狩猟採集民の暮らし向き
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サマリー
今回の「ちょっと深掘り“考古楽”」では、人類の進化と環境適応に焦点を当て、特に狩猟採集民の暮らしぶりに迫ります。現代社会との距離感や空間認識の違いから始まり、食料資源の確保が居住環境と密接に関わっていることが解説されます。北極圏のイヌイットは主に肉食に依存し、季節によって社会構造が変化する一方、熱帯地域では植物食が中心となります。 番組では、認知考古学の視点から、物質文化や社会体制が環境とどのように相互作用し、進化していくのかという「共進化」の概念が紹介されます。古代ギリシャの蒸気機関の例や、第二次世界大戦中のコンピューター開発の経緯を通して、技術や発明は必要性に迫られて生まれるという洞察が示されます。これは、人間の創意工夫だけでなく、環境や社会状況が不可欠であることを示唆しています。 さらに、南アフリカのブシュマンの事例では、砂漠という過酷な環境で、移動しながら資源を保全し、リスクを分散して生き抜く知恵が語られます。彼らは野生のスイカや昆虫、動物など、利用可能なあらゆる資源を活用し、季節の変化に合わせて生活様式を変化させます。この狩猟採集民の柔軟なリスク管理能力は、農耕民とは対照的であり、現代社会にも通じる示唆に富んでいます。
空間認識と距離感の変化
FM八ヶ岳 レインライフ ちょっと深掘り”考古楽”の時間です。 人類発生から600万年、21世紀の現代までの長い長い人類の歩み。
北都市在住の考古学者、茅ヶ岳歴史文化研究所主任調査員の 佐野隆さんに、優しく楽しくお話しいただきます。
聞き手は、柴山寛子です。
はい、じゃあ佐野さん、お話、前回の続きということで、マテリアルマインドの中で、どんなものかということで、ムーヴティーでしたっけ?
はい、そうですね。熱帯雨林に暮らしている人たちにとっては、サバンナのような開けた、遠くまで見渡せる空間をうまく認識できなかった。
そういうお話をしてみましたが、私たちもそうですよね。現代に日本で生きる。私たちもやはり、山国で育った人は、海沿いに行くと、わーって一瞬思うけど、
一週間もいると、なんか景色が単調で落ち着かなくなってきちゃうとかね。逆に海沿いで生まれ育った方は、山に来るとは、雄大な山の景色って思うけど、一週間もいると、なんか窮屈で圧迫感感じて嫌だとかって思う。
これもやはり、自然環境が私たちの空間認識や心に何かしらの影響を与えているという証拠だと思うんですよね。
そうですね。
特に現代の私たち、距離感っていうのはかなり変わってきたんだろうと思うんですね。
確かに。
例えば自動車や鉄道、飛行機なんかがあると、1日あれば地球の裏側まで行けちゃう。これってすごいですよね。
ですよね。
縄文時代の人は1日歩いて北都市から、たぶん原村あたりまで、長野の原村あたりまでにしか移動できない。
そういう空間感覚、距離感覚と、飛行機に乗ってブラジルまで1日あれば行っちゃうという私たちでは、たぶん地球は狭くなったって言うけど、まさにそういうことだと思うし、
さらにスマホとかインターネットとかソーシャルネットワークとか通信技術が発達すると、地球の裏側の人とリアルタイムで意思疎通ができる。
これも信じられないことですよね。
信じられないですよね。
そういう世界に生きている私たちと、大極にある狩猟採集世界に生きている人たちと、やはり精神分解なんかが全く違う。
そうですよね。
認知考古学、マテリアマインドという松本直子先生たちの研究プロジェクトは、そういう物と人の相互関係というのを改めて研究しようというプロジェクトなわけですね。
これについて詳しく話をしだすと、本当に話が尽きなくなるんですが、
あいにくまだ研究の途上で、具体的にこういう結論が出ましたというのはまだお話できないので、これをまた先のお楽しみにとっておいてですね。
いろんなジャンルから狩猟採集とかそんなところまで見ていくという形。
