日本を代表する美術作家。のみならず芸術祭のディレクター、アートフェアプロデュースなど縦横無尽に活動する椿昇(京都芸術大学 教授)が、仕事の考え方をたくさんたくさん話します。
“芸大ラジオmymy”は京都芸術大学の開学50th(2027)を記念して始まった、芸術・デザインをひもとくラジオです。
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椿昇
マンデイワークショップ
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酒井洋輔(株式会社CHIMASKI)
池永誠之
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アルトテック
サマリー
このエピソードでは、椿昇先生が女子校でのバスケットボールコーチとしての経験を語り、その経験が京都芸術大学での教育にどのように活かされているかを紹介します。さらに、彼のコーチング哲学や独自の練習方法が学生に与える影響についても言及されます。女子校バスケットボール部顧問時代のコーチング経験を基に、椿昇先生は京都芸術大学でのマンデイプロジェクトの運営やアーティストサミットの実施に関する裏話を共有します。また、彼自身の活動や仕事へのアプローチについても触れ、会議での意思決定を避ける姿勢が印象に残ります。本エピソードでは、京都芸術大学でのマンデイプロジェクトに関する裏話や、女子校バスケットボール部のコーチング時代の経験が語られています。そして、教育課程の大改革によって引き起こされる影響や、その後の変化への対処についても取り上げられます。
椿昇先生の紹介
皆さん、こんにちは。芸大ラジオmymyです。
芸大ラジオmymyは、京都芸術大学の人気先生)先生と、舞台芸術を学ぶ学生の私、谷口七葉がお送りする芸術・デザインのラジオです。
様々な領域で活躍する人たちや先生をお招きしておしゃべりをします。
未だに芸術・デザインは、絵が上手いこととか、あるいは自分とは関係ない遠い物事と感じておられる方が多いと思うのですが、
すごく身近で生活のそばにあるものなので、その辺の誤解も解いていけたらと思います。
改めまして、七葉です。よろしくお願いいたします。
そして、坂井洋介先生です。よろしくお願いします。
本日もこの2人でゲストをお招きしたいと思います。
前回は編集者の新城誠治さんにお越しいただきました。
はい。
新城さんと坂井さんが作った本をお土産として持ってきていただいて。
そうだね。お土産。本当に出たばっかりの紫の本。
はい。
それの宣伝も兼ねてやらせてもらいました。
この本は、京都のローカルな人々に聞いてお勧めの場所が180箇所載った本で。
はい。
めちゃくちゃ良い本でした。
はい。私もすごい読み応えがあって楽しいなと思いました。
はい。どうしたの、七葉ちゃん。
緊張しています。すごく。
緊張している。
はい。緊張しています。
今日すごい洋服がね。
やめてください。
炭治郎みたいな洋服着てるよね。
みんなに言われるんですけど、たぶんラジオなんで服がわかんない。
今日は炭治郎でいきましょうか。
炭治郎。
今日はなんで緊張しているの。
今日は初めての先生ゲストということで。
そうやね。これ今まで芸大ラジオまいまいは卒業生をずっとゲストで呼んでやってきましたけど、
先生も呼ぼうというのは初めから決まっていて、初めての先生で緊張しているの。
はい。
大丈夫ですよ。
はっきり言って、これ俺たち本当はいらない。
先生、アートって何ですかって一言聞くやん。
そしたらそこから16時間話し続けるんだもん。
だから俺たち本当は何も心配しなくていいし、いいんだけどそれやとたぶんリスナーきつくなってくるから、
俺と今日は先生の勝負ですよね。俺たちと。
はい。今日のゲストは椿昇先生です。
どんな人?
2005年に京都芸術大学に来られて。
そんな最近の?
