しまチャンネルの紹介
しまチャンネル始めます。しまチャンネルは、愛媛の離島で柑橘栽培をしているふるのが、日々のこととか、美味しいもの、考えたことをお話しする日記系チャンネルです。
ちょっと衝撃なんですけど、えーとね、今日これ3回目なんです。で、1回目はあまりにも取り留めなかったんで、消して、2回目取って、まあまあいいかなと思ったら、間違えて消しましたね。
なので、3回目です。 えーとね、なんか3回目になってくると、同じこと3回言うと、ちょっとアホっぽいなって、自分なりにはなるんだけど、皆さん聞くの1回目だもんね。
今日は、古典ラジオで最澄と空海を聞き直してたので、それ聞いて思ってたことを話そうかなと思います。
っていうのは1個前でね、なんか仏教哲学の話をちょっとしたじゃないですか。で、久しぶりに最澄と空海聞いてみようと思って、聞き返してたんですよ。
聞き返しながら大学芋も作ったり、いろいろしてたんですけど、あと昨日の仕事の最中も聞いてたかな。
あの、古典ラジオは何が良いって、難しいことを難しく話してないのがとても好きで、で、聞いたらわかるのかっていう話なんですけど、聞いてもわかんないことはわかんないままかもしれません。
ただ、わかんないことが何なのかっていうのがわかる気がする。
もう本当に詳しく調べたかったら、自分が調べればいいことだからね。そこのチャンネルで全部知ろうっていうのは、なんというか、安直すぎるというか。
まあそもそも古典ラジオは歴史の話だったり、人文学的な話だったりするんだけど、
それはあくまであの、一人の人の発信で全部がつかめるものではないと思うんですよね。
だってそうでしょ。歴史だって、一人の人の見解聞いたからって、それが全部じゃないじゃないですか。
だから本当に知りたかったら自分で調べればいい類のことなんだけど、それのきっかけになるのにすごく最適だなと私は思っているチャンネルなんで。
まあ気になってみたら、気になった方はぜひ聞いてみてください。
最澄と空海の影響
でですね、最澄と空海なんだけど、
何が好きってね、まず空海、最澄と空海の生き様の話もとても好きなんだけど、
そのリストの前半が主にこう、仏教の話なんですよ。
それがね、かなり私的にはわかりやすくて。
で、それ聞いてると、あの、私スピリチュアル界隈にずっぷり入って、入っててかね占いをやってたので、必然的にそっちにもずっぷり入ったんですけど、
その時聞いてたこととか、それまでの経験とかがなんか紐付くところがあって、
なるほどって思うことがたくさんあったんですよね。
それが、まあいわゆる仏教でいう有識論っていうところになるのかなと思うんですけど、
まあ有識論ってね一言で言ってもとてもじゃないけど、私は説明できないので、
それに、まあ多分私が体験したっていうのもあくまで私がちょっとわかった気がするっていうぐらいのものだとは思うんだけど、
その中の一つがその無意識が、あなたの世界を作るっていう考え方で、これ結構スピリチュアルでもその当時は言われてたんだけど、
だから目の前が苦しいってことはあなたが苦しさを求めてるってことだし、
目の前が楽しいってことはあなたが楽しさを求めてるからそういう世界が実現されるんだよっていうことを言ってて、
聞いた時はなんのこっちゃと思ってたんだけど、
だいぶね、なんだそのやっぱスピリチュアルにずっぷり入ったりとか、その思想に感化される時って、
大なり小なり何かを変えたかったり、助けてもらいたかったりする時だと思うんですけど、
今思えばその、他力本願にね何かをしたら報われたりする、
そういうことを思ってた頃は全然分かんなかったんですよ、言ってることは。
そんなわけあるかいって思ったり、そう思ってるから叶わないんじゃないかと思ったりしたんだけど、
でも今はちょっと一線を、ちょっとというかもう完全に一線を置いてる状態になったら今わかることなんですけど、
まあその通りだよなと思うんですよ。
で、まあそれは無意識が現実を引き寄せるとかそういう感じのことではなくて、
見えてる世界がその人にとっては全部じゃないですか。
まあそういうことだよなって。
だから苦だとか楽だとか関係なく、見えてるものが全部なんだよな。
