自己肯定感についての対話
こんにちは、芸大ラジオmymyです。アシスタントの谷口菜の葉と、
はい、坂井洋介です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。今回も前回に引き続き、あまから手帖の編集者足立琴音さんと、編集者・ライターの谷川茜さんをお招きしております。
前回のエンディングで、自己肯定感という言葉のお話を始めたんですが、今回はそこからスタートします。
お二人は自己肯定感どうですか?
私は低いです。低い、底辺です。
底辺ってどういうこと?もうちょっと具体的にどう底辺か言って足立さん。
自分のやってることが常に間違ってるんじゃないかっていう意識で生きてます。
自分の発言が大丈夫だったかということについて永遠に考えてます。
わかります。
よく来たね、ここに。
よく生きてますよね。
よく生きてるし、よくラジオに出ようと思ったね。
そうですよね。なんでここで喋ってるのかちょっとよく分かってないですし、喋ってるそばから頭の中で、さっきの発言ちょっと良くなかったんじゃないかなって思ってます。
リスナーの皆さん聞いてください。さっきも休憩の時にあれはカットしろ、これはカットだとかなんとかって、この二人が言い出してね、それを僕が必死に止めるっていう。
それをカットされるとほとんど内容がなくなるみたいなことがあったりました。
だから自分のこと。
あんまり好きじゃないですね。
そういうことだよね、自己肯定感が低いっていうのは。
そういうことですよね。
ずっとそうなん?
そうですね、ずっとです。
小学校の時から?
高校ぐらいですかね、周りとの関係が出てきてきたりとか、小学生の時は無邪気だったと思いますけど、
やっぱり人間関係ができてきた時に、自分って能力がないなとか、あの人すごいなとか、妬み始めてるかすると、どんどん自分のことは好きじゃなくなっていきますよね。
そうだな、たぶん、そりゃそうなんかもしれない。
それを割と引きずったまま大人になり、ちょっとその自己肯定感の低さとどう付き合うかは私の課題です。ずっと悩んでます。
そうなんよ。
表現と言葉の意味
そうです。
自分なんて言葉が出てきたのは最近やん。
そうですね。
その言葉ができる前まではそんなことは気にしてなかった?それともその前からやっぱりなんか、自分なんてみたいな気持ちがあったってこと?
そうですね、自分なんてっていう気持ちに自己肯定感って言葉が最近ついたっていう感じですね。
常に自信はないです。
そうか、頑張って。
頑張ります。
ありがとうございます。
頑張って生きていきます。
めちゃ適当。
何回も言ってるけど、これ本当にどうでもいいんだもん、俺にとって。
沼庭さんも。
はい。
私は申し訳ないんですが、自己肯定感高いんですよ。
そうだね。
あんまり思ったことがなくて、思ったことがないというより、小学生の時はすごく低くて、私早生まれで、子供の時って体の個体差大きいじゃないですか。
やっぱり4月5月に生まれた子に足の速さでどう考えても勝てないし、背の重もずっと前の方だし、視力も悪かったから一番前の時に座らされてて、
人と劣ってる自分みたいなのを結構ちっちゃい段階で感じてたんですよ。
だからすごい小学生時代は暗くて思い出したくないんですけど、逆に中学高校とかになるとそういうところが開放されてきて、
足速いって言うだけで別になんてないじゃんみたいな風に。
なんてないじゃん。
なんてないっていうか、あるじゃないですか。
とか、芸大とかってそうだと思うんですけど、いわゆるいい点数取るとか、分かりやすい数字の功績を残せる人が偉いのかっていう世界じゃないから、
そういうところに来れて、別にそこと戦わなくていいじゃんみたいな風になったから、今低くないっていうか、
もちろん自分の発言反省したりとか、まずかったなみたいなのは日々あるんですけど、
それによって自分自身が揺るがされるみたいなことはあんまりないんです。
今まで1人目のゲストの方は低かったですって言ってて、2人目のゲストの方は高いですって言ってて、
3人目のゲストの方は低くていいですって、いろんな意見がやっぱりありますね。
面白いですね。
どうだっていいというか。
これ結果。
結果ね。
そうですね。
低かろうが高かろうが、仕事ちゃんとしてるやん、みんな。
素晴らしい仕事をみんなしてるやんっていうこと。
気にすんなよってことですね。
それが聞いてる人に伝えたい。
2人は3人やけど本当はね、ペチャペチャペチャペチャと永遠に喋ってるわけじゃないですか、一緒にいるときは。
そのときはあだちさんが落ち込む側で、なにわさんが大丈夫だよ、そんなこと気にしなくてみたいなことをやりとりしてるの?