はい。とにかく京都芸術大学の仕組みを変えてきた人なんですよ。
そうかもな、そう言われると。
でも俺にとったらね、なんかそんな大層な人じゃなくてね、元気になる人やな。
なんかこう、そういう人あんまりいなくてさ、大人であったら元気になる大人。
自分もそうありたいなと思うけど、なかなかそういう人いなくて。
でも椿さんに会って、ちょっと会うだけでいいですよ、5分くらい。
毎日5分椿ちゃんに会えたら本当に幸せな人生になる気がするんですけど、
5分会って、椿さんとか言ったら勝手にまた一人で喋りだして、5分くらいで飽きたらもうどっか行くねん。
そういう人なんですけど、俺はすごい憧れでもあるし、ものすごい尊敬してる人なんで、
この1回目の先生に呼べて嬉しいです。呼びますか。
では早速お招きしましょう。椿昇先生です。どうぞよろしくお願いします。
おはようございます。
今日はお招きいただきありがとうございます。
女子校でのコーチング経験
じゃあ、16時間喋ります。
やめてください。
そんなことない。
早速なんですけど、簡単に自己紹介をお願いしてもよろしいですか。
簡単にしてくださいよ。
自己紹介しろってあんまり言われなくないですか。
ない。
ちょっとやってみてください。椿さんの自己紹介はどんなのだろう。
自己紹介は一応ね、京大病院で生まれてるんです。
もう長すぎるやろ、その話。
京都生まれやんか。
京都生まれ。
だから京都生まれです。1953年ですから、ミッドセンチュリーに生まれてます。
生まれた年にワトソンとクリックがDNAの二次裏線構造を見つけました。
だから僕は今から科学の歴史について語ります。
うっそ。やめとくわ。
やめてください。
そんな感じで、いろんなことありながら、京都市立芸術大学に行って、
基本的には法学部に行こうと思ってて、バレーボールしてて、体壊して、
ブラブラしてたら美術部に誘われて、美術部のスケッチ旅行行ったら、
なんか先輩がすごくて、影響を受けて美術部入って、
美術部入ったら成績も落ちていって、先生がですね、
どうすんねんお前って言うから国立しか行かれへんし、
中国ずっと中国からこういうことしてるからどっか行けるとこないかって言ったら、
京都市立芸術大学が英語の拝点が公立の中で唯一11分の1やった。
ここや!みたいな。
一応デッサンは昔からできたし、とりあえず受けたら受かったんですよ。
千尋さんの自己紹介ってこういうのなんや。
普通こんなのしないよな、自己紹介。
今何してるかみたいな話するよね。
車で2、3時間ちょうだい。
嘘。
やめてそれほんとに。
ほんとにやめろ。
で、ワープするけど、京都市立芸術大学入って、
西洋画、その時西洋画って言ったんですよ。
そこ入って、そこから他の同世代というかちょっと上の世代はみんな短大の非常勤とかになったんだけど、
僕の場合はそんなしょぼい金では生きていけないんで、
実家が太くないからね。
実家がごく細いからね。
就職しかないよなと思って、神戸の女子校に当たりくじ引きました。
他にも教室空いていたんやけど、
単に男で体育会系のクラブの顧問ができるだろうということで選ばれて、
それで24年間いた。
女子校にね。
女子校でバスケットボールの顧問とかクラス担任とか全部やってた。
全部やりながら作品作ってた。
全部やりながらガキが生まれて、2人も生まれて、やばいお風呂に入れて、
それから0か7度ぐらいの外のなやへ行って作品作って朝まで、
それから学校行ってバイクで。
1時間目の授業したらまたバイクで帰ってきて作品作って、
6時間目の授業飛んで行く。
だからほとんどスリリングな制作をずっとしてて、
その間にバイクでこけてるし。
大学卒業、大学院まで行ったんですか、椿さん。
行った。
院を卒業したら24歳ぐらい、そっから大阪の。
20年間。
20年間。
神戸の女子校。
そしたら、今の僕ぐらいまで、もうちょっと上かもしれないけど、
女子校で先生してたんですね。
女子校も先生してて。
ほんでクラス3人も全部してるし。
バスケ部でね、全国大会まで。
全国大会まで行く前に県大会で潰れたけど、それでも3人のクラブを60人までしたから。
だから何でもミッション与えられたら俺はガチで集中するから。
で、MAXまで行くんやけど、これ以上優勝したかったらお前らもう過酷な練習せなあかん。
俺は嫌やって言って。