それは、同じ景色を誰かと見ても同じように感じ取るわけじゃないじゃないですか。
そういうことなんだろうなと。
まあそう言っちゃうとね、すごい孤独だなって感じもするんですけど、
まあでも現実、そうでしょう。
人ってどこまでも誰かと融合することはできないから。
なんで私あのエヴァンゲリオンの人類補完計画とかも素敵だなーって思ったんですけどね。
自我がなくなるって素敵だなーって。
まああの頃は私まだ若かったんで、見た頃はね。
自我の暴走をどうにかしたかったんだろうと今の私は分析するんですけど。
まあそんなこととか考えたり、
あと宮沢賢治さんが私は好きなんですけど、
彼の短編でマグノリアの木っていうのがあって、それがとても仏教的なんですよ。
でまあ仏教的なお話っていろいろあるんですけど、
そもそも宮沢賢治さんが宗教色の強めの人だしね。
で、宮沢賢治に限らずきっと宗教色の強い人はいると思うよね。
宮沢賢治の文学と思想
遠藤周作とかもそうだよね。
まあでもその中でもマグノリアの木が好きだなと思うのは、とっても美しいからなんですよね。
なんていうのかね、宮沢賢治さんはね、すごい説明くさくなくて、むしろ説明があんまりなくて、
唐突に物語始まって唐突に終わるところがあるんですけど、
そのぐらいの字数でいいんだなって思うぐらい、マグノリアの木は完璧に美しい短編なんですよ。
だからもう、すごく短いので、これも気になったら読んでもらったらなと思います。
あれはね、青空文庫にあるからね、いつでも読めるんです、ネットがあれば。
で、さっきもちょっと読んだんですけど、やっぱりね、美しかったなぁ。
桃源郷ってこういうやつなのかなぁって思う。
で、多分桃源郷って、
あの、それこそ、何かディズニーランドとかそういう感じじゃなくて、
何か個人個人の思っている最高の世界の風景、最終地点みたいなとこかなって思うんですよね。
だから他人から見たらね、つまんないとこかもしれないし、
まあそれって地獄に近くない?みたいなのもあるかもしれないけど、
まあそのぐらい、
人って、
個人なんだよねっていうのを特になんか、
最澄徳郷が聞いててもすごく、
感じましたね。
まあ最澄と空海編はね、結構、
仏教の成り立ちっていうよりは、
仏教…なんだったっけな?私最近聞いたのにな。
もう、仏教の中で何が書かれているかっていうことの説明だったかな。
大体はね。
でも、それ聞いたからって本当にわかるわけないんだよね。あんなすごいもの。
マンダラとかも、
でも、本当仏教です。仏教というか宗教ですごいよね。
でもその真髄は本当に人が明日生きるために、
必要だったものだから、なんともね、本当に切ないし、人間って愛おしい生き物ですよね。
今の時代はね、
私自身はあんまり、
物事を悩まなくなってきてるんで、
それはそういう考え方を身につけたとも言えるし、
考えてもしょうがないっていうのをやっとわかったっていうのもあるんだけど、
なんだろうね。
苦しくて死んじゃう人もいるじゃないですか。
でもね、個人的には死ぬのが悪いかって言うと悪くもないよなとは思うんですけど、
だって選択するのは自分だしね、個人だしね。
ただ、
せっかく体が、肉体の細胞が生きてる間は生きようかなと私は思ってるんですよね。
もう、基本的にはそう。
なんか、明日これしなきゃとか、
細かくはあっても、本当に命がけでしなきゃいけないとは思ってないんですよ。
いつかまたそんな日が来るかもしれないけど、
今の私は、ちょっと中年になって生きるエネルギー減ってきたのかなって自分では思ってるんですけどね。
そんなわけで、
何が言いたかったのかな。
なんか、でも悩みで死んじゃう人は本当にもったいないなって思うし、
特に対人関係とか、まぁ対人関係はね、どこまで行っても悩みは尽きないなと思うんだけど、
でもだからってね、
情報の価値を考える
自分が死んでどうにかなることっていうのって、
言い方をあえて選ばずに言えば、自分が死んだから、
全部が良くなるなんて、自分を過大評価しすぎじゃないかしらって思う部分もあります。
これ言うとね、あんまり本当に死にかけてる人には絶対言わないけどね、私もさすがに。
でも、たとえ私が死んだとしても世界は回り続けるし、
