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2022-03-17 10:50

#445 認識おばけとコミュニケーションおばけ以外生きづらい社会へ

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ありとあらゆる物事が多様化し細分化され複雑になった世界における認識力とコミュニケーション力の格差はどう考えれば良いのか。


脳内議事録】 noteマガジン、認識の解像度を上げるための思索の旅の記録です。エッセイ、音声、音楽などさまざまなかたちで頭の中を晒しています。 サイコパスのラジオ、前シーズン以前のエピソード(Podcast上にないエピソード)はすべてこちらでお聴きいただくことができます。

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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、認識おばけとコミュニケーションおばけ以外生きづらい社会へ、という話をしたいと思っています。
近年ですね、もうこの社会が複雑化しているということはよくありますよね。まあ複雑化だけじゃなくてね、ブーカーって言ってね、変動性がーとか何とかがーって言ってね、その中に一つの複雑性ってあるんですけども、複雑化してるよねーみたいな
話がありまして、でそれを複雑化してるよねーっていうのはすごいシンプルな話じゃないですか。
だからそうじゃなくて、具体的にね、その複雑化してるってことはどういうことなのか、そしてその複雑化していく
社会っていうのは、僕の意見としてはですね、認識おばけとコミュニケーションおばけ以外が、もう生きづらい社会になっているんじゃないかという、そんなお話をしたいと思っています。
複雑化していくっていうのがわかりやすい例として、ちょっとこれは、まあなんだろうな、特定の意見があると思って聞かれると、もしかしたら不快になる方もいらっしゃるかもしれませんけども、例えばLGBTQとかね、
サイタルものだと思ってるんですよね。男、女っていう切り分けだけだと、そこからちょっと私は思いっきし男ですと言い切れない人からすると、生きづらい
もろもろなことが起こってくると。大きく分けて2つあると思っていて、1つはその周りから差別ですよね。男なのに男が好きなんて、みたいな差別。それはもうだいぶ今
減ってるのかな、どうかな。だいぶ緩和されてきたような気はしますけども、まだまだある人にはあるのかもしれません。
そういった生活レベルでというかね、運用レベルでね、生活上で不具合があるっていうものと、もう1つはですね、制度上問題があると、男なんだけど男の人が好きだから男の人と結婚したいんだけども、この制度だと女の人と結婚できないよね、みたいなところで、まあ一部ね、そういった
結婚みたいなことが認められているような地域もあるみたいですけども、なかなかね、制度上、男であるが男という認定を受けているがゆえに、男と結婚することができない。これは自由というか、自分の人権が侵害されているんじゃないか。背景に結局人権があるんだと思うんですよね。人権という後ろ盾があるから、その男とか女とか2つのカテゴライズに私たちは収まりませんっていう
人が自分たちのカテゴリーを作っていくっていう、結果ね、いろんなカテゴリーが出てくると、LでもGでもBでもTでもQでもない、プラスだよっていう、その他だよみたいな、結局LGBTQにプラスつけて表記するみたいな感じで、なってると思うんですよね、最近は。
結局そのセクシャリティみたいなものっていうのは、人の数だけあるよねと。そんなのね、言い出したら当たり前のことなんですよね。恋愛も人の数だけあるし、生きるってことは人の数だけあるし、働くって人の数だけあるしっていうことで、結局、突き詰めていくと人の数だけあるんですよ、あるいはあることはですね。
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それを便宜上、男と女みたいにしてたものが、その便宜上でもそこから漏れていきづらいんだよね、みたいなことがあるよね、人権が侵害されてるよね、みたいなところから起こっているんじゃないかと思うと、人権がある限りですね、複雑化していくことは避けられないと、その人権を持ち出した瞬間、確かにもう男と女でいいやんとは言えないよねっていうことになるというわけですね。
でまぁちょっと今の話題だと、僕は全然全く特定の思想はないし、それに関してですね、全くないし、何の差別もないんだけど、もしそれをね、不快に思われた方もいるかもしれないので、別の例題を挙げますと、例えばですよ、これは空想の話ですね。次は空想の話です。義務教育って、現在は、現在は事実として小学校が6年間、中学校が3年間の9年間ね、義務教育として、まあありますよね、期間が。
これは例えばですよ、ここから空想ね、例えば1学年が4月から3月までの人がいますよね、1年間。これが例えば発達の都合上ね、3月生まれの人と4月生まれの人が同じ学年で学ぶってこれって、3月の人不利なんじゃないかとか、4月の人有利なんじゃないか、これ差別、差別というか平等じゃないよね、公平じゃないよね、みたいなことを例えば言う人がいて、
じゃあもうその1年じゃなくて、2ヶ月単位で学年作っちゃおうって、もししちゃったとすると、本来小学校、今の社会だと小学校1年生っていう人が、もうその時点で6学年に分割できちゃうってことですね。
4月から6月の間にはもう、4月から6月とは限らない、だから入学の時期もめちゃくちゃ再分化されるし、かつ学年も再分化されるみたいなこともししちゃったときに、日々入学式があっている状態になっちゃうし、
