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皆さん、こんにちは。ジェネシア・ベンチャーズの一之平です。 創業の軌跡第9回目となる今回は、アカツキ代表の香田さんにお越しいただきました。
香田さん、よろしくお願いします。 はい、よろしくお願いします。 それから、ジェネシアからは鈴木孝博孝さんに参加してもらってます。
孝さん、よろしくお願いします。 はい、お願いします。 ということで、まずは簡単に香田さん、自己紹介をお願いできますでしょうか。
はい、改めまして、今は株式会社アカツキっていうエンタメの会社の代表をやってます。 香田と申します。
僕はですね、大学のところから話すと、筑波大学っていうところのロボットをメインで勉強してるところで、人工知能とか機械工学とかシステム工学で、
よくテレビで見たことある人がいるかもしれないですけど、ロボコンっていうのを結構学生の時やってて、
大学に入る前に高専っていうところで、長崎にある地元の高専の方でロボコンとかずっとやりながら、大学に入ってっていうところで。
僕は大学院は行かずに学部で卒業して就職っていう形で、1年間ですね、ちょっと経歴にあまり書いてないんですけど、
今のヤフーで役にやられている宮沢玄さんがやられていた、シリウステクノロジーズっていうモバイルのスタートアップの方で1年間
インターンというか、勉強させてもらって、その後アクセンチャーに入り、1年間コンサルティングの見習いみたいなことをやらせてもらう、
アナリスト業務をやらせてもらって、2010年の6月なんですけども、もともと一緒にやっていた塩田という人間と赤月を創業して、
一昨年ですね、塩田の方が赤月を卒業というか、役割交代というところで、僕が今代表になってやらせていただいています。
赤月はですね、基本的に創業からずっと携帯の、いわゆる咀嚼ゲーと言われる柄系のゲームから、2013年頃からですね、スマートフォンのネイティブアプリの方のゲームに転換して、
今ですね、日本でいくと東京と福岡に2拠点、台湾の方にも1つ拠点があって、それぞれ東京が600人、700人ぐらいですかね、福岡が150人ぐらい、台湾も200人ぐらい。
そこからゲームを世界中に運用として届けていくという事業をメインとしてやっています。
直近だと、プレスリリースとか出させていただいたんですけど、Web3のファンドだったりとか、ドーンキャピタルというCVCだったりとか、
あとは僕が今メインで手掛けているのは、ハイコミックという縦読みのWebtoonのアプリの開発だったりとか、コンテンツの制作だったりとか、
あとVRとか、いわゆるエンタメで結構新しい領域になっていくところに積極的に挑戦するような事業を中心としてやっています。
ありがとうございます。ちなみに元々、福岡から一旦インターンを挟まれて、そこからアクセンチュアに入社されていると思うんですけど、アクセンチュアに行かれたのはどういう背景なんですか?
実はですね、僕ずっとロボットを構成の時から勉強したのもあって、エンジニアだったんですよね。
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普通にソフトウェアというか、コーディングもやってて、ロボットでやろうかなと思ってたんですけど、ちょっと僕が言いたかったのはどっちかというと、工業ロボットというよりは、
いわゆるエンターテイメントロボットで、中学校、高校ぐらいの時って、アシモとかアイボとか、今ちょっと少し落ち着いてるんですけど、
ああいう二足歩行のロボットだったり、エンターテイメントロボットがすごく脚光を浴びてた時で、そういったところにエンジニアとして入っていこうかなと思ってたんですけれども、
ちょっと冷静になって考えると、まだロボットは、産業としてこういう領域が立ち上がってくるのはまだまだちょっと時間がかかりそうだなというところを、
就職活動をしていく中でちょっと分かって、なので4年生で一回ちょっとそこの進路変更をして、最後就職活動をもう一回し直したという形になってるんですよね。
その時って、日系のメーカーにエンジニアで入っていくイメージがあんまりなくて、外資とかビジネス系のところに入って、少し修行した後に起業をしたいなというふうに思ってたような感じですかね。
もともと企業に興味があったんですね、その時点で。 もともと地元にいる時も、超ちっちゃいところでいくと、文化祭をいかに儲けるかとか、
自分と友達とやってるバンドとかの慶恩のイベントとかでチケット売って儲かるかとか、なんか企業っていう、そこは後から触れるかもしれないですけど、経営者になりたいみたいな、
松下幸之助さんへの憧れとか、そういうことっていうか、企画をして自分で授業を作ったりとかしていくことは元から好きだったんですね、商売するときは。
大学在学中も友達と一緒にECサイトを作ったり、今では東京オタクモードみたいな、サブカル系のコンテンツの輸入とか輸出のやつをちょっと考えて立ち上げようとしたりとか、
そういうのもちょっとコマコマ、いろいろ学生の時はやってたんですけど。
ありがとうございます。ちょっと早速いろいろとご質問もさせていただければと思うんですけど、まず創業に至るまで、
久保田さんについてお伺いしたいなというふうに思っていて、ちょっとさっき高田さんからの質問でもあった企業に対する思いというか、
経営に対する思いみたいなところちょっと触れていただいたかなというふうに思うんですけど、
そういった企業に対する思いがあった中で、塩田さんと創業されたタイミングって、明確に高田さんの中で今、企業したいなという思いがあったのか、
それとも塩田さんに結構誘われて、それがきっかけで今かというふうに思ったのかで言ったら、きっかけとしてはどんな感じだったんですか?
2つあって、会社を作る作らないという話だと、実は僕の方がタイミング的にはそういうキャリアチェンジのタイミングを考えてたんですよ。
学生時代に入って1年ぐらい働いた時点で、めちゃくちゃ早いんですけど、自分が長くするのはあんま向いてないなと思って、
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企業っていうのは明確3年ぐらいは社会人やったからかなと思ってたんですけど、なんか面白いことあればやってみようかなみたいな感じを
飲み会の時に言って、企業とかタイミングという意味だと僕の方からなんですけど、その領域とか事業制みたいな意味だと、塩田は元々DNAにいてモバゲーを担当してたわけじゃないんですけど、
ある種あの領域、モバイル全体の領域の可能性とか、参入チャンスみたいなものをすごい理解してて、そこで結構定期的に会ってご飯とか食べてたんで、
プレスとして、じゃあやってみようかみたいな感じから比較的ライトなところから始まっていって、どうせやるんだったらしっかり思い込めて、魂込めてやろうぜっていう形になり、名前をちゃんと考えたりとかしていくっていう形になったんで、
なんかこう、その当時って僕らの世代だとそもそも資金調達とかも全然まだ一般的になってなかったので、あと学生から卒業しても1年しか経ってなかったんで、
割と学生の時の、なんか面白いことやろうぜっていうノリの延長線上で、しっかり会社として作るっていう、なんか始まりは本当そういう形だったんですけど、
僕も塩田も学生の時にそのワークスアプリケーションズのインターンで会って、一緒に企業のこと話したりとか、その当時先輩の会社を手伝ってたりとかしてて、
いつかやるよねっていうのと、いつかやるんだったら一緒にやろうねっていうところは、厚く語ってたわけじゃないですけど、なんか暗黙の認識みたいなやつがあって、その中でのタイミングって感じだったかもしれないですね。
なるほど。ちなみに小尾田さんが塩田さんをパートナーに選ばれたのは、どういったところに聞かれて塩田さんを選ばれたんですか?
