台風15号の影響
しまチャンネル始めます。しまチャンネルは愛媛の離島で柑橘栽培をしているふるのが日々のこととか、美味しいもの、考えたことなどをお話しするチャンネルです。
今日は台風がですね、突然できて、できた瞬間日本に上陸したという日ですね。
台風15号かな、確か。こちら愛媛の離島も朝から雨が降ってます。
と言っても朝、何時かな、5時から7時半か8時ぐらいまで一回降って、それから止んで、
1時ぐらいから降ってるみたいな感じですね。 あの、しとしと雨で。
風もそんなに強くはないんですね、今のところね。 だから、どうなのかな。今回の台風、一応あの警戒はしておりますけど、
今のところの予報では豪雨になることもなく、風もそこまで強くならないようですね。
ルートがちょっと太平洋側にずれたので、本当だったら最初に発表されたルートだと高知県の方に上陸し、
まあそのまま愛媛に上がってくる感じだったんですけど、今の予報だと高知の沖を進むみたいなんで、
そういうルート通ると愛媛県は、高知県との境目に石鎚山という大きい山があるので、その山に雨雲が引っかかってですね、瀬戸内側は平和というコースになりそうです。
まあそれでも、8月の10日ぐらいに雨降って以来、まともな降雨がなかったので、大変ありがたい恵みの雨になっております。
本当はね、もうちょっと降ってもいいぐらいなんだけどね。予報では明日の朝には雨止むって言ってるから、もう丸1日降っても足りないぐらいなんですけどね。
っていうのはこれから以降がね、まだ降らない予報なんですよ。
瀬戸内海っていうのは、四国の石鎚山、あと広島川、中国地方の中国産地に囲まれているのでね、雨雲があんまり来ないんですよね。
九州の方から、西から天気は変わるって言うんですけど、九州の方で雨降ったとしても、それってだいたい高地に流れるんですよ。
だから山口県あたりで降らないと。降った雨雲がやっと瀬戸内川に流れ込んでくるんですけど、基本的に雨が少ないところですからね。
雨が少ないから美味しいみかんができるわけなんですけど、なかなか難しいところです。
なお今年のみかんの、今のところの味の判定としては、糖低酸高。糖が低くて酸が高いという状態なので、
ちょっとこれからね、グッと糖上がってくれたらいいのだと思ってます。
まあそのためにはあんまり雨はいらないっちゃいらないんだけどね。
お天気難しいですね。
この辺を完全にコントロールしちゃうのが施設栽培とは言うけど、
まあ正直施設、上から雨を防いでも、下から流れてくる雨はコントロールできないわけだから、どこまで効果あるのかなと思うけど、まあそれでも結構違うみたいですからね。
マルチっていう木の下に白いタイベッコシートっていうのを敷いて雨を、上からの降雨を防ぐっていうやり方でもずいぶん糖度が上がるそうなので、
今後はそういう作り方も考えてやっていかないとなと思います。
さて今日は何の話しようかな。
みかんの味と栽培方法
今日はね、中二病の話をしよう。
あの、どういう、私未だに多分若干中二病を患ってはいるんですけど、
えっとね、中二病っていうとどんなのかっていうと、まあ自意識過剰で、
何ですかね、万能感?まあなんか多分世の中を知った感みたいなのを持っちゃう時期。
そういう時にありがちな言動とかを指すんだと思うんですけど、もう決してあのアニメがどうのっていう話じゃなくて、誰もが通る道だと思うんですけど、
なんか確かにね、振り返ってみれば、中学生の時、小学生時代の時よりも理解力がつくから、
ぐんとこう世界をね、なんか分かった気になるっていう瞬間があったんですよね。
私はそれが高校生だったかな。
中学生の時はもうそれどころじゃなくて、学校厳しかったんで、
私なんかあんまり器用なタイプじゃないんで、もう目の前のことをやるだけで終わってたんだと思うんですけど、
高校生ぐらいの時になんかね、世の中ってつまらない、世界ってつまらないみたいになって、
それでも、中学生時代が結構いろいろな意味で抑圧されてたんで、