お前らも膝つぶしてまでやりたくないやろ。
おばちゃんになってバスケットできへんぞって言ったら、みんな勉強もしたし大学も行きたいやろって言ったら。
って言って、学生たちが自分で考えて土日の練習しないことにした。
で俺ら土日サブにつく。
お互いにうまく話し合って。
バスケもコーチングは僕はコーチングを教えるから、ベンチフォーマーの子らは全員僕の横でコーチを順番にすんねん。
だからなんてか言ったらバスケットを覚えてほしいんで、勝ちたいわけじゃないわ。
その頃から徹底してて、システムが面白いから、それをみんなで共有したら、その子らがおばちゃんになっても自分らで集まってバスケット好きになるから。
ほとんどバスケット嫌いになるんだよな。
確かにあるいはバスケじゃないところでその仕組みって使えそうですよね。
いろんなところでやってるのみんなそのときの仕組み使ってる。
バスケで練習を組み立てるわけやん。
ハーフコートに64年で中古混ざってんねん。
それ練習さすの。週に3回。
それで勝つねん。
だから極限ぐらい、要するに判で背負った状態で、工夫しまくって練習作って、それをスムーズに全部流しながら試合勝っていく。
で、その椿ちゃんが考えたことを工夫を隣で見てる学生、高校生がいて、その子も人生のいろんな局面で、
これバスケで優等とか椿ちゃんのやり方やったらこうするかなとかっていうことを思いそうやなと思った。
だからみんなに、僕はみんながコーチできるようにするのが一番いいと思う。
だって面白いもん。俺だけ面白いのを味わってさ、学生コマやったらそれってひどいやん。
だからみんなが、特にベンチフォーマーの頃はエースじゃなくて、試合出れへん頃にそのコーチングを覚えさせたから。
ならバスケの面白さより分かってくれるやん。
だからその時の経験が多分ここでいろんなもの作る時も全部生きてんねん。
教育への影響
ここでっていうのはうちの大学で。
うちの大学でマンデー作ったりとかいろんなとこにやっぱりすごい生きてる。バスケのコーチングがめっちゃ生きてる。
それを習ったのは本やからな、アメリカの。
日本の誰かに習ったんじゃなくて、アメリカのNBAの本を取り寄せて、カートランバスが年に1回ぐらい、
ロサンゼルスレイカースのランバスが鬼塚タイガーの招きで、コーヒーの体育館で俺らを教えてくれるようになった。
そういうのとかほとんどインチキやからな。
ほとんどインチキ?
ほとんど日本の指導者はインチキやから。
ああ、そういうことか。
根性やね。
根性。
ゲーとか、ツッコメーとか。
面白くないね、それ。
何時対戦か、芝生市の。最低な奴がいっぱいいたわけ。
これもバスケ部でした。芝生られましたよ、たくさん。
だから頭でやるもんやからな。
だからそれがすごいおもんないから、本を取り寄せて読んで、自分で数学の先生が先輩にいたから、
その先生と独自の作戦とか考えたり、システム。
で、バスケ面白いのは常に動いてる。だから止まって考えること許されへん。
確かに。
だから動きながら動的なところで直感的にどんどん配置と全部変えていって、単位時間内に成果を出す。
だからやっぱバスケットのコーチング、独学でやったのが一番大きかった。
これバスケの話で終わっちゃうから、このまま行くとな。
だって今からまだまだバスケの話できるから。
そうですね。
奈良ちゃん。だから止めて、もうとっとと行こう。大学のこと聞きたいんやんな。
はい。つばき先生が2005年に京都芸術大学に来たときに。
その前から来てるで、つばきちゃんは。
来てるもん。
非常勤。
洋介が3回戦のとき。あれなんねえや。
3年ですかね。いや違う。1年のときから1回は来てます。
1回は来てる。週1、違う月1くらい、違う年1。
年1で来てた。
今みたいにもうちょっと大学は緩いからさ、事務担当の人がね、
研究室とかでつばき先生かっこいいとか言ってるね。
それで俺は学生として、そこに研究室にいたときにそういう話してて、
何?つばき先生かっこいいってどういうことやねんみたいな。
椿昇の教育と影響
で、つばき先生が来て授業をするやん。
そしたらさ、ぐわーっと引き込まれるんよ。
俺も。俺でさえよ。引き込まれて、なんかこの人他と全然違うぞと。
なんか生な感じがするよね。先生って大学の中にずっといる先生と全然違うから。
つばきさん覚えてるか知らんけど、なんか廃墟に行った映像をずっと見せられて。