一番最初に会った時にワークスアプリケーションズ同期のインターンで1ヶ月間ぐらいなんかプロジェクトをやって、
A評価、B評価、C評価みたいな感じになっているんですけど、その時から経営というものに対する情熱とか会社を作りたいとか、僕はどちらかというと事業とか
アイディアとかテクノロジーとかに興味が向いてて、でもその中での会社っていうものを見ている中でいくと、塩田の方はどちらかというとその会社っていうものを自分たちとしてもっと社会とか
中長期的な哲学とか、そういうところに向いてたんですよね。なので、もちろんお互いしっかり事業に向き合ったりとか、組織に向き合ったりっていう
そういうところありながらも、タイプも変わるし、ただ一方でそのコミットメントというか、お互いに性を預けれるっていう観点で見ると、一番信頼できるなというふうには思ってたので、
いい組み合わせだったような気がしますね。
じゃあ結構そこのバランスの良さみたいなのは当初からすでに感じられてたんですね。
そうですね。あとは蓋を開けてみると、割と塩田は結構僕から見てもその天才的なビズデブというか営業マンで、すごいその人的な魅力度というかエネルギーがすごい高くて、いろんな人を巻き込んでいくっていうところがすごい得意で、割と僕は塩っていうのもあるんですけど、基盤を作ったりとか、実際に実現可能なふうに高めていくみたいなところの役割分担ができてきたんですけど、
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それは比較的やっていきながら定着していった部分でもあります。最初はどちらかというと、人的な部分とかその覚悟面とか、
2人で一緒にやり始めるときに10年は一緒にやろうねって言って決めてやって、綺麗に10年で卒業していったっていう。
それもすごいよね。塩田君っぽい。
これもう10年前にお話されてたんですね。
そうですね。すごい関係性が不思議なんですけど、なんか友達とも違うし、一つの仕事仲間っていうことでもないし、なんかでもちょっとそれを企業のペアってまたちょっと違う独特の関係性だと思うんですけど、
今も会社っていう箱は外れてるんですけど、そういう独特の関係性っていうのは、あっててもあってなくてもあんま変わらない感じですけど。
なるほど。ありがとうございます。次に、事業アイデアの着想についてお伺いしたくて、先ほどもともと塩田さんがDNAにいたというところもあって、モバイルだとかゲームだとかそういったところに一定知見があって、そこがきっかけでモバイルゲーム事業を立ち上げられたっていう背景があったかなというふうに思うんですけど、
なんか記事で見かけたのは、もともと女性向けのSNS事業を行おうとしていたみたいな記事を目にして、これどういう背景でこの事業に行き着いたんですか、最初って。
えっと、一番最初はモバゲーさんとかグリーさんにコンテンツを出すコンテンツプロバイダーとして、柄系のゲームを作るところから会社が起きてたんですけど、
それはシンプルに、もともと長い目で見るとスマートフォンとかSNSっていう大きい軸がある中で、日本独特のガラパフォースの中で一番参入しやすい領域として、そこのマーケットが今あるなっていうところで、
僕、ちょうどアクセンチャー入る前に、ちょうどウェブシンカロンとかを書かれてた梅田もちょうさんとかがシリコンバレーツアーっていうのをやっていただいてて、現地のグーグルとかアップルとかに働いている方とかスタンフォードに行かれている学生さんが日本人の若手を中心に呼んで、現地のツアーをやってくれるっていうのに、なんか4泊5日ぐらいで行ってきたんですけど、
その時にもうモバイルなんだなっていうのがすごいあって、そういうのもあってその後帰ってきてシリウステクノロジーさんにちょっとお世話になって、ちょうどiPhoneが出たての時とかにいろんなアプリの開発とかそういうのをちょっとやらせてもらってたんですけど、
ただ日本で目の前でやるとまずガラ系だなっていうところがあって、そこからやり始めてました。なので簡単に言うとゲームで立ち上がったんですけど、別にゲームをここまで今振り返ってみて10年以上コアとしてやっていくっていう構想でもなく、最初ゲームから始めるがいろんなモバイルアプリの可能性をどちらかというと見ていたので、
会社を作って1年半ぐらいしてゲームをちょっと一通りやった後に、3、4本作った後に、なんかインスタってもっと流行るんじゃね?みたいなことを思って、インスタの女性向けのバーティカルなアプリみたいなものを作ろうとしてたっていう感じですかね。
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ちょうど2011年ぐらいかな。それが女性向けのSNSっていうところで、見事におじさんだけでやってたら全然センスがなくて。
でもなんかゲームっていうところは、僕結構ゲームもやってたんですけど、どっちかというとなんかそのPCに最初触れた時とか、自分がiPad買った時とか、なんか一番最初みんなゲームやるじゃないですか。
デバイスが普及するときにゲームっていうのはまず最初のキラーコンテンツになるような、みたいなのはもうそれは直感として思ってました。
なんかやっぱりこう単品のコンテンツとして人を熱狂させていったりとか、人に動かす力を持ちやすいのがゲームのやっぱり強いところで。
なのでデバイスであんまりまだソーシャルグラフとか整ってない中で、単品でいって楽しいよねって思わせられるのってなるとゲームになってくるんじゃないかなと思いますね。
結構モバイルとかに切り替わるタイミングで、そういう知覚変動が起きるっていうのはあると思うんですけど、その一つゲームという市場で見ると、それなりのプレイヤーもいて、結構競合もいるかなというふうに思うんですけど、その当時の勝ち筋とかってどんな感じで描かれてたんですか。
ちょうど参入したのが2010年の秋口ぐらいで、ちょうどグリーさんがオープンプラットフォームになったり、モバゲイさんも半年とか1年ぐらいサードパーティーが入ってきてっていう時期だったので、かなり新規参入者がすごく多い状況の中で、2010年の末ぐらいから勝敗がつき始めるぐらいのタイミングではあっていました。
正直、柄系のゲームの時は参入することで成功したんですけど、そこで勝ち抜くのはかなり厳しいなっていう状況になってまして、その理由はもともと組織の母体を持って、グリーさんとかドリコムさんとかグミさんとかも含めて、ある程度2010年段階で組織の母体を持ってて、参入された会社さんとそこからゼロでほとんど学生企業みたいな形でやった僕らだと、組織の土台とか採用力とか資金力とか違いすぎて、
なかなかクオリティが高いものを作ろうとか、たくさん本数を作ろうとすると、結構時間的なディスアドバンテージというか、部分がすごくあるなぁと思ってて、なおかつその当時って結構本数がすごく大事っていうふうになっていまして、
1年間で何本出せるんですか?みたいなところになって、たくさん出せるところに、プラットフォームからわりと集客を優先的に当てていきますっていう、パワー勝負になっていってますね、どんどん。
