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2025-12-02 23:54

#09【東南アジア最前線】アジア新興国での挑戦の原点【ゲスト:movus technologies株式会社 共同創業者&代表取締役 酒井丈虎さん】

今回は、ジェネシア・ベンチャーズ General Partner 鈴木隆宏さんが、movus technologies株式会社 共同創業者&代表取締役 酒井丈虎さんをゲストに迎えてお届けします。


▼トークテーマ

・アジア新興国のモビリティと金融インフラの今

・政治家志望から起業家へ

・日本ではなく東南アジアで起業した理由

・インドネシア起業のリアル


▼出演

・ジェネシア・ベンチャーズ General Partner 鈴木隆宏

・movus technologies株式会社 共同創業者&代表取締役 酒井丈虎


▼movus technologies株式会社について

インドネシアの都市圏で、配車タクシードライバー向けにRent to ownサービスを提供。

現地のモビリティと金融の課題に挑み、業績を伸ばしているスタートアップ。

https://mo-vus.com/


▼メッセージ募集

番組では、あなたからの感想や質問をお待ちしております。

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▼ジェネシア・ベンチャーズについて

シード期(創業初期)のスタートアップに投資と経営支援を行う、独立系のベンチャーキャピタルです。日本・インドネシア・ベトナム・インドに拠点を構え、アジアで持続可能な産業がうまれるプラットフォームの創造を目指します。

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▼制作

PitPa(株式会社オトバンク)

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サマリー

坂井丈虎さんはインドネシアでの起業やムーブステクノロジーのビジョンについて語り、特にライドシェアサービスのグラブゴジェックの重要性について深掘りしています。さらに、坂井さんの青年期や起業家としての道のり、リーダーシップについても触れられています。このエピソードでは、movus technologies株式会社の酒井丈虎さんがスタートアップの起業に至る経緯や、東南アジア、特にインドネシアでの事業展開の理由について語っています。また、社会課題の解決に向けたビジョンやインドネシアでの経験についても触れられています。アジアの新興国におけるビジネスの挑戦に際して、日本独自のオペレーション強化が重要なポイントとして挙げられています。特にインドネシアでは、サービス品質を向上させるための工夫と高い基準が求められます。

