2011年から今年までずっと金沢21世紀美術館っていう金沢にある現代美術館で、丸い美術館ですね。
七葉ちゃん行ったことある?
ありません。
行きなさい。
別に行かんでもいいんやけど、なんとなくでも分かるよね。
すごく有名な人気の美術館ですけど、あそこで中学生に向けたワークショップをやっています。
これは夏に大体あって、年に4回か5回くらい金沢市内の中学生美術部が多いんですけど、美術部じゃない時もあります。
美術部じゃない方が面白いです。
それが30人くらい来て、そこでワークショップをするシリーズをやっていて、
今年のテーマはニットとノット。
去年は生子と大豆。
一昨年はうんちとビール。
その前は魔法のほにゃららっていうので、何があったかもう忘れたな。
魔法の引き出し、魔法の初動転とかっていって、そのテーマを決めて。
これマジで適当に決めてるんですけど、
そうなんですか。
本当に適当に決めています。
適当じゃないんだけど、僕と椿さんが交わす会話は二言三言ですね。
その中、厚く議論して交渉とかっていうのはないんですよね。
全くない。
今年はニットとノット。
これもLINEのやり取りで、ニットA案、ノットA案、終わり。
そんな感じで決めているんですけど、
でもたぶん2人の中にはいろいろな理由があります。
3時間か4時間か5時間くらいのワークショップをやっていくんですね。
それの始まりの話。
僕は京都のクラブメトロっていうところに深夜いました。
たぶん11時か12時くらいに。
メトロは地下鉄のところにあるんで、地下なんで電波がないはずやのに椿ちゃんから電話がかかってきた。
ほんと。
で、え、なんで電波あるんやろと思って出たら、あ、陽介か。
遅くに悪いなみたいな。
でも音がガンガン鳴ってるからあんま何言ってるかわからないけど、
金沢でワークショップやるから一緒にやらんか。
で、あ、俺金沢出身なんで、あ、はい。
つって始まりました。
で、いろんなことがありましたけど、今年まで続いている。
で、この、僕今実はワークショップの論文を書いていて、
で、ちょっとワークショップについても、リスナーの皆さんもたぶんワークショップって何かあんま分かってないと思うんで、
この機会にちょっと椿ちゃんに聞いていきたいと思うんですね。
ワークショップっていう言葉自体はすっごい昔から実はありまして、
1946年にワークショップの元って言われるようなことが実は行われています。
これは人種差別をなくすために働くソーシャルワーカーのワークショップっていうのがありました。
アメリカのことですね。
で、その後基本菜の葉ちゃんがやっているような舞台とか演劇の方でワークショップっていうのがわーわーって出てきたんですけど、
それらをいろいろまとめた人が日本人では中野民夫さんっていう人がいて、
で、この人が一応研究した結果、ワークショップの要点っていうか定義みたいなものを言葉にしてくれてるんですよ。
で、これ俺すっごい賛成なんですけど、5個ぐらいあって、
ワークショップに先生はいないっていうのがまず来るんです。
さあ菜の葉ちゃん、マンデーのワークショップ、うちの大学でやっている。
ワークショップに先生はいましたか?
ファシリテーターとして大人はいました。
先生とは違う感じだった?やっぱり。
先生と呼ばないでくださいって言われました。
じゃあまあまあよかったんじゃない?そのファシリテーター。
はい、次いきます。2番目。
参加者はお客さんでいることはできない。
いきます。
で、3つ目。始めから決まった答えなどない。
4番目は頭が動き、体も動く。
最後、交流と笑いがある。
っていうのが一応その方が定義付けされたワークショップなんですね。
俺はすっごい賛成なんですけど、でも例えばリスナーの皆さんがワークショップって言われて思い浮かべるときに、
先生いそうじゃない?
例えば、巷で行われているワークショップって、お店で何か作ってみようみたいなワークショップすごい多いと思うんですけど、
それって先生バリバリいて、お客さんはお客さんで、そしてみんな同じものが生まれてくる。
いうようなことが多分今たくさん行われていると思います。
で、そんなことがあるんですけど、
僕と椿さんがやってるワークショップって、別にこの定義全く共有されてないんですね。
俺と椿さんの中では。
ある日俺と椿さんにワークショップって何か教えてもらった記憶はありません。
で、そのカナザ21世紀美術館のワークショップには最後、僕らアンケートしてます。
中学生に。
それはいつも俺が手書きでアンケート作って配布してます。
そっちの方がなんか優しいし、答える気になるかなと。
で、答えてほしいから。
その中にワークショップって何ですかっていう質問項目が一つ。
4つの質問なんですけど、いつもあって。
で、いきますね、答え。
一人一人の個性を出すためだけにあるんだと思います。
とか、問題には答えがないということを知るため。
人と人が教え合うところ。
とかっていう感じですごいワークショップ、さっきの定義と照らし合わせてすごくそうなんだけどっていうような。
僕らはもちろん中学生にワークショップっていうのはこういうことだよみたいな話はしてないんです。
そして、まだあります。道を切り開いてくれるところ、温かいところ。
役に立たないって思ってたのに、家に帰ったらすごい恋しくなるとかっていう答え。
みんな結構答えてくれてるんですね。
僕らは、でもさっき言ったように打ち合わせしてないんですよ。
全然してなくて、とりあえず行ってやってるだけなのにも関わらず、結構ワークショップらしい。
定義づけに沿ったワークショップができているんですね、結果として。
これ結構不思議やと。
論文には何でこうなってるか書かなきゃいけないし、
椿ちゃん、何でこうなってるんかなっていうのをちょっと今日聞きたかったんですよ。
どう思いますか?