ってなってくると、僕らって結構少数でというか、まだ少ない人数の中で面白いものを作って、丁寧に面白いものを作っていこうねっていう思考性があんまりあってないというか、逆にたくさんしっかりラインをして安定的に運用していくっていうところが勝ってたんですけど、
なので、比較的早い段階で僕らネイティブゲームの方にシフトしてやっていこうと。ブラウザとネイティブの違うところって表現の自由度が結構違っているので、キャラクターイラストか、もしくはゲームのパラメーターとか仕組みの部分での差別化っていうところだったんですけど、
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パズドラが出ていこうって比較的遊びの発明みたいなものが結構出るし、ネイティブゲームだとそこの遊びの発明をチャレンジできるっていうところなので、
割とたくさん作るというよりは、なんか面白い発想を持ったものを作っていくということがあって、そこの方にシフトして最初のタイトルがかなり当たって1000名持ってるんですけど、とかが当たって、そこから割とある種PMFというか、組織的に成長史上にしっかり乗っていけたかなというフェーズですかね。それは2013年ぐらいですかね。
当時って中長期的な姿というか、それこそ赤月をゲーム開発だけの会社にするつもりがありませんでしたっていう塩田さんの記事を拝見したんですけど、中長期的なゲームだけじゃなくて、例えばエンタメだとかコンテンツだとか、そういった形で広げていくみたいなのって、そのゲーム事業を始められた当初から結構考えられていたんですか。
全然そこの中長期的なところまでは考えれてなかったんですけど、何はともあれ国内のスマートフォンゲーム自体がめちゃくちゃ伸びてたので、今で1兆2000億ぐらいなんですけど、マーケットが立ち上がってもう7、8年ぐらいで1兆2000億のマーケットがゼロから立ち上がり、世界で見るとさらにそれの5倍、5、6倍ぐらいあるのかなというところでやってるんで、
とにかく良いものを作れば売れる時代っていうのがやっぱり2016、17年ぐらいまであって、かつあんまりコンシューマーゲームの会社さんがモバイルゲームの方にシフトしてこずに、彼らのIPを提供して参加してくるっていう戦い方で、うまくソーシャルゲームの会社と共存共栄ができていたフェーズだったんですよね。
そこにおいて十分継続的にいろんなIPをゲーム化したりすることで成長できていける時代があったんですけど、ただなんかこの2020年前後ぐらいから結構モバイルゲームっていうよりはゲームマーケット全体がモバイルPCコンソールが一つのゲームマーケットになって、結果的に全部ゲームマーケットっていう一つの世界になったんで、
先行しているいろんな海外の会社さんとか海外のスタジオと同じところで勝負するようになってきちゃったっていうところが2010年後半ぐらいのところからあったんで、プレステぐらいまでのクオリティで作ったのがプレステ3とかプレステ4のクオリティに求められるようになって、結構また事業の構造が今変化しながら、組織も変化しながらっていう形ですかね。
ありがとうございます。じゃあちょっとその続きで事業についてもう少し詳しくお伺いできればなというふうに思ってるんですけど、もともとゲームの事業を始められて、ゲームの事業でいうPMFって結構概念的に難しいというか、それこそ一つのゲーム単体で言うとこれは伸びてる、これは伸びてないみたいなのって読みやすいかなというふうに思うんですけど、
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それを連続的に生み出していく仕組み作りまで含めたPMF的なことを考えると、どういう状態がそもそもPMFしてるのかとか、これが本当にこのまま続くのかとか、結構そういったところでは会議的になりやすいのかなというふうに思うんですけど、そのあたりって当初ってどんな感じで考えられてたんですか。
今運用させていただいているゲームもそうですし、先行しているパズドラさんとかモンストさんとかもそうなんですけど、そもそもこのマーケットが、もっと言うとスマートフォンってあと何年続くんだっけとか、例えばガラ系とかってなくならないと思ってたけどなくなっちゃったじゃないですか。
そういうのを考えると、ましてやそのコンテンツでプラットフォームじゃなくてコンテンツなので、なかなかその永続的にいいですよねっていうことがサービスレイヤーだとなかなかできないと思うんですよね。
僕らが考えているPMFじゃないですけど、継続性っていうのはどちらかと言うと作り出す力とか開発力とか、そういったものをまず土台としてあります。
もう一つあれば一番いいのは、簡単に作る力、メディアの力、IPの力みたいなのが多分エンタメコンテンツ界だと3つあって、それが3つ持っているのがディズニーさんとか。
最近ディズニープラスっていうのがすごく伸びてきてて、映画館とセットでいろんな新しい売り方を作っていると思うんですけど、
メディアってやっぱり変わっていくじゃないですか。スマートフォンみたいなメディアとかも変わっていく可能性があるんですけど、開発力っていうところはある程度普遍的にいろんなメディアを超えてクオリティが高いものを作るという力は変わらないです。
あとはやっぱりIPっていうものを持てると、いろんなメディアが出てきたときにそのIPを駆使してビジネスが作れますよねっていうところの3つがあって、
そこのたぶんうち2つがあると、かなり多分30年ぐらいとか40年ぐらいとかで安定的に成長していったりとか、今のコンシューマーゲームの会社さんがそうだと思うんですけど、成長していくことができるっていうところがあるんですけど、
まだ残念ながら我々とか日本のモバイルゲームの会社さんっていうのは、なかなかそこのIPを作ったりっていうところにまだ到達しない会社が多いので、
まだしっかりそこをメディアだったりIPをどう作っていくかっていうことを継続的にやっていくっていうフェーズですかね。
なので、PMFっていう、それはコンテンツっていうものが移り変わりあるけど、キャッシュが結構見やすいみたいなものなのか、
比較的SaaSみたいに計算できてビジネスとして積み上がっていくのかみたいなところって、その特性結構真逆の特性だと思うんですけど、
SaaS的な特徴があって、エンタメみたいに大きく跳ねるものがあればいいんですけど、なかなかそういうのがない。
なかなかないんで、やっぱり市場の成長フェーズでしっかり入っていって、そこで組織とかキャッシュを作って、
より長くケーパービーティーを高めていったりとか、IPに投資できるようになっていくっていうのが結構エンタメへの参入のやり方なのかなと思っています。
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塩田さんが出されてた本のハートドリブンで、徹底的な市場競合調査を基にゲームを開発していたっていうのを目にして、
具体的にどんなことをやられてたのかなっていうのがちょっと気になってたんですけど、この辺りって大田さんがやられたんですか、塩田さんがやられたんですか?
