どんな車が通ったの?どんな風に通ったの?
その時あなたはどんな状態だったの?って全部聞いていけばね、最終的なさっき言った赤い覆面パトカーに辿り着くことはできるかと思うんですけども。
そんなに質問質問質問する人っていますか?
対話の場では僕はそうやって質問されることとかあるんですけども、日常会話で質問されることってほとんどないですよね。
対話の場でも質問しない人いますね。
自分が喋りたいから喋ってる人たくさんいて、だから喋ったことに喋って喋ったことに喋ってって喋りを積み重ねると
赤い車が私の目の前を通ったみたいなことをずっと積み重ねてるから
なんか全然どんどんお互い共有しているようで、どっちかというとどんどんすれ違いが広がっていってるみたいな
そんな会話が多くないですか?って思うんですよね。
つまり赤い車が私の目の前を通ったという自分が勝手に感じた印象で、印象でもう意味までとか相手が言ったことまで捉えてしまって
印象で受け止めてしまうと。そこまでバカじゃないよと言われるかもしれないですけども
僕たちはですね、センシティブな話題であればあるほどそうなりやすいんですよね。
センシティブな話題であればあるほど意味みたいなものをどんどん置き去りにして印象だけで捉えると。
今のは赤い車がただ目の前を通っただけだけども、男とか女の話をするとか政治の話をするとか
なってくるとどんどんね、その意味、何をその人が言おうとしているのか、内容としての意味よりも印象ですよね。
なんか差別的な感じがしたとか、なんか責められている感じがしたとか、決めつけている感じがしたみたいなね。
それ内容を聞いてもらわないと、内容が決めつけているように感じたんだけどもどうでしょうかって聞けば
実はそう決めつけているわけではなくてこういうふうに主張しただけでとかっていうことも分かったりもするんだけども
意味とかニュアンスを確認せずに勝手に自分が受け取った印象だけで捉えてしまうということがよく起こっているんじゃないかなと。
だからなんかもう印象ばっかりでとてもじゃないけど、そのコミュニケーションが複雑なコミュニケーションが成立しそうにないなみたいな。
複雑なコミュニケーションが成立しそうにないんだったら、ぶっちゃけ挨拶とか提携文とかハグとかね、もうそういう言葉のレベルをめちゃくちゃ下げるというか
この今みたいな複雑化した無限に言葉があるみたいな状態の中でやっていけるほど人間は賢くないんじゃないかというのが僕が思っているところですね。
今のは意味を無視して印象で捉えてしまうとか、意味を無視しないにしても印象が膨らみすぎて印象の方をメインで解釈しちゃうみたいな問題を言ったんですけども
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次にじゃあもうその印象ばっかりで捉えてる人は結局ロジカルじゃないから論理的な思考ができない人たちだからそれはもうちょっとバカですよと。
意味で捉える人っているじゃないですかっていう人がいるかもしれません。でも考えてみてほしいんですよね。
次の件、孤独っていう言葉をですね、使ってちょっと考えてみたいなと思ってるんですけども、孤独ってまずその印象はどうですか?
なんか独りぼっちで寂しい感じがするなって思う人もいれば、ビジネス書とかではね、孤独になれとかよく言われるから、孤独ってすごい自立してる感じがするとかできる感じがするなみたいな人もいれば
孤独って言うとなんかちょっと暗い性格の人なのかなとかっていういろんな印象をいろんな人が持ってしまうと、孤独って言っただけでさっきの印象の話になると
結局、何て言うのかな、無限に解釈ができてしまうと。だから、いやいや、孤独という意味に立ち戻りましょうよと。
孤独って意味で言ってるから別に印象をつけたいわけじゃなくて、今意味で語ってるからって言ったときに、そうかと。
じゃあ孤独って意味を改めて辞書で引いてみようってことで、辞書で引いてみる。
ここでね、2つの辞書を引いてみました。公辞遠と大辞隣を引いてみました。公辞遠の孤独は意味2つあってね。
1、皆仕事をおいて来なき者。だから、親にがいない子とか、年取ってるんだけど子供がいない人のこと。
2つ目、仲間のないこと。一人ぼっちですね。
次、大辞隣の孤独。1、頼りになる人や心の通じ合う人がなく、一人ぼっちで寂しいこと様。と書いてますね。
2、寄るべなき身。寄るべなき身っていうのは、皆仕事をおいて来なき者というのとほぼほぼ一緒と思ってもらっていいと思うんですけども、
このね、公辞遠の孤独、仲間のないこと、一人ぼっちと大辞隣の孤独、頼りになる人や心の通じ合う人がなく、一人ぼっちで寂しいこと様っていうのは全然ニュアンスが違うんですよね。
公辞遠の方は単純に仲間がない、一人ぼっちっていう状態だけを意味として言ってるんだけども、
大辞遠の孤独は、頼りになる人や心の通じ合う人がいなくて、一人ぼっちで寂しい、もうね、人間関係にまで踏み込んで、そしてその関係の中で自分が一人ぼっちでかつ寂しい状態にあると、寂しいというところまで含めて意味にしてるんですよね。
だから、そういう印象みたいなものまで意味に含めているのが大辞遠。公辞遠の方はその状態ですね、一人ぼっちであるという状態だけを孤独と言っている。