そういうわけでもないですね。
私は自己肯定が低いですけど、この3人でいるときはすごく心が穏やかなんですよ。
3人でいると高い?
高くなれるんですよ。
3人で喋ってるときの自分はめっちゃ好きです。
すごいね。
何も気にせず喋ってますよ。
比較しなくていいんじゃない?隣にいる人と話してて、自分はこの人に比べてこういうことできてないけどみたいなことを比較せずに話せるから楽なんじゃないですか。
頭ではわかってるんですよ。
坂井さんとかがおっしゃってることって気にしなくていいんですよ。
もうそれしかないですよ、結論は。
気にしなくていいっていうのにすごい努力がいるんですよ。気にしないようにしよう、気にしないようにしよう、それがダメですよねっていう話なんですけど、
何とか訓練してそっち代わり持っていけないかっていうのがずっと悩みです。
でも訓練してるんじゃない?
訓練しますね。仕事の妨げにはなるんですよ、どうしても。
そこって自信がないのは、やっぱりどこかで立ち止まっちゃうっていうか、いらんことに時間を使ってるなっていう感覚はあるんで、
何とかポジティブな方に考えを持っていきたいなとずっとずっと思ってます。
いい先生になりそう。
そうですか?
だってそういう人がね、足立さんに相談したらすごいわかってくれるわけよ、そういう気持ち。
私はこういうことをやってみたよとか、例えばこういうことをやってみたらいっぱい出せるんでしょ?
そうですね。低いままでいいっていうのも思いますよ、本当に。身長ですし、低い人。
確かにそうかもな。
だからすごい大怪我とかはしなさそうですね。
ちゃんと考えて考えて、これで良かったのか、自分はこのままじゃダメだとか思えるっていうのは良いことだなって今訓練してます。自分を。
肝に銘じておきます。
聞いてる人に伝えればいいなって思いますね。ありがとうございます。
このラジオの裏テーマは自然なのですが、仕事をする中で自然について考えることはありますか?
甘辛手帳というこの雑誌の仕事をするのにちょっと落とし込んで話すと、この間なにわさんと滋賀の老舗の洋食店を取材したんです。
あけみさんっていう名前の洋食店なんですけど、そこの店主さんの話はすごい面白かったんです。
僕はアンチフワトロやし、プリプリもちょっと疑いを持ってるんですっていうようなことをおっしゃるんですね。
だから食の表現として、卵が今フワフワだったりトロトロだったりっていうのがブームだったり、エビフライがプリプリなのは美味しいと言われているけれども、
それって本当に美味しいのかなっていうことを考えさせられるようなインタビューができたんです。
その雑誌の人間としてプリプリとかフワトロトロとかって使いたくなる言葉なんですけど、
でもそのプリプリとかって実は作られているプリプリだったりするんですよ。
薬使ったりとか、フワフワトロトロっていうのもブームの中で出てきた言葉なんで、
なんかそれってすごく不自然な美味しさであるかもしれないって取材の中で聞いて反省したんです。
そういうプリプリっていう表現とかを使ってしまうことで、食材の美味しさっていうのはそっちに寄っていくっていうか、
そういう発信をすることでみんなプリプリフワトロが美味しいと思い込んでしまうんじゃないかみたいなのを、
ちょっと立ち止まって考えさせられるような取材やったんです。
自然な美味しさ
その後、奈々さんどうですか?
えー、はい。
面白かったなと思って一緒に取材してて。
面白かった。面白かったし、なんかその後に2人で、
坂井さんに奈々さんに出会った日ですけど、スペインバルで働いてるっていう人に2人で行ったところで会って、
で、なんかこう味を表現する言葉って面白いですよねみたいな話してて、
なんだったっけ、なんかピーマンのような香り?