その当時、いつぐらいかっていうのはあるんですけど、その2つぐらいの観点があって、
1個は今売れてるタイトルってなんだっけみたいなところをしっかり分析して、その傾向とかユーザー層みたいなやつを分析するっていうのは徹底的なっていう言い方してるんですけど、
普通に我々は結構やってましたと、ジャンルだったりユーザー層だったり、ゲームの売れてる今の機能とか仕組みってなんだっけってあるんですけど、
もう1個は競合の調査っていうのは結構1個のゲームをものすごく深く分解して、なんかリバースエンジニアリングじゃないですけど、
例えば自動車とかだと競合の車を全部分解してパーツとか仕組みを理解するみたいなことがあると思うんですけど、
そういったものに近くて、実際にソースコードを分解するわけじゃないですけど、かなり深く遊んでみて、表面的に見えている強みと、
あと実際に中に存在している詳細の部分の強みみたいなものを自分たちしっかり理解した上で、
じゃあそれをどう再構築して強みを生かすのかみたいなところをしっかりやっていきましょうねっていうのは、
もともと僕とか塩田とかが比較的コンサルとかビジネス側から来ている人間というのもあって、
そういうところは割と力を入れてやってたって感じですかね。
結構それがベースに企画だとか方針だとかっていうのをいって当たりをつけて、
その中で開発、もちろんその組織にしっかり投資をしていき、そこで初期的なキャッシュが生まれて、
そのキャッシュをさらに再投資してどんどん組織事業化拡大していくという、なんかそういうストーリーだったんですよね。
今色々聞いていただいてあるんですけど、
エンターテインメントビジネスとかコンテンツビジネスって、
つまるところ市場の多分初期の段階にいかに早く入って、
かつ一番ホームランが打てそうなところでホームランを打って、後は頑張るっていう。
やっぱりビジネスと違ってロジックっていうよりは、やっぱり面白いものってなんだっけとか、
すごい非言語的なというか目に見えないものもすごく多かったりするんで、
どちらかというと組織の中でいい人材をどう採用できるかとか、
いい人材をどう育てられるかとかっていうところと、
あとは一回当てたものをどう世界に広げて大きく展開するかとか、そっち側ですかね。
なんかヒットを計算的に出すのって、どこまで行ってもやっぱり生物なので、
計算してヒットを出せます、その根拠は何ですかっていうと、なかなか難しいと思うんですよ。
映画もしかり、アニメとかそういうところもしかり、漫画とかもそうだと思うんですけど、
そういうコンテンツビジネスの根本的な再現性の難しさってやっぱりあるので、
どちらかというとそれを当たった時にいかに大きく当てて広げれるかとか、
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とはいえ市場の求められるクオリティも高くなっていくので、
そのクオリティに向けて挑戦できる土台を組織としてどう作るかとか、
そういう部分に再現性とか、堕石に立ち続けられる体力とか、
ホームラン売った時にどこまででも飛んでいくっていうようなマーケットを選んでやるとか、
そういうことですかね。なんで事業経営とちょっと違ってきていて、
それが例えば IP があったりとかメディアがあると、
一般的なビジネスにちょっと近い感覚になっていくと思うんですけど、
それも最初からあるわけじゃないので、そこをどう作っていくかみたいなところになっていく感じですかね。
そういう意味で言うと、できるだけ早いタイミングで参入するというか、
その早期に参入するみたいなのは、それこそ Web3 ファンドに結構通ずるところでもあるのかなというふうに思っていて、
そこで取り逃すよりは、しっかり戦略の解像度が上がってなくてもいいから、
まずはそこにアドレスすることが大事で、
そういう思想があって、やっぱりあのファンドの設立も行われたんですかね。
そうですね。 Web3 自体は発表は5月のゴールデンウィーク明けにやったんですけど、
実際にリサーチとかはもう1年以上やっていて、
その中でいきなり自分たちで事業を作っていくということよりは、
投資を通じて、まずベストプラクティスへの解像度をどんどん高めていくということが一番大事だろうなと。
しかもそのベストプラクティスはまずは国内じゃなくて、
多分海外を中心に起きてくることは、もうその時点でもそうですし、
未来も考えてもやっぱりそうだなっていうところがあったので、
まずしっかり投資っていう形でベストプラクティスをキャッチアップしつつ、
ただ片方ではゲームを作る力とか、モバイルのアプリを作る力だったりとか、
例えば国内のいろんなエンターテイメントの会社さんとのつながりみたいなところがあるので、
何かそのある種投資をしながらしっかり知見をためていく中で、
自分たちができる事業とか、自分たちがやるべき事業にフィットするところを
誰よりも早く見つけるみたいなところが結構あれのサブテーマであるんですけど、
チーム自体はやっぱりちゃんと一義的にはファンドとしてしっかりリターンを出していくと、
投資先に価値を出していくというところを持ってやってるんですけど、
グループ全体としてはそういった意味での情報をしっかり取るということも含めて考えています。
ありがとうございます。
あとは、あかつきのホームページに掲載されているヒストリーを見ていて、
気づいたというか、認識したところだと、
2014年の6月に台湾の子会社を設立していて、
会社自体設立されたのが2010年だと思うので、
設立して4年後、ただおそらくその当初の事業の立ち上げ期間などを含めると、
感覚的にはもっと早いタイミングで、
海外の子会社を設立したようなイメージかなというふうに思っていて、
それこそ我々、日本と東南アジアのスタートアップに投資をしていて、
日本のスタートアップの中でも東南アジアに展開したいスタートアップの方とかも
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いろいろお話をさせていただく中で、やっぱり海外に展開するとなったら、
できるだけ早いタイミングで、
そのグローバル展開を一番最初に織り込んで、
事業作りだとか組織作りをするということがすごく重要だなというふうに思っていて、
実際に深谷崎でシンガポールに拠点を移して挑戦されている方とかもいらっしゃるんですけど、
このタイミングで台湾に子会社を設立して海外展開を行っていこうと思ったので、
きっかけとか何かこれにたどり着く何かがあったのかというと、
どういうことがあったんですかね。
そうですね、2013年に秋かなぐらいに、
センモモっていう初めてのネイティブのゲームを出して、国内でありがたいことにスマッシュヒットしたんですけど、
そのタイミングで中国、台湾、韓国などなどですね、
グローバル英語圏も含めてすごくライセンスアウトしてくれという声がすごくいただいて、
現地の会社さんとパートナーシップを組んで、
結果的には中国の北京にある会社にライセンスアウトして、
MGもいただいてというところでやったんですけど、
その当時って日本だけやっぱりモバイルゲームのマーケットが立ち上がって、
割とアープも高くていいマーケットだったんですけど、
どう考えても人口ボリュームとか経済規模とか考えても、
モバイルゲームって世界に広がっていくなっていうのが分かっていて、
これをライセンスアウトだけでやってたら、
かなり成長の一番レバレッジするポイントを外に依存したりとか、
あとその得られる収益も減ってしまうよねっていうところが、
もうそのライセンスアウトを1回やったことで逆に分かって、
であれば自分たちでそこの部分をハンドリングしていくことが、
収益的にもいいですし、
