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ちゃんとやってきた、結果も出してきた、評価もそれなりにもらっている、それなのにどこが満たされない、なぜか楽にならない、その理由は、あなたの努力が足りないからではありません。
人の幸福感を静かに下げるのは、自己否定そのものではなく、自己否定が使われる意地でした。
このチャンネルでは、自己否定を直そうとはしません。
自己否定から人生を解いていきます。
シリーズ 春までに自己否定を卒業
第2章 自己否定の正体
自分を責めている本当の中身
第2章 第3話
他人軸だと気付けないまま判断を外に預けている状態
第2章では、自己否定の正体を扱っています。直そうとしなくて大丈夫です。減らそうともしなくていいです。
なぜ分かっていても、それを使ってしまうのかを、人の構造として見ていきます。
今日は、判断の主語、これが外れているのに、外れている感覚がなくなっている状態についてです。
気が付けないと言うよりも、気が付ける入り口がない。
結論から言います。
他人軸の一番厄介なところは、他人のせいにしていることではありません。
自分で選んでいない感覚そのものが消えてしまうということです。
例えば、会議で意見を求められたとき、頭の中はこうなっています。
どういえば正解かな?この場に合う答えってどれだろう?変に思われてないかな?
ここで、こう考えている自分に違和感はありません。なぜなら、もうそれが通常運転だからです。
本来、判断の主語が外に外れると、人は少し不快になります。
でも、他人軸が長く続くと、その不快感が徐々に薄れていきます。
理由はシンプルです。脳が、このやり方で問題は起きていない、そのように学習するからです。
安全が保たれている限り、違和感は不要な信号として処理されています。
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ここで、静かなすり替えが起きています。
私はどうしたい?ではなく、どうすればこの場が丸く収まるのか?
これを自分の判断だと勘違いしてしまう。
主語は外にあるのに、考えているから、自分で決めている気がするんです。
ここで一つ確認します。
考えていることと決めていることは同じではありません。
他人軸が続くと、判断の結果は必ず外から返ってきます。
強化、反応、空気、これが少しでも揺れると、
あ、やっぱり私ずれてた、自分の判断間違ってた、ここで自己否定が出ます。
原因は能力ではありません。
判断を預けている場所が外にあるだけです。
ここで視聴者さんからこのような質問をいただいたので入れていきたいと思います。
同じ場面で自己否定ではなく、
あいつが悪い、環境が悪い、と他責になる人というのは、違う脳の使い方なんですか?
いい質問です。
結論から言うと、脳の使い方は違います。
でも、別の種類の人というわけではないです。
自己否定に行く人は、自分を下げることで関係や場を守ろうとします。
一方で、他責に行く人は、相手を止めることで自分を守ろうとします。
守っているものは同じです。
違うのは、どこを下げて安全を取るか、取ったかか、
どちらも判断を自分ではなくて、安全装置に預けている状態です。
この回で扱っている他人塾とは、
自己否定か他責かではなく、判断の守護が外にある状態そのものを指しています。
今日の糸口はこれだけです。
どうすれば正解か、これを考えているとき、これを止めなくていい。
ただ、こう言えたら十分です。
今、自分は判断を外に置いたまま考えているな。
それに気づくと、守護が一瞬だけ戻り始めます。
今日も何かを変えなくて大丈夫です。
ただ、守護が外れていることに気がつけたらそれで十分。
自己否定は出てもいい。でも、判断まで預けなくていい。
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また、ここに戻ってきてください。
今日はここまでです。
自己否定は直すものでもなくすものでもありません。
位置がずれているだけです。
このシリーズでは、自己否定が出てくるたびにどうすれば戻れるかを扱っています。
今日のお話の中で一つでも、
あ、これ自分だな、そう思うところがあれば、それで十分です。
次回は第2章第4話。
自己管理しているつもりで自分を縛っているお話。
管理と否定の取り違いについてお話しします。
それではまた明日。