1. 現象のラジオ
  2. #446 効果をどこで見るか ..
2022-03-21 11:09

#446 効果をどこで見るか 〜笑ってはいけない人権学習〜

spotify apple_podcasts

笑ってはいけない人権学習の長期的効果。

脳内議事録】 noteマガジン、認識の解像度を上げるための思索の旅の記録です。エッセイ、音声、音楽などさまざまなかたちで頭の中を晒しています。 サイコパスのラジオ、前シーズン以前のエピソード(Podcast上にないエピソード)はすべてこちらでお聴きいただくことができます。

うえみずゆうき

Clay Tablet Shop 粘土板アートを販売しています

秘密結社S.A.B 価値観レベルの対話に耐えうるシソフレ(思想フレンド)募集中!

Instagram @y_uemizu 1st写真集『部屋とワイシャツと作務衣』2050年発売に向けて撮影素材を公開

Twitter @y_uemizu  うえみずゆうきのTwitter

00:06
みなさんこんばんは、上水優輝でございます。
サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、効果をどこで見るか、笑ってはいけない人権学習、というお話をしたいと思っています。
今回はですね、高校時代の人権学習の思い出というか、エピソードをお話しして、
教育の効果、まあ教育に限らずなんですけども、そもそも効果というものを、
どこで見るのか、どういう時間軸で見ればいいのか、みたいな問いを投げかけて終わりたいなというふうに思っています。
まずですね、高校、僕はですね、福岡県高川郡の高橋かな、どっちか忘れたけども、高校に行ってました。
福岡県立東洋高校というですね、高校に行ってましたね。
行ってましたねって今言ったけど、あんまり行ってなくて、バンド活動を頑張りすぎてというか、のめり込みすぎて、
バンド活動すごいお金かかるから、バイトとバンドが主で、それ以外が学校みたいな、
ダメな大学生みたいな生活を高校時代に送ってましたね。バイトばっかりしてる大学生いるじゃないですか、
あんな感じですよね。学校がついでになっちゃう。夕方バイトして、バイト終わってからバンドしたり、夜中遊んで、朝家帰ってちょっと寝て、
学校行く。起きれなかったら昼から学校行くみたいな、そういう生活をしていました。
なので、決してね、真面目な生徒ではないというか、まともな学生としてはちょっとまずかったなと思いますね。
ただね、学校に友達はいたので、学校好きでした。学校の授業はなかなかついていけなかったんですけど、
行ってないからついていけるわけないんだけど、ついていけなかったんだけど、休み時間とか友達と遊んですごい楽しかったです。
ある日、人権学習がありまして、高校時代もね、小学校も中学校も高校時代も人権学習みたいなのがあってまして、
いろいろやったんですけど、僕が人生で覚えているその人権学習みたいなのって2つで、
1つは小学校1年生とか2年生の時に夏休みに原爆の写真みたいなのをめちゃくちゃ見せられた、
見せられた、わかんないけど、あの人権学習でしたね。原爆の写真の展示会みたいなのを小1くらいの時に見て結構ショックを受けたっていうのが覚えているのと、
もう1つがこの高校の時の人権学習なんですね。今回の、今日お話しする高校の人権学習って、別にそんな強烈なことってやってないんですよ。
強烈なことやってないんだけど強烈に記憶に残っているっていう、何があったかっていうと、タイトルでも言いましたけども、
03:07
これね、本当当時の話ですね。今じゃなくて当時の自分からすると、笑ってはいけない人権学習みたいな感じだったんですよ。
何でかっていうと、まずね、学校にもフルコミットしてないような人間だと、昼休みに学校に来るような人間で、
遊びに学校に行ってるような、本当に学生としてはよくなかったんだけども、遊びに学校に行ってるような人間が、
かつ、いきなり今日人権学習ですって言われると、でも高校生ですから、自分なりに物事を判断するみたいな、
それができているかどうか別として、自分で判断しがちな年齢じゃないですか。だから自分なりに物事を判断していたし、
っていう中で、いきなりね、人権学習を学びなさいっていう場が来るわけじゃないですか。
で、体育館にいる男性ですよ。学年300人くらいいたんですけども、体育館に300人が体操座りして、
で、その日ね、講演会というか、人権学習という名目で会が開かれたわけですね。
何をしたかっていうと、具体的には覚えてないんですけども、80代後半くらいのおばあちゃんが、
障害を持たれている方だったんですよね。何だったかな、たぶん脳性麻痺とかじゃないかなと思うんですけども、
しゃべりがね、なかなかうまくしゃべれないと、どうしても麻痺があって、何を言っているのか聞き取りにくいみたいな感じなんですよね。
で、今だったらそういうね、理解できるんだけども、いきなり体育館に集められて、いきなり講演会、人権学習です、講演会ですって言って、
しゃべってる人の話が何言ってるかわからないって状態ってのは、結構すごい状況なんですよ。
300人体操座りしながら何言ってるかわからない話をずっと聞くっていう、言葉が理解できないんですよね。
言葉が理解できないけど、その人は一生懸命話してるから、たぶん絶対笑っちゃいけない。
しかも、何だろうな、場のセッティングとしては、障害者を差別するなみたいな、たぶん話だと思うんですけども、
でも、何言ってるかわかんないから、何言ってるかわかんない話をずっと聞かされてるということに耐えるみたいな、この時間がすごいシュールだったんですよね。