厳しい昭和の中学校ですからね。
中二病と成長の葛藤
高校はそれでも、それなりに楽しく、中学生の時よりはやれることも増えて、
だからそこまでひどい中に患ってはなかったんだけど、
どっちかっていうとね、20代、20代はなんかもうそれどころじゃなく、あふれる生命エネルギーが表山して、
まあ、とても良くなかったんですけど、楽しいんだけど楽しくないのが難しい感じだったんですけど、
まあ多感だったってことですね。
30代ぐらいの方が、私多分よっぽど中二をこじらしたなと思います。
多分ちょっと落ち着いて、生活もちゃんとできるようになって、
でなんかね、世の中がみんなバカばっかり見えた時期っていうのがあったんですよ。
本当ね、本当何も分かってないからそんなこと思えるんだなって今なら思うんだけど。
でも中学生の頃に、もしそういうメンタルになったとしても、
中学生ってできることがたかが知れているわけですよ。
だけど大人になるとね、できることも増えるし、
やろうと思えば何でもできちゃうから、怖かったなって思うんですよね、今思うと。
恥ずかしいのもあるし、情けないのもあるけど、
まあそういう時期を越えて、今があるわけなんですけど、
だからちょっと前に話したと思うけど、30代の頃ってすごいいろいろ起こってたっていうのはね、そういうことなんですよ。
なんか分かっちゃった気がして、世の中のことがね。
世の中の仕組みとかがね。
いやー、あの時のあの感じって今思っても、なかなかなんですかね、
びっくりする。正気じゃないなっていう気がしなくはないなと思います。
まあ、大人になってからの方がね。
私は、よくね、若返りたいとか、時間を戻せるならどこまで戻すみたいな質問あると思うんですけど、
私はいつだって、今現在が一番いいと思っているので、
あんまり遡りたくはないんですね。
っていうのは、中学生ぐらいの多感な時期っていうのをもう一回やる気力もちょっとしないですし、
気力があったとしても、もう2回はいいかなって思う。
同じ理由で20代もそう。
30代もそう。
今が一番落ち着いてるから、いいなって思う。
まあ当時は、その時その時は今が一番いいと思って生きててないなぁ。
こう思うようになったのも結構後の話なんで。
なかなかね、人間って難しいなって思います。
もちろん私は今の年よりも未来の自分にはなったことがないから、50代の自分とかなったことないから、
その時どう思うのかは全然わかんないけど、
その時も今の自分が一番いいなって思えるような生き方がしたいなと思ってます。
いやーでもあの万能感は怖いわ。
あの一番ね、万能感を、その万能感みたいなのを思い出したのがね、
チッていうアニメを見た時なんですよ。
チッていうアニメ、天童説を巡る物語なんですけど、
あれはね、すごかった。
あの、あと古典ラジオを聞いてても、古典ラジオの中でもあの、
お三方がよく言うんですよね、あの、昔の人は今の自分たちより
遅れてるからこれしかできなかったっていうわけじゃないっていうことを言うんですよ。
なんかそれの意味が本当にはっきりわかったのがチッていうアニメを見た時なんですよ。
であの、天が動いてるか地が動いてるかっていうのは今は科学の力によってわかることなんですけど、
その当時その天文学っていうのは宗教にすごいがっつり紐付いてて、
当然宇宙に出ることが人間できてないから確認することもできなくて、
それをあの数学とか天文の知識で、
望遠鏡もない頃の天文の知識であの解明していったわけなんですけど先人たちは。
多分ね、科学っていうのは、その先人たちがいろいろな資料、
科学と人間の本質
現象を見てそれを記録して、そこからあの推測したりいろんなことしてきた積み上げの上に、
その時代時代の人たちがいるわけなんですよね。
だから科学は確実に積み上がっているわけですよ。
だけど人間そのものっていうのは、
きっとあの天動説地動説をどっちが正解なんだってやってた頃からあんま変わってないんだなって思って、