ムーブステクノロジーのビジョン
Ayo! by Genesia
皆さん、こんにちは。Genesia Ventures ジェネシアルパートナーの中事、鈴木貴弘です。
この番組では、プレスリリースなどのオフィシャルな情報の裏側に光を当てて、
企業家と投資家、それぞれの思いや葛藤をありのままにさらけ出します。
Ayo! はインドネシア語でCome on! Let's go! という意味、スタートアップのチャレンジをリアルにお届けしていきます。
私たちGenesia Venturesは、日本、インドネシア、ベトナム、インドの4カ国に拠点を構えるベンチャーキャピタリーです。
日本のスタートアップのみならず、アジア新興国の最新トレンドや、
現地で挑戦されている日本人企業家、スタートアップも取り上げていきたいと考えています。
本日、ゲストとしてお迎えするのは、インドネシアで事業を展開し業績を伸ばしている、
私たちの投資先でもある、ムーブステクノロジーの共同創業者で代表取締役を務めている、坂井たけとさんです。
こんにちは、坂井たけとです。今日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。今回は前編後編にわたる収録になっているんですけども、
前編となる今回は、まずは企業家としての坂井さん自身に迫っていきたいなというふうに考えていますので、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
まずは簡単にですね、ムーブステクノロジーとはどんな会社なのかというところと、
あと坂井さんがやられている仕事内容みたいなところを教えていただければなというふうに思いますので、お願いします。
はい、ありがとうございます。
そうですね、弊社はですね、インドネシアでモビリティレスとか、あるいは金融のインフラを構築する会社を目指しておりまして、
具体的には会社アプリであるグラブゴジェックになりたいドライバーさんに対してですね、車のファイナンスサービスを届けるようなことを行っております。
今私のロールなんですけれども、採用ですとか、あるいは資金調達であったり、最近ですと新規事業の仕込みなどを行っております。
ありがとうございます。確か2022年とかに私と出会ったのかなって記憶してるんですけども。
そうですね。
ちなみにそのグラブゴジェックってライドシェアで東南アジアとすごく一般的になっていて、日本だとまだね、どれぐらいインフラになってるかっていうちょっとイメージがつかない方もいるかなと思うので、
タクシーとかと比較だったりとか、なぜライドシェアがここまで伸びているのかみたいなのをさらっと話してもらえると理解が進むかなと思ったんですけど、どうでしょうか。
それでいきますとジャカルタ首都圏の人口が約3000万人いるんですけれども、本当に関東圏と同じぐらいなんですが、
ジャカルタの公共交通機関の分担率っていうのが25%ぐらいになってまして、東京で行くと60%ぐらいなので大きな差になっているんですけれども、
そういった中でやはり公共交通機関の代わりとなっているのがグラブゴジェックみたいなライドシェアになっておりますので、そういった意味では本当に日々皆様が生活する上ではなくてはならないようなサービスにはなっております。
そうですね。僕もグラブゴジェックもよく使ってますし、タクシーもね、昔はメータータクシーがなかったりとかした時代が2011年とかあったんで、すごく苦労したのを今でも思い出しますけど、やっぱりグラブゴジェックができたことによって生活がね、あと移動が格段に良くなったっていうのはすごく、
坂井丈虎の青年期
日本に住んでいると感じづらいところであるとは思うんですけど、かなりインフラとして成立しているところの、そこで働く方たちのサポートをしているのがMOOVSテクノロジーというような、そんな理解をしております。
実際に坂井さん、いきなり東南アジアで起業されてるっていうふうに思うんですけど、そもそも東南アジアに至った、アジア侵攻国に至ったっていうところの経緯みたいなところの、青年期から学生時代ってどんな形で過ごしていて、起業の道に進んでいったのかっていうところをぜひね、掘り下げていきたいなというふうに思うんですけども、実際どんな少年時代だったのかみたいなところをお聞かせいただいてもよろしいでしょうか。
坂井 正直、ずっと野球をやってきたので、青年期がどうだったみたいな話ではないんですけれども、将来的な夢といいますか、みたいなところでいくと、当時は政治家になって日本を変えていきたい、社会を良くしていきたいみたいなところがありましたので、そうしたら企業っていうよりはソフトサイドで、何かしら自分で旗を掲げてやっていきたいなというふうには考えておりました。
そもそもなんで政治家になってみたいなっていうふうに思ったんですか。
