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2021-04-04 09:38

#325 分かり合うのではなく共に考える

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相手と分かり合うためならば、複雑な言葉を用いるよりも、ダンスやハグのような身体的な交わりのほうが意外と精度が高そうだと思う。分かり合いたいなら一緒に踊ろう。毛づくろいのような会話で毎日を埋め尽くしている人は、しゃべるよりも実際に毛づくろいをしたほうが高い効果が得られるのではないか。/シソフレ(思想フレンド)募集中!【秘密結社S.A.B】の活動はこちら  https://bit.ly/2P3pujF /うえみずゆうきの活動を応援していただける方は、noteマガジン【脳内議事録】をぜひご購読いただけると嬉しいです。 https://note.com/y_uemizu/m/md0e3af51acf5 

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みなさんこんばんは、上水優輝でございます。 サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、分かり合うのではなく、共に考える、というお話をしたいと思っています。
ここ最近、言葉に関するテーマでお話しすることが多かったなぁというふうに振り返ってみて思います。
言葉を使って人と人が分かり合うみたいなところに対する絶望感に打ちひしがれたり、一方で言葉を使って誰かと対話をして考え、何か新しい視点を得るみたいな、
そういった考えるためのツールとしての言葉みたいなところで希望をもらったりという感じで、言葉にはですね、がっかりさせられたり、または貴重な何か財産をね、
得るような経験をさせてもらったりということで、言葉には本当にいろんな経験をさせてもらっている。特にここ最近は、言葉についてすごく考えさせられるような日々を送っています。
言葉とはとかっていうよりは、言葉をね、自分はどんなふうに使っていこうかな、みたいなところがちょっとまとまったので、今日はその辺をですね、
シェアしたいなというふうに思っています。 まあ、そもそもそういうふうに至った経緯としては、
分かり合うためのコミュニケーションですよね。 自分はAというふうに思っていると。これは今、Aって仮に言ってるからめちゃくちゃ分かりやすいけども、実際は
むちゃくちゃ複雑な、そんなAとか一言で言えるようなものではない、ぐちゃっとした何かを想起しているんだけども、それを言葉でいくら説明しても、同じようには伝わらないと。
それを伝えよう伝えようとしても、お互いただストレスになってしまって、お互い理解できたような、できないような、みたいなことが続いて、ただのストレスになると。
ただ、そんだけ向き合ったからとか、そういう姿勢に、そういう雰囲気に、何か分かり合えた気がする。むしろありがとう、君とはいいパートナーシップが結べそうだよ、みたいな、何ていうのかな、言葉じゃないとこと結局落としどころを見つけて、何か
納得したような感じになっていると。だったら最初から言葉なんか使わなくてよかったんじゃないか、とかっていうふうにも思ったりする。それぐらい
言葉を使って分かり合うっていうのは、まあ具体的な表現ができるからね、言葉を使うことによって。分かり合えるような気がしていたけれども、
言葉を同じレベルで扱う、そして同じような実際の意味と、また別に運用上の意味もね、一致している言葉の使い方を、なんだろうな、確認しながらというか、合わせながらできるぐらい言葉を器用に扱われる人同士でないと、言葉で分かり合うことは難しいだろうと。
それは結構、日本人でも何パーセントかぐらいしかいないんじゃないかというふうに、ちょっと思ったので、むやみながらにね、言語化しようよとか、そして言葉と言葉で語り合えば分かり合うでしょっていう
安易な考えはもうやめようというふうに思いました。分かり合えないもんだとむしろ思うようにしたと。 だとすると、じゃあ言葉をいつ使うのっていうのが僕の中で、
改めて考えないと、要は言葉を使うことで、かえってややこしくなるような場面にも関わらず言葉を使ってしまう可能性があるということで、
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いつ言葉を使って、いつ言葉を使わないかっていうことを、この1週間ぐらいはずっと考えていました。 まあ結論から言うとですね、3つある3つの場面というか、用途によってですね、言葉を使うことに決めました。
まず一つ目はですね、法連想ですね。報告連絡相談。 これはまあ仕事上とかね、わかんない人とコミュニケーションを取るときに、相談のね、結果を社内に報告するとか、
これも仕事を円滑に進める上でですね、やるべき義務としてやるんですけども、報告はしなきゃいけないよねと。 あとはまあ友達と会うとかね、まあ別にお客さんとのアポイントでもいいんだけども、
今度の何曜日、何時にどこに待ち合わせですみたいな、そういう情報を連絡するということか。 あとはちょっとした相談ですね。
事実ベースですね、こういうことが今起こっていて、こうするか、AディックかBディックかCディックか混ざってるんだけども、アドバイスいただけますかとかっていう、すごく解釈の余地が少ない、小さい具体的な事象や事実に対して相談をするというときに使うと。
なので報告連絡相談はまあ業務上というか、円滑に情報伝達するために必要な場面であればやるよっていうのがまず一つ目。
二つ目、考えるために使う。考えるプロセスとして言葉を使う。これはね、僕の趣味でありライフワークであり生き甲斐であるというか、考えることが楽しくてしょうがないので、まあ散歩しながら考えるし、