これだけだったら、後から解説していただければ、まあそうだったんだなと、すごい魂込めて喋ってたから、なるほどそういうことだったんだなみたいな感じで、
言うたら、外国人が喋って、英語わかりませんとか、フランス語わかりませんっていう自分たちが聞いて、後から内容ってこうだったんですよっていうので、
翻訳してもらえれば、なるほどなるほどっていうので済んだかもしれないんですけども、
その講演会、何言ってるかわからない講演会が1時間くらいあったのかな、30分か1時間かわからないけどあって、
全く何言ってたかわかりませんでしたっていう後に、次にですよ、ミュージシャンが登場するんですよね。
そのミュージシャンがこのアコースティックギター持って、70年代のフォークソングみたいな曲調でね、
06:06
アコースティックギター1本で歌いながらライブが始まるんですよ。
そのライブも、本当なんか吉田卓郎みたいな感じの曲を歌うんだけど、
その曲が全部差別について歌ってるから、なんて言ったかな、手が不自由でビールをストローで飲みますみたいな歌を、吉田卓郎みたいな曲調で歌ってるんですよ。
もちろんね、それが歌を通して、手が不自由な方もお酒は飲むし、お酒を手が不自由だからストローで飲むんだよ、
だからストローでビール飲んでる人をバカにするんじゃないよみたいな、多分そういう歌だったんですけど、
当時ね、だからさっきの話戻しますけど、昼から学校に行ってるようなね、教育にコミットしてない人間が、
いきなり学校に行ったら今日人間学習ですって言って、体育館にいきなり集められて300人体操座りしてる中、
何言ってるかわかんない講演会があって、何の解説もなくフォークソングが歌われるっていうものすごい文脈なんですよね。
このものすごい文脈芸に笑いをこらえるのに必死で、でも当然ね、笑っちゃいけないですよね。
障害者を差別するなっていう多分メッセージ、ワンメッセージでその場をされていると。
だからそんなことはね、高校生とかわかるんですよね。障害者を差別しちゃダメですよねみたいな。
でもそれは当時の僕からしてもですね、すでに障害者だから差別しちゃいけないんじゃなくて、
差別しちゃダメでしょって思うわけです。別に誰しも差別しちゃダメだから、わざわざ障害者の方を呼んできて、
こんな苦しみがあるんです、差別しちゃダメだよって言われるのもなぁみたいな、そういうのもあったんですよね。
わかりますかね。なんかわざわざ見せ物みたいにして、差別しないでねってする必要があるのかなっていう。
まじで高校生ですからね。なんかそんな、なんなんだこの文脈はっていう感じで、とにかくね、笑いをこらえるのに必死でしたね。
で、その学習のお手ですよ。庵野嬢ね。ちょっと浅はかな男子がね、モノマネとかするんですよ、その航空シンガーのね。
その歌を何か覚えちゃって、歌ったりするんですよ。結果ね、差別するなって言ってやったその場を通じて覚えた曲によって差別が発生している。
それを面白がるっていうことが発生しているってことで、もうなんか逆後悔じゃないかってすごい思ったんですよ、当時。
で、あんなのはナンセンスだってすごい僕は思っていたんだけど、あれから約20年経って思うのは、その時のことめっちゃ覚えてるんですよね。
だから今こうして、今言ったみたいに、いや障害者だから差別をしないとかじゃなくて、そもそも差別っていうのはみたいな、自分のエピソードと自分の主張に結びついたりとか、
豆知識ですけども、手が使えない人がストローでビールを飲んだりするんだなっていうことを知ったみたいな。
09:04
だからストローでビール飲んでる人見て、なんでストローで飲んでるの?みたいな感じじゃなくて、
そうやって飲むっていう人もいるんだなっていうことを一つ知ったみたいなことにもなったし、
そういうことを今覚えているっていうのが、20年経ってこれ教育的効果があったなみたいにちょっと感じているんですよね。
だから短期的にはむしろマイナスに働いたふざけでね、歌ったりしてたんですよ、その歌を。
で、やめてくれとか言いながらね、笑っちゃいけないけど笑っちゃうみたいな、
なんかそういうダメだろって言いながら、ダメだろって言ってる本人笑ってるみたいな、そういう感じになっちゃってたんですよね。
だからすごくそれが僕は、笑いながらも良くないよなって、ダメだろ教育って思ってたんですけども、
20年経った今それを覚えている。だからあの歌は今も僕の中で生きているし、
あの時公演をしてくれたおばあちゃんの話は一言も、何の言語も入ってきてないけど、話している様子とかは覚えているし、
一生懸命何かね、差別をされて辛かったっていうことを多分言ってたんだと思うんですね。
多分ね、全然違うかもしれないけども、多分そういうことを言ってたんだと思うし、
そういうメッセージを受け取ったっていう意味では、それが今も鮮明に覚えているっていう意味では、すごく効果があったと思うんですね。
だから自分が何かをやろうという時に、教育だけじゃなくて何かをやろうという時に、
効果をどこで測るのか、どこで見るのかっていうことをちゃんと考えてからね、取り組んでいかないといけないんじゃないかなと思うし、
仮にそれを設計しなかったとしてもね、とんでもない、とんでもないじゃない、想定していないところでね、
効果みたいなものが現れることもあるので、まあよくわからんよなと思ったりしたよっていう出来事でした。
そうですね、別に人権学習の是非をここで語りたいわけではなくて、何ていうのかな、効果ですよね。
そこで効果を感じたよみたいな、20年経って効果を感じたよみたいなお話でした。
本日は以上です。またお会いしましょう。さよなら。
11:09

コメント

スクロール