脳機能の働き、物質文化が認知機能にどう影響を与えたか、そんな研究をするのには心理学者とか脳性理学者とかいろんな分野の先生方が関わらなきゃいけないので、考古学者だけではないんですね。
そうですね。
なので、面白い研究成果が出ることを期待しているところですね。
そうですね。これからですね。
狩猟採集民の食料資源と居住環境
その話はちょっと先の楽しみにとっておいて、改めて狩猟採集民の暮らしぶりというのをちょっとわかりやすいところから探っていきたいなと思います。
まず最初はですね、生きていく上で一番大事なその食料資源。狩猟採集あるいは魚籠で食料を得るわけですね。
どこに暮らしているかで得られる食料は当然違います。
そうですね。違いますね。
種類も違うし、特に日本みたいな四季がはっきりしているところでは、季節性というのがあるんですね。
なるほどね。
旬の食べ物なんていう言葉が、日本だからこそ発達するわけですけど、そういう季節性も含めて食料がどんなものがいつ手に入るのかというのが狩猟採集民の暮らしぶりに大きく関わっているわけなんですね。
そうですね。そういうことですよね。何を利用するかだって、海のそばにいる人とそれから陸にいる人とでは違いますもんね。
全然違うんですね。先ほど前回紹介した1966年のマン・ザ・ハンターシンポジウムの中で示された面白い研究データがあって、
それは狩猟採集民が何を食べているか、何を食料資源にしているかというのと、彼らが暮らしている場所、具体的には井戸の間で強い相関関係があるという研究なんですね。
考えてみればすぐ分かるんですが、例えば北緯60度、北極圏ですね。シベリアの一番北、アラスカ、カナダの一番北の端、あのあたりに行くと、植物なんかほとんど生えていない。
そうですよね。ツンドラ地帯といわれているようなところですからね。
ツンドラよりもさらに北という感じですね。
東土って高達地のところですよね。
もうそんな地域ですと、植物資源、野菜とか、木の実とか、ベリー類とか、果物、そんなものは当然全くない。
そういうところにいる狩猟最初民は、いわゆる繊維質の食べ物ってほとんど食べられないんですね。ないんで。
何を食料にしているかというと、ほとんどが狩猟。
狩猟。
精打ちとか、あるいはイッカクジュウとかクジラとか、そういった怪獣類ですね。海の哺乳類の狩猟と、もう一つは魚類、魚を捕る。
そんなんでほとんどの食料を得ているわけなんですね。
そうですね。
よくエスキモという言葉がありますが、生肉を食べる人っていう意味なんですよね。
半分差別的な言葉なんですが、実際イヌイットの人たちは生のまま肉を食べたりします。
これは調理して肉ばかり食べていると、栄養が偏ってしまって良くないんですね。
ところが生で食べることによって、ミネラル分とか、動物の血液の中に含まれているカリウムとか、いろんな人間の生存に必要な栄養素物質を摂取できるわけですね。
なので、あえて生で食べる。そんなふうにして暮らしているわけですよね。
おそらくね、面白い話がちょっと脱線しますけど、私が学生の頃あるイタリア人、ミラノという北イタリアから来た人を案内したこと。
彼が寿司食べたいって言うから、寿司屋さんを案内してあげた。
北イタリア、ミラノというのは内陸部のナポリとか、南イタリアとは違うところですよね。
なので、寿司食いたいとは言って連れて行ってあげたんだけど、この寿司、米の上に乗っかっているこれは生かって聞くわけ。
もちろん生だよ。僕、生の魚は食べられない。食わない。
これどうだと。これ茹でたエビが乗っかっている。
エビ食べたことない。タコは?タコなんか食べない。
結局食べられたのは、卵。
お前何しに来たんだ。何で寿司食いたいんだって言ったんだよ。
本当に笑い話ですけど。
そのくらい食生活が違うってことですよね。
そうなんですね。ですが、イヌイトの人たちはおそらく日本に来れば、お寿司をペロッと食べられる。
そういうことですよね。
生で食べるって言うのに慣れているからですよね。