ゲームってIPホルダーさんにいかに選んでもらうかっていうところも一つ、
そのB2Bの観点も結構大事だったりするので、
やっぱり国内だけじゃなくてグローバルにワンストップで運用できますよっていうところが、
多分そのIPホルダーさんにとっても魅力になってくるよねっていうのが何となく見えていたので、
そのタイミングでいくつか見ていったときに、
どちらかというと、台湾って人口もそんなに多くないですし、
マーケットとしてはゲームは盛んなんですけど、
超大きいわけじゃないんですけど、
どちらかというと商品市場というよりは、
労働市場的に台湾というのは非常に新日で、
台湾に向けて台湾に作るというよりは、
台湾からグローバルっていう意味だとすごい良い拠点だなということが分かったので、
やっていったって感じですかね。
その当時は今とまたちょっと違っていて、
新しくサービスを作るときは、
もう海外も売っていかないといけないよねっていうよりは、
海外なしだとそもそもきつくねっていうところに、
一段階変わっていっているので、
Nice to haveからHave to doに結構変わってきているかなと思います。
海外展開を検討していたときに、
反対意見とかもあったりしたんですか。
ありましたね。塩田は比較的慎重派で、
僕が引っ越しするように家を引き払ったからということで、
最後、
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行くって言ったから、
もう引き払っちゃったじゃんっていう。
もうやらざるを得ないよね。
でも慎重意見もありましたね。
かつ、やっぱり海外あるあるなんですけど、
日本から出てってうまくいかなかったみたいな事例って
たくさん聞こえてくるじゃないですか。
当時結構多かったですもんね。
言ってたので、慎重な声というか、
比較的たくさんありましたね。
それこそ海外展開で失敗してきている会社さん、
うまくいかなかった会社さん、いろいろある中で、
赤月がここでうまくいった要因で言うと、
どういった要因があるんですかね。
でもあれじゃないですか。僕が行ったからじゃないですかね。
それ間違いない。
僕が行ったっていうよりも、
冷静に考えて日本で一周したことない人が海外に行って
組織作れるかというと、
なんかシンプルに無理芸感が増しているだけじゃないですか。
日本で組織作るのも難しいのに。
海外で言葉が仮に通じたとしても、
文化とか全く違うんで、
そこの部分はやっぱりあるかなと思っていて、
それこそメルカリも慎太郎さんが結構コミットして
一時期北米行ってたりとかしたと思うんですけど、
経営というものを経験された方が、
海外でも軸を持ってやっていくということが
結構キーポイントで、
簡単に言うと僕らは、
塩田と僕と二人でやってたんで行けましたし、
メルカリの場合は小泉さんと慎太郎さんというのが
いてっていうところもあると思うんですけど、
なかなか戦力を出していくのかというのは難しい判断なのかなと思うんですけど、
別に創業者とか経営者じゃなくてもいいと思うんですけど、
何かしらシリアルの方とか、
そういった経験がある方じゃないと、
何倍か難しいんじゃないかなと思います。
あとは組織を作れる作れないというのはもちろんあると思うんですけど、
合理的に考えると国内の市場の方が、
売り上げが上げやすい中で、
なぜ海外に人も入って投資も済んだっけみたいな感じの議論には
なりがちではあるので、
だから創業者に近い人とか、
国内のコミットメントとしてやるかやらないかを決めるというのは
すごい大事ですよね、グローバル展開においては。
そこってやっぱりこれから別の事業も含めてだと思うんですけど、
日本全体もそうだと思います。
リスクとリターンの考え方において、
どちらかというとリスクを過大評価するけど、
リターンが例えばリスクが2倍だけどリターン10倍だよねっていうものに対して、
どう向き合っていくのかっていうことだと思うんですよね。
まず今インドネシアだと思うし、インドだと思うんですけど、
日本でやるとリスクとリターンが1対1です。
海外でやるとリスクが3倍、
リターンが5倍です。
それを10年か20年のスパンで考えていった時に
どうなんだっけっていうと、
国内だけっていうと、
実はリターンと考えているところが比較的減衰傾向にあって、
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そういうところがあるので、
さっき言ったそれが海外ってナイスハブだよねっていうところから
よりやらないといけないよね。
それはエンターテインメントがここ10年で完全にグローバル化して、
ネットフリックスだったりとか、
YouTubeとかグローバルメガプラットフォームで
あらゆるコンテンツをみんなが見ますと。
Jリーグ見る人もいれば、プレミアリーグ見る人もいますっていうところになっていくので、
競争っていうのは避けられないので、
先方は60億人、70億人に対してビジネスやっていて、
僕らは1億人に対してビジネスやってますっていうと、
かけられる予算が何倍違うんだっけってなると、
10倍、20倍、100倍変わってくるので、
必然的にそこででかいマーケットに対して売っていくってことをやってないと、
やっぱり予算のところが一桁違うと難しいよねっていうことになってくるので、
さっき言ったフォームラン売ったときに大きく跳ねるような
っていうのはそこなんですかね。
ありがとうございます。
次に組織と採用、組織面について
お伺いできればなというふうに思ってるんですけど、
まずやっぱり赤月の特徴で言うと、
塩田さんと神田さんの共同創業っていうところが
一つの特徴としてあるかなというふうに思うんですけど、
会社の中での役割分担、キャラクター的な役割分担と
機能的な役割分担、
先ほども簡単に少しお話いただいたかなというふうに思うんですけど、
改めてそのあたりってどんな感じで分担されていたんですか。
そうですね。
結構オーバーラップしているところが多くて、
これ結構2つの共同創業者の在り方として、
もしかしたらレアなケースかもしれないですけど、
エンジニアと営業ですとか、
オーバーラップしなくて違うベクトルで向いているパターンと、
あとはGoogleの2人みたいに、
比較的2人ともエンジニアのバックグラウンドでやっているパターン
みたいなのがあると思うんですけど、
僕としおとは比較的近いところが多い、
相対的に得意なところが
3、40%くらい分かれているという風な立ち位置だったので、
あんまり外から見られているように、
パッキリ役割分担を分けて、特徴が分かれていて、
その時その時で意識的に分担をしながら進めていた
というところがありますね。
被っているところはサービスを作っていくところだったり、
マーケティングだったりとかそういう部分は結構被っているんですけど、
しおたのは大概的に
B2Bの営業的なところとか、資金調達とか、
いわゆる社長としての対外的な役割とか、
あとはそのビジョンを発信していくところとか、
というところはしおたが比較的になっていたことが多くて、
僕の方は仕様的にコープレートを見ている時間も、
コープレートを見ながら事業も見ていたりとか
というところもあって、組織とか採用とか、
育成とか制度設計とか、
そういったところを結構やっていたことが多かったですね。
しおたさんの振り返りの記事とか読むと、
結構張り詰めていた時期もあったみたいな、
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お話をよく目にするんですけど、
その一方で神田さんってどんな感じのキャラクターだったんですか?
