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2026/10/19 ちょっと深掘り“考古楽”
2026-10-24 37:20

2026/10/19 ちょっと深掘り“考古楽”

 狩猟定住社会と農耕社会

感想

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サマリー

今回は、狩猟採集社会と農耕社会のどちらが人類にとって幸せだったのかを、食料の安定性や人口、健康の面から考える。農耕は人口を増やし都市や文明を生んだ一方、単一作物への依存による飢饉、低い収量、重労働、家畜由来の感染症など、初期には大きな脆弱性を抱えていた。弥生時代の稲作では、後期の遺跡でも現代の水田の約10分の1の収量と推測され、前期にはどんぐりなど狩猟採集由来の食料への依存が大きかったという。農耕は単位面積あたりの人口支持力が高く、縄文時代の栗林が1平方キロあたり約230人を養えたのに対し、米なら約2300人を支えられたため、人口・労働力・技術革新・文明の発展につながった。

狩猟採集と農耕のメリット・デメリット
FM八ヶ岳 デイインライフ ちょっと深掘り”考古楽”の時間です。
人類発生から600万年、21世紀の現代までの長い長い人類の歩み。
北都市在住の考古学者、茅ヶ岳歴史文化研究所主任調査員の佐野隆さんに、優しく楽しくお話しいただきます。
聞き手は、柴山博子です。
じゃあ、佐野さん、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
私、2回ほど休んでしまったので、話が飛んでしまうかもしれませんけど、よろしくお願いいたします。
収録一人でしてたんですけど、大変心細くてですね、今日は安心しております。
はい、よろしくお願いしますね。
ついつい、私、縄文時代専門に好きで勉強してるもんですから、
狩猟採集民の話ばかりが続いてきちゃってですね、そろそろ違う話題にも移りたいなと思っておりますので、
狩猟採集民のお話は今回で終わりにして、次回からはもうちょっと違うお話へと移っていきたいと思います。
前回はですね、狩猟採集民と農耕民ですよね、食料生産する農耕社会。
その違いはそんなに大きくないんじゃないかなというお話をしたところで終わったんですけれども、
今日はもう少しその辺りを詳しくですね、本当に農耕、食料生産というのは人類に幸せと文明をもたらした、
とても素晴らしいものであって、狩猟採集はその大局にあるものだと、
そういうイメージが本当に正しいのかというお話をちょっとしたいと思います。
そうですね、イメージとしては狩猟採集、農耕民、どっちなんだろうって思いますよね。
農耕、それから狩猟採集、それぞれ生活様式、もちろんメリット、デメリットはあると思うんですけれども、
大局的に見たときに人類にとってどっちが良かったのかなというのが微妙なところですよね。
そうですよね、農耕社会というのは今に近いような気がするんですよね。
世界的に見るとですね、今から1万2、3千年前に氷河期が終わって、
温暖な高氷期、寒震性と呼ばれる時代になって、
メソポタミア地域、西アジアをはじめとしてですね、
パプアニューギニアとか中国の高蛾あるいは超高の流域ですね。
さらにはアメリカ大陸、アフリカ大陸、それぞれの地域でそれぞれの環境に適応した
その食料生産の形というのが出現しました。
西アジアでは小麦、ヤギ、羊、牛、そういった農耕と牧畜が発達しましたし、
アメリカ大陸ではカボチャとかトマトとかジャガイモとか、
そういう食料、有用な植物を栽培するという農耕が始まりましたしね。
中国大陸、東アジアではイネですよね。
お米ですね。
あと鶏ですね。
豚もね、東アジアで独自に家畜化されましたけど、
それぞれの地域でそれぞれの環境で利用できる有用な植物を利用する
食料生産、農耕が始まったわけですね。
なるほどね。
確かに農耕ができて、それによって人口が爆発的に増加して、
やがて都市国家であるとか古代文明であるとか、そういったものが出現してくるわけですね。
それだけ見ると、やっぱり農耕って良かったんだなと。
そして21世紀の現代社会につながっていくぐらい良かったんだと思うかもしれないんですが、
本当にそうかなというところをちょっと考えてみたいと思います。
初期農耕の不安定さと弥生の稲作
まず最初にお話ししたいのは、
