書くこと、編集すること。人気の職業である“編集者やライター”について、ちゃんと話を聞いてみる。言葉ってどんなにテクノロジーが発達しても、ずっと残ります。ゲストに足立琴音(あまから手帖編集部)と浪花朱音(フリーランス編集者・ライター)を招いて、生きるために書く話。
“芸大ラジオmymy”は京都芸術大学の開学50th(2027)を記念して始まった、芸術・デザインをひもとくラジオです。
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URL
京都芸術大学
クリエイティブライティングコース(京都芸術大学)
https://www.kyoto-art.ac.jp/department/creative/
千野帽子
進々堂
進々堂百周年社史プロジェクト
サマリー
今回のエピソードでは、足立琴音さんと浪花朱音さんが学生時代に文芸的なライティングを学び、編集者やライターとしての道を歩む経緯を語っています。特に「百読」という厳しい授業を通じて、読書と批評の重要性が強調されており、その経験が現在の仕事にどのように影響を与えているかが議論されています。また、編集者としての道のりや、授業課題「百読」がどのように編集者の血や肉となるのかについても触れています。さらに、ポーランドでの生活やキャリアの変遷、学生時代の仲間とのつながりの重要性も強調されています。ポッドキャストでは、彼女たちが大学での表現活動について語り、特に「百読」という授業課題が学生に与える影響について考察しています。彼女たちの経験を通じて、学びの重要性や自己肯定感の問題についても触れられています。
学生時代の選択
こんにちは、芸大ラジオmymyです。
アシスタントの谷口七葉と、
坂井洋介です。よろしくお願いします。
お願いします。
前回に引き続き、【あまから手帖編集者】の足立琴音さんと、
ライターの谷川茜さんをゲストにおもにきしてお届けします。
今回、第3話では、お二人の学生時代のお話を伺っていきます。
お願いします。
この不思議な3人組のうちの2人の学生時代、聞いていきましょう。
楽しみ。
今まで3人やってきたんですけど、
1人目の方は、プロダクトデザイン勉強して優遇。
でも、優遇の勉強はしてないんですね。
2人目がデザインの勉強してビール職人。
3人目は立体造形と版画の勉強して、
そして今は料理ですよね。
全然つながってないんですよ。
ただ今回、この2人は文芸的なライティングの勉強されて、
実際編集者とライターになっているという点で、
今までと違うんですよ。
違いますね。
初めてつながっている人たちなんで、
この2人の学生時代を聞いていきたいと思います。
まず、なぜ芸大に入学しようと思われたんですか?
じゃあ、足立から。
本が好きだったんです。
編集者になりたいという思いがあったかどうかちょっと覚えてないんですけど、
本に携わる仕事に就きたいとはぼんやり思ってて、
クリエイティブライティングコースっていうのが創設して4年目のタイミングで入ってて、
たぶん新しめのコースですよね、当時。
そこで、ライターだったり編集者になりたいっていう子たちを教育するコースがあるっていうのを見つけて、
それを目指してここに入ったんです。
すごいな。
そういうとこを探してたんです。
初めて聞いた。
すごいな、でも思ったことが、高校生の時に思ったことがさ、
変なじゃない、違うところに行かず、そのままスーッと編集者になってるかのように見えるっていうのはすごいね。
編集者になるまで、もちろん社会に出てからは全く違う職業を2社ぐらい経験してるんで、
だいぶタイムラグはあったんですけど、最終的に編集者になれたっていう感じです。
厳しい授業「百読」
アニマさんは?
