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2021-02-22 09:54

#284 受け手の解釈

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言葉をどのように受け取るのか。受け手の解釈まではコントロールできない。言葉を用いて建設的にと言うけれど、ベースに安心安全の信頼関係がないとお互いにすれ違い続けるばかりである。言葉は時々、意思疎通をかえって阻害する。/うえみずゆうきが毎日書いているエッセイ【脳内議事録】もよかったらぜひご購読ください!  https://note.com/y_uemizu/m/md0e3af51acf5  マガジン購読者限定の特典として「サイコパスの裏ラジオ(音声)」を毎月プレゼントしています。

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みなさんこんばんは、上水優輝でございます。
サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、受け手の解釈という話をしたいと思っています。
言葉は、僕が話している発信者の意図する意味としての言葉と、
これを聞いて受け取っているみなさんの解釈、
受け手の解釈としての言葉、これは全く同じ音を聞いている、
音を発し、音を聞いているという関係にあっても、
やっぱり意味の誤差みたいなものはすごく出てきますよね。
例えば、柄形を持っている人がいるとして、
その柄形についてちょっとお話をすると、
それに対してどういう聞き方というか、
どういう言葉を選んでいくかで、全く変わると思うんですね。
例えば、珍しいですねって、
自分はすごくそれを希少性が高くて、
前向きな気持ちで珍しいですねって言ったとしても、
相手からすると、このスマホの時代にいまだに柄形を使って、
この機械音痴があって言われていると思ったとかっていうね、
馬鹿にされたみたいな気持ちになる人もいるかもしれない。
こっちはすごい前向きな気持ちで、
今も柄形を持っているってなんか面白いなって思ったとしても、
相手は馬鹿にされたと思うかもしれない。
それが珍しいねって言葉で出てくるかもしれない。
もしくは、古いですねって言ったときに、
古いって結構なんかね、誤解されがちな言葉、
なんか古いくさいとか、時代遅れみたいなイメージを持つ人もいるかもしれないけども、
例えば、法隆寺古いねって言ったときに、
なんか悪い意味ないじゃないですか。
別に古いことに価値があるかもしれないしむしろ。
だから古いってことは別にいいか悪いかとか、
そういう話じゃないんだけども、
そういうね馬鹿にされたとか褒められたとかっていうことで、
なんかね古いにプラスアルファの解釈を乗せてしまうみたいなことがありますよね。
誤解をされないように、要は前向きな気持ちを伝えようと思ったら、
やっぱり文字数が増えてしまうというか、
柄系を持っていることをとても自分は興味深いと思っていて、
それはすごいなんかいいことだと思っているってことを伝えようと思うと、
すごく言葉数が増えてしまうなと思うんですけども。
じゃあ今度柄系の話をしようと思うときに、
そんな熱っぽく語られても今度困るっていう人もいるかもしれないし、
言葉選びって本当に難しいなと思いますね。
究極、相手がどう解釈するかを予測することができても、
当てること、完全に一致させることっていうのは難しいと思うので、
どこまで行ってもその誤差みたいなものが生まれ続けるのがコミュニケーションなのかなというふうに思います。
そういう誰とのコミュニケーションでも起こり得る解釈のズレみたいなところを、
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最近はよくいろんなところで通ずるお話をしているような気がしますね。
もともとずれている認識、もともとずれている価値観みたいなものをシェアしあって、
面白いねみたいなことはあるんだけども、
そもそも共有したと思い込んでいることがずれているっていうのは、
なかなか滑稽だなというふうに思ったりもしますし、
それが世界を作っているんだろうなと思ったりするわけです。
先日ですね、恋愛はオアコンなのかっていうお話をしたんですね。
とても面白いタイトルだなと思ってお話に参加して会話してたんですが、
ちょっと出先だったので、最後までいられずどんなお話になったのかわからないんですけども、
僕なりに恋愛はオアコンなのかっていうことについて考えていきたいんですが、
7万人の人間が目と目があって恋に落ちるみたいな、
そういう恋愛っていうのは確かにどんどん縮小傾向にあるんだろうなというふうに思います。
それはやっぱりさっきから話しているみたいに、