狩猟採集にしろ農耕にしろ、それは植物とか動物とかっていう
人間以外の生物の生態ですよね。生理学的な現象、生きてるっていうね。
そういう特性を利用して農耕あるいは牧畜が成り立っているってことなんですね。
なので狩猟採集社会で、狩猟採集生活で、例えば暑い寒いとか気候変動とか
そういう影響を当然受けるわけですけれども、
農耕を始めたらそういう環境変化、あるいは気候変動の影響が全くないかというと。
そんなことないですよね。
現代でも例外があれば米が不作になるし、
ウイルス病原菌によって、家畜の鶏や牛が大量に殺処分しなきゃいけない。
そんなことも起きるわけですね。
なので農耕を始めたら自動的に食糧事情が安定するというわけではない。
むしろその逆でして、狩猟採集民だと
野生に生えている様々な植物、あるいは生きているいろんな動物、それを幅広く利用ができる。
例えば栗が不作だったら、じゃあクヌギの実を食べてみようかと。
何かしらこうかしら食糧が手に入るんですが、農耕社会だと米ばっかり作っている。
小麦ばっかり作っている。
そうすると米の病虫害が発生したら大飢饉ですよね。
そういうことですよね。
小麦も同じです。
むしろ農耕社会の方が、ある種の環境変化に対しては脆弱でリスク管理が難しい。
そういうことですよね。
現代ではいろんな農薬であるとか、あるいは化学肥料とか、あるいは栽培技術の発達によってですね、
そういう災害の影響をなるべく小さく抑える。
そういうことができるようになってきましたが、でもやっぱり影響はないわけではない。
今年みたいに9月に入ってからずっと天気が悪いですよね。
そうすると野菜が取れなくなっている。
今からだと冬野菜の種が負けないという話が聞いたんですよね。
本当ですよね。
現代日本のような、いわゆる先進国と呼ばれているところでは、米が高い、野菜が高いで済むかもしれないけど、
これが社会インフラや環境インフラが脆弱な発展途上国では、即寄金とかガシ、寄加につながっていくわけですよね。
そういうことですよね。
なので、まして1万年前、あるいは日本で言えば3千年前ですよね。
弥生時代が始まった時、そういう初期的な濃厚に移ったばかりの社会というのは、相当程度不安定な状況だったんだろうと思うんですね。
そんなお話をこれからしていきたいんですが、例えば日本で言うとお米ですよね。
弥生になっていく。
3千年前に縄文時代から弥生時代に稲作を始める、そういう時代に移っていくわけですが、
皆さんもご存知のとおり、現代の農業技術では一旦あたり、千平米ですよね。
一旦あたり米が8票から10票くらい飛べる。
それが普通だと思うんですね。特に北都市あたりは米どころですからね。
一旦あたり、千平米あたりの収量が10票というのはむしろ普通だという感じですけれども、弥生時代の初め頃はどのくらいだったか。
1票60キロとすると10票というのは600キロですよね。
そんなに取れないでしょう。
そのくらい取れるんじゃないですか。
私の実家は父と母が水田をやっていますが、10票くらいは取れますよね。
現代はそうだけど、始めた頃といったら何分の1だったんじゃないかなと思うんですけど。
どのくらいかというと、これは推測ですけれどもね。
弥生時代の千平米あたりの収量というのは、せいぜいのところ5ト。
1ト間の1ト。
1ト18リッターかける5トですよね。
重さにすると60キロ。
60キロ。
ですから現在の一旦あたり10票600キロからすると10分の1です。
10分の1。
たったそれだけ。
18とせいぜい100キロいったかどうか。
しかもこれは弥生時代後期のトロ遺跡という遺跡でね。
静岡なんですね。
それを想定して計算したものなんですが。
そうなんですか。
トロ遺跡は弥生時代後期なので、日本で稲作を始めてから1000年以上経っています。
そうですよね。
なのでかなり技術的にも進歩している段階なんですが、それでもそんな程度。
そうなんですか。
まして、稲作を始めたばかりの弥生時代前期という頃は、
米なんて作ってはいても、収量最終で得ている食料のほうが圧倒的に多い。
そうでしょうね。
そういうイメージだったんじゃないかと言われていますよね。
じゃあここでちょっと音楽をおかけしたいんですけど、今日は何でしょうか。
バッハと同時代のイタリアの作曲家にドメニコ・スカルラティという人がいますよね。
彼のソナタ、たくさんのソナタを作曲しているんですが、
今日はそのソナタからカークパトリック番号175番という番号が付いている