坂井 もともとですね、私が中学生時代に、私の中学校が熊本県なんですけれども、税金を学ぶ指定校みたいなものに選ばれまして、そこで色々と社会構造みたいなものを勉強させてもらって、そこで格差ですとか、そういったところで苦労してらっしゃる方がいらっしゃるということで、そういった発表をしたときにアナウンサーの方から、君みたいな人が将来政治家になってくれると世の中変わるのにね、良くなるのにね、みたいなことを言っていただいて。
たしかにそういった職業であれば、世の中の人を救っていけるなですとか、社会より良くしていけるなっていうふうに思いまして、政治家を目指しました。
なるほど、指定校ってすごい特殊な指定校だなっていうふうに聞いてて思ったんですけど。なんかまあ、社会課題っていうとちょっとね、中学生の時ってそこまで考えてないことのほうが、僕自身もそうなんですけど。
坂井 そうです、確かに。
あれですけど、なんか大きく世の中に興味があったりとか、なんかそういうのってあったんですか。
たしかに、具体的にっていうわけではないんですけれども、結構身の回りのものに対して課題感を感じると言いますか、これってもっと良くなるといいのになーみたいなことは日々思うような学生というか、青年期だったかなっていうふうには。
なるほど。
たしかに、振り返るとそういうふうには思ってます。
なるほど。ずっと野球をし続けられていて、少しそういったきっかけがあって、政治っていうところにもぼんやりと興味があったっていう話だと思うんですけど。
今は企業家として、代表取締役として組織をリードされてたりとか、政治家に関しても世の中を地域をリードしていくっていう役割だと思うんですけど、学生時代とかってリーダータイプの学生だったのかとか、どういう学生だったんですか。
そうですね、まさにそういった何かしらのリーダーを任される機会っていうのは多くてですね、例えば中学校で行きますと野球部のキャプテンしながら生徒会長をやったりですとか、あるいは小学校の頃も児童会会長みたいなことをやっていたりしたので、何かしらそういった形でリーダーを任されやすいような機質みたいなところはあったのかなと思っています。
なるほど、リーダー任されるって言ってもやりたくないとやんないじゃないですか。僕は基本的にリーダーできればやりたくないってタイプの学生だったんですけど、その辺って興味があったりとかしたんですか。
チームを束ねてみんなで一緒にやっていって、何か成し遂げた時にそれを一緒に喜びを分かち合いたいみたいなところが一つモチベーションとしてはあったので、僕はそこを嫌うというよりは自分自身がやっていってみんなをよりまとめ上げてやっていくことが一番最適解なのかなっていうふうには当時思ってましたね。
逆に鈴木さん、幼少期とかはどんな感じだったんですか。
とにかく多数決とかそういうのが大嫌いな学生でした。大して考えてもいない中でみんなが手を挙げるより、例えば学芸会何かやるって言っても、一番思いを持っている複数の集団、熱を持ってやってる人たちにフォローした方が絶対いいじゃないですか。
なんだけど、大部分がちょっとそれは難しくないみたいな感じの空気出て、却下されるみたいな横目で見ている中で、民主主義的ではあるものの違和感を感じるみたいな、変わった学生ではありましたね。
なるほど。じゃあ、あんまり鈴木さんとかはリーダーとかを自分から率先するタイプではなかったみたいな感じなんですか。
鈴木 率先するタイプではなかったんですけど、そうやって思いを持っている友人たちグループがこういうのをやりたいってところを率先してフォロワーシップを持って盛り上げるみたいなのはやってるタイプで。
リーダーシップとチームワーク
なので、結果的にそういう少数の熱を持った人たちをフォロワーシップを発揮して応援するみたいなスタンスでやっていたら、気づいたら担ぎ上げられていったわけではないですけど、僕自身もクラス委員みたいなのとかは結構任されるようにはなってったんですけど、代わりに多数決をやめるっていうのとかをやってました。
せっかくクラス委員になったんであれば、もう多数決っていう民主主義をやめて熱を持った人たちで意見をちゃんと出してもらって、それをみんなでフォローしようね、みたいな感じのクラス運営になっていったっていうのは、記憶の中で残ってますね。
なんか社会の熱の層を上げていくみたいな、前おっしゃっていたようなスタートアップ支援的な文脈は当時から終わりだったんですね。
言われてみると確かにそんなところあったかもしれないですね。ちなみに坂井さんって野球部を続けながら、大学も体育会の野球部、慶応堂野球部に入っていると思うんですけど、共同創業者で北口さんもいらっしゃると思うんですけど、バッテリーっていうふうによく2人は話してるんですけど、北口さんとの出会いってどんな感じだったんですか。昔の印象とかも含めてお聞きしたいなと思っていて。