やっぱりその中でもバランスを取っていくということを大事にしていたので、
僕は割とサッカーでいうとボランチ的なことを意識していて、
必要な時は最終ラインに戻ってディフェンスするし、
必要な時はもうセットプレイで点を取りに行きますよということを結構やっていたので、
比較的その場その場でバランスを取るような重心の設定で動き方をしていて、
しおたが割と張り詰めている時は、
例えば社内でお祭りをやってもちょっと緊張感をやられるようにしたりとか、
しおたがフワッとしている時はあえて厳しいことを言ったりとか、
そういうふうに比較的バランスを見てやるという形ではあります。
それはやっぱりあれなんですね。
しおたさんがベースにあっての甲田さんの動き方が、
それを補う形で決まっていくっていう、そういう順番だったんですね。
僕の視点だとそう思ってたんですけど、
しおたから見ると違うかもしれないですけど。
確かに逆かもしれないですもんね。
一貫して仲は良かったっていうのはあります。
なのでメンバーから見た時に変な政治的な力学が働いたりとか、
不安に思わせるような関係性みたいなことは全くなかったですね。
我々の支援先で共同創業している会社も結構多いんですけど、
あるタイミングで共同創業者のコミュニケーションが少なくなったりだとか、
最近ちょっとコミュニケーションうまく取れてないですとか、
っていう例も結構あったりはして、
僕らの場合だと各々とご飯行って各々の話を聞いた上で、
我々としてどう対応していけばいいのかとか、
どういうふうな施策を打っていけばいいのか、
みたいなところを一緒に考えたりはするんですけど、
なんかそういう塩田さんと甲田さんの中で、
うまくコミュニケーションが取れてなかったみたいな時期もあったりされたんですか。
そうですね。そんなに頻度が高かったかっていうと、
高い時もあればそんなに頻度が、
例えば僕が台湾行ってる時とかってあんまり対面的に話したりとか、
わざわざワンワンで細く話したりとかはしなかったんですけど、
共同創業者に関してのところでいくと、
うちがどうこうっていうよりは、
最終的にゴール地点とか目標が違うと、
結構コンフリクトしやすいのかなと思ってまして、
一番上段のところでいくと、
例えば一人がもう1兆円の会社作るぞって言ってるけど、
一人はもうなんかスモールビジネスで楽しくやればいいんだよねってなってると、
全然合わないじゃないですか。
別にそれが良いか悪いかってその人の生き方とか、
リスクの許容度みたいなところにあると思うので、
やっぱり僕結構仕事をしていく中で、
リスクの許容度とかリスクをどれぐらい取りたいかっていうことに関しては、
全く良い悪い関係なく、
その人のコンフォータブルな部分とか、
自分が求めている部分っていうのはあるなと思っていて、
そこがすり合っていかないと、
39:00
なかなか一緒に同じ立ち位置でっていうことが難しくなってくるのかなと思います。
逆に言うと共同創業しようとなった時は、
お互いのそのリスク許容度なり、
そういったところを結構重視してみたほうがいいっていう、
そういうことですよね。
そうですね、僕の場合はリスク許容度みたいなところの頭まで全然なかったんで、
単純に覚悟があるかどうかっていう、
そこで見てたって感じですね。
大変なことがあってもやるしっていう中で、
あとしりしおくっていうよりは、
ちゃんと責任とか結果に対してコミットしようとか、
そういう価値観というか広く言うと、
価値観というとすごい好き嫌いみたいな話になると思うんですけど、
仕事における価値観みたいな部分が近いかどうかっていうことかなと思います。
会社で言うバリューみたいなものなんですかね。
そうですね、そうですね。
でもそれって僕としおたんも10年って言ったのって、
正直お互い50歳になった時に、
どこまでバリバリ働きたいかみたいなのとか、
70歳になった時バリバリ働きたいかみたいなのとか、
20歳の段階だと想像もつかないじゃないですか、正直。
だから10年やることはコミットしてやろうぜっていうところの、
一番根っこの部分がそこでアライメントしてたんで、
だから良かったのかもしれないですね。
なるほど。
そこでしおたさんと神田さんで共同創業されて、
実際に採用も進んでいったかなというふうに思うんですけど、
最初の10名の採用方法とか、
実際にどのポジションの方を採用したのかって、
どんな感じで最初採用されてたんですか。
そうですね、最初はこれいくつか会社の中で、
段階があったんですけど、
最初は基本的に知り合いだったり、友人だったり、
いろんなありとあらゆる手をたどって、
よくあるベンチャーあるあるだと思うんですけど、
気づいたらっていうパターンですね。
お願いごと相談ごとされてたんだけど、
気づいたらいつまでか社員になってましたね。
そういう技を意図せず駆使しまくってましたね、基本的には。
これって多分若い人がやるパターンと、
若い人って同世代もある種キャリアがまだ決まりきってない人が多いわけじゃないですか。
社会人1年目、2年目、3年目みたいな。
やっぱりちょうどそういう時に、
面白いタイミングで面白いことやってると、
やっぱり人を巻き込みってしやすいと思うんですけど、
そういうのもあったのでやれましたと。
あとはとはいえ、やっぱりエンジニア必要だよねとか、
デザイナー必要だよねみたいな、
専門職ってなかなかそうそう知り合いに、
タイミングがいい人がいなかったりするんで、
そこから先は一般的な採用媒体を使ったりとか、
そういうことをしていくんですけど、
その時にやっぱり一番感じたのは、
エンジニアっていう職業になると、
Google、Appleからあかつきまで、
なんか1万社ぐらい、
1万社というか何万社か分からないですけど、
世界中の会社が競合になるけど、
ゲームだと10社、20社の競合しかないんですけど、
そこの競合が広い職種になればなるほど、
採用って難しいんだなっていう当たり前のことです。
こう感じて、
なかなか最初は難しかったなとは思って採用は、
42:03
結果的にやっぱり人のつながりで来ていただくことがメインですね。
その採用において、
くどくときにって言ったらあれですけど、
最後に決めてもらうタイミングとかで、
それこそ2010年当時とかだと、
スタートアップに転職するとか入るって、
結構リスキーというかだったと思うんですよね。
そこを乗り越えてもらって入社に至るわけですけど、
くどくさいに意識してたことというか、
心がけてたこととかってあったりするんですか?
基本は巻き込んで結果的にパターンを、
ひたすら同じ戦略をやっていくだけしかないですね。
なので何かしら手伝ってもらったり、
オフィスに来てもらったり、
一緒にディスカッションしたりみたいな、
そういうことで共犯者化していくというか、
一緒に当事者化していく意識の中で、
どこかで一緒にやろうというふうになっていくことしか
多分なくて、
変電じゃなくて体験でくどいていく感じですかね。
確かにそれで一種カルチャーフィットとか、
人的なフィットもすごく測れて。
やっぱり潜在的な価値と健在的な価値って
やっぱり会社にもあると思っていて、
会社が大きくなって実績が出てくると、
どんどん価値が健在化していくじゃないですか。
健在化していくと分かりやすくなったり、
客観性があるので、
数字とかそういったもので説得力を持って
自分たちの魅力を話せると思うんですけど、
10人ぐらいとか以下でやってると、
基本的にその潜在的な価値しかないし、
目に見えないものだし、
ここにある熱気がいいんだよねみたいなのとかって、
テキストに落としても本当にバカ丸出しみたいな感じになっちゃうじゃないですか。
僕らは世界を取れますみたいなことを言ってる。
確かに。
潜在的な魅力っていうのは、
体験してもらわないとできない。
もう伝わらないっていう割り切りを持って、
そこにやってた感じですね。
今の場合だと、
割とスタートアップっていうセグメントがはっきりしていて、
その中で創業当時から、
ある種、くどかれる側も
見る目が形成されてると思うんですよね。
これってマーケットどうなんだっけ?
筋どうなんだっけ?
資金調達できるんだっけ?
