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はい、みなさんこんにちは。ジェネシア・ベンチャーズの市野平です。創業の軌跡第10回目となる今回はですね、
PKSHA Technologyの上野山さんにお越しいただきました。上野山さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。それから、ジェネシアからはですね、鈴木孝博さんに参加いただいてます。孝さん、お願いします。
よろしくお願いします。では早速、上野山さん、簡単に自己紹介をお願いできますでしょうか。
はい、PKSHA Technologyの上野山でございます。弊社はですね、アルゴリズムと言うとあれですけど、私が今喋っているのは音声とか人の言葉とか、あるいは今回映像ないですけど、映像みたいなものをですね、ソフトウェアに認識させて処理する技術をコアにした
B2Bのソフトウェア企業でして、いろんな形でいろんな会社さんにいろんなものを使っていただいているというところの授業をやっております。本日よろしくお願いします。
よろしくお願いします。簡単に上野山さんのご経歴を教えていただいてもよろしいですか。
ちょっと企業に絡めて紹介すると、私30歳で企業していますと、20代はいろんなことやってたんですけど、大学で研究したり、コンサルティングファームに行ったり、あるいはシリコンバーレーのですね、グリーンアメリカ進出のところを手伝っていたり
みたいなことをやってまして、30歳で企業して、今10年目ちょうど来週まさかの40歳になるというところなんですけど、20代はひたすらですね
インプットしてたというか、何か好奇心と何かしらの一定の焦りとともにいろんなことをやりまくってたんですが、30歳で企業してちゃんとアウトプットする時代に入っていって、10年経ったっていう感じですかね。
ありがとうございます。まず経歴のところから気になるポイントがあるんですけど、
もともとBCGに新卒で入られて、そこで4年間働いた後に東大に副学して、松尾県で博士号を取得したのかなというふうに思うんですけど、なぜこの東大に副学して
というところが気になっているんですけど、創業の原点という意味で言うと、2006年ぐらいの就職の時、就活も終わってたんですけど、
シリコンバレーに行く機会がありまして、大学時代ずっとですね、先輩とかにつまんなそうにしてるなみたいな、そういうキャラだったんですと、
なんか気を利かせた人がですね、シリコンバレーに行けるツアーがあるから、行ってきたらみたいな。その時ですね、
梅田持代さんというウェブシンカロンを書いてあったのサイトを見てた若者、まだ今みたいにインターネットが広がってないんで、結構ニッチな分野を見てた人が行きたい
小論文で20倍ぐらいセレクションされて15人、サンフランシスコのアップルツアー一家に集合するっていう、そこで3日3晩向こうで活躍している
企業家とか日本人のGoogleアップルの中にいる人とかと議論しまくるみたいなやつがあったんですよね。
これがもう企業の原点というか、その時の3日間が衝撃体験で、すごい面白いみたいな。
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でまぁ何で面白かったかというと、いわゆるインターネットバブルが弾けた後にGoogleだけが爆伸びしているシリコンバレーの中で、
デジタルのリアルの中で活動している人たちが日々持っている思想と目つきみたいなものが、すごい未来的でありかつ日本にない空気感をまとってたんですよね。
なんか早くも何か見つけてしまった感みたいなのがあって、それがもうずっと脳に焼き付いてて、ただ就活終わって日本戻ると就職すると決まっちゃってたんで。
一回実は内定辞退しようとしたんですけど、入社の1ヶ月前とかだったんで、さすがのふざけんなって全員に言われて、身内からも言われて、まぁそうですよね。
で入ったんですけど、まぁただ入ったら入ったで、BCGってすごい良い会社で、4年間いたんですけど、その中で私一人だけずっと
デジタルの仕事をやりたいって言ってたんですよ、2007年、そんなこと誰も言ってなかったんですよ、当時。今でこそコンサルってデジタルの話ありますけど、なんか変なやつかなみたいな目で見られながらも、そういうこと言うやついなかったんで、