だから、例えばですよ、誰かが、例文ですけども、すり減ってしまうような、よくわからない人間関係に時間とかも費やしてボロボロになるよりも、もっと自分にとって有意義な時間を使うために、孤独になろうよって言ったとしますよね。
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孤独になろうよって言った時に、その相手が、でもそれって寂しいですよねって言われると。
そしたらですね、最初に話してからすると、おそらく一人ぼっちという状態の方の意味で言っていて、一人ぼっちという状態をどう解釈するかは有意義な時間を使えれば、
それこそ一人ぼっちということが自立になったり、一人ぼっちということが楽しいとか、愉快ということになるかもしれないというような余白があるわけですけども、
参考者のそれって寂しいですよねって言った人からすると、孤独という印象を寂しいと思っているという決めつけている、みたいなところがあるわけですよ。
孤独にもなったことがないのにもかかわらず。で、「それって印象だよね」って言いたいんだけども、大辞令的には意味として正しいんですよね。
寂しいですよねって言うときに
まあ ずっと言う 孤独って言ってることそのものが
だって寂しいってことですよねって言ってるっていう
もう意味と意味で語ってるんだけど
意味と意味がすれ違っている状態になるっていう話なんですよね
最初の赤い車との違いは
赤い車の方は本当に
意味とか語られてないことを勝手に印象として捉えて
自分の中で決めつけているって言ったらあれだけども
自分の中で映像を浮かべてるんだけども
今回のパターンだと
そうとは言い切れないってことなんですよね
何が言いたいかというと
孤独になろうって言った本人は
一人ぼっちという状態だけを指していて
その後の印象の部分は
その孤独のあり方次第で印象って変わるよねって意味で
孤独になろうと言っていると
で 後者の人は寂しいですよねって言ったときに
孤独にすらなったことがない人間であり
かつ ここから二つ分かれるんですけども
印象として寂しいと思っているってパターンもあれば
孤独という意味を大自然で調べたのを知っていて
孤独ってつまりそれって
寂しいってことを言っちゃってるじゃないですか
ってことを指摘している可能性もあると
こんな感じでですね
印象と意味みたいなものはやっぱり切り離せないんですよね
もっと言うと意味と意味が
バッティングしちゃうことがあると同じ言葉でも
辞書によって違うってなるから
大自然だとそうだけどこういうのだとこうだよみたいなことを
議論することになるけども
意味を辞書が書いているものをさらに議論するとか言われても
今度印象を議論するしかなくなっちゃうんですよね
自分が思う孤独ってのはこういうイメージでみたいな
もうね 永遠に分かり合えないですよ
僕たちはね 永遠に分かり合えない
孤独とかでいう一つとってもそうだし
自分の目の前は赤い車が通っただけでも
どれくらい説明するかっていう問題があるしとか
それを 何だろう
対話形式でやっていると
お互いがそれを繰り広げ続けるわけですから
もうね 収集つかないですよ
もうね 言葉でやりたいですってのはちょっと難しい
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そんなことをね 最近はすごく感じています
だからこういう一方的なコミュニケーションですね
BODCASTとかで喋りたい方で喋って
聞いてくださっている皆さんがそれを聞いて
いいふうに解釈してくれれば
いいふうっていうかそれを心地よいと思えれば
また聞いてくださるのだろうし
それがすごく不快であれば聞かないのであろうしっていう
もう委ねますという形で
一方的に全世界に自分の言葉で残しておくっていう方が
よっぽどいいなと最近は思っていて
個別にこう対話をして
何ていうのかな
分かり合うみたいなのは到底難しいなというふうに思いますね
それでもなお僕は対話を必要としているんですけども
それは分かり合うためではなくて
その直感的な何か新しい発見があるっていう意味で
発見するために考えるために対話をしているので
別に分かり合うために
僕は対話をしていないというところですね
その分かり合うために対話してないっていう言葉も
誤解されたくないのは
別に分かり合いたくないって思ってるわけではなくて
言葉で分かり合えないでしょって思っているという
分かり合えるかもしれないけども
分かり合ったと思っているだけかもしれないよね
っていうことを言いたいと
そういう感じですね
なんかちょっと難しい話でしたけども
要は複雑な言葉を使うには
人間という動物があまりにも未熟であると
だから今この世界この社会では
言葉っていうのは日々生産されていってるけども
そんな言葉多分使えないよと
もう挨拶みたいな言葉を世界レベルで統一する
あとはなんかお金っていう概念使うんだったら
その数字とかね
そういうのを共有するとか
もうそのレベルぐらいじゃないと
もう細かい言葉を
なんだろう
みんなで共有しましょうっていうのは
無理だと思うよっていうお話でした
本日は以上です
またお会いしましょう
さよなら
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