香り?
ワインの香りを、そういう風なフレーバーの表現がされてる。
でもそれって何見た人?
で、なんか時代によってその良しとされてる言葉もすごい変わるから、
今そのピーマンの香りって言ってるワインは、ミントの香りって今言うらしいんですよ。
ミントとピーマン全然違うじゃないですか。
でもなんかそういう、なんかワインを飲んだ時にヌムみたいなのって結構面白いと思ってて、
奈々さんもこないだ別のお店で、お茶をタバコみたいな味って思った。
スモーキーな香りがするお茶を飲んだ時に、そこはすごくスモーキーという表現をしてるんですけど、
私はタバコを水にこう、火を消す時に灰皿に水を食べて火を消す、あの香りに感じたんです。
だから美味しそうではないじゃないですか。
全然美味しくなさそう。
タバコの火が消えた時の香りっていうお茶があって、
でもそれって美味しいとは言い切れないから、スモーキーって言ってる。
でもなんかすごいそれが面白いなと思ってて、なんか人が素直に感じた言葉、
やっぱ食とかだと人の舌によって違うじゃないですか、美味しいと思うとかまずいと思うとかも違うんですけど、
なんかそれを聞いたことのないワードで表現されるっていうのが美味しくなさそうなんだけど、
むしろ自然かもって思って、なんかそのスペインバルの方の言い換えの話も含めですけど、
結構そういう何この表現というか、タバコみたいなふうに思われても、
なんかそういう新しい言葉じゃないですか、それによってやっぱり読む人を引っ張っていって、その印象しかなくなっちゃうみたいな、
それをブームみたいにしちゃうっていうのは良くないと思うんですけど、
なんかそういう人が感じる素直な一言目に出る感想みたいなのも、
なんか実はすごく自然なことで面白いんじゃないかなっていうのを最近ちょっと考えたりします。
さかいさんとも田舎の大砲さんに行った時に、店主のコウキさんは、
鶏肉っていうのは甘くて柔らかいものが美味しいとされてるけど、
それはやっぱりエサとかでコントロールして作られてるお肉なんですよ。
でも私たちってやっぱり柔らかくて、甘いものが美味しいと感じるようにもなってしまってるじゃないですか。
でもあそこのお店ではすごく硬くて、こんなところも食べれるのっていう部位も全部鍋にドンって入れて出してくれるんですよ。
そうしたら硬いけど、これが自然な美味しさなんやっていうのを、
気づかされるというか、私たちが今まで食べてたお肉ってと全然違うけど、
でもこれが今さばいたばっかりの肉の美味しさなのかとか思わせるのとかも、
すごい最近そういう話をしてくれるお店が多くて、自分の中でつながってるんですよ。
美味しいって何やろうとか、美味しいを言葉にして表現するって何かなっていうのを、
結構考えるのが楽しいですね。
大砲の時はブロイラーって言って、何日間でしたっけねあれ。
すごい短い期間で育てて卵から出荷する。
育てて出荷する。
鶏肉を僕らはスーパーではそういうものを買って食べているけど、
田舎の大砲に行くと、何年間も生きた鶏をその時占めて提供してくれたんですけどね。
だから大人の鶏なんですよ。若鶏じゃなくて、大人の鶏だからすごい歯ごたえがあって、
噛めば噛むほど味が出てくるっていうような鶏で、
僕はそっちが好きなんですけど、もともとそっちが好きやったけど、
そういう話も聞いてね、食べるとなお、おーって思いましたけどね。
そうですね、さっきまで生きてた鶏が食材になるっていうのを食べるっていうのも、
まあないのであんまり日常の中で。
大砲のね、コーキーさんが言ってたのは、
一番食材と人の生活が離れてんじゃないか、距離が離れすぎてて、
もう何にも感じられなくなってんじゃないか、みたいなことも言ってたよね。
まあ一回冷蔵庫に無意識に入れますしね、みたいな話とか坂井さん書いてましたけど、
まあ何でも食材、新鮮なものでも一回冷蔵庫に入れるとかね。
そうやね、だから冷蔵庫に一回も入ることなく、調理されて口に入るってことが、
例えば農家やったらそういうことが全然あるけど、都会に来てたらそんなことなかなかないっていうような話とかあったね。
面白かったですね。
面白かった、あれも。
自然な表現の重要性
アマカラ手帳の編集でも、なんかそういう等身大さんみたいな自然さとかを気にかけて編集されることって増えましたか?
