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始まりました、志賀十五の壺。みなさんいかがお過ごしでしょうか。志賀です。
みなさんも1回ぐらい聞いたことあると思うんですけど、 農耕を始めたことっていうのが、人類史にとって大きなタイミングポイントとなってるんですよね。
まあ、なってるんですよねってこれは受け売りですけど、 時代にしてだいたい1万年前ぐらいですかね。
一番最初に農耕が始まったのは、 肥沃な三日月地帯とか言われる地域ですけど、
あるいは中国でもその農耕が始められて、 その農耕が始まったことによって
人類史がどんどん発展していって、そして現代までこう、 つながっているというわけなんですが、
この農耕と言語っていうのもまた、 言語の拡散がすごい深い関わり合いにあるんですよね。
簡単に言うと、農耕が広まっていく、 各地域にどんどん拡散していくに従って、
言語も拡散していったと。 こういう仮説があるんですよ。
これを農耕言語拡散仮説と言います。 割とそのまんまですけど、
これを提唱しているのがピーター・ベルウッド先生という先生で、 他にも、10秒元金鉄っていうベストスラーの本を読んだ方もいらっしゃると思いますけど、
農著者であるジャレット・ダイヤモンド先生とかも、 この仮説を支持しています。
過去のトークでですね、インドヨーロッパ語族の話とか、 オーストロネシア語族の話をしてるんですよね。
インドヨーロッパ語族っていうのは、 フィンランドとかハンガリーとかあるいはバスク語とかね、
少数の言語を除いてヨーロッパの地域の言語、 あるいはインドイラン系の言語っていうのは、
共通の祖先から枝分かれして発展した言語であるっていう話を過去にしています。 あるいはですね、
オーストロネシア語族のところでは、 インドネシアとかマレーシアとかマダガスカルとか、
あるいは太平洋のメラネシア、ミクロネシア、ポリネシアの、 そういう島々の言語っていうのは、
共通の言語、すなわち台湾で話されていた言語から、 枝分かれして発展していった言語だ、みたいな話を
過去にしました。 できればですね、そちらも遡って聞いていただけたらと思います。
で、このように言語が各地域に拡散していったのは、
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濃厚と一緒に拡散していったんだっていうのが、 この濃厚言語拡散仮説と言われるものです。
まあこれはですね、その言語学的にも、
なんだ、その共通の祖先から広がっていったというのはわかっているし、 あるいはDNAの分析とか、
考古学的な知見からもそういうことが言えるようです。 ご存知のようにですね、濃厚が始まる以前は、
つまり濃厚民族が出てくる前は、 狩猟民族しかいなかったんですよね。
つまり、木の実やら、あるいは、 映像としてはマンモス飼っているみたいなのが目に浮かんだりしますけど、
なんていうか、イメージとしてはそういう感じですよね、狩猟民族って。 で、濃厚民族はそういう狩猟民族を駆逐したり、あるいは追いやったりしてどんどんどんどん
広がっていって、それとともに言語も各地域に広がっていって、 例えばインドヨーロッパ語族だったらあれだけ広い地域に広がっていったし、
オーストロネシア語族の場合は、 特に太平洋の島々はだいたい無人島だったので、その狩猟民族がどうこうというのはあんまり関係ないんですけど、
ともかくですね、 濃厚と一緒に言語が広がっていったんですよね。
その濃厚民族が、その狩猟民族をなぜそうやって追いやっていくことができたかというとですね、
濃厚を始めたことによって、安定して食料が手に入るようになって、 そのおかげでかなり人口密度が高い状況が生まれたと。
一方狩猟民族というのは、そういう人口密度が高いという状況ができづらかったようです。
さらにその狩猟民族というのは、かなり動き回るというか、 移動性が高いというんですかね。
そういう生活様式だったのに対してですね、 濃厚民族というのは、その予想できるようにですね、
定住するようになるということですね。 その定住するようになったりとか、あるいは
またその余った食料を保存したりとか、 その
余った食料を保存するための技術が発展したりとか、 あるいはそういうとこからですね、社会的な制度もできたりとか、
共同作業もしなきゃいけないので、そういうとこから 支配する側、される側みたいなね、そういう階層性もできたりとか、
そういうのがだんだん社会とか、 もっと言うと国家とかね、そういうところに繋がっていくということですね。
つまり社会が組織的になっているということですね、濃厚民族の方が。
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さらにですね、その濃厚民族は家畜も飼い始めて、 そういう家畜を飼い慣らしていく中で、その家畜由来の伝染病とかがあったりするんですけど、
そういうものに免疫ができると、病気に強くなるということですね、平たく言えば。 こういういろんな要因があって、
濃厚民族は狩猟民族に対して強みがあったと言われています。 なので、濃厚がなければ、その国家というか組織的な社会もできなかっただろうし、
あるいはその支配する側、される側みたいな図式ができないと、 その文化っていうのもね、生まれなかっただろうし、ということで本当に濃厚っていうのはね、
人類の発展に大きく寄与しているんですね。 なので、そういう組織化された制度とか、あるいは免疫を持った体とかね、そういう強みを持って狩猟民族をどんどんどんどん橋へ橋へと追いやることができたということなんですね。
まあ当然日本もこれは関わってますよね。 その濃厚というか稲作っていうのは大陸側から朝鮮半島を通じて日本にやってきたわけなので、
おそらくその縄文人っていうのは アイヌ人であったっていう風にね、まあ考えられるんですよね。
そのアイヌ人が日本列島に広く分布していたのが、朝鮮半島から稲作の技術を持った 濃厚民族がやってきて、
アイヌ人はどんどん橋へ追いやられてですね、 エゾーと言われる地域まで追いやられたと。
一説によると沖縄の人たちも 元々いた縄文人の末裔というかね、そういう風なことも言われてたりします。
ということなので、日本もね こういうダイナミックな
濃厚と言語の拡散にね、 関与してるんですよね。東の一番端っこでね。
だから、その濃厚の電波が一番最後に、 ユイラシアの一番最後で起こった地域っていうことですね、日本は。
気になる方はですね、参考文献を概要欄の方に貼っ付けておくので、 そちらも、というか、そちらをぜひ読んでいただけたらと思います。
というわけで今日はね、かなりでかい話になりましたね。 濃厚と言語の拡散っていうのがね、密接に関わり合っているという、
これも一応仮説ということですけど、 そういう説があるというお話でした。
というわけで今回はここまでということで、 よろしかったら番組クリップの方をお願いいたします。
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ではまた次回お会いしましょう。ごきげんよう。