一方でですね、だんだん南に来ると。
例えば日本列島、日本で一番北って言うと北海道の和歌山。
あそこは北位46度くらいですね。
それから九州の一番南、薬島あたりが北位30度。
日本列島って大体井戸にして15度くらいの中に入っているわけですけど。
そのエリアになると今度は植物豊富ですよね。
そうすると木の実を食べたり果実を食べたり、
その採集の部分がウエイトが高くなって、
逆に狩猟とか魚籠の部分はだんだん低下していくわけですね。
そのバランスが一番取れている場所って実は北位40度、50度あたりなんですよね。
そうなんですか。
ですので北海道からカナダの北部あたりくらいですかね。
そのあたりが実はバランスが取れていて、
そこから南に来ると今度は植物資源が非常に豊富になっていく。
多くなっていくってことね。
例えば日本って歴史を振り返ってみると、
家畜らしい家畜ってほとんど飼ってないんですよね。
そうなんですか。
中国には豚がいたし、西アジアに行けば牛がいるわけですが、
日本ってつい最近まで、明治時代になるまで、
豚もほとんど飼ってなかったし、牛も飼ってない。
だからイノシシとかシカとかそういうの食べてたけど、
自然にいるものですね。
イノシシやシカの肉もそんな一般の人に行き渡るほどは流通してない。
山国にいる狩人がいるような、そういう人たちじゃないと食べられるわけですよね。
そうすると、例えば江戸時代の日本人、米、麦、豆、そういった植物質の食料ほとんどです。
そうですよね。
動物性のタンパク質何で補ってたかというと、魚ですね。
ほとんどね、確かにね。
江戸に暮らしていた日本人は魚がとても大事。
江戸は魚が食えなくなっちゃったら死んじゃうくらい魚が大事だったんですけど。
確かにそうかもしれない。
でも山梨のような内陸部になると、江戸前の魚介類なんて手に入りませんから、
ますます植物食のウェイトが高まってくる。
時々川魚食べるくらいですよね。
内陸部に来れば時々漁師さんが捕まえたウサギだ、キジだ、ヤマドリだ、おすそ分けはもらえたと思いますが、
そんなふうにしてやはり自然環境によって食べるものがずいぶん違う。
そういうことですね。
これが熱帯地方ですね。
熱帯、赤道直下というと、例えばシンガポールとかケニアの首都ナイロビとか、
南米だとエクアドルのあたりですね、ブラジル。
あのあたりが赤道直下ですね。
そこに行くとかなりの部分が植物食。
アマゾンとか大きな川があれば魚も食べられるでしょうけど。
そんなふうに生活している場所、特に井戸と食料資源の種類というのは強い相関があるんだというね。
確かにね。言われてみるとそうってわかります。
北極圏イヌイットの暮らしと社会構造
もうちょっと具体的に少し見ていきたいと思いますが、
例えば先ほどのイヌイトの人たち、コイドタイ北極圏の人たちですよね。
クジラやアザラシの漁をする。
海沿いの人たちはそうだ。
内陸の人たちはどうかというと、トナカイ、カリブーとか野生のですね、狩猟をする。
シベリア、ユーラシアの方では今度はトナカイを家畜として飼って、放牧してですね、数増やして、その中から時々食料にすると。
そんなふうにして暮らしている。
コイドタイの人たちは日本のような四季というのがなくてですね、極端に言うと夏と冬ですね。
白夜のある夏とですね、ほとんどお日様が見れない、暗く閉ざされた長い冬と、その2つの季節のサイクルで暮らしているんですね。
夏は家族単位で分かれてですね、あちこちに分散してトナカイの漁をしながら、シベリアの方ではトナカイの餌になる、わずかな植物と苔。
苔類ですよね。
これを求めて移動しながら、小さなグループでですね、移動しながら生活をして。
冬になると海岸沿いの、例えばクジラやアザラシの寮ができる。
そういうところに移動していくわけですね。
そういうところにみんなが集まって、そこで半年間大きな村を作って、共同生活をするなんていう暮らしをするんですね。
なるほどね。