イタンチョウソナタをおかけしたいと思います。
FM八ヶ岳レインライフをお送りしています。
それではまたお話の続きでお願いしたいんですけど。
そんな感じでですね、初期の農耕というのは技術的にもそんなに発達しているわけではありませんし、
また栽培する植物自体も野生種に毛が生えた程度の、そんなに品種改良が進んでいないものですよね。
ですから決して生産性は高いとは言えないわけですよね。
例えば日本の稲作であればですね、奈良時代ですね。
もうだいぶ弥生時代から比べればずっと最近ですけど。
奈良時代の米作りで、現代の稲作だと、例えば種もみですよね。
一粒まけば、そこから稲の株ができて、多分100粒くらいになるんですよね。
一つの穂に、100粒くらい実る。
ところが奈良時代だとですね、条件の良い水田で、生産性の高い条件の良い水田で、
一粒の種もみから採れる米というのが25粒くらい。
現代の4分の1ですよね。
そうですね。
さらにですね、一番生産性の低い下下田と呼ばれたところではですね、
せいぜい4,5粒。4,5倍ですよね。
なるほど。
なので十分に食料を生産しようと思ったら、種もみも相当程度に取っておかなきゃいけないですよね。
なので決して生産性が高いとは言えない。
ちょっとですね、基金か何かで種もみまで食べちゃったというと、もうどうにもならない。
そうですね。翌年作れませんもんね。
そうなんですよね。それが初期農耕の実態だったと言われてますね。
なるほどね。安定は絶対していないわけですよね。
そうなんです。しかもそれが天気によって不作・豊作いろいろあるわけですよね。
それだけに頼ってなんていうわけにもとてもいかない。
なので弥生時代の遺跡、特に弥生時代前期という時期の遺跡を発掘すると、
どんぐりがいっぱい出てくる。米よりもどんぐりをたくさん食べてる。
そういうことですよね。ということは狩猟採集がメインで、
米とかそういう栽培してるものっていうのは本当にサーブもいいところって感じ?
最初はですね。
おそらく狩猟採集から得られる食料に依存しなくて、
農耕民の重労働と感染症
農作物だけで生活ができるようになったなんていうのは、
実は本当につい最近のことじゃない。
そうでしょうね。
江戸時代でも黄菌があると栗を植えろとか、くるみを植えろとかっていうのは黄菌対策ですよね。
そういうことですよね。最近でこそ黄菌という話はあまり聞かなくなったけれど、
宮沢賢治の本なんか読んでると、賢治さんの明治から大正、
そのくらいで黄菌というのがしょっちゅうあったわけですからね。
本当にそうなんですよね。
そのくらい実は農耕というのはバラ色の経済活動ではない。
なかったということですね。
加えて厄介なのは、初期の農耕民というのは、牛や羊やヤギあるいは豚、
そういう家畜と共に暮らし始めた頃の人たちですよね。
そうすると、もともとそういった家畜動物の病気だったものが、
人間が接触していつも一緒にいると、
例えばインフルエンザウイルスが、鳥にだけいたインフルエンザウイルスが豚に感染するようになって、
やがてその豚に感染できるように変異したウイルスが今度は人に感染する。
動物の病気だったものが人の病気に変わっていくわけですね。
天然痘とか血核とかインフルエンザとか、いろんな病気がありますが、
初期の農耕民はそういった病気に対する耐性、免疫がありませんから、バタバタ死んでいっちゃう。
そういうことですよね。
西アジアのレバント地域、イスラエルとかレバノンとかシリアとか、
あの辺りの食料生産を始めたばかりの頃の遺跡を発掘すると、お墓が見つかります。
そこから人骨が見つかる。
その人骨から、仏さんはいつ死んだんだろうというのが推測できる。
そうすると、旧石器時代、狩猟採集で生きていた頃は、
20歳以上まで長生きできる人が人口の半分以上いたんです。
ところが、農耕を始めると、それが激減しちゃうんです。
4分の1とか。
みんな20歳以下でどんどん死んでいっちゃう。
おそらくその原因は2つあって、1つは麦ばっかり食べている。
炭水化物ばっかり食べていると栄養バランスが非常に悪い。
しかも農耕というのは狩猟採集に比べると重労働なんですよね。
狩猟採集民は1日3時間半しか働かないですんだけど、
農耕民はもうそれこそ日の出から日の暮れまで働くわけですね。
身体的には非常に負担がかかるわけです。
加えて栄養バランスが良くない。
しかも家畜から人畜、共通感染症、天然痘、血核、インフルエンザ、