覚えてる。
覚えてる?で、この廃墟、ええやろとか言うわけよ。
俺はそれよくわからんねん。何がいいんやろみたいな。別にかっこいいけどそんなんまあいいわみたいな。
で、この廃墟がどこにあるか探してこいとか言って。
そういうやつがかついんやとかわからんって言って去って行ったよ。
さすがに俺はそんなの探しに行かんよ。
でも中にはそれを探しに行った俺の同級生ちゃんいるんよ。
それが今はシャネルのデザイナーとか、確かりょうたも言ってたから今情報デザイン学科の先生してる八木先生っていうのもその影響下にあってですね。
探しに行ってよくわかったなと思うけど見つけて。
だってGoogle Earthもなんもない。
マンデイプロジェクトの設立
そうでしょ。
マップもない。普通の紙の地図だ。
でもインターネットはあったから。
一応あったから。
インターネットはあったから、それで探してきて。
俺たち探してきたで。
だからなんやねん。
俺は思ったけどそれぐらいインパクトが魅力的ではあったよな。
でかっこいいとか言われてるやん。
おじさんやででももう椿さんはその時は。
十五年な。
そういう先生としていたけど正式にですねたぶん。
うちの大学に入ったのが2005年なんやね。
でそれは工腕の学科長でした?
いやだからこんなこと言っていいんかな。
大乃木さんに宮島もちょうどさアーティストサミットやるって言ってここの大学。
宮島っていうのは宮島達夫さんですかね。
達夫大先生。
数字がつくってくってるねっていうアーティスト。
世界的なアーティストやけど。
僕らは前から若い時から友達やったから。
で宮島君がアーティストサミットやるって言って会場の構成とかするのにお前がいいヒントできへんから来てくれって言われて。
でその時手塚山学院バッタで高校はクビになったから。
その後手塚山学院が救ってくれて手塚山学院の情報デザイナー先生してたんや。
そうなんや。
でそれでなんかこいこい言われて。
で理事長に会え言われたのかな。
で理事長とおってなんかいろんなプレゼンして。
で理事長がお前は神犬やなって言われたんですよ。
噛みますよって俺言うて。
そんなおもろいやつがかっこいいってことになって。
で聞いていくで。
いやそんな学科長とか全然知らんやん。
先生ってもう全然想定外やから。
一応手塚山みたいな大学の先生でペーってペペペペペペペってこうギッて帰ったらいいんやと思ってたら。
なんか尾上さんに呼ばれて。
お前な申し訳ないけどうちは給料が安いから学科長のオプション付けへんと。
それでも手塚の給料だいぶ安いから行ってくれるか言われて。
であの学科長の上乗せがなかったら俺は来れへんから。
学科長になるとフィーがつく。
ちょっとアップするんやから。
それでもうマジかと思ったけど手塚山がやっぱりある意味すごい楽園というかさ。
全然仕事せんでいいのか。
でなんか微妙にそれもなぁみたいな思ってたし。
で宮島もやるし世界アーティストさんとやりがいあるし。
で工程で若ちゃん。
で何や全部やらなあかんっていうことを。
学科長もお前の好きなようにしろ。
お前がその代わりに全部しろって言われて。
でもまぁ僕の性格には向いてたんや。
会議して何か決めるとか俺無理な人やから。
なんかこうやっぱり自分の設計図っていうかエクセルってソフト作るみたいな全部設計図書いて
ウェブも全部自分で考えて構想全部作り上げてそれをみんな他の先生にこうなんでいきたいけどみたいな。
山本義先生がもうやったりゃいいやったりゃいいって見もせんと言うだけやから。
それがいいとこです。
ほんでどんどんどんどんやり始めたって。
椿先生が京都芸術大学に来てからのちょっとざっくりとした年表を言うとなんですけど。
2007年にマンデープロジェクトをスタートさせた。
2008年にウルトラファクトリーを開設。
ウルトラ作る時も椿さん共通工房ですね。学科を超えた共通工房作るのも椿さんが勘でたな。
2010年に美術工芸学科の学科長に就任。
アーティストサミットとワークショップの実施
2010年度学科長就任以降に卒業制作展をアートフェアにした。
作品を売るようにした。
もうパッと見の功績が強すぎるというか。
そんなことない。
椿ちゃん遊んでるだけやから。
頼んでる人がいる。
俺を読んで、俺ジニーやからな。
わかる?