面白いのは、北極圏のイヌイトの人たちですね、夏の間、家族単位くらいの小さなグループで分かれて暮らしているときっていうのは、ものすごくお父さんの権威が、権力が強いんです。
結局お父さんが狩りでうまくいかないと、みんな食っていけない。
食べ物なくないんだ。
なので、お父さんの言うことが絶対なんです。
なるほど。
お母さんは料理もしてくれたり、子どもの世話もするわけですけど、やはりお父さんの力が強いんです。
ところが冬の集落、みんなが集まってくると、徹底的に民主主義的になるんです。
面白い。
男と女の力の差なんていうのは全くなくなって、
誰がリーダーでとか、そういうのも一切なくなる。
本当に極端なんですね。
面白いですね。
社会の仕組みまで、夏と冬で大きく変えちゃうんです。
極端な話、王様がいる独裁政権と、現代日本よりももっと進んだ民主主義社会と、その2つが夏と冬、半年ごとに入れ替わる。
そんな暮らしなんですよね。
そうなんですか。
はい。
人間の創意工夫と環境適応
じゃあ、ちょっとここで音楽の方に行きたいと思いますが。
今回もですね、バッハのパルチータから、パルチータの4番ですね。
クーラントをおかけしたいと思います。
チェンバロはグスタフ・レオハルトです。
FM八ヶ崎、レインナイフをお送りしております。
今のお話を聞いててね、やっぱりそこの場所でいかに生活していくかっていうことは、自然発生的になっていくのかしら。
そこで生きていくためには。
そこがね、今、私も関わっている研究プロジェクトの中で、解明しなきゃいけない課題なんですけど。
自然環境と生物としての人間っていうのが、お互い相互に作用しながらある一定の場所に落ち着くっていう。
これ共進化っていう概念なんです。
共に進化する。
人間がいることで自然も変わっていくし、自然があることで人間も変わっていく。
それがお互い相互に作用することである一定の安定したところに落ち着くっていう、そんな概念です。
そうすると、人間が持っている物質文化であるとか、あるいは先ほどお話しした社会の体制、政治体制っていう、そんなものまで一定の場所に落ち着いていく。
自然に落ち着いていくんだと。
そういう考え方が一つあって、一方にあって。
もう片方は、そう言っても人間って知恵があります。
洞察力もある。直感力もある。そして、自ら何かを生み出すっていう、想像力もある。
そういう人間は、ある自然環境の中で試行錯誤を繰り返す中で、これがいいよねっていう、ある一定の場所に落ち着いていく。
それは人間の創意工夫がなせる技なわけですね。
そういう側面も片方に、もう一方の極にある。
その共振化という、自然にそうなるんだよっていう、落ち着くとこに落ち着くんだっていうのと、
いやそうじゃなくて、人間が試行錯誤して、人間がそういう工夫して、ある一定の場所に落ち着くように工夫してきたんだっていう。
その両極のどちらが正しいのか、あるいはその間にはグレーゾーンがたくさんあるのか。
そこはね、今、考古学が一生懸命考えているところなんですね。
案外そんなことが分かってないんですよね。
意外と単純ですよね。逆に考えればね。そんなに難しいことではないんだけど、今までそういうことがあまり考えられてこなかった。
でね、佐野お前何言ってんだと。人間は知恵があるんだから、今の現代の社会を見ればもう明らかじゃないか。
人間のそういう工夫があったからスマホができて、飛行機が空飛ぶようになったんじゃないと。
何言ってんだっておっしゃる方もいらっしゃる。当然いると思うんですが。
例えば今から2500年前の古代ギリシャの哲学者たちは、水を火にかけるとお湯になる。そして蒸気が出る。
その蒸気っていうのは物を動かす力を持っている。夜間の蓋が開くとかね。
それ知ってるんですよ。知ってるんだけど蒸気機関車作ろうとはしなかったんです。
なぜかというと、そんなものを作る必要がなかった。
ギリシャは割と山勝ちでね、平らなところがなくて。
移動っていうのは人間が歩くか、ロバや馬を使うかなんですけど、それ以上に早いのは船で海沿いに移動することなんです。