学年も、1学年が6に分化されるから、6学年になってかける、小学校6年生だから、小学校卒業までに36学年来ないといけないと、今までだったら小学校6年生で卒業だったのが小学校36年みたいなことになっちゃうみたいなね、まあ年って言うのかわかんないけど、6学年か、36学年目みたいな感じ、だから年じゃないのか、なんていうのかな、36、グレード、レベル36みたいな感じになるのかな、
よくわからんすけど、とにかく再分化されたときに誰が困るって、もちろんね、教員、先生はね、36分割された学年、本当は6分割だった学年が、36分割されてるよってことで、細かくね、その各学年の、なんか到達目標みたいなのとか、カリキュラムとかってことが再分化されてごちゃごちゃするよねっていうのはあるんだけども、
それ保護者も理解しないといけないからね、自分の子が今何学年なのか、36学年中の何学年なのかみたいな話を理解しないといけなくなっちゃうんですよね、まあ何が言いたいかというと、なるべくそのみんなが不具合がないようにということで分割して再分化したときには複雑になっちゃうっていうことなんですよ、
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もちろんね、教育をクラス単位で学年単位でやっていくってこと自体を変えて個別化したらいいじゃんっていう話もあると思うんで、まあ確かにそこまで36学年にするぐらいだったら個人のね、なんかアカウントでもう全部管理してクラスとかじゃなくてとかっていう方法もあるんだと思うんですけども、まあそこは一旦無視してね、今の学校の制度でそのままもしいろんな事情を考慮すると36学年とかになっちゃうよみたいな話ですね。
で、さっきも言ったけど、これってその人権がある限り起こっていくと思うんですよ、全てが個別最適化されていくって方向に進まざるを得ない、なぜなら2分割といったときに2に収まらない人がいたり、いや36分割しましたと36に収まらずにそれをもう4倍に分けてくれみたいなことを言う人がいるかもしれないですよね。
だから小数点、10の位の小数点だったけど100の位まで行って、いや1000の位まで行かないとって感じで、1か2かじゃなくて1.11まで行きましょう、いや1.11じゃなくて1.11まで行きましょう、1.111まで行きましょうみたいな感じですごく細分化されていくっていうことを今僕は言ってるんですけども、伝わるでしょうか。
それから僕が言いたいのは、決して良くないことって言ってるわけじゃないんですよね。そういうことだよねという事実として言っているだけですね。男か女かって2つ覚えればよかったのがLGBTQ、そしてその他のプラスがあるよねみたいな、そのプラスも色々上げていくと色々あるよねっていうことを理解して初めてこの性的なセクシャリティについては言葉に発していいというような社会になってきているというふうに僕は意識しています。
だから下手にね、男とか女っていう言語を使うだけで別に差別意識とかがなかったとしても、その2つのカテゴライズでしか物を見ていない人間だみたいな見られ方をしたり逆差別みたいなことが起こってくると思っているんですよね。起こっているんじゃないかって思うんですよね。
その複雑な認知が難しい方が、例えば今性の話題ですけども、そのセクシャリティについては差別主義者だっていうような認定をされてしまったりとか、別にそういうデリケートな話題でなければバカだみたいな認識、そういうことが理解できない頭の悪い人間だみたいな認識をされてしまうということで、結局その認識がかなり小数点レベルで、しかもその位がね、10の位から100の位になって1000の位になっていくっていうね、そのより小数点が細かくなっていく世界の中で、
それを認知しないと、円周率3ですよねとか言ってるとやばいみたいな、3.14ですよね、いやいや3.14なんちゃらかんちゃらですよねみたいな、それに近いんですよね。円周率に近いです。
そうやってどんどん細分化されていく世界の中で、円周率3だよねって言ってる人はバカなのかなみたいな扱いをされちゃうという世界が、社会が今すでに訪れつつある、もしくは訪れているというふうな認識です。
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だから下手にね、男はとか女はって言うともう差別主義者だよねっていうふうにラベルを今度また貼られちゃうというようなことで、
まあなんていうのかな、じゃあ今度その多様化した個別最適化された社会っていう中で複雑な認知ができない人のその人権っていうのはどう担保するのかっていうのは一つ課題としてあると思うし、
何だろうな、しかもその上でね、複雑な認知ができればまずいいんだけど、できなかったとしてもね、今度コミュニケーションができる人っていうのは分からないんですってことで助けを求めながら何とかね、社会の中でやっていけるんだけども、コミュニケーションもそれでいて苦手な人っていうのは相当やばいと思うんですよね。
認識はちょっとなかなか複雑にするのは難しいけども、分からないんで見えるから教えてくださいって頼れればいいんだが、頼れない人というか上手に協力できない人っていうのは本当に孤立してしまうし、
本当にこう差別主義者だ、なんだ、無能だ、バカだ、頭が悪いみたいな感じで、この社会から排除されかねない、されていく圧力がかかりかねない、すでにかかっているんじゃないか、そういうことを思うとですね、
じゃあ個別最適化された社会が必ずしも最適化されているのか問題っていうのは考えなければいけない。
大量化されていくいろんな人に、自分が収まる器っていうのがラベルっていうのがついていくのは、確かにその新しくラベルがついた人、つけたかった人でついた人っていうのはいいんだと思うんだけども、そうじゃなくて何のラベルがついてるんだろうって意味が分かんなくなっちゃう人からすると、むしろ行きづらい社会が来ているなと思うので、
何事も一長一短だなあということを思う今日この頃でございます。本日は以上です。またお会いしましょう。さよなら。
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