私自身はそういうのを、どこかしらに入れられたらなっていうのはずっと思ってて、
例えばその人の方言とかはあんまり綺麗にしたくないって思うんですよ。関西弁もそうだし、
ちょっと違う地方に行ったら言葉が変わるんで、それとかはやっぱりできるだけそのままにしておきたいっていう気持ちがあったりとか、
好みですけど、写真も自然光のものが好きではありますね。
自分の目で見てるものと感覚が近いので、自然光の写真はすごい好きですね。
そういうのを大事にしたいなとは思ってます。
なにわさんはその自然さとかで、お気にして文章を書かれることとかありますか?
私の場合はやっぱり大学時代に文章を書くっていうことも学んでますし、仕事の中での実践でもたくさんいろいろ関わらせてもらってるので、
なんとなくこういう型じゃないですけど、こういう構成にするとわかりやすいとか、
なんかこういうメディアだとこういう、例えばwebと雑誌とかでも全然文章の長さとかいろいろ違うと思うんですけど、
なんかそういうのがわかる部分もあるので、そこばかりを気にして型どおりにやるみたいなものをあまりしないようにというか、
それはそっちに引っ張られないようにしたいなとは思ってます。
今日は足立さんが天空手帳の第1号、昭和59年に発行されたこれを持ってきてくれて、
さっき見せたら帯の裏にむちゃむちゃなこと書いてたんで読みますと、
東京のマスコミが検討違いの店紹介をかき散らし、地元じゃ物払いの種になっていると京都で聞いた。
とかってことを書いてるんですよね。
で、なんかわかるなっていうか、雑誌の取材でわざわざ行って、今はね、
この天空手帳でわざわざ行って、そこにちゃんと足立さんもついてきて、編集者もついてきて、
カメラマンもついてきて、写真もそこで撮ったり、文章はいって書いてるんですけど、
僕ら今書こうと思ったら、行かなくても書けるし、絶対。
インターネットで調べたら何がしか出てくるし、SNSとかも調べ尽くせば全然行かなくて書けると思うんですよ。
で、この東京のマスコミが県都地への店の紹介をかき散らし、地元じゃ物払いの種になっているっていうのって、
なんつうかな、本当にそういうことをすると笑われるやん。
言ってないから、自分が本当にいいかどうかも何もわからずに書けたりするんで、
自然っていう話なんかどうかわからんけど、自分はそういう仕事絶対したくないなと思うし、
それをこの第1号の帯に書いてるこの時代が僕はすごくうらやましい。
これを書いてよかったっていう時代があって、今はこういうこと書くと棘がありすぎて絶対ダメになってしまうと思うんだけど、
でもみんな思ってんちゃうっていうような、みんな思ってんのにみんな言えないみたいなことがあまりに多いなと、
息苦しいなとこれを見て、この頃は息苦しくなさそうって思いました。
言葉の力とコミュニケーション
のびのびしてますよね。この時の企画すごい尖ってて、デザインも記事の内容もめちゃくちゃ熱量があって、
ちょっと背筋正されますね、これ見たら。
昔のやつ見ると背筋正される。デザインってこんな自由でよかったんやとか、そんなことも思います。
こんな取材の話、その時の空気感を書いていいんやとか。
正解なんかないのになんとなく型にはめられて生きてしまうのが僕らだなっていうことを、
そうやって昔のものとか見ると本当に再認識させられるなみたいな。
あるいは外国、ポーランド行ったりとかすると、やっぱり日本にいた時とは違う思考の広がり方がやっぱりすると思うんで、
なんか本当に日本の常識にすごい縛られてたんやなってことを感じますね。
さてここまで4話、たくさんお話を伺ってきたんですが、
本当のエンディング、4話分のエンディングのお時間となりました。
どうでしたか?