そういった病気が人間を襲うわけです。
バタバタ死んでいっちゃう。
なので平均寿命はグーッと下がっちゃうんですね。
それでも人間は何とか絶滅せずに生き延びて、
ある程度生きていくと今度は体制のある、免疫を獲得した個体、
あるいはそういうのが生き延びていって子孫を残してきますから、
だんだんだんだん人畜感染症に対する抵抗力が高くなって、
平均寿命もまた回復していくんですが、
初期段階はそんなこともあったということなんですね。
なので農耕というのは人類にとって必ずしもバラエロではなかった。
そういうことですよね。
その過渡期というかその間というのはかなり厳しい生活環境だったわけですよね。
農耕民はその後も文明を築いて都市、都市国家を築いたり、都市に生活するようになると、
狭いエリアにたくさんの人が暮らす衛生状態が非常に悪くなる。
病気も感染症も蔓延しやすくなる。
そういう劣悪な状態が実はつい最近まで続いてきていた。
そういうことですよね。
江戸の社会、日本の江戸という都市は比較的衛生状態も良くて、感染症も少なかったと言われますが、
それでも定期的に放送とか、天然灯とか流行していましたしね。
そういう意味では狩猟採集と農耕、どっちが人類にとって幸せだったんだろう。
これは永遠の課題みたいなものですよね。
いいとことぎりできないだろうか、なんて思うわけですけどね。
なかなかいいとこだけ取ってという、あれにはならないですよね。
そうなんですね。
ということは結構死ぬことというのかな。
そうですよね。
死というものをどう考えているんだろうかって思いますけどね。
人口支持力が農耕を広げた理由
まったくですね。にもかかわらず農耕がですね、人類社会の一部には農耕を始めたけど、
こんなのやってられるかと言って狩猟採集に戻っていった人たちもわずかにいたようなんですけど、
大多数は農耕を続けて現代に至っているんですよね。
それはなぜかというと、これは簡単なことでしてね。
やっぱり狩猟採集と農耕、食料生産経済ではですね、単位面積あたり、
例えば1000平米とか1平方キロあたりの食料の生産量がまったく違うんですね。
八ヶ岳三陸の5000年前の縄文時代の人たちは栗を主食として暮らしていたと考えられます。
その栗の生産量どのくらいかというと、栗もたくさん実がなるわけですけど、
例えば1平方キロメートルあたりの栗の林があったとします。
どのくらいの人を養えるかというと、230人くらいなんです。
1平方キロで230人ですから、狩猟採集面にしては大変成績が優秀なんですね。
日本列島は気候が温暖で恵まれているので、
アフリカとかアメリカ大陸に行くと1平方キロで1人生きていければいい方です。
そうなんですか。
日本というのはすごく環境が恵まれている地域なんですね。
なんか少ないような気がしたんですよ。
ただ、同じ1平方キロで米を作ったらどうだと、
そうすると10倍の2300人くらいが生きられるんです。
なので狩猟採集と農耕では、
簡単に言うと10倍以上、人口支持力というんですが、
単位面積あたりの食料生産量が違うんですね。
なので人口が増えるというのは、いろんな意味でメリットもあるんですよね。
そういうことですよね。労働力も増えるということですし。
労働力も増えるし、戦争になれば兵士の数が強いわけですよね。
それに人口が多いことで経済活動が盛んになって、
いろんな技術革新が生まれて、いわゆる古代文明への道がスタートしていくわけなんですよね。
そういうメリットもあって、農耕というのがずっと続いてきた。
人類は一度農耕を始めたら逆戻りできなかったわけですよね。
そういうことですよね。
そんなふうなことで農耕が始まったということですね。
先ほど柴山さんがお話ししてくれた、市政観ですね。
狩猟採集民から農耕民に移り変わるときに、世界観とか市政観というのも大きく変化したと思うんですけどね。
一曲かけてからお話をしたいと思います。
はい、お願いします。
同じくスカルラッティーのソナタで、カークパトリック番号513番、ハチョウチョウお願いします。
FM靖畑、デインライフをお送りしております。
それではまた続きお願いします。
狩猟採集民の仲間意識と境界
最後に狩猟採集民を語る最後に、彼らの精神世界についてちょっとお話ししてみたいと思うんですが、
まず最初にですね、農耕民に比べれば比較的小さな社会、コミュニティの中で生きていた狩猟採集民はですね、