まぁちょっとこれ社名言えないんであれですけど、日本を代表するようなインターネット企業の仕事をいろいろやらせていただいて、4年ぐらい経って辞めて大学戻っても、もうデジタルにオールインしようということで。
辞めたというのが26歳ですね。なんでシリコンバリオンの衝撃体験と、コンサル辞めてデジタルで生きていこうって決めた26歳が、ある種の本当は企業、まだ企業はその後なんですけど、自分の道を選ぶっていう意味では企業。
まぁただ無所属2と収入ゼロになるわけですよ。
いろいろやってたよね、でもその間ね。
いろいろやってたね、懐かしいっすね。
結構経営者の方とかだと、企業をしたいけど一旦コンサルとかでビズサイド経験してから企業するみたいな方も結構いらっしゃったりするんですけど、そういうわけではないんですね。
将来これやりたいから手段としてこれみたいなの基本全部間違ってると思ってて、今だからそんな偉そうに言えるんですけど。
そういうこと考えてたんですが、うちの会社研究室同期3人いるんですよ。僕入れて。3分の2上場してんす。
で、1人行方不明でちょっと変わった研究室なんですけど。
そいつにね、なんかね、こうでこうでこうだからこれをキャリーに選ぶとか全員やめろ、絶対やめろと言われて。
そのものが夢中な奴に100%勝てないからっていう、今はでも心理だなと思うんですけど。
なんで僕コンサル選ぶときは3年スパンで没入できるっていうので選んでます。
だからスキルつけて企業の手段のスキル身につけたみたいな選択では全くなくて、なんか3年ぐらいスパン見たときなんかめっちゃテンション上がるなみたいな。
ちなみにアメリカから帰ってきて、もし仮にBCGに入らなかったと、そこで自体を受理されたとしたら、それはやっぱり企業という道を選んでました?
いや、そのとき僕どっちかっていうとデジタルインターネットソフトウェアみたいな世界で生きていきたいっていうことだけが決まってたんで。
多分グーグルとかその時だとツイッターとかなんかそれとか働けねえかなみたいなことを考えてるはずですけど。
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なるほど、なるほど。ありがとうございます。
先ほどワーク社の事業内容については教えていただいたと思うんですけど、今の組織規模と、あとはまあ創業時そもそも何人で創業してるんですかっていうのと、
上場時どれぐらいの規模で上場したんですかっていうのと、あと今どれぐらいの組織規模ですかっていうところを教えていただいてもよろしいですか?
創業10年前で僕ともう一人、二人ですね。で創業してまして、5年後に上場してるんですけど、その時は社員25人ぐらいで売り上げ10億ぐらいで上場してて、
今は売り上げが100億ちょいぐらいで、社員数が今350名ぐらいって感じですかね。
上場時と今とで、組織のその人員構成、それこそエンジニア比率みたいなところとかって結構変わったりしてますか?
全然変わっていて、事業モデルもだいぶ変わってきていて、要はソリューション型とプロアクト型みたいなのがあった時に、上場したタイミングっていうのはソリューションとプロアクトの比率がだいたい8対2みたいな感じ。
今、5×5あるいは4×6みたいになってきてて、プロアクトの方っていうのは、つまりある種のサーズ的なモデルでディストリビューションしていくってところは、ザモデル的な組織にもなったりもするんで、構成はだいぶ変わってきています。
なるほど、ありがとうございます。では早速一つ目の創業に至るまでについてお話をお伺いできればなというふうに思ってるんですけど、先ほど企業に対する思いというか、なぜ起業するに至ったのかみたいなところはお話いただいたと思うので、
事業アイデアの着想というか、一番最初はソリューション型で起業されていると思うので、アイデアの着想みたいなところはあんまりないかもしれないんですけど、今の決算資料とか見てみると、
AIサース、プロダクト側の比率がだいぶ上がってきているのかなというふうに思うんですけど、もともと創業時からそのAIサース、そのプロダクトの構想は抱いていたんですかね。