それも事実だもんなーって思ったら、
なんて言うかな、
悩みを解決するために仏教であるものでもないんじゃないかなとは思ってますけど、
まぁでも明日を生きるために人が生み出したものが宗教で、その一つが仏教だって思うと、
なんか悩みを解決するものなのかなぁとも思うし、難しいとこですね。
ただ少なくとも私ぐらいの理解力だと、
結構勉強しないと仏教ってわかんないと思うから、
ゆっくりね、知っていこうかなと思います。
知らないことがいっぱいあるのはすごく嬉しいよね。
知れる喜びがまだまだいっぱいあるんだと思うからね。
でももう今はね、子供じゃないから勉強しなさいも言われないじゃないですか。
だからマイペースに好きな時に好きなこと勉強できるんだなと思うと最高ですね。
でも同時に思うのは、学生の時もうちょっと勉強しとけばよかったなっていうのは思います。
なんでこんな面白いものの面白さわかんなかったんだろうって。
歴史なんかはかなりいい例なんですけど。
歴史のことがわかるとね、何がいいってね、大河ドラマは面白くなるでしょ。
朝ドラとかも結構時代がね、あっちこっちするんだけど、
歴史背景の知識があると全然面白さが違うんだよね。
いやー、ほんと。
私が見てた中年、なんであんなに大河とか朝ドラとか見てんのかなぁと思ってたけど、
そういう中年になったなって思いますね。
そのうちあれだ、公園とかの立て看板とか読み出したりするわけだ。
まあでもいいな、自分がその年まで生きてたことがすごいなと思うから、
今はその中年ライフを楽しみたいなと思います。
好きな時に勉強してね。
今はすごいよね、インターネットで検索したら結構いろんなものもわかるし、
本だって、わざわざ本屋さん行って、ないから取り寄せてもらってとかしなくてもポチッとしたら届くんだよ。
すごい。
どうすればもう、オーディブルにあったらさ、聞いてたらいいんだよ。
わーすごい。
なんてこと。
なんかそれも合わせて、全然話違うんですけど、
それも合わせて、なんか情報って本当に、
なんだろうなぁと思いますよね。
私がスピリチュアルしてた頃のどっぷりだった頃って、
ホロスコープを読んでするタイプの占いだったんですけど、
それ勉強するのにかなりお金はかかってるんですよ。
っていうのは、お金かけないとわかんなかったからなんですけど、
教えてもらうのにそんだけお金かかったんですけど、
今それはね、損したなとか得したなとか思ってないけどね。
でも今その頃教えてもらったことの何百倍もの情報が、
簡単に手に入るんですよね。無料でね。
何だったんだろうなぁと思いますね。
情報は価値があるってよく言うけど、
なんていうのかな、活用だとか、
意味がわかってないと、情報自体、
価値はないですよね。だから必要な人にとっての必要な情報っていうのは価値があるけど、
そうじゃないものっていうのは無価値なんじゃない?ってちょっと思ったりはします。
まあでもそんな、情報化社会の、今どの辺の段階なのかな?
初期段階は越えたと思うんだけど。
で、各辺は起きたと思うんだけど、起きてる最中でもあるのかな。
そんな時代だからこそ、ちょっとね、有効に使っていきたいと思いますよね。
せっかくだしね、いろんなことは活用しなければ。
自分のためにね。
そんなふうに思います。
現代の学びのスタイル
いやでもだから情報教材ってね、今でも多分あるんだろうけど、
あんまりね、あそこにはまる人って、
社会経験が少ない人か、私ぐらいの中年か、どっちかなんだろうなって思いますね。
私ぐらいの中年だと、で結構疎かったりすると、情報はお金がかかるって思ってるから。
いやー、上手いね、その辺はね、お金。
詐欺と言いますか、詐欺って言い切っちゃいけないかもしれないけど、
ああいう関係は本当にすごい。
マーケティングとか、そういうのはすごい。
勉強しようとは思わないけど、そこはあまり興味がないんで。
なんかそれを選べるのもまた自由でいいなと思いますね。
ああ、まあ消しちゃってからまた喋ったけど、まとまったのかな。
まあいいか、いつもまとまりがあるかないかわかんないまま終わっていくので、
今日はこの辺で終わろうと思います。
ということで、またねー。