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2022-02-26 09:18

#440 コミュニケーションと呪い4 〜1対nを基本とする〜

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お互いに負荷をかけ合ってこそコミュニケーションだった。そんな時代はもう終わったのだ。


脳内議事録】 noteマガジン、認識の解像度を上げるための思索の旅の記録です。エッセイ、音声、音楽などさまざまなかたちで頭の中を晒しています。 サイコパスのラジオ、前シーズン以前のエピソード(Podcast上にないエピソード)はすべてこちらでお聴きいただくことができます。

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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。
サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、コミュニケーションと呪い、1対nを基本とする、という話をしたいと思っています。
過去3回にわたってですね、コミュニケーションと呪いという話をしてきました。
ここで言うコミュニケーションというのは、言語コミュニケーション、言葉を介したコミュニケーションに限定した話で、
また1回目では、いかにコミュニケーションが成立しないか、そしてそれは呪いだよね、という話を1回目にしました。
2回目では、具体的に自分がコミュニケーションが成立しないなと思う場面を例題をまいてですね、
こんな感じでいつも自分はそれが違うんです、というお話をしました。
そして3回目では、相手をコミュニケーション可能な他者とみなすということは愛だと思うけれども、
コミュニケーション可能な他者とみなすことをデフォルトとしてしまうことによって人は人を殺すんじゃないか、
だからとても危険なことだよね、というお話をしました。
じゃあどうしていくんだろうということをですね、今回どうしていくんだろうというのは、僕がね、今後どうしていくんだろうかということを話し合っております。
人類がどうすべきかなんてことは僕にはわからないので、とりあえず僕は一旦こういう感じでやっていこうかなと思っているっていう個人的なお話です。
感情と論理ですれ違うみたいな話をその1回目したんですけども、それがある以上、言葉を発すれば発するほど語読が生じる可能性がある。
語読されて違った解釈が生まれてどんどんどんどんすれ違っていく。
しゃべればしゃべるほど分かり合えなくなっていくという構造になっていくことを考えると、下手に主張しないほうがいいなと思うんですね。
それだけだといかに無言で暮らすかみたいな話になっちゃうので、極端なんですけども、
僕は途中でも言いましたけども、思想レベルの対話ができる、深い価値観レベルの対話ができる友達をこの人生で一人でも多く作って、
そういった思想フレンド、思想フレですね。たくさんの思想フレと語り合って人生を過ごしたいっていう、僕のこうしたいなっていうイメージがあるので、
黙ってしまうとそういった機会も失ってしまうということになるので、言葉を捨てるということは僕はできないんですね。
じゃあそんな自分がどうしていけばいいのかということで、いくつかの状況を想定したんですね。
まず一つ目が、ABCDEさんという5人の人がいて、一人ずつに会ってね、一対一で会って30分、一人30分ね、僕の主張を伝えると30分間。
03:11
そうすると一対一で話すと、2人に伝わったと。伝わったというのは別に共感されたとかいう話じゃなくて、
あ、なるほどそういうことを言ってるんだねということで、言ってる内容を理解してくれた人が2人いたとすると、40%ですね。
5人に話して、40%の人が僕が言ってることを理解してくれたと。
次に、5人、ABCDEさん同時に集まって、だから僕もいるから6人で話して、今度1人だけが理解してくれたと。
20%ですね。今度30分かけて、僕がポッドキャストで喋ると、100人聞いてるとか、1000人聞いてるとか、1万人聞いてるとかあると思うんですけども、仮に100人だとしたときに、5%の人が理解してくれたと。
それぞれ結果を見ていくと、1人ずつ話したパターンというのは、5人に話して、2人の人が理解してくれた。
次のパターンだと、5人に話をして、1人が理解してくれた。