ギリシャの主要な都市、アテネもそうですが、みんな海の近くにある。
港を必ず持っていて、そこで物質を、物資を動かす、輸送するんです。
ですから彼らに必要なのは、船を漕ぐ奴隷が必要なんです。
蒸気の力よりも奴隷が大事なんです。
その奴隷を獲得するために戦争する。
奴隷というのは労働力として、原動力として重要だったので、蒸気が力を持っているというのを気がついても、蒸気機関を作る必要はなかった。
人間はそういう工夫をして、ある原理、自然の法則や原理を発見するんだけど、
それをどう使うかというのは、その時代性やそこの社会、自然環境とか、いろんなものを影響を受けているんですよね。
そういうことですね。
突き詰めて考えていくと、そういうことなんだろうと思うんですね。
例えばパソコンとかコンピューターとかスマホがこんなに発達したのは、第二次大戦の時にですね、
敵同士がお互い電波で通信をするようになって、そうすると通信を傍受される。
機密情報がダダ漏れになる。それを防ぐために暗号を作ろうと。
そうすると今度は暗号を解読するための機械を作るわけですよ。
ナチス・ドイスはエニグマという有名な暗号を作る装置を作るんですね。これもコンピューターですよ。
そうすると今度はアメリカがナチスのエニグマで作った複雑な暗号を解くために、これまたコンピューターを作り出すんですね。
それで暗号を解読していくわけですね。そこからコンピューターが出来上がってくる。
これももし第二次世界大戦当時の通信が電波ではなくて、人間が動いて電霊を出す。
あるいは犬に通信箱を運ばせて電子バットを使った。
そういうのだったらエニグマもいらないしパソコンもいらなかった。
出来なかったかもしれない。
必要は発明の母と言うけど、その必要というのは実は生きている環境とか、
どうやって食料を得るかという制御活動であったり、それが生み出すものが必要なんですよね。
なので人間の創意工夫、想像力、人間の高度な脳の機能だけでは、実は人間の進化や社会の仕組みというのは出来てこないかもしれない。
そうですね。
なので先ほど言った自然の中で自ずとそうなるんだよという共進化という概念と、人間の想像力が全てを作り出すんだという。
その両極端の、実はどこか中間に人間が進化をし、また現代のような歴史を作り上げてきたメカニズムやプロセスがあるのではないかと。
それを認知考古学者たちが今挑戦しようとしているわけですよね。
なるほどね。でも本当にさっきの話ではないけど、本当に必要に迫られていろんなことが出来てきているということですよね。
そうですね。その自然環境の中で狩猟採集民、世界中に暮らしている狩猟採集民、いろんな生活ぶりがあるんだよということですね。
ブッシュマンのリスク分散とサバイバル戦略
そういうことですね。ちょっと早いんですけれども、ここで音楽をかけてしまいたいと思うんですが。
パルチータの第4番から、アリアをお願いします。
フェイム・ヤツガタケ、Day in Lifeをお聴きいただいております。今までは北のほうの話をしていたんですけど、それ以外の南のほうの人たち。
そうですね。
暑いところの人たち。
今度は北極圏のイヌイットから移転して、南アフリカ、ナミビアのブシュマンと呼ばれる人たちですね、山賊とか。
ブシュマンの人たちの暮らしをちょっと紹介してみたいと思います。
そうですね。
ブシュマンの人たち、砂漠なので、おそらく私たち日本人が行ったら、何にも食べるものを見つけられなくて、1週間すると多分死んでしまう。
水すら見つけられない。
水すらそうですよね。
そういう場所ですね。
そんなところにも適応して暮らしている人たち、ホモサピエンスがいるわけですね。
それがブシュマンの人たちですね。
彼らはですね、だいたい数家族、30人前後くらいの小さなグループで移動しながら暮らしています。
なぜ移動するかというと、砂漠なので、食べられるもの、あるいは食べられるものですね、それがある場所というのは限られるんです。