机に向かってパソコンに向かって考えることもあるし、紙に向かって考えることもあるし、サウナに入って考えることもあるという感じで、常日頃から考えていますよ。そのためには言葉を使って僕は考えるので、考える道具としての言葉であると。
この時にですね、一人で考えるパターンもあれば他者と一緒に考える、他者と一緒に動的に考えていくツールとして対話というのはすごく有用なんじゃないかみたいなお話をしたことがあるんですけども、
この対話もですね、ある種考えるプロセスであるとして、言葉を積極的に使っていきたいなというふうに思っています。
3つ目、考えた結果のアウトプットのために言葉を使います。これは2番のですね、考えるプロセスともちょっと繋がっていたり、同時に起こることもあるので、分けるべきかというのは結構絶妙なラインなんですけども、
例えば対話とかだったら考えるプロセスと同時に考えるアウトプットをしていたりもするので、こっちはなるんだけども、例えば企画書を作るとかになると、考えるってところと企画書っていう考えた結果のアウトプットというのは別なので、
そういったエッセイとかこのポッドキャストとかも喋りながら考えているというよりは、エッセイで書いて考えたことをここで喋っているという感じなので、考えた結果のアウトプットとして今ここで喋っているという感じですね。
そのために言葉を使っていると。なので一応プロセスと、そしてその結果の成果物というかアウトプットとして言葉を使うという感じで、そこはちょっと分けさせていただきました。
なので僕が言葉を使うのは、報告・連絡・相談、もしくは考えるプロセス、考えるために使う、もしくは考えた結果のアウトプットのために言葉を使うということでございます。
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逆に言うとそれ以外で別の言葉は僕は使いたくないな、使いたくないなというか、使うまでもないなという場面では使わないという感じですね。
例えばありがとうとかごめんなさいとかおはようとか、そんなのはですね、確かに言葉なんだけども、言葉で言った方が気持ちいいのであれば言葉にするし、ジェスチャーの方がいいのであればジェスチャーするし、
表情で伝えた方がいい場合は表情で伝えるぐらい柔軟にですね、なんていうのかな、別の言葉に縛られずというか、感じでやっていきたいなと思ってますね。
もっと言うとグルーミング的な会話、毛づくろい的な会話っていうのがこの世の中にはね、かなりはびこっているというか、はびこっているとか言い方ってよくないけども、
結構一般的に行われている人と人との会話みたいなので、結構このグルーミング、ただの毛づくろいみたいな、ただのとかも足りちゃいけないね、毛づくろいをしているような会話って多いなというふうに思うんですけども、
僕はそういう会話は昔から苦手だったんですけども、今回いろいろ分かり合うためにというか、分かり合うまでもいかないですね、毛づくろい。
でも毛づくろいによってなんか仲間だよとか、なんか楽しいねとかわかんないけども、そういう情動的なものというか、そういう情緒的なものを何か共有するみたいなね、
何ていうのかな、ある種分かり合うというか、一緒の感情になるというかね、いうような使い方っていうのは、僕は言葉じゃなくていいんじゃないかっていうのが、ここ最近の結論ですね。
本当に毛づくろいしたいんだったら、マジで毛づくろいをした方がいいというか、言葉で毛づくろいする必要はないというかね、
なんならね、相手が許すのであればハグをしたり、一緒にダンスをしたりとかっていう方がよっぽど楽しいねとか仲間だねとかっていうことは伝わるんじゃないかって僕は思うので、
あんまり毛づくろい的な会話のためにわざわざ言語を用いるのは、かえってね、ややこしくなるなと思っているので、
むやむやとあるんですね、言葉を使うのは差し控えようかなというのが今日この頃思うことですね。
なんか言葉を同じような意味で運用し、同じようなレベルで使っていると、やっぱりつい人は思いがちなんじゃないかと、僕自身思っていないつもりだったけど思っていたんだなぁと、
伝わらなさすぎる時に、これはもう分かり合えないなというふうに思ってしまったっていうのがあるので、やっぱり分かり合う時に言葉でっていうのはやっぱり同じレベル感じゃないと無理なので、
そんな人はそうそう多分多くない、少なくとも多数派ではないと思うので、人を選ぶぐらいだったらですね、
むやむやたらに言葉を使うのではなくて、他の方法も模索するというか、もっと動物的なやり方の方がいい時には動物的なコミュニケーションを取っていくということも必要なんだろうなということをすごく感じているし、これまでの人生を反省しているというところもありますね。
言葉が分からない人に言葉で喋りかけるっていうのは、それはなんか上から目線とかいうことではなくて、英語しか喋れない人にずっと日本語で喋りかけるっていうのはやっぱり伝わらないじゃないですか、
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っていうのと一緒で、やっぱり相手に合わせた言語で話す、その言語というのは言語とかちょっとややこしいけど、言葉じゃないものもOKと、ダンスでもいいし、笑顔でもいいし、言葉じゃない何かで伝えるってこともとても大事なんだなということを感じています。
言葉って難しいですね。なので、分かり合うための言葉ではなくて、僕が共に考えるための言葉としてこれからですね、他者と対話をしながら一緒に考えていけたらいいかなというふうに思っています。
本日は以上です。またお会いしましょう。さようなら。
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