次のパターンだと、何人にっていうことは特にないんだけども、仮に100人だとしたときに5%だとすると、5人が理解してくれた。
単純に1対N、1対不特定多数に話した方が、自分が話したことを理解される可能性が、可能性というか確率でいうと低いんだけども、絶対数でいうと多いということが起こるんですね。
やっぱり1対1で話して、そして目の前の相手がより理解できる例題とか、目の前の相手が理解できる言葉を使って伝えようとする。
それ丁寧なことなんだけども、とても時間がかかりますよね。
さっきのパターンでいうと、5人いて1人ずつに話すと、2.5時間かかる。30分かける5で2.5時間かかると。
それ以外のパターンだと30分で終わってるんで、5分の1ですよね。
つまり時間数を揃えるならば5倍できるわけですね。5本ポートキャストを配信できると。
100人かける5で500人に伝えられたとすると、さっき言った5人かける5で25人ですよね。
同じ時間使ってようやく2人に伝わったかというのと、25人に伝わるのとは全然違いますよね。
10倍以上違うわけですね。
だから求められてもない、僕のこう思っているとかこう考えているっていうことを目の前の相手に一生懸命話して
膨大な時間を使うよりは、誰が聞いているかわかんないけども、僕がこう思っているっていうことを一特定多数に発信して
その中のたったの数パーセントの人かもしれないけども、言ってることを理解できるなっていう人がいて
そういう方といつかどこかで出会った時にすぐに思想レベルの対話ができる。
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この方が僕の人生にとっては合理的なんですよね。
味気ない気もするけども、前回話したみたいに相手をコミュニケーション可能な他者とみなすことによって
なかなか理解ができていないにもかかわらず、何とか理解してもらおうと
この手で言い方を変えて例え方を変えて、いろんな言葉のチューニングをして
何とか3割、4割理解してもらったよりも、何のチューニングもせずパッと出して理解してくれたって方が
より純度も高いし、相手に負荷もかからないですよね。
分かる人だけ分かって、分かんない人分かなくていいわけだからね。
無理やり、例えば僕がこの10分話をして全く分かんなかったって言ってもいいんですよね。
でも目の前の人がそうだと、いやでもこれはこういう意味でねとかっていう感じで
より分かってもらってもスルーじゃないですか。
それが相手の負荷にもなるし、そしてこちらの負荷にもなるって考えると
お互い負荷をかけないっていう意味では、1対Nで特定多数に自分が思う言葉で語り
それを分かる人が分かればいいし、それ分かった人と喋ればいいんじゃないかと思うし
って感じですね。
あくまで言語コミュニケーションの話、そしてかつ党を作るみたいな話ですね。
言葉と言葉を交わしながら、何か党を建設するっていう場合においてという
かなり限定した話にはなります。
ハイタッチするとか、ハグするとかっていうことであれば
別にそんな思想が理解できたかできてないかじゃなくて
その雰囲気の方が重要ですよね。
味方だよっていうね。あなたここにいていいんだよっていうね。
尊いよっていうメッセージを言葉を使わずに伝えることはできると思うので
それはまた話は全く別ですよね。
ただ言語を介して党を建設しようと思ったら
この1対Nで党を建設できそうな人と出会い
そして実際に出会った人と話していくっていう順番の方が
党を建設できるかできないか分からない人に党を建設の話をしても
それはお互い不幸だろうということを
最近は思うので
僕の戦略としてはというか
僕のコミュニケーションのスタイルとしては
やっぱりこのサイコパスの話が意外と重要で
ひたすら自分が思うことをここで話し
必要に応じて1対1で会ったり
5、6人で会って対話をしてみたいっていう場に参加したりということで
ハイタッチしていくスタンスで行こうかなと
ここでね、一人で勝手にね
1対Nで思想をぼちまけていくっていう
そういうところに舵を切って
明らかにこれはコミュニケーション可能な他者だなっていう人とは
会った時もそういう思想レベルで話せばいいかなって思ってます
結局また山に引きこもっていくっていうことなのかもしれないなと
思いますね
本日は以上です
またお会いしましょう
09:01
さよなら
09:18

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