まず、AIサースって言葉はここ2,3年なんで、言葉はなかったです。ただ創業の始めはもうプロダクトで行くぞって決めていて、初期実は我々のAPI課金型プロダクトなんですよ。
実は。それをやっていなくて、基本ビジネスとは何も分かっていないんですけど、基本プロダクトのことに憧れがあると。
どのアングルで入っていけばいいんだろうかみたいな。好きで得意領域はどこ?デジタルの中でというと、マシンラーニング領域だよねみたいな。
なので、初めはマシンラーニングかけスクレーピングみたいな感じで、構造上出力性が爆発的に伸びるはずみたいなノリで、実際そんなの全然伸びなかったんですけど、
初めはですね、ソーシャルメディアをスクレーピングあるAPI経由でデータを抜きまくって、それをマシンラーニングやって、
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Twitterの広告ターゲティングの配信エンジニアを作ったんですよ。 要は言語解析することで属性推定するんですね。
その時のTwitterって、まず広告ターゲティングの機能が全くないんで、デモグラ年齢居住地みたいなのをグラフマイニングと掛け合わせてAPI型にして
売るっていう、ちょっとすごい謎のアングルから入っていって。 ただこれ結構いろんなポイントがあると思っているのは、まずはですね、そんなに志高くないアングルで入っているってことは、
これ結構ポイントなんじゃないかなと思っていて、 まず僕らこの創業期を持ってたのはですね、まずこの2、3人が自分たちの力で食えて
キャッシュローが回るもの。つまり我々が動かなくても利益が一定出るみたいな状況まで行こう。
で、実際それやったら一応売れたんですよ。で、売れたんだけど誤差ぐらい売れたって気づいたのが、あれもう誰も買う人いないな。
で、マーケットでかいとこでやりなよってみんな言ってたの本当だったんだな、みたいなのが初めの1年。
で、なんかですね、その時にもうなんか受託とか開発とかカスタマイズとか絶対やっちゃいけないって僕ら思ってたんですけど、
1回ちょっとやってみるかみたいになったんですよ。 なるほど。
で、そこでやったら一応数千万ぐらいの案件が取れたことがあって、
で、人が広がったんですよ。やることが。で、数千万ぐらい取れて、あれこれよく考えたら人雇えんじゃんみたいになってきて、
で、そこでこう人をちょっと増やし始めて、その中でいろんなものを作ってる中で、
共通的なものが見えてきて、それがまたプログラムに進化してるみたいな、なんで、
すごい事業を再現性ある形で作っていく方法論って、あるようなないようなみんなよくわからんみたいな話だと思うんですけど、
フォーカスする話と探索する話みたいなののバランス感覚みたいなものとか、
組織として探索能力をいかに持ち続けるかみたいなものが実はすごく重要なんだろうなと思ってます。
なるほど。
そこから探索するかといったんなって、顧客にカスタマイズする方向に一旦舵を切ったっていう、そういう流れなんですかね。
そうですね。で、やってみると、住宅っていってもいろいろあって、みたいな。
誰でも作れないようなものの住宅って別に住宅ってワードじゃなくて、ある種のソリューションなわけで、
よく考えたら収益性高いなみたいなのがわかってきたんですよ。
いろいろやったんですよ。収益性高いやつと収益性が出ないやつがわかってきて、
あれこれ何なんだろうなって見てたら、なんか我々しかできないものをやってると収益性が高いなみたいな。
なんかこれ経済の教科書に書いてあったな、そういうことかみたいな。
そういう、誰でもやれることを住宅すると収益性は出ない、当たり前のことを体感してみたいな。
そういうレベル感覚は初めの2、3年になって。
確かにレイヤーXの福島さんの回で福島さんもおっしゃってたことが、
やっぱりディープダイブできることが一つの強みになる可能性があるみたいなお話をされていて、
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特に既存産業とかDX系のプロダクトとかって、
まずディープダイブしてみないと結構課題って見えてきづらいじゃないですか。
そうですね。
ただその産業だとか企業にディープダイブできるスタートアップばっかりかで言うと、
やっぱり信頼関係がなかったりして、まず任せてみるかってなりづらい中で、