みたいなものができると思うんですけど、
当時ってそういったものがなかったんで、
お互い目に見えないもので体験してもらって、
可能性を感じてもらって、
よくわからないけどいけそうみたいな、
そういう状況になっていったって感じですかね。
なるほど。
あかつきの記事とか拝見してて、
すごく特徴的というか印象的なのが、
結構早い段階から、
組織作りというかカルチャー作りみたいなところに
注力していたっていうのは、
一つあるかなというふうに思ってて、
今だとスタートアップがこういったところに注力するっていうのは、
わりと当たり前になってるというか、
みんな頑張ってるよねっていう感じではあると思うんですけど、
2010年代前半とかで、
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会社作ってすぐにカルチャー作成したりとかって、
結構珍しかったのかなっていうふうに思ってるんですよね。
かつ、今だと結構スタートアップってDXとかっていう文脈が多いので、
割とその事業の立ち上げに時間がかかったりだとかして、
時間がかかる分、しっかり組織として目指すところとか、
会社として目指すところを明文化した方が、
やっぱり全員のベクトルが一致しやすいというか、
同じ方向向きやすいのかなっていうふうに思ってて、
一方でゲームの場合だと、
伸びたらもうすぐに成果が出るっていうものなので、
組織づくりっていったところに、
リソースが割かれるイメージがあんまりなかったんですよね、正直。
その背景の中で、その暁として、
創業当初からというか、結構早いタイミングから
組織づくりに注力したのって、
どの辺りが背景というかきっかけとしてはあったんですか。
一番大きいのは、自分たちが働きたい会社にしたいよねっていうのは、
ずっと翔太と言ってて、
今の自分もそうだし、例えば今自分が新卒だったらとか、
自分たちが作るものなんで、自分たちが愛せるものにしたいよねっていう、
組織もものづくりというか、組織もサービスづくりみたいな、
サービス作る時に自分たちもイケてると思ってるサービス作りたいよねって
思ってるのと近いと思うんですけど、
そういうものづくり的な観点を組織にも持ってるっていうのは多分、
もともとあったと思うんですけど。
あとは比較的僕も翔太も学生団体の時とかからやって、
わりとピュアで綺麗っぽい、こういうのやった方がいいよねみたいな、
教科書に書いてあるようなことをそのまま信じてて、
ビジョナリーカンパニーとかを読んで、
丸ごと感化されて、やっぱ誰を罰に乗るかが大事なんだみたいなことを、
綺麗に信じ込んでるっていうのがあって、だから素直にやろうみたいな。
こういう型通りにやってたっていうことなのかもしれない。振り返ってみると。
なので、そういう自分たちの会社ものづくりというか、
サービスとかプロダクトとして見てたっていうところと、
もともとのベースの知識はある種、社会人よりも学生の時って
ピュアに勉強したりとかすると思うんですけど、
そういったものをそのまま、あんまり社会がこういうふうに動いてるよねとか、
そういうのやってないよねみたいなものよりは、
ある種、きれいごとのままそのままやってたっていうことはあるかなと思います。
結構そのジェネシアだと支援先の組織づくりのサポートは、
積極的に関与させていただくことも多くて、
その中でその組織づくりに関して情報発信とかも結構行ってはいるんですけど、
やっぱり感じるのは、組織づくりとかって、
まず組織づくりが重要だと気づくのが一番難しいなみたいな感じていて、
それこそそのサービスづくりと組織づくり、
そこを似たものとして捉えるっていうのは結構あるなっていうのは思っていて、
特にエンジニア出身の企業家の方とかによく話しているのは、
48:00
組織をその一つのプロダクトとして見てみて、
それでプロダクトづくりだと思って組織を作ってみるのはどうなんですかねっていう
コミュニケーションとかも取ったりしてるんですよね。
そこは結構、もしかしたら近しいものがあるのかなっていうふうに感じたんですけど、
一方で特に支援先の企業家を見てて思うのが、
やっぱり組織の壁を感じた瞬間とか、
一種その組織崩壊を経験したタイミングとかで、
組織づくりの重要性に気づくみたいなのも結構あるなというふうに思ってて、
あかつきの場合って、組織の壁だとか、組織トラブルみたいな、
実際大きいものいろいろあると思うんですけど、
その中でも印象に残っているものとか、
特にこれが重大なきっかけになったなみたいなものとかってあったりするんですか。
そうですね、2014年ぐらいにちゃんとしたタイトルが出て、
ネイティブゲームでヒットする前段階で、
今の自分たちだけじゃ作れないんで、
ある程度経験があって、
ちょっとピーキーな人を採用していかないと勝てないよね、
みたいな時があって、
そういった方々をちょっと何人か入れて、
新しいプロジェクトとかをやってたんですけど、
結果的には結果も出ず、組織にも批判的な感じになり、
何も残らず、一定数そっち側になびく人たちもいたりとかして、
もともと大事にしたものがちょっと揺らいだりとかっていうことがあって、
それこそサイバーの、サイバーエリアの藤田社長の有名企業からの人とって、
上場前後ですかね、すごく大変だったって話を本とかに書かれてるんですけど、
まったくそこは同じようなことを同じように失敗したっていうことがあります。
みんなトムルまだちょっと前にいるからね。
全員取ってるんですよね、そこは。
なるほど。ちなみに言ったら分かりやすく優秀な方を採用して、
一方でカルチャーフィットをしてない人、結果的に成果が出ない人っていうのは、
結構いろんな会社で起こる問題だなっていうのを僕自身も感じていて、
一方でスタートアップって常に人材が足りないじゃないですか、
かつ特に優秀な人とかってなかなか手放すって言ったらあれですけど、
もちろん中長期で考えたらカルチャーフィットを知ってる人を取ることが重要っていうのは分かってはいつつも、
短期的にはなかなかその決断を下せないというか、
何人か採用できたら辞めてもらおうとか、こういうタイミングが来たら辞めてもらおうとか、
そういうことを結構考えちゃうなって。
そういう時に僕とかだと半年間、事業が停滞してもいいし、何なら落ち込んでもいいんだけど、
でもその半年後からやっぱり回復してくるし、半年後にはその人がいなかった方がやっぱり大きな成果が出てき始めるから、
より中長期のことを考えて、組織戦略とか採用していきましょうみたいな会話をしてるんですけど、
優秀な人というかカルチャーフィットしてない人とかを辞めてもらうタイミングというか、
が去っていくタイミングとかってかなり苦労されたと思うんですよね。
51:01
その時にどういう会話を塩田さんとしてたのかとか、
実際にどういうふうにその意思決定を下したのかとかって、そのあたりの背景と教えていただけますか。
まだそう考えると初期にそういうことが起こった時は、
比較的もうなんかあんまり議論の余地なく、これも厳しいよねみたいなものが出て、
サービスも出てうまくいかないみたいなのがわかったんで、ダメだったねっていう。
分かりやすく、結果も出てダメだったよねっていう風になったんですけど、
今お話を聞いてて思ったのが、2つ大きくパターンがあるかなと思っていて、
その会社とか創業者とか経営者ができることをやっていこうっていうパターンと、
どうしても例えば必要だけど、今の経営者の知識とか経験じゃできないことを、
その中途の人にやらわってもらわないと勝てないよねっていうパターンと両方あると思うんですよね。
で、なんかそのパターンだと結局その関わり合いの問題かなっていうふうには今考えると思っていて、
ピーキーな人とってきてもいいけど、ある種例えば子会社化して責任と権限をセットにして、
ダメだったらダメですよねっていう風にするとか、
要するにリスクがあるっていうことをちゃんと前提として関わっていくっていうことをやった方がいいかなと思っていて、