どうでしたか?ひどいなこの振りは。
ラジオ初めてでしたか?
初めてでした。
初めてでしたか?
私何度かあります。
そうなんや。どうでしたか?
楽しかったです。あだちゃんが隣にいてくれるので、私は非常にリラックスして喋っていたと思います。
よかった。
私もなにわさんが隣にいて、自己肯定感が低いけれど、なにわさんが隣にいたら大丈夫。
上がって。
ちょっと上がって、ツッキーがいたら満パンになるか。
ツッキーにも会ってみたくなりました。
次のゲストはぜひ。
3人で。
すぐは無理。
ツッキー1人で来ますから。
ツッキーは1人で来れるの?
来ると思いますよ。
そうですか。
さかいさんはどうでしたか?
編集、それからライターの仕事に、僕もちょっとだけね、本当に趣味的な感じで関わらせてもらってて、
やっぱ言葉の仕事なんで、これ。
絵描くとかじゃなくて、言葉なんで、一番扱ってるのが。これ合ってますかね?
合ってると思います。
どうしてもデザインとかグラフィックとかと遠い仕事のように感じるし、
あるいは普通の生活してる人は発行された雑誌をどうしても読む側であって、
別にそれを作る側の気持ちなんて考えてもないし、多分。
考えたこともないし、なんとなくかっこいいなみたいな。
僕だったら経費でご飯食べれるのいいなとか、そういうぐらいしかあんまり思えないんじゃないかなと思いますが、
実際は僕はデザインの仕事をしてるけど、すごく似てると思うし、
何か光の当たっていない部分に、
俺やったらここに懐中電灯の光当てるけどなっていうようなことを編集の人はやるし、
デザインもみんながすでに注目していることに光を当ててもしょうがないんで、
みんなが注目してないけどこういう考え方って世の中にとって必要なんじゃないとか、
こういう生き方って負け組って言われることかもしれんけど幸せなんじゃないとかっていうようなことを、
僕らはデザインを通じて発信してるようなところがあるけど、
それを言葉でやっていると。
言葉って永遠やんと思うんですよ。
だってこの先どんな時代になっても言葉の力ってずっとある気がして、
それは今の時代だとどうしても人を傷つける方向の言葉が何かクローズアップされがちだけど、
本当はそうじゃなくて、人のお腹を空かせたり、あるいは満たしたりできる素晴らしいものなんで、
言葉について皆さんもっと考えてみたらどう?
あと日記とか書いたらどう?
SNSに投稿するんじゃなくて一人で書いて、一人で読んでいるみたいな、
そういうことをやる人いっぱい増えてもいいかなと思ったりもしました。
なんとなくそんな気持ちです。
生きるためにしゃべる
坂井さんが言ったことすべてなんですけど、
何何話も俺と同じこと考えてたみたいな。
いや違います。
まだ素晴らしい言葉にはできなかったんですけど、
バカリズム脚本のドラマに出てくる女性たちを見てるみたいで、
嬉しい。
すごいグッと。
好きだよね。
ブラッシュアップライフという女子3人がくっちゃべってるドラマがあるんですけど、好きなんです。
それを今目の前で見てる感じがしてすごいグッときたし、
卒業してもこういう人とのつながりがあるのってすごいなって憧れました。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
みんなもう言い残したことないの?くっちゃべる2人組は。
大丈夫?
なんか書く、さっきの1人で日記を書くとかもいいと思うんですけど、
話すっていうのもすごい良いと思ってて、
なんか別に友達とかじゃなくてもいいと思うんですよ。
カウンセリング受けるとかでもいいと思うし、
やっぱり自分の思ってることを言葉にするっていうのは、
仕事関係なしに生きる上ですごく必要なことだと思っているので、
私たち3人はそれが多分大きいテーマっていうか、
なんか自分たちが生きるためにしゃべってるんですよ。
それはすごい学生さんにも私は個人的におすすめです。
ありがとうございます。
はい、生きるためにしゃべるずっこけ3人組でした。
3人組。
ありがとうございました。