坂井 そうですね。野球部に入って、私は熊本から、大学から慶応に入ったので上京していった形になるんですけれども、共同創業者の北口の場合は高校から慶応技術高校だったので、少し内部組と外部組っていう違いはあったんですけれども、ポジションも近かったっていうことで、やはりコミュニケーションを取る頻度は多かったですし、当時1年生の時に住んでいた寮みたいなところも同じだったので、
そういった意味では比較的最初からコミュニケーションっていうのは発生がしていたって感じですかね。
なるほど。その当時から一緒に将来やりたいとか、そういうのはさすがに話してはいなかったんですか。
坂井 いや、全く思って想像していなかったですね。こういった形でまさか社会人になって一緒に起業するなんてことは想像すらしていませんでした。
なるほど。大学時代も体育会やられていて、そこからどういう流れでスタートアップだったりとか、結構やっぱり慶応の体育会の方って大手の企業に行かれる方も多い、これ勝手な印象ですけど、多い印象があるんですけど、そういった中でスタートアップに興味を持ったきっかけだったりとか、その辺はどういったところにあったんですか。
坂井 そうですね。私自身が一番大きなきっかけとしては、スタートアップベンチャー向けの人材紹介をやっているスローガン株式会社との出会いが一番大きかったかなと思ってまして、そこのセミナーに参加させてもらったときに、当時代表を務めていらっしゃった伊藤さんに対して将来政治家になりたいんですけどどうすればいいですかって話を相談させてもらったときに、
逆に質問をされて、どんな人が政治家になったら世の中変わると思う、良くなると思うっていうふうに聞かれまして、それに対して、例えば孫さんとか柳井さんとかがなってくれたら大きく社会前進すると思いますって言ったら、伊藤さんがやっぱりそうだよね、結局彼らも起業家だからねっていうふうに言われまして、
確かにそういった事業を作っていくとか、ゼロから何か新しいものを作っていくようなことができれば、政治家っていう領域であっても活躍することができるのかなっていうふうに思いましたし、あるいはその伊藤さんからそもそもなんで政治家になりたいんだっけっていう話ですとか、それって手段が目的化してるんじゃないかみたいなフィードバックをいただいて、
たしかにずっと政治家っていうのが一人歩きしていたので、将来的に自分自身何かゼロから立ち上げていくですとか、事業を作って社会に還元していくみたいなことが最終的には自分で腹落ちしたので、今こういった形で起業もそうですし、ファーストキャリアとしてスタートアップを選んだみたいなところもありますね。
インドネシアへの興味
なるほど。そんな中で、なんで日本からスタートするではなくて、あえて東南アジアで起業しようっていうふうに考えていかれたんですか。
そもそもなぜ海外なのかっていうところと、あとはなぜ東南アジア、インドネシアだったのかっていうところで2つ順を追ってご説明できればと思うんですが、そもそも海外っていうところでいきますと、ちっちゃい頃からずっと海外で何かやりたいなみたいなところはありまして、
例えば山崎豊子さんの雲地帯ですとか、あるいは柴良太郎さんの坂の上の雲であったり龍馬が行くみたいなものを読んで、やっぱり何かしら成し遂げていくために日本というところから出て海外で新しいものを生み出していくですとか、みたいな文脈っていうところには非常に敷かれているものがありまして、なので最終的には海外でやっていきたいなっていうところと、
あとは新卒で入社した会社でインドネシアに行かせてもらう機会があって、やはり新興国の熱気ですとか、あるいはインドネシアの方々のポジティブさであったり優しさみたいなところに惹かれて、自分自身将来的にはこういったところで事業をやっていきたいなっていうふうに思ってインドネシアを選びました。
はい、ありがとうございます。確かに。
熱はすごいですよね。
逆に鈴木さんは何でインドネシアに辿り着いたんですか。
私、2011年から前職サイバーエージェントの投資部門でインドネシアに赴任しているので、今年で15年目なんですけど。
すごいっすね。
当時で言うと、正直インドネシアは行ったことがない国だったんですよね。
行ったこともない国に突然赴任することになったんですけど、もちろん自分から希望して赴任をしたんですけど、もともと学生時代にサンボジアとかベトナムの支援をしていて、2004年とかから大学2年生から通ってたんですよね、あっちに。
それで将来的にアジア新興国、どちらかというとNGOとかでインターンさせてもらってたので、
ビジネスビジネスというよりは社会課題に寄り添いたいみたいな思いが結構強めの学生だったんですけど、
その中でNGOの草の根の活動ももちろん重要なので、そこの支援というのも重要だと思って、今も思っているんですけど、
私自身で言うと、より大きく社会の仕組みを変える側に回ったほうが自分の特性に合うんじゃないかみたいなふうに思って、
企業家になって大成功してみたいな。それで資金も得て、ネットワークだったりとかビジネスノウハウとかも経て、またそういった社会課題に還元していくみたいな。
そんな大人になりたいみたいなのがざくっとあって、当時は。