やっぱり彼らの思っている世界観を端的に表現しているのは、彼らが自分のことをどう呼んでいるかという第一印象なんですね。
はい、例えば北海道のアイヌの人たちですね、彼らは自分たちのことをアイヌと呼んでいますね。
アイヌ。
彼らは自分たちのことをアイヌと呼ぶからアイヌ民族と呼ばれているわけなんですね。
なるほど、そうなんですか。知らなかった。
それに対して本州の日本人、本土日本人のことは、まさに本州人、日本人、社毛とかって呼んでいるんですけどね。和人とかって呼んでいますよね。
そのアイヌっていう言葉の意味はどんな意味かというと、本当の人っていう意味なんです。
なので、アイヌの人たちにとって同じ同族のアイヌの民族、あるいは自分たちの部族、そこに生きている人たちが本当の人であって、本州の和人たち、社毛たちは人じゃないんです。
本当の人じゃないわけですよね。そういう自意識を持っている。
これね、アイヌの人たちだけじゃないんですよね。
例えば、アラスカにいるイヌイットの人たち、寒い地域にいる彼らはですね、イヌイットっていう言葉も人々っていう意味なんです。
これやっぱり人っていう意味なんですよね。
例えば、アメリカの中米のマヤの文明を築いた人たち、マヤの人たち、マヤっていうのは人っていう意味なんです。
あと、南米のアマゾンの領域ではヤノマミ族っていうテレビなんかで日本でもよく知られている少数民族、そのヤノマミっていうのは人間っていう意味なんですよね。
それに対して白人とか日本人とかヤノマミの人たち以外の人たちのことはナプーとかナペーとかって呼ぶんですよね。
アフリカのカラーリ砂漠のブッシュマンの人たちは自分たちのことをサンとかクンとかって呼ぶんですけど、これは本当の人、真の人っていう、やっぱりアイヌと同じ意味なんです。
マオリとか、ニュージーランドのマオリとか、あるいはオーストラリアのアボリジーとか、これみんな同じ人間とか本当の人とか、そういう意味なんだ。
なので狩猟再生民にとってはやっぱり自分たちのコミュニティの中にいる人たちが自分たちの仲間、人であって、その外側は人ではない、そういう共通の認識を持っているんですね。
これは人類が進化してくる過程で、自分たちの仲間に対してはシンパシー、共感を持ってお互いを思いやり慈しみを持って助け合う、そういう強固なコミュニティを作って600万年も生き延びてきたんですね。
ところがその外側は自分たちの認識の及ぶところではなくて、人ではないので、場合によっては部族間闘争で殺し合ってもいいわけです。人じゃないんだから。
そんなふうな意識を持っているんですよね。狩猟再生民だけじゃなくて、現代文明でもそうですよね。差別とか偏見とか、そういうのはみんな同じようなところに根差していて、
これっておそらく人間という生物が持っている脳の仕組み、認識の、認知の心理学的な特性なんですよね。それを乗り越えるというのは非常に難しいんです。
いずれまたこのシリーズの中で、人はなぜ争うのかということをお話ししたいと思うんですが、それにも大いに関わってくるんですね。
古代の頃から、自分たちの部族というか集団、それ以外はもう違うというような意識の違いというのかな。
そうなんですよね。なので、私が縄文時代のことを知りたいと思ってタイムマシンに乗って、仮に5000年前の縄文時代の村に行ったとしたら、まず間違いなく殺されるでしょうね。
もう本当に異質なものが来た。人間ではない。
変なものが来た。よっぽど上手にうまいことをアプローチしないと殺されてしまう。
そういうことですよね。
そうなんですよね。そういう自意識というのをまず持っているんですね。
自然への信頼とアニミズム
ただ、そんなマイナスコのことばかりではなくてですね、狩猟祭習民は大地の中に抱かれて生きているわけですよね。
決して自然と共生しようなんていう現代的な発想は持ってないんですけれども、圧倒的な自然の力を前に、これは自然を敬い恐れ、そうやって謙虚に生きるしかなかったんですよね。
そういうことですよね。それこそ自然からいただくという感じ。
そうなんですよね。いただくどころか恵んでもらっている。
そういう感じですよね。
なので狩猟祭習民に共通しているその精神世界というのは、彼らの世界観の大前提として彼らが生きている土地と環境というのがあって、そこから食べ物を恵んでもらっている。
なので自然に対しては恐れ、敬うと同時に、ものすごく絶対的な信頼というんですか、深い信頼を持っているんですね。