まずそこの住宅案件を取れることが一つの強みになって、そこからディープダイブしていける。
そこで課題見つけてみたいなのは結構、今のそのDX系のスタートアップだとあるあるだなみたいなのは感じていて。
そうですね。
現象だけ見ると今の説明で基本合ってるんだと思うんですけど、
それを突破していく会社としていかない会社の違いって何なんだろうなみたいな話の1って意外に、
僕は言いそうにない話かもしれないですけど、対象に対する偏愛が強いかどうかっていうことが実はめちゃめちゃ聞いてると思ってて、
ツイッターとかで、これあんまこんなこと言わないもん今。
なんかしょうもない議論の位置として、現体験は必要か否かみたいな、
なんであんな盛り上がるんだろうのトピックかと思うんですけど。
確かにね。いつも出てくる。定期的にもう。
僕は比較的、現体験というかそういう創業者に宿っている熱、エネルギーみたいなものと、
マーケットの整合性みたいなのが実は極めて重要であると思っていて、
ファウンダーマーケットフィットみたいな話なんですけど、
出発点はやっぱその創業メンバーの中に宿っているエネルギーレベルが高い、
それがいろんなものが含まれるケースがありますけど、
僕らの時はやっぱデジタルマシンラーニングみたいな領域、むちゃおもろいねみたいな、
好奇心だけじゃなかったんですけど、いろんなものが掛け合わされながらそのエネルギーがあって、
それと市場がぶつかるから、市場とかマーケットとかクライアントがぶつかるから、
いくつかのものが紡ぎ出されていったり、クライアントも含めてそこに共鳴して、
ことが起こっていくみたいなことが起こっていたんですけど、
何が言いたいかというと、それがない中で今のTipsだけを踏んでも、
たぶんことは起こらないんだと思います。
まさにそうですね。それでいうと、上野山さんの偏愛は何を対象としていたんですか?
もう完全にPower to the Peopleのソフトウェアおよびインターネットおよびマシンラーニングの領域で、
これだけ言うとなんかそのテック好きのオタクみたいなイメージになっちゃうかもしれないですけど、
これも最近の言語化ですけど、何でそれがおもろいという言語化になって、
おもろいと思っていたのかっていうのは、ほんとここ2年ぐらいで言語化されて、
どっちかというと、やっぱり同調圧力が強い日本とか社会とか何たくの雰囲気自体を
ディスラクティブに変化させ得るテクノロジーであるってことを
無意識的に思ってるからですね、たぶん。
やっぱりそこのシリコンバレードの現体験が本当にすごく偏愛を形作っていたし、
それだからこそ最初の住宅案件が取れたみたいな、そこにつながっていくんですね。
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うん、だと思う。今解釈するとそう。
なるほど。ありがとうございます。
次に事業についてお話をしていきたいなというふうに思うんですけど、
一部先ほど触れていただいた部分もあるんですけど、まず1つ目がですね、
ちょっと気になっていたのが、やっぱり研究室からの起業っていうと、
よくあるイメージだとやっぱり技術ファーストになりがちで、いわゆるマーケットインになりづらいみたいな、
プロダクターアウトになってしまうみたいなのがよくあるあるかなというふうに思うんですけど、
一番最初は上野山さん、それこそツイッターの言語解析みたいなところを想定して作ったソリューションとかって、
顧客のニーズをどのように捉えていったのか、それは割とプロダクターアウトになったのか、
結構ヒアリングしてみたいな感じだったのかというと、どういう感じだったんですかね。
なんか仮説持って作って顧客に当てまくるっていう。
だから僕1年間顧客学習最大化することがゴールっていうことを決めて動いてて、
あんまり人に聞かないっていう謎のルールを置いてて、
それはよくなかったんですけどね、結果として。
人に聞かないってのはどういうこと?
なんかみんなそれなりに自分でラーニングしたのことをそれなりにそれっぽく言うとバイアサイルかなと思って、
一回ゼロベースでやってみたっていう。
仮説持って当てに行くっていうのは、仮説持って実際にそのソリューションを作って当てに行くのか、
ソリューション作る?