企業するにはいろんな事業を立ち上げられる会社に行って、サイバーエージェント行ってたんですけど、そういうのもあって、
当時、藤田進社長だったりとか、あと当時の僕の上長であって、今副社長で藤田さんと一緒に共同創業されている日高さんが上司だったんで、
私がアジア新興国に興味があるっていうのはずっと知っていたっていうのがあったので、一回退職をほのめかす相談をしに行ったら、
いや、そんなの今やめるぐらいだったら東南アジアでファンド作ったりするみたいだから、投資部門で行けばいいじゃないかみたいな感じでインドネシアに行ったっていうのが聞いてます。
そうなんです。でも、鈴木さんの場合、新興国に関心があったのは、どういった時にヒンセンに触れてみたいな感じだったんですか。
鈴木 まあなんかシンプルに言うと、あんまり興味がもともとはなかったというか、ずっと私もサッカーだったりとか、大学1年生の時ラクロス部だったりってところで、体育会だったんですよね。
小中高とか家族は旅行行ってるけど、僕はサッカーの遠征でサッカーしかやってないみたいな感じだったので、あんまりスポーツ以外のこと見てこなかったっていうのがあって。
とはいえ、ニュースとかそういうのは、あとドキュメンタリーとか見るの好きだったんで、ゴミ山で生活しているフィリピンのドキュメンタリーとか、そういうのは結構見ていて、
こういう世界もあるんだみたいなのをざくっと中高生の時に感じていたっていうのは下地としてはあったんですけど、いざ部活ばっかりやってる自分に疑問を初めて感じたので、ちょっとやめようと思ってやめたのが大学1年生の頭で。
それで、やめてみたものの、結局部活以外やることないっていうか、要は趣味も持ってなかったので、どうしようってなってた時にきっかけがあって、父の知人から紹介を受けて、ベトナムの個人院に2週間くらい滞在させてもらう機会があったんですよね。
そこで、昔テレビとか、あとは世界史の近現代史とかで見ていた、新興国の貧困課題みたいなのとか、そういうのを肌で感じた時に、同じ空の下で同じ人間なのにっていうところと、あとは僕自身すごく恵まれてるなみたいなのに気づいて、そこが気づかされたのはアジア新興国だったので、
気づかされたってことは、アジア新興国の人たちのために何かやったほうがいいなっていうふうに思うようになっていって、今になるみたいなそんな感じです。
そこででも、お相様のつながりでベトナムに行けるっていうのもすごいことですよね。
そうですね。そこはたまたま運が良かったっていうのはあるかなと思うので。運を拾い続けてたら、15年もインドネシアにいることになってしまってるっていうとこが思いがありますけど、いたくているのであれですけど。
すごいな。私たちはまだまだインドネシアに来て4年ぐらいなので、鈴木さんと同じぐらいしっかりと長く張っていけるように頑張っていきたいと思います。
社会課題の解決
ありがとうございます。ちなみに冒頭でグラブゴジェックといったライドシェアの運転手の向けに車を提供するようなサービスをやられているというふうな話があったと思うんですけども、
実際、提供するだけだと普通にファイナンス会社、車のカーレンタルの会社みたいな形になると思うんですけど、その裏側にある会社として目指しているビジョンだったりとか、どういう思いでここのビジネス領域に目をつけたのかみたいなところをちょっとお聞かせいただけますか。
鈴木 そうですね。とはいえ、やはり私たちとしてはより多くの社会課題が解決されるですとか、まじめに頑張っている人が正しく強化されるみたいな社会を作っていきたいなというふうには考えておりまして、
実はですね、このグラブゴジェック、配車アプリのドライバーになりたい人たちっていうのが通常の金融機関さんでは救えないような仕組みになっているというのが事実でして、
例えばなんですが、一般的にドライバーさんになる前のお仕事っていうのが、いわゆるブルーワーカーとして働いていらっしゃるみたいな方々が月々約2万円ぐらいのお給料になってくるんですけれども、
ドライバーさんになってくるとその5倍から6倍とか、時には10倍ぐらいの収入が得られるので、ドライバーさんになりたいってなった時に、そもそものお給料の金額ですとか、
あるいは配車アプリのドライバーさんというのは個人事業主になられますので、通常の金融機関さんがそういった方には提供ができませんという形になっているのが実態だったりしますので、
そういった意味で、通常リスクとして捉えられているお客様ではあるんですけれども、弊社としてはそういった方に対してしっかりと予診、審査を行って、
あるいは将来的に稼いでいくっていうところをベースにですね、車を提供していく、ファイナンスサービスを提供していくという形で今は事業運営をやらせてもらっております。
実際にインドネシアで起業し始めてみて、事業の壁みたいなところとかチャレンジみたいなのはまた後で後編でお伺いできればなと思うんですけど、全体観的にインドネシアで起業してみてどんな感じですか?