リスクがある人を中核のところとか組織全体に対してあんまり取り除きづらいところに入れちゃうと、
本当に大きくダメージを食らう可能性があるんで、そこはなんかこうリスクを取るなっていうよりは、
その採用も結局投資じゃないですか、投資人への投資としてのリスクをどう取るかっていうことを考えていくことがいいのかなと思っています。
そういう意味で言うと採用っていうものはもちろん不可逆的な意思決定ではありつつも、できるだけ可逆な意思決定に近づけるというか、
その人が辞めたとしてもできるだけ影響範囲が狭いような配置にするとか、そういったところが重要ということですよね。
組織をちょっと分けて考えていくとか、
今から戦場に行くとしてこの人が一緒の舞台に入ってていいかどうかっていうシミュレーションをするとか結構やってましたね。
結局どう言ってもリスクは高いと。
なんか大変になった時にこの人が仲間にいて、人生の最後に嫌だったなと思いながら死ぬのは嫌だなと思うと、
結果的に一緒にガッツリやっていくのはやっぱり人格重視みたいなところはやっぱりありますね。今も昔も。
ただそれだけだと更新のスピードとか専門性とか、更新というのは進軍するとか進んでいくスピードとか専門性が足りないっていうのは絶対起きてくると思うんで。
そこのバランスですね。
そのバランスはメリハリっていうところかなと思います。
なるほど。
サイバーエージェントさんが結構子会社っていう会社を作って渡していくっていうのは比較的そういう意味での挑戦する箱っていうのを明確にしたりとかっていうのもあるのかなとかはちょっと旗から見てると思います。
それで言うと特に初期のスタートアップだとなかなか別で作るみたいなちょっと難易度高かったりするんで、
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新規事業立ち上げるフェーズとかそういう時に。
そうじゃなければ何かしら一緒に仕事をしてみるってことじゃないですかね。
よくあるのがVCとスタートアップっていう立場でVC側の方がスタートアップに入ってCFOとかやるっていうパターン結構あると思うんですけど、
ああいうのって結構いいと思うんですよね。投資家と経営者っていう立場で信頼できてれば一緒になってもやれるよねとかっていうのがあると思うんですよ。
ある種役員で入れるのとかって結構結婚みたいな感じもあると思うんですけど、いきなりやっぱ結婚するより付き合う期間をちゃんと設けて一緒にやるとか、
例えば学生の時から知ってるとかそういうのも1個一番通常がわかるところだと思うんですけど、いきなり一緒に仕事したことない人を面接で取ってきて重要なポジションに入れるっていうのはかなりのギャンブルなんじゃないですか。
深谷先でも特に今のスタートアップの人材環境って本当にいろいろな業種の方々がスタートアップに流れてくるようになったなというふうに思ってる一方で、
そうなってくるとより採用のハードルが上がるというか、人を見る目というかそこが求められてくるなというふうに思っていて、
なので支援先だと3ヶ月とか半年とか一定の業務委託の期間を設けて、そこで一緒に働いてみてそれでカルチャーフィットを押し量るみたいなところをやってる支援先も結構あったりしますね。
それが一番お互いにとっていいことなんだと思いますね、マッチング。だからもっとそういう転職する側の人もエイヤーで決めるんじゃなくて、
土日手伝ってみるとか、平日夜手伝ってみて、会えば入っていくっていうふうにした方が変にミスマッチが起きるよりもいいんじゃないかなと思います。
ありがとうございます。では最後の質問になるんですけど、高田さん個人についてちょっとお伺いしたいなというふうに思って、経営者としてのセンスの磨き方だとか、
資産の高め方、これちょっと創業時のお話ではなくて、その今の話も含めてにはなるんですけど、そのあたりで意識されていることとか、実際に行われていることとかってあったりしますか?
結構フェーズでよって分かれてたんですけど、大きく3段階ぐらいで分かれてて、最初の頃ってのはひたすら多分本を読んでいろんな知識を身につける。
経営って近いところもそうですし、もうちょっと離れた心理学とか経済とか、なんかそういう幅広いところの部分も、本っていうのはまず結構数百後半とか千冊ぐらいとかは平気で読んでると思うので、
なんかまずベーシックな部分っていうのは本で結構やられるかなと思っていて、次のフェーズは人とお会いして、業種業界関わらず自分より資座が高い人に会って、資座を高めてもらうっていうのがあるのかなと思ってますね。
で、最近だと生物としての終わりを意識していくみたいな、覚悟を決めていくとか、なんか多分そういう限られた時間っていうのを認知した上で何に時間を通していくのかみたいなところを、
57:11
選択と集中みたいなことだと思うんですけど、そういうことを結構ここ2、3年とかは、それを通じてなんかより資座を高めるというよりは、
なんか物の見方とか考え方っていうのをつけていってるなっていう感じがします。
人生の時間軸が気持ち長くなりましたよね。
そうですね。
あと元気に働けるの20年ぐらいって考えると、その間に何しよう?今までだと2、3年後にどう?
そうですね。
成果残すかとかって結構短期的な視点からちょっと長期的な視点、僕の場合は子供2人生まれたので、
より子供が20歳になったときどんな社会になってるかなみたいな、必然的に時間が伸びたっていうのがあるんですけど。
我々スタートアップとかベンチャーで、かつ未成熟な状況でやってたんで、結構個人で初めて2、3年で一気にサービスがスケールするとかって、
今のWeb3みたいなものは昔のインターネットの業界だったと思うんですけど、そういう時間軸で起きている業界があるのも理解しつつ、
僕の場合だとエンターテイメントだとか、テクノロジーの接点のところで何ができるかみたいなのを積み上げてきたものをベースにっていう感じですかね。
そういう方に変わってきているかなと思います。
ありがとうございます。
では次にですね、皆さんに次回のゲストのご紹介をお願いしてまして、
神田さんにぜひ次回のゲストをどなたかご紹介いただけないかなと思ってるんですけど、いかがでしょうか?
これあれですね、いろいろ思い悩んだんですけど、パークシェアテクノロジーの上野山さんに来ていただける。
ありがとうございます。
ちなみに神田さんと上野山さんはどのようなつながりなんですか?
同世代の経営者の中で一緒に飲んだりとかご飯食べたりとか、一緒にアート見に行ったりとか、そういうことをやらせてもらってるんですけど、
多分今回僕の感覚とエモーショナル的な話から一気にロジックとテクノロジーにいくんで、振り幅的にはいいんじゃないですか。
ありがとうございます。
では皆さん次回のゲストはパークシェアテクノロジーの上野山さんにお越しいただく予定ですので、ぜひ楽しみにしておいてください。
では最後に神田さん、あかつきのPRなどございましたら、ぜひよろしくお願いいたします。
そうですね、途中でもいろいろ話させてもらったんですけど、あかつきはCVCをドーンキャピタルという形で石倉が代表になって、
今年また新しく、もともとハートドリブンファンドという名前でやったところを、よりフォーカスを定めて、
あかつきらしいというか、あかつきならではの投資をしていくというところで一個やっているのと、
直近出したWeb3に特化したMootというファンドと2つあるので、
これ聞いていただける方で比較的スタートアップだとか、これから起業したいという方がいらっしゃったりとか、
今経営をやられている方がいらっしゃると思うので、もし何かご縁があれば僕だったりとか、
1:00:02
あとは彼らに直接DMを送っていただいても結構ですので、何かご縁がつくるといいかなと思っております。
ありがとうございます。
それでは本日はあかつきの甲田さんにお越しいただきました。
甲田さん、高田さんありがとうございました。
ありがとうございました。