だからその環境、その用るカードで最善の選択をしようって心がける人の姿の美しさっていうのに、
あの地を見てすごく心を打たれまして。
で、あの人間って本当にあんまり変わってないなって、
そこがすごく衝撃でしたね。
私が歴史というものの認識を、今までのスタンスというか認識を変えないといけなかったかもしれないって思って、
そう思うと、なんか何にも知らない、私はむしろ何にも知らないってやっと思えた感じがしましたね。
頭がいい人の話が分かるようになったとか、
分かんなかったことが分かるようになったとか、そういうレベルのものじゃないんだな、地っていうのはっていう、
巨大な地という、地勢の地ですね、巨大な地っていうものの存在。
恐ろしいけど、高豪しいみたいな。
そういうのが分かった時に、自分の無能感、
これも何か繰り返すらしいんですよ。
分かんないから始まって、分かってくるようになって嬉しくて、
なんか全部分かっちゃったかもっていうのが来てから、いや何も分かってなかったっていう、
人はね、その波を繰り返すそうなんですけど、
これが地の探求の面白いっていうところかって思いつつ、
まあでも地っていうアニメはすごかったなぁ。
私、ピアスト博っていう、お金持ちのね、天童説を支持しているお金持ちの天文学者さんが、
まあ証明したいわけですよね。
天が動いてる。
地球が動いてるんじゃない?っていうことを。
でも事実っていうのは、それを証明する、
なんだろうな、頭が良すぎて、私からするとそうなんだけど、
頭が良すぎたり、まあそのデータの扱いもちゃんと分かっているからこそ、こうで、
本当に天が動いているんだったらこうでなければならないっていう仮説に、
たどり着く直前に、まあそうじゃないことが分かるんですよね。
その時に、なんか自分の捧げてきた人生とか、時間とか、
自分が場とも受け継いだその先進たちの努力とか、
それは一体何だったんだって思うのは、
まあ多分私が同じ状況でも全くそう思うし、
私自身は、
何かな、多分、
まあ俗物なんで、
悪くじゃなくてですよ、本当に私流されやすい人間なんで、
多分先進たちがそう、自分が尊敬する人がそうって言ってるんだったらそうだろうって、
思うタイプだから、もう、
衝撃を受けると思うんですよね。でも悲しくなると思うんですよ。
無駄だったとは思いたくないって。
ああ、それは、だから私はペスト博と一緒なんだなぁと思ったらね、
すごいな、そういうことかって思って。
いつだってね、正しい答えを選ぶ人、正しい真理を見抜ける人が、
じゃあ正義かって言うとそういうわけじゃないですからね。
また正義はそういうのとは別の話だから。
そう思うとね、その、
中人を煩わずに素直に大きくなれればいいかもしれないけど、
まあなかなかそうもいかんかったんで、私の人生。
煩いつつも、全部わかった気になりつつも、
波をちゃんと乗り越えてきて、今ここにあるっていうことが、
ちょっと、良かったな。良かった?
まあ、私なりに正しかったなと思いますっていう話でした。
人生の深み
まあなんかすごい、なんでそんな話してんのって感じですけど、
まあ特にね、今日あの、話すこともないのに、
立ち上げてしまったもんだからこんな話しちゃってすいません。
まあ皆さんはどんな中人伝説ありますか?
ないかな。
私はもう、
まあオタク関係で言えばもう完全に不助詞スタートなので、
まあ不助詞ってBLですね。今で言うね。
まあ一生懸命やってましたね。漫画描いたりとかいうのも。
あれはあれで楽しかったです。
けど、まあ自分があんまり上手じゃないのと、
そう、どんどんどんどんね、0から1を生み出せるタイプではなかったので、
結局今読む、見る、好きなものだけ、楽しむだけで終わってますけど、
なんか一個でも一生懸命に慣れたものがあると、
人生って深みが増すようなと思います。
まあそんなわけでですね、かなりとりとめどない話をしてしまって申し訳ないんですけど、
今日はこの辺にしておきます。それじゃあまたねー