セルビファビルドみたいなやつですよ、基本は。
なるほど。
そこからいろいろなソリューション作っていくことになったと思うんですけど、
それは結構顧客のニーズヒアリングをして、そこから実際にソリューション化していくっていう、
技術ありきの方ではなくて、ニーズありきの方に完全に振っていったような感じになったんですかね。
どっちかっていうと技術とニーズが&取れる部分を探索するっていう感じ。
まあでも行ったり来たりしながらやってたんで、そこまで言語化できてないですけど、
やっぱり組織に宿っている雰囲気及び偏愛みたいなものから著しく逸脱したものとかは、
その時は探索してましたね、それも含めて。
今はもう絶対に選択しちゃいけなかったし、選択してないんですけど。
それでいうと、その次の質問に関わってくるところなんですけど、
自分たちがその技術を活用して行いたいことと、実際にその顧客のニーズに応えることとのギャップみたいなのが、
もしかしたらあったのかもしれないなっていうふうに推測してたんですけど、
実際そういうことは、まあそれこそ行ったり来たりしてたみたいな話があったと思うので、
実際にあったんですかね、そういうギャップとかって。
普通にやると怒るんで、怒らないように調整してきたっていう感じで、
何でもかんでもやると怒るじゃないですか。
だから何をやって何をやらないかが、その時多分意識ができてないんですけど、
やっぱこれやってもなみたいなやつはやらないんですよ。
これやったら怒らないっていうのはやるんですよね。
で、そこに偏愛の物差しが入っていて、それは言語化されてないんですけど、
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組織の雰囲気とか、うちにいるメンバーがおもろいと思うかどうかみたいなことに、
実はすごくアラインされていて、
言語化は今だから一定はできますけど、
これおもろくないみたいなテンション上がるものしかやらない。
雑な言い方をすると。
なるほど。じゃあ割とそこは組織の雰囲気というか、
みんなの意識とか好きさとか、そういうところを感じ取りつつ、
取る案件、取らない案件みたいなのを取捨選択していったようなイメージなんですね。
そうですね。
ちなみにその当時って、
受託で競合ってあんまり言わないかもしれないですけど、
同じようなことをやろうとしている。
それこそ中長期的には、
マシンラーニングの技術を使ったプロダクト化していくみたいな、
そういうようなことをやろうとしているプレイヤーは他にいたりしたんですか?
ほぼいなかったというか、
例えば僕らプリファードとコンプになったこと一回もないんですね。
遭遇したことがない。
外部資本を入れずにやっていた会社は一社もなかったんですね。
なるほど。
なんですけど、外部資本を入れてディープラーニングベースの会社で何社が出てきてたんですよ。
創業した3、4年目ぐらい。
だけど、あの時点でマシンラーニングがどこに刺さるかって誰も答えが分かっていなくて、
VCも分かっていないし、
この領域行けんじゃねえって握っちゃうと探索能力が下がるんですよね。
そういうことですね。
先ほどおっしゃってた探索性が割と重要な局面である中で、
外部の資本とかを入れてしまうとスピード、フォーカスの方が求められてしまう分、
探索性が弱まってみたいな。
VCの方によりますし、入れても勝手にやらせてくれるところもあると思うので、一概に言えない。
なるほど。ありがとうございます。
次に組織と採用についてお話をお伺いできればなというふうに思っているんですけど、
最初10名ぐらいのメンバーの集め方とかポジションみたいなところをぜひお伺いしたいなと思ってたんですけど、
もともとお二人で始められたということだと思うんですけど、
なぜ上野山さんが代表についたのかとか、
各々の役割をどんなように整理してたのかって、どういうふうに決めてたりしました?