ランプの魔人やからさ。
擦られてボーンて出てくるわけや。
どうしたらいいんですか?って言うだけやから。
こうしろってやると、はーいってやるだけやから。
自分からやりたいって言ったこと一回もない。
そうかもね。
絶対やりたくないから。
言われたらやる。
ミッションが来たらその代わりマックス考える。
ありとあらゆる。
多分本当やねこれは。
全知全能で考える。
じゃあ一個一個いく?
ちなみに空間演出デザイン学科の学科長になって
俺は椿ちゃんに会いました。
椿さんともう一人先生に呼ばれて行って
椿さんは俺たちが作った小さい本を見て
この本作ったのは誰やと先生に聞いて
その先生が俺たちだと言って
呼ばれて行ったら先生やらへんですよ。
俺卒業して1年後です。
先生この授業やってくれんみたいな感じで
俺非常勤になったんです。
てかその前に3回生くらいの時に
なんかすごい展覧会やったよなお前ら。
プラネタリウムですかね。
紙めちゃくちゃすごいボリューム付いて。
バックミンスタフラーの構造を使って。
だから彼らが3回生の時にグループショーやるから
見てくれって言われて
それ見てこいつらすごいなと思って
3回生やろうと思って。
本でめっちゃ生意気なやつですよ。
はぁんとか言う感じで。
先生の言うことは絶対聞かへんの分かって。
そういうやつしか俺は信用できへん。
でおもろいなと思った時にそういうことがあって
彼にお願いできるようなチャンスが来たわけ。
でこうやって動き始めてるけど
その時にハイエイトの
これぐらいのちっちゃいビデオカセット
何本か俺にくれたら知ってる?