本当に毎日エキサイティングでめちゃくちゃ楽しいっていうところが一番大きなところでして、いろんな人にインドネシアの話をするといつも楽しそうだねっていう風に言っていただけるんですけれども、
もちろん日本じゃ得られないような経験ができるっていうこともそうですし、あるいは私たちのサービス提供を通じてですね、お客様の生活が豊かになっている、あるいは本当に変わっていっているっていうこともありますので、
そういった手触り感のある社会課題の解決っていうところは非常に充実しているなっていう風には感じております。
とはいえ日本人として急にインドネシアに飛び込んだわけじゃないですか。
はい、そうなりますね。
アジア新興国でのオペレーション強化
その中で我々の強みだと感じるポイントってどの辺にあるのかなっていうのは、多分今日聞いてくれているリスナーの方って、もしかしたらアジア新興国でビジネスやりたいっていう興味を持たれている方が聞いてくれている可能性もあるので、その辺簡単に最後、前編でお話しいただければなというふうに思います。
そうですね、やはり日本人ならではの徹底的なオペレーションの強化っていうところが強みなのかなっていうふうに思っておりまして、
インドネシアで行きますと、やはりこのラストワンマイルの改善みたいなところが弱いが故にサービス運営っていうのがまもならないみたいなこともありまして、
すごい極端な例でいきますと、やはり時間に対してのアテンションといいますか、それなりの数のメンバーが朝遅刻をしてやってくるみたいなケースがありまして、
で、理由が例えば渋滞がひどかったからとか、あるいは雨が降ってたのねとかっていうのがあるんですけれども、渋滞なんて毎日じゃんみたいな話にもなるんですけれども、
そういった本当に決まり事を守れないとか、そういった約束事がちゃんとできないみたいなところが結構多かったりして、結果としてサービス品質が保てなくて事業運営ができないみたいなことがあるんですけれども、
そういった意味では日本人ならではのこういったきめ細やかさみたいなところを提供しつつ、当たり前に事業運営ができるっていう状態を作っていくっていうことが重要なポイントなのかなっていうふうに思っておりまして、
そういったところは少し現地のメンバーにとっては苦痛な部分もあるかもしれないんですけれども、高い基準値ですとかグローバル基準で今事業運営っていうのをやらせてもらっております。
たしかに僕も感じていく中で、やっぱり日本人の方々が先人の方々が工場も含めて製造業だったりとか商社の方とかがすごくアジア新航空に出られている中で、相対的に日本のブランド、例えばパナソニックさんとか家電メーカーさんとかって現地の家電量販店みたいなとこ行くとだいぶ後ろの方に並べられてしまってるじゃないですか、今は。
けれども、プロダクトへの信頼みたいなのがすごく高い状態。これなぜそのプロダクトは信頼がまだ高いのかっていうと、やっぱり徹底したオペレーションによる高品質なものを作れていたりとか、飲食店も高品質なサービスが提供できているからこその人気っていうのもあるのかなというふうに思っているので、結構日本人の企業家の方が海外にチャレンジするときっていうのはもちろんソフトウェアだったりとかテクノロジーだったりっていう領域で戦うっていうのも重要だと思うんですけど、
オペレーションで勝ち得る領域のビジネスに関して言うと、日本人の方が勝ちやすいのかなというふうに個人的には思ってはいるので、その辺りでぜひ次の回とかでも実際に事業をどう進めているのかみたいな詳細もお話聞かせていただければなと思うんですけども、そういったところで日本人の方々にとってオペレーションで勝つっていうところはまだまだ勝てる領域いっぱいあるなというふうに思っているので、すごく楽しみだなというふうに思っています。
おだしょー というわけで今回はそろそろ締めたいなというふうに思います。お話聞いていただいておれば、坂井さんすごくエネルギーがあふれていて、すごくアジア新興国を楽しみながらチャレンジされているなというふうに思うんですけども、実際笑えないぐらいなチャレンジも結構あったりすると思うので、その辺は後編でBoothテクノロジーの事業の魅力についてさらに詳しく伺っていければなというふうに思います。坂井さんありがとうございました。次回もよろしくお願いします。
はい、ありがとうございました。
この番組ではあなたからの感想や質問をお待ちしております。メッセージフォームのリンクは概要欄に記載しています。SNSではカタカナでハッシュタグジェネシアをつけて投稿してください。配信は各週火曜日の朝7時を予定しています。ぜひ番組をフォローして次回の配信をお待ちください。
それではまた次回お楽しみに。お相手はジェネシアアベンチャーズのタカでした。あいよー。
あいよー。
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