まず10人どうやっていったかと言うと、ほぼリファラルで、
共同創業も研究所の後輩です。
テクニック部門をやってもらったり、僕は全体やるっていう感じなんで、
実は立てた瞬間は向こうを代表にしたんですけど。
そうなんですね。
だからそんな強い意味があるわけではなくて、
外に出るときに台取りって書いてるよりやりやすいよね。
調整してきますって戻れる。
役割分担なんて何も決まってなくて、
本当に今思えばよくない話ですけど、
上場するまでも人事制度とかなかったですし、
ひたすら市場と向き合って探索して、
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外から見たらいろいろ計算されてる感じに見えちゃうっていうのは、
なんか結構ベンチャーあるわと思うんですけど、
調整されてるよりも異常なるカオスっていう。
そうだよな、でも上縄、勝ちゃんって言う人いないですけど、
上縄さんはね、結構あれだったよな、
後から振り返るときれいにいくらでも語れるけど、
そのときは結構カオスです。
組織もあんまり得意じゃなかったりした部分もあったと思うなっていうのは、
ちょっと客観的に感じた部分もあるから、
そこから結構今、組織がどんどん拡大していってるから、
その辺のギアチェンジのタイミングとかきっかけって何があったのかなとか、
この辺はちょっと興味あるんですよね。
いまだに組織が得意っていう感覚は全くないですが、
ギアチェンジというよりは優秀なリーダーが増えてるってことなんですけどね、
どっちかっていうと。
任せられる人たちがどんどん優秀なリーダーが増えてきたから、
結果的に組織が強くなっていってる。
圧倒的に強くなってますね、上場時とか、創業時とか。
逆にそういったリーダーの人たち、中から育てたのか、
外から取ってきたのか、両方あると思うんですけど。
両方あるけど、中が多いと思う、我々。
へぇ〜。
やっぱり事業グロスが人を成長させて間違いないと思ってて。
うんうんうん。
やっぱり事業グロスで市場と格闘しながら、
拡園していったような人たちっていうのは、
そういう経験がある人たちっていうのはあるじゃないですか。
うん。
そういう人ってそんなに市場にいないじゃないですか。
間違いないですね。
結構マネジメントにおいて、
そもそも自分が任せられない、みたいなのが
課題としてあったりすると思うんですけど、
上山さんは特にそういう課題とかはなかったですか?
いや、一定あって、今振り返ってみると、
上場したくらいのタイミングで10億円くらいの事業なんで、
一定の方を見れるわけですね。
僕が変容したみたいなのはもっと後にあるんですけど、
この創業期とか、ここの01が生まれる瞬間においては
全然僕は成長は、そういう意味でも成長はしていなくて、
事業のポートリーが増えていく中で認知限界を超えていき、
一個一個に介入できなくなっていったんです。
結果的に、それぞれ一個一個リードしている人たちの方が
解像度が高くて、っていう感じです。
なるほど。それは結構あれですか、
徐々にだと思うんですけど、明確にこのタイミングだったの、
みたいなのってあったりしたんですか?
いや、何度も3、4回多分起こってて、
卒業度が上昇した瞬間って分賃型だったんですよ、ほぼ。
1対28みたいな。本当はそうじゃないんだけど、
人事制度もないし、そこから1対3対80みたいになっていったんですね。
3回。そこで1回フェーズ変わっていった。
みたいなのが2、3回行われている。
その必要に迫られて任せざるを得なくなったっていう感じだったんですかね。
僕が任せたみたいなかっこいい話ですらなくて、
いろいろ頑張っている中で、誰かがそれをやらなきゃいけないか、
そこの旗を誰かが取ってくれたみたいな感じに近い。
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そこから今だとビジョン、ミッションとかって結構明確に掲げられていると思うんですけど、
そういう言語化とかに動き出したタイミングとかっていつぐらいだったんですか。
完全上場のタイミング少しとその後ですね。
それは何かきっかけ?