なので、ある場所で食べるものを見つけて食べたら、そこにずっといると食べ尽くしてしまう。
資源がなくなってしまう。やがて餓死する。
それを防ぐために、ほどほど滞在したら次の場所に移動していくわけですね。
そこでまた食べ物を探す。ほどほどそこで過ごしたらまた移動していく。
そうすることで、消費した資源が再び回復するわけですよね。
食べ尽くしてしまわない。
そういうふうにして、資源の環境を保全しながら一定のエリアを移動して暮らしているんですね。
なるほどね。
決してあてどもなく移動しているわけではないんです。
ちゃんとわかっているわけですね。
ナミブ砂漠ってすごく広くてですね。
何もない砂漠の中に足を踏み入れたら、数百キロ歩いても砂漠ですから、そんなところに行ったら死ぬしかないですね。
飲む水もなくて。
なので彼らはあてどもなく移動するのではなくて、きちっといつどこに行けば何が手に入るというのを長年の経験から理解しているわけですね。
おそらくブッシュマンの人たち、岩屋なんかに絵を描くんですけど、仮の絵とか。
10万年前、今のつい最近の絵と10万年前の岩絵とほとんど変わらない。
なのでおそらくブッシュマンの人たちはそのくらい昔から地域に生きている。
その地域で暮らしているということですね。
その10万年、15万年という長い知識が彼らの頭の中には全部詰め込まれていて、どこに行けば何が手に入る。
彼らおそらくいろんな気候変化も経験しているんですね。
その変化もうまく乗り越えて、現代のアフリカの環境に適応して生きているわけですよね。
具体的に例えばどんなふうに移動しているかというと、大きくはアフリカは雨季と寒季。
比較的雨が多く降るときと、全然雨が降らない乾燥した季節、両方にあるんですが、
寒季、乾燥した時期というのは、生きるためにはまず何より水分が大事ですね。
水が必要ですね。
なので野生のスイカ、スイカハンドボール、このくらいですね。
直径が15センチか20センチくらいの小さなスイカなんですが、野生のスイカが大量に実る場所というのがいくつかあるんです。
それを彼ら知っていて、そこに集まってみんなでスイカを食べる。
スイカばっかり食べていたら、多分水分は摂取できるけど、
他の栄養素はどうなるのって。
なので野生のスイカが手に入るところで、30人の集団がまたいくつか集まって、
100人、150人くらいの大きな集団を作って、そこで共同でお祭りなんかをして、
あるいは年頃の若者たちはお見合いなんかをして、
そこをベースキャンプにしてですね、若い男たちは何日も狩りに出かけます。
片道数日、相当の距離100キロくらい移動するんです。
それで野生のシカとかですね、大きな獲物が手に入るときはキリンとか、狩りをして、
乾燥しているので狩りをするとですね、内臓とかすぐ腐っちゃうものは、
狩りをしたグループがその場で消費しちゃうので食べてしまう。
赤身の肉はですね、その場で短冊に細く切って、
放っておくとチリチリに乾燥するので、干し肉が簡単にできる。
干し肉にして、それをみんなが持っている野生のスイカがあるキャンプに持って帰る。
そうやって肉をみんなで食べる。
そんなふうにしてスイカがある程度なくなるまでそこにいる。
徹底的に食べ尽くさないんですね。
残しとかなきゃいけないんですけどね。
雨季になるとですね、今度は砂漠、ナミブ砂漠とはいえ、
雨季になると多少植物が実ったり、あとは昆虫、虫ですね。
昆虫なんかが羽化してきたりするわけですね。
そうすると、野生のガノ幼虫、イモムシが大量に発生する場所というのを知っている。
そうするとそこに行ってイモムシを捕まえる。
イモムシを食うなんて、我々は思うかもしれないけど、
山梨県民は蜂の子とか食べるので、あまり抵抗がないかもしれないけど、
そう言っても親指くらいの大きいイモムシなんて、やっぱりウェーと思うかもしれないです。
大事なタンパク源なんですね、彼らにとってはね。
そのイモムシを捕ったり、あとは小さな野生のスイカがある小さな群落、