私は芸大に入りたかったんですよ。
最初は普通にどこかのデザイン学科とかに入って勉強しようかなと。
デザインとかできたら食いパクれなさそうだから、そういうほうに行こうかなと思って、
普通にデッサンとか実技をやってて、でも最初は普通に公立の芸術学部みたいなのを考えてたんですけど、
見学に行った時全然楽しくなくて、
家の経済状況とか考えると絶対国公立のそういうとこ行ったほうがよかったんですけど、
芸大のほうが楽しいかなと思ってここに来て、
でも芸大だと自分の実技レベルだとどこも向からなさそうだから、実技がないところでどうしようかなと思って、
最初ASPコースのほうに願書を出したんですよ。
でも全然内容読まず出してて、後でパンフレット見て、
全然興味ないわと思って、
対話型鑑賞とか興味ないなと思って、
でも願書出しちゃったんですけど、大学に電話して、親にも内緒で、
もう一個のコースに変えてくださいって言って、
そこもクリエイティブライティングコースも詳しく知らなかったんですけど、
とりあえず学科内だったら変えてもらえるかなと思って、電話して、
すごい怒られたんですけど変えてもらって、
で、体験入学に来たらすごい楽しくて、
本ってこういうふうに読んで人と話したりできるんだとか、
なんかその体験してみたら楽しかったから、
じゃあここをきっかけで芸大に入ろうかなと思って、
結局デッサンでも勝ったんですけど、文芸になぜか。
デッサンがなぜか力になってくれて入れて、4年卒業して編集者になりました。
大学ではどういうことを取り組まれましたか?
まず1年生でめちゃくちゃ本を読みました。
百読っていう恐ろしい授業がございまして、
1000本読みたいな感じですよね。
1冊読んでレビュー書いて、先生にこれはダメって言われてもう一回書き直して、
それが認められるまでよしとはされないっていう。
それを受け出してくれないと1冊と認定されないっていう1年生の最難関の授業が。
それみんなちゃんと100シール集めれる?
100のうち80か70とか100冊全部ではないんですけど、
なんかすごい難しいのが、ちゃんとその本を読めているのかっていう、
それをちゃんと捉えてきちんとあらすじを書くんですけど、
あらすじを書けるのかっていうのと、
言葉をきちんと使えているかっていう両方を見られてて、
どっちかが書けてたらもうアウトなんですよ。
ちゃんと読んでくれてるんですよ、レビューを。
すごいちゃんと読んでくれてる。
それを書ける何十とかの人数やってくださってるので、
当時その授業されてた先生はめちゃくちゃ大変だったと思うんですけど、
誰誰?
血の防止先生っていう先生。
批評?
文筆家。
文筆家の先生。
で、コメントとかも、
辞書引いてないの丸わかりですって書かれてたりとか。
なるほど。
そういうのとかがね、厳しいコメントが書いてます。
いい先生やもん。
めっちゃ、でも本当に、もう今働いて言葉使ってる中でも、
血や肉になってるのって百毒だなって思う。
血や肉になってる。
って思います。
ゼミでの学び
同時に読書会もやるんですよ、授業では。
日々本を読んでレビューを提出して、
一個一個シールを集めていくっていうのと同時に、
その100冊の中から毎週の授業では1冊本が取り上げられて、
それを読んできてみんなでディスカッションというか、
喋るんですね。
その時も何が書かれてるかじゃなくて、
どう書かれてるかを見ろって言われました。
だからあらすじ、ストーリーとかじゃなくて、
物事をどういうふうに表現してるのかっていうことに注目をしなさいっていうことを言われたんで、
なんか共感しましたみたいなのは絶対ダメですね。
感動しましたとか、
この主人公に共感しましたは絶対もうダメです。
ただ、どういうふうに共感させるように書いてるのかっていう話はOKで、
そういう形で読んでいく。
それはでも本当に最初にずっこけ3人組で紹介されたんですけど、
3人もずっと今もやってて、
読んだ本があったらずっとその話してるみたいな、
もう本当に百読みたいなことをいまだにプライベートでやってる。
あれめっちゃ泣いたけど何でやろうっていう話をするんですよ。
なぜならこの主人公がこうこうこうこういう構成の中でこう生きてるから、
私は涙が出たみたいな話とかを、
喋ってると確かにねって相手がその中で出てくるというか、
言語化されていくみたいなのは結構百読っぽいやり取りかもしれないですね。
いいねいいね。
めっちゃいいね。
それを1年の時にやるわけだろ?