映像。
今でも大事に持ってる。
あぁありがとうございます。
だからもう先段は双葉よりかんばして
なんか昭和なことわざ使って申し訳ないけど
やっぱり分かんねえ。
分かるやつは分かんねえ。ちっちゃくても。
それは幼稚園のガキでも多分分かるわ。
こいつちょっと一角のやつやなみたいなの分かる。
何やろう。出してるオーラがちゃう。
だからおっと思って。こいつや。
しびれますね。この話。
しびれるかな。
いやしびれます。
こいつやと思って。
そうそう。で空大の学科長をやりながら
マンデーを作ったんですね。
だからなんかほぼ2人
で学生を全部集めてもらって
やっぱりちょっと年離れてたら
学生のこと僕ら分からへん。
だからめっちゃ近いやん。お兄ちゃんやから。
だからやっぱり学生の生のこともよく知ってるから
学生を選び抜いてもらって
マンデー作るためのスーパーチーム
シミュレーションとか全部やって
でカタログも作って
カタログっていうか教科書も作ってもらって
同時にスタートから
マンデーのシナリオなんか誰も手伝ってくれへんから
俺一人で80本ぐらい書いてる。
で後からパラパラ集まったけど
それを編集してどれをやるかみたいな
もうほぼ2人3業。
だからほんとごく少人数でやって
池上先生、池ちゃんっていう
池永先生ね。
が根太のほう。
実際に現場を動かす
池ちゃんこれからのお客さんもできるかな
いけるんちゃいますか。やろうみたいな
そういう大体3人やな。
そうですね。
ほぼ全部3人で動かしてんの。
で蓋開けたら全部動くようなところまで
コンプリートまで持っていって
なんかクエスチョニアっていうか
後事業の後のアンケートとかさ
ダメなファシリテーターができたときの
そのバックアップシステムとかも全部考えて
で1回目からランしたい。
だけどほんとに
俺ほんとよくわかってなくて
2,2,3客って言ってるけど
椿ちゃんなんですよね作ったのは。
で電話かかってきて
1回ワークショップして
デモでしてくれへんみたいな。
デモ。
っていうのは多分ワークショップって言葉が
今ではある程度世の中で定着してるけど
そのときあんまりなかったんよね。
で俺でさえワークショップしてくれへんって言われて
何ですかそれっていう感じやった。
っていうことは学校の中の人たち
でワークショップで授業作るんだって言われても
はてなはてなはてななんですよ。
でなのでなんか空手の学生が
多分30人ぐらいいて
僕が授業してその後ろに授業参観みたいに
大人がずらーっと並んでるっていう
恐怖の授業があったんよね。
でそれのワークショップで何ですかって
いや授業するだけやでみたいな。
わかりましたじゃあ行きますみたいな感じで
行ったらそのずらーっと大人がいて
東北芸工の事務局の偉い人もいたね。
井原さんとか。
井原さんはこっちやったかな。
名前が覚えてないけど
すごいいい感じのいい人やったな。
でそこで授業して
でなんか大人たちは
これがワークショップっていうんか
っていう多分感じの回とか。
それが全部さ
その時の横内さんとか
福岡くんちゃう?
そうですね福岡くん先生と
野本さんとか大乃木さんとか
その辺の人らがちょっと喋ってたら
お前やれみたいな。
カリフォルニア行ってる時とか
みんなそうやってやるやんか
だから僕若い頃
そういうとこでいろんなワークショップしたりとか
アーティストって言ったら
必ずワークショップすんだよな。
で日本ではなかった。
でそんなんが習慣としてあったから
スタンフォード大学なんかもそうだし
いや俺やったらいいんちゃうと
僕は思ってたから
いやできますよみたいなことで
安受けはしてほいほいみたいな。
ほらやれみんな叩き台作るわって
京都芸術大学の仕組み
一人で集中して叩き台作るじゃん
でそれでデモしてみたいな感じになって
でもその時に
これも事故やから言うけどさ
もっと大きなミッションがあって
俺が犠牲者になるというか
俺が張り付けになる
何なんですか?