この解釈のずれみたいなものを埋め合わせるだけの非合理なものっていうのがなくなってきていて、
物事が合理的にマッチングされるようになってきた。
そういう時代だと思うんですね。実際マッチングアプリとかもいっぱいありますよね。
マッチングアプリが何でマッチングしているかって、
プロフィルの写真と、あとはそのプロフィルに書かれている文章と、
あとはチャットでコミュニケーションした文字のやり取りだったりするわけじゃないですか。
結局解釈、何だろう、解釈ですよね。
医者ですって書いたら、お医者さんなんだって思う人もいるかもしれないし、
医者の免許を持っているけど無職かもしれないですよね、実際はね。
そんな感じで騙したとか騙されたとか、こうだと思ってたみたいなことが起こっていくんだけども、
言葉にすることで勝手にお互いが解釈して、かえってズレが広がっていくってこともあるのかなと思ったりしますね。
言葉によって社会は明らかに便利になったように思うんですけども、
言葉によって人と人はどんどんすれ違っているなという気もしないでもない気がしますね。
なんかハグとか握手とかしてる方がよっぽど伝わるものがあるんじゃないかとかっていうことを結構思ったりするんですけども、
今度ハグとかするとセクハラとかね、またセクハラという言葉があって、
その中でハグをしたときに愛されていると思いたいか、セクハラと思いたいかみたいなことが、
思いたいかというか思ってしまうかっていうことが言葉があることによってカテゴライズされてしまうってこともあるんですよね。
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もしも言葉がなくてハグをしていたら、心地よく心地よくないか、なんか嫌な感じがするか、
深い深いしかないというね、そういう状態になると思うんですけども、
深い深いだけで生きていく世界みたいなものもですね、
もしかしたら人間関係みたいなものはそれぐらいがちょうどいいのかもしれないなと思うことがありますね。
あまり言葉で確認しちゃうことによって、
言葉って難しいですよね。
やっぱりだから解釈が複雑化する、
特に言葉を単語レベルな話も文章とかになったときに、
解釈に解釈を重ねた上での解釈みたいになってしまってですね、
お互いのズレがより広がってくる。
これは難しいですね。
恋愛はオワコンなのかというと、
人間関係そのものがですね、
ちょっとオワコンなのかなと思っているというか、
分かり合うこと、人間関係じゃないね、分かり合うということそのものがオワコンなんじゃないかと
僕は思っているところがありますね。
それから、
僕がそう思うということなのか、
もうそういう社会になっているということなのか、
これはちょっと分からないんですけれども、
自分が見たいものをみんな見ているわけですから、
それは例えばTwitterを見ていても、
膨大な言葉の海があるわけですけども、
海があるわけですけども その中で自分が見たい言葉だけを見ている 自分が見たい価値観だけを見ているという状態にすでにあるのかなと思った時にですね
確かにあの炎上とか 誹謗中傷みたいなものっていうのは意味がわかる気がするというか
わかり合うことはやっぱり難しいんだろうなぁということを思ったりするわけです 受け手の解釈まではね
結局コントロールできないわけですから 信頼関係をね
気づいた人とならそのちょっとずれた言葉もいい方向に解釈してもらえるっていう あの人だからみたいな 結局でも言葉じゃないんですよね
あの人だからみたいな言葉を超えた何かで言葉を解釈しているということが起こって しまっているということだと思うので
まあ 信頼関係を築くってことがとても大事なんだろうなというふうに思います
ただその信頼関係を築くために言葉を使って信頼関係を最初を築いていくみたいなところも あるわけで
結局この解釈問題っていうのはずっとつきまとう問題なのかなというふうに思いますね 今クラブハウスでいろんな人と会話をしている
これはね本当にまあ声のトーンとか声のスピードとか声数とかもちろんあるけども やっぱり言葉を使って相手をしているわけでその解釈のずれとか
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そういったものをね どこまで許容できるかっていうのは
その信頼関係に基づく信頼関係安心感かな 信頼関係がなくても安心感ですね安全であるという感じがあるかないかで
言葉の解釈も全然変わってしまうんだろうなというふうに思ったりしますね これは本当に難しい問題ですねどこまで言っても人間は
動物なんだろうなと言葉を操っているように見えるけども そんなに操れていないんだろうなというふうに
思う今日この頃でございます 本日は以上ですまたお会いしましょうさよなら
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