やります。
2,3,4は何してるの?
3はゼミですね。
それぞれ例えば、
編集者になりたいとか、
なりたいというよりは編集の勉強がしたい、
ライター的な勉強がしたい、
フィクションを書きたい、小説を書きたいとかでゼミに分かれていくんで、
それぞれ自分がやりたい勉強を書くゼミで習うっていう感じです。
私とナニアさんは同じゼミなんですよ。
新本良一先生のゼミに所属してました。
今はもういらっしゃらない先生ですけどね。
そうですね。今ニューヨークでご活躍されています。
もう一人のズッコケは違うゼミなんですか?
違うゼミです。
何ゼミや?
川田ゼミは何をするところだ?
えー、王将に行くゼミ。
王将に行くゼミ。
もう一人は王将ゼミにはいったい。
ゼミが終わったら必ず王将北白川店で乾杯をするゼミ。
いや、ノーサンキューやな。
だって王将でごまかしとるから。
王将がダメ?
違う違う違う。
食べ物与えてごまかしとるから。
そういうチーム感のある仲の良いゼミです。
私たちは新神堂っていう京都のパンの店でやってますよね。
あそこの100周年の記念紙を作ってたんですよ、ゼミで。
先生はじゃああと何かあったらよろしくねって言って出ていくんですよ、教室。
あとは私たちでずっとお菓子を食べてる。
でもそのみんなで頑張って仕事もしてる?
してる。
で、パン食べてお菓子食べて授業が終わったら先生終わりましたって。
呼びに行って。
呼びに行ってどうやったのって。
どうやったのって。
こうこうこうです。じゃあまた。
またねって。
だから授業時間中先生あんまいないって。
いない。
いない。最高やん。
それや、それが本来大学のあるべき姿ですよ。
今は多分許されない大学の姿だと思います。
お小遣いだけくれました。これでお菓子買ってきなよって。
で、みんなでディスカッションしときなよって。
何してたんだろうね、ディスカッションもして。
だってそのゼミって3年4年じゃないですか。
そうなんですね、文芸は。
文芸は3年4年でその新元ゼミに入ってるんで、
編集者の道のり
実際にそのゼミの中で心身のプロジェクトやってるのは3人とかなんですよ。
4年の3人。え、4年あれ。
3年生。
3年か、3年生の3人だけで、後の人たちは関係ないから、一緒にやることがないんですよ、集まっても。
何か喋ってたのかな。
確かに何してたの。
そうそう、何してたのかな。
何してたのか覚えてない。
何してたのか覚えてない。
おやつを買いに行ってたのは覚えてる。
おやつをADストアに買いに行ってたのは覚えてる。
覚えてる。
やっぱりそのおやつとかすっげえ大事なんですね。
それを覚えてるってことはやっぱり。
そうそう、それだけ覚えてて。
でもなんか一回あんまりにもニーモン先生が来ないから何よりも窓から出てったことありますよね、怒って。
え、そんなのあった?
窓から?
あの廊下のとこの?