教養課程全部潰すんやから
今の芸教みたいな教養課程の科目を
全部
全部回収して
全部ワークショップに変えていくから
教養課程の先生仕事なくなるわ
もうめっちゃ
よくそんなこと大リストだな
確かに月曜日全部なくなるもんね
だからよくそんなことできましたねって
あとその成功した後
いろんな大学に呼ばれて講演があって
一番脅威なのは
それができた既得権益のある世界が山のようにあるのに
それザーってなくして
ポーンっていきなり新しいもん入れるってことが
よくできましたねって大学っていう組織で
いろんなとこで言われる
そんなことやった気全然ないね
楽しいことやっただけなのに
そんな怖いことやってたんやと後で気づいた
だから
その時のうちの事務局長の井原さんと
一般教養の先生に説明に行ったら
もうみんなにバリゾーゴンでさ
サモン会みたいになってさ
なんでお前はみたいな
言われて
井原さんは先生あれよくどうもなかったですね
何が?みたいな
だってビューティフルに決まってんのにいいやん
だからみんな幸せなんや
俺の中ではハッピーなイメージしかないわけ
でもみんなはネガティブなイメージ
それはしょうがない誰も知らんやん
誰も知らんことをやってんやんから
UFO乗ってめっちゃ運転楽やでって
その人らに言ってるやん
そんなんマジ怖いやん
光にチューって吸い取られてさ
そんなんみんな絶対嫌って言うやん
だけどそんなんやってたらとか
そういうことすら考えてなかったやん
楽しかったやん
なんで七葉ちゃん感動してるわけやん
ほら椿ちゃんやっぱ元気になるやろ
椿ちゃんの話
元気っていうか
普通なんか楽しいことだけやってたり
みんな幸せになるの分かってんやん
やるしかない
ほんでみんな幸せになる
どうか分からんけど
でも椿ちゃんってそれ作ってさ
ほんで3,4年したらもう
女任せたとか言ってどっか行くねん
これが分かんねん俺にとってはね
次のミッションがあるからね
次の楽園があるから
ここが荒廃してるから直してくださいとか
いろんなこと言われる
次そっち
それで椿ちゃんそっちに行くとさ
今作ったやつが荒廃していくわけやん
そう?
そうやん
仕組みやバグがあるからね
人で成り立ってるから
結局人なんですよ
その人がやっぱりね
良くないとかは言えないけど
椿ちゃんじゃなくなることによって
変わることってすごい多いよね
これほんま難しいと思う
バスケのコーチやってる時に
横でヨシボンってやつがいてさ
めっちゃいいやつでさ
俺のコーチング全部横で教えたのに
繋いだ途端に一部リーグから
あっという間に転落していって
勝てない理由が分からんよ俺は
同じ選手やねん
全然反省してないやん椿ちゃん
女子高の時のそれが
全ていいってこと言うと
そういうのは無理やん
次の仕事訓練も
それは難しい
難しいなと思うけど
やっぱり人はすごい大事で
今アルトテックとか作ってさ
アーティストをいっぱい育っていってるけど
やっぱすごい
実はすごい秘密があって
僕は何かするわけじゃない
僕ってな
もう学生たちに
陽介と同じこと言われんねん
何?
俺学生と一緒にされるの嫌だけどな
やっぱいいっていけると思ったのに
先生いいようになったとか
ほったらかされてるって言うわけや
だからバカヤロー
俺はサバンナの泥水なんだよって
分かる?サバンナの泥水って
どういうことか
泥水捨てるってことですか?
サバンナの
俺が泥水だ
だからサバンナ行ったら
ほらイボイノシシとかいっぱいいるやん
ライオンとかもいっぱいいるやん
で、なんかうっかりさ
島山とかが水ガゴガゴって
美味しそうに飲んでたら
後ろからライオンがガボッと来たりするやん
だから俺は単に水溜りやから
島山が死んでも
霊王が死んでも
俺は関係ない
で、ライオンが食ったら
あ、ストールみたいな
だけどその水溜りなかったら
みんな死ぬやろ
だって誰も生きていけへんやん
だからそこで起こるいろんな出来事は
俺は関与しないけど
でも俺はいろんなとこで
水溜りを作りたい
かっこいい
でもそれはな
綺麗な湧水やないね
泥水やね
なんかもうよく分からんけど
終わろう
一回終わろう
もう30分なってるから
そっか、長いなごめん
たくさんお伺いしたのですが
そろそろエンディングのお時間になりました
もうちょっと
結局何も聞けんかったな
マンデーの話の途中で終わっちゃったもん
コーチングの教訓
次回
そのやっぱ
多分絶対聞いとかなきゃいけないのは
うちの大学の学生の作品を
卒典を売れるようにしたっていうのは
やっぱり僕も素晴らしい取り組みやったなと思うから
はい
その後聞こう
はい
山崎昇先生ありがとうございました
ではまた次回
ありがとうございました
お楽しみに
番組が面白かったという方は
SpotifyやApple Podcastなど
お聞きのアプリでのフォロー、高評価をお願いします
29:13
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