いやなんかコンセプトメイキングというか、
人が多く集まっている中で意識統一するとか、
未来が見えるみたいなのってやっぱり言葉とかコンセプトの切り出し方とかって
むちゃくちゃ大事だなっていうのは体感していったんだと思うんですよね。
だんだんもう一体と話せなくなるから。
でも今思えば創業期にそういうことをするのは私めちゃくちゃ苦手だったんです。
初めの3、4年。
でもだんだん自分の役割が採用とビジョンを掲げることになっていって。
それで言うと、ビジョン、ミッション大事だと思ってます。
ただビジョン、ミッションって言語化すれば終わりというよりは、
そもそもそのコアにあるメンバーが持っているエネルギーみたいなものが
まず存在していることがすごい重要で、それを言語化するってことじゃないですか。
かつさらに持っている熱エネルギーみたいなものが
市場との対応、市場とのインタラクションによって磨かれていくんですよね。
さらに強まっていったりするんですよね。
初期のフェーズっていうのは、ある種の動物的な触手用度のエネルギーなんですけど
それが市場とクライアントに使ってもらったり
いろんな人とインタラクションすることで
より拡大してプラスっぽいものに変わっていったりして
ここの強度がすごい重要で
これは組織の中に流通循環させてロバストにするって行為が言語化なんですよ。
なるほど。
だから言葉が大事だというよりは
そのエネルギー側が大事なんですよ。
っていうところがすごく強くあります。
そういう意味で言うと、今のビジョン・ミッションとかを拝見しても
もともと創業時に上野山さんが抱いていた変哀とか
っていうものとそんなに遠くないなっていう気はしていて
一方でそこから実際に顧客にソリューションなりプロダクトなりを当てる中で
それがより磨かれて言語化できるにまで至ったっていう感じなんですかね。
そんなイメージですね。
あと一個だけ言ってなくて結構大きかった話で言うと
3年前ぐらいに自分自身が変容していったっていうフェーズが一個あって
これは結構重要だったんですね。
何を言っているかっていうと
うちに持っているエネルギーみたいなものは別に変わってないんですよ。
基本的にはテックに対する変哀なんですけど
それの表現方法とか駆動しているエンジンが
かなりアングロサクション的というか
初めのフェーズっていうのが
それでドライブしまくってたんですよね。
そういうのってすごいスピードの成長を生んだりもするんですけど
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組織の中に心理的安全性ってそんなに育たなかったりするんですよ。
どんどん克服行動みたいな感じで僕が全てをドライブすると
だんだん疲弊していくみたいなことが起こってたりして
ある時からそこのモードが結構変わるみたいな
そもそも何のためにやっているのか追求していった時に
よく考えたらこのプロセス自体も重要だし
プロダクトインパクトが全てだと思ったけど
そこに参加している人たちの体験も重要だし
モードが変わっていって
だからその表現とか言葉遣いとか
ホームページの佇まいがいきなりめっちゃ変わってるんですよ僕らって
それは結構経営人のメンタルモデルというか
あれが変容した瞬間に変わっていって
それが結果的に今多くの中に1個の授業
1個もあざと上場できるみたいな
授業を持っているメンバーが複数存在して
彼らが社長みたいな感じでやっているフェーズに移っていった
これ3年ぐらいになった
なるほど。それはなんかショッキングな出来事というか
何かそれに影響を与える出来事とかがあったんですか
実際無理が来てたっていうのは多分
組織に一定はあって本当は
見ないフリをしていて
でもそこで何かある種コーチング的な変容や関わりで
自分を見つめ直す機会をすることで
あれなんか俺これ一部のものしか見ないようにしてんじゃん
例えば組織を良くしようとしている人がいても
自分がそれを無視してしまう
結構起こっていると思うんですよ
スタートアップの中で
ある特定のパターンだけを創業者が拾い上げていて
実は本当はそれと違うことがいっぱい中で起こっているんだけど
見えないのが起こっていて
これがいい面もあるんですけど
でもやっぱりその創業期って
エネルギーレベル高い人が創業するケースが多いし
その組織の中ってすごい熱量に包まれているんですけど