あの廊下の。
え、記憶がない。
ヤバい恵比寿カットでお願いします。
いや、カットしないですよ、これは。
いやいや、黒歴史すぎる。
別に何も何はさん悪くないじゃん。先生が授業やのにこう、こうから怒って出て行っただけでしょ。
いやいや、記憶当世ですよ。
記憶がない。
でもニーモン先生が、ニーモン先生なんですけど。
どうぞどうぞ、教えてください。
なんか新進道のプロジェクトが架橋ですごい忙しいっていう時になんかちょっと交通事故に遭われた時は、
アダちゃんが怒ってたよね。
怒らない。
何この怒り。
いやなんかなんでこのタイミングになるの。
なんか来れませんとか言われて。
結構大事な打ち合わせなのに、交通事故って言っても自転車でこけたみたいな感じなんですけど。
なんでこんな大事な時に怒られて、こっちも切羽詰まってるから。
ニーモン先生いつもおらへんのに。
大事な時ぐらいは来いよと。
打ち合わせの時ぐらいにこけたぐらいで。
こけたって何や。
なんかバスにしか乗れなくなったので、なんかそういう感じだったよね。
いやでもなんかいいね。だから先生がちゃんとしてないと、学生がちゃんとするってことでしょ。
でもそういうキャラクターの先生ですね。
周りがきっちりしてるんですよ、ニーモン先生って。
だからね、好きなんだけど。
結局好きなんだ。
すごい好きな先生ですよ。
いやいいな。
めっちゃいいですね。
でもそれでとにかく卒業されまして、今はこうしてね、なんかさっきちょっと下で聞いてましたけど、
私たちはエリートだと。
なんか言ってましたよね。
文芸学んで完全にこんな仕事できてる私たちはエリートだと言ってましたけど、
でもすぐ慣れたわけじゃないっていうか、やっぱり人気の仕事だと思うし、
そこの右右曲折もちょっと話してほしいなと思います。
私右曲折なくて、在学中にとある京都の編集プロダクションにアルバイトで入ることによって、
そのまま就活もまともにせずに、春からじゃあ正社員でっていう話で編集部に入って、
2年ほど働いて、そこからずっと編集の仕事をしてるので、あんまりいろんな仕事は実はしてない。
じゃあ食いパクれもなく。
ポーランドでの経験
わかんないです。会社が実際経営が立ち行かなくなってしまって、
その前に私は辞めてるんですけど、半ば偶然的に辞めて、
その後ちょっと本屋さんでバイトしたりとかもしてたので、何かしら食いぶちは他に稼いでるとこありますけど。
バイトしながらやってた時期もあるけど、基本的には編集とか各仕事みたいなことにずっと携わってここまで来た。
そうですね。
本屋さん、ポーランドに行ってたみたいなの聞いたんですけど、それは何?
それは全然自分ごとのエピソードはなくて、ちょっと夫がたまたまポーランドのポズナンっていう都市があるんですけど、
そこの芸術大学のアーティストインレジデンスみたいな枠があって、全然その大学は何もしてくれはしないんですけど、
ただそこの設備とか授業とかを受けられるっていうような仕組みがあって、そこにちょっとご縁があったので、
1年ほどポーランドに住んでみようかなみたいな話があり、私もその当時23、24とかで、
社会人として働いて3年ぐらいで、ちょっとだけ貯金もあるし、フリーで仕事も始めてたので、
今ある仕事を持って行って、1年ぐらいヨーロッパに滞在して、大陸続きなんでいろんな国に行けるじゃないですか、バスでも行けるし、飛行機でも行けるし、
何カ国かちょっと回ったりとかして、1年のつもりで一緒について行って、そしたら今度は夫が向こうで大学院に出たいって言い出したので、
じゃあ2年延長しようかってなって、そこでトータル3年ぐらい住んでたっていう。
ポーランドに?
ポーランドにっていうだけの話です。
楽しかった?
そうですね。今思ったら楽しかったです。
それは地となりに肉とはなっとる?
何でもなってると思います。やっぱり日本で暮らしてて、自分が移民になるっていう体験はないじゃないですか。
で、私の今日本で暮らしてての周りの人たちみんな日本語話者で、大体日本人なんですけど、
ポーランドに行くとアジア人全然いなくて、夫とは家で日本語で喋るので、全然その言葉が全く使えないみたいな状況ではないんですけど、
やっぱりその自分が知らない言葉を使ったりとか、知らない土地に行ったりとか、
普通に日本で知らない土地に行くのと全然違う体験なので、
なんかそういうものを経験できたっていうのはすごい大事。
よかったかなと思ってます。
大学での人間関係
うらちさんは?