そういうところを移動したり、あとは動物の狩りをしたり。
ウキはわりとどこに行っても何かしら何とか手に入るので、
小さなグループに分かれて、家族単位の小さなグループに分かれて、またチリジリバラバラ移動しながら暮らしている。
また寒季になると野生のスイカが実るベースキャンプにみんなが集まって、
そんな風にして移動するんですね。
おそらく1年の間に1000キロとか、ものすごい距離を移動するんだと思うんですね。
いっぺんに移動するわけじゃないですよね。
100キロ移動したらまた、そういう風にして暮らしているんだと思うんですが、
だいたい1つの、先ほど30人くらいの小さな集団が基本になって暮らしているんだよってお話ししましたが、
だいたい1つのそういう集団が移動する先、十数か所くらい持っているらしい。
すごいですね。
なので、決してデタラメでぽけに移動しているわけではない。
そうですね。思いついてあっちの方向に行こうとかではなくてね。
十数か所くらいあれば、ちょっとあれおかしいな。
いつもここにはあるんだけど、今年はちょっと当てが外れたなっていう。
当然、自然の野生の資源なのでそういうことがあり得ますけど、
十数か所持っていれば、ここはダメだから次行ってみようかと。
そうやってリスクを分散することができるんですね。
そういう狩猟再生民の生活の大きな特徴というのが、そのリスクの分散なんです。
そうですね。
利用できるものは何でも利用する。
野生のスイカも食べるし、動物や鳥の狩りもするし、
動物だっていろんな動物の狩りをします。
さらには芋虫も食べる。利用できる資源は何でも利用する。
それによって、例えばスイカがうまく実らないときは、
少しのスイカとその代わり別なものでとか、
そうやって代替資源が常に用意されているというか、
そういう環境を維持しているわけなんです。
そうですよね。
それがリスクの分散、リスクマネジメントですね。
すごいですね。自然にそれは身についているということですよね。考えなくて。
ところが、農耕民はそうはいかないんです。
そうですよ。その場所にいなきゃいけないわけだから。
稲作をして暮らす。稲が実らなければ立ちどころに基金が起きる。
まだ伝統的な、例えば江戸時代くらいであればですね、
年末を納めさえしなければ、たぶん稲作でね、
仮に基金が起きて米が取れなくても、
なんとか栗やくるみ、あとはかりうどんにお願いして、
それでなんとか栗つなぐということができたとは思うんですが、
農耕民というのはやはり基金の危険といっつも隣り合わせなんですよね。
リスク管理がしにくいわけですよね。
農耕社会が発展すればするほど、そして農業技術が発展すればするほど、
稲、小麦、トウモロコシといっぺん等になってきますから、
もうそこに、それ失敗したら大事になるというリスクをいつも背負い込まなければいけないわけですよね。
じゃあここで音楽をおかけしたいと思いますが。
ではですね、パルチータの第4番からサラバンド。
時間ないから続きましょう。
はい、じゃあ、ごめん。
いいです、いいです。落ち着いてください。
カラハリ砂漠のブッシュマンの人たちはそんな風にして暮らしを成り立たせていたわけですね。
まとめと次回予告
日本人から見ると本当に信じられないような砂漠、乾燥地帯です。
そうですよね。砂漠といったら、いわゆるオアシスと言われているところに水があって、
そこはホモサピエンスの人間だけが利用するわけじゃなくて、
動物だって利用するわけでしょ。
そうなんですが、まだオアシスのようなため池のような水の状態で水があるところはまだいいんですよね。
ナビブ砂漠はそれすらないと。
そういう乾燥地帯です。
その続きの話はまた次回ということにして、
ここでフミヤ津ヶ岳・デイン・ダイフ、ちょっと深掘り考古学を終わります。
聞き手は柴山博子でした。
40:26
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