そのモードのままずっと行くっていうことじゃないんだろうな
なるほど
やっぱり往々にして
2週目とかじゃない人以外は
基本的に動物的に
事業をどうにかと打ち上げるみたいなのをやりながら
組織が育ってきて
組織が整ってくる
初めから組織でフレームを作って
そこに当てはまるライトファースを探す
みたいな動きをするっていうのは
通常の企業だとなかなか見られないことかな
というふうには感じていますよね
そうですよね
個人的に思うのは
熱量がすごくわかりやすく伝わる人と
そうじゃない人っているじゃないですか
わかりやすく伝わる人とかは
それなりの人数になっても
分賃型とまではいかないですけど
それに近しいような組織形態で
全然対応でき得ることが多いなと思いつつ
一方で熱量があまり伝わりにくい経営者の場合って
結構自分の熱量だけでドライブしていく
みたいなのだと
30:00
ガタが来るタイミングが結構早いなっていう
イメージを持っていて
フラットに組織を評価して
自分が熱量が伝わりやすい人なのかどうか
みたいなところをベースに
どのタイミングで組織としての形態を変えていくのか
みたいなところを整理していくと
経営性に見れるのかなっていう気はしますね
ちょっと時間もあるので
最後のラップアップの方にいければと思うんですけど
次に上野山さん個人について
ちょっとお伺いしたいなと思っていて
これは創業期に限らずではあるんですけど
経営者としてのセンスの磨き方
嗅覚の磨き方といいますか
だったり
視座の高め方みたいなところって
どんな感じで磨かれたり高めたりされているのかな
というのをお伺いしたかったんですけど
そのあたりいかがですかね
もともともないことで
事業が成長すれば視座が上がっていくっていうのは
結果論しか確実にあって
あとはまず経営者っていう言葉自体に
違和感がなくなったのはここ1年ですね
経営者としてみたいなことは
1回も考えたことなかった2年前ぐらい
自分のことを表現したら何なのって
事業家とか企業家とか
市場ばっかり見てたんです
マーケット外ばっかり見てたんです
組織の中全然見ない
自分の中も見ない
だんだん自分が何が分かってないか
分かるようになってくるじゃないですか
だからこの領域は
俺分かってない
あそこ分かってる人いるっていうのが
大体のことにおいてマッピングされている
だからそれは別に視座の話じゃなく
ただの教師データの話である可能性あるんですけど
なんでそれはまず1個ですよね
本当はやったほうがいいけどまだやりきれてない
例えば僕とかだったら
全然違うフェーズでやってる経営者の人と
日々いるってことが
多分これ一番早いんです絶対に
確実に
例えば僕がGMOの熊谷さんとめっちゃ仲良くなって
めっちゃ一緒にいるみたいな
これ多分会社伸ばそうとめちゃくちゃ早いんですよね
本当は
なんですけどそれやりきってないというか
やりきってない部分あるみたいな
結構友人は重要ですね僕の中で
友人と相互作用すると勝手に進化していくみたいな
なるほどありがとうございます
いつもだとここで
次のゲストのご紹介をお願いしてるんですけど
実は次のゲストもすでに決まってまして
ジェネシアアベンチャーズ代表の田島が
次回のゲストということで
皆さん楽しみにしておいていただければなという風に思ってます
上野山さん最後にパーク社についてのPRなどあれば
ここでお願いできればと思います
そうですね弊社の引き続き事業拡大しますし
新しい事業も作りに行こうとしています
採用の募集ということですけど
我々の会社はずっと共進化
33:01
共に進化するみたいなコンセプトでやってて
我々の会社の事業モデル自体も市場とインタラクションすることです
共進化して形を変えてきてますし
社内の人たちも特定の専門性高い人めっちゃ多いんですけど
チーミングすることで共進化させる
ここじゃなく共進化するみたいな
そういうようなことがおもろいと思うような人に
ぜひジョインいただきたいなと思ってますので
情報技術が好きでそういう話が好きな人は
ぜひホームページを覗いてみていただけるといいなと思ってます
以上です
ぜひ気になる方はホームページを覗いてみてください
はい、というわけで本日はパークシャーの上野山さんと高須さんにお越しいただきました
お二人ともありがとうございました
ありがとうございました