私は卒業した後、東京の方に就職していて、新卒で。
で、料理雑誌の広告の部署に入ったんです。
で、その時は半年でも辞めてるんです。
なかなかやっぱり過酷で、広告の仕事って。
編集とは全然関わりがない部署にいたんですけど、そこ辞めちゃったんで、もう一回関西に帰ってきて、その後営業職に就いたんですけど、
それはソフトウェアを売る会社の営業職です。
全く関係ないんです。
でも広告部にいたんで、営業の仕事っていうのをちゃんとやらずに辞めちゃったっていうのがあったんで、ちょっと営業の仕事をちゃんと見たいっていう意味でそこに入ったんです。
で、転職しようと思ってた時に次に入ったのが、写紙と記念紙、会社の歴史の本を特化して作ってる出版社なんですよ。
そこで私は新進道の写紙を持ってって、やったことあるでみたいな感じで。
100周年のね。
私これ作りましたって言ったらそこに入れたんですよ。
そこからが編集者のキャリアなんですね。
2社全く違うところにいた。
で、その後編集者になって転職して天空手帳です。
大変やったね。
大変でした。
でも編集の仕事が一番楽しい、その中では。
そうですね。今の仕事が一番楽しいですね。
前の記念の仕事めっちゃ好きですよ。
大事な仕事だと思ってて、消えちゃう歴史をちゃんと神に残していくっていうすごい意義のある仕事で、
その気持ちみたいなのは天空でも残ってて、おじいちゃんおばあちゃんがやってるお店とかっていつかはなくなっちゃうんで、今のうちに神に残しておかなあかんみたいなのは、結構写紙作ってたからやと思うんです。
その使命感が出てくるのがね。
そうですね。で、そういうお店が好きなんですよね。歴史があったり。
いや、俺も好き。
おじいちゃんおばあちゃんがやってるとかいうお店が好きで、いいし、歴史があるってだけでいいじゃないですか。
ここでずっとやってきあったよなっていうだけで、写真も撮り甲斐があるし。
面白いもんね、話が。
話が面白いですね、そういうお店は。
それは私の好みです。
大学課程を経て、何が一番変わりましたか?
大学にお過ごしたことで?
何を得たとか、何を失ったとか。
でもなんか私は、なんか大学でこれを学んだからすごく変わったとか、
大学の、もちろん授業とか先生の教えが、さっき申し上げたように知恵憎になってるところはありますけど、
なんかやっぱり、卒業後もこうやって一緒にいられる友達をいられたっていうのが、一番私は大きいかもしれない。
そうやね。
それがやっぱり大学に来た意味。
やっぱり高校時代の友達と、例えばこの本めっちゃ面白かったよなみたいな話をするってないんですよ。
それがここまでのレベルで、レベルが高いかどうかわかんないですけど、
ここまで話せるっていうのは、やっぱり一緒の大学を過ごしたっていうのが大きいと思いますし、
それはその、3人。アダちゃんとツッキーって言うんですけど、ツッキーとアダちゃんもそうだし、もちろん先生、新本先生とかとの関係もそうだし、
例えば夫も私大学一緒なので、夫のこととかもそうだし、
そういう人生において、大事な人と過ごせたし、それが続いてるっていうのが、一番私は良かった。
成長を与えてると思います。
確かに。
私もそうですね。
ほっくり。
私、中学高校の友達とか全然会わないんですよ。会わないっていうのは、顔を合わせることとかほとんどなくて、
それぞれの家庭の環境があってっていうのはもちろんですけど、
大学での表現活動
やっぱり大学で表現する人たちの中でしかできない会話みたいなのがあって、
それはやっぱりものづくりをしてるっていう前提があるから、この土台の上に立ってるから話せる話みたいなのがあるんですよ。
それは坂井さんもそうですし、もちろんこの3人組はみんなそこの土台に立ってる人たちなんで、楽しいんですよ。
この間こういうとこ取材行ったらこういう人がおって、これをこういう雑誌にしたのっていう話をしたり、