それは神の声が。
全然だめ。そんな答え論文に書けない。
そう。神託。
簡単に言っちゃうと、今言われたと同じで、
要するにね、唐突に何かが、予期しないことが起こることがワークショップの一番醍醐味なの。
想定内で終わってしまうと、それは失敗なわけ。
だから一番良くないのは文部科学省指導要領とかあるじゃない。
こうやってこうやって何分でここまで行ってこう。
最悪人間の可能性を閉ざす。
もう最悪の方法ない。フェンタニルみたいな。
みんなゾンビになる。
だから文部科学省の指導要領に従って何かやると全員がゾンビ化される。
個人の意思も自由も何もかも剥がされるわけ。
当事者になれへんよ。
ワークショップっていうのは全員が当事者になる。
全員がワシリテーターになる。
全員が自分の頭で考えなあかんようになる。
そういうサバンナの泥水のような状態に追い込むのが俺らの仕事。
昨日というか23日やって帰ってきたばっかり。
俺も死にそうやったけどさ。
美術館一周、野党の神社の祠解体した材木で全部囲むんやって言ったんはいいけどさ。
あの暑いしさ。
もう中学生たちな。すぐに飽きんねん。
何個か並べた。並べただけでももう終わったと思って。
結ぶのしんどいやん、せっかくやん。
すぐもう部屋のエアコンきいた部屋入ってきてさ
みんな休んでんねん。働きありが全員休むねん。
もう今どうしようっていう時に
俺はよしそうなったら俺が一人で全部結ぶぞと思って
もくもくと結んでったらパラッパラッパラッとまた出てきて。
でなんとなく最後みんな繋いで。
みんな繋いで拍手やってたらみんなめっちゃ拍手したわけ。
あれは俺は意地でも絶対完成させないと
こいつらが一生浮かばれないと思ったわけ。
だからどっかで一回やり遂げたぞっていう記憶を
ちっちゃい時でもどこでも持ってれば
また次の困難が現れた時にそれをリカバーできんねん。
だからやり遂げた体験をちゃんと与えなあかんし
そのやり遂げるっていうのは簡単にできたらあかんわけよ。
もう無理かなと思って絶望したのに
なんかできたらよかったな、あれなんでできたのかわからないぐらいの
ギリまで追い込まなあかんけど
ギリまで追い込むのに走りテーターの根性が必要なわけや
やばいなと思いながらギリギリまで行くっていうな。
で全部繋いでそこから大事なのが
ドローンで全部撮影する。
そこにテクノロジー絶対必要。
なんかダサくない?かっこいいわけやドローンで上からな。
かっこいいみたいなものとめっちゃ泥臭い汗まみれになって
キーを何回もノトのキーを繋いでいってさ
ノトがうるっとあの美術館を囲むみたいな
ワークインプログレスみたいなことを入れながら
やっぱ最後ワーイって言って終わって
もういい夏休み最後宿題頑張ろうぜっていうのがハッピネス。
やっぱり僕はやっぱり何やってもいいしめちゃめちゃになってもいいけど
最後笑いで終わりたい。笑いとかハッピネスで。
あーみたいなやっぱダメかみたいなのもいいけど
だからなんかそのみんなで拍手を失敗だと言って拍手をみたいなのもいいし
やっぱそういうのが僕はファシリテーションだと思うからさ
そういうのがうまく毎回機能してるのかなっていう気がするね。
だから彼らにしたら何もできなかったみたいなことって
多分学校の授業ではありえないじゃないですかね。
なんかその指導要項がある限り何もできなくて
汗だけかいて終わりましたみたいなことは多分経験してないよね今の子たちは。
でもこの大人たちはそれでいいって言ってる意味不明だみたいなのが
いい経験なんかなと思いますね。
でカタログもちゃんと作ろうと。