母なる大地は決して我々を見殺しにしない。そんなふうな信頼感を持っているんですね。
例えば北極圏のイヌイという人たちというのは季節的に何百キロも移動するトナカイの大きな群れを狩りをして食料を得ている。
でも広大なアラスカで数千頭とか一万頭のトナカイの群れなんですが、アラスカの大地はものすごく広いので、どこを移動してくるかが毎年違うんです。
それで年々の気候とか経験値からこの辺を通るんじゃないかという勘を働かせて待ち伏せるんですけど、時にはずれるんです。
移動経路が100キロもずれていることがあるんです。
そうするといつまで経ってもトナカイは来ないわけです。
それでも待ち続けるんです。
餓死寸前まで待ち続ける。
それは母なる大地は我々を見捨てないんだと。
必ずトナカイの群れが来るんだと。
そういうふうに信じているわけですよね。
実際そんなんで餓死してしまった人たちもいたのかもしれないですよね。
それこそインディアン、アメリカのインディアンの言葉を聞いたり読んだりすると、母なる大地というのが必ず出てくるんですよ。
だからすごく環境というのかな、年に対する愛情みたいなのが、今の我々の感覚とはまるで違うなという感じがしますよね。
全くですね。
なので狩猟祭衆民にとっては、開墾して農地を開いてそこを耕すというのは、母なる大地を切り裂いているという感じを抱くのかもしれないですね。
それと狩猟祭衆民の精神世界の2つ目の特徴は、これ日本人には分かりやすいんですが、
神羅万象に精霊や神々が宿っている、命が宿っている、そういうアニミズム的な発想ですね。
そうですね、矢をよろずの神っていうね、日本はね。
これね、キリスト教の文化の中で生きてきた人たち、欧米系の人たちには、この感覚ってなかなか分からないんですよね。
そうか、神教って言われて、イエス・キリストしか神様ではないわけですよね。
なので、森の木々や動物を擬人化して、それに語りかける日本人の精神性とか、実はよく理解できていない人が多い。
そうでしょうね。木、五神木って言われている木とか。
そうなんです。なんで木に命が宿っているんだ。
あと水、水の神様水神とかね、いろんなところに神様はいますよね。
家の中だっているんですね、かまどの神様とか。
ありとあらゆるところにいるわけですよね。
そうか、そういうのが、要するに一神教の人たちにとっては、なんで。
ピンとこないんですね。もちろん彼らは、動植物は生物として生きていると、命があるってのは当然理解しているわけです。
ただ、そこに人間と同じような心があったり感情があったり、あるいはそういう心の働きがある。
木を、五神木を切るとたたるとか、そういうのって理解できない。
なるほどね。
これは世界全体を見たときに、狩猟採集神というのはどうだったんだろう。
本当にみんないろいろな神様がいたんだろうか。
そう、だと思いますね、狩猟採集世界ではですね。
もうこれ話し出すともうきりがないんですけど。
イヌイットのクジラとトナカイの精神世界
一つだけ例に挙げると、先ほどお話したアラスカのイヌイットたちですね。
彼らはですね、内陸部のイヌイットたちはトナカイを主要な食料でした。
一方で海岸沿いの人たちはアザラシとかクジラとか、これを食料にしているんですね。
これが面白くて、寒い冬が訪れると海岸沿いでは氷が張るのでクジラやアザラシを取りやすいんです。
氷が張ってて沖まで移動できる。
しかもクジラやアザラシが呼吸できる場所、氷がない場所が限られるので探しやすいんです。
ところが寒い冬はトナカイの餌がなくなっちゃうので、トナカイが大量に餓死して
内陸部のイヌイットは食べ物に困るんです。
なので寒い冬、内陸部のイヌイットの人たちは海沿いまで行って
そこで海岸沿いのイヌイットの人たちとお願いをしてですね、クジラを分けてもらったり
アザラシの漁をさせてもらったりする。
そういうイヌイットたちにとってですね、クジラとトナカイっていうのは
同じ精霊が海に行くとクジラになって、内陸部に行くとトナカイになる。
一つの精霊が違う姿を持って現れて、食べ物を人間にめぐってくれるんだ。
そういう信仰を持ってたりするんですよね。
なかなか面白いっていうのかな、ですよね。
そうですね。本当に深い深い精神に世界があるということですね。
はい。FM安方受けデインライフちょっと深掘り高校学を終わります。
聞き手は柴山博子でした。
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