あの映画見たけどさ、あの監督さ、なんであんなことしたんやろみたいな話するとか、
それはやっぱり大学の同級生やからできることかもですね。
まあ俺もでもそれすごい賛成だね。その学費の半分、3分の2ぐらいはそれかなと思って教えているんですけど、
今の大学の体制ってやっぱり教えたことが課題の提出物とか、あるいは学生の満足度アンケートとかで先生に返ってくるようになっているわけですよね。
それを卒業政策みたいなのが一番わかりやすくて、4年間学んでこれが出てきたみたいな。
そこにすごい結果を求められがちな風になっているけど、実際こうやって卒業生呼んで呼ばせてもらった話を聞いていると、
僕らが話したこととか教えたこと、教えてるって感じはあんまりないけど、教えたことが結局その4年間で別にあんまり結果は出なくて、
その卒業した5年後、10年後、あるいは20年後に生きてくるみたいなことってたくさんあるし、
そしてそういう視点でもうちょっと教えるとか教育ってことを考え直さなきゃいけないんじゃないかなとかっていうのは思うんですよ。
だからその新本先生との話とかエピソードみたいなものがやっぱりすぐには、すぐに出てくる結果はその新進道の100年史のクオリティっていう話になってしまうんですけど、
でもそれじゃないよなっていう大学で教えていることはっていう視点をね、なんかこういただきました。
自己肯定感の問題
最後番外編で聞きたいんですけど、この3人、お2人が仲良くなったきっかけって何だったんですか?
ここはたぶんゼミ。
本当に毎日一緒にいて、それこそプチメックにチャリを走らせるとか、結構いろんなところにご飯食べに行ったよね、今思ったら、ロケハンを配しておりました。
3回生で初めて仲良くなったって感じ。
でもなんか1回生の時に、私は一般入試で結果入ってるんですけど、今もあるかわかんないですけど、夏コミュニケーションあります?
夏と秋があって、私秋を受けたんですよ。秋は結局辞め自体して、その後一般で入り直したんですけど、
アダちゃんは夏を受けてたんですよ。夏の人たちが1回生の時点でめちゃくちゃ仲良くて、めっちゃ明るかったんですよ。みんなでラン1行こうみたいな感じで。
ラン1?ボーリング?
ボーリングの、そういう感じの明るい人たちで、秋の人たちってめっちゃダウナーな、なんかそういう仲の良さもないし、なんかそういう感じで、私はちょっと距離を置いて。
もう一人も秋、秋じゃない夏の入試は。
距離を置いてた。
そう距離を置いてたけど、1年生の時は、なんか気づいたら。
わかるわかる。
わかります?
なんか初めは全然違うグループにいたけど、どんどんその人のやってきた課題とかを見ていくわけで、
そうすると自然と、なんとなく好きな人たちが、3年生4年生ぐらいではもうなってるなっていう感じがします。
先生から見てると。
その視点も面白いですね。先生から見てると。
なんかある、見えるのかな?
今1年生の時の初めとか、なんか仲良さそうにしてるけど、こいつら全然仲良くないんやろうな。
どうせ別れていくのにな。
派閥みたいなの今作ってもしょうがないのになって思いながら、僕は見てますよ。
鋭い。
ところで、ちょっとナノハちゃん最後のあれ聞かなきゃ。
いつも恒例のやつがあるんですけど、
自己肯定感って言葉が最近あるじゃないですか。
それが最近の若い子たちで、ちょっと低めっていうか、とても傷つきやすい年代で、
どうやったらその自己肯定感が高くなるとか、自分を保つことができますかっていう。
高くならなくてもいいですよね。
まずお二人がどういう感じかっていうこととかを聞いていったらいいと思いますけど、
時間がかなり来ているので、この話の答えは次回お送りしたいと思います。
分かりました。
はい。
では、安達さん、なにわさん、今日もありがとうございました。
ありがとうございました。
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